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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
四章:仮面で奏でし恋の唄(前編)
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第2話 おつかいライフ(2)



「うるさいよー。ゆっくり寝られやしない」



 ふああ。



 欠伸をしながらキッドが目を擦り、二階から下りてくる。気の抜けたその顔は、どこか寝起きの少女にも見えた。下りてくる足音にあたしはげっそりと肩を落とす。


(……ほら、モタモタしてるから…。…ああ…。髪のことでからかわれる前に帰りたい……)


 うんざりして階段から目を逸らすと、興奮気味のキッドの母親が握り締めて離さないあたしの手を上げさせ、ゆらゆらと揺らしてみせる。


「ねえねえ、キッド! あんた罪な奴ね! こんな子捕まえて!」

「何が?」

「テリー!!」

「え、いつ来たの?」

「今、ここにいるじゃない!」

「誰、その子。テリーはそんなに可愛くな…」


 寝ぼけた目をじっとあたしに向けてきて、髪が短くなったあたしを見て、きょとんと、キッドの目が見開かれた。


「テリー?」


 ぽかんと、あたしを眺め直す。


「どうしたの。その髪」

「…………切った」

「切った? この時期に?」


 この時期?


「髪を切ることに時期があるの? だとしたら最適な季節だと思うけど」

「ん…そうか。…だろうけど…。…でも…いや……」


 寝起きのせいか、言葉を詰まらせる。


(ん?)


 考えがまとまらないらしい。少女のような少年のような中性的な目はぼーっとしている。


(隈が出来てる。何々? あんた寝不足?)


 あたしの前に歩いてきて、短くなった髪に手を伸ばす。指で髪の毛をつまむと、キッドが、ぼそりと呟く。


「……ああ、…意外と、…似合うね」

「何よ? 文句ある?」

「いや。…んー…」


(髪が短いお前も愛らしいよ。テリー。その髪にキスをしてもいいかな?)


 そんな口説き文句を言われるかと思えば、キッドは何も言わない。ただ、じっとあたしの髪の毛を弄り、見つめる。


(……なるほど)


 こいつ、起きたばかりだっけ?


(寝起きだと頭が回らないみたいね)


 口ごもり、何かを言いたげだが、何も言わない。ただ、えーっと、とか、んー、と声を出すだけ。


(…これは、キッドの弱点を発見したのでは…?)


 つまり、


(今までの恨みつらみを返すなら、今じゃない!?)


 途端に目が輝く。今までのキッドにされてきたことを思い出し、この手に恨みのぱわぁーを溜める。


(ここで会ったが百年目…!!)

(てめえのママの前だろうが、あたしは容赦しないわよ!!)

(今までのからかわれた恨みを、ここで晴らす!!)


 にんまりと悪い笑みを浮かべて、キッドの母親の手が離れたのを良いことに、あたしはキッドにずいっと近づき、可愛い笑みを浮かべたまま前に出た。


「似合うと思うなら言葉で褒めてくれていいのよ? 婚約者なら、楽しく、愉快に、激しく、切なく、愛しく、ね?」


 いつか誰かに言われたその言葉を、本人に言ってやる。キッドがきょとんと瞬きして、微笑むあたしを見下ろす。


(さあ、来てみなさいよ! ばぁーか!! 反撃してやる!! くくくくくくくくくくくく………!!!)


 寝ぼけたキッドににやにやしていると、あたしの恨みを込める左手を見て――――キッドが、くすっと笑った。


(ん?)


「言葉というのは、伝わりづらいものだからね」


 そっ、とあたしの髪の毛を撫でる。


「言葉は無しで伝えるよ」


(え?)




 ――――――――ちゅ。




 近付いていたあたしの鼻に、キッドがキスをした。


(っ)


 ちゅ。


 あたしの頬にキスをした。


「あぇっ…!」


 ちゅ。


 あたしの瞼にキスをした。


「ちょっ…」


 ちゅ。


 あたしの耳にキスをした。


「まっ…!」


 離れようと一歩下がると、キッドの手が既にあたしの腰を掴んでいて、顎を掴まれる。


「え、ちょっ、ちょっ…!」


 ちゅ。


 耳下の顎のラインにキスを落とされる。


「キッ…!?」


 ちゅ。


 あたしの首にキスをした。


「あの、もう…!」


 ぱくり。


 首を咥えられる。


「ままままま…!!」


 ぺろり。


 舐められる。


「もういい!! マセガキ!! 触るな! すけべ!」


 その頭を無理矢理前に押し込むと、キッドの頭が離れる。


「えー?」


 そこから見えるのは、相手をからかってやろうとにやにやしている顔。


(こいつ…!!)


