続く道
病に侵され、死を目前に控えた一人の馬産家が、一頭の仔馬に願った。
『どうか、世界で一番強い馬になってくれ』
その馬は成長し、勝ったり負けたりを繰返した。
気性難を抱え、レースに適性がないのだと言われることもあった。
しかしその馬はある日、歴史を変える。
20××年、オークス。
空前絶後、未だ破られぬ衝撃のレコード。
その日、その馬は何者をも寄せ付けず、2400mを駆け抜けた。
たった1度のレースで、その馬は伝説になった。
誰も見たことがない、常識破りの速さで。
見る者全ての心を奪う、圧倒的なその走りで。
誰かが夢見た、世界で一番強い馬そのものの姿で。
その馬の名は、『トモエロード』。
伝説を見ろ。今年も、オークスがやってくる。
20〇△年、JRA公式CMより
---
トモエロードという馬名は、その生産牧場である巴牧場の牧場名と、『支配者』を意味する英語の『Lord』を組み合わせた名前だと、ウィキペディアには書かれている。
かつてその記事を見つけた巴友蔵は、嘘を書くなと大いに憤慨し、どうにかしてそのウィキを書き変えようとした。
しかしインターネット初心者である友蔵は、30分パソコンと睨めっこしたものの、ついにウィキペディアの編集方法を理解することは出来なかった。
結局、友蔵はその嘘八百が書かれたウィキペディアの記事を、放置して泣き寝入りするしか出来なかったのである。
トモエロードのロードとは、本当は『道』を意味する英語の『road』から来ている。
トモエロードは、病気になった友蔵の父が最後に育てた馬だ。トモエロードを育成牧場へ送った後、友蔵の父は入院した。そして、友蔵は入院した父に代わって巴牧場を継いだ。
トモエロードの馬主は、友蔵の父と古くから交友があった人物だ。それまでに何度も巴牧場の馬を買って、牧場の経営を助けてくれていた人だった。
父の最後の馬を買ってくれたその人は、巴牧場の『トモエ』の名と、『道』を意味する言葉をその馬に付けた。
父親が引退し、その息子が継ぐことになった巴牧場。代替わりした巴牧場の歩む道が、父最後の馬であるトモエロードの活躍と共に、この先も長く続いていくように。
父が生涯を捧げた仕事が、息子である友蔵に受け継がれ、その更に先の未来へと、途切れることなく続いていくように。
『トモエロード』とは、そんな願いが込められた馬名だった。
そしてそんな馬名を付けられたトモエロードは、父の夢を叶えGⅠ馬になった。
巴牧場の事務所の壁には、古い競馬新聞が一枚額に入れられ飾ってある。
トモエロードがオークスを勝利した時の競馬新聞の記事である。
巴牧場の事務所の壁には長い間、このトモエロードの新聞記事1枚だけが飾られていた。
しかし今日、友蔵は10年近く飾られていたその記事を、久しぶりに壁から外した。そして、それを机の上に並べたたくさんの新聞記事の隣に置く。
机に広げられた記事の前で、友蔵は腕を組んで悩み始めた。
長年トモエロードの記事だけが飾られていた事務所の壁。しかし実はここ数年、随分その壁は賑やかになっていた。
それというのも、バインが大活躍したせいであった。
バインが重賞やGⅠを勝利し、それが新聞の記事になる度に、友蔵は大はしゃぎでそれを額に入れ、事務所の壁に飾ったのである。
しかしバインはGⅠを5つ、重賞なら8度も制した馬だ。故に巴牧場事務所の大して広くもない壁は、あっという間にバインバインボインの記事で埋め尽くされてしまった。
そして飾られた記事の多くには、バインボインだの女王様だのという大文字太字が踊っている。そのせいで事務所の壁は、何やらいかがわしい広告が貼られているが如き、珍風景と化してしまったのである。
そんな事務所内の有様を見て、最初は新聞記事を飾る夫を温かく見守っていた妻の友恵も、先日ついに怒った。
いくら何でも新聞を貼り過ぎだと。きちんと整理してお片付けしなさいと、友蔵は妻に叱られた。
何度目かの妻の叱責を受け、ついにしぶしぶながらそれに従うことになった友蔵。しかしではどの記事を壁に残そうかと、友蔵は現在思案している最中なのであった。
壁から撤去した記事を大事に保管するためのファイルは、すでに抜かりなく買って用意している。
だから後は、一番目立つ事務所の壁にどの記事を残すかだ。
トモエロードのオークスの記事は勿論残したい。
問題は、5つもGⅠを勝っているバインのどの記事を残すか。
