そして辿り着く
急に気温が上がり、春の近づきを感じる陽気になってきた北海道日高の巴牧場。
私の引退が決まってからも、私は変わらず巴牧場でのんびり過ごしていた。
今日も私は放牧地での軽い運動を終えた後、体を友蔵おじさんに洗って貰ってから、自分の房に戻った。
右脚の痛みはまだあるものの、全く動けないという訳ではない。
なので、時間を区切って放牧地をブラブラする程度の運動を私は続けている。
『歩く分なら問題ないが、それでもこの脚でレースを走るのはやっぱり無理だな』なんて考えてしまうのは、現役を終えたばかり故の名残だろう。
私は4歳の11月に故障し、5歳の2月で競走馬登録を抹消された。なので私はもう、競走馬ではなくなった。
レースの世界に未練がないと言えば嘘になる。特に、ニーアアドラブルのことは特大の未練だ。
しかし後悔はない。私の走って来た道のりを、レースを走れなくなったこの脚のこと含め、私は堂々と誇ることが出来る。
ゴールのない道を走り、もう走れなくなるまで走り切った。戦いの道を、私は私なりに完走したのだと思っている。
引退してまだ日は浅い。未練は私の後ろ髪をちょくちょく引っ張るが、これもその内慣れるのだろう。
まだ走りたかったという未練も、残した東條やニーアアドラブルへの申し訳なさも、全て私が背負うべきものだ。
それらを忘れるつもりはない。それらを一生背負ったままここで生きていこうと、そう決めている。
ただ風の噂では、大泉笑平が私の引退式をしようと企んでいるようである。
あの男は近い内に私を競馬場へ連れて行き、そこで私の引退セレモニーを執り行うつもりなのだそうだ。
その計画が実現すれば、それが私にとって競馬場へ行く最後の機会となるだろう。
東條や郷田先生を始めとした私の関係者全員、その式には来るのだそうだ。引退が決まって以来私はまだ二人と会えていないので、単純に二人との再会は楽しみである。
また、その時は私の復帰を待ってくれていた東條に、何とかして謝らなければいけないなと、そう思っている。
それともう一つ。私の引退式にニーアアドラブルを呼ぶことを、大泉笑平は企画しているのだという。その為に今、大泉笑平はニーアアドラブルの馬主と交渉中なのだとか。
私の引退式にニーアアドラブルを呼べない場合は、将来ニーアアドラブルが引退する時、その引退式に私が行くことも併せて交渉されているらしい。
友蔵おじさん経由で聞かされる噂話程度の情報だが、それが本当なら私は、自分か彼女どちらかの引退式で、彼女と再会出来るかもしれない。
もう一緒にレースを走ることは出来ないが、再会の約束だけはそこで果たせそうである。
まだどうなるか正式には決まっていない話だが、口だけは達者な私の馬主が、上手いことあいつを私の前に連れて来てくれるのを待つとしよう。
あとはそれ以外で気がかりなことと言えば、やはり自分が繁殖馬になったということか。
私の『繁殖』が今年の春からなのか、来年の春からになるのかは知らないが、そう遠くない内に私も母馬になる。
正直自分が親になる実感なんてまるで湧かないが、でも何とかなるだろうとも思っている。
命は授かり宿るものであって作るものではない、とは母の談だ。私もそれはその通りだと思う。
人間だった私の命が、廻りまわって母のお腹に宿り、今の私になったように。
誰かの命が廻りまわって私のお腹に宿り、私の子になる。
その子は私の前世の友達かもしれないし、同じレースを走った馬かもしれないし、遠い前世の家族かもしれないし、何の関係もない初めて出会う命なのかもしれない。
大きな世界の中をぐるぐると廻り続ける、血と魂のリレーだ。母から受け継いだものを子に託す順番が私に近付いて来ていると、そういうことだ。
親から子へ血は繋がっていく。サラブレッドの血統は、人間の欲望を巻き込みながら未来へ向かって伸び続ける。
そしていつの日かサラブレッドという種が滅び、その血が途絶える日が来ても、その魂はなくならない。
サラブレッドとして生きた私達の命は、馬として生きたその歩みの全てを、己の一部としながら次の命へと生まれ変わっていく。
怖がることも嫌がることも何もないのだと、私はそう考えている。
まあ、そうは言っても色々心配な気持ちはもちろんあるのだが。でも何とかなるだろう。
