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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
アイリス/邪悪なる意思
16/50

(9)

 キルシュヴァッサーとヨザクラ、ティラミスとガスパチョの攻防は佳境を迎えつつあった。

 過去、一時的な廃課金により超効率のレベリングを施されたキルシュヴァッサーは、ナローファンタジー・オンラインにおいてはすでに最強プレイヤーの一角だ。こと防御性能においては、目の前にいる騎士団最堅コンビに勝るとも劣らない。通常であれば、いつ終わるとも知れぬ壁と壁の殴り合いになるわけだが、キルシュヴァッサーは、攻撃手段を優れたダメージ効率と武器ロストのリスクを併せ持つアーツ《ブレイカー》一点に絞ることで、弾数限定の超破壊力を有している。

 加えて、回避、敏捷系に特化したヨザクラとのコンビネーションプレイは抜群であった。このゲームでは、プレイヤーの意識のフォーカスを操作することで、PvPにおける挑発系のアーツの使い道を広げている。ティラミスとガスパチョが遠距離攻撃手段に乏しいことを利用し、距離を取りながらメンチを切りまくるヨザクラのプレイングは、実に効果的であり、かつまた大変下品であった。


「ヨザクラ、いつの間にそんなに【品性】を落としていたんですか……」

「内部データの解析によると、お父様が最初にキャストオフした時点ですでに底値を割っています」

「なるほど」


 ヨザクラは、ガスパチョに振り下ろす斧を盾でいなしながら、眉にしわを寄せた。マフィアルックにサングラスをかけた彼の姿は、おおよそナロファンらしからに威圧感で満ち溢れている。カイトシールドと課金剣という装備の組み合わせが、致命的に似合っていない。


 今までは重騎士らしい装備で固めてはいたが、今後ともこの衣装で行くなら、盾はやはりリングシールドが欲しいところだ。


「リングシールドってどうやって手に入るんでしたっけ?」


 キルシュヴァッサーが課金剣を構えると、ティラミスとガスパチョは素早く盾を突き出し後ろに下がる。


「カタコンベ下層部でレシピのドロップを狙うか、新フィールドの機怪渓谷で実物のドロップを狙うのが効率良いですよ!」

「セキュリティゴーレムがリングシールドを落とす確率は双頭の白蛇デュアル・サーペントの検証結果によるとだいたい200分の1だ!」


 ティラミスが叫び、ガスパチョが追加情報をフォローする。キルシュヴァッサーは例を言いながら課金剣を叩きつけた。


「どうも!」


 キルシュヴァッサーのストックしている課金剣は、アイリスによって強化が施されている。理論上、アーツ《ブレイカー》によって到達しうるほぼ最上限の攻撃力を発揮できるような調整だ。都合4発目となるこの一撃は、堅固な防壁の上からでも、相当量のダメージを算出しうる。ティラミスとガスパチョが同時に膝を折った。


「さて、どうなさいますか」


 キルシュヴァッサーはアイテムインベントリから5本目の課金剣を取り出している。その背後で、ヨザクラが無表情のまま《メンチ・アイ》を飛ばしていた。

 ティラミスが、その端正な顔を忌々しげに歪める。


「敵に辱めを受けるくらいならば死んだ方がマシです。殺しなさい!」

「女騎士としては模範解答ですなぁ。では遠慮なく」

「あ、ちょ、ちょっと待って」


 課金剣を振りかぶったキルシュヴァッサーの前で、ティラミスがメニューウィンドウを開いて操作をはじめる。ひとまず彼はちょっと待つことにして、隣で膝をついたままのナマズ髭のドワーフに顔を向けた。


