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道の終わり


 巴牧場の放牧地。曇天の下、私と大泉笑平は柵越しに向かい合っていた。

 

 私が柵に近寄ると、大泉笑平もまた一歩二歩と柵に近づいた。笑平はその柵に両手を掛け、私に向かってやや身を乗り出す様な姿勢を取る。


 私達は噛みつける程近い距離で、お互いに向き合った。


「どうした。今日は俺のこと噛まんのか?」


 大泉笑平の言葉は、そんな一言から始まった。


「今なら俺のこと、いくらでも噛んでくれてええんやで」


 言って、笑平は力なく笑った。こんなに弱弱しく『笑う』この男を、私は初めて見た。

 この男の笑みはいつだって可笑しさや馬鹿馬鹿しさで満ちている。そうでない時は、一種の迫力が宿っている。


 しかし今日のこの男には、そんないつもの力強さがない。酷く落ち込んでいるような、悩んでいるような、元気のない顔をしていた。


 私は私の馬名の名付け親であるこの男のことは、いつだってボコボコにしてやりたいと思っている。

 だがこんな弱った様子の相手に暴力を振るうほど、私だって鬼畜じゃない。


 もう少し元気な時に出直せと、私は不愉快を込めて鼻を鳴らした。


「なんやお前、こっちが痛めつけて欲しい時は襲ってこないんか。正直に言うと俺は今、お前にぶん殴って欲しい気分だったんやけどな」


 そうして貰えたらいっそ気も楽になるのにと、苦笑するように男が呟く。何を言っているのやらと、私は呆れた。


 私が嫌っているお前の為に、そんなに都合よく振る舞うはずがないだろう。

 馬鹿も休み休み言えと思っていると、笑平はじっと私の目を見つめて来た。私も黙ってそれを睨み返す。


 しばし無言で視線を交わしてから、笑平は重々しく口を開いた。


「……バイン。どうやらお前はもう、レースを走れないらしい」


 それは、獣医と友蔵おじさんの会話からすでに知っていた話。

 けれど、私自身に向けられた言葉として、私はそれを今初めて()()()()


 心臓がぎゅっと掴まれたような感覚に陥る。悲しみと不安と寂しさが、怒涛の様に私の心臓を吞み込もうとする。


 それらにぐっと耐えて、私は目の前の男の目を見続けた。


「もちろんお前がレース復帰出来る可能性も、ゼロやない。1年先か、2年先か、あるいはそれ以上か。治るまでどれだけ掛かるのかは分らんが、怪我が治る可能性はまだある。だが、治った後元の様に走れる保証はないし、そうでなくとも療養中、お前の能力は加齢でどんどん衰えていく」


 苦悩を固めたような重い嘆息が、笑平の口から零れ落ちた。


「東條騎手は、それでもお前を待つつもりや。何年掛かっても、お前が元の強さを失っても、必ずその鞍に自分を乗せてくれと彼は言っとる。彼は、お前のことをどこまでも信じとる」


 東條の名を久々に聞き、やっぱりあいつは私のことを待ってくれていると知り、私の尻尾は縦に揺れた。


「巴の奴は、もうお前を引退させてくれと言っとる。2度も倒れるまで走り、ついには脚まで壊れた。もう十分すぎる程頑張ったやないかと、もう休ませてやってくれと、そう言っとる」


 私のことを無言で撫で続けた友蔵おじさんの悲し気な顔を、私は思い出した。


「郷田先生は、元々東條君と同じくお前を待つつもりやった。せやけどお前の怪我の状態が悪化したと聞いて、迷い出した。これ以上レース復帰が遅れるならば、早めに引退させた方が馬の為になるんやないかと、そう迷い出した」


 そうか、郷田先生は迷っているのか。復帰出来たとしても、私がその後レースで勝つのは難しいと、郷田先生はそう考えているのかもしれない。


「でもな、今言った人たちの意見は、実は幾らでも無視できる意見やねん」


 言って、笑平はやや俯きがちだったその目線を上げた。


「最終決定権を持っとるんは、俺や。他の人らが全員お前を引退させた方がええと言っても、俺が現役を続けると言ったらお前は現役続行になる。逆でも同じや。馬主である俺が、お前という競走馬の所有者である俺だけが、お前の全てを決める立場におる」


