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VRMMOをカネの力で無双する サブアカウント  作者: 鰤/牙
アイリス/邪悪なる意思
14/50

(7)

「ひゃあっ」


 般若面に連れ去られたアイリスは、散々連れ回された挙句、ゴミを扱うかのように地面に投げ捨てられた。だがそこはさすがの彼女だ。すぐに顔を上げ、ゆるふわ花柄コーデに身を包んだモテカワ般若面を睨みつける。ここでビビって臆さない程度には、アイリスも成長していたのだ。


「マツナガさんのところのゆるふわ忍者ね。あたしに何の用よ。っていうかここどこよ」


 アイリスが周囲を見渡しても、そこは見覚えのある光景ではない。周囲を背の高い岩壁に囲まれた、決して広くはない空間であった。地熱によって植物がほとんど自生していないところから見るに、火山帯の一角であることは間違いないだろうが、このような場所があったとは知らなかった。

 アイリスはしばし般若面を睨みつけていたが、疑問に対する答えは、別の方向から飛んできた。


「いわゆる隠しエリアですよ。このゲームには、こういった場所がいくつもあるんです」


 粘り気のある、絡みつくような声である。アイリスの知る限り、このような喋り方をする人間は世界に二人しかいない。一人がアイリスブランドのギルメンで、なおかつポニー・エンタテイメント社の前CEOオトギリであり、もう一人が、そう、


「マツナガさん……」


 今目の前に現れたエルフの斥候スカウト・マツナガである。


「このゲームの素晴らしいところはマップの作り込みですからねぇ。普通だったら見られないようなところもこうやって精密に作り込んでいるから、『秘密基地』が作りやすいんですよ。飛行手段を持つプレイヤーでなければだいたいは気づけないでしょうね」

「救援を期待するなって言いたいのね」

「まぁそれもありますね」


 アイリスは立ち上がって、マツナガを睨んだ。レベル差でいえばとうてい叶わない相手だということはわかっている。後ろには般若面のゆるふわ忍者もいることだし、彼らがその気になればアイリスの貧弱なHPゲージは10秒ともたないことだろう。だが、しょせんはゲームだ。死んだところで失うのはアイテムだけと考えれば、十分強気に訴えられる。

 加えて、生かしてここに連れてきたことを考えれば、マツナガもそうそう手荒な手段に出ることはないだろうと、アイリスは踏んだ。


「で、あたしに何の用なの」

「俺はもう、あんたに用なんかないですよ。俺はね」


 マツナガの瞳は冷めたものだった。彼が肩をすくめると、石床を蹴る靴音が響き、ひとりの男が姿を見せる。黒い装束に仮面、そして黒マント。戦闘ギルド・アンチクロスのリーダー、すなわちダークキリヒトであった。アイリスは、へその下に込めたばかりの勇気が、萎縮しかけるのを感じる。


「手荒な真似をしてすいません、アイリスさん」


 ダークキリヒトは両手を広げ、芝居がかった仕草で言う。


「ただこうでもしないと話を聞いていただけないと思いましてね」

「まるで、こうすれば話を聞くとでも言いたげだわ」


 アイリスの頬を冷や汗が伝った。感情トレース機能は日々進化しているようで、余計なエフェクトまで追加してくれる。


「重ねて言いましょう、アイリスさん。俺たちアンチクロスのリーダーとなって、俺たちのPKを導いてください。この世のすべての邪悪の体現者となって、このナローファンタジー・オンラインを恐怖と混沌の坩堝に叩き込むのです」


 ダークキリヒトの言葉が、じわじわとアイリスの心臓を取り囲む。やがて言葉から伸びた手が、彼女の心を鷲掴みにした。アイリスは身動きがとれず、自身の鼓動が早鐘を打つのを効く。それはミライヴギアと電気信号が生み出した錯覚に過ぎないのか、あるいは、半覚醒状態にある彼女の脳が、今自宅のベッドで寝っ転がっているであろう杜若あいりの心拍を拾っているのか、今のアイリスには判断がつかない。

 ダークキリヒトの言葉は決して甘美ではない。アイリスからすれば、醜悪で唾棄すべき内容だ。だが、彼の言葉は、彼女の心の奥底にある、蓋をされた部分を強く強く刺激する。自分の中で何かがカタカタと音を立てているのを、アイリスは聞いた。


「古今東西、英雄と呼ばれた人間はすべて悪でした。不条理な虐殺こそが歴史に名を残すのです。織田信長然り、チンギス・ハーン然りです。我々もそうなりましょう。アイリスさん。俺は、あなたにこそその才能があると思っている。そして……えー、あー、……えっと、なんでしたっけ?」