 ―――覚醒しやがった…!!


「だって、愛しい婚約者が目の前にいたから、つい歯止めが…」

「ふざけんな! くたばれ! あたしの前から今すぐ消えろ!」

「ふはははは! お前から現れておいて、何言ってるんだよ!」

「おつかいで来ただけよ! ばーか!!」


 ぎりっと睨むと、キッドがにんまりと微笑む。


(くそ、覚醒したこいつには敵わないわ! こうなったら、逃げる準備を…!)


「あら、キッドってば、大胆…!」


(はっ!)


 振り向くと、キッドの母親が口元を押さえてにやけている。


(はっ!)


 振り向くと、キッドがあたしににこにこ笑っている。


(はっ!)


 前にはキッド。横にはキッドの母親。


(しまった!)


 あたしの顔が青ざめる。


(敵陣に囲まれた!!)


 逃げられない!!


 ―――ずーんと体が重たくなって顔を俯かせると、キッドが正面からあたしを抱きしめ、あたしの頭に顎を乗せた。


「おつかい? なーに? それ?」

「…Mr.ジェフから書類を渡してくれって」

「あー、なるほどね。届けてくれたんだ。ありがとう」


 ぽんぽんと頭を撫でられ、あたしの体を解放する。ついでに紹介所のことを相談しようとキッドを見上げたら、目に入った。


(あ)


 治りきってない寝ぐせ。


「キッド」

「ん?」

「寝ぐせついてる」

「どこ?」

「ここ」


 かかとを上げて、背の高い頭から跳ねてる髪の毛を押さえると、キッドの手が重なった。


「ここ?」

「ん」

「濡らしてくるか」

「シャワー入れば?」

「めんど…」

「眠そう。寝不足?」

「最近ゲームが楽しくて」


 キッドがにんまりと笑う。


「テリーに手紙を出したいのに、その時間も作れないくらいハマってる」

「…いらない」

「あ、前のやつどうだった?」

「燃やしたわよ」

「あははは! 結構甘くなかった?」

「甘いなんてどころじゃないわよ…! あんた、書く度に甘さが濃厚になってない…?」

「いかにテリーが愛しいか綴ってるだけさ」

「くたばれ」

「ねえ、なんで嫌がるの? 女の子ってああいうの喜ぶでしょう」

「寒気しかない」

「残念だな。あ、テリーも一緒にゲームやろうよ。人生のサイコロゲーム」

「何それ」


 首を傾げると、キッドが愉快げに微笑む。


「なに、ただのすごろくだよ。ちょっと変わってるのが、マスに書いてある内容が人生で行うものになっているんだ。借金が出来たり、会社を立てたり、一人で旅行に行ったり、好きな人が出来たり、結婚したり、そんで一番お金持ちになったら勝ち」

「お金持ちになったら勝ち?」


 はっ! と、鼻で笑った。


「人生っていうのはお金と幸せよ。お金だけあっても家族もいない友達もいない愛も何も無いんじゃ、幸せになれない。勝ち組にはなれないわね。ま、所詮は庶民が作るゲームなんてそんなものかしら」

「何言ってるの。その間に様々な人生ストーリーがあるんだよ。その中でお金持ちになって勝利するから楽しいんじゃないか。やろうよ。テリー。楽しいよ」

「あんたと二人は嫌。リトルルビィも呼ぶ」

「ふふっ。いいよ。大勢でやった方があのゲームは楽しい。メニーも呼んでさ、四人でやろうよ」


(……メニーを呼ぶの?)


