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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
三章:雪の姫はワルツを踊る
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第11話 捜索開始(2)



 さあ、どうしようか。



 リュックを背負って、雪の積もった噴水を見て、はあ、と白いため息をつく。街の時計台を見上げると、針は10時を差している。


(10時か。お店が開き始める時間ね)


 ああ、そうだ。まずはパン屋だ。


(ニクスの様子を見に行こう)


 約束の日、ニクスは来なかった。けれど、朝に何をしていたかは知らない。家にいたのか、父親の看病をしていたのか。


(あたしは何してたっけ。ヴァイオリンの練習だっけ?)


 途端に、嫌な記憶が一気に蘇って、首を振る。


(ああ。やめようやめよう。過去はどうでもいいのよ。大事なのは今日よ)


 今度こそ約束を守ってもらうわ。ニクス。

 あたしはパン屋に向かって歩き出す。噴水から商店街の方に向かい、雪の積もった狭い道を歩いていく。馬車が通る。あたしは歩く。ブーツに雪がつく。


 辿り着くのは、ミセス・スノー・ベーカリー。ショーウインドウから店の中を覗く。レジにいるのはニクスじゃない。


(……厨房かしら?)


 あたしは扉を開ける。パン屋には何人か客がいて、パンを買っていた。厨房の扉が開き、パンを運ぶ店長が出てくる。


「あ、あの」

「うん?」


 声をかけると、店長が振り向いた。あたしの顔を見て、口角が上がる。


「おお、ニクスのお友達か」

「おはようございます」

「おはよう」

「あの、ニクスいますか?」

「今日はいないんだ」


 店長が笑った。


「寝坊しているのかな」

「え?」

「出勤のはずなんだが、連絡がない」


 聞いた瞬間、あたしの体が硬直する。慎重に訊き返す。


「…………今日、出勤の、予定なんですか?」

「普段はこんな事無いんだがなあ。まあ、ニクスの家には電話が無いと言うし、仕方ないさ。その代わり、店に来たら、こてんぱんにこき使ってやる」


 店長が、がはは、と笑い、パンを売り場に置いていく。


「パンをお求めかな? それとも、ニクスをお求めかな?」

「捜してきます」


 あたしは微笑み、一歩下がった。


「見つけたら、連れてきます」

「ああ、ぜひ頼むよ」

「ごめんください」


 あたしはゆっくりと振り向き、扉に向かって歩いていく。パンの香ばしい匂いがする。


(ニクスが、店に来てない)

(出勤だったのに、来てない)

(約束の当日、ニクスは来なかった)

(それ以降、姿を見せることはなかった)


 生きてるかも死んでるかもわからない。


(そんな事、許さない)


 あたしは店から出た。冷たい風が吹くが、あたしの体は暖かい。


(冷静に考えましょう。テリー)



 サブミッション、ニクスを見つける。



 あたしは噴水への道を歩きながら、脳内で考える。


(ニクスの居そうなところはどこだ)

(ミセス・スノー・ベーカリー)

(遊び場所)

(家)


 ニクスの住所、あたし知らないわね。一度も彼の家に行った事は無いし、見た事もない。


(ニクスの家……)


 本当に行った事がなかったか? 考えるが、思い出せない。そもそも、そんな記憶ない。あたしはニクスの家を知らない。


(でも、父親が寝込んでるって言ってた)


 もう一度、ミセス・スノー・ベーカリーに戻るか? ニクスの家を尋ねてみたら、教えてくれるかもしれない。


(いや、個人情報だからと教えないかもしれない。ただ、訊かないと分からない。教えてくれるかも)


 道を方向転換させ、もう一度店に向かって体を振り向かせると、はっとした。


(いや、待て)


 そもそも、どうしてニクスはミセス・スノー・ベーカリーで働けている?


(ニクス自身が言っていた)


 ―――本当、紹介所があって良かった。

 ―――仕事案内紹介所。あそこが今の仕事を紹介してくれたんだ。本当に良かった。


(キッドが一緒に会社を回った時、あたしに言った)


 ―――三階建て。実は、地下もあるんだ。個人情報を管理するために作った。


(ジェフが相談してきた)


 ―――地下室には、管理している書類が山ほどしまってあるのです。しかし、地震が起きるたびに片付けていては、人手が足りなくなってしまいまして。

 ―――そこで、新しい棚をいくつか用意しようと思います。地震対策にぴったりのものを。


 あたしも大事だから、大切に管理するようにジェフに伝えた。


(個人情報の書類は、地下に管理している)


 ニクスの書類も、存在する。


(あたしは、紹介所の社長)

