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〝秋の味覚狩りフェスタ〟は、ナローファンタジー・オンラインにて今日この日より開催される。期間限定で各所に出現するサンマやキノコ型のMOBを片っ端から倒して、ドロップアイテムに舌鼓を打とうというのがイベントの趣旨だ。
プレイヤーの方針は様々だ。強力なモンスターとレアドロップを集めまくり、ランキングに載ることを目指すもの、アイテムが消耗品である以上ここで荒稼ぎをしておき、プレミアがついたころに売りさばこうと考えるもの、趣味で磨いてきた《料理》スキルを生かすため、材料持ち込み可の露店を開こうとするもの。
こんな事態も起こった。いわゆる『釣りギルド』は、ギルドジャンルの中では圧倒的不人気であり、即席ギルドを結成する際、すでに所属しているギルドとのジャンル被りを防ぐために選ばれることが多いギルドだ。だが当然、ギルドジャンルの補正によって、《釣り》スキルを使用するアクション全般が大幅に強化される。今回のフェスタは《釣り》スキルの生かしどころであると考えた一部のプレイヤーは、正真正銘の釣りギルドを設立し、釣竿を購入してフェスタに供えスキルレベルの向上に努めた。
アイリスブランドはヌルゲーマーの巣窟である。彼らは特に何か準備をしていたわけではない。
向かいのアキハバラ鍛造組は、料理スキルや釣りスキルに補正のかかる防具を開発、販売していたし、ゲーム内最大手の戦闘ギルド紅き斜陽の騎士団は、いつにもまして激しいレベル上げに明け暮れていたが、アイリスブランドは特に何か準備をしていたわけではない。
「何の準備もしないまま、この日を迎えてしまいましたなぁ」
キルシュヴァッサーは、快晴を見上げながらのんびりとつぶやいた。
「何の準備もしない、ってことはないでしょ」
「ま、そうと言えばそうですが」
「どうせアンチクロスもドサクサにまぎれてPKをはじめるよ。心の防護壁は準備できてるかい」
モヒカン男・オトギリが薄ら笑いを浮かべながら言うので、アイリスも露骨に顔をしかめる。彼女の代わりに答えたのは、すらりとしたモデル体型を持つエルフの魔術師・ネムであった。ネムはアイリスとオトギリの間にずぱっと割り込んで、愛しの親友(10歳差)を庇う。
「アイリスさんは悪の道に堕ちたりしませんわ。わたくしが守ります」
「君も相変わらず脳みそがお花畑なんだよなァ」
オトギリの態度はネムを完全に小馬鹿にしている。あいりと芙蓉が、前社長と初めて対面したのは芙蓉の経営するMiZUNO本社でのことであり、芙蓉と前社長の関係はこの頃から継続してずっと悪い。アイリスの怒りは、彼に馬乗りになって札束で頬をひっぱたいた時点でどこか遠くへ行ってしまったのでさして引きずってはいないし、彼の指示で存在そのものが抹消されかけたヨザクラもなぜか特に気にした様子を見せていないのだが、
と、そこでアイリスはきょろきょろと周囲を見渡した。
「ヨザクラさんは?」
「遅れました」
ちょうどアイリスの言葉に呼応するかのように、メイド忍者が出現する。ご丁寧に〝しゅばっ〟という擬音までついてきていた。
「どっか行ってたの?」
「たまには忍者らしいことをしておりました」
「そうなんだ」
深くは追及しまい。
アイリス達は今、ヴィスピアーニャ平原とヴォルガンド火山帯の境目あたりにいる。はじめたばかりのプレイヤーが、ようやく最初の関門を乗り越えて到達するフィールドエリアということもあって、比較的熱意にあふれた初心者卒業生が多く見られた。このまま熱意を持続させていくか、そうならずにゲームから脱落していくかは彼ら次第だ。
「まぁ良いわ」
アイリスは言った。腰に腕を当て、アイリスブランドのギルドリーダーとして、今回のイベントにかける意気込みを語る。
「とりあえず今回のイベントはだらだら楽しむわよー」
『おー』
結局、やることが変わるかといえば、そんなこともないのだ。かくしてアイリスブランドのメンバー5人は、仲良く秋の味覚狩りのための登山を開始したのであった。
「このキノコにはなぁ、毒が」
「やめなさいって」
道端に生えたキノコをむしりとり、嬉々として口に運ぼうとしたオトギリを、アイリスが引っ張っていく。