 確かに、一緒に遊べば姉妹関係は向上する。個人的には堪らなく嫌だけど、それで未来が変わるならお安い御用よ。チッ。たまには良いこと言うじゃない。こいつ。


 あたしは納得して頷く。


「そういうことならいいわ。四人でやりましょう」

「やった。じゃあまた今度の機会に呼んでさ、今日は二人で」

「二人は嫌だってさっきも…」


 ふふっ。


 キッドの母親が笑った。


「二人とも仲良しさんなのね。見てて微笑ましいわ」

「そうだよ。母さん。テリーは俺のお姫様だからね」


 またぎゅっと体を抱きしめられる。


「大切にしないと」


 その足をあたしが踏んづけると、キッドが悲鳴をあげた。


「痛い!」

「チッ」

「全く、照れ屋さんなんだから、こいつめ!」


 つん、と頬を指で押される。涼しい笑顔のキッドを、ゴゴゴゴゴゴゴゴと睨みつければ、キッドが吹き出した。


「だっはっはっはっはっはっはっ! 昼から清々しいくらいの無愛想面! 愛してるよ! テリー!」

「…黙れ…」


 頬を膨らませてそっぽを向くと、キッドがクスクス笑いながらあたしを見下ろし――――首を傾げた。


「……ねえ、なんで髪切ったの?」

「ん?」

「すげー似合ってるし、本当に可愛いよ。俺はすっごく好み。こんなにテリーが短髪似合うと思ってなかった。本当に、まるでお人形さんが動いてるみたい」


 でもさ、


「お前は良かったの?」

「…別に。こんなのただの気分転換よ」


 短い髪を払うと、キッドが不思議そうな表情で腕を組む。


「でもさ、…ほら、なんか城でイベントやるだろ? 家にも手紙が来たよ」

「仮面舞踏会のこと?」

「そうそう、それそれ」


 ああ、だから、『この時期に』か。

 あたしは眉間に皺を寄せて、キッドを見上げた。


「……あたしだってね、髪を切る理由が無ければ切らなかったわよ」

「だろうね。なんで切ったの?」

「……反抗したの」

「ん?」

「ママに、行きたくないって言ったの」

「行きたくない?」


 キッドが驚いて、素っ頓狂な声をあげる。キッドの母親も目を丸くして、あたしを見る。あたしは頷いて、短くなった自分の髪を弄った。


「髪を切れば、髪型をドレスに合わせることが出来なくなる。髪型だけみすぼらしくなって、ベックス家の恥になるなら、あたしは自然と舞踏会に行けなくなるって思ったのよ」

「お前も悪知恵が働くようになってきたじゃないか」

「どこかの誰かさんのおかげでね」


 睨むとキッドがおかしそうにくつくつ笑う。


「でもさあ、テリー、仮面舞踏会って、お前みたいなお金持ちが一番行きたがりそうなイベントじゃない? 街の女の子達も、一般人で参加が出来るからって言って、ドレスの準備を楽しそうにしてるよ」

「行きたい人は行けばいいわ。せっかく王様が十年に一度、城の門をわざわざ開けて開催してくれる舞踏会だもの。でも、あたしは行く必要ない」

「へえ?」


 キッドがにやりと微笑んで、興味津々にあたしを見る。


「テリー、それ本気で言ってるの?」

「ええ」

「なんで?」

「興味無いから」

「綺麗な格好して、仮面つけて、お城に入れるんだよ? 国中の女の子達の憧れなのに?」

「キッド、あたし何度も言ってるじゃない。そんなものに興味無いのよ。行って何になるっていうの? 仮面に隠れたかっこいい王子様を見つけて踊れって言うの?」


 そっと、視線を足元に移す。


「王子様なんていないのに。馬鹿みたい」


 またキッドに顔を上げる。


「だから髪を切ってまで反抗したのに、髪型は髪飾りでどうにでもなるから行きなさいだって。それに、行かないと貴族として示しがつかないって。ベックス家を支えたいと思うなら行けって。だから、……行くんだけど」

「…くくっ。テリー、全然乗り気じゃないね」

「何が楽しいのよ。何も楽しくないじゃない。……リトルルビィは来るの?」

「ああ、来るよ」

「ならいいわ。気持ちがちょっと楽になった。三人で美味しい食事でも楽しもうかしら」

「踊りは?」


 間を置いて、頷く。


「そうね。気が向いたら」

「へーえ。ってことは、踊れるんだ?」

「なめないで。貴族令嬢として踊りはマスターしてるわ。人並み程度にだけど」

「ふーん」


 微笑みながら、キッドはあたしの話に相槌を打つ。


(そういえば、家にも手紙が来たと言ってたけど…)


