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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
サブアカウント・パーティー
19/50

第08キリヒト小隊

 人体アバターのおよそ10倍はあろうかという岩盤が、ゆっくりと持ち上がっていく。すべてのアイテムやオブジェクトに重量が設定されているこのゲームで、一体どれほど【筋力】ステータスを上昇させれば、このような芸当が可能になるのだろうか。その場にいるすべてのキリヒトは、あまりに現実離れした光景を前に、一切の身動きがとれなかった。


 やがては粉塵の中から、一人の男が立ち上がる。千鳥格子のジャケットとサングラスには埃ひとつつかず、丸太のように鍛え上げられたその豪腕は、たった一本で岩盤を軽々と支えていた。粉塵の中、サングラス越しに赤く輝く双眸が、男に怪物じみた威容を与えている。

 男の片手は、やがて岩盤を押し戻した。まるで空が落ちるような感覚。巨大な影が迫り、岩盤が轟音をたてて倒れる。


「怯えろ! 竦めぇぃ! アバターの性能を活かせぬまま、死んでゆけぇっ!」


 キリヒトは、心の奥底より湧き上がる絶望を隠すことはできなかった。こんな奴を相手に、勝てるはずがない。威圧感という言葉すら生ぬるい、圧倒的な精神支配力。ヒトは、強大な敵を前にしたとき、かくも無力な存在となるのだろうか。結局、人体であるにせよアバターであるにせよ、手足を動かすのは人間の精神力だ。それが恐怖によって萎えた時、すべての生き物は木偶の坊となる。

 キリヒトの前に、おお振りのナイトソードを構えた暗黒の魔人が迫る。やられる、と、思ったその時だ。彼の真横を、黒い風が走り抜けた。風はキリヒトに叱咤の言葉を投げる。


「守ったら負ける! 攻めろ!」


 それが魔人の発した言葉に対応したパロディであることはキリヒトにはわからなかったが、彼の心の奥底にこびりついた勇気の残滓をすくい上げてくれた。キリヒトの手足にわずかな活力がみなぎる。


「お供します、リーダー!」

「フッ、威勢が良いのは嫌いじゃない。行くぞ!」


 かくてキリヒト(リーダー)とキリヒト(ルーキー)は剣を引き抜き、暗黒課金卿へと斬りかかる。


「狙いは正確。良い目をしていますな。ですが!」


 だが、課金卿の左手首に装着された腕輪が不気味な発光を見せると、不可視の障壁が生じて攻撃を阻んだ。稲妻の弾けるエフェクトが、二人のキリヒトの視界を焦がす。エフェクトの発光すら目くらましとし、課金卿はキリヒト(ルーキー)の腹に重い蹴りを叩き込んだ。華奢なからだが〝く〟の字に折れて、キリヒト(ルーキー)は大地に転がる。


「目の良さが命取りです!」


 暗黒課金卿は心底嬉しそうにそう叫ぶと、左手で剣を引き下がろうとするキリヒト(リーダー)の頭部を捉えた。そのまま額を鷲掴みにし、岩盤の破片に向けて勢いよく叩きつける。割れた岩盤は簡易トラップとして扱われ、少量のダメージをキリヒト(リーダー)に対して計上した。


「うっ、ぐぅっ……!」


 キリヒト(リーダー)は、別に身体に実際の痛みを感じているわけでもないだろうが、心底辛そうに呻いた。


「これは驚いた。まだ息がありますか」


 暗黒課金卿も、本当に驚いているわけではないだろうが、心底感嘆したように声を漏らした。


 だが、とキリヒト(ルーキー)は思う。

 キリヒト(リーダー)の、あの辛そうな態度は、本当にすべてが演技ロールプレイなのだろうか。いまこの瞬間、自らの無力を誰よりも嘆いているのは、キリヒト(リーダー)本人なのではないだろうか。彼は、決して負けられない戦いに身を投じているのだ。しかし現実の壁というやつは残酷で、目の前に立ちはだかりし暗黒課金卿は、手を抜いてはくれなかった。


