表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
三章:雪の姫はワルツを踊る
69/590

第7話 おもてなし(1)


 ポニーテール良し!

 コート、マフラー、ブーツ良し!

 リュック良し!

 ゴーグル良し!

 ランプ良し!

 体ぽかぽか魔法良し!


「メニー良し!」

「うい!」


 メニーが敬礼した。

 あたしは腕を組み、仁王立ちした。


「いいか! これは訓練ではない! 我々は今から、この薄暗い洞窟の中に捜査に向かう!」

「さー、いえっさー!」

「少しでも危険信号を感じた場合、直ちに洞窟から出ること!」

「さー、いえっさー!」

「よし、分かったらあんたはこのランプを持つのよ!」

「さー、いえっさー!」


 雪の城の前でメニーにランプを手渡す。メニーがランプを持った。マッチで火をつけ、蓋をする。火が揺れる。あたしもランプを持った。メニーがマッチをつけ、蓋をする。同じく火が揺れた。


「念のため、ポケットにマッチの箱を二つ入れておくのよ!」

「さー、いえっさー!」


 メニーがポケットにリトルルビィから購入したマッチの箱を二つ入れた。あたしもポケットにマッチの箱を二つ入れた。


 顔を上げて、きりっと目を鋭くさせる。


「忘れ物はないか!」

「大丈夫であります!」

「もう一度言う! これは訓練ではない!」

「さー、いえっさー!」

「メニー班長、質問は!」

「ありません! テリー隊長!」

「ならば行くぞ!」

「さー、いえっさー!」


 二人でランプを掲げて、手を握って、じりじりと雪の城と言う名のトンネルの中へ入っていく。メニーはゴーグル越しから目を輝かせる。あたしはゴーグル越しからメニーを睨みつける。


(くそぉ…! 油断したぁ…!)


 屋敷の扉を開ける前に、メニーがとてとて歩いて来たのだ。


「あれ、お姉ちゃん、どこ行くの?」

「しっ! メニー! あたしを見たことは皆に秘密よ!」

「なんでそんな重装備してるの?」

「これから調査に行くからに決まってるからでしょ!」

「調査? 何それ。なんか怪しい。お姉ちゃん、何しに行くの?」

「…………その」


 あたしははっと思いついた答えを言った。


「とある洞窟に、冒険に行くのよ!」

「私も行くーーーーー!!!!!」


(なんで子供は好奇心旺盛なのよ!)


 引きこもりメニーちゃんは、なんでこういう時だけ行動力に優れているのよ!


「お姉ちゃん、私、すごくわくわくしてる。見て。私達の影がおばけみたい」


 メニーがランプを壁に向けると、自分の影が伸びる。それを見て、けたけた笑い出す。


「でも、お姉ちゃん、よくこんなところ見つけたね」

「メニー、さっき言った通り、中を一通り見るだけ。危ないと思った時点ですぐに引き返すわよ。いつでも逃げれる準備をしておいた」

「さー、いえっさー! 隊長!」

「行くわよ! 班長!」

「さー、いえっさー!」


 何が隊長よ! 何が班長よ! てめえはあたしを馬鹿にしてるのか!!


(だいたいこいつがいると、逃げる時足手まといなのよ…! リトルルビィの時の事、あたしは絶対忘れないわよ。腰抜けメニーちゃん…!!!)


 トンネルの中にブーツの音が響く。

 こつん、こつんと、音が響く。

 ランプで照らしていても、トンネルの中は全く暗い。最奥部まで、まだ距離があるようだ。


(どこまで歩けばつくかしらね)


 ニクスが来てはいけないと言った場所。


(子供の頃のあたしは、どこまで行けたのかしら)


 純粋だったあたしは、目を輝かせて、自信満々に歩いていたことだろう。王様に会って、ニクスに、あたしも王様に会えたわよ。えっへんって、胸を張って言ってやろうと思って。


(でも、無理だった)


 風の音が、唸り声に変わるのだ。


(どこかで、変わったんだ)


 歩いてて、どこかで。


(どこかで)


 風が吹く。足が動く。


(どこかで)


