第13話 新たな極秘依頼
城壁から街へ戻る道は、行きとは違って気持ちが軽かった。胸の奥に残っていた焦げた匂いも、石畳を踏むたびに風にほどけていく。
通りの人々はまだ上空を気にしてはいたが、身体のこわばりは抜け、店先の戸が一枚、また一枚と音を立てて開いていった。
ギルドの前は、早朝だというのに相変わらずの人だかりだ。だがさっきまでの緊迫はひと息ほど引き、扉の開閉に混じる怒号にも、微かな安堵が混ざっている。ある程度、ワイバーンも討伐されてきているのだろう。彼ら特有の鳴き声が聞こえなくなっていた。
ギルドの重い扉を押し開けると、カウンターの奥で、書類の束を抱えていたアリアが、目を丸くした。
「早っ! もう片付いたの!?」
驚いた拍子に、赤い巻き髪がぴょこんと揺れる。昨日も似た顔を見た気がして、思わず笑ってしまった。
隣のエリシャと顔を見合わせる。
「まあ、ワイバーン程度ならな?」
「はい。朝飯前でした」
エリシャが少し誇らしげに言い、すぐに「朝御飯はもう食べましたけど」と可笑しそうに訂正していた。
その妙な真面目さで気が緩んだのか、アリアもくすっと笑った。
「言うわねー。一番遅くに依頼を受けたあなたたちが一番早く討伐しただなんて、ある意味事件よ? ワイバーンって、結構強いはずなんだけど」
「別に特別なことはしてない。普通に戦って、普通に倒しただけだよ」
「普通、ねえ……? まあ、いいけど。先に報酬の方を払ってしまうわね」
アリアは帳面をひらりと開き、奥の引き出しから革袋をふたつ取り出した。
計量皿にざらりと銀貨と銅貨が落ちる。金属の重みが、場の空気に重さを与える音だ。脇で補佐の職員が素早くペンで走り書きをする。
「通常報酬のほかに、緊急手当がついてるわ。それと、倒した個体の素材分……これは後で治安隊が回収してくれると思うから、これも先払いしておくわね。今回はギルドが買い取るってことになってるから、市場より少し高いんじゃないかしら?」
「助かる」
受け取った革袋を手のひらで持ち直す。ずっしり、と腕の筋が心地よく沈む。
財布が潤う、という表現がぴたりとはまる重量だ。これだけあれば、数日分の宿代と食費は困らない。図書館へ通い詰めて、気の済むまで紙の上で魔法式を弄り回す生活も、できなくはないだろう。
「それともうひとつ」
アリアは書類の束から一枚を抜き出し、机の上に置いた。そこには、昇格審査対象者と記された封蝋付きの文書がある。
「あなたたち、次の昇格審査に推薦されてるわ。ランクDからCね。こっちも早いわねー」
その言葉に、エリシャが「やった」と小さく握り拳を作り、こちらに目だけで喜色を向けた。
もともと成績が優秀なので高く評価されることには慣れていると思っていたが、勉強と実戦では違うらしい。
アルドは言った。
「もう昇格するのか? まだ登録して二日目なんだけど」
「実力があれば早いに越したことないのよ。むしろ、最初のDランクスタートってのがそもそも間違いだったって私は思ってるけどね」
アリアが困ったように笑った。
ギルドの上の判断でDランクスタートになったそうだが、彼女の見立てではCやBから始めても良いと彼女は見ていたのだろう。ただ、その場合は危険な依頼が増える。今の難度から始められたのは好都合だった。少なくとも、ワイバーンやワーウルフ程度ならば何も問題がないということがわかったのは大きい。
「にしても、あなたたちの話、もう街で噂になってるわよ? 昨日はガロスを瞬殺した上にワーウルフ・ロードも倒して、今日はワイバーン三体だもの。大型新人って言われてるわ」
「大型新人か。俺はそこまで若くないんだけどな」
「お爺さんでもお婆さんでも、冒険者になりたての場合は新人よ。あなたより年上の老魔導師が冒険者デビューすることだって珍しくないんだから」
「言われてみれば確かに」
アルドは苦笑で返すしかなかった。
老魔導師がどういう経緯で冒険者になるのだろうとは思うが、きっと背に腹は代えられないものがあったのだろう。
「ま、悪い話じゃないわ。ギルドの信用にもなるしね」
アリアが報告書をまとめ終えると、ようやくひと息ついたように背もたれに寄りかかった。
報酬も十分貰ったし、ワイバーン騒動も落ち着きそうなら、もう今日はいいだろう。袋の口を結び直し、「さて帰るか」と踵を返しかけたところで、アリアが「ちょっと待って」と声を潜めた。
その表情が、先ほどまでの軽さとは違っていた。笑みの奥に、わずかな躊躇が混ざる。
「どうした?」
「……実は、あなたたちの力を見込んで、こっそりお願いしたい依頼があるのよ」
彼女は周囲へ視線を走らせ、机の下から封筒を取り出した。それからカウンターの端──地図棚の影──へと手招きする。
喧噪から一歩離れるだけで、声の通りが変わった。近くの卓では罵声と笑い声が飛び交っているが、ここまで届く頃には意味を失っていた。
「極秘の依頼、という感じですか?」
エリシャが首を傾げる。