「ガスパチョ殿はどうなさいます?」

「我々の仕事には死ぬことも含まれる。是非もない」

「わかりますよ。壁役って本当に素晴らしいものですよねぇ」


 キルシュヴァッサーとて当初のビルドコンセプトは暗黒課金卿などではなかったのだから、目の前の二人とは通じるものを感じてしまう。ここ最近はテーブルトークRPGともご無沙汰だが、幼少期から彼女は壁役のファイターを作るのが好きだった。一番好きな黄金聖闘士は牡牛座タウラスアルデバランであり、五車星では山のフドウがイチオシだ。そもそもキルシュヴァッサーさくらこの初恋の相手からして、味方の退路を維持するために敵と戦い散っていったような男である。彼らの生き様はその胸中に生き続けているのだ。


 だがそれはそれとして、今のキルシュヴァッサーは邪悪なる意思アイリスに仕える暗黒課金卿なので、目の前の二人に対して無慈悲な鉄槌を振り下ろすことになんの躊躇も持たないのである。


「準備はオッケーです! いつでも来なさい!」


 セレスティアルアーマーをはじめとするレアアイテムをすべて共有インベントリにぶち込み、みすぼらしい装備一式となったティラミスがガッツポーズで言った。


「ティラミス、それはさすがにどうか」

「まぁ良いのではないですか。気持ちはわかりますよ」


 苦言を呈すガスパチョに、キルシュヴァッサーは肩をすくめる。そして、マフィア風暗黒課金卿は、課金剣を改めて構え直すと、二人に対してこのように続けた。


「ギルドハウス本部に戻られたら、騎士団のみなさんにこのようにお伝えください。秋の味覚は我々アイリスブランドのものだと」


 この時彼らは、頭上を超高速で突き抜けていく謎の飛行物体の存在には、気付かなかった。






「ぐああ。肩を射抜かれた」


 ボウガンの矢が無慈悲なダメージを計上し、オトギリは山道をごろごろと転がっていった。パルミジャーノは面白がるでも、手を抜くでもなく、堅実に彼を追い詰めていく。彼我のレベル差は圧倒的であった。どれだけオトギリが《メンチ・アイ》の使い手であったとして、できることは相手の注目を自分に集めるくらいであって、ソロ戦闘においては正直なんの役にも立たない。

 そもそもオトギリは戦闘の大半を優秀な秘書山くんに任せていたので、彼自身のプレイヤースキルはほとんど成長していないと言って良い。立派な寄生プレイヤーであり、トッププレイヤーのひとりであるパルミジャーノに対してここまで命を長らえていること自体が奇跡に等しかった。彼にできることと言えば、あとは毒ナイフを舐めることくらいだ。


「これで終わりにさせてもらうぜ、毒ナイフの兄さん」


 パルミジャーノは冷徹な声で言い放って、ボウガンの矢尻をオトギリに向ける。


「なにか言い残すことは?」

「その矢には毒が塗ってあるのかい?」

「ないよ」


 毎回ナイフを舐めて死んでいるオトギリであるので、正直ここでパルミジャーノに負けることに対してなんの恐怖も感じていない。ただ、ここでオトギリが負けてしまえば、パルミジャーノはアイリスとネムを追いかけるだろう。それはあまり、オトギリにとって愉快な話ではないのである。

 オトギリは、パルミジャーノに追い詰められながらも、メニューウィンドウを開き、ちらりと時計を確認した。


「何を気にしてるんだ? キルシュヴァッサー卿が後ろから追いかけてくるとでも?」

「いやぁ、今日は公判なんだよなァ」


 オトギリが笑うと、パルミジャーノは訝しげに眉をしかめる。


「誰の……」


 彼がそう尋ねようとした時だ。

 二人の頭上、はるか上空を、超高速で突き抜けていく飛行物体があった。飛行物体はそのまままっすぐに火山帯の深奥部を目指したが、オトギリ達の頭上でふたつの〝荷物〟を投下する。〝荷物〟は地上に向けてまっすぐに降下し、やがて巨大な衝撃をまき散らしながら山道に落下した。

 舞い上がる土煙の中で、ふたつの人影が立ち上がる。


 一人は、肩スパイクを生やした大柄のモヒカン男であった。

 もう一人は、すらりとした背丈が印象的な、中性的な女であった。


「意外と早かったじゃないか。秘書山くん」

「茅ヶ崎さんが帰りに拾ってくださったので」

「本名出すのはやめて」


 ファイティングポーズを取ってパルミジャーノと相対するユーリは、二人のモヒカン男のやり取りに釘をさした。当のパルミジャーノは事情がわからずに困惑を隠しきれていない。

