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あと1ヶ月ちょっとで、3学期も終わる。4月からは6年生。つまり最上級生だ。今のところ、あまり実感はない。来年には中学生になっているのだなんていうと、もっと実感がない。最近、家のポストには某通信教育の勧誘広告がイヤというほど詰め込まれ、『スタートダッシュに乗り遅れないために!』などと、暗に攻撃的なキャッチフレーズとともに、いたいけな子供の不安を煽るような小冊子まで封入されている。
やることが姑息だなぁ、と、桐生世良は思った。世良は未知のものに対して強い不安を覚える性分であるし、それが学校生活に関わるものと言えばなおさらである。ただ、それ以上にその不安に付け入って受講させようというやり口が気に食わない。
「ただいまー」
郵便受けに詰め込まれた大量のチラシやらダイレクトメールやらをもって、世良は家の扉を開けた。
世良の母親は家事が苦手である。ゆえに、家の中はそんなに整頓されていない。なぜお父さんはこんな人と結婚したのだろうと事あるごとに思う世良だが、実務能力を除けば非常にいい母親であることは認めざるを得ないので、世良としては文句が言えなかった。
世良が不登校児であった一年とちょっとの間は、世良自身が母に代わって掃除や洗濯をやっていたこともあったから、その時の家庭環境は平和そのものであったのだが。はてさて。
「おかえりー」
雑多にものが置かれたリビングルームでは、桐生世理子が慣れないアイロン掛けにチャレンジしていた。大丈夫だろうか。見ていて非常にハラハラする。
世良はテーブルの上にチラシやダイレクトメールの類と、ランドセルを置く。中から学校の連絡物を取り出した後、そのまま洗面所に直行した。帰宅時には手洗いとうがいを欠かさない。この10年、ずっと守ってきたことである。
「ねぇ、世良ー」
リビングルームに戻ると、世理子が声をかけてきた。
「なに」
「今日の夕飯、少し遅くなってもいい?」
「いいけど」
またか、と、世良は思う。今日に限ったことではないのだ。最近、世理子は夜になるとふらふらっとどこかへ出かけてしまうことが、多々ある。なにしろあの母親だ。ロクに電車にも乗れないような社会不適合者である。世良も子供として、心配になる。
ただ、自分が散々母親に心配をかけていた時期、世理子は特に詮索もせずに見守ってくれたことを思うと、ツッコミを入れるにも二の足を踏んでしまう。あまり帰りが遅くなるようなら問題なのだが、そういった様子も見られないし。
世良は、テーブルの上に置いたランドセルを引っつかんで、2階の自室へと足を向けた。
「世良ー、またナロファンー?」
「うんー」
「晩ご飯の時に、また話聞かせてねー?」
「うんー」
ほどほどにしときなさいよー、とか、宿題もちゃんとしなさいよー、とか、言い出さないあたりが他の母親とは違う。少なくとも、ゲームにかける情熱という点では、世良よりも世理子の方が上だ。世良は学校に通うようになってからは、きちんと宿題もするし、遅れた一年を取り戻すためにちゃんと勉強も頑張っている。
ナロファンの中ではもう手合わせをできない男がいるから、世良は現実世界でも頑張らざるを得ない。
母の言葉に対しては曖昧な返事を返しておきながら、世良はリビングを後にした。
VRMMO〝ナローファンタジー・オンライン〟の世界は、更なる広がりを見せる。狭いから広いへ。当初から掲げられていた目標に現実が近づいていき、最近ではゲームの内外において様々な動きが見られる。
ポニー・エンタテイメント社は、四月より社名を『ツワブキ・オンライン・エンタテイメント・サービス(=TOCS)』に名を改めることが発表され、同時にミライヴギアとナロファンの正式な海外進出も決定した。海外プレイヤーの新規参入を不安に思う声はそこかしこで上がったし、さらにサービスが拡張されていくであろうナロファンの姿に、慎重な姿勢を見せるプレイヤーも多くいた。
桐生世良にとっては、いずれも関係のない話である。
この世界での世良は、最強のソロプレイヤー・キリヒトだ。ゲーム内では同名のプレイヤーが無数に存在するため、畏敬の念をこめて『キング』と呼ばれる。正直ダサいとは思っていたが、いつの間にかすっかり定着してしまっていた。
