プリシラ side 2
子守唄だわ・・・。
窓枠に足を片方かけながら、歌が聞こえる方向へ顔を傾ける。
屋根の上から?
不思議な異国の旋律は、高く低く夜空に吸い込まれるように響く。
もっと近くで聞きたい、一体誰が・・・。
上に行く方法は無いかしら、壁のレンガがちょうど、足を引っ掛けられそうな出っ張り具合だ。
女は度胸なのですわ、そして腕力には自信があるのです、神様お守りください・・・。
ヨジヨジと壁を手と足で登っていく、もうちょっとで顔だけ屋根に出る。
一国の姫が大冒険、はしたないけれど。
まさか、一生の中でこれほど運命的で奇跡の出会いがあるなんて、この一瞬前まで思いもよらなかった。
屋根傾斜の一番高い所で、その竜は座って軽く足を組み、白く丸い卵を抱えていた。
星空に片手をかざしながら、少し上を向き、竜の唄を奏でる・・・。
その姿は気のせいか、少し発光しているようで、闇の中でも姿が浮かんでいるように見えた。
黒い髪は流れるまま、屋根の上をうねって、暗闇の中でも艶を放っている。
黒竜! なんて神秘的なの。
どうしよう、竜の声が聴けるなんて・・・。
なんてやさしく唄うのかしら、卵に聴かせている? いけない、手がブルブルしてきた。
レンガを掴む力がだんだん抜けてきた。
そっと戻らなくちゃ、いきなり会うと驚かせてしまう。
ポーポー
「ん、どうした? やっと巣へ戻る気になった? 」
鳥がいるのかしら、竜は空の覇者、たまに鳥たちがその元に集う。
何か生き物がチョコチョコとこちらに近づいてきてた。
「あ、」「え?」
黒竜がいきなり立ち上がった、気づかれた、立ち去ろうとしている。
「ごっ、ごめんなさい、ごめんなさい、キャッ」
手が滑りましたわッッッ、落ちるッッッ!!
ふわっと体が宙に浮いて、落下していく、本当にバカな事をしてしまいました・・・。
衝撃に備えて、目をつぶったけれど、地面に接触する寸前で力強い力で受け止められ、胸の中に納まった。
そっと目を開くと、切れ長の黒い瞳がすっと目線をそらした。
何て長いまつ毛かしら、リオンはキレイな感じの顔立ちですけれど、この方は精悍で少し影のあるような美貌の持ち主・・・。いけない、ジロジロと不躾に見つめてしまった。
た、大変です、契約前の竜に大接近してしまいましたわ、抱きしめられてるのもあって、頭に血が昇ってカッカしていたけれど、今度は一気に血の気が引いた。
思わず掴んでいた胸をはずして、あわわわと手を振り回してしまった。
そうだわ! 気絶した事にしましょう、ナイスアイディア!!
カクっと力を抜いて、ダラリと彼の胸の中で横たわって見るけれど、顔から出る冷や汗が止まりませんわ・・・。
必殺、死んだ振り。
「起きて・・・、卵も抱えてるから」
頭上から少し呆れたような声がふってきた。
何だ? こちらから音がしなかったか。
白竜亭に何人か配備されているのだろうか、足音が近づいてきた。
私の警備のつもりなのか、見張るつもりなのか、夕方から兵士が詰めるようになってきた。
彼の瞳が、キュッと細められて、声をした方を凝視する。そんなお顔もカッコよろしいのですわ・・・。
顔が近いです、ウッ鼻血が出そうですわ・・・。
「ここに居たら、君も俺もマズイね」
私は、首が千切れそうなほど縦にふった。
小さなため息とともに、抱えられたまま上に跳び上がった、もう一度屋根の上に。
不安定な場所だったけれど、そっと降ろされた。
「・・・逃げないで、逃げないでお願い・・・、怖がらないで。貴方にたくさん謝らなければなりません」
「アンジェラの事? それは君じゃなくて、あの人から」
「それでも、ごめんなさい、あの、とても厚かましいのですが呼び名を教えて頂けませんか? あぁ、もちろん、もしよかったら、よかったらなんですの」
「プリシラ姫、俺の名前はもう知っていると思うよ。今日、花を摘んできてくれただろう?」
「えっ?」
私の名前を知っている、どこで名乗ったのかしら、いえ、私黒竜の君の名前、知ってる? あ・・・。
「ラ、ラギ、さん? 」
彼は微かに微笑んでうなずいた。微かな表情の変化ながら、なんという破壊力、もう心臓が持ちません・・・。素敵過ぎます。
竜力を抑えていたんだわ、見事に、竜力のコントロールが上手い。
リオンもアルファーも抑える事はするけれど、そんな事する必要が宮殿ではなかったから、気がつかなかった。もしかしたら、リンシェルン辺りが密偵として、市井にそうして潜り込んでいるのかも知れないけど。
「お昼は、たいそう煩い事を、申し訳ありませんでした。わたくし達が王族である事は、気配で察せられましたのね」
ラギさんは少し黙って、そしてゆっくりと答えた。
「そうだね、でも・・・。アンジェラ姫とプリシラ姫では、重さが違う。他の竜も、こんな感じなのかな」
「いえ、契約者が居る竜は、人に対しての警戒心が解かれますので、そういう事は無くなるのです。その感じは、竜としての本能でありますから仕方ないのです。元来彼らはこの世の頂点に君臨する生きとし生ける物の王なので、契約という名前の約束で行動の制限を取られるのを、体全体で拒否するのだと、教わっております」
いきなり、何を思ったか、ラギさんはそっと近寄り、手を取って屋根の上の安定するところまで連れて行ってくれた。
「ああああ、あのぅ、私は平気なのでしょうか」
ある意味、王族としてどうなのかとも思ったけれど、嫌われてうれしいワケが無く。あぁ出来るなら、本当にごめんなさい、あの胸にもう一度抱えられてみたいとか、髪を触って見たいとか。このままではただの変態さんですわ・・・。このプリシラ、アンジェラと同じレベルに落ちるワケには参りません。
クゥッ、耐えるのよ、これほど契約者の居ない竜が、怖がらずに近づいて来ているというのに。
頭に血が上って倒れそうですけれど、ここが踏ん張り所。
「平気じゃないけど、嫌うほどじゃない、君は俺に、・・・多分酷い事はしないだろうから・・・」
酷い事って何ですかぁぁぁっ!?
アンジェラ、あのアッホー一体何をしでかしたのでしょう、怖くて聞けません。
「たっ、卵の事や、他の事も、たくさんお話しなければなりません。初めてお会いしましたから、いきなり私の事を信じて欲しいとは、恐れ多いのですが。お時間を頂けないでしょうか」
「今日は、もう遅いから、部屋まで運ぶよ。しかし、よくここまで登ってきたね、明日また、店で会おう、俺は仕事があるから、その間にでも」
そう言ってラギさんは、片腕で私を抱き上げ、一度下に降りてから、部屋の窓に送り返してくれた。
初めて逢ったのに、契約者になってください、だなんて。決して言えなかったけれど、ちょっとくらい夢を観てもいいですわよね。
私ごとき小娘が、一緒に居るべき竜ではありません・・・。
そこ、砂を吐かない
そしてプリシラ、ちょっと落ち着け。