さすがに人口密度の高いフィールドなだけあって、MOBのポップアップはそう多くない。そもそも火山に出現する秋の味覚ってなによ、と思わないこともないのだが、イガグリやキノコを模したモンスターが辛うじて登場するあたりに、運営も配置に苦労したのだなと考えさせられる。やはり中央魔海まで足を伸ばしてサンマ魚人を狩るべきであっただろうか。
「普段の火山帯では見られないキノコも自生しているようですな」
キルシュヴァッサーはお茶のフレーバーを集めるため散策することも多く、こうしたモンスター以外のポップアップに関しても目ざとい。
「とは言っても、どれが毒でどれか食べられるものかわかりませんわね」
「だから《毒物鑑定》持ちのオトギリさんを連れてきてるんでしょうが。ほら、これは?」
「僕はトリュフを探す豚か何かか」
オトギリは、ネムの差し出したキノコに顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅いだ後、言った。
「毒が塗ってあるんだぜぇ」
「捨てましょう」
「ですわね」
ネムが毒キノコを放り投げ、オトギリはそれを名残惜しそうな目で見送った。
ヨザクラは相変わらず口数自体は少なかったが、探索自体は非常に楽しんでいるようで、地面に生えているキノコを片っ端からむしりとってはオトギリに突きつける作業に没頭していた。時々辛抱たまらなくなったオトギリが毒キノコに食らいついては、キルシュヴァッサーがすかさず《キュア》をかける展開も時折生じて、オトギリは『どうしてみんな僕に毒を食わせてくれないんだ』と愚痴を漏らす始末であった。
しばらく進んでいると、赤字の布に沈む夕日を描いた旗が、そこかしこに立てられたフィールドに到達する。
「おや、騎士団の出張所ですな」
キルシュヴァッサーがぽつりと言う。とうとうそんなものまで設置するようになったのか。実によくやる。
このあたりを行き来するプレイヤーの大半が、新規参入者、ないし中堅一歩手前といったレベル層であることも相まってか、ゲーム内最強ギルドである赤き斜陽の騎士団の出張所周辺には、人だかりのようなものが出来ていた。
「騎士団の最強神話って、御曹司とキングのおかげでだいぶ揺らいだような気がするんだけど」
「集団として最強であることは依然変わりませんよ。あのお二人が異質なだけであって、このゲームのキモはパーティプレイでもありますしな」
偶然と言うべきなのかお約束と言うべきなのか、このときこの火山帯の出張所には、ギルドリーダーであるストロガノフが、進捗の確認に訪れていた。
赤髪に鷲鼻の目立つ巨漢。全身をフルプレートアーマーに覆い、エンブレムの刺繍が施されたマントを羽織り、特注の両手剣である魔剣サワークリームを片手で振り回す、トッププレイヤーのひとりだ。
彼の姿を見るにつけ、周囲のプレイヤーの間にざわめきが広がった。
「あれが、騎士団のリーダー・ストロガノフ……」
「プレイヤーレベルで言えばゲーム内でもトップらしいぞ」
「なんて頼もしそうな奴なんだ」
その賛辞を耳にして、ストロガノフも内心ニヤニヤであろうな、とアイリス達は思う。リアルでの彼は小柄な料理人だった。ゲーム内で得られる名声はストレートに気分がいいという本音も聞かされたことがある。まぁ、無理にストイックな自分を演じるよりはよほど健全な反応だとは思っていた。
オンラインゲーム廃人にありがちな、ゲーム内ステータスに依存したプライドの高さを持つのが、このストロガノフという男でもある。リアルでもかなり成功を収めている部類に入るのが、まぁちょっと妬ましい。
お供に複数の戦士や魔術師をつれていたストロガノフだが、しばらく後にこちらに気づいた。
「アイリスじゃないか。それにキルシュヴァッサー卿も」
相変わらず威圧感たっぷりにのしのしと歩いてくる男だ。
「こんにちは、ストロガノフさん」
「ヨザクラもいるな。そっちの二人は?」
「ネムさんとオトギリさん。芙蓉さんとポニーの前社長さんよ」
「すごい面子を加えたな」
やや呆れ顔になるストロガノフに対して、ネムとオトギリが軽く会釈をした。ストロガノフは、周囲をきょろきょろと見渡した後、その大柄な身体を傾けて、アイリスにそっと耳打ちする。
「アイリス、聞いた話だと、マツナガが何か動いているらしいぞ。気をつけろよ」
「マツナガさんが?」