「…キッドは行かないの?」

「俺が行ったら、お前ヤキモチ妬くだろ?」


 にやにやと笑みを浮かべるこの笑みが嫌いだ。あたしは涼しい顔で首を振る。


「…別に」

「嘘だね。だって、俺すげーモテるんだよ」

「さっき、その話をお母様としてたわよ」

「ねー」


 キッドの母親が頷いた。


「キッド、同性からも異性からもモテるって話、したもんね!」

「そうだよ。俺すっげーモテるんだから」


 キッドが、えっへん! と胸を張る。


「仮面舞踏会になんて行ったら、もう、手の付け所がなくなっちゃうよ?」

「もうね、テリー、キッドはすっごいのよ!」

「そうだよ! 俺すっごいの!」

「生まれながらにしてのモテ人間」

「人間にモテるモテ人間」

「モテモテ人生!」

「顔も体もパーフェクト!」

「我が子ながら素晴らしい!」

「ね? テリー、そんな俺を婚約者に持ったお前は幸せ者なんだよ?」

「優しいし面白いし魅力的で」

「どうだ? テリー、俺モテモテで困っちゃうだろ? 浮気しないか心配だろ?」

「テリー、なんか言ってやってよ!」

「色んなレディたちから誘いを受けるんだろうなぁ?」

「これだけかっこいいから仮面をつけてもモテるわよ」

「それでもいいの? テリー?」


 楽しそうなキッドとキッドの母親に、あたしは頷いた。


「そうね。せっかくだもの。行ったら? 踊れるなら、沢山のレディ達と踊ってきなさいよ。キッドだったら楽しめると思う」


 キッドも庶民だ。こういった経験は彼にも必要だろうと思った、親切心から、このあたしが微笑んで、さあどうぞ。行ってらっしゃい、と手で促す。


 ―――だが、しかし、


 途端に、キッドの目が点になる。ぱちぱちと瞬きする。

 途端に、キッドの母親がきょとんとする。ぱちぱちと瞬きをする。

 それを見てから、あたしも首を傾げる。ぱちぱちと瞬きをする。


「何?」


 きょとんとすると、キッドの笑ってた目が鋭くなる。


「…………浮気、しちゃうよ?」


 むすっとしてる。さっきまでにこにこしていたのが、急に不機嫌に切り替わった。


(…なんで?)


 不機嫌になる理由がわからない。行っていいよって許してあげたのに。だいたい、浮気って、今さら何言ってるのよ。


「すれば?」

「…………」


 じろりとキッドに睨まれる。


(え?)


「なんで? いいじゃない。せっかくなんだから、一夜の思い出に、沢山の人と踊ってくればいいわ。したければキスだってなんだってしてくればいいじゃない」

「…………………」


(あ、そうか。お母様の前だからだ)


 事情があって婚約者が必要なんだものね。あんた。


「ああ、気にしないで」


 あたしはにっこり笑った。


「あたし、束縛しないの。キッドが浮気だと思ってるそれは、ただの遊びだってあたし分かってるから。ね。婚約者はあたしでしょ? うん。分かってる分かってる。でも、たまにも遊ぶのも必要だと思うの。だからいいのよ。大丈夫。あたし怒らないから。ね。行ってらっしゃい」


 さ、これでどうだ。

 見上げると、キッドの目がどんどん鋭く、冷たくなっていく。


(……なんでよ)


 なんで機嫌悪くなってるのよ。


「キッド?」


 何が気に入らないの?

