第5話 お友達計画(1)
テリーちゃん、お友達計画! ニクス君とお友達になろう!
と言う計画のもと、あたしは本を開く。
『友達が出来る本』
アメリが瞬きした。
メニーが顔をしかめた。
猫のドロシーが硬直した。
読書の時間に、あたしは真剣に読みふける。
お友達を作る方法!
その一、笑顔で積極的に話しかける。「友達になろうよ!」
その二、話し上手に聞き上手。「ハイ。調子どう?」
その三、手紙を書こう。「拝啓、この手紙読んでいるあなたはどこで何をしているのだろう」
その四、交換日記を書こう。愚痴もOK!「交換日記しようよ!」
その五、とにかく遊ぼう。「一緒に遊ぼうよ!」
その六、プレゼントをあげよう。「ささやかな気持ちだよ!」
その七、自分に自信を持つ。「あなたとお友達になりたいの!」
その八、相手に共感する。「分かる分かる!」
その九、助け合う。「困った時はお互い様さ!」
その十、秘密を共有する。「これで僕達、秘密のフレンズなんだね!」
「お、お姉ちゃん…?」
メニーがそっと手を伸ばすが、アメリが止めた。
「メニー」
「お、お姉様…。お姉ちゃんが…、お姉ちゃんが…!」
「メニー、いいこと。テリーはね、ちょっと、そういうお年頃なのよ。ちょっと、微妙に繊細なお年頃なのよ。メニーも、12歳くらいになったら分かるから」
「大丈夫かな…? 私…、心配で…!」
「メニー、私達に出来ることは、テリーを見守ることよ」
「テリーお姉ちゃん…」
「大丈夫。近いうちに、お医者さんに診てもらいましょう。心の病かもしれないわ。メニー、テリーが落ち着くまで、そっとしておきましょう」
「お姉ちゃん…そんなに…寂しい思いを…」
「その…テリーは…不器用だから…」
哀れな視線を送られる中、あたしは本を真剣に読む。
(ふむふむ。なるほど)
笑顔で、積極的に。
(なるほどね)
あたしは、笑顔で積極的に声をかけることにした。
プラン1、笑顔で積極的に。
「ニクスー!!」
11時。
ミセス・スノー・ベーカリー。
品出ししていたニクスが目を見開いて、あたしに笑いかけた。
「やあ、お嬢様」
「駄目よ。名前で呼んで」
「ふふっ。分かったよ。テリー」
ニクスがくすくす笑いながらパンを並べていく。あたしはその隣でニクスの仕事を眺める。
「ねえ、今日のおすすめを教えて。買っていくわ」
「バターロール。美味しいよ。ジャムにつけても最高」
「いただくわ」
「10ワドル」
「二つ」
「20ワドル」
「ジャムもつけて」
「120ワドル。ちょっと高くなるよ」
「平気」
二人でレジで支払い手続きを済ます。ニクスからパンの入った袋を受け取る。
「ありがとう」
袋からパンを取り出して、ニクスに差し出す。
「あげるわ。ニクス」
「いいの?」
あたしは店内を見回す。客はあたし以外いない。他の従業員は厨房。
「今なら誰もいないわ」
「よし、見張ってて」
ニクスがパンを受け取り、思い切り頬張る。もぐもぐ食べて、笑みをこぼした。
「わあ、美味しい。ね、テリーも食べて。すっごく美味しいよ」
「ジャムは?」
「そうだね。つける」
「いただきます」
あたしもパンを食べる。濃厚なバターの風味がたまらない。
「ジャムいらないかも」
「でもつけた方がお得だ」
ニクスがカウンターの下からスプーンを取り出し、うまいことジャムを付けた。
「テリーもつける?」
「そうね。貰う」
あたしも一緒にジャムをつけて頬張る。小麦の味と、ジャムの味が混ざり合う。
「うん。悪くない」
「ふふっ。ばれたらクビになっちゃうかも」
「大丈夫よ。あたしが買って、ニクスにあげただけなんだから」
「早く食べないと見つかっちゃう」
「飲み込めばいいわ」
「水はいる?」
「いらない。大丈夫」
ニクスとあたしが同時にパンを飲み込んだ。見てたニクスがおかしそうに笑い出す。