 笑平は私を真っすぐに見ていた。

 しかしその目には力がなかった。私に見返されて、その瞳の奥が不安定に揺れる。


 その揺らぎを見て、この男も迷っているのだと私は知った。多分この男は最初から、私の故障が発覚したその日から、ずっと迷ったまま決断出来ずにいる。


 私を引退させるか、怪我の回復を信じて待つかを決められず、その決断を先送りにして、私の回復の経過を待った。


 結果、私の脚の状態は悪化した。そして、この男の迷いはより大きくなった。


 真っ二つに割れている関係者達の意見に挟まれながら、この男は今日ここにその決断をしに来たのだと私は理解した。


 その顔を睨む。怒っている訳ではない。私の生末を決めようとしている男がどうやってその決断をするのか。


 その決定の瞬間を、私の走り続けた道がここで途絶えるのか、続くのかが決まる瞬間を、見逃すまいと目の前の男を凝視する。


 私の視線に何を感じ取ったのだろうか。男はやがて、俯いて私の視線から逃げた。


「……お前の怪我は、俺のせいや」


 そして、ぽつりぽつりと再びしゃべり出す。


「お前がレースで勝ち続ける内に、俺の欲は膨らんでいった。お前を強い馬と走らせれば、もっともっと面白いものが見れると、俺は調子に乗った。重賞、GⅠ、ニーアアドラブル、テクノスホエール。お前が走った過酷な道は、どれも俺が用意したものや」


 大泉笑平は、多分私が人間の言葉を理解していることに薄々勘付いている。だが一方で、馬である私が人語を解するということを本気では信じていない。


 だから、多分この男の今の言葉は全て、私への語り掛けではなく独白だ。


「俺がお前に走らせたその道が、お前の脚を壊した。俺の欲のツケを、俺の夢を叶えてくれたお前に背負わせてしまった。そのせいでお前の脚は、もう2度と走れないかもしれん」


 言って、笑平は私に向かい深く頭を下げた。柵に手を付いたまま、まるで土下座でもするように頭を下げた。


「俺のせいや。俺がお前をここで買わなければ、もっと違う未来もあったはずや。郷田先生の言うことをもっと俺が聞けば、こんなことにはならなかったはずや。こんな、故障なんかで引退するしないなんてことにはならなかった。お前にもっとふさわしい引退の花道を、用意してやれるはずやった」


 頭を下げたまま、胸中を残らず吐き出すように大泉笑平がしゃべる。いつも作り笑いを浮かべている男が、その心の内を剥き出しにしていた。


「すまん。何もかも、全部俺のせいや。すまん」


 下げられたその頭を見る。私に噛んでくれと差し出されたような、その頭を見る。

 そう言えばこの男はついさっき、私に噛まれたい気分だと言っていた。


 その下げられた頭を見るうちに、私の腹の底からふつふつと怒りが湧いて来る。そして、あっという間に怒りが臨界を超える。


 ぷつん。


 気付けば私は、無意識の内に自分の首を限界まで横にしならせていた。

 頭を下げていた笑平が、突然首を振りかぶった私に気付き、何事かと顔を上げる。


 私はその顔面目掛け、自分の首を勢いよく振り回し、全力で目の前の男に頭突きした。


「ぎゃふん!?」


 冗談みたいなうめき声を上げ、顔面に頭突きを食らった笑平が吹っ飛ぶ。

 後ろに吹き飛んだ笑平は、そのまま無様に尻もちを突いた。


 噛まれるとは思っていても、頭突かれるとは思っていなかったのだろう。吃驚した顔で頭突きを受けた鼻頭を押さえながら、大泉笑平が私を見上げる。


 ふざけるなと、私は尻もちをつく大泉笑平を見下ろした。


 ぐだぐだと的外れなことをしゃべって、この男は一体何様のつもりなのか。


 私の怪我がお前のせいだと? 私のレースは全てお前が用意したものだと? 思い上がるなよ人間風情が。


 いいか、私はお前に選ばれたんじゃない。私がお前のスーツの袖を噛んで、私がお前を選んだんだ。


 お前が私を買ったんじゃない。私がお前に()()()()()()


