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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
三章:雪の姫はワルツを踊る
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第3話 いざ尋常に勝負(1)


 メニーに暖かい格好をさせて、動きやすい格好をさせて、きりっと、凛と、毅然と堂々と、噴水前に行くと、キッドとリトルルビィが既に待っていた。二人で楽しそうに話している。暖かそうな赤いコートに身を包ませたリトルルビィが、あたし達の気配に気づき、赤い目をこちらに向けた。あたしと目が合うと、表情をぱっと明るくさせて走ってくる。


「メニー! テリー!!」


 小さな体であたしを抱きしめてくる。メニーが横目で見ながら、くすっと笑った。


「リトルルビィ、相変わらずテリーお姉ちゃんが好きだね」

「だ、だって、大勢で出かける機会なんてなかなかないし、そこに…テリーもメニーも、いるなんて、…その、テリーがいるなんて…」


 リトルルビィが頬を赤らめ、照れながらあたしから離れてメニーの手を握った。


「ねえねえメニー、今日はいっぱい遊ぼうね! キッドが遊んでいいよって! 遊ぶのが今日のお仕事だって!」

「ふふっ。リトルルビィ、最初からはしゃいでたら後で疲れちゃうよ?」

「メニーだって楽しそうじゃない!」

「えへへ!」

「うふふ!」


 あ あ 、 反 吐 が 出 そ う 。


(きーきーうるさいわね…。リトルルビィはともかく、メニーが笑ってるのは不快感しかない)


 なんで連れてきちゃったんだろう。


(ああ…、しんど…)


「今日はポニーテールなんだね」


 キッドがあたしの結んだ髪の毛を一束優しく握ってくる。


「いいね。俺、髪を結んだ女の子って好きだよ。特にポニーテールの似合う子は、大好き」

「今日は気合を入れなきゃいけなかったから、いつもと一緒じゃダメだと思ったのよ」

「へえ、気合ね」

「気合よ」


 じっとキッドを睨むと、じろりと、キッドもあたしを見下ろした。


「根を上げても知らないからね。キッド」

「そっちこそ。俺の魅力に気づいて、急に乙女になったって知らないよ」


 ばっちり指を差して、宣戦布告。受け取るキッド。互いに大人げない。火花を散らして睨み合っていると、メニーがリトルルビィに訊いた。


「ねえ、リトルルビィ、今日はどこに行くか聞いてる?」

「あのね、スケートに行くんだって!」


 ――――え。


 差していた指が硬直する。体全体が固まる。

 ぎぎぎ、と錆びたブリキのように硬くなった首を動かして、リトルルビィを見る。あたしと目が合ったリトルルビィは、素直に喜びの笑みを見せてきた。


「私、スケートって初めてなの! キッドが着替えを用意してくれたから、皆で滑って遊ぼうよ!」

「……………」


 メニーが不安そうに、ちらっとあたしを見る。

 あたしはキッドに振り向く。あたしの手を、そっと握り、重ね、キッドと指が絡み合う。ぎゅっと手を握ってくるキッドに、あたしは、冷や汗でいっぱいになる。


「言っただろ? テリー。手紙で、たぁくさん、言ってたでしょ?」


 ―――この私ともデートをいたしましょう。


 ―――ワルツのダンスが似合う、あの素晴らしいスケートリンクで。


 ―――氷の上で踊れない、というのであれば、私が、愛しい貴女の手となり、足となり、支えましょう。



「…………………………………………」

「さあ、行こうか?お姫様?」


(ドロシー…!)

(今日が、あたしの命日だったわ!!)


 他人からしたら、あたしがふざけた発言をしているように見えるだろう。でも、あたし、本気で、そう思ったの。命日よ。命日。

 それくらいスケートは、それもキッドと一緒なんて、あたしにとって、死刑と言われた日のように感じたのよ。


(ああ! なんか、お腹痛くなってきた!)


 来なきゃよかった!!!