「ふふっ。貴族のお嬢様が立ち食いなんて怒られない?」
「ここにはママがいないから平気よ」
ハンカチで口を拭う。袋の中には残ったジャムの瓶だけが残される。
「ニクス、今日は暇?」
「ううん。忙しい」
「16時以降」
「ごめんね。無理なんだ」
「10分でいいわ」
「用事があって」
「そう」
「テリー」
ニクスが眉を下げた。
「本当にごめんね」
「いいのよ。明日はいる?」
「うん。いるよ」
「明日も来るわ」
「わかった」
ニクスが笑顔で頷き、呟いた。
「待ってる」
「ええ」
じゃあ、
「また明日ね。ニクス」
「うん」
「ジャム、美味しく頂くわ」
紙袋を持ち上げて見せて、あたしは店から出て行った。
(*'ω'*)
翌日。
クロシェ先生が振り向く。
「ここまでで、質問は?」
「クロシェ先生」
「はい。テリー」
あたしは挙げた手を下ろす。
「友達って、どこから友達ですか?」
「それはね、テリー。お互いがお友達と思ったら、もうお友達なのよ」
「なるほど」
ブラックボードにメモすると、メニーとアメリが微妙な顔をした。クロシェ先生も不思議そうな顔をした。
(お友達だと思ったら、お友達…)
プラン2、話し上手に聞き上手。
「こんにちは、ニクス」
「こんにちは、テリー」
「調子はどう?」
「元気だよ。君は?」
「あたしも元気」
「そう。それは良かった」
笑顔のニクスがトングを持った。
「今日のおすすめはワンちゃんチョコレートパン。いかが?」
「いただくわ」
ニクスが犬の形のパンを袋に入れる。あたしは話し上手。聞き上手。
「ねえ、ニクス、犬は好き?」
「大好き。犬って可愛い」
「動物は好き?」
「そうだね。動物は好き。時々だけど、野良犬や野良猫とお喋りしてるんだ。虫ともね」
「今は冬よ。虫はいないわ」
「うん。だからすごく寂しい」
「寂しいの? 虫がいなくて嬉しくない?」
「全然。虫は大好き。テリーは嫌いなの?」
「虫は嫌」
「お嬢様だもんね」
「勘違いしないで。ニクス。貴族のお嬢様でも、虫が大好きなお嬢様はいるわ」
「テリーはどっち?」
「嫌い。でも、蝶々くらいなら見てられる」
「蝶々は羽が綺麗だよね」
「でもたまに目みたいなのがあって、あれは嫌」
「幻想的で素晴らしいじゃない」
「そう思う?」
「僕はね」
ニクスが袋の口を閉じた。
「50ワドル」
「二つ」
「100ワドル。ちょっと高いけど」
「平気」
レジに行って、支払いを済ませる。周りを見回す。
「ニクス」
「駄目だよ。テリー」
「一人で食べきれないの」
「だったら一つだけにすればいいのに」
「お願い。今日だけ」
「分かった。じゃあ、いただくよ」
ニクスが周りを見回す。誰もいないことを確認して、袋からパンを取り、大きく頬張る。噛めば噛むほど、ニクスが笑顔になっていく。
「うん。美味しい!」
「あたしも食べる」
一緒に食べる。犬の顔に歯型がついていく。
「チョコレートがぎっしり詰まってる」
「社員さんがいっぱい入れてるんだ。もうこれ以上かってくらい」
「暖めたらもっと美味しくなりそう」
「そうだね。ちょっと冷めてるから」
「ニクス、今夜も忙しいの?」
ニクスが黙って頷く。
「そう」
あたしはパンを噛む。もぐもぐ食べる。
「明日は?」
「お店にはいる」
「そう。じゃあ…」
頷く。
「明日も来ていい?」
「お試し期間だからね」
「そう。お試しだから、来ていいのよね」
「君が良ければね」
「構わないわ」
空になった紙袋を綺麗に折りたたんで、ぎゅっと握る。
「明日、また来るわ」
「うん」
「おすすめのパン、確認しておいて」
「わかった。聞いておく」
「じゃあ」
あたしは手を振る。
「また明日」
「また明日」
ニクスが手を振って、それを見て、あたしは店から出て行った。