 それを尻目にオトギリは続けた。


「で、判決は?」

「懲役2年の実刑判決です」

「まァそんなところかァ。僕が主犯ってのが検察の見方だからなァ。僕は3年貰いそうだな。石蕗が訴えてこないと言っても、名誉毀損罪でも立件されてるし、毒劇法違反もあるしなァ」

「お役に立てず申し訳ありません」

「いいよいいよ。ゴネれば短くなるかもしれないけど、ローズマリーくんの人格を認めるような法整備が進んでるらしいし、これが済んじゃうともっとめんどくさいことになりそうだから、さっさと終わらせて罪を償おう」


 モヒカン男たちの会話を聞いて、パルミジャーノはドン引きしていた。


「この二人はなんの話をしているんだ」

「私に聞かないで」

「社長、その新しい服、お似合いです」

「イイだろ? ネムくんのデザインでね」


 ひとしきり話すべきことを話して気が済んだのか、オトギリと秘書山モヒカンはユーリの左右に並んだ。彼ら三人のレベル平均で言えばパルミジャーノを大きく下回るが、オトギリと秘書山モヒカンは対人戦を意識したキャラクタービルドであるし、ユーリはそのメインクラス自体がPvPに適した格闘家グラップラーである。ここでこの三人を相手にしては、さすがのトッププレイヤーも有利とは言い切れなくなる。


「なんだ、ユーリくんはえらく張り切ってるなァ。アイリスくんのためか?」

「それもあるけど、」


 ユーリはパルミジャーノを正面から睨む。その瞳には八つ当たりに近い感情が滲んでいた。


「今はチャラ男なら誰彼構わず殴り飛ばしたい気分で」

「え、チャラ男って俺のこと?」

「なにかあったんですかユーリさん」

「どうせ大学入学当初からしつこくアタックを仕掛けてきた先輩を何度も何度も断ったがだんだんまんざらでもなくなってきてOK出して付き合って見ちゃったけど相手方の浮気が最近発覚してボコボコにしちゃってまだ怒りが収まってないとかそんなところだろう彼女みたいなクソ真面目で股の堅い女にはよくある話だよ」


 ユーリはじろりとオトギリを睨み、オトギリは肩をすくめた。パルミジャーノも不満を露わにする。


「熱い風評被害だ。俺は一途なのに」

「まぁなんでもいいじゃないか。3対1だ。さっさとこの男を倒してネムくんの加勢に行こう」


 パルミジャーノはボウガンを構え、ユーリはその先端部をじっと見つめながら一歩前に出た。この狭い山道は逃げ場がなく、距離を取って攻撃できれば飛び道具持ちは圧倒的に有利となるが、格闘家グラップラーには遠距離攻撃に対する《ウェポンガード》に補正をかけるスキルが存在する。こうなると、有力な攻撃手段を封じられるパルミジャーノが不利だ。

 秘書山モヒカンも巨大なバトルアックスを取り出して、凶悪なスマイルを浮かべて見せる。オトギリはいよいよたまりかねた様子で毒ナイフを舐め回しながら叫んだ。


「このナイフにはなぁ、毒が塗ってあるんだぜぇ!」


 そのままパタリと倒れ、ゆっくりと消えていく。その表情はどこか満足げであった。


「2対1になったな」

「そうだね」


 パルミジャーノとユーリは、互いに神妙な顔で頷きあった。






 ナロファンにおけるPvPにおいて、魔法職同士の戦いというのは滅多に発生しない。詠唱時間を必要とする魔法職はそもそも対人戦において不利であり、彼らの仕事は前衛に守られながら広範囲の敵を殲滅することだ。前衛が潰された時点で魔法職プレイヤーは負けたも同然なのである。

