6
久我が調査部の古海に連れられてきたのは、九段下の何の変哲もないオフィス街だった。見上げた看板には〈タツ・ソリューション〉とある。知らない者が見れば単なるオフィスビルの一つだが、ここは最上組の拠点の一つだという。
「タツ、ってのは何だ」
尋ねた久我に、古海は相変わらずの仏頂面で応じる。
「印南辰夫。マックスの親父さん。十年くらい前に死んだ」
久我も過去の記事を流し読みしてきたが、事件記事は簡潔すぎ、ゴシップ記事は噂や憶測が多すぎた。それらから確実らしいものを抜き出すと、状況はこんな風だったらしい。
当時、暴力団対策法による締め付けが強まっていて、どの組織も虫の息の状態だった。その中で印南は保守的な部類で、単に現状維持しか考えていなかった。
若手ホープだった室井は組織の改革を訴えたが、聞き入れられなかった。そこで室井は現状に不満を抱える者に声をかけ改革派を組織し、印南を中心とする保守派と公然と対立するようになっていく。
最終的には『組を割ることはしたくない』という両者の思惑が一致したらしい。トップ会談が行われ事は丸く収まるかに見えたが、そこで印南が急死。保守派と改革派は本格的な抗争に突入した。結果室井率いる改革派は勝利したものの、組織全体は大幅に弱体化した。
それから十年、室井の改革はめざましかった。合法的な企業の体を取ることで法律を盾にし、裏で行う非合法な活動を眩ましている。
公安は最上組が以前の力を取り戻す前に、なんとか室井を捕らえようとしたらしい。一番の容疑は印南の殺害だったが、結局起訴出来るほどの証拠は得られなかった。室井の敵であるはずの保守派ですら公安の介入を嫌い、遺体の検死も出来なかったのだ。
何があったのかは様々に噂されているが、前提となるのは、印南は常に周囲を忠誠に篤い人員で固めており、仮に室井が印南の隙を突いて殺したとしても、すぐに報復されたはずだという点だ。
おかげで色々な説が出ている。印南の死は本当に自然死だった。仲間の一人が裏切った。当然どれも確証はなく、最上組内部でも真実を知るのは極限られているだろうとされていた。
「それでおまえは、どう考えてる」
尋ねた久我に、古海は腕を組んで唸った。。
「その事件、実は検察にいた頃に担当していたんです。状況からして、室井が直接的あるいは間接的に手を下したのは確か。でも最上組って、弱り目ではあったけど統率は取れてたんですよ。そこであっさり会長が殺されるってのも腑に落ちなくてねぇ。何もかも、しっくりこなかった」
ビルに入り、久我は受付を探そうとロビーを見渡す。しかし古海は慣れた調子で奥に進むと、エレベータホールに通じる自動ドア脇のインターホンを押した。
「毎度おなじみ予防局だよ! さっさと案内して!」
当惑している間に、奥から若い衆らしい風体の男が現れ、古海に深々と頭を下げた。
「お待ちしてました姐さん。会長がお待ちです」
「おう、ご苦労」
横柄に応じる古海。そのまま三人はエレベータに促され、最上階へと向かった。
「随分慕われてるな、姐さん」
苦々しく呟いた久我に、古海はニヤリと笑う。マックスとの関わりが出来てからこちら、暴力団との交渉が頻繁になっている。それですっかり、古海は顔が知れてしまっているらしい。
扉が開くと風景が一変した。床はふかふかの絨毯で、壁や扉には凝った意匠が施されている。まるで高級ホテルのような通路を進んでいくと、黒スーツの二人組が門番をしている扉に行き当たった。彼らはインナーイヤホンで何処かに確認をとると、二人に深々と頭を下げ、扉を開く。
そこは王宮執務室といった部屋だった。豪華な調度品の奥にある広いデスクには、痩せたスーツ姿の男が腰掛けている。髪をオールバックに撫で付け、銀縁の眼鏡の奥の瞳は鋭く光っている。
最上組の現会長、室井だ。情報によると久我と同い年らしい。日本最大の暴力団の頭目としては、若すぎる帝王だ。
それだけ有能であり、残忍な男なのだろう。
『イルカ、異常はないか、何でもいいからチェックしろ』脳内で呟き、コンシェルジュに任せようとする。しかし普段なら直後に現れる彼女の立体映像が、数秒待っても映し出されない。『イルカ? どうした?』
応答がない。怪訝に思ってグローブの端を捲ってみたが、レンズはいつも通り青く色づいていて、特に異常は見られない。
「これは久我さん。お噂はかねがね」
スマートな口調で言いつつ、室井は立ち上がった。古海は何度か会ったことがあるのだろう、警戒した素振りも見せず歩み寄ろうとしたが、久我は彼女を遮り、慎重に言葉を探した。
きっとこれが、マックスが『会って貰いたい』と言っていた理由だろう。しかし何が起きているのか、皆目見当が付かない。頭の中でイルカを呼び続けても、相変わらず応答はなかった。
この室井という男も、ドライバーなのか?
