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第七話 プロジェクト

 どうもこのプロジェクトは、何かが変だ。


 今村塔子がそう思い始めたのは、配属されて二ヶ月ほど経過してからだった。


「プロジェクトの目的は、須藤博士の考案した新型レーザー干渉計を試作し、その能力を確かめること。しかしそう構える必要はない。設計は全部済んでいるからね。キミに期待しているのは実際のシステムを構築するために、外部協力会社をハンドリングし、プロジェクトを推進することだ」


 リーダーである新川博士からは、そう聞かされていた。実際のところ今村は設計書通りの機器を手配し、外部のエンジニアと協力してそれを仕様書通り組み上げるのが主な仕事だった。不明点は都度都度新川が指示してくれたから、単なるワーカーとして気楽な立場で仕事が出来た。報酬は通常通り得られたし、理論通りの数値が出なくて徹夜で悩むような事もしなくていい。だから殊更に騒ぎ立てて異動さえられるのも嫌で黙っていたが、明らかにこのプロジェクトは、普通ではなかった。


 まず、規模に比べて地味すぎた。


 ここのところ科学界では注目を集めている重力波の観測、その新しい手段となるかもしれない新型のレーザー干渉計を作っているというのに、他の研究所との協力体制もなければ、雑誌や新聞の取材も全くない。向こうから来なくとも、これだけの予算をつぎ込んでれば、何らかのアピールを行わなければ次の予算に繋がらない。だというのにリーダーの新川は、まるで気にする素振りもない。専任の研究者がたった四人というのも解せない。通常の十分の一以下だ。


 それに、この幕張の施設もおかしい。


 一体この警備は何だろう。研究所の警備なんて、日中にお年寄りが一人いればいいほうだ。だというのにここは見たこともないほど屈強な警備員が十人も詰めていて、常に四方に気を配っている。


「おかしくない? ありえないでしょ」幕張の施設での事だった。今村は食堂で大盛りの仕出し弁当を食べている同僚を見かけ、隣に座って囁いていた。「これって何かの極秘研究だったりするの? どうなってるの一体」苦笑いしながら黙々と口を動かすだけの彼の腕を、今村は叩いた。「ちょっと諸冨さん、最初からプロジェクトに関わってるんでしょ? 教えてよ!」


 施設には常に二、三十人の人員が働いていたが、仕切っている研究所のメンバーは今村も含め四人しかいなかった。新川がリーダーで、今村は彼の下でハードウェアの担当をしている。そしてソフトウェア担当が由利という年かさのサブリーダー格の研究者で、諸冨は彼の補助を担当していた。


 諸冨は、いかにもギークという太った髭男だった。偉大なプログラマーは長い髭を生やしていなければならないという決まりでもあるのだろうか。下手に関わって難癖を付けられてはたまらない。そう最初は警戒していた相手だったが、結局このプロジェクトでは、年齢、そして立場的に近い諸冨くらいしか、気軽に話せる相手はいない。それに話してみると、外見とは裏腹に静かで包容力のあるタイプの男で、カリカリした今村が愚痴をまくし立てても、いつもニコニコとして聞いてくれる。


 その彼はこの時にも、眉毛をつり上げた今村に対し、静かにお茶を飲んで低い声を発した。


「ボクだって知らないよ。由利さんに言われた通り、制御プログラム書いてるだけだし」


「だいたいあの由利さんて人も何なの? いっつもなんか私、睨まれてる気がするし」


「考えすぎだよ」


 諸冨は箸を置いて、手を合わせる。


 いつもだいたいこんな具合で、調子を狂わされる。今村は一人っ子だったが、兄がいてくれたならこんな人だったらいいな、と思い始めていた。多少怒っても真に受けず、笑って聞き流してくれる人。そんな存在は、今村にとって貴重だった。


「で、最近は何してるの?」


 仕方がなく話の矛先を変えた今村に、諸冨は携帯を取り出しつつ答えた。


「聞いてないか。今村さん、今月秋田と山口に干渉計持って行って設置調整してきたでしょう。それで三台ともオンラインになったから、ようやく試験的な計測を始めたんだけど。調子悪いんだよね」