(*'ω'*)
翌日。
メニーがあたしの部屋に来た。
「お姉ちゃん、あの…、一緒に、その、お人形遊びしない?」
「これから出かけるの。あんた、欲しいパン無い?」
「ぱ、パン?」
「あ、そうだ。子犬ちゃんパンを買ってきてあげるわ」
「あ、お、お姉ちゃん…?」
プラン3、手紙を書こう。
戸惑うメニーを放って、今日もミセス・スノー・ベーカリーへ。
11時。相変わらず嵐の前の静けさ。
「ニクス」
レジでニクスが居眠りしていた。こくりこくりと首が沈んだり、上がったり。
「ニクス!」
肩を叩くと、ニクスがはっと起きた。
「ひらっしゃいまへ!」
「いらっしゃったわ」
あたしが言うと、ニクスがぼんやりとあたしを見て、弱々しい笑みを浮かべた。
「ああ、テリー…」
「おはよう」
「おはよう…」
「眠いの?」
「ちょっとね」
「寝不足?」
「うん」
ニクスが欠伸をした。
「寝るのが遅かったかな。よく眠れなくて…」
「大丈夫?」
「寝不足は慣れっこ」
ニクスがニッと笑い、カウンターから出てくる。
「座ってたら眠くなる。ね、今日のおすすめのパンを案内させて。喋ってたら目が覚めるかも」
「ニクス、今日は手紙を書いて来たの」
「手紙?」
「そうよ」
あたしは鞄から手紙を取り出し、ニクスに差し出した。
「はい」
ニクスが手紙をまじまじと見つめ、そっと受け取る。ゆっくりと、あたしに目を向けた。
「これ、僕に?」
「ええ」
「驚いた。手紙を貰うなんて、初めてだから」
封筒を見て、じっくり見て、ニクスが嬉しそうに笑みを浮かべる。
「どうしよう。ああ、えっと、ごめんね。嬉しくて。あの、ふふっ」
笑って、戸惑って、あたしに微笑む。
「ありがとう」
「いいのよ。手紙くらい、いつだって書くわ」
「うん。でも、あの…」
ニクスが手紙を胸に押し当てて、首を振った。
「ごめん。僕ね、字が読めないんだ」
「え?」
「教わったことない。だから、字、読めなくて…」
手紙をぎゅっと抱く。
「でも、気持ちは本当に嬉しいんだ。テリー。僕、手紙なんて、本当に初めて貰ったから…」
封筒を見て、また抱きしめる。
「お洒落な封筒。いいな。可愛い。高級感もある。素敵。宝物にするよ」
ニクスが辺りを見回した。
「ああ、どうしよう。カウンターに隠しておこうかな。帰りに鞄にしまうから」
「ニクス、中を開けて。あたしが読むわ」
「読んでくれるの?」
「お試し期間だから」
「そうだ。お試し期間だ」
ニクスが封を開ける。中の便箋を開く。あたしが横で字を読む。
「ニクスへ」
ニクスがにこにこしながら、黙ってあたしの声を聴く。
「友達になって」
ニクスがあたしを見る。あたしもニクスを見る。ニクスが優しく微笑む。
「テリー」
ニクスが笑う。
「まだ、お試し期間だよ」
便箋を封筒にしまう。
「これは貰うね。大切にする」
「捨ててもいいわよ」
「何言ってるの」
ニクスが手紙を抱く。
「捨てられないよ」
ニクスが大切に、手紙を抱きしめた。
(*'ω'*)
翌日、アメリが部屋に訪ねてきた。
「テリー、その、…なんか、悪かったわね。今まで、あんたが妹だからって、ちょっと冷たくしてたかも。ね、今日良かったらスケートでも行かない? メニーも入れて、三人で」
「アメリ、欲しいパン無い? 買ってくるわ」
「あ、ああ、そうね。…えっと、そうね、パン。テリーの好きなパンでいいわ」
「分かった」
あたしは歩き出す。あたしの背中をアメリが複雑そうな顔で見送った。
プラン4、交換日記をしよう。
11時。
ミセス・スノー・ベーカリーへ入ると、レジカウンターでうとうとしているニクスが目に入った。
(また寝てる)
あたしは近づく。
(12歳なのに働きづめなのかしら)
ニクスを見る。
(……父親の手伝いでもしてるのかしら?)
