第10話 タイトル『囚われ姫と冷酷王子』
ふらふらした足取りで自然いっぱいの森から抜け出す。足だけではない。頭も心もふらふらで、真っ白で、ごちゃごちゃだ。あたし、整理整頓って苦手なのよね。でもこればかりはきちんと整理しなければいけない。
(なにが……おきてるの……?)
あたしの婚約者が、リオンさまでなくて、キッドさま? リオンさまのお兄さまの? 第一王子の? キッドさま?
(うそよ。あたしがリオンさまを裏切るはずない……!)
こんなに恋焦がれていたのに、ほかの人を選ぶなんてありえない!
(舞踏会の日に、なにかがおきたんだわ!)
そうね、たとえば、ママにリオンさまではなく、キッドさまにアプローチしてこいと命令されて、やってみたらあたしの魅力に気づいたキッドさまがコロッとあたしに落ちて、もどるにもどれなくなってしまったとか!
(ありえる!)
だって、あたし、すごくかわいいもの! あたしに落ちないほうがどうかしてる! ああ、どうしましょう! 大丈夫。テリー。落ち着いて。今からでもおそくないわ。こんな婚約、無効よ!
あたしはとなりを見た。となりにはリオンさまではなく、あたしをリードしながら道を歩くキッドさま。リオンさまじゃない。キッドさま! 顔は似てるけど、血は繋がってるけど、リオンさまじゃなくて、別人のキッドさま!
さあ、言うのよ。テリー。あたしにはリオンさましかいないの。あなたさまとは、婚約できないの!
(……横顔も整ってる……。……あ、耳にイヤーカフつけてる……。……目がきれい……。……かっこいい……)
ぽー、と見とれていると、ジャンヌの足が止まった。森の付近にあるおんぼろの家の前に、ヒョヌが立っていたのだ。
「あれ、パパ」
「ジャンヌ? お前、また森に入ったのか!」
「まあまあ。……ちょうどよかった。キッド殿下、父のヒョヌです」
「はじめまして。ヒョヌどの」
キッドさまがきれいなお辞儀をした。
「第一王子のキッドと申します」
「ああ、王子さま! ご挨拶申し上げます! わたくし、この村の長を務めております。イ・ヒョヌと申します」
「岩はどうなりました?」
「あの、その、……言いづらいことではございますが……」
「どうせまだ退けられてないんでしょ。キッドさま、様子を見てる限り、あの巨大岩を退くのは相当時間がかかりますわ」
「ジャンヌ!」
「せっかくの機会です。岩が退けられるまで、どうぞこの村をたのしんでくださいな。森の奥にはダムや、古代昔から残されてる魔女の城、そして、四日後には星祭りが開かれます」
「ああ、テリーからきいてます」
キッドさまがうなずいた。
「100年に一度の、平和をたたえる祭りだと」
「夜空に星がわんさか現れる日でございます。しかも、その前日には星祭りの前夜祭が開かれ、村の中でも二日がかりの大イベントです。せっかくの機会ですので、いかがでしょうか。もちろん、心配されなくとも星祭り当日までには岩をなんとかしますので。……ね。パパ」
「ええ! それはもちろん! もう、村の総勢をかけて!」
「というのも、この村にはほんとうになにもないんです。お客さまなんて久しぶりなものでして、みんな、ご貴族さま関係なくおもてなしがしたいんです。お忙しい身とは思いますが、ぜひゆっくりしていってはくれませんか?」
「ふふっ。そこまで言われたらひとときの休暇を過ごさざるを得ませんね」
キッドさまがクスッと笑い、あたしの肩をなでた。
「君もそれでいいかい?」
「え?」
とつぜん話をふられて、はっとした。キッドさまのお顔を見ててぜんぜん話をきいてなかった。
(こういうときは、とにかくうなずいておくのよ!)