一番考えられる可能性はそれだったが、ウェアラブル・デバイスは誰にでも力を与えるわけではないし、ドライバーになるにはそれなりの危険も伴う。最上組の会長という地位にある男が、そんなリスクを犯そうとするだろうか。
だいたい、他のウェアラブル・デバイスを無力化する機能だって?
戦力バランスを崩しかねない、規格外の機能だ。そんなものが実在しているならば、ウェアラブル・デバイスの存在意義自体が問われることになる。
「それで、今日はどういったご用件で?」
黙り込んだままの久我に対し、薄い笑みで尋ねる室井。古海からも怪訝そうに見つめられ、ついに久我は無理に言葉を発した。
「まぁ、今まで色々と因縁もあっただろ? それで一度くらいは面を拝んでおこうかと思ってな」
室井は冷笑を浮かべたまま椅子に座る。
「因縁? 一体何のことやら」
「ずっとこの調子」古海が口を挟んだ。「三ヶ月前、あんたらはマックスを廃団地に追い詰めて殺そうとした。結局反撃されて痛い目を見たようだけど。それにこないだなんて、PSIと組んで久我さんを殺そうとした。忘れた?」
「ずっとこの調子だ」室井は古海の言葉を再利用し、久我に苦笑いして見せる。「何のことだか、さっぱりわかりません。何の証拠もなしに、言いがかりは止してくださいと申し上げているのに」
「襲撃者は、最上組の代紋を持ってた」
追撃する古海に顔を戻す。
「代紋なんて、うちの通販で買えますよ。意外と人気商品でね。古海さんも、お一つどうです」
「じゃああんたらの他に、国内にAKやM16を持ち込める組織があるってことか。いいの? そんな連中を野放しにしておいて」
「それも申し上げているように、我々は合法的な組織です。銃器なんて何処にもありませんよ。うちの支店がしょっちゅう公安に家宅捜査されてますが、何か出たことがあります? ないでしょう。いい加減にして戴かないと、こちらも業務妨害で訴える事になる。面倒でしょうそんなの、お互いに」
典型的な今風のヤクザだな、と思いつつ、久我は二人の会話を黙って聞く。法律のグレーゾーンを駆使し、犯罪の証拠が残らないよう細心の注意を払う。仮想通貨、ネット賭博、流出した個人情報を使った脅迫や詐欺。暴力を背景とした昔の組織と違い、賢くなければ出来ない仕事だ。
「連中がそういうことをやりだしたのは――いえ、やれるようになってきたのは、企業のコンプライアンスが強化されたからでもあるのよ。皮肉なことにね」以前、古海がそんなことを言っていた。「昔のヤクザは出自や学歴の面で自然となる連中が多かったんだけど、今は横領やらパワハラやらをやっちゃってクビになったり、喜んでブラック企業を作るような元会社員、起業人が増えてる。そりゃ当然、悪知恵も働く連中だからね。余程のことがないと尻尾は出さない」
そういう連中だ、麻薬や銃器と並ぶ違法品目になっている<異物>に手を出さないはずがないが、<異物>はまだその真価が知られていない代物だ。その取引はマックスのような中小のマフィア組織が先行し、最上のような巨大組織は、ようやくその価値に気がつきつつあるという状況らしい。
「そういやマックスが言ってたぜ。あんたによろしく、ってな」
ふと古海との口論に割り込んだ久我に、室井は黙り込む。しかしそれも一瞬だった。硬直した顔に笑みを戻し、両腕を広げて見せた。
「いや、何とお答えしていいものやら」
「やつは最上組を心底憎んでる。愚痴を聞かされるこっちは、たまったもんじゃない。いい加減にしてくれってのが正直な感想だがな。どうしてそんな事になった。やっぱりおまえが、先代――印南を殺したのか?」
「まさか。違います」
「じゃあどうしてマックスはおまえを狙う」
「些細な誤解が原因だと思うんですがね。可哀想な方ですよ。古いヤクザ組織に育てられ、歪な価値観を植え付けられてしまった。私も無関係ではありません、何とかしてあげたいと思うものの、今では何の連絡もありませんので。どうにも」
