235 私設孤児院『マチルダの家』 1
マチルダさんが天に昇ってから数日は、気持ちが塞いでいた。
唐突に涙が出てきたり、身動きが取れないくらいの悲しみに襲われたりもした。
それでも手紙を何度も何度も読み返して、マチルダさんに誇れる様に、叱られない様に、色んな事を頑張る事を決意する。
まずはやり掛けのことから片付けていこう。
アルスフィアットで以前から気になっていた事。
ずばり孤児達の問題だ。
マチルダさんも街の孤児達の事を気していたので、ゴットフリート様にベンヤミンさんを経由して相談した。
アルスフィアットに何故ここまで孤児が溢れているか調査してもらうためだ。
この街に孤児院が無いわけではない。
勿論ちゃんとある。
神殿が主導した神殿経営の孤児院だ。
領地から補助金も沢山出ているし、金額としては充分だと思う。
うちの孤児院と比べて人数も多い。
百人近くいるらしいから、手一杯なのか?
それともそもそも孤児が生まれる土壌、というか父親や両親が亡くなる原因が多いのか?
その辺を大っぴらにせず秘密裏に調べてもらう。
並行してマチルダさんのお家を使って孤児達を集めて育てる事にする。
私設孤児院から卒業する者達を管理者とした。
マーサさん、マルコを二つの孤児院の管理者として、あと五人ほど寡婦を雇い運営してもらおう。
マルコは計算があまり得意では無いので経理はマーサさんに頼んでおく。
エルマー達と入れ替わりで新しく入って育てている子に、数字が好きな子が居るのでその子を経理担当者として育てて行く予定だ。
ついでなので他の子達の今後の動きにも触れておこう。
ラーラはマルコから離れたくは無いみたいだが、かと言って孤児院で働きたいわけでも無いらしい。
どちらかと言えば嫌な記憶が呼び戻されるので孤児達とはあまり触れ合いたくないそうだ。
裁縫や刺繍、おしゃれが好きらしく、練習用の布や糸を渡すと目をキラキラさせて飛んでくる。
なので、アルスフィアットで内職をする工房を経営してもらうことにした。
本当はテレーゼもそこで働いてもらうつもりだったのだけど、テレーゼとヴィムの姉弟は帝都に出たいらしいので連れて行くことにする。
テレーゼは変な貴族に見初められない様にこちらにいた方が安全だと思うんだけどなぁ……。
まあ、ヴィムがいるから大丈夫かな?
ブリギッテの店で働いてもらって、ヴィムはそこの護衛として姉を店ごと守ってもらおう。
ラルフは最近落ち着いてきたが、やはり突発的な出来事や乱暴な大人が近くにいるとパニックになりやすい為、ラルフを理解している者が多いこちらでラーラと一緒に働く事になった。
この二人の相性はそれほど悪く無い。
程よい距離感というか、不干渉というか、必要最低限の会話やコミュニケーションしか取らないが、それが不仲や不快というわけでも無い、独特の関係性である。
この二人である程度作業が軌道に乗ったら街から人を雇っても良いかもしれない。
バルバラの娘メラニーは帝都に出たいそうだが、バルバラがまだ幼いからと許可を出していない。
なので孤児院にステイである。
その辺は二人でちゃんと話し合って下さいね。
帝都に出てくるなら働く場所はいくらでもあるよ。
マジでどこも忙しくて人が足りていないからね。
ザーラの子供二人は今回は見合わせるが、次回以降に帝都の俺の店で働きたいとの事だった。
トーマスはもう出ても良いけど、どうせならラップスと一緒に出してあげたいんだとか。
あと、そっと相談されたのが、トーマス達が帝都に出る時にザーラも同じ様に帝都に出て働くので、他の寡婦を雇ってくれないか?との事。
そうすればもう一家族を助ける事が出来るから、と。
その心遣いに胸が温かくなる。
その時には必ず、と約束して三人には裁縫の練習をしておいてね、と話した。
マルコをメインに他の子達にも手伝ってもらい、街に散らばる孤児を集める。
その中には、やはり集められる事を嫌がる者も数名いたが、とりあえず食事だけでも、と話して連れてきてもらった。
総勢三十五名。
学校のクラス一つ分くらいだな?