 そう思った時には遅くて、リトルルビィはスキップをするようにメニーと歩き、キッドがあたしを引きずり始めたのだった。







(*'ω'*)




 誰もいないスケート場。


 今日は確か、休館日と書かれていたはずだ。スケジュール表にも、そう書いてあった。


 誰もスケートに来る人なんていないはず。


 だって、休館日って書いてあったじゃない!!


(ああああああああああああああああ!!)


 足元がぐらぐらする。顔は真っ青。血の気が異常に下がっている。それでも、向かいで手を引くキッドは大喜びで大きな笑顔でにっこにこ。


「あっはっはっはっは!」

「…………」

「テリー、お前本当に苦手なんだね! あはははははは!!」


 生まれたての小鹿のようなあたしを、キッドが笑う笑う。笑いまくる。


(こいつ、いつか、絶対いつか、目にもの見せてやる)

(このテリー・ベックス、一度恨んだらずっと恨み続ける)


 あたしの震える体をキッドが支える。それはそれは、悔しいほどにリードが上手いから、あたしもキッドの手を掴むしかない。キッドは余裕のある笑みを浮かべてあたしに喋ってくる。


「ほら、テリー。何も怖くないだろ?」


(うるせえ!! 喋るな! こっちは集中してるのよ! クソガキ!!)


 何も言えない。口が震える。ひんやりする氷に怯えている。雪だと平気なのに。氷の冷たいのがお尻や体にぴったりとくっつくと思ったら、もう、この目の前にいる悪魔の手を、あたしは離してはいけないと思って、ぐっと力を入れてしまう。


 キッドがからかうように笑い、あたしの腰を掴んで、引き寄せる。


「嬉しいねえ。そんなに俺の手を掴んでくれるお前がいるなんて」

「くたばれ…っ! …壁に、頭ぶつけて、くたばってしまえ…!」

「へーえ、そんなこと言っていいんだー?」


 途端に、キッドの手の力が緩む。


(…………っ!!!)


 息を呑んで、目を見開いて、慌ててキッドの腰に思い切り抱き着くと、キッドが驚きの声をあげた。


「おっと」


 あたしの背中に手をぽんぽん当てる。


「大胆だね。テリー」

「うううう…! うるさい…! 氷のせいよ…! 全部氷が悪いのよ……!」

「大丈夫。怖くないよ。俺がいるんだから」


 ゆっくりとスピードが落ち、キッドが壁に手をつけて足を止めた。抱きついてるあたしも止まる。


(あ? 何? 休憩?)


 きょとんとした隙を突かれ、正面からキッドに抱きしめられた。


「むぎゅ!」

「ふふっ。ここなら抵抗出来まい」


 キッドが囁いてくる。


「必死なお前はいつもより可愛く見えるよ。この俺が、つい抱きしめてしまいたくなるくらいね」


(こ、こいつ!)


 16歳のくせに、12歳の女の子を口説いてき始めやがった!!


(このロリコン! 氷の上であたしの心を奪おうっての!? やりあおうっての!? おうおうおうおう! やってるわね! やってくれるわね! やってくれるじゃない! ふざけやがって! あたしがどれだけ氷の上が苦手だと思ってるのよ! 解放しろ!)


「テリー」

「わっ」


 ぎゅっと抱き寄せられ、すりすりされる。


「くくっ。ほら、どうした? 抵抗するなら、していいよ?」


 キッドが笑う。あたしを抱きしめながら身を屈ませ、あたしの顔を覗き込んでくる。あたしが思い切り睨みつけると、キッドがにんまりと笑った。


「あはは! そうそう。そうこなくっちゃ」


 顎を掴まれる。


「これだから堪らないよ。テリー」


 見上げる。あたしは睨む。

 見下ろす。キッドは笑う。


「お前くらいだよ。俺のこと、そんな風に睨んでくるの」


 その目が堪らない。


「あれ?」


 キッドがきょとんと、瞬きした。


「テリー、くくっ。まつ毛にゴミ」

「なんですって?」


 あたしは眉をひそめた。


「あたしの可愛いまつ毛にゴミですって!? ああ、なんてこと! 氷に囲まれたか弱き乙女のまつ毛にゴミ! ゴミ! ゴミ!! 豚よ! 家畜同然だわ! 酷すぎる! なんて悲劇なの! 乙女のまつ毛にゴミがついてるなんて! こんなところ見られたら、あたし、もうお嫁にいけない!」