「俺は……! 俺はぁ……っ!」


 キリヒト(リーダー)は大地に手をつき、震えながらも立ち上がる。


「俺は、約束したんだ……! アイナと!」

「ふむ……」


 暗黒課金卿は、赤い双眸を冷たく光らせて、息巻く男を見下ろした。


「約束があるのは私も同じです。意地を通して死ぬか、退いて命を長らえるかは、お任せしますが」


 ナイトソードを構え、課金卿は数歩後ずさる。迎撃の構えだ、と、キリヒト(ルーキー)は思った。このまま迂闊に飛び込めば、カウンターで切り落とされる。肉を斬らせて骨を断つ、などという戦法ではない。課金卿自身の圧倒的な防御力を利用した、強引な一撃を決めるつもりなのだ。こちらは肉どころか、薄皮一枚も斬れやしないだろう。

 だがそれでも、キリヒト(リーダー)は突撃の構えをとった。ただ愚直に、そうすることしか彼はできないのだ。彼には意地があった。誇りがあった。そして約束と、愛する人があった。


「罷り通ォォォォ―――――るッ!!」

「やらせぇんッ!!」


 一体どうしてこのようなことになってしまったのか。


 事態は三日ほど前に遡る。





 2013年8月末に、ナローファンタジー・オンラインで決行された『オペレーション・ファイナルファイブ』は、その最終局面にて様々なゲーム内勢力の変化を引き起こした。その最たるものが、某有名ライトノベルのファンギルド〝ザ・キリヒツ〟の肥大化である。

 当該作の主人公である〝キリヒト〟になりきることを目的として結成されたギルドである。折しも世間は、そのライトノベルの劇場版が世間を賑わせている頃であり、それを見て黒衣の剣士に憧れた大量のにわかキリヒトが、ナロファンへと流入した。

 オペレーション・ファイナルファイブは、何よりも物量に重きを置いた作戦であり、ザ・キリヒツのリーダーであるキリヒト(リーダー)は、それらのにわかキリヒトに声をかけることで、ザ・キリヒツをゲーム内最大の構成人数を誇るマンモスギルドに押し上げた。


 と、まぁ、ここまでは良かったのだが。


 しょせんザ・キリヒツはとあるインターネットコミュニティに端を発した身内ギルドにも等しいものであって、この膨大な数のキリヒト達を制御するには、かなりの苦労を要した。彼らはVRMMOに憧れてナロファンにやってきた新規ユーザーであり、オンラインゲームのマナーそのものには疎い。良好なギルメン関係の維持に必要な不文律を徹底させるのが、まず大変だった。

 それでも一ヶ月もすればにわかキリヒト達は減少し、キリヒト(リーダー)をはじめとする初期メンバー、いわゆる〝栄光の七人キリヒト〟はちょっぴり寂しく思いつつも、ほっと胸をなでおろしていた。


 しかし、問題はここで終わらない。懸案事項が加速するのは、むしろこれからであった。

 オペレーション・ファイナルファイブの折り、ザ・キリヒツ(業務用)と名前を変えた彼らのギルドに加入したのは、何もキリヒトだけではない。アイナ、レイファ、リズリット、キリカ、シオンと、そうそうたるヒロイン軍団もその名を連ねた。クライツとかエミルとかも2、3人いた。

 ヒロイン軍団もしょせんは大半がにわかであり、キリヒトの減少と共にその数を減らしたが、最前線で極めて精力的に活動に参加するプレイヤーが一人いた。数ある〝アイナ〟の中の一人であった彼女は、なりきり防具が販売されていないこのナロファンにおいても、徹底して白と赤を基調としたデザインの衣装にこだわりをみせた。それだけではない。戦士ファイターをメインに、斥候スカウトのクラスを持ち、サブ枠の2つ目をあえて空けてある彼女のバトルスタイルは実に軽やかであった。その姿はまさしく、件のライトノベルにおいて主人公キリヒトの伴侶を務めた名ヒロイン・アイナそのものだったのである。


 当然、アイナはザ・キリヒツ(業務用)において、一躍アイドルのような扱いを受けた。彼女に本気で惚れ込んだプレイヤーも少なくなかったように思う。にわかキリヒトやヒロイン軍団が数を減らして、やがてはいなくなっても、アイナは常にザ・キリヒツの中心にあった。


 メンバーの減少に伴い、それまで表立ってはいなかった様々な問題が表面化した。

 キリヒト(リーダー)は、決してアイナ一人を特別扱いしようと思ったことは、一度もない。彼女は、あくまでもザ・キリヒツのギルドメンバーのひとりであり、確かに魅力的な女性ではあるが、それ以上に趣味を同じくする大切な同志である。で、ある以上、ギルドの活動においては、他のプレイヤーと変わらない扱いをした。

