第二十七話 混沌の夜明け
パーティーの中に居た誰もが、ステージ上のミスター・パペットを見ていた。この場所でのみ、奴は他に紛れている幾つもの群衆と大して変わりない。奴が暴露した――……『プレイヤーウォッチ』の事が浸透するまでは、場は秩序を保っていた。
身を引き裂くような、沈黙が訪れる。反応があるまで、凡そ数秒が過ぎた。
やがて、数名の人間がプレイヤーウォッチの消失を確認する。ログアウト不可能だという事実が判明し、パニックになる――――…………
「おいっ!! これは一体、どうなってんだ!?」
「サーバトラブル……?」
「説明してくれ!!」
当然、会場内は淀み始めたが――……明らかに、声の数は少なかった。奇妙にも、現実世界に帰ることが出来ないという『現実』を目の当たりにして、声を荒らげている人間の方が少なかったのだ。
何故……? 普通は、黙っている人間の方が少ないだろう。そう思っていたのに。
このような事態に陥ってしまえば、誰かが警察に連絡をする事だって十二分に考えられる。この世界には、現実世界に通じている電話やインターネットのシステムだってある。
だから、ここまで大掛かりな戦略は普通、取る事が出来ない。
ゲームの世界を超えた仕掛けは打てない。それは俺の中の常識であり、想定の範囲から完全に外れていたが……
ミスター・パペットは懐から銃を取り出し、会場内の人間全員を威嚇した。
「たった今、終末東京世界における全ての通信手段及び、『ヒカリエ』からの脱出は不可能になった。君達から奪った『プレイヤーウォッチ』は、消えた訳ではない。サーバトラブルでもない……このゲームは、一時的に我々『ミスター・パペット』の一団が乗っ取らせて貰った」
――――最初から、巻き込むつもりか。
そうか、と気付いた。この説明が終わるまで……いや、ゲームが始まるまでは、パニックに陥る人間は少ないのかもしれない。
異常な状況だという事を、未だ認識していない人間達。その真相は、『ゲームだから』と錯覚している部分にある。時間に追われていない人間、危機意識の低い人間は、未だこの状況でこれが終末東京内のイベントか何かだと思っているのだろう。
ゲームシステム全体を掌握するだけの、何らかの手段。『ガーデンプレイス』の時にも多少なり感じていた事ではあったが、ミスター・パペットはどうにかして、このゲームを操作する術を得ている。
豪華な食事と衣装。夜会を楽しみに来た人間達は、ミスター・パペットの用意した闇に取り込まれてしまった。
もう、戻れない。
「だが、安心して欲しい。これはゲームだ。クリアする方法をお伝えしよう」
こんな状況下でも、俺の仲間は見付からない。ミスター・パペットの声を聞いた姉さんが、驚愕に目を見開いて、壇上の男を見詰めている。
否応無しに、俺も壇上のミスター・パペットを見る。奴は少し楽しそうに、俺の神経を逆撫でする声を使って、ゲームの説明を始めた。
……初めて出会った時と同じだ。歩道橋の上から、まるで空気か何かのように飛び降り、闇の中に消えて行った男。
一体、誰がこんな事をしていると云うのか。
かと言って、今この状況で飛び込んで行く訳にもいかない。俺達の『プレイヤーウォッチ』は根こそぎ取られてしまったし、事実上、このゲームを仕切っているのは奴だ。奴の話している事が本当だとするなら、終末東京の世界ごと利用されている。
己の肉体が転移されるゲームで、ゲームシステムを利用されると云う事が何を示すのか。少し考えればすぐに分かることだ。
俺達全員が、命を握られている状態だということだ。
「今、ちょうど零時。日付変更線を跨いだ所だ。ここから二十四時間。今日一日は、ログアウトする事が出来ない」
会場内の人間達は、実に様々な反応を示していた。これがゲーム内のイベントだと思い、何かが起こっているとは思っていない連中。まるで人事のように、スマートフォンを取り出して写真を撮っている者。先程のように、今だ『プレイヤーウォッチ』が無くなった事で焦っている人間もいる。
飛行機をジャックされた時のように、言わば今の俺達は人質。これはれっきとした事件だ。にも関わらず、この緊張感の低さは。騒いでいる者の方がおかしいと、半笑いでぼやいている者まで居る始末だった。
…………この状況。これ程までに、『ゲーム内』というファクターは重いのか。彼等にとって、全ては夢物語。仮想現実でしか無いのだろうか。
そもそも、アビリティやスキルの存在する世界、家まで五秒で帰る事が出来るゲーム性を前にして、危機感を持てと言う方が難しいのかもしれない。これがゲーム内のイベントではないと、一体誰が特定出来るだろうか。
