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終末東京で、俺は戦器を握らない  作者: くらげマシンガン
第四章 『サンシャイン・シティ』編
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第三十七話 誰か、タイムマシン

「止まれ、リズ!!」


 俺もバトルスーツの出力を上げる。終末東京世界から出られないリズは、どうしても普段のトレーニングが他のプレイヤーよりも遠慮がちになる所があった。都市間の移動でも、なるべく最後尾を維持し、味方の陰に隠れられるように動いていた。だからこそ、本気で走った俺がリズに追い付けない訳が無い。


 バトルスーツを着ているリズ。しかし、俺との距離はやがて、縮まって行く。それを誤魔化す為か、リズは曲がり角を何度も曲がり、人気の少ない方へと移動していった。


 意識は前方のリズに集中する。リズが目指している先は――……展望台。建物へと駆け込んだ。しかし、展望台は閉まっているようだが……扉が開いていない。にも関わらず、リズは直進していく。程なくして、その姿は自動扉の向こう側に消えた。


 俺は、その場に慌てて立ち止まった。


 そうか、『存在の不確定フローティング・ゴースト』を使ったのか。確かにリズのアビリティであれば、閉じた建物に入る事くらいは造作もない。


 どうするべきか。俺はリズのように、障害物を通り抜ける事など出来ない。だとすれば――……


 二階、三階、と確認していく。正面入口は閉鎖されているようだが、照明は点灯している。人は居る、と云う事か。


 大きく回って、裏側へ。業務用出入口が何処かに……ある筈だ。バトルスーツの性能を限界まで活かして、展望台周辺を走り回った。程無くして、外壁に僅かな境目があり、インターホンの設置されている部分を発見する。


 躊躇う事無く、そのインターホンを押下した。


『はい、総合受付ですが』


「すいません、いつだったかここに、忘れ物をしてしまって……開けて貰えませんか?」


『……少々お待ちください』


 程無くして、扉が開いた。中から桃色の髪を持つ、事務職と思わしき女性が顔を出した。


「あなたですか? 忘れ物をしてしまったと……」


 俺が中に入るとは、リズは予想していないだろう。展望台の中に入った所で、隠れられる場所がそう多いとは思えない。若しも仮に正面入口を破ったとしても、そう簡単には見付からない場所。そして、事務職の人間が容易に訪れる事のない場所。


「エレベーターは動きますか?」


「あ、はい。ですが――」


「ありがとう」


 それだけを話し、俺は扉を開いた女性をすり抜け、中へと入った。事務職の女性は俺を引き止めた気がしたが、構わずに俺は奥へと進んでいく。


 正面入口を抜け、一直線にエレベーターホールへと向かった。……エレベーターが止まっている位置は、最上階。展望台だ。どのフロアも人が居る可能性があると判断するなら、最も人が来る可能性が少ないのはやはり、最上階の展望台だろう。利用するのは主に客だが、今日はその客が居ないと来ている。


 追い掛けるように隣のエレベーターから中へと入り、上階へ。リズが俺の事を確認するのは、実際にエレベーターが最上階に到達した時だ。次に出会う時までは、リズは隠れる場所を変える事は無いだろう。


 エレベーターが上昇して行く。身体に圧力が掛かると、焦燥していた思考に僅かな冷静さが戻って来る。同時に、リズに対する不安も押し寄せて来る。


 俺から逃げる女性がリズである事は、最早疑いようもない事実だ。幾ら終末東京に、派手な髪色の人間が多いと言っても。だが、『ヒカリエ』事件の手前までは、俺とリズは普通に会話をしていた。仮装パーティーに参加しようとしていたのだ。


 その後は、ビルの陰に隠れた一瞬だけ。


 …………一体、何があったのだろうか。


 湧き上がる疑問と不安。俺は心中穏やかになれず、エレベーターの表示を見詰めていた。


 エレベーターが展望台に辿り着く。俺は左右を確認し、広い空間に一人、立ち尽くした。エレベーターの扉が閉まり、その中には誰も入っていない事を確認する。


 確かに、『存在の不確定フローティング・ゴースト』のアビリティさえあれば、俺に気付かれずにエレベーターに乗る事も、下の階層に降りる事も出来る。だが――……俺は知っている。あれは、そう何度も連発出来るような技じゃない。これからも逃走が続くのであれば、何れ俺に捕まるのは目に見えている。機動力にも体力にも俺に分がある事は、とうにリズも気付いているだろう。


