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第十一話 反逆

 途端に意識の向け先を変え、柚木の存在など忘れ去ってしまう先生。一方の柚木は織原の腕を捉え、素早く踵を返し、地上に向かうエレベータに早足で向かった。


「どうしたの? 止めなくていいの?」


 困惑して云う織原。柚木はエレベータ前で立ち止まり、彼女の両肩を掴んだ。


「キミはすぐ、ここから離れるんだ」


「え? でも」


「私は甘かった。先生は何が起きるのかもわからず、実験をしようとしているのだと思いこんでいた。だからその恐るべき危険性を説けば、中止してくれるだろうと考えていた。しかし実際、先生は何が起きるのか、ある程度の想定を持っていた。危険性も何もかも、全て承知してるんだ。それでも先生は、やろうとしている。つまり私には、先生を止められない」


「でも一体、何が起きるの?」


「恐らく、あの〈ヴォイド〉を幾つか統合した時点で、次元に穴が開く」


「次元に、穴が?」


「あぁ」更に問いかけた織原を、柚木は遮った。「わかるのは、それだけだ。それ以降、一体何が起きるのか、まるで想像出来ない。ハッ、別の次元だって?」あまりの異常さに、笑いが出た。「M理論が正しければ、恐らくそこは我々の宇宙とよく似た物だろう。だがそこにあるのは何だ? 宇宙空間か? どこかの惑星か? 〈ヴォイド〉を作り出しているのは、一体どんな存在なんだ? それもわからないで、こちらから〈扉〉を開こうだなんて! 前から思ってたが、先生には恐怖心ってものがないんだ! あの人にあるのは、ただ純粋な好奇心だけなんだ! まったく、困った人だ!」


 完全に混乱し、柚木は笑いながらまくし立てていた。織原はそれをじっと見つめていたが、ふと片手を上げると、その長い人指し指を、柚木の唇に当てた。


 黙り込む柚木。それに織原は、静かに云った。


「何が起きるのか、わからないのね」


 柚木はようやく落ち着いて、答えた。


「あぁ」


「良いこと? それとも悪いこと?」


「それもわからない。最良のケースでは、我々人類は、我々より遙かに高度な科学技術を持った知的生命体と、友好的に接触出来るだろう」


「最悪のケースは?」


 色々ありすぎて考えを絞れなかったが、ある程度可能性の高いケースを辛うじて探り当てる。


「考えたくもないが、敵対的な〈彼ら〉に侵略されるとか。だがそれよりもありそうなのは、〈次元の扉〉の先が、宇宙空間に繋がっていたならば。この地球上の大気は全て吸い出され、死の惑星になってしまう」


 柚木はその可能性を口にしてから、ようやくイメージが浮かんできた。このサイロに開いた穴から、ありとあらゆる物が吸い出されていく。次第に地球の大気は失われ、海は干上がり、地表は真空となる。当然そんなところで、ヒトが生きていけるはずがない。ヒトだけではない、あらゆる生命体が死滅し、文字通り、死の惑星となってしまう。


 しかもそれは、瞬時ではない。大気は徐々に、徐々に失われていくのだ。死に瀕した人類は、果たしてその危機を乗り越えることが出来るのか? 大気の希薄化事態よりも、その混乱で生まれるであろうヒトの狂気によって失われる命の方が、よほど多いのではないか?


 その光景を想像したが、すぐに記憶から消し去りたくなる。

 きっと、そんな世界こそ。地獄というに違いない。


「なら、止めなきゃ」


 鋭く、底知れない意志を込めて云う織原。

 柚木の心臓は酷く高鳴り、冷や汗が出てきた。


「無理だ。ボクには出来ない」


「どうして」


「見ただろう。先生は先生だ。天才だ。ボクなんか足下にも及ばない」


「天才って云ったって、物理学でしょう? 別に喧嘩が得意なワケじゃあない」


「喧嘩、だって?」


「殴りつけて、縛り上げればいい。違う?」


 柚木の頭からは、暴力に訴えるという発想が完全に抜け落ちている。だからまるで思いつかなかったが、確かに、そういう直接的な手段もある。


「だが、先生は傭兵も雇ってる。とても敵うとは思えない」


「なら、他の人たちに、これが地球を破滅させてしまうかもしれない実験だと知らせたら?」


「無理だ。信じるはずがない」


「私は信じた」


「キミは特別だ。一般人が、未知の知的生命体が襲ってくるかもしれないと聞かされたって。冗談を云われているとしか思わない」


 しかし彼女の言葉で、柚木の発想が広がったのも確かだ。

 そうだ、先生の暴挙に乗ることも、見逃す事も出来ない。

 なんとかしてこの実験を、止めなければ。


「とにかく私は、天羽さんと話して。何か手はないか考える。キミはリガに戻るんだ」


 彼女は大きく口を開け放った。


「馬鹿云わないで。貴方を残して、行けると思う?」


「しかし、キミがいても何も出来ない。後は私と天羽さんで」


 突然織原は、柚木の手首を掴んだ。

 そして強烈な力で、締め上げてくる。


「忘れた? いざとなったら、貴方を抱えて逃げるくらいのことは出来る」


 忘れていた。以前、見た目と違って音楽家は酷く体力を使う仕事だという話から、彼女と腕相撲をしたことがあった。


 結果は云うまでもない、柚木の完敗だ。


「でも、ボクはキミを、危険に晒したくない。もしキミに死なれでもしたら、それは人類にとって大きな損失となる」


「人類の?」


 苦い顔で問い返され、柚木は慌てて付け加えた。


「いや、それは当然、ボクも」


 彼女は大きくため息を吐いて、頭を振った。


「それは私にとっての貴方も同じよ。さぁ、話はこれで終わり。天羽さんを探しましょう」


 エレベータのボタンを殴るように叩き、現れたボックスに乗り込んでいく織原。こうなってしまうと、もはや柚木の意志では、どうにもならなかった。別に彼女は男女同権を声高に唱えることはなかったが、やはり若い頃から世界中の音楽家相手に戦っていただけある。特別扱いを嫌う独立心が、彼女には染み着いていた。


