第12話 雪の王(2)
走る。日が暮れてきた。
走る。ニクスはキッドの家にいる。
走る。ニクスは生きている。
走る。まだ間に合う。
走る。手掛かりはある。
走る。今日がタイムリミットだ。
走る。今日が約束の日だ。
走る。約束の場所へ。
走る。約束の21時。
走る。時間に余裕はある。
走る。まだ時間はある。
走る。まだ時間じゃない。
走る。あたしが早く待ち合わせ場所へ行く。
走る。ニクスは本来、この時間には来てないかもしれない。
走る。だったらニクスを待てばいい。
走る。ニクスが来るのなら。
走る。来てくれるなら。
走る。ニクスが約束を守る意思があるのなら。
走る。ニクスが来てくれるのなら。
走る。
着いた。
氷の上は、非常に静かだった。日が沈んで明かりのない氷の上。屋敷から出る時に持ち出したランプを取り出して、マッチで火をつけ、明かりを灯す。氷の上に放置された鞄が見える。
ごくりと、口の中に溜まった唾を呑み、ブーツを氷の上に滑らせた。
するーっと滑ると、何も起きない。ただ静かに、空気の静かな中、鞄の前にたどりつく。しゃがみこんで、ランプを鞄に向ける。鞄の横に箱が転がっている。
(やっぱり、同じ光景だ)
これを見て、ニクスがいると思い込んで、あたしはこの周りをくるくる回った。
(さっき、ニクスがここで引きずられていた)
あたしが来てなければ、
「………」
あたしは鞄の口を広げ、ランプを当てて、中を覗き込む。お財布、ぼろぼろの紙切れ、クレヨン。手紙。
「………」
見覚えのある封筒。開けてみると、あたしの字で書かれていた。
『ニクスへ。友達になって』
「………」
手紙を封筒へしまい、鞄に戻す。ぼろぼろの紙切れを持ち、見てみる。
(……これ、まさか手紙?)
―――ニクスへ、
鏡を取り戻してくる。すぐに戻る。待っていておくれ。
(ニクス、字が読めないのよね…?)
知り合いが書いたものだろうか? どうしてこんなものを鞄にしまっているのだろう。紙切れを鞄の中に戻し、中を見てみる。
(あ)
手袋が入ってる。ニクスがずっと使っていたものだ。
(……ん。何か入ってる)
あたしは手袋を外して、素手を中に入れてみる。入ってるそれを掴み、引っ張って外に出す。あたしの掌に丸い飴が乗っかった。
(何これ。綺麗な飴玉)
魅了されそうなほど、綺麗な色。
(なんで手袋の中に入れてあるんだろう。非常食?)
飴。
(飴)
飴が入ってる。
(飴)
中毒者。
(飴)
呪い。
(飴)
魔法の鏡。
(飴)
呪いの飴。
「…………」
一瞬にして、血の気が下がった気がした。息を呑み、手の上にあるその『飴』を見つめる。
(これ…?)
これか?
(これなのか?)
リトルルビィが舐めていた、呪いの飴。
(なんで、ニクスが、こんなもの持ってるの…)
きらりと、飴が光った。
――――瞬間、地面が揺れた。
「きゃっ!!」
いつもより、大きな悲鳴が出た。氷に倒れこむ。
氷が揺れる。動けない。立とうとしてるけど無理だ。動けない。座り込む。動けない。揺れる。動けない。逃げられない。
(くそ!)
あたしはニクスの鞄を抱え、何とか抗う。氷の上を這いずり、何とか氷の外に出ようともがいた。
「わっ」
大きく揺れる。
「んっ」
あたしは腰を浮かせて、移動する。
「やめ」
キッドはいない。
リトルルビィはいない。
「ドロシー!」
来ない。
(役立たず!)
あたしは自力で逃げ出そうともがく。
(くそ)
呼吸が乱れる。
(大丈夫よ。逃げ出すわ)
ぜえぜえ。
(ここで死んでたまるか)
はあはあ。
(あたしは、諦めが悪いのよ)
地面が揺れる。
(息、出来ない)
はあはあはあはあはあはあ。
(過呼吸になってる暇は無いのに)
はあはあはあはあはあはあ。
(呼吸が上手く出来ない…!)
はあはあはあはあはあはあ。
(……ん?)
あたしの座っている氷が、浮いている。
(なっ)
呼吸が乱れる。
(なに、これ)
「はあはあはあはあ」
呼吸が乱れる。
(浮いてる…!?)