 ぎろ! とキッドを睨む。


「よろしくってよ! キッド! 今だけあたしのチャーミングなまつ毛に触れることを許可してあげるわ! さあ! 取れ! ゴミ同然のお前が! あたしのまつ毛のゴミを上手いこと傷つけず毛を抜くこと無く、優しく丁寧に除去するのよ! さあ! やれ!!」


 キッドがうんざりげに口角を下げた。


「分かったから目瞑ってくれる?」

「ん!」


 あたしは素直に目を閉じた。

 暗くなった視界の外から、くすっとキッドの笑い声。


「そういうところは素直でいい子だよね。お前」


 キッドが近づく気配がする。


「そのままじっとしてて」


 動かず、目を閉じてるだけでいい。


「大丈夫。すぐに終わるから」


 キッドが笑った気がした。


「俺の勝ちだ」


(え?)


 何か違和感を感じて、あたしはそっと目を開けてみる。首を傾げて、顔を斜めにしたキッドが、唇を寄せて、あたしの目の前にいた。


(えっ)


 思わず目を見開く。

 しかし、間に合わない。

 あと、一秒。


 あたしとキッドの唇が、くっつく。




 寸前に、叫び声。


「だめぇえええええええーーーーーーーーーーーーーーー!!」


 リトルルビィが全力で滑ってきて、その勢いのままキッドが氷に突き飛ばされた。


「うわっ!」


 すてーん! と情けなくすっ転ぶ。


「いてっ!」


 キッドが転んだ瞬間、同じくつるんと滑ったあたしを、リトルルビィが腕に抱えて持ち上げていた。


(…………)


 見下ろせば、あたしを見つめる目をキラキラ輝かせて頰を赤らめているリトルルビィ。


「テリー、大丈夫? キッドに、酷いことされてない?」

「……ええ。助かったわ。ありがとう」


 頭を撫でると、リトルルビィがでれんと表情を緩ませる。メニーは端から呆然とその光景を見つめていた。


 そして、転んでしまったキッドは、すぐにすくっと立ち上がり、あたしを抱いて持ち上げるリトルルビィを睨みつけた。


「こら! リトルルビィ! 何するんだよ! 危ないじゃないか! 俺の形の良い素晴らしい頭にこぶでも出来たらどうするつもりだ!」

「何よ! 私のテリーにえっちな事しようとしてた不届き者はキッドでしょ! 駄目なんだから! テリーは、私のテリーなんだから! 頭が何よ! キッドの頭は石頭なんだからちょっとぶつかったって平気よ! それで脳震盪でも起こせば良いのよ! テリーにえっちなことした報いよ! べーだ!」

「わかってないなあ! ちっちゃな赤い宝石の君! 言ってるだろ! 俺とテリーは婚約者なんだよ! えっちなことがなんだ!? キスしようが抱きしめようが、それが婚約者! 結婚を誓い合った愛し合う仲! お前がどんなに横入りしようがね! 俺とテリーの関係を破ることも裂くことも不可能! ただ残る真実は、俺とテリーは婚約者! それだけは何があっても変わらない真実!」

「むう! 知らないもん! 何が真実よ! 何が婚約者よ! そんなのただの口約束じゃない! 指切りげんまんと一緒じゃない!」

「訊いてみな! そいつも答えるはずだよ! このことはテリー本人も公認のもとでの約束契約誓いであると! お前も10歳になったんだから、そろそろ事情というものを理解したらどうだ? ええ!?」

