天皇賞（秋）　～修羅道～

　3番ゼッケンを着けた私は、１のゼッケンを着けた馬のすぐ後にゲートへ案内され、他の馬達がゲートインするのを待っていた。

　今まで何度も走って来た東京競馬場。しかし、今日のスタートの位置はいつものスタンド向こう正面ではなく、第1コーナーの奥にあるポケットからのスタートだ。

　そこからコーナーを３回曲がり、競馬場をぐるりと一周した先にゴールはある。

　最初のコーナーがスタートしてすぐの位置に見えるので、いつも以上にスタートが大事になるなと思いながら、私は他の馬のゲートインを待った。

　私の背中に乗る東條は落ち着いていた。気負っている様子もなく、いつも通りだ。いつもの頼れる私の相棒だ。

　私の方もいつも通り。パドックで喧嘩を売られるというアクシデントもあったが、怪我をした訳でもないし、特に問題はない。

　パドックでニーアアドラブルが駆け寄って来た時は何事かと思った。

　急に近づいて来たと思ったら、怒ったようにこっちを睨みながら、嬉しそうに尻尾を振っていた。

　あいつの情緒は一体どうなっているのだろうと、こっちが心配になったほどである。

　睨んだまま動かないので、喧嘩を売られているのかと思い、試しに小突いてみれば異様に驚いてみせるし、そのくせ後ろには下がらない。おまけに相撲をするのは初めてかって位ヒョロヒョロのやり返しをしてきた。

　結局、何がしたかったのかよく分からない馬だった。だが、少なくとも私のことをこの１年で忘れてしまった訳ではないようだった。

　あいつは私のことを覚えてくれていて、だから私の方へ駆け寄ってきてくれた。それだけは確かだ。

　久しぶりに会ったニーアアドラブルは私の想像通りに、いや、私の想像以上に成長していた。

　去年の秋から見違えるように、大きく、強く、美しくなっていた。向かい合っただけで、目の前の馬はやはり別格の存在なのだと分かった。

　そうでなくちゃいけないと思う。彼女は私を負かした馬なのだ。彼女が小さくて弱いつまらない馬になっていたら、それこそ私の沽券に関わる。

　でも、彼女は私に勝った時よりも、更に強い馬になっていた。向かい合っただけでそれが分かった。強くなって、くれていた。

　その事実が恐ろしく、そのことを何よりも嬉しいと感じてしまう。

　そしてだからこそ勝ちたい。そんな彼女に、私に初めての敗北を刻んだ彼女に私は勝ちたい。

　もう負けたくないからじゃない。ただただ彼女に勝ちたいから、勝ちたい。

　彼女に私の全てをぶつけたい。彼女にも自分の全てを私にぶつけて欲しい。それは私にとって一生の宝になる。

　私の魂に刻まれる、私を支え、私を鼓舞し、私に力をくれる、私の一部に成る。

　勝てば勝利という栄光が、負ければ敗北という傷が、私の中に誇りとして積み重なり、私を形成する一部となる。

　1つしかない栄光を奪い合うことで、私達はお互いに忘れられない存在になる。

　私は私という存在を彼女に刻みたい。そして彼女という存在を、勝利の栄光と共に私自身に刻みたい。

　その為に勝利が欲しい。彼女に今日勝って、彼女との戦いに決着を付ける。

　今日出走する馬の、最後の１頭がゲートインした。東條がスタートに備え、私の頭を低く押し込む。

　呆気なく感じる程簡単にゲートは開いて、私は全ての馬達と共にコースという戦場へと飛び出した。

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　ゲートが開くと同時、私は他の馬達と一緒にスタートを切った。

　各馬揃った綺麗なスタート。スタートダッシュに乗り、私が自分よりコースの内にいた1番と2番の馬より前に出た。そしてそのまま内に寄りつつ走りやすいポジションを確保する。