 なので、このゲームにおいて魔法職同士の戦闘というものは発生しにくい。それが16レベルと132レベルのものともなれば尚更である。


「おまえたちの友情には感動したが、勝負とは別だ」


 真っ赤に泣きはらした瞳で、魔人ゴルゴンゾーラは言った。


「我が魔術の秘奥をもって、おまえを叩きのめす。この〝魔人〟ゴルゴンゾーラの前に立ちふさがったことを公開するが良い」

「あの、ちょっと思ったんですけど、ひょっとしてゴルゴンゾーラさんって友達が……」

「り、リア友が二人もいれば十分だろ!」

「じゅ、じゅうぶんですわね! わたくしは一人しかいませんもの!」


 誰も幸せにならない会話である。二人がやっているのは、まさしく魔術に依らないノーガードでの殴り合いに等しかった。

 ネムとしては、アイリスを見習い、なるべく口撃にてゴルゴンゾーラをやり込めるしか時間を稼ぐ手段はないと思っているのだが、ヨコシマな感情から解き放たれ、単なる『ちょっと人が好い御令嬢(28)』というキャラクターを確立してしまった彼女には、全盛期のような精神攻撃を望むべくもない。下手に攻撃すると反動ダメージで自分が辛くなる始末であった。


 いよいよ口撃の弾も尽き、あとは魔人の圧倒的な魔術でひねり潰されるのを待つのみ、と、なった時である。


 火山帯の遥か上空。空気を引き裂いてこちらへ直進する影があった。ネムとゴルゴンゾーラが同時に気づいたのは、まったくの偶然に過ぎない。最初は豆粒のようであったそれは、風切り音と共に徐々に大きくなっていく。


「あれはなんだ、鳥か!?」

「飛行機ですの!?」


 影はやがて二人の間を擦りぬけるようにして、砲弾のように着地した。もうもうと土煙を巻き上げながら、山道をスライディングしつつ旋回する。最終的にその闖入者はネムを庇うような立ち位置で、ゆっくりと立ち上がった。

 片手を上げて、曰く、


「よう、俺だ」

「あなたは……!」


 ぴっちりとしたプレートメイルで胸部を覆った機械仕掛けの男を前に、ネムは思わず息を呑む。


「あなたは……! あなたは……あなたは、えっと。あの! 鍛造組の! えっと」

「無理に思い出さなくていい」


 マシンナーの鍛冶師ブラックスミスエドワードはちょっとしょげた声で言った。ゴルゴンゾーラはローブの下から驚愕に打ち震えた声を出す。


「ツワブキの真似か? まさかおまえがここに来るとはな、エドワード!」

「俺が真似したのはスーパーマンだ。あんな男じゃない」


 エドワードは、背中で交差させるように背負った二本の剣を引き抜き、構えてみせた。ちらり、と背後のネムに視線をやる。


「アイリスさんにはまだ返していない借りがあるからな。その友人を守ることで利子分の返済とさせてもらう」

「でもちょっとカッコつけた登場狙ってたんだろう?」

「うるさい。飛べるなら誰だってやるだろう」


 果たして、形成は完全に逆転した。エドワードは、長期出張などにより多くのトッププレイヤーから実力を引き離された身ではあるが、近接戦闘に特化したその実力は決してバカにできるものではない。増してや、相手が完全魔術戦特化の魔法職ともなれば尚更である。二刀から繰り出される多彩な連撃であれば、ゴルゴンゾーラ一人をいなすのは容易いことなのだ。

 ゴルゴンゾーラはじりじりと距離を離しながら、不意に詠唱をカットした簡易攻撃魔法を放つ。エドワードは右手の刀を振り上げて、《ウェポンガード》を試みた。ゲーム内最強の魔術師メイジである。ガード差分をすり抜けた余剰ダメージが、エドワードのHPゲージをチリチリと焦がす。