(社長が地下室に行ったって、何も変な事は無い)


 あたしは歩き出す。


(ただ、断りは一言、入れておくべきかも)


 紹介所に向かって、足が動いていく。商店街から道を外れ、今日も行列の出来る仕事案内紹介所へと向かう。雪を踏み、道を歩き、建物の裏に回る。

 警備員がぼうっとしている窓へ、かかとを上げて覗き込む。


「あの」

「おっと! こいつは! テリー社長! この間はパンご馳走様でした!」

「中入っていいですか?」

「どうぞ! ご自由に!」


 警備員が扉を手で差し、後ろを振り向いた。


「ディラン! テリー様がおいでだぜ!」

「何! テリー様って、社長のテリー様か!」

「この間のパンは美味しかったな!」

「なんてことだ! 俺、テリー様にお手紙を書いたのに、部屋に忘れてきちまった! 俺の気持ちをパンパンに入れたお手紙だぜ!」

「馬鹿野郎! 男がお手紙なんて気持ち悪い真似をするな! 男は拳で語るんだ!」

「ブロック! てめえもたまには良い事を言うな!」

「俺はいつだって良い事を言ってるぜ! 名言男だからな!」

「ブロック、俺は拳で語るぜ!」

「一緒に名言ボーイになろうぜ!」


(迷言ボーイの間違いじゃないの…?)


 頓珍漢な会話を聞きながらあたしは紹介所へ入る。エレベーターに乗り、下りて、所長室へてくてく歩き、扉をノックする。


「どうぞ」

「失礼するわ」


 扉を開けると、ジェフが机の書類とにらめっこ中だった。あたしに一瞬視線を向かせ、そのまま険しかった表情を緩ませる。


「おお、これは、テリー様」

「Mr.ジェフ。折り入ってお願いがあるの」


 中に入り、ジェフの机の前まで歩く。ジェフが首を傾げる。


「はて、いかが致しましたか」

「まず最初に言っておきたいのだけど、あたし、悪い事はしないわ。貴方の前では必ず良い子になるって約束する」

「何をおっしゃいますか。テリー様はいつだって良いお方です」

「Mr.ジェフ。今回だけでいいの」


 ジェフがあたしの言葉に、きょとんとする。あたしは続ける。


「個人情報が見たい」

「…個人情報を?」

「ニクス・サルジュ・ネージュ。12歳。男。この子はここで登録して、今、ミセス・スノー・ベーカリーで働いてる。でもね、今日無断欠勤しているようなの。家には電話が無いようだから、住所が知りたくて。駄目なら、その部分だけでもいいから見せてくれないかしら」

「ほう、それはまた、突然」

「ニクスは友達なの。だから、その、……捜しに行くって、お店の人に言っちゃったのよ」

「ほほっ。大事な事です。クライアント様との信頼問題にも関わりますからな」


 ジェフが立ち上がり、机を回り、あたしの傍まで歩き、あたしの肩を掴んだ。


「登録しているのなら地下に書類があるはずです。行きましょう」

「いいの?」

「ええ。もちろんです。何も問題はございません」

「本当?」

「貴女はこの会社の社長です。確認が必要な書類があれば見なければいけない立場におります」

「確認ね」

「その通り。確認です」


 ふふっと、笑うジェフを見上げる。


「助かるわ。Mr.ジェフ、ありがとう」

「さ、行きましょう。こちらです」


 あたしの背中を押して、道を案内する。所長室から出て、ジェフと共にエレベーターで地下まで移動する。


 エレベーターの扉が開くと、薄暗い地下室に、書類を保管するための背の高い棚が広がる。一列、二列、三列とそれ以上の数の列が並び、数多くの書類が保管されていた。皆、履歴書や経歴書らしい。


(地下室なんて初めて見たわね)


「Mr.ジェフ、どう探したらいい?」

「ニクス・サルジュ・ネージュ、の最初の文字、『N』で探せば見つかるかと」

「なるほどね。ありがとう」


 一歩、二歩、三歩、四歩、その列を進む。


(N、N、N…うわ、いっぱいありそう…。でも見つけないと)


 ニクス・サルジュ・ネージュを確認しないと。


(さて、寝坊助さんの履歴書はどこに……)





「テリー様」





 ジェフが、あたしを呼んだ。


 振り向くと、ジェフの顔が、どこか深刻そうに暗かった。曇っている。なんとも言えない複雑そうな顔。暗い地下で、ジェフが、毅然と立ち、姿勢よく、じっと、エレベーターの前から、棚に歩くあたしを見る。