 だが、多くのキリヒトの目から見た場合、その実情は違っていた。キャラクターレベル、プレイヤースキル共に高水準であるアイナは、必然的に初期メンバーと前線を支える機会が多くなる。初期メンバーでヒロイン・アイナを独占していたように見えたとしても、それは仕方のないことであっただろう。


 キリヒト(リーダー)は、必死に弁解をしつつも、同時にアイナのメンタルにも気を遣わねばならなかった。自身がギルドの和を乱していると知れば、アイナはギルドを出て行くかもしれないと思ったのだ。しかし、それは結果的にキリヒト(リーダー)がアイナと二人で過ごす時間を増やすことになり、疑心のタネは初期メンバーにすら伝播した。

 アイナも決して鈍い娘ではなかった。しばらくもしないうちに、ザ・キリヒツ(業務用)の内情を知り、キリヒト(リーダー)にこう打ち明けたのだ。


『リーダー、私、もうここにはいられない』


 キリヒト(リーダー)の返答はこうであった。


『その必要はない。アイナの居場所は、俺が作る』


 この時、キリヒト(リーダー)は、とうとう自分が致命的な間違いを犯していたことに気づく。

 彼はギルドの和を保とうと懸命に努力した。そこに偽りはないだろう。だが、彼は自分という人間を軽視しすぎた。自分自身も人間であり、アイナに夢中になる他のギルドメンバーと、なんら変わりのない生き物であるという事実を、彼は念頭に置いておくべきだったのである。


 彼は恋に落ちていたのだ。





『いいかいキリリー、すべての女の子は生まれながらにしてサークラなんだにゃ』


 とは、ゲーム内きっての姫プレイヤー・あめしょー様のありがたいお言葉である。


『サークラってなんだよ』

『サークルクラッシャー。ゲーム内ギルドなんて、しょせんは男社会だからね。女の子が一人混じるだけで、みんなドキドキしちゃうでしょ? 当人が望む、望まないなんていうのは、関係ないのだよ。例え致命的なドブスでもお姫様になれるよ。〝アナタハン島の女王〟でググってみ?』


 一人の女子の存在が人間関係を狂わせ、ひとつのコミュニティを崩壊に導く。そうした女子のことを、サークルクラッシャーと揶揄するのだとあめしょーは言った。多くの場合、それはオタク・コミュニティに限られた話であるかのように思われがちだが、そんなことは決してない。ひとつの閉じた空間に、二人以上の男と、一人の女がいれば、その女はサークルクラッシャー足り得るのだ。

 とても15歳の少女が垂れるような薀蓄であるとは思えないのだが、あめしょーの言葉はすべて正鵠を射ていた。キリヒト(リーダー)は言われるままにブラウザを開いて『アナタハン島の女王』を調べ、そして背筋を凍らせた。


『じゃあ、あめしょーだってサークラなんだろ?』


 怖気を打ち消そうとして、出てきた言葉はやや攻撃的だった。だが、あめしょーは涼しい顔だ。


『うん、そうだよ』


 あめしょーはこう続ける。


『ぼくに言わせれば、自覚のない方がよほど問題があるのだよ。そのアイナちゃんがどっちかは知らないけどね? だからぼくは、ファンクラブは公認してるけど自分のギルドは作らないし、周囲の人間関係がギクシャクしはじめたら、関係維持に全力を尽くすよ? 自分がいなくなればみんな幸せになるなんて考えは、甘いにゃ』

『関係維持って、どんな風に?』

『それ聞くぅ?』


 魔性の子猫はケタケタと笑った。

 そう言いつつも、キッチリ説明してくれるのが彼女の友達甲斐のある部分だ。だが正直それは、キリヒト(リーダー)にとって、あまり参考になりそうな内容ではなかった。


『例えば、ぼくを挟んで、AとBの仲が悪くなったとするにゃん? そういう時ぼくは二人に個別メッセージを送るのだよ。「ごめんね。Bはああだからこうだけど、ここは大人になって仲直りしてくれない?」てな感じでね?』

『それ効くの?』

『最初から効くようなドギツイのは送り込んじゃダメなの。「おねがい」「ぼくが頼れるのはAだけだから」「Aだけには話すけど、ぼく、最近こんなことで悩んでてね」「うん、ありがとう」「Bとのこともおねがいしていい?」とまぁこんな感じ』