「何の事情よ! 私とテリーとの間を引き裂こうとすることが理解する事情だっていうの!?」

「リトルルビィ」


 あたしはリトルルビィの肩をぽんぽんと叩いた。


「そろそろ下ろして」

「はーい」


 言うと、リトルルビィが素直にあたしを下ろした。


「メニー」

「え?」


 きょとんとしたメニーに、あたしは手を伸ばして向ける。


「ん」

「あ、はい」


 メニーが滑ってきてあたしの手を取り、また、するーと滑っていく。

 そして、リトルルビィとキッドの喧嘩が始まった。


「だいたい! キッドは目がいやらしいのよ!」

「何を!? 俺の美しい目に意見する気か! リトルルビィのくせに!」

「その目でテリーのこと見ないで! えっち! このえっち!」

「えっちで何が悪い! 16歳の健全な目だぞ! 思春期真っ只中だぞ! えっちで何が悪い!」

「認めた! えっち! キッドのえっちー!」

「何とでも言うがいい! お前がどんなにヤキモチ妬いて怒ったって、この事実は変わらない! 俺と! テリーは! 婚約者同士なの!」

「キッドのバーカ!」

「な、な、なにをををを! 馬鹿だと!? 俺が馬鹿だと!? リトルルビィのくせに! いいか! いいことを教えてやる! 馬鹿って言った方が、馬鹿なんだぞ!!」


 幼稚園児の喧嘩をする二人に背を向け、メニーがあたしの手を引き、二人から距離を置く。そして、こそりと小声で訊いてきた。


「ねえ、お姉ちゃん、婚約者って何の話?」


 訊かれたあたしはにこりと笑顔。


「さーあ? 何かしらねー?」

「お姉ちゃん」


 メニーがむすっと頬を膨らませた。


「私分かるよ。お姉ちゃんって、話を逸らしたかったり誤魔化す時って、そうやって笑顔になるんだよ」

「…………」

「お姉ちゃん、ずっと気になってたんだけど」


 メニーが眉をひそめた。


「あのキッドさんって人、誰なの?」

「………ああ」


 ため息をつき、メニーに小声で返事をする。


「メニー、これは二人だけの秘密よ」

「うん」

「誰にも言っちゃ駄目。アメリにも」

「分かった」


 メニーが頷いた。


「約束する」

「婚約者よ」


 あたしが言うと、メニーが瞬きした。


「……ん?」

「婚約者」

「………こんやく、しゃ」

「そうよ」


 結婚を誓った相手。


「改めて紹介するわ。メニー。彼はキッド。あたしの婚約者」


 ああ、でも、


「勘違いしないで。別に本当に結婚するわけじゃない。あたしはあいつのお遊びに付き合っていて、婚約者って名乗ってるだけよ」

「…名乗ってる? …遊びで?」

「そうよ」

「遊びって事は、本気じゃないってこと?」

「言ってるでしょ。本当に結婚するわけじゃない」


 メニーが私の手を引いて、壁に向かって滑っていく。


「お姉ちゃん」

「何?」

「そんなの、付き合わなくていいと思う」


 メニーの足が滑る。


「どうやってお姉ちゃんがあの人と知り合ったのか、私は知らないけど」


 婚約者。


「婚約者って、もっと素敵なものでしょう?」


 結婚を約束した相手。


「お姉ちゃん、婚約者なんて、遊びでなるものじゃないよ」

「あら、いいじゃない。別に本当に結婚するわけじゃないんだから」


 キッドをちらりと見る。彼はまだリトルルビィと喧嘩している。


「ほら、見て。メニー。すっごくイケメン。あんな人の傍にいられるなんて、素敵だと思わない?」

「でも、遊びなんでしょう?」

「そうよ。遊びなのに、あんなにかっこいい人の傍にいられて、さらに、このスケート会場」


 あたしの髪がなびく。


「キッドが貸し切りにしてくれたのよ」


 メニーの髪がなびく。


「わかる? メニー。この時期、どんな貴族が相手でも、お金持ちの相手でも、超人気のスケート会場を貸し切り予約なんて出来ないわ」


 なのに、キッドはそれをやり遂げた。


(……本当、謎が多い奴…)


 内心舌打ちしながら、メニーに微笑む。


「謎が多い人って素敵じゃない。ミステリアス。うーん。最高」

「お姉ちゃん」

「ただの遊び相手よ。あんたは口出ししない」

「でも」

「メニー」


 良いお姉ちゃんのあたしは、優しく微笑む。


「大丈夫」


 眉をひそめるメニーに口角を上げる。


「彼は友達。ね?」


 ほら、見てごらん。


「リトルルビィとも楽しそう」


 仲良く殴り合い。ぽこぽこぽこぽこ!


