馬達のその後(2)
【ゴールドツップ】
本当なら競馬転生第二部の主人公になるはずだった馬。作者はこの作品を書き始めた時、三部作にするつもりだった。
バインで書けなかったクラシック三冠や中長距離王道路線のレースを、第二部でゴールドツップに走って貰う予定だったのである。
しかし第一部のバインの話を書き出してすぐ、『これ三部全部書いたら300話余裕で超えちゃうわ。書き切るの無理だこれ』と気付き、急ハンドルを切って『とにかくバインの物語をしっかり書き切る』に方針転換した。
せっかくなのでツップの物語を少し書く。
ゴールドツップは正真正銘の天才だった。まともに走ってくれさえすればどんなレースでも必ず勝てる、そんな規格外の力を持った馬だった。
だが天才は彼一頭ではなかった。違う時代に生まれていれば、それぞれが最強の名を欲しいままにしたはずの天才児。それが同じ時代、同じ年に、ゴールドツップ以外にもう2頭生まれてしまった。
牝馬が強いと言われた時代。それは牝馬が活躍し、強い牡馬が中々現れなかった時代。その揺り戻しを受けるかの様に、3頭の怪物じみた力を持った牡馬が同じ時代に集った。
その3頭がクラシック三冠を、天皇賞の盾を、グランプリを、最強の座を賭けて争い合うのがゴールドツップの物語。
誰より強く生まれた自分を最強と信じて疑わないゴールドツップが、しかし全力を出しても勝てない相手と出会い、生まれて初めて苦悩する。
彼は勝てるのか。勝ち方を見つけられるのか。何の為に勝つのか。
人間を舐め腐り、自分の強さ以外を信じようとしない彼の心に、誰の想いは届くのか。
前世の因縁とか一切なし。ただただ強い馬同士が戦い合い、騎手と馬を中心に話が展開する『レースの話』が第二部になる予定だった。
ただこの話、バイン以上に主人公が負けまくる予定なので、多分書くことはないんじゃないかなと思っている。なので供養がてらここに記した。南無。
【シマヅサンバ】
適正距離1200~1600m。最適正距離は1400m。
阪神JFやNHKマイルで競ったバインの同世代牝馬の一頭。
2歳で重賞を勝利し、九州産馬初のGⅠタイトルを期待されていた馬。
しかし3歳シーズンは重賞での勝ち鞍こそあったものの、GⅠでの戦績は振るわず、着外に終わることも増え、徐々に注目されなくなっていった。
しかし4歳夏、サマースプリントシリーズにて、CBC賞(GⅢ)と北九州記念(GⅢ)を見事に勝利。スプリンターとしての確かな実力を見せつけ、その年のサマースプリントシリーズのチャンピオンに輝いた。
GⅠレースにおいては、4歳で高松宮記念とスプリンターズステークスの短距離GⅠに挑戦。どちらもテクノスホエールに敗れ2着に終わっている。
テクノスホエールには届かなかったものの、3着以下に差を付けての2着だった。
このことから、『テクノスホエールさえいなければGⅠ馬になっていた、不世出の名スプリンター』として、シマヅサンバの名はテクノスホエールの伝説と共に、ファンの間で長く語られることとなった。
そしてその後GⅠを勝つことはなく、シマヅサンバは4歳の年末に引退。生まれ故郷の九州で繁殖牝馬となった。
その鞍上はデビューから引退まで全てのレースを山田騎手が務めた。
九州産馬初のGⅠタイトルの夢は、彼女の子供達に託されることとなった。
主な勝ち鞍:フィリーズレビューS(GⅡ)、CBC賞(GⅢ)、北九州記念(GⅢ)
【ノバサバイバー】
適正距離は1600m~2400m。最適性距離は2200m。マイルからクラシックディスタンスまでをしっかり網羅する、要領の良さが現れているような適正距離である。
バインと同世代の馬であり、この世代のオークス馬。間違いなく世代を代表する名馬の一頭なのだが、キャラが濃すぎる同期が2頭もいるせいで今一目立たなかった。
しかしその実力は確かなもの。3歳で挑んだエリザベス女王杯では、並み居る古馬牝馬をその差し脚で一刀に切り伏せ、見事1着でゴール。2つ目のGⅠタイトルを掴んだ。
しかし世間はニーアアドラブルのジャパンカップと、テクノスホエールに挑んでぶっ倒れたバインのことで話題は持ち切り。やっぱり彼女の活躍は2頭の影に隠れた。
おまけに同期と強い古馬達がジャパンカップに向かった中、ひっそりとエリザベス女王杯を勝ったノバサバイバーは、またも『空き巣女王』なんて不名誉なスラングで呼ばれた。関係者激オコ案件である。