 風が止まる。メニーがついてくる。


(どこだ)


 風の音が響く。変な音。


(暗い)


 前だけを歩く。風の音が響く。


(まだか)


 前だけを歩く。ひたすら歩く。暗い道が続く。メニーの手を握り、前に進んでいく。まだ暗い道が続く。歩く。続く。歩く。冷たい。歩く。冷える。歩く。空気が白い。歩く。


 ―――音が止まる。


「………」


 足は止めない。静かになる。歩く。足音が響く。歩く。止まらない。メニーの手を引っ張って、ランプを掲げて、歩き続ける。


 暗い。


 ランプの火が揺れる。上、下、足元、目の前から、絶対に、何か来るかもしれないと覚悟して、想像して、逃げれる準備を、覚悟をして、歩く。進む。呼吸を落ち着かせて、薄暗いトンネルの中を見回す。


 ―――――歩くと、


「きゃっ!」

「っ!」


 メニーが悲鳴をあげて、あたしはメニーを自分に引き寄せる。メニーよりも一歩前に出て、メニーを背に隠し、悲鳴を上げた方向にランプを向けてみた。


(王様!)


 睨みつけると、そこには一つの影。王様ではなく、金の丸い額縁に入った鏡が一つ、岩の壁に立てかけられていた。あたしとメニーがぽかんとする。


「……鏡?」

「びっくりした…」


 メニーが胸をなでおろしたのを見て、鋭く睨んだ。


「鏡くらいで驚かないでよ。びっくりしたじゃない」

「だ、だって、人が歩く姿が映ってたから…」

「あたし達が映ってたんでしょ」

「…そうだけど」

「もー!」


 眉間に皺を寄せ、ぶすっと頰を膨らませる。


(だけど、これは何かしら)


 立てかけられた一つの鏡。

 あたしとメニーの全体の姿が映っている。ランプを持って、鏡の自分を見るあたし達の姿。メニーが眉をひそめて、一歩下がった。


「お姉ちゃん、なんだかあの鏡、気味が悪い」

「ええ」


 レトロな作りの、綺麗な、不気味な鏡。魅入られるようなその鏡。ただただ、何をされるわけでもなく、そこに立てかけられているだけ。メニーがあたしの手を引っ張った。


「お姉ちゃん、戻った方がいいかも」

「鏡よ、鏡」


 あたしは鏡に訊いた。


「この世界で一番美しいのは誰?」


 鏡は答えない。ランプを持つあたし達しか映らない。

 メニーが眉を下げて、あたしの手を引っ張った。


「お姉ちゃん」

「なんて事ない鏡だわ」


 じっと見ても、何ともない。


「ほら、メニー、何ともないわ」

「お姉ちゃん、あの鏡、なんか、怖い」

「ただの鏡よ」


 あたしはメニーの手から離れ、歩き、鏡の前に立った。あたしが映るだけ。


「ほら、何ともない」

「でも、お姉ちゃん、どうしてこんな所に鏡があるの?」

「それはあたしにもわかんない」


 辺りをランプで照らしてみる。しかし、道は岩で塞がれている。行き止まりだ。


(最奥には、この鏡だけ)


 ニクスは鏡を知ってるの?


(なんで近づいちゃ駄目なんて言ったのかしら)


 あたしはもう一度鏡を見る。しかし、何度見ても普通の鏡だ。心配そうにあたしの背中を見るメニーの姿が鏡から分かる。


(……ここまでか)