なんだかよくわからないけど、こく! とうなずくと、キッドさまがふたたびジャンヌたちを見た。
「それでは星祭りまでの間、よろしくお願いいたします」
「もちろんでございます! できるかぎり、おもてなしをさせていただきます!」
ヒョヌが興奮気味に手をこすり合わせ、……あたしとキッドさまを見た。
「して、その……お二人は、どういう……」
「パパ、すごいのよ!」
ジャンヌがあたしたちに手をさした。
「テリーの正体は、テリー・ベックスさまだったのよ! わかる!? キッドさまの婚約者の!」
「な、なに!? あの、マリッジブルーで世間をにぎわせた、テリーさま!? でも、肖像画とぜんぜんちがうぞ!?」
「記者の情報なんてそんなものだってことがわかったね」
「あああ! て、テリーさま!」
ヒョヌが慌ててひざまずいた。
「数々のご無礼、なにとぞおゆるしください!」
「え、えっと……」
「ちょっと、やめてよ。パパ。テリーは田舎民の礼儀のなさくらいわかってるよ。だよね? テリー」
「えっと、その……」
あたしは戸惑いながら、またうなずいた。
「は、はい……」
「とりあえず、星祭りをお楽しみに。こう見えて、わたしも結構、お祭りの重要な役目を担ってるんだよ!」
ああ、そうそう。と、ジャンヌが付け足した。
「キッドさま。この村では日が暮れる前に宿におもどりください。先ほども言いましたが、オオカミが山からおりてきて家畜や作物を狙うのです。馬はきちんと馬小屋に入れて、戸締まりをして、宿に身を隠してください。この村のオオカミはとても強暴です。夜に狩りに出るのは、長年村に住む者として勧めません」
「わかりました」
「ご理解いただきありがとうございます。……で」
ジャンヌがヒョヌを見た。
「宿はどうするの? パパ。この村に宿屋なんてなかったと思うけど」
「キッドさま、ご理解いただければと思うのですが……、この村には使われてない空き家がわんさかあります。もちろん、すべて設備は整えておりますため家にあるものであれば使えます。……古いものばかりですが」
「ちゃんと水も出る?」
「もちろんだ! ただ、その、宿屋ではないため、身の周りの世話をする者がおりません……」
「ご心配にはおよびません」
キッドさまがほほえんだ。
「むしろ、空き家を貸していただけるだけありがたいことです。お気遣い、誠に感謝いたします」
「心が広いキッド殿下に感謝するんだね。パパ」
「ジャンヌ、お前はすこし黙ってなさい! ……えー、失礼しました。……その、旅路も長く、お疲れでしょう。空き家までご案内をさせていただきます」
ヒョヌがそう言って、キッドさま専用の空き家まで案内をする。村の広場からすこしはなれたところだが、家は大きめの二階建てで……、……そうね、言うなれば、牛小屋ってところかしら。
「部屋が沢山ありますので、お連れの方を連れてきても問題ないかと……」
「ええ。とても満足です。ありがとうございます」
「とんでもないことでございます。お困りのことがあれば、広場の中心にあります、アトリの鐘を鳴らしてください」
キッドさまが広場の中心にある鐘を見た。
「あの鐘は正しさの鐘。鳴らすと神父のピーターという者が来て、助けてくださることでしょう」
「森に入るときは武器を忘れずに。オオカミがいますので」
「ジャンヌ! 殿下を怖がらせるではない!」
「ほんとうのこと言ってるだけでしょ! パパのバカ!」
「バカはお前だろ!」
「なっ! ……わたしがバカなら、その遺伝の持ち主のパパは大バカだね!」
「なにーーーー!? お前、父親に向かってなんてことを……」
そこでキッドさまが咳払いをした。二人がはっとして、笑顔を向ける。
「そ、それでは、あー、わたくしたちはこれで失礼いたします!」
「ごゆっくり! キッドさま!」
「どうもありがとうございました」
「来なさい! ジャンヌ!」
「いいよ! いつもどおりアトリの鐘を鳴らして、神父さまにどちらの主張が正しいか決めてもらおうじゃない!」
……ピーターも大変な人ね。