　テクノスホエールと戦った前２戦と同じく先頭、逃げの位置に私はついた。

　逃げる私の後ろから馬達のバタつくような足音が聞こえる。背後で前後左右、目まぐるしく馬達の位置が入れ替わっているのを耳で感じる。

　今日のコースは、スタートから最初のコーナーまでが100ｍと少ししか距離がない。そのコーナーに入るまでにポジションを確保しようと、後続の馬達はせわしなく動いていた。

　背後のポジション争いを無視し、私は加速して後ろを引き離しに掛かる。

　そして100ｍほど走ったところで最初のコーナーへ先頭で突入する。同時に緩い下り坂が始まり、傾斜に乗って更に私は加速した。

　コーナーを曲がる途中、大外から11番ゼッケンを着けた黒毛の牡馬が迫って来た。そしてその馬が私の1馬身後ろの位置につく。その黒馬の更に2馬身後ろに、先頭集団の頭が来ていた。

　2位の位置を走る11番と私との差は1馬身差。先頭集団とは4馬身差を付けた状態で、私は最初のコーナーを曲がり切り、向こう正面に入る。

　今のところ順調だ。カーブが緩やかな東京のコーナーは、あまり減速せずに曲がり切ることが出来る。

　荒れの少ないコースの内側を選んで走りながら、スタミナと距離のロスを抑えつつ、順調に直線へ辿り着いた。

　東京の長い直線。その見慣れた道を、ハナを切って軽快に走る。

　すると、私の後ろを走っていた11番の黒馬が徐々に下がっていった。1馬身あった私と11番の差が、徐々に2馬身に広がっていく。

　そこで、私の鞍上の東條からも速度を下げるよう指示が出る。

　突き放すのではなく私も減速するのかと、すこし意外に思いながら速度を落とした。

　しかし私がスピードを緩めても、11番は私以上に減速した。3馬身、4馬身とその差は開いていき、ついに11番は後ろを走っていた先頭集団と合流してしまう。

　まだレースは始まったばかり。位置を下げた11番だが、流石にもうバテてしまったという訳ではないはずだ。

　私とハナを奪い合ってスタミナを消費するのを避ける為、11番の騎手が馬を後ろに下がらせたと考えるのが妥当か。

　そしてその動きに合わせ、東條は今までやったことがない絶妙な速度調整を私にさせた。

　11番より緩やかにスピードダウンすることで、11番との差を広げつつ走るスピードを落とした。

　多分だがこれ、傍から見たら私は加速しているように見えるのではないだろうか。

　11番に後ろに張り付かれた私が加速し、それに11番がついて行けなくなって、後ろに下がって先頭集団に合流した。

　そして先頭集団は逆に私に引っ張られて加速し、私との4馬身差を保っている。

　そんな風に見えるのではないだろうか。そんな風に見えるように、東條が私のスピードをコントロールしているのを感じる。

　今走るこのスピードは、はっきり言って遅い。テクノスホエールに張り合って、異常なハイペースで走ってばかりだったのもあり、レースってこんなにゆったり走っていいものだったかと不安に感じる程だ。

