第3話 湖の女神
「はぁーーーーい!!」
突然の出来事に、あたしが悲鳴をあげ、メニーの首根っこを掴み、強くこちらに引っ張った。メニーがきょとんとする。女が両手に持ってる綺麗なピンをメニーに見せてきた。
「ご機嫌よう。綺麗なお嬢さん。貴女が落としたのは銀のピン? それともこちらの金のピン?」
「裸体の痴女だわ! 不審者よ! メニー!! 逃げるわよ!!」
「まっ!! 失礼な!! 誰が不審者ですか!! それに……わたくし、痴女じゃありません!!」
「あのっ……違います。わたしが落としたのは……四つ葉のクローバーのピンです。すごく綺麗な……テリーから貰った……大切なものなんです……」
「あら、正直者で、とっても良い子。素晴らしい。貴女には両方あげる」
「いりません。四つ葉のクローバーのピンを返してください」
「まあ! 金と銀に惑わされない人間! 素敵! ご褒美よ。貴女はとても正直で誠実な素晴らしい人間なのね。では、その誠実さに答えて……」
裸体の女がメニーを見た。そして――きょとんとして―――しばらくメニーを観察すると――ぎょっとして、慌てて後ろに下がった。
「うっっっわ!! びっくりした!! 綺麗な顔してると思ったらっ、トゥエリー! 何しにきたのよ!! わたくしを虐めようとしたって無駄よ!! 無駄無駄!!」
「あぅ……わたしの……ピン……」
「はぁー……。……あのねぇ……」
女に泣かされたメニーの横に、腕を組むあたしが立った。
「どこの誰と勘違いしてるのか知らないけど、そのピン、さっさとこいつに返してやってくれない? 泣いてるの見えない? 泣いたらうざいのよ。こいつ」
「ていうか……あんたよく見たら……ドロシー!? トゥエリーとドロシー!? はぁ!? どういう組み合わせ!?」
「あいつ何言ってんの?」
「ぐすっ……ぐすっ……!」
「あー……、……もうとりあえず何でもいいから、さっさとピン拾ったなら返して」
「わたくしに意地悪する気ね!? そうなんでしょ!」
「いや、だから」
「ぐすん! ぐすん……!」
「はぁー……」
イラっとして、裸体の女を睨む。
「ぐずぐずしてないでとっとと返してもらっていい? 金とか銀とか興味ないのよ。城に山ほどあるし、あったって今の状況下で使えないのだから意味ないわ。わかったらさっさとその古臭いピン返してやって」
「あんたなんでそんな女と一緒にいるのよ! ドロシーは確かにちょっとお茶目なところがあったけど、そんな女と一緒にいたって無駄に意地悪されるだけよ!?」
「さっきから意味わかんないこと言ってるけど、あのね!」
あたしの許容時間があっという間に過ぎ去った。人はこれを短気と呼ぶ。
「ピンを落としたこちらに非があるけど、それにしたって焦らしすぎもいいところよ! さっさと返せってんのよ! この痴女!」
「だからわたくし、痴女ではありません!」
「どっからどう見ても痴女じゃない! 裸体見せつけてくる露出狂女が!!」
「ろ、露出狂ですって!? はーあ! これだから人間は! あのね! 肉体っていうのはお父様が作ってくださったものなのよ!? それを恥ずかしいとか言って布とかあんだらこうだらで隠して、あんた達人間はね、肉体の有り難さを忘れてるのよ!」