 あたしは瞬きをして、足を止め、ジェフを見る。


「…Mr.ジェフ?」

「テリー様、私は貴女の部下です。この会社で働かせていただき、それはとても光栄に思っております。個人的な気持ちとして言えば、私はテリー様が好きです。貴女はとても可愛い。目を離せないほど。世話を焼きたくなってしまうほど」


 ただ、


「私の『上司』は、貴女だけではない」


 ジェフの目に、嘘はない。


「私はその方を尊敬し、敬愛しております」


 正直、テリー様よりも。


「テリー様の事だって、大事です」


 娘のように、愛しく思っております。


「だからこそ、その方が貴女をお守りするためだと言うのであれば、このジェフ、この行動のせいで貴女に怒られても、憎まれても、恨まれても、嫌われても、悔いはございません。全ては、大切なテリー様のためです」


 ――――その言葉で、あたしは確信した。


「ああ」


 ジェフに微笑んで、頷く。


「大丈夫よ。Mr.ジェフ。あたしも貴方が好きなの」

「テリー様」

「あたし、貴方を恨んだりしないわ。まあ、腹は立つけど、それは貴方のせいじゃない」


 暗い顔のジェフに、あたしは肩をすくめてみせた。


「そんな顔しないで。Mr.ジェフ。正直、ここに向かってる最中に思ってたわ。連絡が行くんじゃないかって。ここ数日の事は絶対に見られてるし、連絡が行かない方がどうかしてるって。だから、察しはついてた。そもそもここは、あたしの会社じゃなくて、『あいつ』が作った会社だから」


 だから、


「絶対に近くにいる、とは、思ってた」


 でも、


「やっぱりね」


 こんな薄気味悪い地下にいるなんて、


「相変わらず趣味が悪いわね」


 暗闇の中、あたしじゃない手が伸びた。


「キッド」


 後ろから、ぎゅっ、と抱きしめられる。耳元で、くすっと、いやらしい、艶やかな、色っぽい笑い声が、吐息が、聞こえた。


「趣味が悪くて結構」


 すりすりと、かがんだ頭をあたしの頭にすりつけてくる。


「捕まえたよ。テリー」


 じろりと横目で睨むと、キッドは相変わらずにやけている。目が合えば、キッドがあたしの頭を優しくなでた。


「大丈夫。何も怖い事しないよ」

「こんな所に隠れてたくせによく言うわね」

「ふふっ、ジェフに頼んで正解だった」

「恐れ入ります」


 ジェフが頭を下げる。

 満足そうに微笑むキッドがあたしの顎を、長い指ですくい、クイ、と自分の方に見上げさせる。


「名探偵テリー殿。貴殿の名推理は合っている。連絡が来て、先回りしてたんだ。そう。お前がパン屋に行った時点でここに来るんじゃないかと思ってね」


 あ。


「今日も髪結んでるんだね。素敵だよ。このポニーテール」


 そう言って、あたしの髪の一束を掴み、キスを落とす。


「さて、名探偵殿に質問したい」


 キッドが、あたしの髪の一束から手を離した。


「どうしてニクスの住所なんて、探してるのかな?」

「さっきの話は聞いてなかったわけ?」

「ニクスが無断欠勤してる?」

「ほら」


 あたしはそっぽを向いた。


「そういうところが嫌なのよ」

「テリーの口から聞きたかったんだ」

「時間の無駄よ」

「くくっ。それはお前の方だ」

「何が」

「履歴書なんて探しても無駄だ。書いてる住所なんて無いんだから」

「……………え?」

「ニクスには住んでる家なんて無い」


(…は?)


 きょとんと瞬きすると、ジェフが付け足した。


「ニクス殿に関して、キッド様が事前に調べておいでです。書いている住所に行かれたのですが、何も無かったとか」

「全く何も無かったね。家も人も何もない。ただの土地。ニクスは毎日別の場所で寝泊まりしてるらしい。空き家とか、屋根のある建物なら、どこでも」


 あたしは眉をひそめた。


「……そんなはずないわ」

「そんなはずがあるんだ」

「馬鹿。ニクスが何のために働いてると思ってるの」

「生きていくため」

「そうよ。家賃や、食べ物代を稼ぐためよ。ニクスには体の弱いお父様がいて…」

「そもそも、その父親は半年前から行方不明なんだよ。職場にもいない。どこにもいない。元々住んでた家は売られていた。つまりね、テリー、ニクスは今、孤児同然なんだ。家の無い子供。親がいない子供。帰る場所の無い、たった一人の孤児みなしごだ」