村長親子がドアをしめ、空き家にはあたしとキッドさまとメニーが残された。キッドさまが家をきょろきょろと見回し、うなずいた。
「ふむ。なかなかいい家だ」
「キッドさん」
「どんな形であれ、無事会えて良かった」
キッドさまがメニーに振り返った。
「テリーのことはリオンからきいてる。記憶喪失か」
「……」
「一時的なものかもしれないし、……今は様子を見ることしかできないわけだが……」
キッドさまがあたしを見た。その瞬間、あたしの胸に緊張が走り、冷静に澄ました顔でメニーの背中に堂々とかくれると、キッドさまがクスッと笑ってあたしを呼んできた。
「テリー」
「……なんでしょう」
「正直に言ってほしい。おれのこと、覚えてる?」
「……覚えてるような……そうじゃないような……」
「おれと君がどんな関係なのか、覚えてる?」
「……こ」
あたしはおそるおそるきいた。
「婚約者……?」
「正解」
「ありえません!」
あたしはお腹に力をこめて、メニーの背中から声を荒らげた。
「キッドさま、失礼を承知でお話しいたします! あたしは、リオンさま一筋でございます! 彼を裏切ることはありえません!」
「そう。テリーは心の底からリオンを愛していた。そして、君はおれの愛を何度も振った。おれのプロポーズも愛の告白も、すべて」
「……それなら、どうしてあたしとあなたが婚約者なのですか……?」
「そうだな。あれは……」
キッドさまが、そっと目をそらした。
「とある……夜のことだった」
「とある、夜……?」
あたしが真剣にきく姿勢を取る一方で、メニーは一人まゆをひそめた。
「いいや、おれのことを覚えてないようだから、断片的な話をしても理解ができないことだろう。……この話は、最初から話そう」
「最初、……というのは?」
「もちろん、おれたちの出会いから」
「……あの、恐れ入りますが、……あたしたち、以前からお会いしてました?」
「会っているよ。君が10才のときから」
「え……!?」
「残念ながら君は覚えてない。だからこそ最初から話すよ。おれが君とどう知り合ったのか、そして、それからどうなったのか」
さあ、
「二人とも、座って。この話はとても長いんだ」
キッドさまは、とてもまじめに話しはじめた。
(*'ω'*)
――その出会いは、過去。
当時、キッドさまは14才だった。キッドさまはこの国の第一王子であったけれど、城下町に住む人たちがどんな暮らしをしているのか理解するため、身分を隠して、付き人と共に城下町で平民と同じ生活をしていた。
そんな彼は、ただ生活するだけではなく、街に事件があれば解決するために走っていた。だってキッドさまはこの国の王子さま。ゴーテル陛下とリオンさまは国の平和を。キッドさまは城下町の平和を守っていた……そんな時だった。
キッドさまは、花屋でテリーの花のリースをながめていたあたしを見つけてしまった。そのときのあたしは、たったの10才。けれど、彼はあたしの横顔を見た瞬間、こう思ったのだという。……運命の人だと。
なんて美しくて、清らかな心を持ってそうな少女なんだ。なんて可憐なテリーの花のような少女なんだ。一体彼女は何者なんだ。
キッドさまが見とれている間に、あたしは花屋から出ていってしまった。キッドさまはすぐにはっとして、花のリースを購入して、あたしを追いかけた。あたしにプレゼントをしたかったんですって。でもね、あたしはもうすでにいなかったの。馬車に乗って、どこかへ行ってしまった。
キッドさまの心は、それ以来あたしにとらわれてしまった。
あの少女は一体誰なんだろう。
今度はいつ会えるんだろう。
ああ、また会いたい。
こんな想いは初めてだ。
胸が苦しくて仕方ない。
夜になるとキッドさまの夢にあたしが現れた。
だからこそキッドさまは、権力を駆使して、あたしをさがしだして、その正体を調べたんですって。
キッドさまは、あたしがベックス家の次女だということを知って、とても喜んだのだそう。だって、あたしが貴族のお嬢さまで、ベックス家の爵位が低かったから。位が低ければ低いほど、結婚のときに絶対に断れなくなるでしょう?