 あたしは鏡から離れる。


「洞窟の奥にはこの鏡。どうする? メニー。宝物を持って帰る?」

「いらない」


 メニーが首を振った。


「お姉ちゃん、早く帰ろう」

「どうしたのよ。あんた」

「その鏡、なんかやだ」


 メニーがあたしの手を引っ張った。


「早く帰ろう」

「はいはい。そうね。冒険はおしまいよ」


 そう言って来た道を戻っていく。メニーがあたしの腕に掴まり、一緒に歩き出す。


「メニー、歩きづらい」

「ここ、なんだか寒い」

「冬なんだから当たり前でしょう」

「そうかな」


 メニーが振り向いた。


「あの鏡を見てから、なんか、さっきより寒くなった気がする…」


 メニーが鏡を見た。鏡がランプの光に反射して、きらりと光る。途端にメニーが身震いし、あたしの腕を引っ張って、早足で歩き出した。


「早く、お姉ちゃん」

「メニー、早足だと危ないわよ」

「ここ、なんかやだ」


 メニーが眉をひそめる。


「なんか、変」

「気のせいよ」


 あの鏡が少し不気味だったから、


「怖い物語を見る前ってすごくわくわくするでしょ。でも見終わったら、眠れなくなるくらい怖くなるじゃない。一緒よ」

「………お姉ちゃんのばか」


(んだと! こらぁ!! メニーのくせに生意気な!!)


 しかし、外のあたしは、優雅な優しい余裕のあるお姉様。怖がるメニーを宥める。


「はいはい。怖かったわね。メニー。メニーメニーメニーメニーメニー。さっさとこんな暗い所出て、お家で紅茶でも飲みましょう。そしたら体もあったかくなるわ」

「……だと、いいけど」


 メニーがあたしの腕を、強く抱きしめた。歩きづらい中、あたしとメニーが来た道へと戻っていく。








 誰もいなくなった時、鏡がきらりと光った。






(*'ω'*)




 雪が降る夜はとても冷たい。とても寒い。だけど、積もった雪が冷たい風を遮断し、体を動かしているから、汗が出てくるほど体は暑くて寒い。ニクスが汗を拭った。あたしは魔法にかかっているから、いつでも暖かい。触ったら雪が溶けるから、手袋で雪に触れる。ニクスは寒いから、手袋で雪に触れる。


 二人で手を力ませると、ごろんと、雪玉が転がった。重たくなった雪玉を二人で出来る限り転がしていく。ニクスがボロボロの手袋で雪玉を叩き、あたしも雪をくっつけるように叩き、二人でまた押して、転がす。ニクスが真っ赤になった顔であたしに微笑んだ。


「前のより大きいのを作ろうね」

「うん」

「あ、なんか突っかかった」

「ニクス、押して」

「うん!」


 障害があっても、二人で押し転がす。どんどん雪玉が大きくなっていく。


「テリー、今日は忙しかったの?」

「ん?」

「パンを買いに来なかったから」

「ああ、そうね」


 目の前にある雪の城に入ったりなんてしてないわ、という可愛い笑顔を浮かべて、頷いた。


「あたしね、勉強してたの」

「へえ、勉強」

「そう。ニクスに字を教えないといけないから。沢山勉強してるのよ」

「お陰でsleepは覚えたよ。僕にぴったりの言葉。テリーは沢山言葉を知ってるなんて凄いね。学校に行ってるの?」

「学校じゃないわ。自宅学習。家に寝泊まりしてる先生がいて、その人に教えてもらってるの」

「へえ。そんな人がいるんだ。勉強し放題だね!」

「勉強なんて嫌よ」

「え? どうして? 沢山色んなことを知れるのって、楽しそう」

「勉強なんて楽しくないわ」

「そうなの?」

「ニクス、うちの先生ね、すっごい美人で、色んな事を知ってるの。そこはいいわ。豆知識沢山。本当にすごいと思う。でもね、見た目で見れば薔薇が似合うような美人が、野獣の如く宿題という名の課題を山ほど出してきて、あたし達を苦しめるのよ」

「『どうして苦しむの? 楽しそう』」

「『ニクスは勉強が好きなの?』」

「『お母さんがいる時も、うちは貧乏だったから、僕、お父さんの手伝いばかりしてた。だから、勉強ってしたことないんだ。そうだね。憧れに近いのかもしれない』」


 勉強出来る環境。


「『僕、一回でいいから学校に行ってみたいんだ』」


 ニクスが雪玉を押した。


「『学校ってさ、同じ年齢の子も部屋にいて、一緒に勉強出来るんでしょ? いいな。僕、テリーがいたら隣同士で座って、一緒にパンを食べながら分からないところを教えあったりしてみたい』」