氷が持ち上げられているように、浮いている。
「はあはあはあはあはあはあ」
呼吸が乱れる。
汗が噴き出る。
涙が出てくる。
パニックになる。
(何これ)
何が起きてるの。
「はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ」
うまく呼吸が出来ない。
胸がドキドキする。
飴を持つ手が震える。
必死に呼吸をしようと酸素を吸い込む。
「はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ」
目を見開く。瞬間、何かが光った。目の前に、何かがいた。光っているものは目だった。目がある。人の目がある。目玉が動いている。氷が、透明な氷が、人間の目がついた透明な氷が、目の前にいる。じっとあたしを覗き込んでいる。手が震える。氷が生きている。氷があたしを見ている。
はあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあはあ。
おや。
「君、ニクスの友達じゃないか」
――――――はっ?
目が、笑う。
「ニクスは今外出してるんだ。すまないね」
目は、笑っている。
「おや、わざわざ届けてくれたのかい?」
目が、笑っている。
「ありがとう。助かったよ」
水があたしの手の上に乗る飴に触れた。飴が凍る。
「これを舐めるとね、落ち着くんだよ。ありがとう」
目が凍った飴を口に含んだ。
「小腹が空いたな」
目が氷を食べた。
「もぐもぐ」
目が凍ったパンを食べた。
「もぐもぐ」
目が凍っている動物を食べた。
「もぐもぐ」
目が、横を見た。
「ああ、ニクスはどこに行ったのやら」
目が、あたしを見た。
「君、テリーだろ? 話は聞いているよ。ニクスと沢山遊んでくれてるそうじゃないか。だったら寒い外なんかよりも、家でゆっくりするといい。ニクスも喜ぶ」
目が、丸くなった。
「おお、そうだ。玉子は好きかい? 僕の得意料理は、玉子料理なんだ。ぜひご馳走させてほしい」
だけど、
「ちょっと体がだるいんだ。すまないね。少し休んだら作ってあげよう。晩ご飯はうちで食べていきなさい」
テリー、歓迎するよ。
「何も無いけれど、ゆっくりして。ニクスも、すぐ帰ってくるから」
目が微笑んだ。
と、思ったら、ゆっくりと、あたしを乗せる氷が地面に下ろされた。ずんずんと沈んでいく。そのせいで地面が揺れる。地震になる。あたしを乗せた氷が地面に下り、氷の上に戻った。氷と氷がくっつき、元の地面となる。遊び場所は、約束の場所は、元の、静かな凍った場所に、戻る。何も無い、氷の場所に、戻る。
「………………………………」
あたしの体が固まった。氷になったように固まった。息は、止まっていた。呼吸することを忘れていた。だけど、自然と苦しくなって、小さく、息を吸って、大きく吐いた。
すーーー、はーーー、と呼吸すれば、酸素がうまく脳に回り始める。
「テリー様!!」
知らない人の声が聞こえた。大勢の人が氷の上に一斉に滑り込み、目を見開いたまま固まるあたしを囲んだ。
「キッド様の部下です!」
「お怪我はございませんか!?」
声が聞こえる。返事、返事をしないと。
「………ええ、平気よ」
声を出すと、大人達が騒ぎ出す。
「ふっ! キッド様、テリー様を保護しました!」
『了解。よくやった。今向かってるよ!』
「テリー様、こちらをお被りください。暖まりますよ」
「テリー様、どうやってこちらまでいらしたのですか?」
「…………走って」
「ふっ! キッド様、テリー様が走って移動されたと!」
『テリー! 大丈夫よ! 今向かってるから!』
「テリー様、何を見られましたか?」
「………え?」
「なぜ宙に浮いていたのですか?」
「……宙に…?」
「テリー様?」
「……………」
あ、そうか。
そうかそうか。
「そうか。あたし、空を飛んだのね」
「え?」
「すごい。ふふっ、あはは。これ、キッドに自慢できるわね。あはは。すごいや」
「テリー様?」
「キッド様、テリー様が、…あの、空を飛んだと」
『テリーが天使になったの!?』
『はあ? そいつ、何言ってるの?』
「こちらもなんとも…放心状態で…」
『テリーに代わって』
『私もテリーとお話ししたい!』
「テリー様、キッド様がお話されたいと」
「あはは! あいつどこにいるの!?」
「あの、こちらに向かってると」
「ざまあみろ! キッド! あたしとニクスの間に入り込もうとするから、先を越されるのよ! あたしは、キッドの先を越したのよ! やーい、ばーか!」
笑顔ですっと、立ち上がる。足は、自然と軽い。