キッドさまはタイミングを見て、作戦を練ってたの。どうやってあの愛しい少女に声をかけようか。どうやって知り合ったらいいのか。どうしたら……彼女を自分のものにできるのか。ずっと、彼女を見ていたい。そばにいたい。彼女を本気で愛してる。キッドさまは、いつだって恋で胸が張り裂けそうだった。
そして、……それからあたしが13歳になってから行われた仮面舞踏会の日……。キッドさまは、自分の正体を国民に知らせた。突然現れた王子さまに人々は驚き、そして歓声の声をあげた。キッドさまは城下町を守ってきた英雄だったから、さらに王子さまで、とても喜ばれたんですって。
そして、自分の正体を告げたキッドさまは……あたしも喜んで、みんなと同じようにキッドさまを迎えると思ってたの。
それで、キッドさまはとうとうあたしの前に現れ――告白をした。
――愛しいテリー。わたくしの恋人になってくれませんか?
だけど、……あたしは彼を拒んだ。なぜならあたしの胸にはリオンさまがいたから。断られたショックにキッドさまは……現実を受け入れることができなかった。彼はあたしの手を掴んで、こう言ったらしい。
――愛しいテリー、そんな、どうして……!
――ごめんなさい。キッドさま。あたしにはリオンさましか見えないの……!
キッドさまの手を振り払い、にげだしたあたし。あたしはとても一途で、心がとても清らかで……リオンさまへの想いを持ち続けた。キッドさまは、それでも……あたしを忘れることができなかった……。一途に好きな人を想い続けるあたしを、もっと欲しくなってしまったの。
そして、キッドさまは……独占欲の牙を見せてしまった。
あたしの15才の誕生日、そして、リオンさまの17才の誕生日に、舞踏会がひらかれた。この国では15才は仮成人で、結婚ができる年。……キッドさまは、このタイミングを待っていた。みんなの前で、あたしをダンスに誘ったの。
――テリー、わたくしと踊っていただけませんか?
――で、でも、あたし……。
――ダンスだけならいいだろ?
――そ、そうですね……。ダンス……だけなら……。
あたしはダンスだけならと、キッドさまと踊った。でもね、ここでリオンさまが二階にいらっしゃって、あたしはそれを見つけてしまったの。
――あ、リオンさま……!
――テリー。
――キッドさま、もうやめましょう……? リオンさまが見てますので……。
――そんなに弟が好きだというのか? おれがこんなにも君を愛しているのに……!
――あっ……! とつぜん、めまいが……!
あたしは知らぬうちにキッドさまに睡眠薬を飲まされてしまい、その場で倒れてしまった。騒ぎに気づいて駆け寄ったリオンさまに、キッドさまはあたしを介抱すると伝え……そのまま、あたしをエメラルド城の一室に閉じ込めた。
――こ、ここは、どこなの!?
――ここは、おれと君だけのへや。ずっと一緒だよ……。
――あたし、家に帰りたい……! お願い! 帰らせて……! なんだか、こわい……!
――テリー、こわくないよ。おれがぜんぶ忘れさせてあげる。家のことも、リオンのことも……。
――そんな……!
――愛してる……。おれのテリー……。
――あっ、そんな……だめっ……!
ドレスが、ぱさっ。
――テリー……!
――ああっ……! キッド……さまぁ……!
毎日、キッドさまはあたしを大切に愛でた。それは、まるで大切な人形を愛でるように。
だけど……日々やつれていくあたしを見て……これがあたしの幸せにならないと悟った彼は……あたしのために……あたしのことをあきらめようとした。
――どうかおれのことを忘れて幸せになって。テリー、愛してる。
――キッドさま……。
――頼む。出ていってくれ。そうしないと、おれは君にひどいことをしてしまいそうなんだ。
……キッドさまは何もかもが完璧だった。そのせいで、まわりの人々はリオンさまに同情した。その景色はリオンさまばかりに愛情がそそがれたように思えた。それはゴーテル陛下とスノウ王妃も含む。リオンさまはキッドさまよりも譲歩され、愛されたように見えた。だからこそキッドさまは城から出ていったの。リオンさまよりも愛されるために。もっと、自分が愛されるために。キッドさまの心はとても繊細で……愛に飢えていた。だからこそ、ただ自分だけを愛してくれる人がほしかったの。ただそれだけだった。
そんなときに、彼はあたしを好きになってしまった……。
とある夜のできごと。
彼は鍵を外したドアを開放し、あたしを解放しようとした。あたしを諦めて、孤独に生きていこうと決めた……。
……だけど、あたしには、彼を置いていくことはできなかった。
――キッドさま……、どうか顔を上げてください……。
――君が出ていくところを見たくない……。……見たく……ないんだ……!