「『馬鹿ね』」


 鼻で笑う。


「『あたしとニクス、勉強する部屋が違うと思うわよ』」

「『どうして?』」

「『身分』」

「『よし、わかった。じゃあ僕が校長先生だ。身分も全く関係ない学校を作って、テリーと一緒に勉強する!』」

「『まあ、素敵なアイディア』」


(ふん。やれるものならやってみなさいよ。子供の戯言如きが)


 あたしとニクスが雪玉を押し込んだ。前に作った小さな雪だるまの隣に大きな雪玉が置かれる。


「よし、次は頭だ」


 ニクスが小さな雪玉を固めて転がし始めた。あたしは何もせず、ニクスの後ろをついていく。


「ねえ、ニクスには、借金でもあるの?」

「そうだね。生きていく為に支払いは大変だよ。食べ物代とか、家賃とか?」

「お父さんが働いてるんでしょう? ニクスが働かないと、払えないの?」

「うん。払えない」

「そんな事ある?」

「あのね、テリー、お父さんね、体が弱いんだ。だから休みがちでさ」

「……体が」

「そうなんだ」


 ニクスがにこりと笑う。


「だから、節約しながら暮らしててさ。お父さん、料理が上手なんだ」


 聞いた事あるような話が始まる。


「『お父さんの玉子料理がね、格別に美味しいんだ』」

「『玉子料理?』」

「『テリーにも食べさせてあげたいな。玉子って高いだろ? だからあまり買えないんだけど、たまに安売りしてるのを見つけて買うんだ。お父さんに玉子を持たせたらコックさんになるよ。オムレツや、玉子のスープ。ふふっ。美味しいんだよ。すごく』」

「『そんなに美味しいの?』」

「『最高にね』」


 ニクスが笑顔で頷いた。


「『あーあ。食べたいな。お父さんの玉子料理』」


 その時、ニクスのお腹の虫が鳴いた。


「あっ」

「え?」


 あたしはきょとんとニクスを見た。ニクスが照れ臭そうに頭を掻いて、へへっと笑った。


「お腹の音を鳴らすなんて、下品だったかな?」

「食事は?」

「パンを一口程度。お店でね」

「それだけ?」

「うん。お店の人は皆優しいから、テリーみたいにいつも僕にパンをくれるんだ。今日だって余ったものを貰った」

「なのに、食べてないの?」

「うん。全部お父さんにあげちゃった」

「……呆れた」

「言っただろ。お父さん、体が弱いんだ。だから、少しでも栄養のつくものを食べてもらわないと」

「雪だるま作りは終わりよ」


 あたしが言うと、ニクスが振り向く。あたしはニクスの手を掴んだ。


「ニクス、この後時間あるでしょ」

「え」

「どうせ家に帰って寝るだけなら、あたしを送っていきなさい」


 その手を掴んで、雪だるまをほっぽって、歩き出す。ニクスがあたしに引きずられていく。


「テリー、待って。どこに行くの」

「ちょっと遠く」

「僕、用事が」

「こんな夜に、何の用事よ」


 あたしとニクスが遊び場所から出て行く。一本道の雪道に踏み込み、また踏み込んで、二人で靴に雪をつけさせて歩く。暗くなった街を通って、街灯の下を通って、建物の前を取って、しばらく二人で歩く。寒さでニクスが身震いした。


「うう、テリー」

「何」

「どこまで送っていくの?」

「こんな夜道に女の子一人だと危ないでしょ」

「いつも一人で帰ってるくせに」

「今日は特に危ないの」

「どうして?」

「灯りが少ないから」

「いつも通りだよ」


(あ、そうだ)