出来ないのだろう。たかがゲームで、まさか自分の身に危機が迫っている等と。思うことが出来る筈がない。
俺達のように、『ミスター・パペット』に長く関わり、奴の残虐性を知っている者でも無ければ。
「君達は一時的に、『NPC』の称号を与えられた――……自身の左肩を見て欲しい。現実世界に居場所を持たない、愚かな者達の刻印が刻まれている事だろう」
愚かな者達。はっきりと、奴はそう言った。何名かは、しゃくり上げるように呼吸をした……どうやら、NPCもパーティーに混ざっていたらしい。
『ガーデンプレイス』で実際に行われた事は、やはり奴の手中に収まっていた内容なのだ。『デッドロック・デバイス』を守り切ったと云うだけで――……奴は、NPCであるミリイやテトラ、或いはララでさえも、初めから殺す事を考えに入れていた。
何か、恨みでもあるのだろうか。NPCに対する――……いや、このゲームそのものに対する、強い怒りだろうか。
「太陽が昇ったら、ゲーム開始だ。君達には、『自分の物ではないアイテム』を五つ集め、この場所に持って来て貰う――……そうすれば、君達は晴れて『プレイヤー』に戻る事が出来る。なお、『自分の物』とは、今この場に装備している全てのモノを言う。今この瞬間から、全ての武器屋・防具屋は店を閉じた。これがどういう意味を持つか、分かって貰えるだろう」
装備している、全てのモノ。俺達はプレイヤーウォッチを奪われているから、実質今装備しているモノ以外にアイテムを持つ事はない。
自分以外のモノを五つ集める……と云う事は、どうしても他者からアイテムを奪わなければいけない。店が閉まっている以上、購入によるアイテムの取得は不可能になっている。
「なお、自らに所有権の移った物を献上しなければ、大聖堂は応えてくれない。盗品のままでは駄目だという事だ。アイテムの譲渡も受け付けない。……二十四時間を過ぎたら、ゲームオーバーだ。もうプレイヤーに戻れる事は無いと思ってくれ」
その言葉を聞いた時、戦慄が走った。
場の誰もが、ミスター・パペットの言った事を理解していなかった。一体どういう事なんだ、それではアイテムを集めるも何も無いではないか、と端々で声が上がる。酔った人間の軽率な言葉など、ミスター・パペットが聞く筈も無かったが。
所有権を移す――――譲渡以外の何らかの方法で、他者のアイテムを自分の物にする行為。考える中では一つしか思い当たらない。
殺すことだ。
「君達が晴れてヒカリエから生還できた時、今までよりも遥かにレベルは上がっている事だろう――……健闘を祈る」
ところが、俺達は全員NPCになっている。それがどういう意味を持っているのか、まだ今の状況がゲームの中なのだと慢心している彼等は気付いていないのだ。
プレイヤーウォッチが紛失した状況とは訳が違う。『消失』し、『NPC』の刻印を刻まれた俺達には、現実世界に帰る手段などない。
この複雑な電子回路の中にデータとして閉じ込められ、二度と復活する事は出来ないのだ。終末東京の世界だけでなく、現実世界でも死ぬという事。
誰も、気付いていないのか。……或いは、NPCとしての『死』を身近に感じる事が無ければ、そうなのかもしれない。まさかゲームの世界で自身の生命が窮地に陥っている等と、考える者の方が少ないかもしれない。
例えるならそれは、誰もが渡っている赤信号なら、危険度は薄いのだと錯覚するようなものだ。集団心理の裏に潜んでいる問題は、俺達が考えている以上に重く、深い。
ゲームで人が死ぬ事は、ある。
或いは、自らが思っている以上に、人の身体と云うモノは脆いものだ。だが本当にリアルな部分では、それを認識していない人間は多い。
「怜士!!」
俺の背後で、姉さんが叫んだ。身を乗り出し、俺よりも先に、その奥へと向かう。
「誰!? こんな質の悪い事をするのは……!! 素顔を見せなさい!!」
不意に生じた違和感は、背中を滴る水のように、俺に警告を発した。
この状況に、だろうか。それとも、ミスター・パペットに? 当然のように予想していたモノと、現実が一致していない。その、俺の中では当然になっていた筈の何かを、思い出す事は出来なかったが。
「……まあ、手っ取り早くそこらの人間を殺してしまえばクリアは出来るが……最後に。このゲームにおいて、君達のように『NPC』と変化していない、幾つかのプレイヤーを示そう。彼等は言わば、『ボーナスアイテム』――……彼等を倒してログアウトさせる事が出来れば、無条件でプレイヤーに戻ることが出来る」