例え周囲の環境がどのように変化していこうと、キングのやることは変わらない。淡々とレベルを上げ、スキルを磨く。より強い相手と戦う。それは一種の本能か、あるいはライフワークのようなもので、彼自身、それを苦痛に思ったことは、不思議なことに一度もなかった。
量子情報の世界にドライブしたキングキリヒトが目を覚ましたのは、〝始まりの街〟にほど近いヴィスピアーニャ平原の一角であった。ランカスティオ霊森海、ヴォルガンド火山帯、ラース竜洞窟といった中級者向けのフィールドにアクセス可能なこの平原は、比較的危険なモンスターも生息しておらず、キングほどの高レベルプレイヤーになれば、MOBの奇襲を恐れることなく、フィールドのど真ん中でもログアウト・ログインができるようになる。
平原の一角に設置された一枚岩の上で、キングは自らの腕を動かし感触を確かめる。何度もログインを繰り返して、ゲーム内の肉体は、すっかり世良の感覚に馴染んでいた。この身体を動かすのに、今更一切の違和感は覚えない。
「で、」
キングは、快晴澄み渡る青空を見上げ、ぼそりとつぶやいた。
「あんたはいつまでそこにいるの」
鋭敏に鍛え上げられた【感知】系のステータスが、一枚岩の影に隠れていたアバターの存在を見抜く。そのアバターは、まさか観念したわけでもないだろうが、跳躍にて軽々と身体を宙に持ち上げた後、キングの足元に片膝をついた。
「………」
そのアバターが、決して言葉を発さないことはキングも知っている。
般若面にチェック柄の忍び装束は、双頭の白蛇が保有する隠密部隊のコスチュームだ。かつての花柄から、秋から冬にかけての流行に沿った衣装にリデザインされている。来季の春夏もまた花柄の流行する兆しがあり、また新しい忍び装束に変わる可能性もあったが、まぁそのへんは正直キングにはどうでもいいことだった。
「………」
般若面の忍者が、すっと一枚の紙を差し出す。キングは、それを黙って受け取った。
ここ数日のゲーム内で起きた主な出来事についてまとめた内容である。これを受け取るのもいつものことだった。キングからしてみれば、これもまた比較的どうでもいいことではあるのだが、去年の夏以来、双頭の白蛇のリーダー・マツナガが、何かと自分に気をかけてくれているのはわかる。あまり邪険にはできない。
「まぁ、なんだ。毎度毎度、ご苦労さん」
労いの言葉を呟くと、般若面は傅いた姿勢のまま顔をわずかに上下に振った。
メモによれば、先日、新たなるフィールドが公開されたという。この話自体はキングも知っていた。機怪渓谷の先にある古塔と、その周辺エリアのことだ。既にマツナガ達による検証が進み、それを追うようにして、赤き斜陽の騎士団をはじめとしたトッププレイヤー集団が乗り込んでいるらしい。
「マツナガさん的には、オレもここに参加して欲しいのかな」
「………」
キングがたずねても、般若面は答えない。徹底的な無個性ロールだ。まぁ、あまり元から期待はしていなかった。
「とりあえず紙はもらったよ。ありがとう」
般若面は再度頷くと、一枚岩を蹴り立てた。そのまま空中にしゅぴんと姿を消す。
これからどうしたものだろうか。ゆく宛がないのは確かだ。新フィールドであるという古塔が気になるが、ここからはだいぶ距離がある。あいにく、ワープフェザーの在庫をちょうど切らしているのだ。昨日は〝始まりの街〟に行けば手に入るだろうかと思っていたが、既に中級者以上向けの商店ではすべて売り切れており、まったくの無駄足だった。
まぁ、ここにいても仕方がないのは同じだな。キングは改めて大きな伸びをすると、一枚岩の上から飛び降りる。風のそよぐヴィスピアーニャ平原を、ひとり、悠々と歩き出した。ヴォルガンド火山帯を越え、グラスゴバラあたりを目指せば、何かしらの渡航手段も見当たるだろう。
さて、キングの早足ならば、ヴィスピアーニャからヴォルガンドまで20分もかからない。途中出現するMOBはトッププレイヤーの進路妨害にはならないし、しばらくして彼は火山帯へと足を踏み入れた。いつしか、この火山帯には邪神にこき下ろされた人間の無念が眠るというおどろどろしい逸話が付きまとうようになったが、出現するモンスターの種類に大きな変化はない。