「え? 現地で試験した時は、正常にオンラインになったって」


「あの時はね。でも意外な所からノイズが入って」


 と、彼が向けてきた画面には、エグゾア予報が記されているサイトが表示されていた。


「エグゾア? なんで?」


「さぁ。まだ不明だけど、エグゾアが発生する数日前から、やたらとノイズが入るのがわかって。今はそれのフィルターを作ってるんだけど、どうも最近、予報が出るのが遅いんだよね。前は早くて一週間前、遅くても十二時間前には出てたのに、今じゃ六時間前になってやっと、って事もある。おかげで待ち受けて確認するのが大変で手一杯」


 太った丸顔に笑みを浮かべながら、手が一杯、というように両手を広げてみせる。今村は眉間に皺を寄せて考え込む。


「それって、エグゾアが発する重力異常が原因ってことでしょう? さすがに重力による空間の歪みをハードウェアでフィルターすることは出来ないしねぇ」


「当然。だからキミには、声がかかってないんだよ」そこで諸冨は少し硬直し、首をかしげた。「まぁでも、それも。キミの言う、変な話ではあるかな」


「何が?」


 急かす今村に、諸冨は腕組みして考え込む。


「だって、エグゾアがレーザー干渉計に影響あるなら、他の重力波観測施設でも同じような問題が起きててもいいじゃない。でもそんな話、聞いたことがないんだよね」


「つまり? 何が変? どういうこと?」


 再び諸冨は黙り込み、ふと達磨のようなひげ面に笑みを浮かべた。


「何でもない」


「あ、ちょっと!」


 そのまま立ち上がって去って行く諸冨を、今村は見送るしかなかった。


 幕張、秋田、山口という三カ所の干渉計による計測が始まったというのもあり、今村は暇な時間が多くなってきた。それでも微調整や問題発生時の対応のためプロジェクトから離れる事も出来ず、資料整理を終えてからはただ飯を食べているような状態が続く。


 今村は元々、宇宙の深遠なる謎なんて物に興味はなかった。ではどうして国内でも有数の研究所に勤めているかといえば、精密検査機器の設計と製造にあたっていた所から引き抜かれたのだ。


 最初は気乗りしなかった。研究者なんて薄給で知られている。しかし昨今の研究所では、理論的な部分を担当する研究者より、実務的な作業をするエンジニアが不足している状況らしく、意外といい報酬が提示され、それで転職したという具合だった。


 だからこのプロジェクトの不審さも、内容を悉く伏せられるのも気にはなったが、それはそれ、これはこれだ。楽に給料が貰えるならば、それに超したことはない。


 一方で由利と諸冨は忙殺されているようで、あちこち飛び回っているらしい。施設に姿を見せることも、次第に少なくなっていた。


 そんなある日、今村の机の上に、大きなマリモを模した物がぶら下がったストラップが置かれていた。ここのところちょくちょくと、そうしたセンスのない土産物が残されている。王将の置物だとか、お城型のペーパーウェイトだとか。犯人は諸冨に違いなかったが、彼の姿は二月ほど見ておらず、礼をすることも出来ていなかった。