『おまえロクな死に方しないぞ』

『生きてる時が幸せならそれでいいにゃん?』


 あめしょー曰く、『戦いは同じレベルの者同士でしか発生しない』。彼女の取る作戦とは、互いに『自分は相手より優れた地位にいる』と錯覚させることで歩み寄らせ、仲直りさせるというものだ。ちなみにこの時、相手に打ち明けることで優位性を錯覚させる『秘密』は、残しておくと相手の勘違いを加速させるため、適当な頃合で解決した旨を伝えておくのが良いという。解決は当人のあずかり知らぬところで、しかしその時に、アドバイスがほんのちょっぴり役立ったと伝える気遣いも忘れない。


 ついつい舌を巻いてしまうほどに効果的な作戦だったが、やはり何の参考にもならない。


『あめしょー、俺たちはどうすればいいんだ』

『そんなの知らないよ。キリリー、人間は感情の生き物だよ? 昨日好きだったものが明日嫌いになってるかもしれないにゃん? ずっと同じ関係は続かないものなのだよ。ぼくときみができるのは、変化していく人間関係に、どうやって自分の気持ちを追いつかせるかだよ』


 それがどういうことか、とまでは、キリヒト(リーダー)は聞けなかった。あめしょーの回答は彼女なりに真摯なものである。言葉を噛み砕き、意味を自分のものにするのはキリヒト(リーダー)の仕事だ。まさか10歳以上も年下の小娘に、そこまで世話になるわけにもいかない。


 キリヒト(リーダー)は、あめしょーに礼を言って別れ、ギルドハウスへと戻った。

 だが既にそこには、アイナの姿はなかった。代わりに一通の書き置きがあり、そこにはアイナのものと思しき文字で、別れを告げる言葉が連ねられていた。キリヒト(リーダー)は震える手で書き置きを拾い上げる。

 ギルドハウスには、キリヒト(リーダー)を除けば、十人ばかりの新参キリヒトがいるのみだ。初期メンバーとキリヒト(リーダー)の雰囲気は今や険悪で、彼らとはギルドハウスでも顔を合わせない。


 どうしよう。どうすればいい。果たして、アイナのことを追いかけるべきなのか。

 ここで彼女の後を追いかけることは、取り返しのつかない方向へと走り出すことにほかならないのではないか。


 しかし、あめしょーの言葉が、脳内でリフレインする。


『人間は感情の生き物だよ? 昨日好きだったものが明日嫌いになってるかもしれないにゃん? ずっと同じ関係は続かないものなのだよ』

『ぼくときみができるのは、変化していく人間関係に、どうやって自分の気持ちを追いつかせるかだよ』


 そうなのだ。もう関係は変化している。ここでアイナを追いかけなかったとしても、かつての日々は戻ってはこない。ならば。


 キリヒト(リーダー)は書き置きの紙をくしゃりと握りつぶし、そのまま拳を固めた。

 背後から、新参キリヒトの中のひとり、キリヒト(ルーキー)がそっと声をかけてくる。


『リーダー……』

『アイナを追いかける』

『しかし……』

『俺の意見に賛同できないならば、ついてこなくて構わない。望むなら認めよう。俺はアイナが好きだ。だがそんなことは関係ない。彼女を放逐して、上辺だけの原因にフタをして、それで帰ってきた仲間とヘラヘラ笑ってはいオシマイとなるようなギルドを作ってきたつもりは、俺にはないんだ』


 キリヒト(リーダー)がギルドハウスを出るとき、彼は一人だった。

 だが、しばらく後、ハウスからは次々とキリヒトたちが顔を出し、やがては彼を追いかけはじめる。キリヒトの群れは、やがて徐々に大きくなり、街道を進んだ。彼らはアイナが機怪渓谷へ向かったという話を聞きつけ、そこへと向かうことを決めた。


 そして、目的地へとたどり着いたとき。


 彼らの目の前に、たった一人の男が立ちはだかったのである。





「ぐああああっ!」


 ナイトソードの剣身が横薙ぎに銅を捉えた。レベルに比してその攻撃力は低く、キリヒト(リーダー)は辛うじて致死ダメージを免れる。痛むはずのない胴を抑えながら、キリヒト(リーダー)は目の前に立つ男を睨む。