「あんた肝心なところでダメだね」


 マツナガが冷めた声でカンペを手渡し、ダークキリヒトは頭を掻きながらそれを受け取る。


「失礼しました。えっと、そう。別にあなたが矢面に立たなくてもいい。あなたは後ろから、我々にただ命じて頂ければ良いのです。〝殺せ〟とね」

「…………」


 アイリスは黙ってダークキリヒトの言葉を聞いていた。この時、アイリスの心の中には、ひとつの明確な意識が芽生えていた。それはほんの些細な感情によるものではあったが、間違いなく彼女の心根、本性から生じた意識である。それを自覚したとき、アイリスはこう思った。

 これでは、自分が悪と呼ばれるのもやむなしであると。

 アイリスは笑った。それは自嘲であり自己嫌悪であった。小さく息を漏らして、次にこう言う。


「あんた達、今回のイベントでやらかすつもりなの?」

「それは引き受けてくださるということですか」

「そんなことどうだって良いでしょ。質問に答えて」


 自分でも驚く程に底冷えするような声であった。ダークキリヒトはわずかな躊躇の後に、答える。


「ええ、アイリスさんが命じてくれるのなら。イベント初日である今日にでも、PKの準備はできていますよ。スタートダッシュが肝心ですからね」

「ふーん。始めたばかりの初心者や、戦闘が苦手な生産職系プレイヤー達だっているかもしれないわよ」

「関係ありませんよ。アイリスさんがやれと言えば、俺たちはやります」

「わかったわ」


 アイリスは腕を組んで頷いた。


「あんた達に命令を下してあげるわ。連れて行きなさい」

「本当ですか!」


 ダークキリヒトは、声に喜色をにじませる。


「ではまずアンチクロスに加入してください。ギルドリーダー権の委譲は、各街にある協会支部まで出向かなければなりませんが……」

「リーダーの兼任はできないんでしょ。一度アイリスブランドを解散させるか、あたしもリーダーを他の人に譲んないといけないのよね」

「時間がかかりますね。後で良いでしょう」


 ダークキリヒトが勧誘メッセージを送信し、アイリスがそれを受け取り承認ボタンを押す。アイリスの名が、PKギルド・アンチクロスのメンバー表に連ねられた。マツナガはそれを遠巻きに眺め。どこか退屈そうにため息を漏らしている。

 ダークキリヒトは、そんなマツナガの視線には気づいていない。彼に向き直ってこう言った。


「松永先輩、連れて行ってもらっていいですか」

「ま、良いでしょう。お手伝いするのはこれが最後ですよ」


 マツナガがパチンと指を鳴らすと、周囲に般若面のゆるふわ忍者軍団が出現し、アイリスとダークキリヒトを抱え込む。直後、忍者シノビクラス特有の跳躍力で、彼らは一様に石壁を飛び越えた。ゆるふわ忍者に運搬されたままの情けない姿で、ダークキリヒトは愉悦の笑みを浮かべる。


「カタストロフは近い……!」


 ま、そうね。

 アイリスは心の中で軽めに同意をしておいた。





 ヴォルガンド火山帯の中腹である。騎士団の出張所を中心に、プレイヤーの人口密度が一番高くなっているエリアがあった。集まったプレイヤー達は、ざわめきながら、やや高めの岩場に出現した黒い仮面の男を眺めていた。多くのプレイヤーは、その顔に不安の色を落としている。その佇まいは、情報サイトで語られるPKギルドのリーダーそのものであったからだ。仮面の男はひとりではなく、同様の姿をしたギルドメンバーが周囲を囲んでいる。少し離れた場所では、マツナガが岩に背をあずけ、退屈そうにその様子を見守っていた。

 やがて人垣を割るようにして、騎士団のリーダーであるストロガノフが現れた。彼だけではない。騎士団の精鋭である四人。すなわち、ガスパチョ、ティラミス、ゴルゴンゾーラ、パルミジャーノ・レッジャーノも一緒だ。パーティ単位で考えた場合は、おそらくゲーム内最強となる五人組である。


「ダークキリヒトだな」


 先頭に立つストロガノフが胴間声をあげた。


「何をしにきた。ここで無差別PKなどというふざけたことをするつもりではないだろうな」


 団長の言葉に呼応するかのように、四人の精鋭がそれぞれの得物を構える。それを見て、ダークキリヒトは鼻を鳴らした。


「騎士団はいつから自警団の真似事をするようになったんです」

「秩序を乱すものは許せんと言っている。PvPがやりたいのなら他でやれ。わざわざ他人を巻き込むんじゃない」

「秩序。秩序ですか。そんなものがなんだと言うのです」


 ダークキリヒトは両手を広げ、歌うように言う。


「実にくだらない。秩序など真なる混沌の前では無意味ですよ。ストロガノフさん、無差別PKと言いましたね。それを〝やるつもり〟なのは、決して我々ではない。もっと巨大なるものの意思なのですよ」