見た目は最初に会った頃のテオ達と同じである。
早速丸洗いだ。
魔法で作られた水の中に飛び込めと言われてドン引いていた子供達も、マルコに投げ込まれた一人がピカピカになって濡れもせずに出てきたのを見てからは素直に入ってくれた。
決してマルコに投げ込まれたくなくて逃げる様に入ったのでは無い……と、思いたい。
肌寒いこの時期なので、早速子供達を部屋に案内する。
今回はある程度人数が多いのでマチルダさんの家だ。
暖炉に焚べられた薪、床に敷かれた毛皮の敷物。
暖炉の中に吊るされた鍋では暖かそうなスープがくつくつと煮えている。
「まずはこのスープだけ、お玉一掬い分だ。夜にはもう少し多く食べられるぞ。嫌なら帰って良い」
「けっ!やっぱりほんの少しじゃねぇか!」
「いきなり沢山食べたら腹痛を起こしたり、吐いたり、下手したら死んだりするからな。少しずつ慣らしていくんだ」
洗浄魔法に放り込まれたヤサグレた男の子が言い捨てる。
その言葉を受けてニヤリと笑ったマルコの脅しの様な言葉に身慄いする子供達。
こらこら脅すな脅すな。
「マルコ」と名前を呼んでめっ!と視線で叱れば笑いながら肩をすくめる。
全く反省していないんだろうな。
二、三歳くらいの女の子が指を咥えてじっとスープを眺めている。
スープは具が無くなるまで煮詰めてある。
野菜がたっぷり入っているので栄養たっぷりで消化に優しいとろりとしたスープだ。
木のお椀にお玉一杯分を掬って入れて、手招きすると、五、六歳くらいまでの子供達が一斉に駆け寄ってきて、ぐわぐわと両手を競い合う様に伸ばしてきた。
危ない危ない!
ここ、火の側だから!
「小さい子から渡して行くよ、小さい背の順で並んでね。ご飯は沢山用意してるからみんなの分ちゃんとあるからね。取り合わないでゆっくり食べるんだよ。喧嘩したり他の人のを取ったりしたら次からあげないからね?」
慌てて子供達と暖炉の間に立ち、手で子供達を少し押して、安全圏に移動させる。
前回の経験から先に釘も刺しておいた。
背の順で、と聞いたハンスが子供達をすすすすすっと並べていく。
大変結構である。
後ろの方に並べられた子供達はハンスを睨むが、体格差がある為暴れたりはせず大人しく並んでいる。
手前の方にいる小さな子達は、ソワソワと足踏みしながら、俺の手にあるスープの入ったお椀を見つめている。
こんなに小さいのに自制出来るの本当にすごい。
というより出来る様にならざるを得なかったのだろう。
出来なかった子がどうなったか、考えたくも無いけど。
無事スープを受け取って暖炉近くに座って食べ始めた子供達、小さな子達はすごい顔で掻き込む様に食べているが、少し大きくなった子達は涙を溢しながら食べていた。
気持ちのわかる孤児院の子達が、そばについて背を撫でたり、頭を撫でたりしてあげている。
別に話をしなくても寄り添っているだけで通じ合うものがあるのだろう。
彼らの目はとても優しかった。
小さな子達は空になったお椀を見て、もっと欲しいとおねだりしてくるが、急激な食事は本当に身体に良く無い。
気を紛らわせる様に抱っこして「夜にはもっと食べようなー」と言い聞かせていると、他にも抱っこを希望する孤児達に纏わりつかれた。
他の子達も総出で小さな孤児を抱っこしてゆすると、すぐにうつらうつらと船を漕ぎ始めた。
この子達全員が眠れるベッドはまだ準備出来ていない。
野営で使うマットレスと、大きな毛皮、毛布を人数分用意した。
【アイテムボックス】から取り出せばマルコ達が大きな子供達に指示を出しながら部屋に敷いていく。
まだ、疑っている大きな子供もいるが、小さな子達は久しぶりに安心出来る場所にホッとして一気に疲れがきたのだろう。
あっという間にすやすやと寝息が聞こえてきた。
そっとマットレスの上に寝かせて毛布を掛ける。
大きな子供達も数人で交代しながら休むらしい。
ちゃんと警戒できて偉いな。
そうして夕食の準備を終わらせて孤児達の世話をマーサさんと子供達に任せると、俺はヤンスさんと共にとある店に向かった。
其処はうらぶれた裏通りの酒場。
分かりづらい場所に開かれた看板もない店だ。
調査は多角的に、とヤンスさんが言う通り、上からと下からと調査を依頼したのだった。
上からというのは勿論領主代理のゴットフリート様。
そして下からというのは、下町の少しグレーな組織、『情報屋』である。
まんまじゃん?って思ったけど、感想はそっとお腹の中に留めておく。
孤児が多い理由を調べてくれとヤンスさんが既に依頼済みで、今日はその結果を聞きにきたのだ。
「おお、お待ちしておりましたよ、坊ちゃん」
「……坊ちゃん?」
俺が足を踏み入れると、強面やらガラの悪い男達がにこやかにこちらを見ていた。
店に入ったのは俺とヤンスさんの二人だけ。
その二人のどちらが“坊ちゃん”と言われるかなんて火を見るより明らかである。
大変遺憾ながら、おそらく俺の事だよな?