そうして3歳のシーズンを走り終えた冬の放牧前、ノバサバイバーは屈腱炎を患う。奇しくもバインと同じ右前脚の発症だった。
その症状はバインのものよりずっと軽く、レース復帰も十分見込めるものだったが、陣営はすぐに引退を決めた。
元より良血のエリート馬だったノバサバイバー。彼女はすでに2つも獲っているGⅠタイトルの数をそれ以上増やすことよりも、繁殖牝馬としての活躍の方こそが期待される馬だったのである。
『まだ勝てるのにもったいない』とは、引退を聞いた主戦の天童騎手が調教師に漏らした言葉だ。
2歳から活躍し、3歳で世代GⅠを1つ獲り、古馬にも勝てるという実力を示した上で、彼女はそれ以上の無理をせず引退した。
無茶せず無理せず良いとこ取り。振り返ってみれば、一流でありながらも実に要領よく走った馬であった。
繁殖入りしてからも彼女は無理せずほどほどに頑張り、子育てにおいても、我が子を遠くから見守る放任主義の母馬になったという。
主な勝ち鞍:エリザベス女王杯(GⅠ)、オークス(GⅠ)、チューリップ賞(GⅡ)
【ユキウサギ】
バインと父母が同じバインの全妹。トモエロード産駒3頭目の牝馬であり、3姉妹の三女に当たる馬。巴牧場が昔からお世話になっている地方馬主に買われた馬である。
大活躍するバインを見たその地方馬主は、姉にあやかってその妹に大層下品な馬名を付けようとした。それを周囲が必死になって止め、『じゃあせめて跳ねるようなイメージの馬名で』と、馬なのにウサギと名付けられてしまった馬である。
所属はホッカイドウ競馬。2歳馬のレースが最も盛んな門別競馬場でデビューしたユキウサギは、姉のように2歳から活躍した。そう、活躍出来たのだ。彼女にはダートの適性があった。
デビュー後連勝し、JBC2歳優駿(JpnⅢ)を見事勝利。地方重賞のタイトルを獲得する。
テレビやネットで人気者になっていた姉の影響で、ユキウサギはその全妹として大層注目され、期待もされていた。彼女はその期待に見事走りで応え、門別競馬場を大いに沸かせてみせたのである。
姉の人気にあやかる形で、ユキウサギの活躍はちょっとした『バズり』になり、ホッカイドウ競馬を大いに盛り上げる存在となった。
グッズもいっぱい作られて、たくさん売れた。何故か門別に来たことがないバインのグッズまで一緒に作られて、それもやっぱりたくさん売れた。隙のない抱き合わせ商法である。
そしてユキウサギは満を持して中央競馬に挑戦する。北海道から中央へ、ユキウサギはGⅠ馬である長女次女に続けと、中央競馬に乗り込んだ。
そして見事に惨敗した。馬場適正がない、輸送に弱い、根本的な実力不足。様々なことが言われたが、結局北海道を飛び出したユキウサギは、中央で1勝も出来なかった。芝のレースにも挑戦したが、それもやっぱり駄目だった。
地方なら敵なし。だが中央の馬にはまるで歯が立たない。ユキウサギもそんなよくいる『地方でなら強い馬』の一頭に過ぎなかったのだと、ファンは肩を落とした。
そうして北海道に帰ってきたユキウサギ。中央への挑戦は諦めて、地元で堅実にレースを重ねていこう。陣営はそう話し合っていた。だがただ一人、馬主だけはまだ諦めていなかった。
もう一度だけ挑戦しようと。この北海道の地で最後にもう一回、中央の重賞に挑んでみようと。
そうしてユキウサギのラストチャレンジが始まった。狙うタイトルは中央重賞GⅡ札幌記念。
中央のGⅠ馬達が何頭も出走する、夏最大のお祭り騒ぎ。近年は宝塚記念より豪華な出走馬が揃う、GⅠより勝つのが難しい疑惑がある破格のGⅡ。
そしてそのレースはユキウサギの姉、トモエシャインが勝てなかったレースでもあった。
騎手も調教師も、ユキウサギがGⅡを勝てる訳ないと思っていた。馬主のワガママに付き合うつもりで、これを最後に中央への挑戦を諦めて貰う約束で、ユキウサギは札幌記念へ送り出された。
そして勝った。あっさりと、まるで地方のレースを勝つ様な気軽さで、ユキウサギは勝った。
並み居る中央のGⅠ馬、地方の馬では勝てるはずのない中央の名馬達に、ユキウサギは勝った。
地方出身であるユキウサギが、GⅠより勝つのが難しいとされるスーパーGⅡを、勝ってしまった。
北海道の地元ファンは歓喜し、ユキウサギ人気は再燃した。陣営も、ユキウサギは中央で活躍出来る力がある馬なのだと、その評価を正した。