 あたしはポケットからマッチの箱を取り出す。


「ニクス、これあげるわ」

「ん、マッチ?」

「そう。マッチ売りの少女から、たくさん買ったから余ってるの。あんたにあげるわ」

「わあ。助かるよ。ありがとう」


 ニクスがマッチの箱をポケットにしまった。また足を動かす。前へ前へ。薄暗い一本道を進む。建物が無くなっていく。積もった雪山が建物の代わりになる。一本道が続く。


「テリー」

「何」

「寒いね」

「ええ」

「テリーのお家は暖かい?」

「暖かくしてるわ。あんたもマッチで暖炉に火をつけるといいわよ」

「そうだね。これでお父さんと一緒に暖まることにするよ」

「…薪はあるの?」

「薪はなんとかなるよ。木の枝を集めたり、近所の人から貰ったり」

「そう」

「ありがとう。テリー」

「何が」

「その気持ちが嬉しい」

「何言ってるの? 変なニクス」

「ふふっ。僕は変じゃないよ」


 雪が降る。あたしとニクスから白い息が溢れる。


「テリー」

「何」

「明日は忙しい?」

「別に」

「11時にお店に来れる?」

「そうね。明日こそ行くわ。交換日記を持っていく」

「あの、そうじゃないの」

「そうじゃないって?」

「それがさ」

「うん」

「あのね」

「何よ」

「実は、僕ね」

「ん」

「パンを作るの」

「……え?」


 振り向くと、ニクスが微笑んであたしを見ていた。二人で雪山に登る。


「店長さんに、その、やってみるかって言われてて、明日、やってみるんだ」


 ニクスが目玉を上に上げ、頭の中で時間を計算する。


「焼きあがるまでに時間がかかるんだけど、一番客数が少ない11時には焼きあがる予定だから」


 ニクスの目玉があたしの方向に戻ってくる。そのまま、頬を緩ませて、微笑む。


「テリー、味見に来てくれる?」

「まあ」


 あたしはにこりと笑った。


「素敵!」


(なんでテメェの試作品なんかを食べにあたしがわざわざ行かなきゃいけないのよ! くたばれ!)


「もちろんよ!」


 あたしは可愛い笑顔を浮かべたまま、こくりと頷いた。


「行くわ! 絶対行く!」

「えっ、本当に!?」

「嫌だわ。ニクスったら。あたしが断ると思ってるの? あたし達は友達なのよ。大切な友達のニクスがパンを作るなんて、」


(たかが貧乏人の字も読めない子供が作るパンなんて)


「絶対に美味しいに決まってるもの!」


(期待はしないでおくわ)


「ふふっ! そう言ってくれて良かった!」


 ニクスが嬉しそうに真っ赤な頬を緩ませる。


「僕、頑張って美味しいのを作るからね!」

「うん! 楽しみにしてる!」


(胃薬の準備をしておこう)


 雪山が下りになっている。


「あ」

「よし」


 ニクスが雪の上に座った。


「テリー、僕の上においで」

「ええ」


 あたしはニクスの膝の上に横座りする。ニクスがあたしを抱きしめ、あたしをちらっと見た。


「行くよ!」


 ニクスが雪を蹴ると、ニクスのお尻が雪山を滑り始めた。しかし、ソリも無しに上手く滑れるはずもなく、あたしとニクスがごろんと柔らかな雪の上に転がった。


「へぶっ!」

「あはははは! ごめん! テリー!」


 今度はニクスがあたしの手を引っ張る。勢いで立ち上がり、あたしがニクスを睨むのを堪えるための引きつった笑みを浮かべて、ニクスがクスクス笑って、あたしはニクスから視線を逸らして、再びニクスを引っ張って歩き始める。