「お黙り!! さっきからわけのわからないことズラズラ並べやがって! 論点ズラして論破しようってか!! 上等よ! 望むところよ! こっちに来てから体調悪さに寝込んでてイライラとストレスが溜まってるのよ! 喧嘩売ったこと後悔させてやるからね! 頬がたるんだ裸体女不審者め! そもそもこっちはただ落としたピンを返せって言ってるだけなのにズラズラズラズラ意味わかんねえこと述べやがって! てめえは友達のいんね、たまに人と話した途端、口が動き出してべらべら身の上話しかしないコミュニケーション不足の根暗かいね! んだばってんばっかしちょったら後からあんなこと言わんきゃよかって、部屋の隅で膝抱えてうだうだ悩むことになるんだけんね! こちはピンを返してほしいっつってるだけっちゅーのに金だの銀だの銅だの鋼だの、頭大丈夫け!? 落としたもん拾ってるなら返せって言ってんべさ! 変な花のブーケなんかつけやがって! 年齢考えろ年齢を! あんだどう見たってそんな年齢じゃなかと!? そんだとこで水浴びしてるちょいいけどちゃんとお風呂入らんと体腐ってくだけ……うわっ、くっさ! 昆布くさ! おめ、その匂い何だ!? くっさ! 石鹸つけてお風呂入ってっけ!? ありえん! ありえん! 女としての嗜みがなっとらんかっちゃ! うっわ! えぐ匂い! やっば! わやすぎ! 水浴びする前にシャンプーつけろってんだっちゃ! そんなんじゃ男も寄ってこん! ほれ見てみろ! だから湖に魚が一匹もおんのよ! おめえいい加減、目、覚ませよ! そんなんだからおめ絶対友達いな……」
「もうやめてーーーーーーーー!!!」
女が絶叫した。
「それ以上、わたくしを傷つけないでーーーーーー!!!」
「ふんっ!!」
「わたしのピン……」
「返す! 返す! はい! もう返す!」
メニーの手に落としたピンが戻ってきた。メニーが瞳を輝かせ、女は涙目であたしを睨みつける。
「もう帰って! わたくし普段はとっても優しくて親切だけど、もういいから! よくわかったから! ドロシーにはこの先、何があっても助けてあげないから! ふんっ!!」
「あたしもあんたみたいな露出狂なんざに用なんかないわ」
「だから露出狂じゃねえつってんだろ!!」
「あんたのいるその湖に用があるのよ。今から潜って調べるからついでに退いてくれない?」
「潜ってもいいけど、あのね、ここがどこだかわかって仰ってる?」
「さあね。ただの湖にしか見えないけど」
「あっはー! 目が汚れている証拠ですね! 何を隠しましょう。ここは精霊の湖ですのよ!」
「精霊の湖?」
「そう! そして何を隠しましょう! わたくしこそ、その湖の、精霊なのです!!」
あたしはメニーの襟を掴み、引きずって距離を置いた。女が目を見開いた。
「引かないでくださるかしら!!!??」
「メニー、よく見ておきなさい。あれが、あいたた発言してるいい年こいたババアよ。あんたはあんな淑女になっては駄目よ」
「ババアじゃねえ!! 精霊よ!!」
「ほら見て。胸だって垂れかけてる」
「うるせえ! ばーか!」
「あん!? てめえ! 今のあたしに言ったの!?」
「あんた以外誰がいるのよ! このばーーーか!!」
「わかってないわね! バカって言った方がバカなのよ!! このバーーーーーカ!!!」
「なにをををををを!!!」
「テリー、でも……言ってること間違えてないと思う」
メニーがあたしに振り向いた。
「あの湖、魔力を感じる。普通の湖じゃないんだと思う」
「……そういえば、なんか聞いたことあるわね」
マールス小宮殿のお風呂管理をしている老婆が言っていた。昔、磁石を湖に落として、それを拾った精霊がいた。その精霊は聞いてきた。貴女が落としたのは金の磁石か。銀の磁石か。若かった老婆は古い磁石だと答えた。すると精霊は貴女は正直者であると、金の磁石と、銀の磁石、そして古い磁石を渡してくれたのだと。
「あー! それは間違いなくわたくしのことですね! この湖は色んな場所に繋がっているものだから、色んな人が迷ってくるの!」
「色んな場所に繋がってる……?」
「何言ってるの。ここはカドリング島よ」