――あたしは……ここから出ません……!
――テリー……!
――どうか、そんなさびしそうなお顔をされないでください。……あたしがあなたのおそばにおります……。
――テリー……。
――あたしでよければ……ふつつかものですが……。
――……っ、テリー、ああ、おれのテリー。もう離さない。おれは、君に囚われた囚人。君がおれの主。おれは永遠に君だけを愛すると誓おう!
――キッドさま……!
――テリー! ……愛してる……!
――あっ……! キッド……さま……♡
こうして、あたしたちは結ばれた。後に、あたしたちの婚約が発表されたとのこと。
(´·ω·`)
「……キッドさん」
真面目にきいてたメニーがため息混じりに言った。
「あの、……それは、ロマンス展開すぎて、さすがのお姉ちゃんも引っかからないかと……」
メニーがあたしを見た。
「ね。お姉ちゃん」
「そんなことがあったなんて!!!!!! あたしたち、そんなすさまじい大恋愛をしていたのですね!!!???」
メニーが椅子から転げ落ちた。一方、あたしは興奮気味に前のめりになった。
「ち、ちなみに、あたし、どこに閉じ込められていたのですか!?」
「おれの寝室に隠し扉があって、その奥に用意した部屋に君を閉じ込めていたんだ。……だれにも見つからないように」
「そ、そんなところに……一体どのくらい……」
「……覚えてないの? あの濃厚的な三ヶ月間のことを……」
「……さ、三ヶ月間……!?」
「今となってはまちがっていたと思うけれど、それでも毎日幸せだったよ。だって、仕事を終えて部屋に戻れば、君がおれを待っていてくれていたのだから」
「ど、……独占欲旺盛の愛に飢えた王子さま……小説で何度も見たジャンルだわ……」
タイトルをつけるならば、『囚われ姫と冷酷王子』。
あたしは胸をきゅんきゅんときめかせ、作者にインタビューを始めた。
「その、それは、……あたしを、愛するがゆえの行為だったのですか……?」
「それ以外になにがある?」
キッドさまがあたしの手に、自らの手を重ねた。
(ひゃっ)
「おれは君に愛されるためなら、たとえ吸血鬼が現れようが、盗人が現れようが、はたまた切り裂きジャックが現れようが、すべてを斬り殺して君を守ると心から神に誓えるだろう」
(ど、どうしよう……。あたし、こんなに熱い想いをこんなにまっすぐ伝えられたことないから、どうやってこの婚約の話を断っていいかわからない……。それに……)
殿方から、こんなに愛されたこと、ない。
(……あたし、ほんとうにリオンさまよりもキッドさまを選んだの……?)
でも、メニーがうそをついてる様子はない。ジャンヌたちもあたしが前にマリッジブルーで行方不明になった? とか言ってた。ということは……キッドさまの婚約に耐えきれなくなってあたしがいなくなったエピソードもあるの!? それはどんな内容なの!? じゅるり!
(どうしよう。大好きな好みのタイプの展開に頭がぐちゃぐちゃ……! 心臓はどきどき……! 胸はきゅんきゅん!)
「テリー」
「あ、あたし……」
「記憶がなくたって、おれは心から君を愛してる」
「ふぁっ!?」
超タイプのイケメンの殿方から愛してるって言われちゃった! キュンです! ポケットから、キュンです!