「ニクス」
うとうと。
「ニクスってば」
肩を叩く。その衝撃でようやくニクスが目を覚ます。はっとして、ぱちぱちと瞬きして、ぼうっとして、欠伸をした。
「ふわあ…」
再びぼうっとあたしを見て、おぼつかない目のまま微笑む。
「……いらっしゃいませ。テリー」
「また寝てないの?」
「寝たよ。でも、あんまり眠れなくて」
ニクスが目を擦り、ため息をついた。
「はあ。…さて、仕事だ。今日はどうする? おすすめはやっぱりベーコンチーズパン。でもベーコンチーズパンは…」
ニクスが欠伸をした。
「12時にならないと焼けないから、他のをおすすめする」
「ニクス、交換日記しない?」
「僕の耳がおかしくなったのかも。今、交換日記って言った?」
「ええ」
「テリー、昨日の会話を忘れちゃったの? 僕、字が書けないし、読めないんだ」
「だから、あたしが教えるわ」
交換日記をカウンターに出すと、ニクスが首を振った。
「僕、鉛筆持ってない」
クレヨンを出す。
「これなら、鉛筆削りも必要ない。ずっとインクが出るからいつでも書ける」
「すごい。テリーは頭がいいね」
「交換日記って言っても、簡単な言葉で良いの。今日の気分を一言で書けばいいだけ」
あたしはクレヨンで一ページ目を書く。
「挨拶したければ、こんにちは」
hello.
「喜怒哀楽で表現して。今日はどんな気分?」
happy.
angry.
sad.
enjoy.
「どれ?」
「そうだな。今日の気分は、眠いかな」
「そう。眠い」
「どう書くの?」
「こうよ」
sleepy.
「眠たい」
「すごい。今の僕にぴったりの言葉だ」
「ねえ、どうして寝不足なの?」
「さあ、どうしてだろうね」
ニクスが微笑んだのを見て、あたしは顔をしかめた。
「ニクス、真面目に訊いてるのよ」
「テリー、貧乏人ってね、生きるためにいけない事もするんだよ」
「いけない事? 盗みでもしてるの?」
「不正はしない。まだここで働いていたいし。でも僕の場合は、いけない事のような、いい事」
「いけない事じゃないの?」
「いい事かも」
good.
「どっち?」
「いけないことかもしれない」
not good.
「どっちでもいいけど、ちゃんと寝て」
「心配してくれるの?」
「お試し期間だもの」
「ありがとう。その気持ちだけで、とっても嬉しい」
ニクスがおすすめのパンの前に立つ。
「今日はいくつ持ってく?」
「4つ。姉さんと妹の分」
「姉妹がいるの?」
「そうよ。あたしは真ん中」
「いいな。僕一人っ子だから、羨ましい」
「あたしは一人っ子が良かった」
「一人って寂しいよ」
「姉妹がいてもうるさいだけよ」
「賑やかでいいじゃない」
ニクスが紙袋にパンを入れる。
「ニクス、明日もいる?」
「残念。明日はいない」
「どうして?」
「お休みだから」
「ああ。お休み」
「そう。だからいないんだ」
「じゃあ、明日は時間あるのね」
ニクスが首を振る。あたしは眉をひそめた。
「嘘でしょ。無いの?」
「そう。休日も忙しい」
「どうして?」
「いけない事をしてるから」
「何してるの?」
「言うなれば、英雄ごっこ?」
「英雄ごっこって何?」
「とにかく、忙しいんだ。すごくね」
紙袋の口をニクスが閉じる。顔をあたしに向ける。
「ごめんね。テリー。明日は僕らの関係もお休みだ」
「ねえ、ランチしない? 奢るから」
「テリー」
「ディナーでもいいから」
「ありがとう」
ニクスが笑う。
「テリーの気持ちは嬉しいよ。本当に」
でもね、
「今、すごく忙しいんだ」
ニクスが眉を下げて、微笑む。
「とっても忙しいだ」
ニクスが一瞬目を伏せた。
―――直後、体が少し、小刻みに揺れる。
(ん?)