「ネムさん、」


 ちらちらと進路の先に目をやる彼女に対し、エドワードは努めて冷静な声で言った。


「は、はい。なんですの?」

「アイリスさんに駆けつけたい気持ちはわかるが、深奥部の出現MOBは強力だ。すこし待っていてほしい」

「は、はぁ。まぁ、構いませんけれど」

「どうした?」


 何やら言いたげにしているネムに対し、エドワードが問いただす。彼女はやや遠慮がちに、しかし存外にはっきりとした声で告げた。


「一朗さんの真似をなさるなら、もっとこう、角度をですわね?」


 マシンナーの鉄面皮が思わずヒクついたのを、ゴルゴンゾーラは見逃さなかった。






 灼熱の溶岩地獄。火山帯の深奥部である。かつてここには、マギメタルドラゴンと呼ばれるグランドボスが存在した。現在でも特定のイベントをこなせば、かのボスと手合わせをすることは可能だが、季節イベントが配信されている現在ではその姿を拝むことはできない。


 アイリスとストロガノフは、周囲を覆う溶岩の熱などまったく気にしていないかのように、相対しにらみ合っていた。


「ずいぶんと強気だな。アイリス」


 アイリスは腕を組み、中折れ帽の下から除く鋭い眼光と共に、不敵な笑みを浮かべている。ストロガノフの言う通り、彼女の態度は不敵であり、どこまでも強気であった。


「まさか俺に勝てると思っていると、そういうわけでもあるまい」


 状況が状況であるためか、ストロガノフの演技ロールプレイにも熱がこもる。

 この男が演じているのは圧倒的な強者だ。ゲーム内最強ギルド赤き斜陽の騎士団レッドサンセット・ナイツを牽引し、自らのアバターもその立ち位置に恥じぬレベルへと鍛え上げてきた。実レベル193はナローファンタジー・オンラインにおいて比肩しうる者が存在しない。100レベルを超えた途端に、レベルアップが極端に遅くなるこのゲームにおいて、200レベルを間近に控えたプレイヤーというのがそもそも希少である。

 全身を覆う鎧はマジックアイテムであり、たなびく豪奢なマントもまた然りだ。彼が片手に携える魔剣サワークリームは、内部的には両手剣の強力なマジックアイテムであると聞く。その威容たるや凄まじく、多くのプレイヤーは実力とあいまったストロガノフの勇姿に、鮮烈なるカリスマを感じることだろう。


 だが、


「ええ、勝てるとなんか思ってないわ」


 その強さこそがストロガノフの弱点である。


「弱い者イジメが得意なあなたにはね」


 ストロガノフの口角がヒクつくのを、アイリスは見た。彼の弱点はここだ。分析が間違いないことを確認する。

 彼はまだ臨戦態勢には入っていない。演技派であるストロガノフは、なんの前フリもなしに敵対プレイヤーを両断することを躊躇するだろう。そう、前フリが必要なのだ。ストロガノフにとってこの状況は、イベント前に発生した敵キャラクターとの会話にほかならない。


「弱い者イジメとは言ってくれるな、アイリス。確かに俺とおまえの実力には開きがあり、おまえを倒してしまえば弱い者イジメになるわけだが……」

「ええ、そうよ。仕方がないわね。そこに文句は言えないわ。あなたはこのゲーム内で一番レベルが高いプレイヤーだもの。その実力は数字が証明しているし、あなたより強いプレイヤーなんかいやしないわ。数字の上ではね?」

「な、何が言いたい……」


 網にかかった。微かな手応えがある。アイリスは内心のガッツポーズをこらえ、歌うように続けた。


「教えてあげるわストロガノフさん。御曹司はゲームを辞めた。キングキリヒトは学校に行くようになってログイン時間が減った。二人がいなくなってあなたはさぞ満足してるんじゃないかしら。あなたの唯一の個性である〝強さ〟を脅かすプレイヤーがいなくなったんだもの。でもね、二人がいない以上、あなたはどんなに強くなっても最強にはなれないわ」


 おそらくは、ストロガノフ自身がもっとも苦々しく思っているであろう事実を、アイリスは突きつける。


「懐かしいわねー覚えてる? あの亡魔領でのイベントクエストのこと。二人の戦いを見てあなたは思ったはずよ。自分は決してこうなれない。それがあなたの限界よ。ストロガノフさん」