「巨大なるもの、だと……!?」


 ストロガノフも演技派である。決して彼の言葉すべてがロールプレイではないのかもしれないが、少なくとも、重みのある声で聞き返す様は、間違いなくこの場の緊張感と雰囲気を高めるのに一役買っていた。とうとうダークキリヒトは『バッ』とマントを広げて、高らかに宣言する始末である。


「そう、今この瞬間をもって、我らアンチクロスは真なる邪悪として新たな産声を上げるのだ! 新たなるリーダーの意思のもと、邪悪なる意思のもと、このアスガルドに虐殺の歴史を残す!」


 ダークキリヒトの横に、後ろからひとりの少女が姿をみせた。

 エルフにしては背の低い、しかしエルフらしいほっそりとした身体の少女である。全身を身にまとう装束は他のプレイヤーがつけているものとは一線を画す。いわゆるアパレルファッションに近い異質な防具を、彼女は完全に着こなしていた。体温の失われた氷点下の視線で、少女は眼下に群がる有象無象のプレイヤーを睥睨する。


 ストロガノフは、かすれた声で叫んだ。


「アイリス……! バカな……!」

「団長、バカなと言いつつ、内心ではちょっと『やっぱり』って思ったでしょう」


 ティラミスが冷静な指摘をする。ストロガノフは拳を握って振り向いた。


「確かに思ったが、俺はそういうのを認めるわけにはいかない立場なんだよ!」


 アイリスに対する周囲の信頼もかなりのものである。いよいよもって、このエルフの少女は意思を固くしたのだが、それを知るものは誰もいない。


「あれが邪悪なる意思、アイリス……!」

「なんて禍々しい気を纏っているんだ……!」

「逃げろ、殺されるぞ……!」


 多くのプレイヤーはノリで言っているに違いなかったが、それでも野次馬は徐々にその場から逃げの姿勢をとりつつあった。そう、彼らはノリで言ってはいるが、誰一人として冗談では言っていないのだ。その場にいる全員が、アイリスの邪悪性を信じて疑わなかった。彼女にはそのオーラがある。

 その背中を眺めて、舌なめずりをしたのはダークキリヒトだ。彼が武器を取り出し、アンチクロスの他メンバーも、一斉に武器を構える。


「何を考えている、アイリス!」


 ストロガノフをはじめとした騎士団のメンバーは、群衆を守るように立ちはだかった。


「それがおまえのやりたかったことなのか!」

「そんなわけないでしょ」


 アイリスは腕を組んで、ストロガノフを見下ろす。


「でもね、ストロガノフさん。あたしわかっちゃったのよ」

「な、何がだ」

「人は自分の本性と、湧き上がる衝動に嘘をつけないわ。正直、かなり鬱憤が溜まってきてんのよね」


 アンチクロスのメンバーが、果たして騎士団の精鋭に勝てるかどうか。レベルで言えば騎士団の方が圧倒的であるものの、アンチクロスのプレイヤーは全員PvPに主眼を置いたキャラビルドを施されている。加えてこの士気の差であれば、一概に騎士団有利とも言い切れないものがあった。


「アイリスさん! さぁ、我々に指示を!」

「ええ、わかったわ」


 アイリスはダークキリヒトの言葉に頷き、前に出た。彼の構える黒塗りの直剣を撫でた後、アンチクロスのメンバー全員を見渡し、このような指示を下す。


「あんた達、全員その刃で自分の喉を貫きなさい」


 ぴたり、と、その場の全員が動きを止めた。それまで空気のように振舞っていたマツナガですら、彼女の言葉を疑うように目を見開いていた。


「……な、」


 最初に言葉を発したのは、ダークキリヒトである。


「何をおっしゃるんです。アイリスさん!」

「言った通りの意味よ。なに? この場にいる全員を殺せって、〝そう言ってもらえる〟とでも思ったの?」


 アイリスの態度に、アンチクロスのメンバーは動揺を見せる。彼女の言葉通り、己の得物で己の喉を貫くようなプレイヤーはひとりもいなかった。その様子を見てアイリスは笑う。それは少なくとも、ダークキリヒトが指摘した通りの邪悪さを秘めた笑顔ではあった。