もちろんまったくないというわけではない。運営企業の保有するサーバーマシンや量子回線などのスペックアップは、出現モンスターのサイズアップなどにつながり、ゲーム内ではより臨場感のある戦闘を多く楽しめるようになった。特にヴォルガンド火山帯とラース竜洞窟の二箇所では、10メートル相当の大型モンスターも珍しくはなくなり、VRMMO特有のリアリティを楽しみたいプレイヤーには人気が高い。
ブーツが砂利道を踏みしめる。黙々と山道を進んでいたキングは、ふと、足を止めた。
物理的な空気の振動を伴って、轟音が響く。彼は目を細め、背中に引っ掛けた愛剣に手を伸ばした。付近で戦闘がある、というだけならば、彼もここまでは警戒しまい。だが、その音はあまりにも異質だった。巨大な質量を持つもの同士が、互いにぶつかり合う音だ。
付近の有視界範囲内にプレイヤーの姿は見当たらない。キングは剣を引き抜いて、山道を駆け上った。音のする方向へと進んでいく。轟音は徐々に大きくなりつつあった。
やがて岩壁が途切れ、途端に視界が開ける。そこでキングは、珍しく目を見開いた。
彼が目にしたのは、ゴーレムとワイバーンのドツキ合いである。
このゲームにおいて、モンスターの思考ルーチンはある程度解明されているわけだが、その中でもMOB同士が互いに攻撃しあうなどといったパターンは今まで見られなかった。珍しい光景である。さらに言えば、ゴーレムタイプのモンスターがこの火山帯で出現したという例はない。一体何が起こったのか。
ワイバーンが翼を広げ、火球を吐き出しながら後方へと飛んでいく。ゴーレムの仕草は緩慢であるが、その豪腕をもってすべての火球を受け止めてみせた。どちらの動作にも、まったく危なげは見られない。
気になると言えば、ゴーレムの全長もだ。10メートルや20メートルではきかないだろう。あれほどの巨大なモンスターが、グランドボスでもなしに存在することなど……、
いや、あるな。
キングは脳内でひとつの結論に達し、ゴーレムの足元、次に手元に視界を凝らした。そうして、自身の結論に裏付けを得る。
ゴーレムが火球を振り払った反対の手。その手のひらの上で、ひとりの少女が立っていた。その表情までは読み取れないが、立ち姿はえらく頼りない。火球の着弾とともに吹き荒れる爆風に、ツインテールがたなびいていた。
あれは魔獣使いだ。ゲーム内では魔法剣士と並ぶ不遇職である。
要するにフィールド上で出会ったモンスターと契約し、主従関係を築くクラスだが、スキルポイントやステータスの成長ポイントはプレイヤーとモンスターで共有する。高レベルになればなるほど、相対的にポイントが足りなくなり、仲間の足を引っ張るようになってしまうというのがお約束だった。
ぶっちゃけた話、最前線ではあまり見かけないクラスである。それでも、理解あるプレイヤー仲間に恵まれたり、不遇職ばかりを集めた好事家のギルドに加入したりで、生き残っている魔獣使いもいなくはない。
まぁ、ゴーレムをあそこまで巨大に育てるとは、相当極振りしたのだろうな、とキングは思う。モンスターの育成方針として極振りは正しいが、あそこまで大きいと、逆にスタミナを保てないのではないだろうか。
果たしてキングの予感は的中した。まだ戦いから五分と経過していないはずだが、ゴーレムの動きが急に鈍る。直後、ワイバーンの火球を受けて、その巨体が大きくバランスを崩した。手のひらから少女が落ちる。少女は奇跡的な身のこなしでなんとか着地したが、ゴーレムは立ち上がらなかった。慌ててアイテムインベントリを漁る少女の姿が確認できる。疲労回復剤を探しているのか。
見ていられないな、と、キングは思った。おせっかいは承知の上だが、ワイバーンの火球を受けて、少女が丸焼きになる姿を見過ごすのはなかなか目覚めがよろしくない。
キングは剣を構え、山道をまっすぐに歩き出した。やがて砂利を踏みしめる足の交互は早くなり、走り出し、やがては黒い突風となる。斜面を蹴りたて、弾丸と化したキングはまっすぐに、ワイバーンの翼の付け根へと切り込んだ。刃を差し込む。えぐる。切り上げる。単純な動作の果てに三連続のダメージエフェクト。ワイバーンが悲鳴をあげて地上へ落ちる。