 そう訊く前に、キッドが、すっと息を吸う。そして、



 ――――唄った。



 愛しきテリー

 まるで可憐な花の我が君

 一夜だけの過ちを許すという

 私の愛に答えない我が君

 瞳はあなたを見つめる

 幾度の時間を過ぎれば

 私のものになるのでしょうか

 私の想い人、テリー

 私をその瞳に映し

 私にその手を差し出し

 永遠の愛を誓いますように

 この想いは貴女へ捧ぐ



「…………ん? 今の、どういう意味?」

「つまりだな」


 キッドが屈んで、あたしの顔を覗き込んできた。


「いつになったら、ヤキモチ妬いてくれるの、ってこと!」


 すっごい不機嫌な顔で睨まれる。


「はあ? 何言ってるの? あんたにヤキモチ?」


 呆れてため息が出る。


「じゃあ、束縛すればいいわけ? はいはい」


 キッドの両手を握った。


「これでいい? はい。せっせっせーのよいよいよーい」

「おまっ…」


 ぐっ、とキッドが歯をくいしばった。そして、大人げなくあたしの手を乱暴に解き、あたしに指を差す。


「そんなこと言うなら! 本当に浮気するぞ!! いいのか!?」

「どうぞ」

「浮気するぞ!」

「どうぞ」

「浮気するからな!」

「あのね、あんたの浮気なんて、今に始まったことじゃないでしょう?」

「……は……?」


 キッドが目元を引き攣らせて、低い声で言う。


「俺、浮気なんてしたことないけど…」

「女の子と遊びに出かけてるって何度も聞いてるし」

「…浮気じゃないよ」

「へえ、そうなの。どうでもいい」

「……………」


 キッドが、むくれた。


「…なんでむくれてるのよ…」


 キッドが拗ねたように唇を尖らせ、ふん、と鼻を鳴らし、―――あたしを見下ろす。


「テリー」

「何?」

「その髪型」

「うん?」

「全く似合ってない」

「…………ああん?」


 眉間に皺を寄せ、唸るような声を出して睨むと、キッドも睨んでくる。


「おかっぱ」

「何よ。悪い?」

「おかっぱ娘」

「うるさい」

「おかっぱ令嬢」

「うるさいわね! おかっぱおかっぱ言うな!!」

「おかっぱをおかっぱって言って何が悪い。濁った赤い髪の毛におかっぱの貴族令嬢。はっ。そんな奴お前くらいしかいないよ。それで男を口説き落とそうたって無理だね。ああ、無理だ。だからお前には彼氏が出来ないんだよ。性格もひねくれてるし、危険だと承知で馬鹿なことばっかりするし、馬と鹿を掛け合わせて馬鹿となるなら、お前は馬と鹿の間に名前を置いてもいいくらい馬鹿な奴だよ。優しくしてあげても凶暴だし暴れるしひねくれてるしなびかないし反応ないし何も面白くない。それは確かにモテないね。同性からも異性からも。友達いないだろ。お前。…あー、ごめんごめん。一人だけいたね」


 ニクス。


「いやー、お前それだけは運がよかったね。ニクスが優しい子であることに感謝するんだな。心から感謝するべきだ。乱暴でひねくれた性格の悪いお前に付き合ってくれてるんだからちゃんと感謝の心を忘れずニクスに感謝の意を込めてニクスにありがとうとニクスに言うべきだよ。なんてったって、お前は俺とは違って友達が出来にくいわけだし、13年も生きてきて友達は優しい優しいニクスのたった一人だけ! いやー、本当にニクスに会えて、よかったねー! テリー!!」


(こいつ…!! 言わせておけば…!)


 ぐっと拳を握って、ギッ! と目を鋭く吊り上げ、いやらしく微笑むキッドにガンを飛ばした。


「キッドなんか、遊んでばかりで本当の恋なんて知らないクソガキのくせに、恋理論を偉そうにべらべら語ってばっかみたい!!」


 キッドが微笑んだまま睨んでくる。


「ちょっと何言ってるの? 恋なら誰よりも知ってるさ。俺、何人彼女いたと思ってるの?」

「あたし分かるわよ。どうせ全部遊びでしょう? キス出来たら安心して次に乗り換えてるんだ。だからキスしたがるのよあんた。それが癖だから」


 はあ? 癖?


「ちょっと何言ってるの? キスをするのが癖? キスをすると皆が喜ぶから答えてあげてるだけだよ。それに、俺、乗り換えてなんかない。皆が俺のこと一斉に好きになるから、一緒にデートして気に入った方を選んでるだけ。あ、ちなみに、14歳までの話ね。今はお前がいるからさ」

「選ぶって言うのが上から目線過ぎるのよ!」

「選ぶ立場だからね!」

「はっ! …本当、最低」


 鼻で笑うと、キッドから笑顔が消えた。


「………何、その目」

「………あんたこそ」


 きっ! と睨むと、キッドもぎっ! と睨んでくる。目がばちんと合うと、声が重なる。


「何だよ!」

「何よ!」

「賑やかじゃのう」


 振り向くと、リンゴを大量に入れた籠を持ったビリーが扉を開けていた。ぽかんとして硬直していたキッドの母親が、それを見て表情を明るくさせ、ビリーに駆け寄った。


「まあ! リンゴだわ!」

「ええ。沢山採れました」

「嬉しい! あ、そうだ。せっかくだから皆で食べましょう。テリー、私はリンゴの皮むきが得意なのよ。兎ちゃんだって薔薇だって何でも出来ちゃうんだから!」

「…帰ります」


 むすっとして言うと、キッドの母親があたしの肩を優しく掴んだ。


「そう言わないで。一緒に食べましょうよ」


 花のような美しい笑顔を向けられる。…そんな笑顔で言われたら、


(断れない)


「ね?」


 その笑顔に、視線を逸らしながら頷く。


「………はい」

「キッド、お皿用意して」

「………はい」


 キッドも視線を逸らしながら頷く。


(何よ。あたし何も悪くないわよ)

(急に機嫌悪くなったのはキッドじゃない)

(なんであたしがなだめられなくちゃいけないの?)