「うわ、道理でグリンダの匂いがすると思った。なぁーに? まさかグリンダのとこの一族になったわけ? あの一族、島に貢献しすぎよねー! わたくしなら絶対むりぃー!」
「テリー、きっとあの森、この湖の入口なんだよ。導くものがないと、この湖には辿り着けない。ここは神聖な場所だから……辿り着けないとなると……戻れず、辿り着けず、餓死するしかない。だからベックス家は皆を守るために、掟として立入禁止にした」
「あの場所、もっと立入禁止アピールした方がいいわね。このままだと訴えられそう」
「あの……精霊様」
メニーが精霊に声をかけた。
「姉の杖が、この湖に導いたようなんです。何か……知りませんか?」
「杖ってその持ってるやつ? 魔力を求めてここまで来たのではなくって?」
「魔力を求めて?」
あたしは眉をひそませた。
「どういうこと?」
「やだ、それ見て気づかないの!? その杖、魔力がかなり落ちてる。だから魔力を求めてるのよ。この湖がいかに素晴らしいのかってことの証明ですわ!」
「魔力を求めてるですって? 魔力ならあるわ」
あたしはイメージした。強い風よ、吹いてみせろ。突風が吹いた。けれど、わかりきった顔で精霊が笑い出した。
「ああ、ほらやっぱり。上手く使いこなせてない。杖がこんな状態じゃ、無理もないですわ」
「あたしの魔力は人から貰ったものなの。初心者なんだから、使いこなせてなくても当然よ」
「杖が元に戻れば、貴女も魔法使い同様に素晴らしい魔法が使える。だって、そんなに魔力をため込んでいるんだもの。だから杖だって、この湖に来たがったに違いない」
「この湖がなんだってのよ」
「言ったでしょう? ここは色んな場所と繋がってる。それは未来であり過去であり、現在であり、一秒前である。様々な時間軸の世界が繋がってる」
精霊が髪の毛を弄った。
「その杖、わたくしのような本物の魔法使いに魔力をいただかないと復活しませんわよ。断言できますわ」
「本物の魔法使い?」
「あら、人間の薄汚れた目には! 分からなかったようね! わたくしは何を隠しましょう! 父より生まれし13使徒の一人! 本物の魔法使いでありますのよ!」
「メニー」
「えっと、13使徒っていうのはね」
この世界が始まった時に、神様は13人の魔法使いを世に放ったの。
一人は赤の魔法使い。
一人は青の魔法使い。
一人は緑の魔法使い。
一人は黄の魔法使い。
一人は金の魔法使い。
一人は白の魔法使い。
一人は黒の魔法使い。
一人は灰の魔法使い。
一人は土の魔法使い
一人は毒の魔法使い。
一人は桃の魔法使い。
一人は水の魔法使い。
一人は紫の魔法使い。
「オズは世界を支配してた。つまり、その13人の中でも一番偉い地位にいる魔法使い……天使だったってこと、かな?」
「そしてその水の魔法使いこそ、このわたくし! 湖の精霊、女神というわけです!! 良きに計らえ!」
「え、水の魔法使いって……」
「つまり? その初期メンバー13人から魔力をもらって? 杖はどうなるの?」
「元に戻る。相当使いこなしたのね。杖が元に戻れば貴女の中で渦巻くその巨大な魔力は簡単に外へと放つことができる。杖っていうのはね、そのためにオズ様が用意したものなのだから」
「オズが?」
「そうよ。魔力のある者は魔力を流す道具を使って巨大な魔力を放出する。その杖、オズ様のものでしょう? 手を叩くよりも、詠唱するよりもかなりの効果がある。だからね、その杖が不良品である限り、魔力の放ち方を知らない貴女は永遠に体調不良に悩まされ続けることになる。ほらね! 精霊はすごいのよ! こんなことまで言い当ててしまうのだから! おっほっほっほっ!! 良きに計らえ!」
(この杖……オズのものなの?)