キングは、その鼻っ柱を足場にして、最終的には少女の前に立つように着地した。ここにきて彼には、ぽかんと口を開ける少女の顔を確認するだけの、余裕がある。
大丈夫か、とは言わなかった。
安心しろ、とも言わなかった。
正直、口にするのが面倒くさかった。
ワイバーンがゆっくりと立ち上がるのが見えた。キングは愛剣を構えなおす。この立ち位置は少しまずかったかもしれないな、と、今更ながらに思った。ここで火球を放たれた場合、キングは回避行動を取れない。まぁ、直撃を一発くらったところで即死亡というレベル体でもないが。
いや、どのみち先手を打って倒せば済む話だ。
キングは大地を蹴った。ワイバーンの口が開くのが見える。遅い。間に合う。確信があった。驚くほど精緻なディティールで汲み上げられた顎の中に、キングは臆しもせずに飛び込んだ。咽頭の奥より火球がせり上がってくる感覚があるが、そこに剣を突き立てるほうが早かった。
XANの剣身が、ひときわ強く輝く。キングは《バッシュ》を放った。
一撃。鮮烈な光の奔流が、ワイバーンの身体を突き抜けて四方八方に放射される。その頭上に閃くダメージエフェクトは5ケタに達した。断末魔の雄叫びすら許されずに、10メートルを超える翼竜の巨躯が、光の粒子と溶けていく。
やがて虚しい音がして、キングの足元にいくらかのドロップアイテムが散らばった。彼は、無言のままに背中の鞘に剣を収める。
「あ、ありがとう……」
背後から声が聞こえた。振り返ると、少女が腰を抜かしている。
「別に通りがかっただけだし」
キングはぶっきらぼうに答えた。いや、愛想を悪くしたつもりはないのだが、自然とそうなった。
彼女の意識のフォーカスを合わせると、頭上にアバターネームが表示される。フェリシア、とあった。キングは、かつて母親がゲーセンのヌシとして君臨した時代を知らない。ゆえに、フェリシアという名前になんらかの感慨を抱くこともなかった。
「きみ、強いんだね」
「まぁ、古参だし」
「あのさ、あたし、人を探してるんだけどさ、」
フェリシアの言葉に、キングは眉根をしかめた。これは少し、面倒なやつと関わったか?
とはいえ、ここで『じゃあな』と言ってサヨナラするのも人間が冷たい。ひとまずキングは、無言で続きを促した。
「知らないかな。その子は、もう1年以上ゲームやってるはずなんだけど」
「他に特徴は」
「わかんない」
「わかんないんだ」
それではさすがに手をかせない。
要するにリアル知人を探しているということか。キングは苦い気持ちになった。正直、オンラインゲームでリアル知人と会った時の気まずさは尋常なものではない。幸いにして、彼はその気まずさを知らずにいるが、桐生世良の母にして偉大なる師匠であるところの桐生世理子は、リアルバレの恐ろしさを事あるごとに世良に語っていた。
正直、やめてあげたほうがいいんじゃない、と、言おうとした。
言おうとしたが、やめておいた。
見たところ、フェリシアという少女はゲームに不慣れであるように見える。そんな彼女がVRMMOという広大な世界で人探しをやろうというのだから、まぁ理由はそれなりに深刻なのだろう。ならば、それを無碍にやめろとは言わない。別に自分がリアルバレするわけではないのだし。
「ひとまずさ、」
キングはフェリシアの装備を、頭のてっぺんからつま先まで確認した上で、こう言った。
「オレ、これからグラスゴバラまで行くんだけど、どうする?」
「え、じゃあ行く」
さもありなん。見たところ、彼女の装備は〝始まりの街〟で揃えられるものばかりだ。おそらくは中級初心者といった微妙なレベルのプレイヤーだろう。グラスゴバラまで連れて行けば、装備や行動先の選択肢がぐっと広がる。この辺は、トッププレイヤーのおせっかいのようなものだ。
最強のソロプレイヤーもずいぶん丸くなったものである。肩の重荷がなくなって久しいためかもしれない。ただ、この光景を見られたら少し気まずいかな、とは、キングは思っていた。
そんな感じで活動報告であいつらのキャライラストを後悔するぞー。