「ああ。ここ最近はキングも復学したせいか活動がおとなしいだろ。色々と根回しをして、今回のイベントで記事のネタになるようなでっかい事件を起こすつもりなのかもしれん。マツナガは特にアイリスブランドの動向を気にしていたからな。まぁ用心に越したことはない」
赤き斜陽の騎士団と言えば、アイリスブランドとは睨み合いばかりしていた記憶がある。なので、今回のこうした忠告はアイリスにとって新鮮だった。彼女のいぶかしげな視線に気づいたのだろう。ストロガノフは苦笑する。
「俺はツワブキが苦手だっただけだよ。あんたら、今回のイベントはのんびりやるんだろ」
「うん。だらだら楽しむつもり」
「それが良い。俺たちも余計に心胆を冷やさずに済む」
ストロガノフとアイリスの会話は周囲には漏れなかったが、ゲーム内最強ギルドのリーダーに対して、物怖じをせずに会話するアイリスの姿を、野次馬達は驚嘆の瞳で見守っていた。
「あれが、アイリスブランドのリーダー・アイリス……」
「罵詈雑言の数々で言えばゲーム内でもトップらしいぞ」
「なんて邪悪そうな奴なんだ」
アイリスが声のしたほうをじろりと睨みつけると、そこにいたプレイヤー達はいっせいにたたずまいを直した。
「まぁ、なんだ。俺たちはしばらくこの火山帯に張っている。何かあったら呼ぶといい」
「ここで何かあるの?」
「深奥部に1日1回限定のレアボスが出現するらしいという情報を得ている。条件は調査中だ」
「相変わらずそういうとここだわるのねー」
アイリスが、亡魔領での一件を思い出しながら言うと、ストロガノフは肩をすくめてこう答えた。
「そういうギルド方針だからな」
騎士団の出張所を離れ、アイリスブランドのメンバーは更に火山帯を探索した。適度にモンスターを倒し、適度にドロップアイテムを集め、そろそろ美味しそうなのも集まったし一回帰ろうか、といった流れになる。この会話が飛び出したのは、そのような折であった。
「アンチクロスは動くのかしらねー」
アイリスがぼそりとつぶやいて、残る四人のメンバーは、思い思いの表情を浮かべた。
「どうでしょうかな」
最初に相槌を打ったキルシュヴァッサーの言葉は、曖昧である。オトギリはにやりと笑って、言葉を繋いだ。
「どうせ動くよ。こんなにプレイヤーがうようよしているんだ。僕と秘書山くんだったらドサクサにまぎれてやるね」
「経験者は語りますわね」
「語るともさ。良いかい、イベントっていうのは、だいたいミーハーが参加するんだ。参加しなくても楽しんでいるプレイヤーは大勢いるがね。ストロガノフ達みたいな純粋にゲーム内でトップを勝ち取るために参加する連中だってもちろんいるが、大体は運営に踊らされて流されるようなバカどもだよ。奴らは脳味噌がお花畑だから、同じ場所にいっせいに集まってワイワイやる。ここに見られるのは危機管理能力の欠如だ。ここがPKの容認されたフィールドで、一緒にニコニコしながらキノコを狩っている隣のプレイヤーも、手元の刀で真っ二つにしてやればあっさりと倒せてしまうことを忘れているプレイヤーが多い。要するにあっさり殺せちゃうんだ。Master of Epicの〝血のバレンタイン〟を思い出すね」
オトギリは、相変わらず世紀末モヒカンらしからぬもったいぶった口調で滔々と語る。最後のくだりでは、キルシュヴァッサーも苦笑いを浮かべていた。いったい何の話かアイリスにとってはさっぱりだが、ここも深く突っ込むのはやめておく。
「そんなカモを、普通はほうっておかない。普通はね。見てもみろよ。今の火山帯は入れ食い状態じゃないかァ。騎士団という目の上のたんこぶはいるがね。それにしたって、PKを狙うならやりたい放題だ。わかるだろ?」
「でもまだ動いてないじゃない」
アイリスが言うと、オトギリは肩をすくめた。
「そうなんだよ。アンチクロスはまだ動いていないみたいなんだよなァ。何でだろうなァ」
オトギリは楽しそうな笑顔を浮かべている。その表情の意味が、アイリスには不可解だった。
「アイリスくん。彼らは君を待っている。君が来るまで、彼らはこの場で虐殺行為を行えない」
「はぁ……?」
アイリスからすれば、ますます意味がわからない。ネムも言葉の意味が理解できないというように首を傾げていた。キルシュヴァッサーだけが何かを納得したように頷いており、ヨザクラは無表情でシャドーボクシングを続けている。