初のGⅠタイトルである阪神JFか、クラシックの桜花賞か、それとも引退レースとなった天皇賞か。
テクノスホエールを倒した安田記念だって捨てがたい。牡牝混合GⅠ初勝利だったNHKマイルだって欠かせない。
他にも飾りたい記事はたくさんある。さて、どの記事を選ぶか。
友蔵は悩んだ。悩みに悩んだ。ウィキペディアの編集方法を検索していた時などより、遥かに一生懸命頭を使った。
そして悩み抜いた末、友蔵は3枚の記事を壁に飾ることにした。
1枚目はトモエロードのオークスの記事。それを1段高い位置に飾る。
そしてその下に2枚の記事を飾る。合計3枚の記事が、三角形に並ぶような形だ。
2枚目はバインの桜花賞の記事。競馬の花形であるクラシックを見事勝利したその記事を飾る。
そして忘れてはいけない3枚目。トモエシャインの秋華賞の記事だ。
バインが天皇賞を走る2週間前、バインの半妹であるトモエシャインは、なんと秋華賞を勝利したのである。牝馬三冠最後の冠を、妹は滑り込みで掴んだ。
オークスを制した母。桜花賞を制した長女。そして秋華賞を制した次女。母娘三頭による牝馬三冠レースの制覇。
巴牧場が誇る三頭の名馬を称える記事が、巴牧場事務所の壁に並んだ。
トモエロードが掴んだ栄冠は、トモエロード1頭では終わらなかったのだ。その血と才覚は娘達へと受け継がれ、より大きな栄光を伴いながら、更なる未来へと続いていく。
父が残し、トモエロードが開き、友蔵が継いだ巴の道は、賑やかな音と眩しい光に照らされて、先へ先へと伸びていく。
友蔵はそれを眺め、額縁の位置や角度を納得いくまで何度も微調整してから、もう一度眺め、よしと頷いた。
友蔵は一仕事終えた気分になっていた。実際は新聞紙の前でウンウン唸っていただけなのだが、大きなことをやり遂げたような気持ちになっていた。
そんな充実感の中で友蔵が一人腕を組んで頷いていると、事務所に一人の青年が入って来た。
その青年は、友蔵の甥っ子だった。友蔵の弟の息子だ。畜産の学校を卒業してから、巴牧場で働いてくれている青年である。
「……おじさん」
「おう、どうした。事務所に忘れ物か?」
毎日一緒に牧場で働いている仲、それも血の繋がった親戚同士だ。
何の気負いもなく友蔵は甥っ子に話しかけた。
「えっと、実は、おじさんに相談があって来たんだ」
「相談?」
しかし、いつになく深刻な面持ちでそう切り出した甥っ子に、友蔵は首を傾げた。ひとまず事務所の椅子を引き、座るよう促す。
しかし椅子に座ったはいいが、甥っ子は中々しゃべり出さなかった。
まさか仕事を辞めたいとかそういう話だろうかと、友蔵が不安を感じ始めたその時である。
「その、何年か前にさ、おじさん俺に聞いてくれたことがあったよね。巴牧場を継ぐ気はないかって」
「……ああ、その話か」
友蔵とその妻の友恵には子供がいない。故に巴牧場は現在、友蔵の後継者がいない状態にある。
なので友蔵は巴牧場で働いてくれている甥に、いつか巴牧場を継いで欲しいと思っていた。
甥の父である友蔵の弟にも、本人にその気があるなら是非継がせてやって欲しいと、了承は得ている。
だが、数年前にいざ甥本人にその話をした時は、あまりいい返事を貰えなかった。
どうやら甥は若者らしく、自分の将来に悩んでいるようだった。幸いにも、牧場の仕事そのものにはやりがいを感じてくれているらしい。
だが、そもそも日本の馬産という仕事は、将来どうなるか分からない職業だ。
サラブレッド牧場の数も、日本で生産されるサラブレッドの数も、年々減ってきてしまっている。
アメリカで大きな金融危機が起きた時は、その余波に日本も巻き込まれ、地方の競馬場そのものが閉鎖されることもあった。
衰退の最中にあり、景気の影響を受けやすい不安定な業界。
特に巴牧場のような、決して大きくない規模で馬産を商う牧場は、その将来性や安定性を簡単には保証出来ないような状況に置かれている。
甥っ子は、多分その部分を悩んでいた。牧場の仕事自体は続けたいと思ってくれている。
けれどまだ若く、人生の先も長い甥っ子だ。
巴牧場という、大きい訳でもなければ儲かっている訳でもない牧場の後継者になること。自分の人生を懸けて、馬産という将来どうなるか分からない仕事に取り組むということ。
それをさあ今決断しろと言われても、若者が簡単には答えを出せない気持ちは、友蔵にも分かる。