姉さんの言葉に耳を傾ける筈もなく、ミスター・パペットはその場に紙をばらまいた。
「さあ、彼等を始末しろ。それが生き残る為の条件だ…………!!」
そうか。
奴は、幾つかの嘘を付いている。
「おおおおおおおおっ――――――――!!」
盛大な掛け声と共に、時は動き出した。大砲から発射された時のような勢いで空中へと飛び出し、放物線を描いて仮面の男に迫る。
城ヶ崎。
だが、無駄だ。ミスター・パペットが、この展開に対して何の策も用意していないとは思えない。俺達だけではない、焦った人間が攻撃を仕掛けて来る可能性もある。唯の人間が幾らでも強くなれる、この終末東京の世界では。
「君達の、健闘を祈る。――――そして君は用済みだ、城ヶ崎仙次郎」
一瞬の、出来事だった。
会場中に撒き散らされた紙が地面に落ちるよりも早く、ミスター・パペットは忽然とその場から姿を消した。風が吹いたら居なくなっていた、と表現するのが正しいだろうか。
プレイヤーウォッチが消えた事と云い、今回はまるで人間離れした業ばかり。ゲームシステムを根本から操作されているのではないかと疑ってしまうような、対策を取る事が出来ないものばかりだ。
ホログラムのようなもので、初めから此処には居なかったのか? ……いや。だとしたら、現物の紙を空中に放り投げた事に説明が付かない。
この終末東京の世界で、瞬間移動の類は使えなかった筈だ。
……それもまた、この世界で生きて行くに当たり、俺が推測して周囲の事情を調査しただけの事に過ぎないのか。この世界には未だ、俺の知らない幾つもの秘密が隠されているのか。
城ヶ崎の鉄パイプが、虚しくステージの上に振り下ろされた。その反動で、城ヶ崎の仮面が外れてしまった。
「…………『関係者』」
何だ……? 城ヶ崎が、ステージの床を見て何か、驚愕している。
奴のばらまいた紙を見ている……?
瞳孔を開いて息を切らしている姉さんの所にも、ミスター・パペットのばらまいた紙が届く。姉さんはそれを掴む――……俺もまた、その紙を手に取った。
反撃の策を、練らなければ。その為には、まず仲間を一点に集める必要がある。
俺は一人では、この世界で役割を成さない。仲間が必要だ。こうなってしまったからには、一度撤退しなければ――――
――――――――目を、見開いた。
ステージの上に立っていた城ヶ崎が、ミスター・パペットの撒いた紙に目を留めたかと思うと、一直線に出入口目掛けて飛んだ。重力を調整しているのだろう、城ヶ崎はシャンデリアに手を掛け、そのまま大多数の人を乗り越えて扉を目指す。
誰にも反応出来ない程の、旋風のような素早さだった。その場に仮面を残したまま、城ヶ崎はどうにか顔を隠して突っ込む。最も近い出入口の前に降り立つと、強引に扉を開いた。
「――――――――そいつが、城ヶ崎仙次郎よ!! 誰かあいつを捕まえて!!」
姉さんが、叫んだ。ミスター・パペットの撒いた紙を見た人間達は、一斉に城ヶ崎の顔を確認する。
奴が現れた事で止まっていた時間が動き出すと、冷静に事情を見詰める事が出来る人間も現れ始めた。そうなった時、この広大な地下都市『ヒカリエ』で、一度見失った人間を再度捕まえる事が、どれだけ難しい事かはすぐに察しが付くだろう。
「…………追うぞ!!」
「ああ!!」
バトルスーツはプレイヤーウォッチの中だ。着ている人間は少ないだろうが――始めからバトルスーツを着ていた男達が、城ヶ崎を追い掛ける。後に続いて、次々に城ヶ崎仙次郎を追い掛ける狩人の群れは、大聖堂を出て行った。
……俺は、その場から動く事が出来なかった。
紙には、写真入りで俺達の事が書いてあった。何れも百万ドル以上の懸賞金が掛かっている。現代日本に懸賞金など、異常だと言わざるを得ないが。
候補になったメンバーは、椎名、明智、リズ、ララ、遥香姉さん……そして、城ヶ崎の六人。
何故か、城ヶ崎の懸賞金額だけが、他と比べて圧倒的に多かった。
そして俺だけが、懸賞金のリストに入っていない。
どうして、俺だけが。
「……恭一。一度、旅館に戻るぞ。ここは、まずい」
俺の様子に気付いた明智が近寄って来て、肩を叩いた。……人が居なくなって、何時の間にか俺の姿を特定出来る迄になっていた。
城ヶ崎が、『ミスター・パペット』の協力者だった? …………いや。そんな、筈は。
静寂の戻って来た大聖堂に一人、遥香姉さんの啜り泣く声だけが響いていた。
◆
結論から言えば、殆どの人間は一度、『ヒカリエ』での自らの拠点に帰って来ていた。バトルスーツがある者と無い者で、戦力が違い過ぎるのだ。当然と言えば、当然の話だった。