アイリスはひとこと『わけわかんない』とだけつぶやいて、歩き出した。ヨザクラが腕を止め、アイリスのほうへ顔を向ける。表情をまったく変えることなく、彼女は言った。
「アイリス、私の忍者としての感知ステータスによれば、」
「なによ」
「そこにトラップ〝落とし穴〟があります」
「ぶべっ」
瞬間、奇声を残してアイリスの姿が消える。彼女のいたはずの場所に、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
「どうやら忠告が遅かったようですな」
キルシュヴァッサーがのんびりと告げる。
落とし穴は多くのダンジョンで普遍的に見られるトラップのひとつだ。初歩的かつ単純な構造でありながら、VRMMO特有の三次元的な構造とダイレクトな感覚を最大限に利用したものであり、落下によるステータス的なペナルティは少ないものの、精神的なダメージと作業効率のロスは免れない。初歩的な割りには感知ステータスを上げないとなかなか気づけないので、探索職以外のプレイヤーからはウケが悪い。
「あ、あの……。早く引っ張り出して差し上げませんと……」
ネムがおずおずと切り出す。
「おっと、そうですな」
キルシュヴァッサーが落とし穴に近づいた、その時である。
耳に鋭く届く風切り音。空気を引き裂いて飛来したのは、先端部の鋭利な刃物であった。感知、反応のステータスが低いキルシュヴァッサーがそれに気づいた時には、彼の肩アーマーに三本のクナイが突き立てられていた。キルシュヴァッサーの頭上に、2ケタのみみっちいダメージが立て続けに浮かぶ。
「キルシュヴァッサー卿!」
「お父様」
ネムとヨザクラが次々に声を上げるのを、キルシュヴァッサーは片手で制した。
「ご心配なく。とは言え、」
「いやァ。この落とし穴は誰かがいたずらで仕掛けたというわけでもないんだろうなァ」
「まぁ、そうですな。こうも都合よくアイリスを引っ掛けるつもりだったのかは、わかりませんが」
キルシュヴァッサーは、カイトシールドとナイトソードを抜き放ち、構える。次の瞬間、山道に落ちた落ち葉が一斉に跳ね上がり、紅葉の木枯らしが吹き荒れた。赤に黄色、茶色にオレンジの、美しいモザイク模様が宙を踊る中に、桜色の影が複数駆け抜けていく。
路上にトラップを設置することができるようなクラスは、そう多いわけではない。もはや疑いようがなかった。
花柄の忍装束に般若面。ナローファンタジー・オンラインにその名を刻む、双頭の白蛇のゆるふわ忍者軍団である!
「わ、わたくしのデザインした服を着ていただけるのはありがたいんですけれど……」
毒ナイフを構えるオトギリ、短刀を取り出すヨザクラに続いて、ネムもまたメイジスタッブをその手に用意した。ゆるふわ忍者軍団に対して、びしりとスタッブを突きつける。
「花柄の流行は今年の春、多めに見て夏までですわ! 今は秋! 流行にあわせて着替え着こなすのがファッションですわよ! 着た切り雀はアパレルに失礼だと思わなくって!?」
デザイナーじきじきの苦言に、ゆるふわ忍者軍団はわずかな動揺を見せたが、それも一瞬である。彼らはいっせいに小刀を取り出して、身体を低く構えた。一戦交えるつもりなのだ。
その中でひとりだけ、武器を構えない忍者がいた。彼は落とし穴に飛び込むと、その驚異的な跳躍力ですぐに飛び出してくる。彼の腕の中には、いつの間にか猿轡を噛まされたアイリスがいた。アイリスはなにやらもがいていたが、抵抗もむなしく、般若面のゆるふわ忍者に連れ去られる。
「あ、アイリスさん!」
「取ってつけたようなヒロインっぷりだなァ」
「きっと彼女もさらわれたかったのです。私達と違って囚われの身になった経験がありませんから」
「何故ヨザクラはそう自慢げなのですかな」
ゆるふわ忍者軍団は、自然な足取りで四人を取り囲む。結果として、キルシュヴァッサー達は互いに背中を合わせ、四方を見張る形となった。キルシュヴァッサーは唸る。
「マツナガ殿の思惑がわかりませんな。彼もアンチクロスに通じているということですかな」
「さァ。どうだろう。アイリスくんが煮え切らないから痺れを切らした可能性もあるけどなァ」
オトギリは毒ナイフを片手でもてあそびながら、忍者が消えた方角を眺めてぽつりとつぶやいた。
「だがなんにしても、蛇は爆弾を飲み込んだなァ」