アリアは「ええ」と頷き、封筒を見せた。封蝋は赤ではなく、黒。通常の依頼票ではなかった。
「新人のあなたたちに頼むことじゃないのは承知しているわ。でも、あたしの見立てではあなたたち、多分Aランク以上だと思うし」
「随分買ってくれるじゃないか」
「そうでもしなきゃ、こんな話しないわよ。ただ、ちょっと厄介な依頼でね……」
厄介な依頼、という言葉が引っ掛かった。おそらく、危険度も難度も高いのだろう。
アルドはしばし黙考し、隣のエリシャと視線を交わす。彼女が小さく頷いたので、アリアに向き直った。
「とりあえず、詳細だけ聞かせてくれ」
「わかったわ」
アリアは封筒から手早く一枚の地図を引き抜いた。リーヴェの東、丘陵の奥に黒い印が打ってある。古代語で記された注釈に、アリアが現代語の付箋を貼っていく。
曰く、このギルドでも上位に位置するBランクパーティー〝紅鷹〟が三日前に封印の遺跡・ノア=セリアへ潜って、消息を絶った。本来なら大々的に救援を出すべき案件なのだが、公には救援要請ができない状態だ、というのだ。
「何で公に助けに行けないんだ?」
アルドの質問に、彼女は眉を寄せた。
「ギルドの信用問題って言えばいいかしら。〝紅鷹〟は、表向きは遺跡周辺の探索調査任務の依頼をギルドから受けていることになってるんだけど、実際は禁域扱いの遺跡内部の調査依頼。それ以上は言えないんだけど、ギルド的にはあんまり公にしたくない話なのよ」
「つまり、内々に片付けてくれ、と」
「そういうこと。〝紅鷹〟より実力が高い冒険者で手が空いているのなんて、今はあなたたちくらいなのよ。頼めるかしら?」
アリアの声は、懇願に近かった。
封印の遺跡・ノア=セリアについてはアルドも聞いたことがある。ほんの数か月前に見つかったばかりの遺跡で、まだ調査も行われていなかったはずだ。
見つかったばかりの遺跡の探索は、危険が伴う。どんな罠や魔物、それから守護生物がいるかわからないからだ。
「……わかった。ただ、俺たちも危険だと判断したら引く。それでいいか?」
「もちろんよ」
アリアは封筒の中から数枚の地図と記録紙を取り出した。
「ただ、正式な報告書には書けないから、実績にはならないの。その代わり、報酬はAランク相当と思ってもらっていいわ」
「Aランク相当か」
「まあ、節約すれば半年は暮らせるわね」
「それは有り難いな」
それだけあれば、宿で暮らしながら図書館に籠もって研究にも没頭できるだろう。
ただ、一つだけ気がかりがあった。
「エリシャ、魔力は大丈夫か?」
弟子の精度は申し分ない。だが、昨日から魔法を使い続けている。さっきもワイバーンとの戦闘で魔力を消費したばかりだ。
「はい。私なら全然平気です」
何ともない様子で、エリシャは答えた。
目に濁りはなく、呼吸も落ち着いている。血色もよく、強がっている様子はなかった。
「よし。ならば引き受けよう」
言葉にした瞬間、アリアの肩の力がほんのわずか抜けた。
「ほんと!?︎助かるわ!」
彼女は胸を押さえ、目尻を下げた。
本当に困っていたのだろう。安堵した様子がしっかりと伝わってきた。
「ほんとに古代遺跡に行けるんですね」
エリシャが、封筒の中身の資料に目を通しながらぽそりと言った。
「不安か?」
「いえ。こんなこと言うのもどうかと思うんですけど、ちょっとワクワクしてます」
エリシャはくすりと笑って言った。
さすがは学院主席。鬼気迫る状況よりも好奇心が勝ってしまうのは、研究者の性というものだ。その気持ちはよくわかる。
「まあ、気持ちはわかるがな。でも、俺の言う通りに動けよ? 未開拓の古代遺跡となれば、俺でも対処できるかどうかわからんからな」
「はいっ、先生!」
無邪気に頷く弟子から、アルドはふと視線を逸らした。
こんなときの彼女は、弟子である前に──ただの少女に見えてしまう。
その熱に釣られて、ほんの少しだけ胸の奥が温かくなった。
アリアがその様子を見て、悪戯っぽく笑った。
「ほんと、いいコンビね。お似合いよ」
「余計なことは言わなくてよろしい」
「あら、照れてるの?」
「からかうな」
カウンター越しに軽い笑いが交わされ、ようやく場の空気が柔らいだ。
外では陽が傾き始め、戦闘から帰還、報告、次の依頼まで駆け抜けた一日が、妙に長く感じられた。それでも、不思議と、疲れはない。
ギルドを出ると、石畳の通りが金色に染まっていた。屋台の煙が漂い、子どもたちの笑い声が遠くで響く。この穏やかさの裏で、また新しい任務が待っている。
(封印の遺跡・ノア=セリア、か……)
アルドは空を仰いだ。
この依頼に興味を惹かれたのは、やはり古代遺跡というものにある。実際、無償でも行っただろう。
古代遺跡には、未知の魔法書も数多ある。魔導師ならば、興味を持って当然だ。
その時、雲の切れ間から光が差し込み、どこか不穏な輝きを見せた。それはまるで、次に起こる出来事の予兆であるかのようだった──。