「あだだだだだだ!」

「てやたたたたた!」


 キッドとリトルルビィがぽかぽかしている。


「あんたも仲良くして」

「……あの人と?」

「何よ? 嫌?」


 メニーがあたしから目を逸らした。


「お姉ちゃんを大切にしてない人なんかと、仲良く出来ない」


(テメェが言うか)


 あたしはメニーを睨みつける。


(あたしを死刑にするお前が、よくもまあ他人事のように言えるわね)


 メニーとあたしの足が滑る。


(この罪人)


 未来の美しき王妃め。


「あんた人見知りだもんね」


 メニーがむっすりと頬を膨らませる。


「メニー」


 メニーがむくれたようにあたしの手を引く。


「メニーメニー」


 メニーの足がつるーと滑る。


「メニーメニーメニーメニーメニー」


 歌うように呼ぶと、メニーの目があたしに向けられた。あたしは微笑む。


「キッドを知ったら、あんたもキッドのことが好きになるわ」

「………」

「ね。今日くらい、あたしのために仲良くしてよ」

「…………」


 メニーがぼそりと呟く。


「わかった」

「良い子ね」

「お姉ちゃんのためだもん」

「ええ。姉想いの優しい妹がいて、助かるわ」


(本当、面倒くさい奴よ。お前は)


 いいじゃない。相手はイケメンよ。あんたもハンサムな人、好きでしょう?


(そのまま、キッドとメニーがくっついちゃえばいいのよ)


 ………。


 あたしはひらめいた。


「そうだわ」

「え?」

「その手があった」

「お姉ちゃん?」


 なんで気付かなかったのかしら。


(そうよ)


 キッドの興味を、あたしからメニーに移せばいいんだわ!


「きゃっ」

「大丈夫? メニー」

「あ…キッドさん…」

「なんてことだ。どうして気づかなかったんだろう。メニー、君はまるで天使のようだ…!」

「あ、だめ…そんな…キッドさんには…お姉ちゃんが…」

「あいつなんて、どうでもいい! 俺には、もう君しか見えない!」

「キッドさん…!」


(わお! 素敵! 何それ! 素敵!)


 そして、あたしは可愛いリトルルビィと笑顔でるんるんしながら手を取り合って一緒に滑って遊ぶのよ!


(そうと決まったら…)


 あたしの目がきらんと光る。


「メニー!」

「え?」

「そっちに行きましょう!」

「え?」

「早く! そっち!」

「え、こ、こっち?」


 メニーの足が滑る。あたし達は再びキッドとリトルルビィに近づく。


「お姉ちゃん、こっちは危ないよ?」

「大丈夫!」

「でも」

「大丈夫!」


 つるーっと滑っていく。近くでは、牙をむき出しにしたリトルルビィとその頬を押さえるキッドが睨み合ってる。


「むうううううううううう!!」

「ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!!」


(よし、今だ!)


「あーん! 手が滑っちゃったー!」


 メニーの背中をわざと押した。


「きゃっ!?」


 メニーがキッドに押し出される。


「わっ」

「きゃ!」


 キッドとメニーがぶつかり、キッドが転びそうになったメニーを抱き止めた。


(よっしゃ! 作戦成功!)


 つるん!