 レースだってそうだ。私が走ったレースは全て私自身が望んだものだ。

 そのレースの結果も、全て私がこの脚で掴み獲ったものだ。敗北すらも、苦しみと共に自ら受け入れたものだ。


 レースも、ゴールも、闘争も、勝利も、敗北も、何もかも私のものだ。私が望み、私が勝ち獲り、私が受け入れた、私の誇りだ。


 何が『俺のせい』だ。思い上がりも(はなは)だしい。はなからお前のものなど一つもない。お前に背負わせるものなど一つもない。


 私の脚が壊れた? 私の脚はもう走れない? それがどうした。それなら壊れた脚すら私の一部だ。


 私が駆け抜けて来た道は、その一分一秒の全てが私のものだ。私が踏みしめた一歩一歩、その全てが私の宝だ。


 お前の欲? お前の夢? 知らねえよそんなもの。知ったことかそんなもの。


 それなのに、ただ金を出しただけの分際で、お前は私が走り抜けた道をまるで自分の物のように言う。私の道を、まるで自分が用意した物であるかのように言う。


 不愉快にもほどがある思い上がりだ。私の道は私のものだ。私が走って積み上げたものは、一つ残らず私のものだ。栄光も、屈辱も、幸福も、悲しみすらも、その全てが私なのだ。


 誰であっても私以外の存在が、それらを自分の物の様に扱うなんて許さない。私は絶対に、私が手にしたものを他の誰にも譲らない。


 ああ、そうだ。そうだとも。


 受け入れる。この壊れた脚が、私が走った道の結末だというならば。私は胸を張ってそれを受け入れる。


 この脚が壊れるまで私は走り抜き、戦い抜いたと。この脚もろとも私は私の全てに、堂々と胸を張ることが出来る。


 私は心に浮かんだ言葉の全て、心に収まり切らぬ憤怒の全てを込めて、一心に大泉笑平を睨んだ。


 尻もちをついたまま、ずっと私に睨まれ続け、呆気に取られたように私のことを見上げていた笑平が、やがてゆっくりと立ち上がる。


 私は目の前の男に話し掛けた訳ではない。人間は私の言葉を理解出来ない。だがそれでも、この無駄に勘だけはいい男はきっと、私に怒りをぶつけられたと理解したはずだ。


 私の怒りの意味を、多分この男は察した。察しろよ。どうせ察することが出来るだろ、お前なら。


 時間を掛けてゆっくりと立ち上がった大泉笑平は、私の頭突きが当たった場所を撫でてから、自嘲するように笑った。


 そして、その頭の中の煩悶を追い出すように、大げさに自分の頭を両手で搔きむしった後、おもむろに着ていたロングコードを脱いだ。そしてそのコートをそのまま地面に放り捨てる。


 コートの下は、いつものグレーのスーツ姿だった。


 そしてスーツ姿になった大泉笑平は、私の目を一度睨んでから、覚悟を決めた様にその両腕を私に向かって突き出した。


「分かった。俺やなくてお前が決めろや。お前は馬やけど、きっとそれが出来る奴や。覚えとるか? 俺とお前が初めて会うた日のことを」


 言いながら、大泉笑平はスーツの右の袖をぶらぶらとさせて見せた。


「今日を限りでレースを引退するなら、こっちの右の袖を噛めや」


 そして次に、左の袖を私に見せる。


「怪我の治療に専念し、何としてでもレース復帰を目指す言うなら、こっちの左の袖や。乗りかかった船や。お前が諦めんなら、俺も最後まで付き合ったる」


 言って、さあ選べと、大泉笑平はスーツの両袖を私に差し出した。


 私は迷わずに左の袖を噛もうとした。


 脚が壊れたなら引退するのも止む無し。だが、レースに復帰出来る可能性が残っている以上、私はまだこの道を降りるつもりはない。


 まだ私には、やり残したことがある。


「よく考えて選べよ」


 しかし現役続行を即決しようとした私を遮る様に、大泉笑平が声で制止が掛けた。


「言っとくが、お前の脚の状態は大分悪い。治るのにどれだけ時間が掛かるかもう分からん。レースに復帰出来たとしても、その時お前を待ってくれている相手はもうレース場におらんかもしれん」