 よく半年間も持ちこたえられたものだ。父親がいなくなったニクスの日々は散々だったものだろう。家賃が払えず住んでた家を出て、ホームレスとなり、空腹の中、街を彷徨い歩いた。ただ季節が冬じゃなかっただけ救いだった。ニクスは街を出て、しばらく森で暮らしていた。その方が安全だったからだ。獣はいるが、狂暴な獣ほど臆病で、なかなか遭遇しないし、自分を傷つける人間はどこにもいない。だからずっと森にいられると思った事だろう。でも冬が来て、住めなくなって、ニクスはまた街に戻ってきた。


 そして見つけたんだ。無料で仕事を紹介してくれるここに。


「ニクスは安定した生活を手に入れたと思いきや、仕事に行く前、仕事の後、必ずあの震源地に向かう」


 そして、あのトンネルに入って、長い時間を過ごす。


「秘密基地に入り浸る子供の行動に思えるだろ? でもね、テリー、このなんてこと無さそうなニクスの行動。実はすごく不気味なんだ」


 あの場所には、ちょっとした、不吉な話があってね。


「いつだったかな。あの場所は結構前に、隣町へ通じるトンネル工事が行われてた」


 穴を掘り続けると、作業員が何かを発見した。それが不思議な鏡だったそうな。そして、その鏡を見た者は全員死に至った。


「まるで鏡に魅了されたように鏡を求めて、体が凍って、動けなくなり、死んでいった」


 工事は中断された。


「原因解明のため、あそこは立ち入り禁止区域となった。……なのに」


 ニクスは平気な顔で、その不吉な場所を行き来しているんだ。


「調べれば調べるほど、ニクスの行動はとてもおかしいものに思えた。危険なトンネルへ入って、平気な顔。氷の上で一人遊びする雪っ子だ」


 だから、俺はニクスを観察する事にした。

 そしたら、ニクスの生活は、まあ、大体だが、早朝はここで過ごして、その後は疲れ切った顔でパン屋で働き始めて、寝泊り出来る場所を見つけてから、震源地に帰ってくる。夜遅くまで、トンネルに入り浸って、自分の泊まる場所に移動する。そして朝になれば、またトンネルへ戻ってくる。

 これが、見てきたニクスの生活だ。


「ニクスが留守の間、トンネルに調査隊を潜らせてみたんだが…」


 これがまた、とんでもない事になった。


「全員だ。翌日から変な歌を歌いだして、ベッドから離れられなくなった」

「体が冷えて意識は朦朧」

「よく口走るんだ」

「鏡よ鏡よ鏡さん」

「なんて素敵な鏡さん」

「あなたが欲しい」

「鏡が欲しくてたまらない」


 つまり、やっぱり、噂通り、あのトンネルの中には変な鏡があるらしい。工事現場の作業員達と同じ現象だ。鏡を求めて、体を凍らせて、死んでいった。調査隊は死んではいないが、今にも死にそうな人達で溢れている。


 でも、ニクスだけは、平気な顔だ。


「そんな、ある日のこと」


 不可思議なニクスが、見た事の無い嬉しそうな笑顔を浮かべて、誰かを連れてきたじゃないか。


「テリーだった」


 一緒にスケートごっこを始めた。

 雪だるまを作り始めた。

 鬼ごっこを始めた。

 かくれんぼを始めた。

 雪合戦を始めた。

 星を二人で見つめた。

 子供がする遊びを震源地で始め出した。

 ニクスは楽しそうに笑ってた。テリーといる間だけは、どこにでもいるような子供の顔だ。


「でも、それ以外のニクスは、とても暗い顔で歩いている」

「あれは普通の子供の目じゃ無い」

「何か隠してる気がする」


 中毒者の可能性がある。


「ちゃんと理由が分かるまで近づくなって、忠告してあげたのに」


 キッドの腕に力が込められた。


「お前は本当に、変な奴と関わるね。ある意味幸運の持ち主だ」

「……そこまで知ってて、何もしなかったのね。ニクスが熱を出したって、キッドはニクスを助けようともしなかった」

「ニクスを保護するべきだった? ね、もしもあいつが中毒者だったらどうする? 俺、犬死にだけはごめんだよ」

「ニクスは人を殺さないわ」

「中毒者は違う」

「もういい。わかった。お前はやっぱり最低よ。触らないで。離して」

「離してもお前の行くべき所は一つだ。駄目だよ。俺の話をきちんと最後まで聞くまで離してやらない」

「何よ。話にオチでもあるの?」

「ニクスが行方不明な件だ」


 あたしがキッドを睨むと、あたしの顔を見たキッドが笑い出す。


「くくっ。お前が心配しなくても、もう捜してある」

「……いたの?」

「俺のお手伝いさんは実に優秀だ」


 テリー、どういう仕掛けか知らないか?