 天羽は地上、サイロに向けて〈ヴォイド〉を吊り下げていく工程を管理していた。眉間に皺を寄せ、渋い顔つきで、クレーンに持ち上げられている木箱を眺めている。


「天羽さん」柚木は彼女の肩を捕らえ、前口上抜きで云った。「わかりました。先生が何を考えているのか」


 そして傍らのガレージに引っ張り込み、柚木の推理、そしてそれを梃子にして引きずり出した、先生の真意を説明する。


 天羽は次第に眉間の皺を深くし、頭を掻き、最後に鋭く、柚木に問いただした。


「それは全て、本当なの」


「ほぼ、確実です」


 ほぼ、確実。その言葉を吟味するよう、黙り込んで思案する彼女。


 そして彼女の知識をもってしても、これといった穴は見つけられなかったのだろう。意を決したように立ち上がり、次第に吊り下げられていく木箱に向かおうとする。


「わかった。作業を止めさせる」


「待ってください」柚木は彼女の腕を取り、引き留めた。「二つならば、まだ次元に穴が開くほどのエネルギーにはならないはずです」


「だからって」


「いえ、今は先生に警戒される方が不味い。傭兵に拘束されては終わりです。とにかく今は先生の云うとおりにして、なんとか一撃で実験を中止させる、あるいは不可能にする手を考えるべきです」


 ふむ、と天羽は唸り、次いで柚木に小さく頷いた。


「確かにね。それで? 貴方は何か思いついたの?」


「いえ。今はまだ。少なくとも三つまでは、〈ヴォイド〉が統合されても何も起きないはずです。四つは、微妙です。五つならば確実に、次元に穴があく。それは先生も知っています。既に計算されていました」


「穴の規模は?」


「恐らく、直径十メートル程だろうと」


「持続時間は? それは〈ヴォイド〉という重力特異点的な物によって、瞬間的に穴は開くかもしれないけれど。エネルギーの供給がない以上、すぐに閉じてしまうんじゃあ?」


「私もそう考えたのですが、問題は〈彼ら〉の存在です」嫌そうに方眉を上げる天羽。「存在するかどうかもわからない、異次元の知的生命体。そんなものを前提に置くのかと思われるかもしれませんが、これは必要な想定です。何故だか知らないが、〈彼ら〉はこの次元と彼らの次元とを接続したがっている。そこで想定よりも早く〈穴〉が開いたなら、〈彼ら〉はどうします?」


「これ幸いと、〈穴〉にエネルギーを供給して保とうとする」


「えぇ。そうなってしまえば、我々が〈穴〉を閉じるのは非常に困難です。完全に保たれている〈穴〉を閉じるためには、恐らく」ざっと暗算し、続けた。「恐らく、リビジョン8核弾頭十個ほどの爆発エネルギーが必要です」


 ふむ、と考え込み、天羽は呟いた。


「まず、開かせない事が肝心ね」えぇ、と応じる柚木に、彼女は踵を返しつつ続けた。「私は政治的な手を使ってみるわ」


「政治的?」


「この核サイロはね、ラトビア国軍の高官に贈賄して大至急借りた物なの。そこで何か得体の知れない実験が行われてようとしていると知れば、きっと介入してくるはず」


「しかし、それで〈ヴォイド〉の存在を知られては、更に危険な事になるかも。それにそんなことをしたら先生は」


 未だに先生が危害を加えられる、という計画には躊躇してしまう。それは天羽も同じようで、苦笑いしながら頭を振った。


「そこは上手くやるわ。実験の継続が難しくなれば、先生も諦めるはず」


「そうでしょうか」しかし中止に追い込むためには、良い案のように思えた。「とにかくそれは、お任せします。あと、そもそもなのですが。あの〈ヴォイド〉を消失させるような方法は、何かないでしょうか」


 天羽は立ち止まり、大きく目と口を開いた。


「え。それは。確かに性急に〈次元の扉〉を開くだなんて事には反対だけれど、〈ヴォイド〉そのものの価値は計り知れないわ。アレを十分に研究できれば、ノーベル賞十個分以上の成果が」


「ですが、アレがあるから先生は実験を思い立ったのです。もし先生が諦めたとしても、どこぞの国家機関が同じ事をやろうとするかも」


「でも」


「天羽さん、アレは危険です。研究には賛成ですが、いざとなった時には一度に消失させられる手段を備えておくべきです」


 彼女はその尖った顎に手をあて、考え込み、疲れたような息を吐きながら足を進めた。


「わかった。でもそれは貴方に任せるわ」


「え? いや、しかし私では。これは天羽さんが適任では」


「無理よ。私はもう錆び付いてるもの。いい? アレを見つけたのは貴方なんだから。貴方が一番の適役よ」


 そして片手を上げつつ、彼女は去っていった。


 柚木は呆然とし、立ちすくむ。


 自分の発案なのは確かだが、あの得体の知れない〈ヴォイド〉の性質を、ようやく理解し始めた所だというのに。それを消し去る方法なんて。


 そこで不意に、織原が肩に手を置いた。


 そしてその大きな瞳で見つめられ、柚木はようやく我に返る。


「考えるしかない」


 呟き、柚木は織原と共に、再び先生の元へと向かった。

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