　だが、この遅さが私に有利に働くのは間違いない。差し馬の武器がゴール前のトップスピードならば、逃げ馬の武器はゴール前で粘るスタミナだ。

　先頭を死守する為のスタミナを温存できるこのスローペースは、私にとってプラスにしかならない。

　後ろの馬達の中に、馬群を飛び出し私に並び掛けようとする馬はまだ現れない。

　結果、私だけがぽつんと先頭に残されている。

　後ろを走る馬達はやや縦長の隊列だ。その中で馬達は周囲の出方を窺いながら、先頭を進む私のことを睨んでいる。

　睨むだけで、誰も私に挑んで来ない。

　騎手達だって馬鹿ではないはずだ。東條が今日のレースをスローペースにしていると、とっくに気付いている者は多いはずだ。

　なのに、それを崩そうとする者が現れない。ホエールに私が競り掛けた様に、私のペースを乱し、体力を削ろうと挑んで来る者が現れない。

　我慢出来ず仕掛けた奴から脱落すると、多分後ろの奴らはそう思っている。

　私と東條が作るこのスローペースを乱すために、自分の馬の脚と体力を使ってしまえば、最終直線でのゴール争いから脱落することになると、そう騎手達は考えている。

　だから自分以外の誰かに私に競り掛けに行って欲しくて、でも誰も動かないから、結局私と東條の思うがままにレースは進んでいる。

　直線を走りながら、坂に差し掛かった。そこで東條からはさらに減速の指示。更に遅くするのかと驚きながら、指示されるまま速度を緩める。

　登坂が始まったこともあり、まだ平地を走っている後続との差が縮まる。しかし、そこでも私との差を一気に詰めようという馬は現れない。

　坂を登り切った。下り坂が始まる。まだ坂を登っている後続との差が開く。

　4馬身あった差が、一時登坂で2馬身差近くまで縮まり、しかしまた今3馬身差まで広がった。

　ゆっくりと第3コーナーに突入する。

　大丈夫かと、私はいよいよ心配になってくる。

　自分のことが心配なのではない。後ろの馬達とその騎手達の心配だ。

　後ろの連中は本気で私に勝つつもりがあるのだろうか。あるいは、私が舐められているだけか？

　どんなに私の体力に余裕があっても、東京の長い最終直線でなら差し切れると、そう思っているとか？

　だとしたら私のことを舐め過ぎだ。私は仮にも、あのテクノスホエールを削り切って倒した馬だぞ。

　そんな私が今、かつてなく脚と体力を残した状態で、最終直線へ続くコーナーを曲がり出している。

　いや、体力が残っているなんてもんじゃない。何なら回復している。走れば走る程体力と脚が回復しているような、そんな感覚すら今の私にはある。

　私にとってレースとは、自分の中のものを削る戦いだ。スタートからゴールまで、スタミナと脚は走る程に削られていく。

　最終直線ではその残りカスを振り絞り、死に物狂いで勝利を掴む。私にとってレースとはそういうものだ。

　だが、この過去最もゆっくり走っている今日のレース、私の中にある物は圧倒的に充実している。スタミナも、脚も、気力も、何もかも、余裕すら感じるほどに満ちている。

　このままだと勝つぞ、と私は思った。これだけ残っていれば、こんなにあれば、後ろの臆病者共に何をされたって、普通に突き放し、当然のように粘り切り、簡単に勝ってしまうという感覚があった。