「どうして俺たちの邪魔をする! キルシュさん!」

「主命です。アイリスより、ここから一人のキリヒトも通すなと仰せつかっております」

「キリヒト限定かよ!」


 暗黒課金卿キルシュヴァッサー。制限付きではあるが、おそらくゲーム内でも十の指に入る強豪だ。今はその凄まじい火力を封印した状態にあり、おかげでザ・キリヒツ(業務用)は殲滅を免れている。だがそれ以上に、キルシュヴァッサーの強さはその圧倒的な防御能力にあったと言えるだろう。まさしく、『堅い・遅い・強い』の三拍子を実現したパワーファイターだ。ザ・キリヒツ(業務用)の火力では、この堅牢な壁をやすやすとは突破できまい。


「くそっ……! せめて、みんながいれば……!」


 キリヒト(リーダー)が苦悶の声と共に漏らした『みんな』とは、初期メンバー6人のことである。

 栄光の7人キリヒトならば、その巧みな連携と熟達したアーツで、キルシュヴァッサーに隙を作り出すこともできたかもしれない。だが、ここにいるのは所詮、十把一絡げの新参キリヒト達だ。ついてきたはいいが、戦力としては心もとない。


 キルシュヴァッサーはナイトソードを鞘に収めたが、その動作はかえって、その場にいるすべてのキリヒトを戦慄させた。暗黒課金卿が、騎士の剣を収めるその意味。次元の鞘アイテムインベントリからは、リアルマネーを対価にその存在を許される、ひと振りの魔剣が姿をみせた。


「そろそろ終わりに致しましょう」


 キルシュヴァッサーの口から死刑宣告が放たれる。

 課金剣による一撃必殺の大技ブレイカーは、本来、ザ・キリヒツの使用したものを見て、今は亡きツワブキ・イチローが会得したのが発端である。そのあまりにも非経済的かつ非合理的な一撃は、形を変えて従者であるキルシュヴァッサーに受け継がれ、そしていま、ザ・キリヒツ(業務用)に向けた告死の一撃として機能しようとしていた。なんたる皮肉であろうか。


 くそったれめ。こんなところで負けてたまるか。


 キリヒト(リーダー)は自らを奮い立たせ、性懲りもなく剣を構えた。


「俺は生きる! 生きてアイナと……」

「言わせません!!」


 キルシュヴァッサーの非情なる拳が、キリヒト(リーダー)の横っ面にめり込んだ。キリヒト(リーダー)の身体が、粉塵を巻き上げてごろごろと転がっていく。やがては渓谷の壁に激突し、彼の頭上にダメージを算出した。もうとっくに死んでいてもおかしくなかったが、乱数の奇跡が彼を辛うじて生きながらえさせていた。


 キリヒト(リーダー)は自嘲気味に口元を釣り上げた。さすがに、もうおしまいか。

 なんという情けない結末だろう。自分は、結局ギルドの崩壊も止められず、アイナを助けることもできず、こんなところでくたばってしまうのだ。ぶっちゃけ死んでも装備が没収されてギルドハウスの戻るだけなのだが、まぁそのへんはドラマチックに無視された。


 彼の目の前に、見慣れた黒いコートが翻った。キリヒトだ。だが、キリヒト(リーダー)は力なく笑う。いったいどのキリヒトだろう。盾になってくれるのは嬉しいが、結局は無駄なことだ。命を無駄にするな、と、そう言おうとした時である。


「ざまぁないな、リーダー」


 その声に、キリヒト(リーダー)はハッと目を開けた。


「まさか……キリヒトか!?」

「フッ……」


 そこに立っていたのは、間違いなくキリヒトである。初期メンバー7人のうちの1人。アイナの件で仲違いしたはずの男が、何故そこに立っているのか。困惑するキリヒト(リーダー)の耳に、さらに追い打ちをかける声がひとつ。


