第17話 救出!?
崩れ落ちた守護獣の瓦礫を迂回し、奥の通路へと足を進めた。
石床に残る靴跡は乱れているが、まだ新しい。削れた傷、血痕の色、魔力の焦げ──〝紅鷹〟の残した痕跡だと見て間違いないだろう。
広間を抜けると、空気が一段冷たくなった。魔法石の明かりは間隔が広まり、闇と光が縞を作る。その暗がりの合間を縫うように歩いていると、不意に、皮膚の表面を薄い布で撫でられたような感覚があった。
(……結界、か?)
肺の奥で微細な魔力の流路が引っ掛かって、足を止めた。
防護結界魔法特有の、均一な振動数。ついさっきまでアルド自身が張っていた類いのものに近かった。
「先生、もしかして……!」
隣のエリシャも立ち止まり、同じ方向を見ていた。緑の瞳が微かに見開かれている。アルドと同じものを感じ取ったのだろう。
「ああ。急ごう」
短く答えると、ふたりはその方向へ駆け出した。
通路は途中から下り坂になり、僅かな傾斜が速度を押し上げる。靴音が低く反響し、呼吸に合わせて魔法石の光が揺れたように見えた。
曲がり角を二つ曲がったところで、魔力の膜が濃くなる。そこから先は、目に見えぬ壁を押して進んでいるかのような抵抗があった。弱ってはいるが、結界であることは確かだ。
(いや、これは魔導師の防護結界だけではないな。気配を消す魔法も混じっている、か?)
本来アルドたち程の実力者であれば、魔力を感じればおおよその場所までわかるのだが、今回はその気配が薄い。おそらく、気配を誤魔化したり消したりする魔法も重ねているのではないだろう。
奥まった小さな部屋に飛び込むと、その発生源の姿が目に入った。
ひとりは、長い金髪を一房だけ編み込んだ女騎士。片膝をつき、剣を杖のようにして辛うじて立位を保っている。鎧の隙間から血が滲み、唇は青白い。だがその足は、仲間と通路との間に立ちはだかり、一歩も退かなかった。
彼女のすぐ横には、ローブ姿の女の魔導師がうつ伏せに倒れている。さらにその向こう、修道服に身を包んだ治癒師と思しき女性が横たわっていた。全員若く、女性だけのパーティーらしい。
「おい、無事か!」
アルドは素早く距離を詰め、その場に魔物の気配がないことを確認してから声を掛けた。
「しっかりしてください!」
エリシャも女騎士の肩に手を添え、その顔を覗き込む。
こちらの呼びかけに、女騎士の瞼が痙攣し、はっとしたように視線が上がった。焦点が合うまで少し時間がかかり、やがて信じられないものを見たように目を見開く。
「まさか……助けが、来てくれたのか?」
掠れた声。喉が乾ききっている。
アルドは頷き、懐からギルド印の札を一枚取り出して見せた。
「ああ、その通りだ。〝紅鷹〟で間違いないな?」
女騎士は安堵の色を浮かべ、小さく頷いた。その安心が僅かに顔を和らげ──すぐに表情を張り詰めさせる。
「そ、そうだ! 奴はどうした!?」
ほとんど悲鳴に近い声だった。
エリシャが瞬きをして問い返す。
「奴?」
「無詠唱魔法を放ってくる石の化け物がいただろう!?」
なるほど、とアルドは内心で頷く。
やはり彼女たちはあの守護獣と真正面から遭遇していたのだ。無詠唱の一斉砲火を浴びせてくる石像生物など、並の冒険者ならそれだけで戦意を折られる。
エリシャはちらりとアルドと視線を交わし、それから女騎士へ柔らかい笑みを向けた。安心させるように、声の色も落ち着いている。
「それなら安心してください。もう倒しましたから」
「倒した? あれをか?」
女騎士が、確認するようにアルドを見る。半信半疑と、信じたい気持ちが半々だった。
「もう広間でただの石ころになっている。安心しろ」
アルドも笑みを浮かべて、頷いた。
本当は『倒した』というより、命令を書き換えて眠らせただけなのだが、今はそんな細かいことはどうでもいい。エリシャもそれを承知した上で、敢えてそう表現したのだろう。
「そうか……よか、った」
糸が切れたように、女騎士の肩から力が抜けた。
その場で膝から崩れ落ちるように、ばたりと倒れる。アルドが慌てて抱きとめ、そのまま脈を診た。弱いが、まだしっかりと打っていた。呼吸も浅いが乱れてはいない。致命傷ではなく、出血と疲労によるものだ。
(よく立っていたものだな)
ここまで仲間を庇い続け、最後の最後まで剣を構えていたのだろう。評価すべき根性だ。
倒れているふたりも深手を負っていたが、意識を失っているだけだった。魔導師と治癒師も出血と疲労と魔力枯渇によって意識を飛ばしているだけに見える。