 展望台以外に、隠れられる場所があるだろうか。……慌てて此処に逃げ込んだ程だ。それなりに長い距離を走った。隠れる場所を決めていたとするなら、当てもなく逃げる事は無い筈。俺が追い掛けて来る事を想定していたなら、隠れる場所を決めていた筈。


 追い掛けて来る事が想定されていたなら、この場所は『予め決められていた、隠れる事の可能な場所』。


 追い掛けて来る事が想定されていなかったなら、この場所は『当てもなく潜り込んだ、最も安全だと思われる場所』。


 つまり、どちらのシナリオに転んだとしても、走って逃げる速度が俺よりも劣っている以上、リズは此処を離れないだろうと予想できる。


 どの道、隠れてやり過ごすしかない。


 徐ろに、俺は歩いた。


「…………リズ?」


 この場所の何処かに、リズが隠れている。


 エレベーターで降りるシナリオは考え難いと思いつつ、唯一この場所から出る事の出来るエレベーターを視界に入れながら、リズを探した。展望台には予想通り、誰も居ない――……吹き荒ぶ風だけが、この場所が地上である事を教えてくれる。人工的に吹かせる風は、これ程に荒れはしないだろう。


 何処かで、兄さんと決別した日の事を思い出していた。……あの時も確か、この場所のように風が強く吹いていた。蘇る思考の先に、表層には出なかった苦い記憶を思い出す。


 地上の喧騒が嘘のように静かだ。何処か見覚えのある景色は、同時に美しくもあったが。現実世界とは違い、展望台の柵は少し登れば落下してしまうような、非常に頼りないものだった。


 人口が少ないから、然程問題にもならないのだろうか。


「リ――――――――」


 後頭部に、軽い衝撃。嘘のように冷たく沈んだ空気の中、俺は電池の切れた出来損ないの人形のように、全身を硬直させた。


 予想していない位置からの攻撃に、胸部が冷え、息が吐き出される。


 そうか、柵の向こう側に。……アビリティを使いつつ、俺の目を盗んでいたのか。エレベーターを視界に入れていた俺は、柵よりも内側の何処かにリズが居る筈だと、考えていた。


 落ちてから居場所を操作出来る彼女にとっては、バリケードなど大した意味を持たないのか。


 頭皮に触れた硬質物は、俺から体温と余裕を僅かながらに奪って行く。


「うごっ…………、動かないでっ…………!!」


 聞き覚えのある、女性の声がした。


 透き通り、水のように通り抜ける。糸を張ったようでいて、細く頼りない声。微かに震える動きは、後頭部に触れた銃口からも伝わって来る。


 静かな焦燥感に負けないよう、俺は冷や汗を流し、策を練った。


 今ここで撃ち抜かれれば、俺はまたリズの行方を見失い、今度は二度と見付ける事すら出来なくなってしまうかもしれない。


 自らの命が危険な状態で、尚そのように考える事が出来るのは、この場所が終末東京の世界だからなのか。恐らく、そうなのだろう。しかし、そのお蔭で俺は自分の命よりも、リズの異変に意識を向ける事が出来るようになっていた。


 焦りは、背後のリズへ。


 その不自然な現象へと、向いていた。


「リズ。…………落ち着いて、銃を降ろすんだ」


 明らかに怯えている。この場に、俺とリズ以外に人は居ない。……紛れも無くリズは、俺に対して恐怖を覚えているのだ。


 何故。


 俺が、クリス・セブンスターから情報を引き出そうとしていたからか。


 ……いや。


『ヒカリエ』でリズの姿を初めて見失ってから、リズについては分からない事ばかりだったが。……だが、リズは裏切り者ではないと信じていた。


 リズは、ミスター・パペットではない――……




「ミスター・パペットは……恭くんだったのね……!?」




 混濁した意識の中、思いも寄らない言葉に――――俺の思考は、完全に止まった。




「二度と、私に近付かないで…………!!」


 一体リズは、何を言っているんだ。


 湧き上がる疑問は、しかし現実には言葉に出来る余裕もない。リズは銃口を俺に向け、今にも引き金を引く勢いで――……何か、俺自身の耳を疑うような言葉を、俺に向かって叩き付けていた。