「テリー」

「何」

「明日、待ってるね」

「11時ね」


 行けばいいんでしょ。行けば。


「分かった。11時に必ず行く」

「うん」


 ニクスとあたしが巨大な建物の影に近づいていく。薄暗い中で見えるその建物に、ニクスが思わず声をあげた。


「うわあ、テリー、見て」


 ニクスが指を差した。


「大きいお屋敷があるよ。お城みたい。見て。雪の国よりも大きそうなお庭。こんな所に住めるなんて、きっと貴族だね。テリーと一緒だ」

「当然よ」


 あたしはニクスを門に引っ張った。


「家だもの」

「えっ」


 あたしはニクスを引きずるように引っ張り、裏口に回る。足跡が残る。だが、朝になれば積もった雪で消えるだろう。

 もすもす歩き、雪を踏んで、裏口を回って、静かな扉をノックした。


 向こうから男性の声が聞こえてくる。


「やい、誰だい。こんな時間に。ここはベックス家のキッチンだぞ。考えられるのは一つしかない。家無し人だな。おい、やい。出て行け。ここには何も出せるものはないぞ」


 あたしは構わずノックする。


「やい。なんだい。薄汚ねえ奴め。やい。この見習いコックのケルド様が追っ払ってやるぞ」


 ケルドが扉を開ける。あたしが出てくる。


「悪かったわね。薄汚くて」

「ひぇっ!!」


 ケルドが素っ頓狂な声を出し、目を丸くさせ、慌てて後ずさる。そして、あたしを確認して、上から下まで確認して、顔を真っ青にさせて、あたしの頭よりも下に頭を下ろした。


「ああ、なんて恐ろしいことを…! テリーお嬢様、これは、ああ、一体どうしてお外に、ああ、なんてお詫び申したらいいのか、ひい、ご容赦を! キッチンを守るためだったんです! 私も怖かったんです! どうかドリーさんと奥様とギルエド様には言わないでください。どうかこの通り!」

「あたし、すごく傷ついたわ。ノックしただけなのに、薄汚い家無し人だなんて呼ばれて」

「ああ、本当に申し訳ございません! どうしよう! ああ、テリーお嬢様、私達のお嬢様! どうかお許しを!」

「じゃあ、こうしましょう。美味しい料理を作ったら許してあげる」


 あたしはニクスを引っ張った。厨房の灯りがぽかんとしたニクスに当たる。ケルドがニクスを見て、眉をひそめた。


「あたしの大切な大切なお友達なの。美味しいものでもてなして」

「へ!? お友達っ!? テリーお嬢様の!?  ははっ! これはこれは! ようこそ! ささっ、中へお入りください!」

「ああ、えっと」


 戸惑うニクスにケルドが手を擦った。


「これはこれは、寒そうだ。お腹を空かせているのかい? いやあ、テリーお嬢様、もちろんですよ。喜んでおもてなしをさせていただきます! 私の腕でよろしければ、美味しいものをご馳走しますよ。さ、えっと、お坊ちゃん、こちらへ!」

「お坊ちゃん?」


 ニクスがきょとんと瞬きした。


「それ、…僕のこと?」

「何を仰いますか! ははっ! 貴方様以外に誰がいらっしゃいますか? とてもユニークなお友達ですね! テリーお嬢様! さ、二人とも、いつまでもそんな所にいないで、中へお入りください! どうぞ! さあ! テリーお嬢様も! ああ、なんて寒そうなんでしょう! 私でよろしければ、お紅茶をお淹れしますよ!」

「ケルド、サリアは?」

「サリアですか? はあ、さて? まだ起きているとは思いますが」

「分かった。ありがとう」


 あたしとニクスが中へ入り、ケルドが扉を閉めた。厨房の暖かさに、ニクスが息を吐いた。


「わ、なんか急に暖かくなって、体が暑くなってきた」

「ニクス、料理の合間にお風呂に入って」

「お風呂?」

「大浴場があるの。好きに入っていいわ」

「え」

「いいでしょ? ケルド」

「はい!」


 ケルドがこくん! と頷いた。


「大浴場の管理は、私ではありませんので、どうぞお好きに!」

「フルコースで頼むわよ。ケルド」

「はい! お任せを! ちゃちゃっと作ってしまいます!」

「案内するわ。ニクス」

「テリー、いいよ」


 ニクスが首を振る。


「僕なら大丈夫」

「何言ってるのよ。あんた臭いの自覚してる?」

「知ってるよ。僕、この間お風呂を借りてから入ってないんだから、臭いに決まってる」

「だから入って。シャンプーも全部好きに使っていいわ」

「風呂場が汚れるかもよ?」

「毎日掃除してるから心配ないわ」

「毎日浴室を掃除してるの?」

「そうよ。家のお手伝いさんがやってくれるの」

「わあ…。それはすごいな…。毎日か…」


 呟くニクスの声を聞きながら、厨房に置かれたろうそくを借りる。厨房から出て、明かりの消えた廊下に出る。誰にも見つからないように、忍び足で歩き、浴室まで歩く。


「ニクス、ここよ」


 扉を開ける。来客用の大浴場に通じる脱衣室。大浴場にはシャンデリアがあるから明るいが、脱衣室の明かりは消えていた。ということは、誰にもいないということだ。ニクスの貸し切りだ。