キッドのお手伝いさん達が困惑した様に、あわわと声を出す。
「テリー様、どちらに?」
「テリー様、お待ちを!」
『ねえ、どうなってるの? 大丈夫?』
『キッド! 見えてきた!』
「テリー様!」
「うふふ。大丈夫よ! 歩けるわ」
「お待ちを!」
『ちょっと、早くテリーに代わって』
「キッド様、お待ちを」
「テリー様!?」
「うふふ! 触らないで! あたし平気! こんなに歩けてるじゃない!」
「テリー様、ふらふらですよ!?」
「そんなわけないじゃない! 晴れやかな気分だわ。だって…」
「……巨人を見たのだから」
そこで、あたしの足が滑り、体が、氷の上で、ぶっ倒れる。大人たちの悲鳴が聞こえる。駆け寄り、あたしの体を揺する。ゆらゆら揺れる。地震が起きてるように、揺れる。
サリア、
あんたの推理、合ってたわ。
いた。
いたわよ。
「いたとしても、見つけられませんよ」
「だって、冬じゃないですか」
「見えないですよ」
「見えづらい…と言った方がいいですかね?」
サリアは微笑んでいた。
「じっと見てないと、見えないと思いますよ。ましてや、遠くからならもっと見えないかと」
そういう事だったのね。サリア。
サリアが言ったのって、
『氷の巨人』だったのね。
(だから、冬って言ってたのね…! 流石よ。サリア。すごーい!!)
拍手をしたかったけれど、体は、もう、動かない。
(*'ω'*)
「あたしの家族はね、皆、仲悪いの」
「ママはいっつもイライラしてる。姉のアメリは嫌味っぽいし、家庭教師の先生はいっつも厳しい。怒ってばかり。ヴァイオリンも楽しくない。屋敷内の空気はいつもぴりぴりしてる」
「そんな家にいたくない」
「あたし、もうこんなところにいたくない」
そっと、手を握られる。
ニクスは、微笑んでいる。
「じゃあ、おまじないをしてあげる」
「おまじない?」
ニクスは、あたしの手を握る。
「願って。テリー。君の願いは、一番の願いは何?」
「そうね。王子様と結婚する事かしら」
「それから?」
「一人であの家を出るわ」
「ふふっ。嘘つき」
「何よ」
「だって、君、言ってたじゃないか。家には大事な妹がいるって。一緒に連れて行くんでしょ?」
「何それ。そんな事言ってない」
「ふふっ。君は嘘が下手だね」
「うるさいわね。ニクスのくせに生意気よ」
「テリー、君は」
ニクスは微笑む。
「プリンセスになったら、その力で、妹さんを、助けようとしてるんだね」
「確かに、君にとってその妹さんは邪魔な存在なのかもしれない」
「だから、君の言う通り、同情でそんな事を思っているのかも」
「でも、それでもいいと思う」
「君が助けたいと思ってる妹さんは、きっとその想いに気づいてくれるよ」
「大丈夫。君は一人じゃ無い。僕がいる」
ニクスがあたしにおまじないをかけた。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ」
あたしは鼻で笑った。
「ニクスはあたしのしもべよ」
「うん」
「世話係として働くのよ」
「わかってる」
「毎日あたしの面倒を見るんだからね」
「うん。見るよ」
「ニクスだけは特別よ」
「うん。ありがとう」
「あたし、あんたの事気に入ってるの。喜びなさい」
「うん、僕も、テリーが好きだよ」
「ニクス」
ニクスを見つめる。
「…本当?」
「ん?」
「あたしの事、本当に好き?」
「好きだよ」
「でも、皆はあたしを嫌いって言うわ」
「でも、僕はテリーが好き」
「本当?」
「うん。大好き」
「ニクス」
「うん」
「あたしもニクスが大好き」
「僕もテリーが大好き。両思いだね」
指を絡める。
「ニクス、ずっと友達でいて」
「うん。ずっと友達でいよう」
「ずっと傍にいて」
「うん。テリーの傍にいるよ」
「ニクス」
「テリー」
手を握り締める。
「ずっと一緒だよ」
ニクスは消えた。
ニクスはいなくなった。
嘘をついた。
あたしと一緒にいてくれなかった。
思い出が恨みに変わった。
怒りを、悲しみを、恨みを、憎しみを、苦しみを抱えて、
「メニーーーーーーーーーーーーー!!!」
あたしは、メニーを怒鳴った。
あたしは、ニクスを恨んだ。
「ニクスの嘘つき」
「嫌い」
「ニクスなんて嫌い」
「裏切り者」
「嫌い」
「嘘つき」
「嘘つき」
「お前なんてくたばればいいのよ」
12歳のあたしは怒りに溢れる。
「嫌い。ニクスなんて嫌い」
12歳のあたしは憎しみを吐き出す。
「嘘つき」
「嘘つき」
「嘘つき」
12歳のあたしが、言葉を吐き捨てた。
「ニクスの嘘つき!」
大嫌いよ!!