だから友蔵は数年前に一度だけその話を甥として以降、なるべく甥っ子にその話をしないようにしていた。
あまりプレッシャーを掛けたくなかったし、本人に熱意と覚悟がなければ、無理やり継がせても意味がないと思ったからだ。
だがその甥が今日、自分から牧場の後を継ぐ話を切り出してきた。
「俺、あの時はちゃんとおじさんに返事出来なかった。本当に自分が馬の仕事を続けたいのか分からなくて、一生この牧場で働くことが自分にとって良いことなのかも分からなくて、どう返事していいか分からなかったんだ」
友蔵は父が病気になる前の、牧場を継ぐか逃げるか迷っていた頃の自分を思い出し、甥っ子の話に相槌を打った。
「でも、でもダイ子のやつを、バインバインボインのレースを見て、天皇賞を見て思ったんだ。なんて強い馬だって。あんな馬を育てるなんて、作るなんて、馬産という仕事は、なんて凄いことをやっているんだって、そう思ったんだ」
いつの間にか、甥は友蔵が壁に飾った新聞記事を見ていた。
甥はそこに飾られたバインの記事を、じっと見つめながらしゃべっていた。
「俺だって、あいつのことは知っていたのに。あいつが母馬にべったりくっついていた頃も、大泉オーナーがあいつを買った時も、俺はそれを見ていたのに。俺はあいつがGⅠ馬になるような馬だなんて全然気づかなかった。あいつがGⅠを次々勝っている時も、何だか嘘みたいで、現実感がなかった。でも」
そこで甥は言葉を止め、友蔵の顔を見てまた話し出した。
「天皇賞で感動して、でもその後故障したあいつが帰って来た時、ビックリした。故障したのに、もう引退で走れないかもしれないのに、あいつは少しも俯かずに、堂々とこの牧場に帰って来たんだ」
普段中々人の目を見て話さない甥が、一生懸命に友蔵の目を見て話していた。
自分は真剣に話しているのだと、自分の気持ちを友蔵に伝えたいのだと、目を逸らさずに甥は言葉を続ける。
「それを見て、あの甘えん坊の仔馬がたくさん頑張って、たくさん走って、もう走れなくなるまで必死に戦って、そしてここに帰って来たんだって、そう分かったんだ。すげえって思った。上手く言葉に出来ないんだけど、あいつのことを、サラブレッドというものを、心の底からすげえって、そう思ったんだよ」
「だから、ダイ子みたいな馬を自分でも育てたいと、そう思ってくれたのか?」
自分の育てたバインという馬が、甥の心を動かしてくれた。そのことを嬉しく思いながら、友蔵は尋ねた。
しかし、甥はその質問に首を横に振った。
「違うよ、俺はこう思ったんだ。友蔵おじさんみたいになりたいって。バインバインボインや、トモエシャインみたいな、人を感動させる馬を作る人になりたいって、帰って来たダイ子を見て、そう思ったんだ。ダイ子の子供や孫を俺の手で育て上げて、その馬を祖母よりも母よりも強い馬にしたいって、初めてそんな風に思ったんだ」
友蔵は甥の言葉に驚いていた。甥が自分のことをそんな風に思ってくれるなんて、友蔵は夢にも思っていなかったからだ。
何よりも、甥がこんなにも馬というものに対し熱い言葉を語るのを、友蔵は初めて聞いた。
「だから、おじさん。俺にもっと馬のことを教えて欲しいんだ。巴牧場を継がないかって聞かれた時、俺はすぐに返事を出来なかった。そんな俺が今更こんなことを言うのは、虫がいいのかもしれないけど、でも俺、本気なんだ。本気でおじさんみたいになりたいって、おじさんの仕事を学びたいって、そう本気で思っているんだよ」
だからお願いしますと、甥は友蔵に頭を下げた。見れば、膝の上でぎゅっと握られた甥の手は震えていた。
その震えを見ただけで、甥がどれだけ考えて、どれだけ勇気を出してこの話を自分にしてくれたかが、友蔵にも伝わった。
友蔵は壁に掛けた三枚の新聞記事を見た。そこに載った、父と自分が育てた3頭の名馬を見た。
道は続いている。父が築き、自分が守ったこの巴牧場の道は、今、その更に先の未来へと継がれ、繋がっていこうとしている。
友蔵が喜びと期待を胸に、甥の肩に手を置いた。頭を下げていた甥が顔を上げる。
友蔵は甥の瞳と、自分が育てた馬達の向こう側に、光り輝く道がどこまでも伸びていくのを、確かにその目で見たのだった。
道は続く。どこまでも。
続きは明日の昼12時更新予定です。
「面白かった!」と思っていただけた方は、是非是非ブックマークと下にある☆マークから作品への応援をお願いします!
何卒よろしくお願いいたします。