「俺もいるぜ」

「キリヒト……」


 驚いて視線を向けたその先に、黒いコートの男が立っている。キリヒトはまだいた。


「お前だけに、いいカッコさせるかよ」

「キリヒト……」

「キリヒトは、お前だけじゃないんだぜ」

「コーホー」

「みんな……」


「こ、これが友情パワーか……!」


 キルシュヴァッサーの声は驚愕に打ち震えていたような感じがした。

 驚いていたのはキリヒト(リーダー)やキルシュヴァッサーだけではない。はるか後方で戦いを見守っていたキリヒト(ルーキー)も同じである。キリヒト、キリヒト、キリヒト、キリヒト、キリヒト、キリヒト、そしてキリヒト(リーダー)。まさしく栄光の7人キリヒトと呼ばれた男たちが、今ここに集結していたのである。


「間に合ったか……!」


 キリヒト(ルーキー)の背後で、そんな声がした。驚いて振り向くと、他のメンバーと同じようなマントを羽織りつつも、バイザー状の仮面を被った変わり種のキリヒトが、腕を組んで頷いている。


「ダークキリヒトさん!」

「散らばったキリヒトたちを集めるのには、苦労しましたよ」


 ダークキリヒトは、先日解体されたPKギルド〝アンチクロス〟のリーダーだった男である。物腰は丁寧だが、どこか得体の知れない雰囲気があり、他のメンバーとは距離を置いていた。そのような男が、まさかキリヒト達に声をかけてくれたというのだろうか。キリヒト(ルーキー)をはじめとしたキリヒトは驚きのあまり声も出ない。


「立てるか、リーダー」

「ああ……」

「アイナの居場所、作ってくれるんだろ」

「俺たちのヒロインを取り戻しに行こうぜ」


 一体、どのような心変わりであろうか。キリヒト(リーダー)はそのような疑問を浮かべ、しかしすぐにかぶりを振った。


 心変わりなどきっと、最初からしていない。あめしょーは言った。人間関係は変わる。大事なのは、それに気持ちをどう追いつかせるかであると。ザ・キリヒツ初期メンバー栄光の7人キリヒトは、今ようやく、それができたのだ。最初から抱いていたたったひとつの気持ち。

 DFOを愛し、キリヒトを愛し、そしてアイナを愛する。醜く変貌した人間関係の中でも、たったひとつ抱き続けた大切な気持ちが、今追いついたのだ。この気持ちは、どんなサークルクラッシャーにも打ち砕くことはできない。


 栄光の7人キリヒトは横一列に並び、自らの得物を構えた。彼らの目の先には、暗黒課金卿キルシュヴァッサー。だが何を恐れることがあろうか。どのような強大な力を前にしても、ザ・キリヒツ(業務用)は、自分たちを無敵だと言い切るだろう。


「行くぞ!」

『オォッ!!』


 キリヒト達が駆ける。キルシュヴァッサーが構える。キリヒト達が突撃する。キルシュヴァッサーが振り下ろす。


『うわーだめだー』


 だが無理だった。7人の主人公は剣圧に吹き飛ばされゴミのように飛んでいく。ザ・キリヒツ(業務用)が束になってかかったところで、キルシュヴァッサーにはロクなダメージにならないのであった。現実は非情である。


「くっ、くそっ! 強すぎる……!」

「なんとかしてここを突破する手立てはないのか……!」


 栄光の7人キリヒトはよろよろと立ち上がり、目の前に立つ巨大な壁、暗黒課金卿キルシュヴァッサーを見た。ザ・キリヒツ(業務用)最強の7人の力を合わせても、目の前の老騎士には傷ひとつ負わせることができない。だが、ここを突破しなければ、アイナに追いつくことは不可能なのだ。


「うおおおおおおッ!」


 だがその時、黒い微風が駆け抜けた。キリヒト(ルーキー)である。


「キリヒト(ルーキー)!?」

「やめろ、おまえでは敵わない!」

「敵わなくっても、今は!!」


 彼は、キルシュヴァッサーに飛びかかると、その右腕にしがみついた。さしもの暗黒課金卿も、これには動転する。


「な、何を……!」


 蛮行に及んだのはキリヒト(ルーキー)だけではなかった。有象無象のキリヒト達が、一斉にキリヒト(ルーキー)に続き、次々とキルシュヴァッサーに飛びかかる。真っ先に右腕を封じられた暗黒課金卿は、ろくに武器を振るうことをすらままならず、人間トリモチと化したザ・キリヒツ(業務用)に、その動きを絡め取られた。