ガタン、と一気に揺れ始める。
「っ」
あたしの目が見開かれる。ニクスがはっと息を呑んだ。店が揺れる。棚からパンの入ったバスケットが落ちた。
「わっ」
体がふらつくと、手を掴まれる。ニクスがあたしの手を引っ張った。
「テリー! 隠れて! 急いで!」
「あっ」
引っ張られて、一緒にカウンターの下に滑り込むように潜った。バスケットが棚から落ちる音が聞こえる。厨房から悲鳴が聞こえた。まだ揺れる。大きくぐわんぐわんと揺れる。何かが地面に響いているように揺れる。あたしとニクスがカウンターの下でうずくまる。
「…………」
お互い黙って揺れが引くのを待つ。揺れがどんどん引いていく。どんどん小さくなっていく。
揺れが収まる。
ニクスがカウンターから顔を覗かせた。
「…………」
あたしも顔を覗かせる。店内には、パンが散らばっていた。
「…………これは、片付けが大変だ」
ニクスが呟いて、あたしの手を離した。
「テリー、今日はもう帰って。仕事が増えちゃった」
「手伝うわ」
「ふふっ。テリーは従業員じゃないだろ?」
ニクスが眉を下げて笑う。
「また地震が起きるかもしれないから、早く帰って」
「人手がいるかも」
「ニクス、平気か?」
厨房から従業員が顔を覗かせた。ニクスが返事を返す。
「平気です!」
「怪我は?」
「大丈夫!」
「それなら良い」
従業員が厨房に戻る。ニクスがまたあたしに顔を向けた。
「大丈夫。人手は店の人で十分だよ」
「でも」
「大丈夫」
ニクスがあたしの手を握った。
「テリー、本当にありがとう」
ニクスが笑顔を向ける。
(…卑怯者)
そんな風に笑われたら、言うことを聞くしかないじゃない。
あたしは大人しく頷く。
「……わかった。帰る」
「うん。そうしてくれると僕も安心だな」
ニクスが立ち上がり、あたしの手を引っ張る。あたしが立ち上がる。落ちたパンだらけの店内を見回す。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。だから帰って」
「明日、ランチよ。絶対。12時に中央区域の噴水前で待ってるわ。すぐ近くの所」
「テリー、だから、僕…」
「待ってるわ」
ニクスの手を強く握り締めた。
「待ってるから」
そう言い残し、ニクスの困ったような顔を見ながら、手を離した。大股でパンを避けながら歩き、大人しく店から出る。
外に出ると、冬の風が肌に当たった。
(寒い)
でも、約束は取り付けた。
(明日ね。ニクス)
あたしは雪道を歩き出す。雪が降っている。外を歩いていた人たちが、少し怯えた顔を、戸惑った顔をしていた。
(また地震か)
地面が揺れた。
(ま、春になればすぐに収まるわ)
あ。
(ニクスにあげようと思ってたパン……。………ドロシーにでもあげるか)
あたしは気にせず歩き出した。
(*'ω'*)
あたしは鏡を見る。
帽子OK!
コートOK!
マフラーOK!
服装OK!
ブーツOK!
手袋OK!
「サリア!」
サリアがあたしの髪をポニーテールに結ぶ。
「完璧!」
あたしは扉を開ける。
「行ってきまーす!」
もこもこのふわふわに包まれたあたしをアメリとメニーとドロシーが心配そうな目で見てくる。二人と一匹がサリアに振り向いた。
「ねえ、サリア、お姉ちゃん、最近ずっと変なの」
「急に友達が出来る本なんて読み出したのよ」
「にゃー」
「ドロシーも心配してる。お姉ちゃん、悪い病気かな…?」
「悪い子じゃないんだけど、そうね、その、テリーは、気難しいから…。友達、まあ、そうよね…。私、ちょっと反省したの。今度パーティーでテリーと仲良く出来そうな子達を集めて紹介してあげようと思う」
「お姉様、優しい!」
「サリア、テリーは大丈夫よね?」
サリアが肩をすくめた頃、あたしはゆっくり街を目指して自分の足で歩いていく。街までの長い長い一本道。ブーツで積もった雪を踏んづけて、道を歩いていく。
噴水前に到着する。
(時間は)
街の時計台を見上げれば、11時55分。
(よし)
あたしは噴水の縁に座る。
(待つ!)