「あくまでしらを切るというなら、話を変えよう。国内最大の民間軍事企業、PSIの件だ。最上組がPSIを手を組んで、<異物>関連のシノギに手を出そうとしているのは知っている。連中の指図を受けて、俺を殺そうとしたこともな。いや、知らぬ存ぜぬと言うんだろうが、黙って聞け。これは警告だ。PSIとは手を切れ。そして<異物>には一切関わるな。わかったか? どうせPSIは、もう終わりだ」
久我の宣告を室井は口を真一文字に結んで聞いていたが、最後には何故か口の端を上げ、苦笑いで答えた。
「終わり? 昨日も輿水さんから連絡がありましたが、元気そうでしたよ」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。PSI社を取り仕切っていた久我の元上官、輿水は、久我とマックスの手によってマーブルと化した。それは確かだ。とても室井と連絡を取れる状況にあるはずがない。
「まぁ別に、PSIさんと協業している事は隠していません」当惑する久我を余所に、室井は続けた。「彼らには軍事に裏付けされた専門的な保安技術がある。我々には心身共に優れた人材が数多くある。お互いメリットがある協業だというだけで、別に政府に横やりを入れられる事じゃあありません」
「黙れ」苦し紛れに、久我は遮った。「いいか、覚えておけ。状況によっては俺たち予防局は、公安よりも危険な組織だ。もう一度言うぞ? <異物>には、今後一切関わるな」
限界だった。これ以上長居しては、ぼろが出る。
そう判断したのは久我だけではなかったらしい。察した古海も、久我と同時に踵を返す。
一体何が、どうなっている?
混乱し、ビルを出るまで口を開く気になれなかった。路上に出て大きく息を吐くと、すぐに古海が眉間に皺を寄せつつ詰め寄ってくる。
「待って久我さん。輿水ってマーブルになっちゃったんじゃないの? 天羽さんと同じ、情報生命体ってやつに」
「そのはずだが。ちょっと待て。イルカ?」
口に出して呼び出すと、普段通り、娘である京香の姿をした人工知能コンシェルジュ、イルカが現れた。
『はいよ』
何事もない様子に安心したが、すぐに苛立ちに襲われる。
「はいよ、じゃねぇよ。何があった」
『何がって、何?』
まったく異常に気づいていない。仕方がなく久我は状況を説明し、記憶のスキャンを命じる。
『状況からすると、私とあんたの通信が出来ない状態だったんだろうね』たいして驚いた風もなく、イルカは言った。『たまにあるんだ、量子場に異常があると』
「待て待て、量子場に、異常? それでどうしておまえを使えなくなる。ヤバいだろそれ。どうして今まで黙ってた!」
『別に使えなくはならないよ。私、コンシェルジュのサポートが受けられなくなるだけ』
「しかし透視を使おうとしたが、反応しなかったぞ」
『あれは私がサポートしてるもん。今の感じだと、あれかな。プラズマは殆どサポートしてないから、それくらいなら問題なく使えるはず。もっと精進しなきゃ』
相変わらずの横柄な台詞に、舌打ちしつつ片手を振ってイルカを消す。この件はすぐに柚木と相談しなければ。しかし問題はまだあった。輿水だ。
「どうして輿水が生きてる!」
唐突に言った久我に、古海は口をへの字に曲げた。
「それ、私が聞いてるんじゃん。久我さん、輿水ってホントにマーブルになったの?」
「いや、正確には、レッドに取り憑かれた輿水を、マックスが連れ去った所までしか知らない」
「じゃあ輿水がマーブルになる前に、マックスがレッドを取り外したってこと?」
「いや、それはない。それが出来るんなら、他のウェアラブル・デバイスだって外せるって事になりかねない。柚木でさえ、そんなことは不可能だと言っていた。あいつに無理な事が、マックスに可能だとは。だいたいヤツは輿水を裏切った。解放すれば報復されるのが当然だろう。一体何を考えて――」
「まぁ、色々と事情があってね」
場になかった声が投げかけられ、二人は一斉に目を向けた。道路脇にはいつの間にか黒塗りのワゴンが停まっていて、開け放たれた後部ドアから一人の女が姿を現す。
「マックス」
苦々しく言った久我に、彼女は晴れやかな笑顔で片手を挙げた。