12歳のあたしが涙を流す。
ヴァイオリンを抱きしめて、袖で目を擦る。
12歳のあたしの震える肩に、あたしは静かに手を置いた。
――――――そっと、瞼を上げる。
(……ん? …どこ、ここ…)
ぼうっと、見慣れない壁の色に脳が追い付かない。
(何時だろう…)
(あれ…)
(前にも…こんなことあったような…)
「ん…」
声が出る。
だるい。頭が重い。
でも、起きないと。
無理矢理体を起こすと、ぼうっとした目で照明がついた部屋を見回す。
(ああ、わかった。ここ、キッドの部屋だ)
体を包む暖かい毛布に覚えがあった。
(ああ、やっぱり暖かい…。なにこの毛布…。…欲しい…)
(…これ、どこで買ったんだろう…)
ん?
(…何、このみすぼらしい服…)
見下ろすと、庶民が着てそうな大きめの服をあたしが着ている。裾が長すぎて、手が指しか出てこない。下にはぶかぶかのひざ丈のパンツ。
(やだ…。なんてみすぼらしいの…。男の服? うわ、嫌だ。まるで庶民じゃない…)
(…………)
(…まあ…囚人服よりはましか…)
ちらっと壁にかけられた時計を見ると、17時が終わる頃だった。窓のカーテンが閉められている。
(あたし、なんでここにいるんだっけ…)
最初から、順番に思い出していこう。
(ニクスを助けて…、鞄を置いていったから…、何か手掛かりがあると思って…、確かめたくて、そしたら、…巨人が)
はっと、思い出す。
(そうだ。あたし、巨人を見たのよ)
(地面が揺れたと思ったら)
雪の王が現れた。氷の巨人が。
(巨人が喋ったのよ)
(まるで人間のような口ぶりだった)
(ニクスの友達だろ? って、気さくに訊かれた)
(玉子料理をご馳走するから、食べて行きなさいって…)
――あーあ。食べたいな。お父さんの玉子料理。
ニクスはそう言ってた。
――お父さんの玉子料理がね、格別に美味しいんだ。
ニクスは笑っていた。
――お父さんに玉子を持たせたらコックさんになるよ。
『お父さん』。
ニクスの父親は半年前に行方不明になった。
(まさか)
そう考えたら、ニクスのおかしな行動全てに説明がつく。
――僕、最近お風呂に入ってないんだ。
――いけないことをしてるから。…言うなれば、英雄ごっこ?
――あのね、テリー、お父さんね、体が弱いんだ。だから休みがちでさ。
――お母さんと約束したんだ。
「お父さんは僕が守るって」
――見ないで。
――お城に入っちゃ駄目だよ。
「………父親が、中毒者……?」
地面が揺れた。
「地面が揺れるのは、氷から外へ出入りする時」
氷を食べてた。
凍ったパンを食べてた。
凍った動物を食べた。
「父親が、飴を舐めて、呪われた」
雪の王となった。
「鏡は」
ニクスと、ニクスの父親が所有者だった。
「ニクスは」
暴走した父親に、氷の中に引きずり込まれて、凍死した。
「ニクスの死体は」
凍った。
凍って、
凍ったものを食べる、雪の王が、
凍ったニクスを食べた。
死体は、見つからなかった。
「……………っ」
あたしは口を押さえた。
「…………」
喉の奥からこみあげてきたものを、唾を飲み込んで、ごくりと胃に押し戻す。
「はあ」
掠れた息を吐く。
「はあ」
息を吐く。
「……はあ」
大きく、息を吐いた。
「…………」
静かに、呼吸する。
(あくまで、これは推測だ)
そうとは限らない。
(でも、雪の王は凍ったものを食べていた)
(凍った動物も、凍ったパンも食べていた)
(ニクスが凍っていたら)
雪の王は、ニクスだと区別出来ていただろうか。
「…………………」
雪の王がニクスの父親だとすれば、ニクスが雪の王国に入り浸る理由も説明出来る。そして、ニクスと父親が鏡の傍にいるのも理解出来る。
人間は呪いの鏡の魔力に魅了される。…ニクスと父親は、持ち主でありながら、鏡に魅了された?