 理由は分からず、そしてこれまでの間、リズの身に何が起きたのかを把握する事も出来ない。


 解決の、術が無い。


「……リズ。俺は、俺だ。頼む、パニックになるな」


 かたかたと、銃のパーツが小さな音を立てる。


 迷っているのか。……それは、有難い。どういった経緯なのかは分からないが、とにかくリズは俺に対して、何らかの絶望を抱いている。それも、酷くショックを受けるような何かを。


 思い当たる事は、何かあるだろうか。……いや、無い。俺自身がリズに対して、何かをしたとは思えない。


 涙に濡れた声が、後頭部に突き付けられた銃口が、俺を余計に焦らせる。


「今ここで、俺がリズに何かする事は出来ないだろ。……話を聞くから、とにかく銃を降ろすんだ」


 リズから恐怖を奪うように、柔らかい声を意識した。


 心は、水のようなものだ。沸騰すれば何者も寄せ付けない凶器にも成り得るが、一度冷めれば、人に安らぎを与える救いにも成り得る。


 熱は伝わり、緊張感は共有される。今は、リズの事を第三者であるかのように……遠い目で見る事が必要だ。


「リズ」


 だから、耐えろ。そう、自分に言い聞かせた。


 身体を動かす事は出来ない。リズの顔を見る事は叶わなかったが、銃の引き金に力が篭もって行く様子は、後頭部に押し付けられる圧力を感じれば分かる。


 ヒントが欲しい。何か、解決のきっかけになる、ヒントが。


 リズは、身体を震わせ。


「…………行けない世界だって、分かってるけど…………」


 俺は、リズの言葉の一つ一つに、神経を集中させた。


「それでも、私にとっては、大切な事だったんだよ…………?」


 リズの、言葉の意味は。


 思考は、『ヒカリエ』の事件まで遡る。行けない世界……終末東京の世界では無いだろう。とすれば、リズの抱えている問題を考慮した上で、行く事が出来ない世界など一つしかない。


 現実世界の事だ。


 瞬間、気付いた。リズの身に何が起こったのか、その納得の行く予想、真実に――……どうにかして、確認したい。俺は慎重に首を動かした。


 リズを怯えさせてはならない。しかし、事実を確認しなければ、会話も出来ない。視界はやがて移動し、その片隅にリズを捉える。


 今日は、白衣を着ていなかった筈だ。真っ白な、半袖のボタンシャツ。


 そして。


「返して…………!」


 風で捲られた袖。ほんの一瞬だけ、彼女の左肩が露わになる。


 その地肌には確かに、俺が予想していた通りのモノがあった。


「幻覚だ…………!!」


 跳ねるように、リズが反応した。


 そうか。『ヒカリエ』でNPCにさせられたのは、リズも同じだった。だとするならば、リズの身に何が起きたのか、把握する事は出来る。


 弾みで、リズが引き金を引いてしまわないよう、意識しながら。


「『ヒカリエ』の仮装パーティーで、俺達は全員、NPCの称号を与えられているんだ。俺達は、ミスター・パペットの影武者を倒したが……その時の能力者が、幻覚の使い手だった」