「諸冨さん、今度は北海道にでも行ってたんですか? 一体何しに」


 丁度現れた新川に尋ねると、彼は曖昧なうなり声を発しただけで、分厚いファイルを差し出してきた。


「ちょっと導管内センサーを変えることにしたから、取りかかってくれないかな」


 ざっと渡されたカタログを眺め、首をかしげる。


「言われた通りの精度のセンサーを選定してたはずですけどね。これじゃあ遙かにオーバースペックになりますよ?」


「その辺は気になくていいから。頼むよ」


 やはり万事この調子で、今村はあくまでワーカーとしては扱われない。


 しかし徹底的に手下扱いされるのも、次第に不満になってきた。


 私はこの装置の、全てを組み上げたのだ。それでも私にはその正体がわからないと、新川には思われている。


 馬鹿にするな。これだけの情報があれば、彼の助けなどなくともシステムの全容を多少は推理出来るはず。


 そして今村は、暇を見ては重力波研究のリサーチを続け、今関わっているこのプロジェクトの正体を知るよう努力し始めていた。


 しかし調べれば調べるほど、この〈新型レーザー干渉計〉というものが奇妙に思えてならなくなってくる。


 そもそもレーザー干渉計による重力波の観測とは、簡単に言えば、こういう物だ。


 まず、レーザー干渉計は、二点間の正確な距離を測ることが出来る。


 そこに重力波が過ぎれば、空間が歪み、距離が変わる。


 変わるといっても、本当に僅かなものだ。しかしそれも最新の技術を用いれば、検出が可能となる。その歪み具合の波形により、どの程度の重力イベントにより発せられたものか、アインシュタインの一般相対性理論から推測できる。


 しかし干渉計が一つだけでは、発生地点がわからない。地震計と同じだ。だから干渉計を三カ所に設置し、その到達時間や強度の差から、イベントの発生地点を推定する。


 発生地点とは?


 だいたい何十億光年も彼方の、ブラックホールの衝突などだ。


 スケールが大きい。恐らく現代科学で、一番大きなスケールを扱っている。


 その、はずだ。


 しかしこの新型干渉計は、そこかしこにスケールの小ささが見え隠れしている。何十億光年、何千万光年。そんなものじゃない。一光年、一AUすら怪しい。せいぜい数百キロ、数千キロといった先の何かを捉えようとしているように思えてならなくなってくる。


 だとすれば、このプロジェクトの目的は何なのか?


 それは直接、新川に尋ねるべきだろう。だがこれまでの今村の扱いを考えると、到底彼が答えてくれるとは思えない。どころか彼が今村を徹底的にワーカーとしてしか扱わない理由こそ、そこにあるかもしれないという気すらしてきた。別に今村を侮っていたわけではなく、可能な限り事実を知る人間を少なくしようとしていたのでは。


 では、それほどまでにして隠そうとするこの装置の目的は、一体何なのか。


 ハードウェアからだけでは、到底たどれない。機械は全て、プログラム、ソフトウェアによって制御されるからだ。逆に言えば諸冨は、このシステムの目的を知っているはずなのだが。


 しかし諸冨は、すっかり姿を現さなくなってしまった。今村は密かに、禁じられているソフトウェア・リポジトリにアクセスしてコードをダウンロードし眺めてみたりしたが、量が膨大だし、所々に複雑な計算処理が入っていて、よくわからない。次第に不安になり始めた頃、彼の上役である由利の声が、たまたま通りがかった会議室の中から聞こえてきた。


『なに、ミカミは上手く誤魔化しますよ。何とでもなる』


 声の響きが普通ではない。そっと覗き込むと、テレビ会議用の画面に由利の顔が映し出されていた。それを深刻そうな顔で眺めていたのは、新川、そして見覚えのある顔の老人だった。


 見覚えがある、どころではない。重力波研究では知らない者はいない。第一人者でありノーベル賞も噂される、須藤博士に違いなかった。


 このプロジェクトを発案したのも彼だというが、今村は彼の姿を見たのは初めてだった。新川や由利より一回り年上で、テレビや雑誌で見るより一回り小さく感じる。


 その彼は何かを達観したように、呟いた。


「そうするのが一番でしょう」


「しかし。何かあったら」


 怯えた様子で口を挟む新川に、須藤は枯れた顔を向けた。


「私たちの知ったことではないでしょう。全ては彼らのために進めていたお話なんですから」そこで彼は小首をかしげ、付け加えた。「しかし、保険はいりますね。由利さん、その記録は全て保存しているんですか」


『えぇ。こんなこともあろうかと』


「上出来です。何かあったら、それを公にすると脅せばよろしい」須藤は立ち上がり、真っ青な顔をしている新川を見下ろした。「落ち着きなさい。大丈夫、何とかなります。あなたは由利くんと相談して、記録を安全な場所に隠すように。よろしいか?」


 頷く新川。そして会議室から出てこようとする須藤に、今村は慌てて、つい今し方通りかかった風を装いながら歩き、軽く会釈する。


 須藤は今村のことなど、見もしなかった。


 そして数日後のことだ。彼がノーベル賞を受賞し、焼殺されたというニュースを受け取ったのは。

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