 大泉笑平の諭す様な言葉。私が間違えない様に、きちんと物事を教えようとする言葉。


「レースに復帰出来た後も問題や。完治しても右前脚に再発のリスクは残り続ける。そして屈腱炎の時限爆弾は、残りの3本の脚にも残っとる。右前脚と同じように起爆までのカウントが進んだ、いつ爆発してもおかしくない3本脚や。そしてより爆発しやすい爆弾を抱え直した右前脚。そんな脚でお前はレースを走ることになる」


 笑平はわざと低い声でしゃべっていた。レースに復帰することが私にとってどれだけ危険か、それをどうにかして私に伝えようとしている。


「馬の脚は馬の命すら司る。怪我が治り、元通りでなくなったお前の脚が、レースや調教の負荷にどれだけ耐えられるかは分からん。耐えられなかった時、次はどんな壊れ方をするか誰にも分からん」


 かつてない真剣な声色で、笑平は言葉を紡いだ。


「最悪、レースに復帰すれば、お前は死ぬことになるかもしれん。もう二度と、この故郷の牧場へは帰って来れないかもしれん」


 それすら覚悟して選べと、大泉笑平は言っていた。


 私は袖を噛もうという動きを止めた。

 きちんと考えなければいけないと、よく考えて決めなければいけないことだと、改めて分かったからだ。


 そう思って私は一旦、右も左も袖を噛むのを止めた。一度立ち止まって自分の考えを整理しようとした。その時である。


 突然、横から私ではない別の馬の首が伸びてきて、大泉笑平の右袖を噛んだ。


 何事かと、私と大泉笑平の両方が驚きで表情を同じにする。


 横から突然現れたその馬は、私と同じ栃栗毛の馬だった。

 その馬は、私の母だった。私ではなく母が、私の引退を決める大泉笑平の右袖を噛んでいた。


 あまりのことに言葉も出ず、ただ茫然と母の顔を見る。


 母は私の顔を見ようとしなかった。私から目を背ける様にしながら、しかしその目は大泉笑平を睨んでいた。


 子を守る母親の顔をして、母は大泉笑平を睨み付けていた。


 友蔵おじさんは私にもう引退して欲しいのだと言う。東條は私のレース復帰を待っているのだと言う。郷田先生はどうするべきか迷っている。大泉笑平は決断を私に委ねた。


 そこに今、母が割って入った。自分だって関係者だと。私の娘をこれ以上危ない目に遭わせるなと、母が私の決断に割り込んできた。


 娘である私から恨まれることになっても、私の命を危険から遠ざけようと、母は今、大泉笑平のスーツに噛みついている。


 その母を、大泉笑平は愕然とした表情で見ていた。目を見開いて、母に睨まれたまま、笑平は固まってしまった。

 

 笑平の心の中で、どのような感情の変化が起こっているのか。その差し出した両手がブルブルと震え出す。


 そして私もまた理解する。母がここまでするということは、母がこうまでして止めてくれるということは、本当の本当に危険なのだと。


 私の脚はきっともう本当に限界で。私を支え続けてくれた脚は、もう走ってはいけないということを私に伝える為に、壊れてくれたのだ。


 それを無視し、無理に脚を治して再びレースの世界に戻るのならば、きっともうここへは帰って来れない。

 レースの世界にもう一度足を踏み入れたら、私はきっとそこで死ぬ。



 でもだからこそ、私の覚悟は決まった。



 だって私は言ったのだ。ニーアアドラブルに『また一緒に走ろう』と、『次も私が勝つ』と、そう言った。


 ごめん、お母さん。でも私は、やっぱり私の道を裏切れない。


 あらゆる覚悟を込めて、私は母の逆、大泉笑平の左袖を噛もうとした。


 現役続行、命果てるまで走り抜く道を私は選んだ。大泉笑平の左袖に思いっきり噛みついた。


 ガブゥッッ!!