「えっ…………?」


 何を言われているのか、分からないと言ったような顔だ。……無理もない。俺も、よもや怜士兄さんが本当に蘇ったのではないかと考えてしまう事もあった。


 クリス・セブンスターと名乗る男の持つアビリティの厄介さを、今更ながらに再確認させられる展開となったか。


「リズ、聞いてくれ。お前をNPCにした俺は、室内に居なかったか。何か、見た事もないような物を持っていたんじゃないか」


 俺の持ち物事情は、終末東京世界に来てからずっと一緒に居た、リズと城ヶ崎が一番良く知っている。俺はプレイヤーウォッチのアイテム欄を、改めてリズに確認させた。


 余計な物を持たない主義なのは、周知の事実の筈だ。


「リズ。もう一度、言う。俺は、俺だ。何も変わらない」


 リズは、歯を食い縛る。……だが、徐々に衝動が消えて行くのを、俺はその空気から感じ取っていた。


 だが、これだけでは。何か、証拠になる物がなければ。


「そんな事、言われても……分かんないよ。じゃあ、今ここに居るのが恭くんだって、私に理解させてよ」


 当時、『ヒカリエ』で現れた俺の紛い物が、リズに何をしたのかが分からない以上。俺に、その幻覚との相違点を明確にする事は出来ない。


 だが、何か。リズを安心させてやる事の出来るものが、何か、あれば。




「やっぱり、私がつまらない人間だから…………」




 不意に、初めて出会った時に、リズが呟いた言葉を思い出した。


『…………私、つまんないよ?』


 今此処で、強引にリズの銃を奪えば。油断している今の状況なら、リズを無力にする事も出来るだろうか。


 いや。


 力任せにして解決出来る事など何もない。俺はとうに、その選択を捨てたのだから。


 最善を追求する事。それだけだ。


 この世に神は居ない。だから、俺は神には祈らない。仮に神が居たとして、俺如きに手を貸してくれる事など、万に一つも有り得ない。


 神に祈る代わりに、掴む。


 俺自身が。俺自身の、手で。


 ポケットを弄り、そして――……目的のモノを取り出し、装着して見せた。


「……何だったかな……弾性衝突、とか言ったっけか? 俺の言葉がヒントになって作ったんだよな、これは」


 頬が引き攣らないよう、内側では必死の抵抗を。表面には笑みを浮かべ、落ち着いた空気を作り出した。


 気を抜けば、頭は真っ白になってしまう。どのような状況でも常に思考し、判断を下せる人間は少ない。そして、そのように切迫した状況下で最善を引き当てる事は、想像以上に難しいものだ。


 だから、俺は自らに言い聞かせた。


 全て、幻想だ。そう思え。今この場で起こっている出来事、空間、全て。柵の向こう側にある僅かな足場に立ち、俺に銃口を向けているリズ。両手を挙げて、ただリズの銃を降ろそうと試みている俺。


 まるで映画のワンシーンを見ているかのように、俯瞰した目線で物事を視る。漠然とした、ある登場人物の一人として、俺は立っている。


 判断など、しなくていい。


 リズの身に何があったのか。それはこの状況では、決して分かり得ない事なのだから。


「俺はさ。ずっと、一人だった。両親も居なくて、頼りになるのは兄さんだけでさ。こんな性格だったから、学校にも馴染めなかったし、陰気な奴だって思われてた」


 咄嗟に弱みを曝け出したのは、共有したいからか。ずっと、心を閉ざして来た俺が。終末東京で出会った仲間にさえ、碌に自分の話をして来なかった。それは、他人の痛みは共有出来ないものだと思っていたからだ。


「つまらないと言うなら、俺の方こそつまらない。楽しい事なんて何もなかった。自分の事も嫌いだった。それでも、兄さんが居た時はまだ兄さんを超えるって目標があったけど……居なくなってからは、もう本当に、何もなかった」


 だが、たったひとつ、他人と痛みが共有出来るケースがあった。


「俺は、リズを裏切らない。……それは、ただ『仲間』だからじゃない。リズは、一人で生きて行く事の辛さを知っているからだ。俺と同じ種類の人間だからだ」


 それは、『同じ痛みを知る人間』だった場合だ。


 帰る家が無い。頼りになる人間が居ない。ネットワークが無い。師も居なければ友人も居ない。その静寂は、何にも変えられない痛みだ。


 今、はっきりと思う。


 だから俺は、リズを助けたいのだろうと。


「誓うよ」


 しゃくり上げるような、リズの声が聞こえた。言葉にもならない――……それを聞いて俺は、ようやく緊張を緩めて、リズに向かって振り返る。


 銃を捨てたリズは、まるで倒れ込むかのように、展望台から落ちた。


「リズ!!」


 心臓が止まったような気がした。息も出来なくなる一瞬の出来事、手を伸ばした先に居たリズは、僅かな歪みと共にその場からフェードアウトし、地面の無い空間から消えた。


 …………そうか、アビリティ。気付いていたにも関わらず、咄嗟の出来事に仰天してしまった自分は、肩で息をしている。


 消え行くリズの目には、涙が。


「…………夢を見ているのと、同じなの」


 その声は、背中から聞こえた。


 突如として現れたリズに、俺は硬直した。今度は、銃など持っていない。代わりに背中から伝わるのは、倒れ掛かるリズの体重と、体温。


 僅かな温もりを、感じた。


「この世界で、私は『消える』んだよ。……信じられない。ゲームの世界でも、空気みたいな……」


 俺も、自分自身のアビリティに驚愕し、怒りを覚えた事があった。


 それは、リズもだったのではないか。……誰だって、自らのトラウマに関わる事は目に見える形で提示されたくは無いものだ。それが例え、何の関係もない、ゲーム内の設定だったとしても。