「はっ」


 あたしの足が滑る。ちゅるーん! と氷の上にお尻がごっつんこ。


「っっっっっっっ!!!!!」


 その場で硬直する。

 メニーとキッドとリトルルビィがあたしに振り返った。


「お姉ちゃん!」

「ぶふっ」

「テリー!」

「…………………」


 座ったまま固まっていると、メニーとリトルルビィが駆け寄ってくる。キッドは一人で口を押さえて笑いをこらえる。


「ぶっくっくっくっくっく……!」

「テリー! 大丈夫!?」

「お姉ちゃん!」

「…………………」


 あたしは無になる。メニーとリトルルビィがあたしの手を引き、起き上がらせた。リトルルビィがはっとした。


「メニー! どうしよう! テリーが無になってる! お地蔵さんになってる!」

「お姉ちゃん! しっかりして! テリーお姉ちゃん!」


 メニーに頬を叩かれるが、あたしは無になっている。キッドがにやにやしながらあたしの方に滑ってきた。


「…テリー、ぶくくっ、お前、くくっ、今まで見たことない顔になってるぞ…。…ぶっくくくうぅ!」

「っ」


 メニーがあたしの手を握り、キッドに振り向いた。


「れ、レディを笑うなんて、失礼だと思います!」

「失礼だなんてとんでもない。メニー。俺はテリーが可愛くて笑ってるんだよ」


 キッドがメニーを見て、くすりと笑う。


「君の大事なお姉ちゃんを、馬鹿にして笑い飛ばすわけないだろ?」

「…………」


 メニーが眉を下げて、あたしに振り向く。


「お姉ちゃん、休憩しよう」


 あたしは無になっている。メニーはため息をついて、リトルルビィに振った。


「リトルルビィもそう思うよね?」

「テリーが! 私のテリーが! モアイのお地蔵さんになってる!!」


 悲しみに打ちひしがれるリトルルビィを見たメニーが黙り、もう一度キッドを見た。


「……休憩に、しませんか……」

「賛成。メニーはお姉ちゃんを安全に外まで連れて行ってくれる?」


 俺は、


「こいつを連れて行く」


 キッドがリトルルビィの首根っこを掴んで引っ張った。


「来い。お前はお仕置きだ」

「むーーーーう!」


 頬をぷーっと膨らませながら滑って連れていかれるリトルルビィ。あたしは無になったまま、その光景を眺める。メニーに手を握られる。


「お姉ちゃん、ゆっくり行こうね」

「………」

「ああ、駄目だ。こりゃ…」


 メニーが呆れたようにため息を吐き、ゆっくりと出口まで滑っていった。




(*'ω'*)





 食堂にて、ランチが用意されていた。


 お鍋。


「シチューだ」


 リトルルビィとメニーがテーブルに置かれた鍋を覗き込む。


「メニー、触ったら火傷するかもしれないから、ここは大きいキッドに任せよう」

「大丈夫だよ。私、盛り付ける!」

「じゃあ、私、お皿配る!」


 メニーとリトルルビィが自ら動いてくれる。あたしは椅子に座ってお尻を撫でる。


(ああ、愛しいあたしのお尻が…! 冷たくて硬い氷なんかとキスしてしまって、なんて可哀想なの! あたしの可愛いぷりぷりのお尻が! ああ! 最悪!! 冷たい! 寒い! しゃっこい!)


 もう嫌だ! あたし帰りたい!


「疲れた?」


 向かいにいる笑顔のキッドに声をかけられ、むすっとして睨む。


「あたしの柔らかいお尻が言ってるわ。今すぐに帰らないと死んじゃうって。ああ、可哀想。あたしのお尻、可哀想!」

「ランチを食べたら気分も変わるさ」

「最悪よ。ああ。最悪。痛い…寒い…もうやだ…」

「何? それ。煽ってるの?」


 煽ってる?