そして再び、ユキウサギは中央へ挑戦する。札幌記念を勝ったユキウサギが中央で通用しないはずがないと、陣営は1度目の中央挑戦の時よりも自信満々だった。
だが駄目だった。結局北海道を出て中央のレースに挑戦すると、ユキウサギは凡走しかせず、惨敗した。
そして1年後、再び失意の中北海道に帰って来た陣営。でもやっぱり諦められない馬主。最後にもう1回だけと、再び挑んだ札幌記念。
そしてユキウサギは勝った。去年に続いて札幌記念を勝った。GⅡを2連覇してしまった。
『お前札幌でしか勝つ気ないんかい!!??』
調教師は頭を抱えて絶叫したという。
そう、ユキウサギは門別と札幌、つまり北海道でしか勝たない馬だったのだ。ちなみに函館競馬場を走らせてみると、そこでもしっかり勝った。函館もOKらしい。
北海道の競馬場でなら無敵。だが一歩でも北海道を出ると途端に凡走しかしなくなり、まるで勝てなくなってしまう。
ユキウサギは、そんな極端な戦績を残す馬だったのである。
『北海道開催のGⅠレースがあったらなあ』。馬主は心底残念そうに呟いた。
しかし、それはそれとしてユキウサギは北海道開催の中央重賞を勝って重賞馬となった。トモエロード産駒は三頭続けて重賞馬になった訳であり、母の繁殖牝馬としての評価をユキウサギは更に押し上げたと言える。
そして札幌記念を連覇してからは、ユキウサギは北海道の地で活躍を続けた。時に北海道に乗り込んできた中央馬を、地方代表として返り討ちにしたりもした。
門別の番長、札幌の守護神、北海道専用機、北海道から一歩でも出たら死ぬ兎。
様々な愛称と共に愛されたユキウサギは、ホッカイドウ競馬のアイドルとして、ホッカイドウ競馬ファンから長く愛される存在となる。門別競馬場周辺では、その人気は姉のバインを上回るほどになった。
そして引退後はなんと巴牧場より遥かに大きな大牧場に引き取られ、そこで繁殖牝馬として過ごすことになる。
結果、姉たちよりも優れた種牡馬を宛がわれ、繁殖牝馬としてはトモエロード産駒の中で最も優秀な成績を残した。
故郷の巴牧場には帰らず、また2頭の姉とも出会うことはなかったユキウサギ。しかし彼女は母の血、そして全姉と同じ血が流れる己の血を、後世に残す役目を全うした。
彼女の馬房には、牧場スタッフが置いたバインとユキウサギのぬいぐるみが、仲良く並んで飾られている。
主な勝ち鞍:札幌記念(GⅡ)、函館記念(GⅢ)、JBC2歳優駿(JpnⅢ)
【トモエロード】
オークスをレコード勝ちしたGⅠ馬。繁殖入りしてからは7頭続けて牡馬を産んだが、息子達は競走馬として成績が振るわず、繁殖牝馬としての評価を落としていた。
しかしその後3頭続けて牝馬を産み、その3頭全てが重賞馬になるというとんでもない成績を残す。
息子達の成績不振を帳消しにする程の娘達の大活躍により、トモエロードの繁殖牝馬としての評価は跳ね上がった。
競走馬としても、繁殖牝馬としても、もはやどこに出しても恥ずかしくない名牝中の名牝となったのである。
強い娘を産めるのは分かったから、そろそろ強い息子を産んでくれと、友蔵おじさんは最近トモエロードにお願いしている。しかし、それには知らん顔のトモエロードであった。
彼女の過去生について少し話すと、彼女は前世において家庭に恵まれなかった。体の問題で子供は作れず、伴侶と円満な家庭を築くことも出来ず、仕事と趣味に没頭する孤独な生活を送った。
その更に前、前々世においては、責任ある立場に生まれ、己の役割に忙殺されて過ごし、家庭を省みる余裕はなかった。そして親の帰りを待つ幼い我が子を残し、早逝した。
そして今生、故障したバインが死を覚悟してレースに戻ろうとした時、トモエロードはそれを止めた。
我が子の命を守るために、誰にどう見られようが関係なく、形振り構わずトモエロードは行動した。それは彼女の魂にとって、過去生を通じて初めての行動だった。
そして今、彼女は娘たちと一緒に過ごしている。
それはきっと彼女の魂が、不自由で息苦しい長い長い道のりの果てに辿りついた、憩いの時間。
おしゃべりな2頭の娘に囲まれながら、生まれ故郷の巴牧場で、トモエロードは愛する家族と共に、穏やかな暮らしを送っている。
また何か書きたくなったらポツポツ思いついた話を投下するかもしれませんが、一旦これにて『馬達のその後』完結です。
ご愛読ありがとうございました。