 いや。……それは、些細な問題でしかないのか。


 リズが本当に悲しんでいるのは、そんな部分ではないのだろう。


「『ヒカリエ』から、ここに来るまでの記憶が無いの。……どうして……? 私は一体何者で、ここはどこなの? 私が『ヒカリエ』で会ったのは、恭くんで……」


 ここは、『サンシャイン・シティ』で。


 ここは、ゲーム内の……架空の、世界だ。


「どうせ夢なら、全部夢にしてよ。……事故が起きる前の私に、戻してよ。私を元の世界に帰してよ」


 リズは、誰にでもなく、そう言っていた。


 理不尽な出来事ほど、心の中に深く残ってしまう。色濃く刻み付けられた痛みは、何度思い返してもその衝撃が色褪せること無く、鮮明に蘇って来る。


 目を背けたくなるような、胸の痛み。


「誰か、タイムマシン…………」


 亡霊のように呟くリズの言葉に、俺は何も返答をしない。……ただ、棒のように立っている事しか出来なかった。




 ◆






『サンシャイン・シティ』にもあった、喫茶店『ぽっぽ』。俺はそこで、リズに『ヒカリエ』で起こった出来事の全てを話した。


 未だ夢現と云った様子で、俺の話を聞いていたリズ。虚ろな瞳は焦点が定まらず、俺が渡したコーヒーを呆けた様子で啜るばかりだった。それでも、話の詳細が語られる度、何度か頷いては、自分自身の記憶と照らし合わせているように見えた。


 リズは宿を取って、カンパニーに居た頃の金を使って生活していた。確かに一人では、ダンジョンを攻略する事も、アイテムを手に入れる事も出来ない。就職しようにも、此処が何処だか分からない状況では落ち着いて探せなかったのだろう。


 リズは、俺達と出会うまで『アルタ』を出ることが出来なかった。終末東京世界そのものについての知識は深くとも、別の場所についての経験はそれ程多くは無いのだ。


「……じゃあ、NPCから元に戻る方法はあるんだ」


「ある。俺達も一度、そうやって戻っているから」


 背の高いビルを幾つも抱える『サンシャイン・シティ』の景観を、俺達は誰も登らないようなビルの上に陣取り、眺めていた。バトルスーツを使えば、ある程度の場所までは行き来する事が可能になる。


「怖い思いをさせたな」


 人目に付かず、会話が出来る場所。そこまで来る事で、リズはようやく、気持ちが落ち着いて来たように思えた。


「ううん。……ごめんね。変な事しちゃって……」


「いや、いい」


 俺が、『サンシャイン・シティ』に訪れなければ、どうなっていたか。トーマスにプレイヤーウォッチを強化して貰う事が出来ずにいたら。リズは、ずっと俺の幻影と戦いながら、日々を生きていたのかもしれない。


『ヒカリエ』の事件から、一週間以上が経過していた。……リズにとっては今日まで、生きた心地がしなかっただろう。


「『ヒカリエ』でね、誰かに呼ばれて……外に連れ出されて、眠らされたの。気が付いたら誰も居なくて、大聖堂の……誰も居ない場所で、恭くんに会ったの。恭くんは様子がおかしくて、見覚えのある仮面と……マントを付けていて」


 リズが話す内容は、俺が『ヒカリエ』事件の後に大聖堂へと侵入し、クリス・セブンスターに見せられたものと同じだ。最も、俺の場合はミスター・パペットの正体は、木戸怜士だと云う事になっていたが。


「それで、嫌な過去を思い出した?」


「…………うん。一生消えない烙印を押してやろうって、恭くんに言われて。何がなんだか分からないけど痛くて、昔の事とか思い出して、目が覚めて、あー夢だったんだーと思ったら、ここにいて」


 改めて思い返してみれば、リズの記憶はとても漠然としたものだと、本人が納得していた。それでも、実際に俺の顔を見て話をするまでは、少なくとも幻想の俺はリズにとって、本人でしか無かった――……無理も無い事だろう。リズは未だ、クリス・セブンスターと云う男の名も――これは偽名だと話していたが――そのアビリティについても、把握していなかったのだから。