　余裕を残したまま、第3コーナーを曲がり切る。徐々に速度を上げながら、第4コーナーを曲がり終える。

　後ろの馬達が今更加速し始めた。遅い。私はもう加速の最中にいる。有り余るほど溜めた体力と脚を開放し、ゴール目掛けトップスピードに近付いていく。

　最終直線に入った。後ろの馬達も私に続いて最終直線に入る。

　遠い。後ろの馬達の足音が遠い。何もかもまるで足りていない。

　あいつらはこの最終直線でもそんな勢いでしか走れないのか。分かった。分かってしまった。後ろを走る馬達に、私に並べる馬はいない。

　前を進む。先頭を進む。後ろとの差はまだ3馬身。最終直線に入っても未だに3馬身。

　何をしていた、お前達。今日のレースに勝つ為に、この直線に辿り着くまでに、お前達は一体どれだけのことをした。

　私と東條が作ったペースに合わせ、ただ漫然と走るだけでこの私に並べると、そこまで私のことを舐めたのか！

　勝つ。どう考えてもこのまま勝つ。このまま、誰も私に挑んで来ないまま、このままだと勝つ。

　このまま私一頭で、ずっと先頭のまま、誰とも戦わず、誰にも挑まず、誰からも挑まれず、ただコースを一周するだけで、私は勝つ。

　あるのか、そんなことが。そんなレースがあるのか。

　10頭以上の馬が今日のレースには出ているのに、その中の誰とも一緒に走らないまま、誰とも戦って貰えないまま、誰にも相手にされないまま、勝ってしまう。

　そんなレースが、そんな寂しい勝利が、世の中にはあるというのか。

　つん、と、鼻の奥をつくように、ゴールに向かって燃え盛ろうとする私の心の奥を、寂しさがつついた。

　同時、テクノスホエールの瞳を思い出す。

　私が彼女にまるで届かなかった時の、寂しそうな彼女の瞳を。私が彼女に並べた時の、嬉しそうな彼女の瞳の輝きを。

　ああ、彼女はこんな寂しさを抱えながら、それでもずっと走り続け、勝ち続けていたのだと、私は今更ながらに知った。

　彼女に勝てるほどの馬になるということは、この悲しさを知ることなのだと、今更ながらに気付く。

　ならば、このまま勝つしかないのだろう。

　この勝利すら悲しみと共に、自分の一部としていくしかないのだ。

　例えどれほどの寂寥(せきりょう)を抱こうとも、私の脚は勝利以外を認めないが故に。

　ハミを噛む。脚の回転数を上げる。見せつけてやる。今日のレースを見る観衆に、騎手に、馬達に、私の走りを、私の強さを、勝てるものなら勝ってみろと、私の勝利を見せつけてやる。