ゲームは朝まで開始されない。だから、朝が来るまでは襲われる危険は無い。そのお陰で俺達は一度バラバラに別れたにも関わらず、無事にホテルまで戻って来ていた。
仮装していた事を利用されたとは云え、俺達も仮装していたのは怪我の功名だった。誰も、顔の見えた城ヶ崎を除いて直接的に賞金首を探そうとはしていなかったし、一般的な周知の上でも、夜明けまでは準備段階だと認識されたようだった。
……しかし、部屋の空気は最悪だ。
「あの……お茶です。どうぞ」
ララが茶を淹れて、仲間に配ってはいるが――……逃走した城ヶ崎。何処かに隠れているのか、戻って来ないリズ。椎名は部屋の隅で蹲っているし、明智は胸ポケットに入れたままの煙草を指で弄っていた。
キッチンカウンターから、遥香姉さんが俺を見ている。
「恭一。……あいつと、いつから知り合いだったの……?」
遥香姉さんの言葉に、俺は首を振った。
「……少し、考えさせてくれ。混乱しているんだ」
城ヶ崎。
一般的に考えて。ミスター・パペットの言っていた事を、鵜呑みにするべきでは無いと考える。誰かを陥れる事で仲間割れを起こそうと云うのは常識的に考えられる手段だし、俺を殺すのではなく、捕まえて利用しようと考えているのであれば尚更やりそうな手口だ。
……だが、実際に裏切り者が居る可能性は、確かにある。
地下都市『アルタ』での逆転劇。『ガーデンプレイス』での、連中の手際の良さ。奇遇にも上手く行った、等というレベルのものではなかった――……確実に俺達の行動は把握されてるし、最悪の場合、作戦が始めからばれている事も考えられるだろう。
奴との対峙は三度目だ。前回は敢えて俺に勝ちを握らせた可能性もある。
…………油断させる為に。
「処で、この中で誰かバトルスーツ持ってる奴、居るか? 残念ながら俺はプレイヤーウォッチの中でな、戦力にゃあならねえって先に言っとくぜ」
場の空気を斬るために、明智が自ら手を振って、話を持ち出した。『ガーデンプレイス』を出てから、ミスター・パペットと戦うと決めた俺は常にバトルスーツを着込んでいたが。
姉さんが椅子に座って足を組み、溜息を付いた。
「私も着てないわ」
ララが怯えながらも手を挙げ、答える。
「あ、あの、私は……ログアウトという手段が無いので、『ガーデンプレイス』を出てからはずっと着てます……」
椎名は、無言のままでいた。
どうしよう。……しかし、この場で嘘を吐いても仕方が無いか。
「俺は……戦うつもりで居たから、着ている」
瞬間、部屋の隅に膝を抱えて座っていた椎名が立ち上がった。はっきりと俺を睨み付け、険悪な表情で迫る――……背筋を冷たいものが流れ、俺はその場に硬直した。
「…………ねえ。私、この中に裏切り者が居るって思ってる」
この展開は、まずい。
「木戸くん。……それは、あなた?」
誰もが疑心暗鬼になる所だ。椎名の気持ちはよく分かる。……しかし、俺には反論する術がない。
「……俺じゃない」
そんな事を言っても無駄だと、分かっている。
「木戸くんが、私達を『ヒカリエ』に連れて来たんだよ。ミスター・パペットと、本気で戦うからって。そしたら、こんな事が起きて……」
「想定の範囲外だ。……現実世界でも騒ぎになるような事を、してくると思っていなかった」
「じゃあ、どうして『ヒカリエ』だったの!? 『アルタ』からなら、『サンシャインシティ』とか、『デンキガイ』とか、他にもあったでしょ!?」
「一番近かったんだ!! 広いし、人口も多かった!! 『デッドロック・デバイス』が眠っている可能性が、一番高いと思った!!」
これでは、椎名を本当の意味で納得させる事など出来ない。……いや、不可能だ。今この瞬間は、俺には疑われても仕方が無い要素が多過ぎる。
椎名は涙を流していた。……この世界で『本当に死ぬ』可能性があると云う事実が、俺達全員にとってどれ程重い出来事だったか。それを、物語っているようにも見えた。
「じゃあ、どうして城ヶ崎くんは……逃げたの?」
コツン、と物音がした。踵が壁に当たり、波紋を描くように真下へと抜けて行く音が、今の俺にはとてもよく響いたように聞こえた。
全ての疑惑は、真実と対策を示す事で解決される。これまでの事実に勝る何らかの証拠を俺が示す事が出来なければ、この議論は改善には向かわない。
誰もが疑心暗鬼になって然るべき状況だ。俺だって、この中に裏切り者が居ると思っている。
これだけ怒っているのだ。椎名ではない……そうだろうか。これが演技である可能性も、考えられるのではないか。
そもそも、この中で可能性が低い者など居るのだろうか?