(さすがは古代遺跡の探索を任されるだけのことはある、といったところか)
アルドは小部屋を見回して思った。この小部屋一帯を包む薄い結界と気配遮断の魔法が、彼女たちの不屈の精神を物語っていた。
守護獣に追い詰められた地点からここまで退いて、パーティーの魔導師が防護結界を張り、その内側に治癒師が気配を消す術を重ねたのだろう。敵を誘引せず、助けが来るまで耐え切る判断を下す。危機下でこの選択ができたのなら、上位Bランクの名は伊達ではない。
「よし、あとは運び出すだけだな」
アルドがそう言いかけた、その時だった。
部屋の壁──三人が凭れかかっていた背後──に刻まれた浅い浮き彫りが、じわりと光を帯びた。
古代文字だ。先程の広間や門のものと同系統の線が、ひとつひとつ目を覚ますように白光を走らせる。アルドが思わず手を翳すと、その光は彼の指先に応じるように強くなった。
『汝、〝詠唱ヲ要セズ〟者ナリ──』
声が、唐突に頭の中に響いた。
耳からではない。脳髄の裏側に、直接意味が流し込まれた。石の守護獣が放ってきた命令波と同じ類いだが、こちらはより穏やかで、神託のような響きを帯びている。
『選定ヲ受ケシモノヨ』
さらに二の句が重なる。
その刹那、エリシャがぴくりと肩を震わせた。
「今の声は……?」
彼女にも聞こえたらしい。純粋な困惑とわずかな畏れがその瞳に揺れた。
アルドは、舌の上に残る古代語の感触を確かめながら答えた。
「さあな。だが、まるで俺に向かって語りかけているようだったな」
認めたくはないが、そうとしか思えない。
何の、誰の選定なのか。それ以上の情報は与えられないまま、光はすっと収束した。浮き彫りの文字はただの石の溝へと戻り、部屋に再び静寂が落ちる。
古代語と遺跡と守護獣。そして無詠唱魔法。その全てが、一本の線で繋がっているような気がした。
直感としてはっきりと理解できるのに、その正体を説明するための知識が圧倒的に足りない。学者としては、歯がゆい限りだ。
誰の、そして何の思惑か知らないが、勝手に選ばれて喜ぶ性分ではない。研究者というものは本来、己の足で門をこじ開けたいものだ。
だが、今は突き詰めている暇はない。
「さて、研究に勤しみたいところだが、今はこいつらの救出が先だ。その女騎士を頼んでいいか?」
アルドは女騎士の体勢を整えながら言った。
「任されました!」
エリシャは即座に頷き、顔をぱっと明るくした。さっきまでの不穏さを振り払うように、表情にきっぱりとした色が戻る。
アルドは〈浮遊魔法〉で倒れていた魔導師と治癒師の身体をふわりと浮かせた。
直接抱えた方が早い場面もあるが、負傷箇所が多い場合は下手に動かすと悪化させかねない。何より、見ず知らずの女性に触れるというのも少し気が引けた。
エリシャも短く詠唱し、女騎士をそっと浮かせる。その動作は丁寧で、揺れも少なかった。負傷者搬送の心得も、きちんと頭に入っているのだろう。
「長居は無用だ。外に出るぞ」
アルドは無詠唱で〈脱出魔法〉を発現させると、五人の足元に淡い光の陣が咲いた。
そして、気付いた頃には──一同は遺跡の外。霧の谷底の前庭に立っていた。
門は背後で黙したまま、外気が頬を撫でる。森の匂いと、湿った土の匂い。久しぶりに普通の空気を吸った気がした。
負傷者たちを地面にそっと横たえ、簡単な状態確認をもう一度行う。急を要する大出血はない。ここから先は、一刻も早く街へ戻し、ギルドの医療班に任せるべきだ。
「このまま三人は浮かして帰りますか?」
「いや、〈帰還魔法〉を使って一気に帰る」
「びっくりされませんか?」
エリシャが尤もなことを言った。〈帰還魔法〉は移動系の転移魔法に属する魔法で、転移先にいきなりふっとその場に人が現れる。使用する際は、注意が必要だと講義でも教えたものだ。
「大丈夫だ。場所の目安もつけてあるからな」
「さすがです」
弟子が感心したように頷いた。
アルドは肩を竦めてみせると、三人とエリシャ、それから自分の足元に重ねて魔法陣を描いた。
今度は、遺跡から直接リーヴェへ。位置座標は出立前にギルドで確認してある。街外れなら見られることもないだろう。
〈帰還魔法〉を発現させると、光が一段と強くなった。霧も森も、古代の門も、光の中に溶けていく。
アルドは最後に一度だけ、振り返るような感覚で門の文字を思い浮かべ──そこに絡みつく『選定』の言葉を、心の隅へ押しやった。
次の瞬間、アルドたちの姿は、谷底からふっと掻き消えていた。