 それはまるで、暗黒課金卿に群がる亡者の軍団である。キルシュヴァッサーは激シブの市川ボイスにて怨嗟の声をあげた。


「くっ……離れろ! えぇい、これでは身動きも……あっ、ちょ! どこ触ってるんですか!」

「みなさん、早くアイナさんのところへ!」


 キリヒト(ルーキー)が声をあげる。栄光の7人キリヒトは、互いに顔を見合わせ頷き合うと、渓谷の荒れ果てた道を一斉に走り始めた。





 やがて、栄光の7人キリヒトは、機怪渓谷の最深奥にまで到達した。そこは、超高レベルのMOBが蠢く魔境ではあったが、彼らは強引に突破する。打ち捨てられた古代文明の機械が骸のように転がるマシンの墓場だ。さらに進んでいったところに、モンスターのポップアップしない安全地帯があった。

 それまでの暗澹たる雰囲気から一転し、はるか遠方に古塔を望むことのできる、見晴らしのよい丘陵である。検証組によれば、おそらく次回の大規模イベントにて解放されるであろう最終エリアに、果たしてアイナの姿はあった。


 アイナだけではない、というのが、少々問題だった。


「よく来たわねー」


 椅子に腰掛けて優雅に茶などシバいているのが、あの邪神アイリスであるというのだから、栄光の7人キリヒトは身を固くした。彼女の後ろでは、銀のお盆を持ったメイド忍者が待機姿勢のまま立ち尽くしている。まさしくマフィアのボスが如き貫禄であった。

 アイナはアイリスと共にお茶を飲んでいた。これは一体どうした状況か。キリヒト(リーダー)は困惑する。


「リーダー……、それに、キリヒトくん達……」


 アイナはティーカップを片手に、震える声でつぶやいた。


「アイリス、アイナに何をした」

「何もしてないわよ。人聞きの悪いこと言わないで」


 邪神は不機嫌そうな声を出す。


「あたし達は、いつも通りピクニックに来て、楽しくお茶を飲んでたら、悲しそうな顔をした女の子が来たから話を聞いてあげて、そんでもってその原因っぽい一団がこっちに向かってるっていうから、キルシュさんに足止めをお願いしたという、ただそれだけよ」


 最前線でピクニックというのも壮絶な話だが、わざわざここで嘘をつくメリットもない以上事実なのだろう。だがキリヒト(リーダー)の心をえぐるのは、自分たちがアイナに悲しみを背負わせたというその一点だ。アイナはティーカップを片手に、怯えたような視線を栄光の7人キリヒトに送る。


「帰ろう、アイナ」


 キリヒト(リーダー)は、意を決して言った。


「でも……」


 アイナは目を伏せた。邪神は目の前の痴話喧嘩じみたやりとりなど気にしないかのように、ティーカップに口をつけている。


「アイナの居場所は、なくなったりしないよ。俺が作る。約束したじゃないか」

「でもサークラなんでしょ?」


 アイリスがぼそっと言った。キリヒト(リーダー)は思わず口をつぐむ。


「なんでアイナをわざわざ追いかけてきたりしたの? アイナをギルドに引き戻して、それで昔みたいにみんなで仲良くできるって思う?」

「やめろアイリス、これ以上アイナを傷つけるな!」

「そうやってアイナをかばい続けた結果が今の状況なんでしょーが。何が居場所よ。笑わせないで。ちゃんちゃらおかしくってヘソが水蒸気爆発を起こすわよ」


 ぼこん、という音がして、かなり遠くで何かが爆発した。


 アイリスのキリヒト(リーダー)を見る目は厳しい。だが、キリヒト(リーダー)はその言葉を甘んじて受け止めた。彼女の言うことは事実だ。自分は、アイナを特別扱いしないと決めていたにも関わらず、現状はごらんの有様である。

 6人のキリヒトの視線が、一斉にキリヒト(リーダー)に突き刺さる。彼らの決断は、すべてキリヒト(リーダー)に委ねられていた。責任や判断の押し付けなどでは決してない。彼らの気持ちはひとつ。その気持ちには嘘をつけない。


「アイナ、俺は……! いや、俺たちは……!」

「待ってリーダー」


 飛び出しかけた言葉を、アイナが遮る。彼女は一瞬、視線を宙に彷徨わせた後、言葉を続けた。


「まず、謝らせて。私が原因で、ギルドの雰囲気が悪くなっちゃったこと。最初に言っておけばよかったんだよね。でも、これを言っちゃうと、みんなからギルドを追い出されちゃう気がして、ずっと言えなかった……」