 噛んだ瞬間、口に広がったのは違和感。布ではない、もっと太いものを噛んだ感覚。


 気付けば私の口は、大泉笑平のスーツの左袖ではなく、その右腕を噛んでいた。

 スーツの左袖を噛もうとした私の口の前に、大泉笑平は咄嗟に自分の右腕を差し込み、その右腕を私に噛ませていた。


 大泉笑平の右腕を、スーツもろとも私が噛んでいる。突然のことに、私は驚きの余り思わず顎に力を込めてしまった。


 スーツ越しに、大泉笑平の血が滲む。

 慌てて口を話すと、大泉笑平は崩れ落ちる様に地面の上に膝を落とした。


「すまん。バイン、すまん。ああ、無理や。すまん」


 そして大泉笑平は力なく首を横に振った。

 その顔から零れ落ちた水滴が、地面の牧草を濡らした。いつでも憎らしく笑っているはずの男が、手を地に着いて泣いていた。



「引退してくれ……っ!」



 絞り出すような掠れ声で、大泉笑平は言った。その声を聞き、私は天を仰いだ。


 情、か。情だな。


 私にレースを走って欲しいと言うこの男の思いは、この男の欲だった。


 その欲を情が上回った。私に死んで欲しくないという情が、私の身を案じる情が、この男の中で欲を上回った。


 身勝手な人間め、と思う。

 けれどその情を育てたのだって、きっと私自身なのだろう。


 私の走りが、この男の中で情を育てた。常に全力で走ったから、私の脚は壊れた。


 ならば、この結末もまた私自身が作り出したもの。

 私自身が無茶をしたツケと、私自身が育てた情によって、私の走る修羅の道はここで閉ざされる。


 あまりにも呆気なく、あまりにも突然に、私は道の終わりに辿り着いた。


 隣の母が私を見ている。私は空の彼方を見た。


(すまん、東條。すまない、ニーアアドラブル)


 同じ道を走り、共に戦ってくれた男。私のことを今でも待ってくれている彼のことを想う。

 同じ道で出会い、全てを懸けて争った女。待たせてしまった彼女のことを想う。


 私の心を代弁するように、泣く男の口からは、謝罪の言葉が掠れ声になって零れ続けたのだった。



---



【バインバインボイン 屈腱炎で引退決定】


 昨年の天皇賞(秋)で1着となった翌週、右前脚の浅屈腱炎を発症して休養に入っていたバインバインボイン(牝5歳、美浦・郷田厩舎、父ゴーゴーマイル)が、現役引退することが2月6日分かった。


 同馬のオーナーであるタレントの大泉笑平氏が自身のSNSで発表した。5歳シーズンでの復帰を目指していたが、思うように患部が回復せず、現役続行は難しいと判断したという。


 なお、バインバインボインは今後競走馬登録を抹消し、生まれ故郷の巴牧場で繁殖馬になる予定。


<通算成績>

12戦 9勝


<主な勝鞍>

桜花賞(GI)

安田記念(GI)

天皇賞(秋)(GⅠ)