(ああ、むかつく。おかっぱのこと言いやがって。気にしてるのに!)


 もう一度さっき座ってた椅子に座り直す。キッドは皿の準備をして、キッドの母親はリンゴを洗い始める。ビリーがあたしの正面に座り、鞄から新聞を出した。声をキッドの母親に向ける。


「街で、号外とか言って配っておりました。また現れたらしいのう」


 新聞をテーブルに広げる。記事には、特大スクープとの文字。あたしも文字を覗く。


『現れた怪人。盗まれた令嬢の心と宝石』


 名家であるクロッカス家の一人娘、ディーデム・クロッカス。彼女が身に着けていたダイヤモンドのブローチと、彼女の心が怪盗パストリルに盗まれた。予告状が送られてきた際には警察も動き、敷地内での警備が万全の中で起こった悲劇。ディーデム嬢はパストリルを一目見たと答える。しかし、彼女もまた心を奪われた一人。憎き怪盗に恋をしてしまっていることから、怪盗パストリルの顔については、一切口を閉ざしている。怪盗パストリルの事件はこれで98件となる。


「恋泥棒か。98件っていうのも異常だね」


 皿を配るキッドが真面目な顔で新聞の記事を眺める。


「届いた予告状も調べているらしいがのう。手掛かりは無いらしい。警察もさぞ苦労しているじゃろうな」

「98人の令嬢がこの怪盗に宝石と心を盗まれてるんだろ? 一体どういう仕組みなんだろうね? そんなにかっこいいのかな」


 写真の横顔を眺める。怪しく、薄笑いを浮かべる怪盗パストリル。マントを広げ、片手に笛を持ち、月を背に飛んでいる幻想的な一枚。

 当時もかなり盛り上がっていた。胸がわくわくした。この二度目の世界でも、


(ああ、…やっぱり)


 何度見ても、


「魅力的よねぇ……」


 うっとり♡


「は?」


 キッドが白い目をあたしに向ける。じろりと、またまたあたしだけを睨んでくる。


「テリー? お前なんて言った? 魅力的?」

「…いいじゃない。人がどう思おうが」

「泥棒だぞ? 犯罪者が好きなのか? テリーは」


 にやりと笑って、不満そうなキッドに親指を突き出す。


「わかってないわね! キッド! 謎に包まれた仮面の泥棒! 一目見れば誰でも恋に落ちてしまうほどの魅力的な人! 写真にちらっと写るこの横顔! 高身長! イケメンっぽい! 美しい! 麗しい!」


ああ、あたしのパストリル様! この世界でもこれ以上ないほど美しい!!


「乙女はね、こういう謎めいた人に興味をそそられるものなのよ。お前はガキだから分からないだろうけど」

「お前も?」

「当然!」


 再びうっとり♡ と記事の写真を眺める。男なのか女なのかも分からないパストリル様。年齢も分からない。分かることは一つだけ。


 レディの心と、宝石を盗んでしまう悪党。


(ああ、こんな人と結婚出来たら幸せなんでしょうねぇ……)


盗んでみせよう。君の人生を。テリー、この私に君の心を盗ませてくれ。


(喜んで捧げますわ! パストリル様!)