「アイナ……? 何を言って……」

「そんな私の態度が、みんなを誤解させてたんだと思う。だから、最初に言わせて。その上で、きみ達の言葉を、聞くね」


 彼女の言葉を聞きながら、アイリスが目を閉じていた。おそらくアイリスは、アイナが告白したがっているその内容を知っているのだ。そして、それを聞けば自分たちは、アイナをギルドへは引き戻せないと、そう考えているに違いない。

 舐めるなよ、とキリヒト(リーダー)は思った。たとえアイナが何を言おうと、自分たちの答えは変わらない。アイナはキリヒトのヒロインであり、自分たちの憧れであり、そして、大事なギルドメンバーの一人だ。


 キリヒト(リーダー)は頷いた。


「いいよアイナ、言ってくれ」

「私男なの」





「まぁ予想出来ていたオチではあるにゃん?」


 ザ・キリヒツのギルドハウスで、あめしょーはクッキーをかじりながら言った。キリヒト(リーダー)は渋い顔をしながら頷く。

 そう、予想できないオチではなかった。こんなに都合のいい完璧な〝アイナ〟が、現実のVRMMOにそうそういるはずがなかったのである。アイナのプレイヤーは原作の大ファンで、メインヒロインであるアイナの再現に腐心していたのは間違いなかったが、その中身は男であった。


「ひょっとしてキリリー、落ち込んでる?」

「いいんだ……。ちょっとハードな失恋も輝くマイ・ヒストリーだから……」

「おっ、けっこう重症だにゃ?」


 あめしょーは皿の上のクッキーを、遠慮なく口に放り込んでいった。

 クッキーはアイナの手作りである。件のヒロインよろしく、密かに《料理》スキルを鬼のように上げていた彼女の腕前は、ストロガノフと競い合うほどだ。大層な再現率であった。二人の話を横に聞き、当のアイナ本人は、ちょっぴり困った笑顔を浮かべながら追加のクッキーを持ってくる。

 アイナのネカマカミングアウトを受けてなお、栄光の7人キリヒトの判断は変わらなかった。受けたショックは確かに大きいが、彼女は大事なギルドメンバーである。たとえ男でもアイナを受け入れると叫んだキリヒト(リーダー)に、アイナは涙を浮かべて飛びついた。キリヒト(リーダー)はげっそりと微笑んでから彼女の肩を抱き、そして、栄光の7人キリヒトとアイナは仲良く下山した。

 以来、彼女に関わるトラブルは目に見えて減少した。などということはまるでなく、むしろ『中身は男』という事実がアイナとの触れ合いハードルを大幅に下げてしまい、彼女はますますギルド内で引っ張りだこになっているらしい。


「でも、これで私もサークラにならなくて済みそう」

「どうかにゃー。男だからサークラにならないという考えは甘いかも。まぁがんばりたまえ」


 あめしょーは、アイナの持ってきたクッキーを頬張る。


 まぁ、あめしょーの見る限りにおいて、ザ・キリヒツ(業務用)の雰囲気は健全である。アイナの周りにトラブルは耐えない様子だが、以前ほどギスギスした空気はないし、栄光の7人キリヒトは皆同じタイミングで同じ傷を負った仲間として、さらに結束を強めている。


「どうしようもなくなったらぼくに相談しなさい。というわけでアイナ、フレンド登録しよう」

「いいよー。わぁ、女の子とフレンド登録するの初めてかも」

「ぼくもナロファンでネカマとフレンド登録するのは初めてだにゃー。よろしくー」


 あめしょーとアイナはキャアキャア言いながら互いの名前をフレンドリストに加えている。キリヒト(リーダー)は、それを傍目に、ひときわ大きなため息をついた。

 たとえ男でも、アイナはアイナだ。キリヒト(リーダー)は確かにそう言った。おそらく彼の言葉に偽りはない。たとえこの先、リアル女子中学生の〝アイナ〟が登場したとしても、彼らの心は巌のごとく動じないことであろう。外見と能力の再現率が高く、プレイヤースキルも高く、気配りもでき、おまけに料理もしっかりできる。これ以上のアイナなど、求めるべくもない。そういったところだろう。


 それでも、抜け殻のようになったキリヒト(リーダー)が立ち直るまでには、一週間ほどかかったという。

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