 きょとんと瞬きして、キッドを見る。


「何言ってるの?」

「だって、俺にそれを言うってことは、俺を試してるんだろ?」

「何を試すって言うのよ」

「そうだなあ。婚約者として、こういう時の振舞い方とか?」


 キッドが立ち上がる。誰もいないあたしの隣の席に座ってきた。腕を伸ばし、あたしの肩を抱き、体がキッドに引き寄せられる。


「テリー」


 顔を覗き込まれる。


「俺が抱きしめて、暖めてあげようか?」

「ふふっ。そんなこと言っても余計寒くなるだけよ」


 肩を抱く手をつねる。


「退いて。邪魔」

「つれないな」


 手が離れる。ひらひら動かして、再びあたしの肩に置かれた。あたしの眉間に皺が浮かぶ。


「ちょっと」

「お前の心を少しでも動かそうと思ってのランチだ」

「シチューが?」

「これが美味しいんだ」

「ふん。どうだか」


 あたしは鼻で笑い飛ばす。


「うちのコックの方が美味しいわ」

「そう言っていられるのも今のうちだぞ。そうだ。あーんしてあげるよ」

「結構よ」

「断るの? 俺にしてもらえるなんて、滅多にないのに」

「じゃあ、メニーにでもしてあげたら?」

「俺はテリーにしたい。テリーが可愛く俺の持つスプーンに口をつけるところが見たい」

「変態」

「変態じゃない。婚約者だ」

「キッドさん」


 キッドが振り向く。あたしが顔を向ける。

 シチューのお皿を持ったメニーがにこりと笑った。


「そこ、私の席です」

「ふふっ。メニー、席は自由席だよ」

「いいえ。そこ、私の席です」


 キッドが微笑む。


「へえ?」


 あたしの肩に置いた手を強めて、ぎゅっとあたしを抱く。


「…っ、ちょっと」

「メニー、俺と君のお姉ちゃんの関係を知ってる?」

「はい。さっき本人から聞きました」

「なら、話は早い」

「そこ、私の席です」


 メニーが微笑む。


「お姉ちゃんも、その方がいいと思います」

「……ふーん」


 キッドが微笑む。


「そう」


 ぱっとあたしから手を離す。


「わかった。俺は向かいに座って、テリーの可愛い顔を拝見していよう」


 キッドが席を立つ。メニーがシチューのお皿をあたしの前に置いた。


「はい。お姉ちゃん」

「ありがとう」

「こっちはキッドさんです」

「ありがとう。メニー」


 キッドがあたしの向かいの席に戻る。にこにこしながらあたしを見てくる。


(気持ち悪い奴…)


 リトルルビィが自分の分のお皿を置いた。メニーも自分の分のお皿を置いた。全員の分が揃うとキッドがあたしに訊いてきた。


「そっちの家では、挨拶はしてる?」

「してる」

「じゃ、リトルルビィ」


 キッドがリトルルビィに目線を動かす。


「前、教えたように」

「えっと」


 リトルルビィが両手をぎゅっと握った。あたし達も両手を握る。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

「いただきまーす!」


 キッドが声をあげて食べ始める。メニーがスプーンを口につける。リトルルビィがスプーンを口につける。あたしはふーふーして冷ましてからスプーンに口をつけた。


(ふぁっ!?)


 あたしの目が見開かれる。


(な、何よ、これ…!)


 濃厚なクリーム。柔らかい野菜達。


(ぐっ…! 美味…!)


「わあ、美味しい!」

「…美味しい…」


 リトルルビィとメニーも声をあげた。キッドがしてやったりとにこにこしている。


「美味いだろ。だろうな。これを作った爺ちゃんは、腕がいいからね」


 キッドがあたしを見る。


「テリー、どうだ。美味いだろ。え? 言ってみなよ。いつものやつ。ほら、美味だろ?」

「…………………」


 あたしは黙り、静かに味わう。知らないの? 食事中の会話はマナー違反なのよ。わかってないわね。この庶民は。


(…ん?)


 ちらっと、隣のメニーのお皿を見る。


(あ)


 メニーが美味しそうに味わっている。


(なるほど)


 だからあんた、自分で盛り付けるって言ったのね。


(ずる賢くなったわねえ。メニーちゃん)