●管理する郷田調教師のコメント

『屈腱炎という病気は競走馬にとって宿命のようなものであり、仕方がない部分もあるとはいえ、惜しむ気持ちを抑えられません。


 競走馬としての全盛期の最中の故障であり、突然の出来事をとても悔しく思っています。


 バインは私の厩舎にとって初の重賞、初のGⅠタイトルをもたらしてくれた恩ある馬であり、調教師としての私自身にも大きな影響を残してくれた馬。


 3歳の秋からしばらく勝利から遠ざかり、ようやくまた勝ち出してくれたところでした。

 サラブレッドという存在の強さを、競馬という競技の面白さを、改めて我々に認識させてくれた馬でした。


 いつか彼女の仔を私の厩舎で預かって、大きなタイトルに挑戦することが私の新しい目標です。その時は、バインの時同様に応援をお願いします』



●東條騎手のコメント

『忘れられない馬です。あいつはどんな怪我でも絶対に乗り越えて、必ず帰ってくると信じていました。あいつがレースに帰って来ないということが、未だに信じられない。

 郷田厩舎に行けば、今でもあいつが待っているんじゃないかと、そんな風に思うことをやめられません。


 バインは俺に、勝負というものを教えてくれた馬。戦うということを、諦めないという言葉の本当の意味を、教えてくれた馬。

 俺が不甲斐ないばかりに、彼女には悔しい思いもたくさんさせてしまった。


 彼女と一緒に走ったことは、俺にとって生涯の誇りです。彼女に教わったこと、彼女が残してくれたものを胸に、彼女の分までもっともっと走り続けたいと、そう思っています。


 認め難いですがそれでも今は、彼女に対し、ただただありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです』



●大泉笑平オーナーのコメント

『初めて買った馬で、俺にとって馬主としての思い出は、あの馬との思い出がほとんど十割。思い返せば、馬に無理ばかりさせる酷いオーナーやったと、自分でも思います。

 でもそんな俺の無茶苦茶に、いつだって全力で、いつだって必死で応えてくれた馬でした。


 俺のことを嫌いなくせに、会う度俺に噛みついてくるくせに、あいつは俺の見たいものを全部見せてくれた。俺のお願いを全部聞いてくれた。そんなへそ曲がりで、強情で、でも俺のことをずっと見てくれていた、そんな変な奴でした。


 いつの間にやらあの馬のことを、俺は自分の娘みたいに思えてきていたんですけども、それもちょっと違うのかなと今は思うとります。


 実はあいつは、俺の友達やったんやないかと。お互いにお互いの嫌なところを100個言い合える、会う度に喧嘩する、でも頼むとお願いすれば、しゃあないなと腰を上げてくれる。

 そんな得難い友達にあいつはなってくれたんやないかと、そんな風に今は思っとります。


 今はただ、『ありがとう』『すまんかった』『お疲れ様』という気持ち。


 レースで頑張ってくれた分、これからは故郷の牧場でのんびり暮らして欲しいと、あいつの幸せを願っとります』



 バインバインボインは父ゴーゴーマイル、母トモエロードという血統で、生産は日高の巴牧場、馬主は大泉笑平氏。


 デビューから無敗のまま重賞6勝、内GⅠ3勝を含む7連勝を記録。テレビタレントの大泉オーナーの影響もあり、その活躍はテレビで大きく取り上げられた。

 桜花賞と秋華賞でのニーアアドラブルとのライバル対決は、大きな一つのブームを作った。


 古馬になってからはヴィクトリアマイル2着、安田記念1着と、マイルレースで活躍。

 4歳秋には天皇賞秋にてニーアアドラブルとの3度目のライバル対決を制し、自身初となる中距離GⅠタイトルを獲得した。


 マイルレースで数々のGⅠタイトルを掴み、ついに中距離のタイトルをも掴んだ同馬。この先の出走レースに関心が集まっていた中でのアクシデントだった。


【競馬ニュースサイト KEIBANET.comより】



あともうちょっとだけ続きます。最終話含め、残り4話予定です。


明日も昼12時更新です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 大泉の男泣きと母の愛で介入するトモエママン 名シーン過ぎる…… このエピソード競馬界の逸話で語り継がれそう
[一言] 俺は言葉を理解する馬に会ったことがある それも二頭もだ って一生モノのエピソードですね… 焼かれた脳はもう戻らない
[良い点] 母が娘を死なせないようにポリシーを変えてでも介入したのが良かったです。 バインちゃんの兄達の中で生き残れた子はいなさそうですし、母としては生き残れそうに思ってた娘まで死ぬかもと思ったら、…
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