でもこれは、ドロシーが持っていたものだ。
(人のものを我が物のように使ってたってことかしら? あんた、立派な泥棒猫じゃない。ドロシー)
あたしは精霊を見た。
「魔法使いはどこにいるの?」
「その杖が導いてるでしょう? 杖の行先に行けば、魔法使いに会えると思いますわ」
「湖の中にいるっていうの?」
「何度も言わせないで。この湖は様々な世界と繋がってる。未来、現在、過去」
「なんでもいい。とにかく、この杖に魔法使いからの魔力を貰えば元に戻って、あたしの体調も良くなる。……あたしが魔法を使えるようになる」
「その通り!」
「で? どうしたらいいの? その湖に潜ればいいわけ?」
「さっきの罵詈雑言謝ってくれるなら教えてあげる!」
「……」
「あら、わたくしはいいのよぉー? 別にー? 怒ってないからぁー! コミュ症とか、根暗とか、身の上話しかしないとかー! そんなこと言われてもぉー! 全然根に持ってないからぁー!」
「こいつ、めちゃくちゃ根に持ってやがる……」
「テリー、ここは素直に従っておこう?」
「ああ、はいはい。悪かったわ。ごめんね。精霊たま。アナタハ美シイー」
「そうよ!! わたくしは美しい精霊なの!! 決して! 臭くないの!!」
(めちゃくちゃ根に持ってるやがる……)
「わかってくれてよかった。それでは、謝ってくれたからこれで仲直り。その昔、ドロシーには助けてもらったもの。いいわ。今のことは水に流して、あの時の恩を返してあげる。もう意地悪しないでね!」
水の魔法使いが息を吹くと、湖の水が星の杖を囲んだ。そして中に浸透していき……杖が温かくなった……気がした。――気分が少し、良くなった。
「はあー! いつ見てもわたくしの魔法って、素晴らしい。本当に最高! 惚れ惚れしちゃうわー!」
「クレアといい、メニーといい、オズといい、魔力を持った奴にろくなのはいないの?」
「テリーも、魔力持ってるよ?」
「あたし、生まれつきじゃないもの」
「理不尽だ……」
「さあ、ドロシー! 残りの魔法使いも、こんな感じでぱぱっと行けばいいわ。頼み込めば……そうねー。まあ、手段はなんでもいい。その杖が復活すればいいだけの話。うーん。だとしたら、その格好で魔法使いに会うのはお勧めしないわね。魔法使いは常に正装でいなきゃ。それも、貴女みたいな中途半端な魔法使いもどきなら、尚更」
精霊が湖に手を伸ばし、見つけた。
「あら、貴女のクローゼットに良いものがある」
精霊が湖からあたしのドレスと――ドロシーの帽子とマントを出してきた。衣類は全く濡れてない。
「さあ、これに着替えてちょうだいな! これなら、正装だと言っても大丈夫なはずよ」
(ドレスなんて久しぶりだわ。最近ネグリジェばかりだったから)
あたしはドレスに着替え、マントを羽織り……ドロシーの帽子を被った。
「ああ、そうだ! 精霊の親切心から注意してあげる! どの時代に行くかは知らないけれど、その時代の人達にあまり深く関わっては駄目よ。例えば知り合いとか、自分とか」
「え? なんで?」
「貴女がこの時間軸に戻ってこれなくなるから。その行動によって未来も過去も変わるのだから、当然よね!」
「……」
「大丈夫。これ以上関わってはいけないと思ったら、魔力が反応して貴女を止める事でしょう。それでも関わりたければどうぞ。時間軸へ戻ってきたくなければどうぞ。それでは目を閉じて、ゆっくり湖に入ってきて。そしたら湖が貴女を行くべき世界へ連れて行くことでしょう!」
「テリー、わたしも行く」
「あら、流石トゥエリー。ついていって意地悪しようっていうのね! でも残念。この湖はお一人様限定なの。ドロシーしか入れないわ」
「え……」
メニーが目を瞬かせ……あたしを見た。
「ここにいて」
「でも……」
「すぐ戻るから」
行く世界の時間軸の者達には関わらない。ただし、魔法使い以外。
あたしは杖を握りしめる。
「ここで、あたしの帰りを待ってて」
「……。……。……わかった」
メニーが地面に座った。
「わたし、待ってる」
「大丈夫よ! 待ってる間、わたくしが話し相手になってあげるから! 別に! 友達がいないわけじゃなくってよ!? 別に、友達がいないわけではないけど、トゥエリーを一人にさせてもなんだか可哀想だからわたくしが相手になってあげるだけ! うふ! でも意地悪しないでね! 絶対意地悪しないでね!! さあ、準備はいいかしら! ドロシー!」
魔法が使えるようになれば、クレアに会いに行けるかもしれない。
(城下町の様子を……見に行けるかもしれない)
クレアの力になれるかもしれない。
無能な恋人としてではなく、役に立つ魔法使いとして。
(全ては、あたしが幸せになる未来のために)
罪滅ぼし活動ミッション、杖を元に戻す。
(導いて。ドロシー)
「それでは行ってらっしゃーい!」
メニーが見守る中、あたしは瞼を閉じ、勢いよく、湖の中へと入っていった。