「ニクスが消えたり現れたりする」

「…何それ」

「雪の中を移動しているみたいに、あっちにいて、こっちにいて、ここにいると思ったらそっちにいる。どうも説明がつかないくらいおかしくてさ。どういう魔法なのかと思って」

「…………」

「偶然だって言いたいだろ。でも、だったら、そうだな。例えばここにいるテリーが、三秒後にはお前の屋敷に戻ってるんだ。その三秒後には東区域の美味しいアイス屋さんにいる。ニクスは、そういう移動をしてるんだよ。説明出来ない移動の仕方だ」


 ニクスが雪を操っているように。


「そして、その果てにニクスは現れた」


 場所は、


「震源地」


 約束しているその場所に。


「今、ニクスがいる」


 ニクスは立っている。


(……何のために?)


 ニクスはあの場所で、何をしている。


(ニクスはいなくなった)

(確かに消えた)


 ニクスは約束を破った。


(どうして?)




 ―――――――地面が揺れ始める。




「っ」


 はっと上を見上げる。キッドが目玉をぐるりと動かした。


「おっと、これはまずい」

「キッド様!」


 ジェフの呼ぶ声にキッドが振り返り、あたしの体から手を離し、代わりにあたしの手を掴んだ。そのままぐいと引っ張って、棚の無い位置まで走り出す。あたしの足が躓きそうになるが、お構いなしにキッドがまたぐいと引っ張って走りこむ。ジェフが腕を広げ、突っ込むように走ってきたキッドと、引っ張られたあたしを抱き止めた。


 棚が揺れ、倒れる。書類がばらける。地面が揺れる。ジェフとキッドとあたしが座り込む。地下が揺れる。すさまじい音が響く。あたしは耳を塞ぐ。ジェフの手があたしの肩を抱きしめる。キッドが黙って何かを考える。あたしも考える。


 思い出す。


(揺れてた)


 確かに揺れていた。


(約束の日)


 一日中、すごく揺れてた。


(被害はそんなに無かったけど)


 でも、小刻みな揺れが、一日中起きていた。


(だから心配だったのよ)


 ヴァイオリンを抱えながら、窓を見つめてた。



 ニクス、大丈夫かな。



 そんな事を呟いたあたしが、確かにいた。




 揺れが引いた。


 倒れた棚を見て、ばらけた書類を見て、ジェフが顔を引き攣らせた。


「……本日は、地下での業務になりそうですな……」

「Mr.ジェフ、バレなければ、整理は何日かかってもいいわ。あたしが許すから」

「新しい棚を早く発注するべきでした…」

『キッド様!』


 機械音がする。キッドがコートのポケットから小型の機械を取り出し、それに声をかける。


「どうした?」

『ニクス・サルジュ・ネージュが』


 あたしの目が見開かれる。キッドが微笑む。


『…あの…』


 あたしとキッドは機械を見つめた。


『今、地震が起きたタイミングで…その…』


 声が、ためらいがちに、しかし、ぐっと、絞り出すように、声を出した。


『浮かびました』


 キッドが眉をひそめた。


「ん?」

『ニクスが浮かびました。…宙に』

「は?」

「ん?」

「え?」


 キッドと、ジェフと、あたしの瞬きのタイミングが、重なる。


『宙に浮かび、空高く浮かび、ゆっくりと下りてきて、そのまま、その、着地して、何か叫んでいます』

「空中に浮かんだニクスはなんて?」

『我々が聞こえる範囲では、落ち着いて、と』

「…落ち着いて…? それは誰かに言ってるの?」

『いいえ、誰もいません。誰もいないのに叫んでいるのです』

「ああ、正常じゃないな。了解。向かうよ」


 キッドが通信を切り、ポケットにしまう。そして、大袈裟に頭を押さえた。


「ああ、なんてことだ! ニクスが魔法使いになってしまった! 空を飛んで、この国を支配する気だ! そうだ。ニクスの保護者を呼んで説得してもらおう。ああ、なんてことだ! 駄目だ! ニクスの父親は行方不明。母親は楽園だ。ということは、生きてる人間で、ニクスを説得出来る人を探さないといけない! なんてことだ! ああ、困った! 困った!」


 キッドが頭から手を離した。その顔はにやけている。


「ああ、ここにいた」


 あたしの手を握り締める。


「ニクスの良き理解者が」


 話のオチだ。

 キッドがあたしに微笑む。


「来るだろ?」


 あたしは頷く。


「もちろんよ」

「よし、来た。おいで。救世主」


 あたしはキッドの手を強く握り返した。



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