うっとり♡


「素晴らしい。目の保養。ストレスが浄化されていく。時には癒しも大事よね…」

「なんだ? 目の保養がしたいなら、俺の顔を見ればいいじゃないか」


 むすっとしたキッドが隣に座ってきて、写真の上に手を乗せる。


(自分でそれを言うか…)


 眉をひそめ、横目でキッドを見る。


「あんたの顔見て何が保養よ。馬鹿じゃないの?」

「知り合いのお姉さん達がよく言ってくれるんだ。俺の顔は目の保養だって」


 確かにキッドの顔は本当に庶民なのかと疑ってしまうほど美しい。

 女の子のような顔立ちで、気が利いて、強くて、口が上手くて、素敵な笑顔で女の子達は惑わされてしまうだろう。彼をかっこよくないと思ったことはない。


 ―――――ただ、


「あたしはキッドなんかよりも、パストリル様の方がいいの」


 キッドの手を押し退ける。写真が見える。


「はあ。…素敵な人」


うっとり♡


 再び写真に見惚れ始める。つまらなくなったのか、キッドが席を立った。あたしは気にせず、写真から目を離さない。


(ああ、やっぱりかっこいい…)

(長い髪の毛)

(確か金髪なのよね…)

(謎に包まれた顔)

(隠す仮面)

(すっとした体つき)

(魅力的)

(目の保養…)

(癒し……)


 きらきらした瞳で、切なげなため息を漏らすと、


 ―――ドスッ、と、


 怪盗パストリルの顔部分に、包丁が刺さった。


(……………ん?)


「わかった」


 包丁を持つ手を視線で追うと、キッドが顔を俯かせていて、前髪の隙間から、ギロリと、写真を睨みつけていた。その後ろには、包丁を取られて唖然とするキッドの母親の姿。正面ではキッドを眺めるビリー。


 包丁が刺さったままキッドが手を離し、背筋を伸ばした。


「俺が捕まえる」


 あたしの片目が痙攣した。


「無理に決まってるでしょ」

「無理を可能にするのが俺だよ」


 にやぁ、とキッドがにやけ出し、肘をテーブルに乗せながら前のめりになり、再びあたしの顔を覗き込んだ。その笑みは、酷くいやらしい。


「ねーえ? テリー。俺がこいつを捕まえたらどうする?」

「あ?」

「正義の警察も打つ手なしの怪盗を俺が捕まえたら、お前、俺のことどう思う?」

「あんた何言ってるの? 怪盗を捕まえて手柄にしようって魂胆?」

「もしそうなら、俺のことすごいと思う?」

「そりゃあ、捕まえられたらね」

「よし、じゃあ捕まえる」


 あっけなく簡単に、キッドが言い切った。


「一ヶ月以内にこの事件を終わらせる」

「…あんた、そんな簡単に」

「じいや」

「手配済みじゃ」


 見れば、手にいつもの機械を持つミスター・ビリー。相変わらず仕事が早い。


「ちょっと、キッド、危ないことはしないでよ?」


 声をかけるキッドの母親は、日常茶飯事だとでも言うようにのんびりだ。キッドがいやらしい笑みを浮かべたまま、母親に振り向く。


「母さん、わかってよ。婚約者が俺じゃなくて写真に写る犯罪者に見惚れてるんだ。この事実を無視しろっていう方がどうかしてる」

「怪我しない程度にね」

「分かってるよ」


 この親子は何なの。なんでそんなに冷静なの? 息子が誰にも捕まえられない怪盗を捕まえるって言ってるのよ。おまけになんか手配されてるのよ。


(ああ、この気になる感じ。良くない。詮索はしない)

(……しないけど……)


 写真に刺さる包丁を眺める。


「……今回はどうにも出来ないんじゃない?」


 キッドが瞬きした。


「ん? どうして?」

「だって誰も捕まえられないのよ?」

「捕まえられないなら、いつか誰かが捕まえなきゃね。でないと、街中の宝がこいつに盗まれちゃうよ」


(手柄が欲しいだけでしょ)


 街の人気者になりたいキッドは、隠しもっている謎の権力で、謎のお手伝いさん達を使って、調査やらなにやらに手を回して、事件解決へと導くことになるのだろう。


(あたしは巻き込まれないように、大人しくしてよう。どうせパストリルは100件目の事件を起こした後、いなくなるんだから)


 そう思って美しいパストリル様の顔を刺す包丁を睨んでいると、ずしっと、キッドがあたしの肩にのしかかってきた。重い。退きなさい。キッドのくせに生意気よ。


「でさ、テリー」

「何」

「もし捕まえられたら、何かご褒美が欲しいな」


 振り向くと、あたしにくっついたキッドがにやにやとあたしを見下ろしている。ああ、いつ見ても嫌な奴。


「あたしは『キッドォー、こいつを捕まえてー、おねがぁーい』なんて頼んでないけど」

「でもさ、お前、もしこいつが紹介所の個人リストを盗んだとしたらどうする?」

「ん?」

「そうだな。か弱い子供達のリストが盗まれて、子供達が知らない土地に知らないうちに個人情報が売られてしまったらどうする?」


(…それは考えてなかった)