じっと待つ。
(待つ!)
あたし待つわ。いつまでも待つわ。
(待つ!)
チラッと時計台を見上げる。11時56分。
(待つ!)
風が吹く。
(寒い!)
あたしは立ち上がる。
(そうだ。動けば体が暖まる)
あたしは噴水前をうろうろ歩く。
(まだか)
チラッと時計台を見る。11時57分。
(まだかな)
あたしは噴水前をうろうろ歩く。
(寒い)
くしゃみをした。
(寒い)
風が吹く。
(うう!)
時計台を見る。11時58分。
(ホームレスに戻った気分!)
うろうろうろうろ。
(ニクス、来い! 早く! あたし、氷漬けになっちゃう!!)
噴水前をぐるぐるぐるぐる。
(ニクスぅうううう!)
11時59分。
(寒い! 寒い! 寒い!!)
マフラーに顔を埋める。
(寒いぃいいい!)
立ち止まって、ぎゅっと体を強張らせると、後ろから肩を叩かれた。
「ふぎゃ!?」
(誰よ!? あたしの肩を叩くなんて! あたしは健気にニクスを待ってるのよ!)
目を鋭くさせて、振り返る。
「お待たせ。テリー」
笑顔のニクスが、あたしの目の前に立っていた。
「……来たのね」
「君が待ってるって言ったんだよ」
ニクスが微笑む。
「こんなところで待ってたら、風邪引くよ」
「もう引いたかも。インフルエンザにかかったかもしれない」
「え? インフルエンザ? それは大変だ」
ニクスがぼろぼろの手袋を外して、あたしの額に優しく手を当てた。そして、またふわりと笑みを浮かべる。
「大丈夫。全然熱くない」
「寒いから冷えたんだわ。暖かい場所に行きましょう」
「そうだね。本当に風邪引いちゃう」
ニクスが鼻をすすった。
「ああ、寒い寒い」
ニクスが歩き出す。
「寒い」
次の瞬間、ニクスが膝から崩れ落ちた。
(え)
ニクスが地面に倒れた。
「ニクス?」
「あれ…」
ニクスが笑った。
「へへ。転んじゃった」
ニクスが起き上がろうとする。自力で起き上がれない。
「あれ…」
「ニクス?」
あたしが駆け寄り、手袋を外して、ニクスのマフラーから首に手を入れる。
「わっ。冷たいよ、テリー」
「熱がある」
あたしは手を抜いて、ニクスの顔を覗き込んだ。
「ニクス、風邪引いてるの?」
「引いてないよ。ちょっと、転んだだけ」
「顔色が悪いわ。病院に行きましょう」
「駄目!」
突然、ニクスが叫んだ。あたしの目が丸くなる。
「え」
「…………ごめん」
ニクスが首を振った。
「でも、病院は駄目」
「もしかして、お金のこと? 大丈夫よ。あたしが払うわ」
「大丈夫。テリー。僕、家に帰る」
「駄目よ。治療しないと。お医者さんに診てもらいましょう」
「大丈夫。僕、平気だから」
「ニクス」
「テリー、大丈夫だから」
ニクスが眉を下げて、あたしを見た。
「病院は、やめて」
「ニクス」
「大丈夫…」
ニクスの目が虚ろになる。
「僕、大丈夫…」
ニクスが瞼を閉じた。
「ニクス?」
体を揺らす。
「ニクス」
肩を叩く。
「ニクス? ね、ニクス?」
背中を撫でる。
「ニクス、ここで寝ちゃ駄目よ。えっと」
辺りを見回す。歩いてる人たちの興味本位な目が向けられている。だが、誰も助けに来ない。声をかけようともしない。馬車はない。
(馬車で来ればよかった…)
後悔しても遅い。ニクスを呼ぶ。
「ニクス、ニクスってば」
ニクスは起きない。
「ああ、どうしよう。ニクス。どうしよう」
どうしよう。
「ニクス」
どうしよう。
「えっと、えっと」
あたしは考える。
「えっと、えっと、えっと、えっと」
ニクスは起きない。
「えっと、えっと、えっと、えっと、えっと」
パニックになる。
「えっと」
―――赤い靴が近づいた。
「テリー?」
その声に、あたしははっとして、振り向いた。