仮に私が良い母親になれなくても、この牧場には友蔵おじさんがいるし。
母馬が駄目な奴でも牧場の人間が何とかしてくれるというのは、サラブレッドならではの子育て特権というやつだ。
そんなこんなで色々な期待や不安を感じつつも、私はこの巴牧場での新生活を穏やかに過ごしていた。
仔馬の頃に夢見ていたスローライフというやつだ。
実際友蔵おじさんや牧場のスタッフは、GⅠ馬である私を女王様扱いしてくれる。至れり尽くせりで実にいい気分で私は暮らせている。
走り終えて、戦い抜いて、勝ち獲った、私の新生活だ。
なので今日も自分の住処である馬房に戻った私は、のん気に敷かれた寝藁の具合を微調整などしていた。
「さあ、どうぞ入って下さい。他の馬もいますから、あんまり大きい声ではしゃべらないようお願いします」
すると、馬房の入り口から友蔵おじさんの声が聞こえた。珍しく余所行きの敬語で友蔵おじさんがしゃべっている。
誰か馬主の人が馬の見学にでも来たのだろうかと、私は房の柵から首を出し、声のした方を見た。
馬房に入って来た友蔵おじさんが、真っすぐ私のいる方へ向かって歩いてくる。
その後ろを夫婦らしき一組の男女が、周囲をキョロキョロ見回しながら、恐る恐るといった様子でついて来ていた。
夫婦二人の顔は、馬房の入り口から差す日の光で影になり、よく見えなかった。
けれど、何故だろう。とても懐かしい気がした。ずっと会えていなかった人と、久しぶりに出会えた気がした。
二人の顔はまだ見えない。けれど、顔が分からないのに絶対に会ったことがあると私には分かった。
どこで会ったのだろうか。レース場だろうか。それともこの牧場だろうか。
いつ会ったのだろう。競走馬としてレースを走っていた頃か、お母さんと一緒に過ごしていた仔馬の頃か、あるいはそれよりもっと前か。
友蔵おじさんが私の目の前まで来る。
後ろをついてきた二人に向かい、胸を張る様にしておじさんが私を紹介する。
「ようやくお二人にご紹介出来ます。この馬こそ我が巴牧場が誇るGⅠを5勝した名馬、バインバインボインです」
私の前に、一組の夫婦が立った。
ああ、知っている。私はこの人たちを知っている。
長い長い道を走った。死ぬのが怖くて、ただ殺処分されない為に最初は戦った。でもやがて怖いからではなく、勝ちたいから走るようになった。
何度も何度も戦った。勝っても勝っても強い馬はいて、負けても負けても諦めずに挑んだ。
命を懸けて戦って、死すら覚悟して戦って、命すら投げ捨てて挑んだ。
けれどその戦いの末に、私は生き残った。
私が勝つ為に、自分の全てを捧げてくれた人がいたから。私が手放そうとした私の命を、手放してはいけないと、しがみついて止めてくれた人達がいたから。
だから私は命を残したまま、この故郷の巴牧場に帰って来た。
帰って来れたから私は今、目の前にいるこの人たちの前に立つことが出来ている。
私のお墓の前にこの人達が立つのではなく、生きている私の前にこの人達は立っている。
ああ、ならきっと。
私の走った道は、受け入れたものは、この結末は、間違いではなかったのだと。
二人の瞳に私が映る。
私の瞳がはっきりと二人の顔を捉える。
二人は私に辿り着いた。私も二人に辿り着けた。
私が前世で死んで、途絶えてしまった繋がり。
それが今、新しい形で再び結ばれるのを、私の魂は確かに感じたのだった。
これにて『競馬転生 ~勝てよGⅠ 負ければ処分 おっさん引き連れ修羅阿修羅~』完結です。
気付けば100話を超えていた本作、最後まで読んでいただきありがとうございました。
人生初投稿、最終話まで完走できたのは読者の皆様のご愛読と応援があったからこそです。
皆様からいただいたブックマーク、星評価、いいね、そして感想とレビューのお言葉一つ一つ、どれも私にとって一生の宝物です。
本作にお付き合いいただき、また主人公バインの走りを見守っていただき、本当に本当にありがとうございました!
※まだ予定ですが、作中に登場した馬達のその後をまとめたものを、今月中に投稿したいと考えております。
⇒2/28 昼12時に投稿いたします。2月の終わりギリギリになってしまい申し訳ありません。宜しくお願い致します!