(鞄の中に、鏡を取り戻してくる、って書かれた紙切れが入ってた。ニクスは読めなかったみたいだけど)
鏡は、なぜかニクス達の前から無くなった。それを、親子で追った?
(いや、矛盾するわね)
わざわざ追うほど魅了されているなら、なぜ、ニクスはあたしの身を案じて、所有権をあたしに渡したりしたのだろう。
(……ニクスは、鏡を見てた様子は無かった)
謎が深まるばかり。
(でも)
ただ、一つ、あたしでも分かる。
(ニクスは生きてる)
まだ間に合う。
(………ニクスの顔が見たい…)
ニクスは生きている。
ニクスに会える。
あたしの目頭に、じわりと水滴が溜まってくる。指で拭き取る。
(……鞄、結局どうなったんだろう)
あたし、気絶しちゃったのよね。ちゃんと拾って来れたのかしら。
(……ん?)
頭に違和感を感じて、そっと触れてみる。そして、はっと、目を見開いた。
(……なんてこと! あたしの頭が、腫れてるわ!)
これは、まさか! たんこぶ!?
「ぎゃああああああ!!」
思わず、絶望して叫ぶ。
「なんてこと! 酷い! 酷すぎる! あたしの可愛い頭にたんこぶ! こぶが出来るなんて! ああ! もうおしまいだわ! こんなの醜いアヒルよ! あたしはアヒル並みなんだわ! 酷い! 醜い! もうお嫁に行けない! 頭にたんこぶが出来るなんて、一生の恥! 女として恥ずかしい! もう人前に出られない! 恥ずかしい! もう駄目! あたしは醜い豚だわ! 豚よ! 忌々しい豚! ああ、残酷すぎて涙が出てきそう! 女の子だもん!」
頭を優しくなでなで撫でる。
「ああ! やっぱり腫れてる!!」
たんこぶに絶望して、あたしはひれ伏す。
「もうおしまい! あたしはおしまいなんだわーーーー!!」
びえええええん!! とたんこぶが出来たショックにベッドで泣き喚くと、
――――――どしんっ! と部屋が揺れた。
「ひえっ!?」
驚いて、慌てて顔を上げる。辺りを見回し、毛布を被る。
(地震!?)
―――いや、違う!
(揺れてるのは、家だけ! 何この現象!?)
どしんっ! どしんっ! と、何かが上に上ってくるような音が響く。そしてそのたびに家が揺れる。
(何よ! たんこぶが出来て、今度は家が揺れるなんて!)
(なんてこと! あたし、可哀想!!)
体が震える。
どしんっ! と部屋が揺れる。
体が縮こまる。
どしんっ! と部屋が揺れる。
顔を青ざめる。
どしんっ! と部屋が揺れる。
――――収まる。
(……ん……? …収まった…?)
―――瞬間、
ばーーーーん!
「ぎゃああああああああああああああっっ!!?」
毛布に包まったままベッドの端に体を寄せて縮こまると、その姿が視界に入る。
扉を開けた、キッドの姿。
「やーあ、テリー」
キッドがにこやかに挨拶した。
「起きた?」
「………………」
なぜだろう。
なぜか、キッドの顔を見た途端、あたしの血の気がさーーーーーーーーっと下がっていくのを、あたしは確かに感じていた。
(………これは)
殺気。
「キッド、やめてぇえ! テリーに酷い事しないでぇー!」
リトルルビィの必死な泣き声が聞こえる。ただ、姿は見えない。ビリーに押さえられているようだ。あたしの額から、冷や汗がじわりじわりと吹き出てくる。
(……どうしよう。今度は吹き出物が出てくるかも…)
その前に、
(この悪寒は…一体、何…?)
キッドが、殺意のある目で、血走った目で、ぎょろりと、青ざめたあたしに、にこりと、天使のように微笑み――――睨みつける。
扉は、ぱたりと、静かに、閉められた。