「テリー、こうなったら最初からやり直そう。……もう一度おれを愛し直してくれないか?」
「あ、あたし、でも、リオンさまが……」
「テリー、……またリオンのことを……」
「あっ!」
「どこ見てるの。……おれを見て」
「あっ、あっ、あっ……」
「君にはおれだけを見ていてほしいんだ」
「で、でも、あの、リ、リオンさまが……」
「あいつの話はするな。……君に……ひどいこと、してしまいそうになるから……」
「ひ、ひどいことって……!?」
「独占……とか?」
「ど、独、占……!?」
「君のすべてをおれだけのものにしてしまいたくなるんだ。……テリー、どこ見てるの? 俺の目を見て。……俺だけを見て……?」
「どきゅんです!!!!!!」
「そこまでです!!!!!!」
メニーがあたしとキッドさんの手を引き離した。
「キッドさん! こんなときに冗談はやめてください!」
「……え?」
あたしはその言葉にはっとして、キッドさまを見た。
「冗談!?」
「冗談だなんて人聞きの悪い。九割演出を加えたけど、一割ほんとうだから」
「九割盛りすぎです!」
「え? ちょっとまって! メニー! どこからどこまでが冗談なの? どこからどこまでの部分が盛ってるの? オーバーなの? オーバードライブなの? キャパオーバーなの? あたし、よくわかんない!」
「キッドさん! ただでさえお姉ちゃんが大変なときにこれ以上混乱させないでください!」
「くくく! 悪かったよ……! ぶっくくく……! テリーがいつもと違うから、くひひ、ついね。つい。ぐひひひひひ!」
「え? 結局どこまでが真実でどこまでが冗談なの? あたしだまされたの!? 欺かれたの!?」
「テリー、いつだって真実は一つだ」
キッドさまが人差し指をあたしに見せた。
「おれとテリーは婚約者同士である。それはまごうことなき真実だ」
「あたしはリオンさまではなく、あなたを選んだ?」
「そのとおり。君は弟ではなくおれを選んだ。心の底から君はおれを愛していた」
「……もう一つ、質問です。あたしはほんとうにあなたと知り合っていたんですか?」
「それも真実だ。おれと君は出会っていた」
「……」
「ふむ。たしかに過程の話はすこしだけ盛りすぎたかもしれない。ちゃんと真実を話そう。しかし、それはまた明日だ」
(……あ)
窓を見ると夕焼けが落ちかけていた。
(いつの間に……)
「二人はどこに泊まってるんだ? 送るよ」
「……やっぱり、岩はどけられてないんですか?」
「報告を見る限り、今日は無理そうだな」
キッドさまがまた見たことのない小型機械を見て、メニーの問いにうなずいた。
「どちらにしても星祭まではここにいることだろうし、まあ、なんとかなるさ」
「……」
「崖から落ちたショックもあるんだろう。大丈夫。時間が解決するかもしれない」
キッドさまが立ち上がり、あたしに手を差し出した。
「さ、テリー、今日は寝泊まりしているところに帰って」
「……夜に」
メニーが呟いた。
「二人で記憶を整理してみます」
「ああ、それがいい。メニーとは付き合いが長いだろうし、なにか思い出すかもしれない」
あたしは躊躇しながらキッドさまの手を取ると、キッドさまが慣れた手付きであたしを立たせた。
(わっ)
「名残惜しいけど、テリー」
きゃっ! 手の甲にキスをされちゃった! えっち! なんてはしたない人! キスは恋人以外にしちゃいけないのよ! ……いや、この人婚約者だった。
「……なんだか、はじめて会ったときを思い出してドキドキするよ」
キッドさまが艷やかな笑みを浮かべた。
「さあ、帰ろうか。送っていくよ」
「は、……はい……」
――そのとき、とつぜんドアがひらいた。
あたしとメニーがおどろいてふり返ると、そこにいた人物が笑った。
「くすす。やっとたどりついた」
「遅いぞ。ソフィア」
「食料の調達に行ってました。きいていたよりも大きな空き家ですね」
夕焼けに当てられているせいだろうか。なんときれいに見える金髪だろう。
月のような黄金のひとみ。美しく整えられた顔。そして――胸。
「……」
あたしはちらっと、自分の胸を確認した。
「メニー」
……昼間に馬車に乗っていた――あたしの目に少しだけ入っていた女が、突如あたしたちの目の前に現れて――メニーに笑顔を向けた。
「きいたよ。崖から落ちたんだって? 大変だったね」
「……ソフィアさん」
「テリーは?」
(……知り合い?)