　ゴールまで残り、300ｍ！

　…………パカラ

　ああ、うん。そうだよな。

　…………　パカラ

　もちろん、忘れていた訳じゃないんだ。ただ、他の馬達があんまり不甲斐ないものだから、つい苛立ってしまっていた。

　…………パカラ　…………　パカラ

　お前が来ないはずがないんだ。お前が私に挑んで来ないはずがない。私がお前に挑まずにいるはずがない。同じレースを走りながら、私とお前が戦わないなんて有り得ない。

　…………パカラ　…………　パカラ！

　なんて力強い蹄の音。悪夢のようなその足音。大股で地の上を滑るように、まるで空を飛ぶように、その走りが近付いてくる。

　歩幅が大きすぎるせいで、一つの足音が聞こえた後まるでワープしたように、私との差を一気に詰めた位置から2歩目の足音が聞こえる。

　私にないものを持ちながら、私の武器すら全て備えた、憧れすら届かぬほどの脚。

　私に天賦の才というものを教え、私に初めての敗北を刻んだ、お前の走り。

　………パカラ！　…………　パカラ！！

　お前なら、お前さえいれば、私は孤独にならない。

　お前が走り続ける限り、私はどれだけ走り続けても、必ずお前が現れて、孤独と無縁の闘争が始まる。

　私と走る為に、私に挑む為に、私に勝つ為に、お前は必ずやって来る。やって来てくれる！

　パカラ！！！

『ブフーゥ……』

　鼻息が聞こえた。私の鼻息ではない。

　横から後ろにかけてを広く見通す馬の視界。私の右目にそいつは映った。

　後続の馬全員が、私に追いつけない訳ではなかった。

　後ろの馬達の中でただ１頭、別格の馬が、集団を飛び出し私に挑みに来た。私に挑みに来て、くれた。

　大きくて美しい、栗毛の牝馬だった。顔に、大きな大きな傷のある馬だった。

　その瞳は喜びに満ちていた。輝くほどの歓喜を湛えて、その瞳が私を見ている。ああ、彼女もまた、ホエールと同じ寂しさを抱えて走り続けていたのだと知る。

　彼女の瞳に映る私の瞳は、きっと彼女と同じ喜びを宿していた。

　うん。じゃあ、戦(や)ろうか。

　今日のレースで初めて東條が鞭を振るった。それに応え、私が加速する。

　ゴールまで残り、200ｍ！

　ニーアアドラブルもまた速度を上げる。突き放そうとした私の加速に当然のように対応し、ニーアアドラブルが１馬身差を保ちつつ、それをさらに縮めようと迫る。

　だが、今日の私には余裕がある。私には余力が残っている。

　脚も体力も全てが盤石。負けた秋華賞の時よりも、勝った桜花賞の時よりも、今日の私は何もかも万全な状態で、この最終直線を駆けている。

　過去走ったどのレースよりも完璧な状態で、私は今、ゴール争いをしている。

　つまり、今の私が最強だ。私は今、過去最強の自分でニーアアドラブルに挑んでいる。過去最強の私に、ニーアアドラブルは挑んでいる。

　私を超えるつもりなら、この私に勝ったと誇るつもりなら、この一番強い私を、最も強い今この瞬間の私を、その脚で降してみせるがいい。

　お前に出来るものなら。させはしないが。

　ニーアアドラブルの脚の回転数が更に上がる。私もまた脚の回転数を上げる。歩幅が大きい分、ニーアアドラブルの方が速く進む。1馬身あった差が3分の1馬身縮む。

　3分の2馬身リードしたまま、残り100ｍを切る。いや、もう切った。

　私の速度トップスピードに届いた。これ以上は速く走れないという限界に届いた。だがまだだ。ニーアアドラブルは去年より必ず強くなっている。

　ならば、私が限界でも彼女はここから更に速くなる。でも私だって速度は落とさない。

　このトップスピードのままゴールまで駆け抜ける。それが出来るだけの体力を、東條の騎乗が残してくれている。

　私の速度はこれ以上下がることはない。だから後は、残りの100ｍを私が粘り切るか、彼女の加速が3分の2馬身差を100ｍで飲み込むかの勝負。

　当たり前のように差が縮む。知っている。彼女の脚は私より速いと知っている。残り半馬身。

　抵抗して脚の回転数を上げようと足掻く。維持するだけでなく、今この瞬間自分の限界を超えようと挑む。

　残した体力を振り絞り、溜めた脚を使い切り、そこからなお限界の先へと進む。

　そこまでやって勝てるかどうか。彼女がそれほどの相手だということを、負けた私は誰より知っている。

　ゴールまで残り、50ｍ。ニーアアドラブルとの差はまだ半馬身。どうした。足りん。足りんぞニーアアドラブル。そんなもんじゃないだろう。お前は、そんなもんじゃないだろう！

　私だってな、こんな程度じゃないんだよ！

　首を低く、脚を前へ、残した体力を振り絞る。トップスピードを超えて更に更に前へ。

　ゴールまで残り、30ｍ。桜花賞で横に並ばれた位置。そこでニーアアドラブルとの差がクビ差まで縮まる。秋華賞ではクビ差で負けた。今は首一本分私が前。

　決まる。分かる。残り距離は関係ない。今この瞬間に勝負が決まる。

　ニーアアドラブルを見た。ニーアアドラブルも私を見た。

　ゴールを狙う顔。全てを懸けて勝利を求める顔。戦うことでしか望みを叶えられない私達。けれど、戦わなければ叶わないと知っている私達。

　ただ一匹の修羅として、この瞬間を生き、この道を走る私達。

　彼女の瞳には私という修羅が映っている。私の瞳には彼女という修羅が映っている。

　ああ、終わる。

　東條が天高く鞭を振り上げた。風を劈いて、その鞭が振り下ろされる。

　私の中で力が漲り、私はボールが弾むように前へ飛び出した。

　ニーアアドラブルの騎手が、東條よりワンテンポ遅れて鞭を振った。

　ニーアアドラブルは撃鉄に打たれた雷管が如く、鞭に応え前に飛び出す。

　差は縮まらなかった。ニーアアドラブルは最後に伸びた。わずかだが伸びた。けれど、私も同じくわずかに伸びた。

　最終直線に入ってから、徐々に徐々に縮まり続けた彼女と私の差。しかし、最後の30ｍだけは違った。それを走り抜ける1秒にも満たないほんの一瞬だけ、その差の縮まりは止まった。

　私がニーアアドラブル相手に粘り切った。クビ差を死守したまま、私の鼻先がゴール板を通過する。

　永遠の喜びが私に刻まれ、無限の切なさが私を包む。

　天覧試合である天皇賞。

　今日のこのレースを見たあらゆる人間からの大喝采が、惜しみなく私に降り注いだのだった。