 この小柄なエルフの少女は、そのまま動きを止めたダークキリヒトに向き、人差し指で胸を突く。


「まだ気づいてないようだから教えてあげるわ。ダークキリヒト、あんたがあたしをリーダーにしたかったのはね、ゲームの歴史に名を残すとか、虐殺をして英雄になるとか、そんな大層なことなんかじゃないのよ。あんたには覚悟がないの。罪もないプレイヤー、戦う意思のないプレイヤーを殺す覚悟が。とても優良なプレイヤーキラーだわ」


 呆然としているのはダークキリヒトやアンチクロスのメンバーだけではない。高台の上でひとり演説するアイリスの言葉を、誰もが清聴していた。


「だからあたしを担ぎ上げようとしたんでしょう。大義名分が欲しかったんでしょう。あたしが殺せと命じるままに殺せたら、自分の良心は傷つかないと、そう思っていたんでしょう。あんたわかってる? 〝虐殺〟とか〝殺せ〟とかいう言葉は使っていたけど、〝殺す〟とは一言も言っていないわ。〝PKする〟なんて、オブラートな言葉で予防線を張ってんのよ。結局あんたは、あたしという〝邪悪なる意思〟に頼ることで良心の呵責から逃れようとした善良な一般プレイヤーでしかないのよ。中途半端だわ。何が悪よ。笑わせないで」


 アイリスは最後までほとんど息継ぎなしに言い切ると、アンチクロスのメンバーに背を向けて、そのまま下に群がる群衆へと顔を合わせた。そして腰に手を当て、胸を張り、高らかにこう宣言する。


「あたしは違う!」


 拳を握った少女は、小柄で非力で貧相であったが、何者にも揺るがし難い確固たる意思に溢れていた。


「あたしは、自分のやりたいことをやるわ! そこに嘘をつかない! 誰かの意思に頼らない! もしもそれを誰かが悪となじるのなら、悪で一向に構わない!」


 アイリスの言葉は止まらなかった。誰にも止めることはできなかった。もしも誰かがここで彼女の首を切り落としたとしても、落ちた首で延々としゃべり続けるだろうと、その場の全員に思い込ませるだけの気迫があった。


「みんなよく聞きなさい! あたしはアイリスブランドのリーダー、アイリス! うすら笑いが気持ち悪くて『なんせんす』なぁんて言うしか能がない前任者と一味も二味も違うわ! あえて言わせてもらうわよ。御曹司は死んだ! もういない!」


 群衆の中で誰かが『おい』と突っ込んだが、無視された。


「この胸にひとつになって生き続けるなんて、気持ち悪いことも言わないわ! 昨日通りすがりの剣士の人に御曹司と過ごした楽しい時間を、伝説として残したいんじゃないかって言われたけど、それも冗談じゃないわよ! あんなのを伝説にする暇があったらあたしが新しい伝説を作る!」

「アイリスさん、そろそろ何を言いたいのかわからなくなってきてるんですけど」

「うっさいわね、まだ死んでなかったの!?」


 アイリスが睨みつけると、ダークキリヒトが萎縮したように身を細める。アイリスはようやく一息をついて、『で、』と言った。


「キルシュさん達はいつまでそこにいんの」

「いやぁ、はっはっは」


 群衆の中から、白銀の老騎士が決まり悪そうに頭を掻いていた。ヨザクラ、ネム、オトギリも一緒である。彼らはぞろぞろと群衆をかき分け、高台に登ってきた。邪魔なアンチクロスのメンバーを押しのけると、場所の悪かった一人が下に落ちた。

 ダークキリヒトが、最後の力を振り絞ってお決まりのセリフを吐く。


「ば、バカな! あなた達は双頭の白蛇デュアル・サーペントの忍者軍団が……!」

「ああ、彼らですか」


 キルシュヴァッサーが指をパチンと鳴らすと、ヨザクラとオトギリが何かを宙に放った。それはカラカラと音を立てて地面にぶつかり、散乱する。彼らを取り囲んだ人数分ちょうどの般若面は、戦いの結果をはっきりと物語っていた。


「アイリス、名演説でした。これからどうなさいますか」

「そーねー」


 アイリスは腕を組んで考え込む仕草をした後、ちらりと後ろに目をやった。そこにはマツナガがいる。先ほどまでの退屈そうな表情は、すっかり消し飛んでいた。


「マツナガさん、面白い記事のネタが欲しいんでしょ」

「えぇ、まぁ」

「あたしね、実は一日一回しか出現しないイベントボスのドロップアイテム、すごい気になってたのよね。あれを取りに行こうと思うんだけど。邪魔する奴は蹴散らしていくわよ。例え相手が誰であってもね。ごめんね、ストロガノフさん」


 ゲーム内最強ギルドを率いる男は、泣き笑いのような表情で答えた。


「気にするな。だいたいこうなる気がしてたんだ」

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