聞き返すと、おそらくこの『情報屋』のボスだと思われる影のある優男が笑いながら説明してくれた。
『情報屋』は元孤児や、アルスフィアットのはぐれ者達が集まって出来た自治組織のような物らしい。
元々は一部の孤児が色々街の情報を仕入れて、困っている者達に高額で有用情報を売り付けに行って日銭を稼いでいたんだとか。
そうして一定の信用を得られると、今度は向こうから「これについて何か情報は無いか?」「あれについて調べてくれ」などの依頼が舞い込む様になった。
勿論情報を得るためにトラブルや暴力に巻き込まれる事も多かったそうだ。
そんなトラブルから身を守る為には、腕に自信はあるが、街に馴染めない者達を雇うしかなかった。
そうやってだんだんと大きくなった情報屋は、その性質上八割以上が孤児出身者である。
結局、何が言いたいかというと、俺が孤児を助けた事に感謝していたらしいんだよね。
彼等が救われたわけでは無いのに、自分達が救われた様な気持ちになったそうだ。
俺は全く気が付いてなかったけど、なんと最初からずっと彼等の監視下にあったらしい。
最初からというのは、テオを助けた時から。
それを聞いた時、怒りで目の前が真っ赤になった。
「じゃあなんでテオを助けなかったんだ!」
「あれはな、テオが悪い。手を出しちゃならねぇ事に手を出したんだからな」
怒鳴りつける様に叫んだ俺にボスは言った。
孤児とはいえ、最低限のルールというものが存在する。
冬場の薪は盗んではならない。
それを破れば孤児を排除する流れになってしまうからだ。
なので、町民がテオに制裁を加えている間は手を出さずに見ていたのだと。
なんとも嬉しそうに答えたボス。
何がそんなに嬉しいんだ?
怪訝そうに見ている俺を笑う。
「たかが孤児にそんだけ親身になってくれるやつがいるって事が嬉しいんだ。贅沢を言えばオレ達の時に何でいてくれなかったのか、とは思うけどな」
ちげえねぇ!と大笑いするメンバー達。
一応テオが命を取り留めていたら救出して情報屋のメンバーにしようと考えていてくれたらしいよ。
その前に俺が滑り込んで住民を止めて、資材を渡して“孤児”を守った。
しかもその後仲間と喧嘩して家を買い、妹やその他の子供達を保護して馬鹿みたいに金を使いまくる。
全く本人(俺の事)にとって利益にはなっていない。
何か裏があるのでは?と調査すればどことも繋がりの無い、まさかの迷い人。
「あんときゃただの馬鹿だとわかって皆で笑い転げたぜ!」
「しかも仲間もお人好しでな!」
「結局一緒になって面倒見るとかな!」
ギャハハと下品に笑っているが、笑っているだけでは出ないくらいの涙がその頬を濡らしている。
どういう事?
そうして俺たちの監視が始まった。
領主や領事館を巻き込み、子供達に衣食住と教育を与え、寡婦にまで手を伸ばす。
本来なら損失と負債ばかりが積もっていく状況なのに、子供達を使い僅かながらも儲けを出していく。
一番問題を抱えていたイザークをも陥落させ、孤児院を経営しつつハンターを続ける俺。
イザークも実は彼等の世話になっていたらしい。
本人は覚えていないらしいけど、貴族にボコボコにされた後、治療してくれたのは彼等だったのだとか。
死なない程度に水を口に運び、発熱したイザークの額に濡らした布を置いた。
全部面倒を見てやるには幼すぎて、ある程度回復したところで観察に切り替えたそうだ。
彼等にも生活がある。
それもとても楽だとは言えないものだ。
出来ることは限られている。
そんな感じでほんの少しだけ、ささやかな手伝い程度に気にしていた孤児達をあっという間に助けていく俺達に、感謝と恩義を感じていてくれた彼等は今回の依頼を頑張ったのだそう。
「勿論金は頂くぜ?」
「おう、約束通り小金貨三だ」
ちゃりっとテーブルの上に小金貨を置いたヤンスさんが悪い笑みを浮かべる。
「さて、早速聞かせてもらおうか?」