 だが、幻覚は厄介だ。現実世界の夢よりもリアリティに満ちていて、アビリティを使用した本人の意思で、ある程度自由に、当人にとっての想定外を生み出す事が出来る。


 最も、クリス・セブンスター自体、『ヒカリエ』でリズからの遠距離射撃を受けて、死んだのだが。


「…………じゃあ、他に覚えている事は、何も無いんだな?」


「うん、それだけだよ」


 気分が悪い。


 だとするならば、『ヒカリエ』で俺が見た少女は――……あれは一体、何だったと云うのか。金髪に白衣……いや。今となっては、あれが本当に白衣だったのかどうか、あまり自信が無い。一瞬の出来事で、細部を確認する余裕は無かった。


 可能性は、幾つか考えられるだろうか。


 ひとつ。リズは意識を失っている間、本物のミスター・パペットに操られ、情報を漏らそうとしたクリス・セブンスターを撃ち抜いた。


 ひとつ。あれはリズではなく、よく似た金髪の女性だった。


 ひとつ。ビルの屋上に居た女性とクリスの死とは、何の関係も無かった。


「……恭くん?」


 俺は眉間を指で押さえ、溜息を付いた。


 駄目だ。与えられた情報が少な過ぎる。この状況で、あの事件に対して確実な――ある程度、納得の行く――想定をする事は出来ない。僅かに見えた人影に自信が無いのであれば、それは推測にならない。


 だが、あの時の俺は確かに、遠方に見えた白衣の女性を、リズだと思った。それは、単に似ていたから等という話ではないと……思っていたのだが。


「何か、気になる事があった?」


 不安そうに俺を見詰めるリズに、俺は苦笑して手を振った。


「ああ、いや。……何でもない、気にしないでくれ」


 何れにしても、この状況でリズにそれを話した所で、不安を煽るだけだ。今のリズは、自らの記憶に自信が持てていない。それは、明らかな事なのだから。


 リズは立ち上がると、ビル上の僅かなスペースを歩いた。


「もう、会えないかと思ったよ。終末東京の世界も、何処まで広がってるのか、分からなかったから」


「そんなに、会えなくなる程広がっては……」


「分かってるよ」


 振り返ると、リズは笑みを浮かべた。


 しかし、傾いた陽光に照らされるリズの横顔は、俺には儚さを伴っているように見えてならなかった。


「会いたくなかった。会えなければいいと思った」


 現実世界に比べれば、この終末東京の世界は、あまりにも狭く、小さい。


 その事実を知っている。それが現実であり、リズがこの場所から出られないと云う問題を抱えているからこそ、この終末東京はリズにとっての『箱庭』になった。


 真理を追い求めなければ、現実世界に帰る事が出来ない。……俺はずっと、リズが終末東京の世界で研究を続けているのは、この世界に希望を追い求めているからだと思っていた。


 だが、違うのか。


「…………夢を、見ているような気がしていたの」


 真実の所では、リズはどうにかして、この終末東京の世界から逃げ出したかったのかもしれない。


 そこに、何の可能性も無かったとしても。漠然と、この世界の根拠を追い求める事で。……そう、若しも架空の世界に『タイムマシン』等と云うものが存在するのであれば、リズは過去に起こした自分の行動を変えられる。


 現実世界に帰る手段も、どうにかして見付かったのかもしれない。


「ここは夢の世界で、私は本当は、事故を起こした日からまだ目覚めていないの。……そうだったらいいな、って」


 リズは内側から、脱出の手段を探っていたのだ。


「……だけど、俺は生きて、今この場所に来てる」


「それも、夢だったとしたら? ……量子論ではね、目に視えるから――……目視で確認出来た時、初めてそこに物体が『出現』するんだって説いたの。見えていないものは、存在していないのと一緒。……だから、もしも私が目を閉じていたら、これが幻想じゃないって証明する事は、誰にも出来ない」


 方法は、あるのか。トーマスに聞けば、或いは。……いや、城ヶ崎を伝って、当時のプロジェクトに所属していた人間を当たるのが早いか。


 ミスター・パペットは、リズと関係しているのか。こうしてリズだけをNPCとして隔離している所を見ると、何かを考えているように思えない事もない。


「恭くんも、私がここに居るって保証は、絶対に出来ないんだよ」


 まるで、シュレーディンガーの猫だ。箱の中に居る猫は生きているか、死んでいるか。リズの不確定要素ともマッチする。


 だが、現実だ。それをリズに示す為には、どのような方法が考えられるだろうか。


 …………知らず、腕に力が入った。



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