『ガーデンプレイス』で出会い、地下都市『アルタ』での事件を経験していない明智大悟は、この中では限りなくシロだと言えるか?
NPCであり、死ぬ事が許されないララ・ローズグリーンなら、ミスター・パペットに加担している可能性は低いか?
或いは、あからさまに利用された事が分かる城ヶ崎仙次郎は、逆にミスター・パペットとの繋がりが無いのか?
偶々、肝心な時にいつも居なくなるエリザベス・サングスターは――……
歯を食い縛り、五里霧中の思考に歯止めを掛ける。
「きっと、この中の誰かはミスター・パペットに繋がっているんだよ。……それが木戸くんかどうかは、分からない。でも私は、こんな時に一人だけバトルスーツを着てる木戸くんは、信用できない」
「おい、椎名……」
椎名を止めようとする明智にも、椎名は敵意を向けた。伸ばした手のやり場が無く、明智は苦い顔をして腕を下ろした。
「トキくんの事があったから、私も首謀者を叩こうと思った。……でも、ここから先は、私一人でやるから」
まずい。
今この状況で、仲間が離れて行ったら。俺だけじゃない、誰もがターゲットに成り得る。その中で、バトルスーツを着ていない椎名は最も危険と言っていい。
戦器さえ無い、この状況では。
「待て、椎名……!! 一人じゃ無理だ!! 俺の話を聞いてくれ……」
踵を返した椎名は扉に手を掛けると、俺の方を向いて微笑んだ。
「……忘れてたよ。私って浅はかで、一番利用し易い人間だったってこと」
そのまま、部屋を出て行く。
それぞれは、それぞれの思いのままに。椎名が出て行った事で何かの線が切れてしまったのか、姉さんが立ち上がり、伸びをした。姉さんもまた、険しい顔をしている――……それは、そうだ。こうなって欲しくなかったからこそ、俺は遥香姉さんを終末東京の世界に呼びたく無かったし、ミスター・パペットと会わせたくなかった。
「恭一。……私も、行くね。城ヶ崎を捕まえて、とにかく秘密を暴かないとね」
「姉さん!! 城ヶ崎は、まだ裏切り者だと決まった訳じゃない!!」
俺は、思わず眉をひそめてしまった。
遥香姉さんはぞっとするような、凍り付いた冷たい目をしていた。限度を越えた怒りに、震える事さえ忘れてしまったかのような。
「可能性があるなら、聞き出すべきでしょう――――ねえ、恭一。この世界には、怜士の紛い物が居るんでしょう? ――――そんなものを作った奴を、私は許さないわ」
止める暇も、余裕も無く。姉さんは、部屋を出て行ってしまった。
椎名も姉さんも、仮装パーティーで使った衣装を持って行っている。何処かで隠れてやり過ごし、真実に近付くつもりなのだろうが……無茶が過ぎる。一人で成功などするものか。
夜が明けた時点で、この『ヒカリエ』全域は俺達を殺す為のフィールドになるのだ。敵は、NPCとなったプレイヤー全員。
あまりに数が多過ぎる。隠れてどうこう、という問題ではない。おまけに、NPCからプレイヤーに戻らなければならない、という使命もあるのだ。俺達の事をプレイヤーだと思い込んでいる、沢山の人間を掻い潜り……
思わず、左肩を掴んだ。……確かに刻まれた、NPCのマーク。
こうなってしまっては。対応が難しい。
「……アー、木戸。俺、椎名を探して一緒に居るよ。二人の方が安全だろ」
「すまん、頼む……」
明智は頭を掻くと、どうしようもなく溜息を付いた。
「お前さんの姉ちゃんが言ってた、『怜士』ってのは?」
「……兄さんの名前だよ。遥香姉さんは、兄さんの結婚相手だ……俺と血が繋がってる訳じゃない。木戸怜士は、公には行方不明になっている。ミスター・パペットの背格好や声が、兄さんと被るんだ」