 でも、そうはさせないわよ。


 あたしは自分のお皿に入れられた人参を二つ、メニーのお皿に入れた。直後、メニーの顔が強張った。


「!!」

「人参、入ってないのね」


 言うと、メニーが血の気を引かせて、首を振った。


「あ、あの、た、食べようと、思ってたの! おかわり、どうせするし!」

「へえ? おかわりして、人参、ちゃんと食べるつもりだったの?」

「そうだよ!」

「じゃあ、お腹すいてる今のうちに食べなさい。克服できるかもしれないわよ」


 メニーが唇を尖らせた。


「……意地悪……」

「それくらい食べなさい。好き嫌いしてたら、パーティーで笑われるわよ」

「………お姉ちゃんだって、いつも茄子残してるくせに…」


 あたしの顔が引き攣った。


「あたしのことはいいのよ」

「お姉ちゃん、理不尽って言うんだよ。そういうの」

「あたしのどこが理不尽なのよ」

「返す」


 メニーが人参をあたしに返却した。


「こら!」

「じゃあお姉ちゃんも茄子食べてよ!」

「シチューには入ってないでしょ! ほら! 好き嫌い言わずに人参くらい食べなさい!」

「お姉ちゃん、そういうところいっつも理不尽!」

「メニー! 理不尽って言葉を最近覚えたからって、使うんじゃないの!」

「人参嫌いなんだもん!」

「食べなさい!」

「やだ!」

「貴族令嬢がやだって言わないの!」

「お姉ちゃんいつも言ってるのに!」

「今はあたしの話じゃないでしょ!」

「理不尽!」

「お黙り!」


 ぶっくくっ。


 吹き込んだキッドに二人で振り向く。キッドがおかしそうに笑い、微笑んだ。


「ごめん、だって、ふふっ。本当に姉妹なんだなって、思っただけだよ」

「人参食べないメニーが悪いのよ」

「…だって嫌いなんだもん…」

「仲良しでいいねえ。うらやましいよ」

「メニー」


 リトルルビィがメニーに声をかけた。


「あのね! このシチュー作った人、すごく腕がいいの! だから、人参も美味しいと思う!」

「…うう…」

「私の人参あげる!」

「うっ」


 リトルルビィがメニーのお皿に人参を入れた。


「食べて!」

「……………」


 お優しいメニーちゃんは断れず、苦い顔をしながら人参を口に入れた。もぐもぐ噛む。リトルルビィが微笑む。


「どう?」

「……はは……」


 メニーが何とも言えない顔をした。本当に嫌いらしい。


「あんたはいいわよね」

「ん?」


 メニーを横目に、キッドに話しかける。


「一人っ子でしょ。あーあ、一人っ子って自由でいいわよね。羨ましい」

「いいや?」


 キッドが否定した。


「いるよ。弟」


 あたしの目が、キッドを見た。


「え?」


 きょとんとすると、キッドが微笑む。


「ん?」

「……弟さん、いるの?」

「んふふ。どうだろうね?」

「え?」

「どうだろうね?」

「今、いるって言ったじゃない」

「どうでもいいよ。兄弟がいるかいないかなんて。大切なのは、一人の人間が、きちんと人生を楽しんでいるかどうかってことさ。だろ? リトルルビィ」

「ん? なーに?」


 リトルルビィはシチューを美味しそうに食べている。キッドがそれを見て笑った。


「ううん。何でもないよ」


 キッドは、何でもないように微笑んでいる。

 何も知らせないと言うように、微笑んでいる。

 これ以上は教えないよと言うように、微笑んでいる。


(そうだった)

(詮索は無し)


 あたしも、お前なんかに興味ない。


(興味があるのは、あんたが隠そうとする多くの謎だけ)


 リトルルビィがお肉を食べて、ふにゃりと笑った。


「キッド、これ美味しい!」

「うんうん、喜んでくれてよかった」

「ねえ、今度、博士達にも持っていこう?」

「ああ、そうだね。機会があったら」


 リトルルビィの頭を撫でるキッドは、彼女の保護者のようにも見える。

 保護者のように大人びたキッドは、謎だらけだ。

 隠し事だらけだ。

 それを調べようとすれば、

 それが見えてしまえば、

 その先、あたし達はどうなるのだろうか。


 そうよ。

 そんなもの、わからない方がいいに決まっている。


 知らない方が幸せなことは、数多く存在する。


 キッドの事も、その一つだ。


(あたしは詮索しない)


 キッドは、ただの知り合い。ただの遊び相手。


(それだけよ)


「そっか。テリーは」


 キッドがいやらしく口角を上げた。


「茄子、嫌いなんだ?」


 企みのあるその声にぞっと寒気がして、黙って美味しいシチューを頬張ることにした。




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