 一度目の世界では、あたしは被害に遭わなかった。でも、状況は変わってる。被害が紹介所に移る可能性だって存在する。


「こいつは犯罪者だよ。王子様でも何でもない。今はまだやってなくても、そういうことをする可能性はあるんだよ」

「……それは」

「困るだろ?」


 こくりと頷いた。


「当然よ。紹介所の信頼が下がるし」

「そう。だから捕まえて悪いことはない」

「だからって、あたしがあんたにご褒美をあげるの?」

「そうだよ?」

「なんでよ?」

「俺が欲しいからさ」

「意味わかんない」

「何言ってるの、俺達…」


 にんまり笑う。


「婚約者でしょ?」


 その笑みは、いつにも増して黒い。


(…こいつ、わざと母親の前で話してない?)


「……言っておくけど、豪邸とかはさすがに無理よ」

「俺、そんなのいらないよ」

「じゃあ、何が欲しいの?」

「うーんとね」


 ぱちこん、と、キッドの頭に星が下りてきた。


「そうだ。時間を貰いたい」

「時間?」

「うん、テリーの時間」

「そんなもの、いつだってあんたに割いてるじゃない」

「嫌だなあ、テリー。いつもの時間じゃなくて…」


 そっと、キッドが、いやらしい笑みをうかべて、あたしの耳元で囁いた。


「俺の言うことを、逆らうことなく、何でも聞いてくれる時間」

「……………………………」

「例えばさ、俺がお座りって言ったら、テリーが犬みたいにお座りするの」

「うわっ……」


 あたしの顔が引き攣る。


「つまり、その時間の中では、お前は何でも俺の言う通りにする。行きたい場所にもついてくる。食べたいものも一緒に食べる。そんな時間が欲しい」


 ふざけるな!!

 ぎりっと、キッドを睨んだ。


「却下!」

「えー?」


 あたしはキッドのお母様の前だとしても容赦はしないわよ。全力で拒む。


「却下よ、却下! 当然よ! そんなの許されるか!」

「なんで? それくらい良いだろ? ね? テリー? おねがぁーい!」

「何がお願いよ! 女か男か分からないような可愛い目で見つめてきやがって! そんなの、五分間だけだったとしてもお断りよ! 承諾したら、無理難題を言ってくるんでしょ! いい!? あたしは分かってるんだから!!」

「あはは! まあ、考えておいてよ。どっちみち、そこで俺からの好感度を、『上げていいよ』っていうチャンスタイムも含まれてるんだから」


 はあ? チャンスタイム?


「だって、来年、俺が18歳になったら、強制的にもお前、俺のこと好きって言わないといけなくなるよ?」






「………え?」





 くつくつと、キッドが笑う。


「まあ、好きになっちゃうんだけどね。嘘でも、本当でも。嫌でも、良くても」

「……あんた何言ってるの?」

「むしろ、俺に浮気されないくらい惚れさせないと、後で大変だと思うなぁ」

「大変って…」

「キッド……」


 キッドのお母さんが訊いた。


「言ってないの?」


 何を、


 言ってない?


「………交渉はここまでかな?」


 キッドが、またいつもの笑顔に戻った。何かを隠して、人に見せない、そんな笑み。


「とりあえず、ご褒美は考えておいて。俺、絶対に怪盗を捕まえるからさ」


 その笑みには、嘘があって、嘘がない。

 その笑みには、秘密が数多く存在している。


「あー楽しみだなー。つんつんしてばっかのテリーが、俺にデレデレになる日が、近い未来にあるだなんて」


 また隠し事。

 また嘘。


「浮気しないであたしだけ見てよって、テリーが俺に言うんだよ? くくっ、楽しみだねえ?」


(…何がデレデレよ)

(何が、浮気しないで、よ)


 キッドが何をしたところで、彼に対して『愛』という感情が芽生えることは無い。


(出会った頃から気持ちは変わらない)

(お前なんて好きじゃない)

(…こりごりよ)


 そんなことが言えるはずもなく、あたしは黙ってキッドを睨んだ。



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[一言] キッドによるあくらつな人間関係ハック!
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