本当は、『被る』等と云うレベルの話ではない。
『今回も、私の勝ちだな。……楽しかったよ、恭一』
椎名の事件の時、奴はそう言った。確実に、木戸怜士を知っている人間であるのは間違いがない。
明智は思い出したかのように、ああ、と呟いた。大聖堂で、姉さんが叫んだ事を思い出したのだろう。
「別に俺は木戸があいつの仲間だなんて思ってねえけど、何らかの関係はありそうだな……そういや、仲間に引き入れたいとか言ってたんだろ?」
「ああ、まあ……」
「ってちょっと待てよ、公って?」
怜士兄さんは、もう死んでいるからさ。
そう答えるべきかどうか迷ったが、俺が返答を迷っているうちに、明智は聞くのを止めたようだった。今一度溜息を繰り返すと、椎名や姉さんと同じように仮面を付けて、部屋を出て行った。
部屋に残ったのは、俺とララの二人だけ。二人共バトルスーツを着てはいるが、たった二人の状況では解決するのは難しい。
「……恭一さん……私達は、どうしましょう」
考えろ。
俺達にも、まだ手が残っている。逆転がまるで不可能な訳ではない……ゲームの内容が分かった時から、考えてはいた。逆転して生還する為の方法は、ある程度見出す事が出来ている。
後は、相手の手の内が分かれば。それをただ暴くだけではなく、利用して状況を好転させる為の足掛かりにする事が出来れば。
たったの、二十四時間で。どうにか、誰かが死ぬ前に。
「ララ……お前は、この状況をどう見る……? 明智と一緒に行っても構わない。信用されていなければ、俺も信用は出来ない」
だが、そうだとしても。椎名を取り戻すのは、難しいかもしれない。信じて付いて来てくれる以上、期待には応えたいと思っていたが。
仲間意識を引き裂くのは、息をするように簡単だ。だが、逆はそう上手くは行かない。
顔を上げ、ララを見た。
「私は――――恭一さんを、信じます」
その瞳に、嘘偽りがあるようには見えない。
「正直、私には皆さんがどのような人間なのか、判断する事は出来ません。……でも、恭一さんは確かに、ミリイさんを救って下さいました」
ならば、ララは大丈夫だろうか。
「恭一さん。私達NPCは、『そこに居るだけで避難される』人間です。普通に接して下さる方もいらっしゃいます。……でも、人間扱いされない事の方が多いです」
或いは、この状況下で疑惑の意識を持つ人間は、プレイヤーだけなのかもしれない。元よりログアウトする事が出来ないNPCに取っては、以前と変わらない状況でしかないのだ。
ログアウト出来ない事に焦りを持つ事自体、彼女等からしてみればプレイヤーならではの特権のように映るのかもしれない。
「でも、恭一さん達は、私達に普通に接してくださいます。私達を殺そうとする人間に対しても、現実世界の人間のように、立ち塞がって下さいました」
……愚問だったか。
信用してくれるのか、などと。
「私にとっては、それが全てです」
「……死ぬかもしれないが、良いか?」
ララは、茶目っ気のある笑みを俺に見せ。
「どうせ一度、生かされた命ですから」
そう、言った。
その言葉を聞いた時、俺の中に或る一つの覚悟が生まれた。……この作戦、ララを主軸に置いて良いのかもしれない、と。
反撃の手段はある。僅かな隙も、僅かな緩みも許されない。今度は『ガーデンプレイス』の時のように、読み違える訳にも行かない。
覚悟を決めよう。俺はそう思い、ララに右手を差し出した。
「――分かった。このサバイバルゲーム、俺達で攻略しよう。……朝までに、確実な作戦を考える」
「はいっ!!」
握り返された手は、僅かに温かみを持っていた。