「言いたい放題言ってくれるじゃないか……。りょ、良心の呵責はないのか」

「良心なんぞウジ虫だわ。御曹司は言ったわね。カネが自分の才能の延長線上にあるなら、それを駆使して勝利を得ることには躊躇しないって。あたしもそうよ。あなたは戦いの覚悟もなく、ただ自分のフィールドでだけ戦えると思って余裕ぶっこいてたに過ぎないんでしょーが。何が最強のギルドよ。笑っちゃうわね。ちゃんちゃらおかしくってヘソから間欠泉が吹き出すわ」


 ぶしゃあ、という音がして、壁から間欠泉が吹き出した。

 ここではっきりさせておこう。アイリスも決してストロガノフが憎くて言っているわけではない。彼女は今、必死なのだ。正面から愚直に勝負を挑み、あっさり切り倒されれば、それはきっと楽なことだろう。アイリスの心の履歴には、自分は正面から挑んだが、やはり最強ギルドのリーダーには叶わなかったという、ただそれだけの事実が残る。誰も傷つかない、幸せな選択だ。


 そんなものウジ虫である。


 アイリスは言ってしまった。自分の望みのために躊躇は決してしないと。やりたいことをやるのだと。それが悪となじられようが一向に構わないと。どのような謗りを受けようとも、アイリスは勝たねばならない。キルシュヴァッサーも、ヨザクラも、オトギリも、そしてネムも。何のために自分をここまでこさせてくれたのか。彼らに報いるために、わずかな勝利の可能性も手放すわけにはいかないのだ。ヘラヘラ笑って『挑んだけど負けちゃったわ』なんて言うつもりは、アイリスにはない。勝てる可能性があるなら、どんなに醜くなろうと食らいつく。


 アイリスも鬼では……、


 いや、この時アイリスは、正真正銘の鬼と化した。


「ストロガノフさん、あなたは弱虫よ。はっきりと言うわ。あなたは弱虫なの! 自分より弱い奴と戦うことでしか安心できない、自分を安全圏においているだけのね! あなたが得ようとしているのは栄誉でも名誉でもなんでもないわ。単なる安心よ。リアルのセルゲイ田中さんは小柄で人の良さそうなレストランの店長だったわね。じゃあ今のあなたは? 屈強な男を演じているだけの単なるイタい人でしょう? 良いわ、私を叩き切るなら叩き切りなさい。でもそんなことをしても、あなたは微塵も強くなったわけじゃあないのよ! ざまーみろ!」

「うおおおおおおおおッ! 聞く耳持たああああああああんッ!!」


 ストロガノフは自らの耳たぶをつまんで、強引に引きちぎった。


「フハハハハ、どうだアイリス! おまえは知らなかったかもしれないが、このゲームは耳を引きちぎることで聴覚情報が遮断されるという裏ワザがあるのだ! 製作陣の正気を疑うが、おまえの口撃はもう俺には通用しないぞ!」


 アイリスはアイテムインベントリからホワイトボードと黒のマーカーを取り出してストロガノフへの罵倒を書き連ねはじめた。ストロガノフは悲鳴をあげてひっくり返った。


「や、やめろ! くそっ、目を瞑ろう! そうすれば醜いものは何も見なくて済む! どうだアイリス、俺の防御形態は完璧だ!」


 とうとう両目を閉じてどっかりと腰を下ろしたストロガノフである。アイリスはマーカーを握った手を止め、ストロガノフを眺め、その周囲をしばしうろうろする。彼は自分の周囲で何が起きているのか、まったく把握できていないようだが、それでも得意気な表情をしたままだ。やがてアイリスは意を決したようにストロガノフの巨体を蹴り倒した。


 ゲーム内最強ギルドを率いる〝鬼神〟ストロガノフは、自信満々な笑みを浮かべながら溶岩の海に沈んでいった。

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