「サウナもあるのよ。使っていいわ」

「サウナって何?」

「いいから、脱いでさっさと入ってきて」

「テリーはどこにいるの?」

「あんたが上がる頃にはここにいるわ」

「僕、よく分からないのに、一人で入れないよ」

「じゃあ一緒に入る?」

「え?」


 ニクスの表情がぱっと明るくなった。


「一緒に入ってくれるの?」

「入るわけないでしょ! すけべ!」

「ええ…」


 ニクスが表情を曇らせた。


「入ってくれないの…?」

「ここで待ってるから」

「本当?」

「ちゃんといるから、早く行って」

「ちゃんとだよ? 絶対だからね?」

「いるから」

「置いて行かないでね。テリー」

「大丈夫だって」

「その言葉信じるよ」


 不安げなニクスが中に入り、扉を閉める、前に、眉を下げて訊いてきた。


「…ちょっと長く入ってもいい?」

「寝るのはやめてね」

「うん。寝ないようにする」


 ニクスの口角が上がる。


「ありがとう。テリー。待ってて」

「ええ」


 ニクスが扉を閉めた。しばらく待つ。扉は開かない。しばらく待つ。やっぱり扉は開かず、奥の扉が開かれる音がした。


(よし)


 微かに聞こえる扉の閉じた音を聞いて、早足で廊下を歩き、階段を上る。使用人達が寝泊りしている部屋が並ぶ廊下まで颯爽と行き、目的の扉の前で立ち止まり、ノックする。


「サリア」


 ことん、と音が聞こえた。一歩下がると、扉が開かれる。ネグリジェを着たサリアが立ち、あたしを見下ろした。にこりと、いつもの笑みが向けられる。


「こんばんは。テリー」


 サリアが屈んで、あたしの顔を覗き込んだ。


「どうしました? コートなんか着て。なんだか外の匂いがしますね。こんな夜に、お庭のお散歩でも行かれましたか?」

「サリア、ちょっと手伝ってほしいの」

「いけないことには手を貸しませんよ」

「共犯になってくれたらサリアにご褒美あげるわ」

「いりません」

「サリア」


 サリアの耳に口を近づけ、声をひそめて囁く。


「友達が来てるの。今、お風呂に入ってる」


 サリアが表情を変えないで、じっとあたしの声に耳を傾けた。


「何でもいいわ。暖かい服装を、何か用意して。男の子用ね。穴が開いてる上着を着てるの」

「あら、随分変わり者のご友人ですこと」


 サリアがふっと笑い、身を起こし、あたしの背中をそっと優しく押した。


「用意しておきます。テリー、行ってください」

「ありがとう。サリア」

「ご褒美、忘れないでくださいね」

「分かってる」


 ふふっと笑ったサリアが大股で歩き出し、暗がりの廊下に消えていく。あたしも小走りで見つからないように廊下を進み、ひそりひそりと階段を下りて、来客用の浴室の前に立つ。


(このあたしを廊下で待たせるなんて。お前は待たせるのが好きね。ニクス)


 暗い廊下を一人でじっと待つ。


(廊下は寒いわね)


 廊下にも暖炉を置くべきだ。


(ああ、寒い)


 遅いわね。ニクス。


「………」


 あたしは周りを見た。


(誰もいない)


 誰も見てないなら、


(……サリアも来ないし)


 少しの間だけ、構わないわよね。


「よいしょ」


 あたしは廊下に座った。


「はーあ!」


 つーかーれーたー!


(あたし、もういい年なの。ずっと立って待ってられないわ!)


 あー、疲れたー! しんどーい!


(あたしも寝る前に、もう一回お風呂入ろうかな…)


 暗い廊下。ぼうっとしてくる。


(まだかな。ニクス)


 寒い廊下。ぼうっとしてくる。


(遅いな。ニクス)


 あたしはうとうとしてくる。


(遅いな)


 遅いな。















「まだかな」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