あたしはキッドさまの大きくてたくましい背中にかくれた。キッドさまがにこっとほほえみ、あたしに紹介した。
「テリー、彼女はソフィア・コートニー」
「……どなたでしょうか……?」
「なに、おれの部下の一人だ。べつに怖がらなくてもいい。でも、わざわざ口を利かなくてもいいよ。君にはおれがいるからね」
「くすす。殿下」
「リトルルビィは?」
「そろそろ来るかと」
「二人を送ってくるからご飯の支度を頼む」
「御意」
黄金のひとみがあたしに向けられたら目があって、あたしはあわてて視線をそらした。キッドさまがエスコートしてあたしを外へと出す。その間、ずっと黄金の視線を感じる。
(……なに?)
あの女だれなの?
(あたしとメニーのことを知ってて、キッドさまの部下だって言ってた)
しかも女。騎士ではなさそう。
(……まさか)
――キッドさまの愛人!?
(間違いない! 貴族ではよくある話よ!)
あたしは今自分が置かれている状況がよくわかった。つまり、この視線を感じる理由は――。
(あの金髪女、あたしを睨んでるんだわ! あたしがキッドさまの正妻となるお嬢さまだから! それしか考えられない!)
そもそも、このキッドという王子さまは誠実そうに見えて、実はとてもふしだらな人なのかもしれない。だって、慣れた手付きであたしの手の甲にキスをしてたもの! ぜったいそうだわ。女の勘が言ってるわ。この人、最低な人なんだわ! 女をもてあそぶタイプの王子さまなんだわ! 過去のあたしのばか! 閉じ込められてどうかしてたのよ! やっぱりあたしにはリオンさましかいないんだわ!
(浮気する人はいや! そういうことならこの話は無し! 相手が第一王子さまだからって関係ないわ! こんな婚約、無効よ!)
「キッドさま、あのっ!」
「明日、また会いにいくよ」
キッドさまがあたしを抱き寄せ、とろける声であたしの耳にささやいた。
「いい子でいるんだよ。テリー」
「……ふぁい……」
うしろを歩くメニーがじーっと、あたしたちを見た。
どんどん日が暮れていく。田舎の空は、見慣れた空よりも広い気がした。
(*'ω'*)
ピーターがぱちぱちと瞬きした。
キッドさまがあたしとメニーを送るために教会までやってきたのだ。キッドさまから直々に自己紹介をされたピーターは頭を下げた。
「キッドさま、直接会える日が来るとは思いませんでした」
「あなたがピーター殿ですか」
「兄のこと、大変助かりました。直接お礼が言いたかった。……その節は、迅速なご対応をありがとうございました」
「……。わたくしは当たり前のことをしただけです」
(デヴィッドと知り合いなの……?)
「二人をお願いします。大事な婚約者とその妹君なので」
「女神アメリアヌさまに誓って」
「ありがとうございます。それではわたくしはこれで」
最後にキッドさまがあたしをだきしめた。
「また明日。テリー」
そう言って――キッドさまがあたしの頬にキスをした。
「っ!!!!!!!?????」
あたしは石のように固まり、キッドさまがメニーに手を振って帰路を歩いていった。夕焼けに当てられて輝くキッドさま。背中姿も美しい。そして、……なんて大胆な人。
(あたしの胸がずっとドキドキしてる……)
だめだめ! 目を覚まして! あたし! 彼は浮気する王子さま! あたしにはリオンさましかいないの! しっかりして! あたし!
「さあ、晩御飯にしましょう」
ピーターが立ち上がった。
「今日はわたしの得意な煮トマトスープです。なかなか美味しいですよ」
「お姉ちゃん、なかに入ろう」
(……でも、キッドさまって実際どんな人なのかしら……。あたし、知らないと思ってたけど実は知り合っていて彼の記憶を失ってるみたいだし……。……声が素敵だった……。まるでとろけそうな……。……だめよ。わかってるでしょ。彼は浮気性なの。愛人を同じ建物に連れ込むような人よ! そうよ! 最低な人なの! あたし、いくらイケメンだからって、誘惑にまけないで! あたしにはリオンさましかいないのよ。でも……あんなにまっすぐ愛してるなんて言われたことないから……うれしかった……)
「……」
「お二人とも、オオカミが村へ下りてくる前に、なかへ」
「お姉ちゃん、行くよ」
(……ぽぉー……)
あたしはメニーに背中を押されて、教会のなかへと入っていった。




