第6話 刺繍のハンカチ
「カトレア、ショッピングモールの帽子屋に行こうと思うのだが、アリスは戻ったか?」
「どうかしら。確認してみるわ」
カトレアがドアを叩いた。
「アリス、いる?」
取っ手をひねってみると開いている。カトレアがはっとして、慌ててドアを開けて部屋の中に入ると――アリスがソファーで気持ち良さそうに眠っていた。
「ああ、びっくりした。もう……」
逝きたがりの行為をしていない事に安堵したカトレアが、アリスの体を揺らした。
「アリス」
「んー……」
「父さんが帽子屋に行かないかですって」
「……あれ……?」
アリスがぼんやりと瞼を上げ、起き上がり、辺りを見回した。
「ニコラは?」
「何言ってるの? ニコラちゃんは風邪で寝込んでるって、アリスが言ってたじゃない」
「……。……夢か。ふああ……」
アリスが気持ち良さそうに伸びをした。
「姉さん、すごいのよ。あのね、ニコラと冒険する夢を見たの。私、ウサギを追いかけたら、ウミガメのスープを提供しているレストランに行って、崖から飛び下りるの」
「はいはい。そうね。ほら、準備して」
「はーい」
窓の外に張り付いてたリトルルビィがあたしをしっかり抱き、足を走らせた。瞬間移動を使って赤い絨毯の廊下に戻ってくる。アリスは無事だ。その事実に、ゆっくりと細くて長い息を吐いた。
「……」
「……大丈夫?」
「……大丈夫」
あたしは頷きながら、ももにつけたベルトを布越しから撫でた。
「アリスが巻き込まれるとは……思ってなかったから、……驚いただけ……」
「大丈夫だよ。夢だと思ってるっぽいから」
「……」
「イザベラは?」
「……っ、そうだ」
(クレアと合流しないと)
あたしは無線機を持った。ボタンを押す。
「クレア」
音が鳴らない。
(あれ?)
あたしはボタンを押す。
(え?)
「テリー、それ壊れてない?」
「……」
「さっきプールに落ちただろ。……その時じゃない?」
「……」
「クレアなら倉庫にいると思う。……私、瞬間移動するの疲れたし、……歩きながら行こうよ」
「……ん」
リトルルビィがあたしの手を握り、廊下を歩き出す。俯くと、自分の足が見える。
「……リトルルビィ」
「ん」
「異空間に飛ばされると、呪いの副作用が、……あんたの場合、吸血鬼の力、っていうべきかしら。それが、使いづらくなるらしいわ」
「何それ。どういうこと?」
「……さっき、ソフィアと襲われたのよ。その時、しきりにソフィアが催眠が使いづらいって言ってた。だから注意しておけって」
「ソフィアどこ?」
「診療室よ。……今は寝てるわ」
「……」
リトルルビィがちらっとあたしを見た。返事をする代わりに頷くと、リトルルビィの顔が険しくなり、また前を見て歩く。
「……用心して」
「わかった」
「……。……ここまででいい。あたし一人で行くわ」
あたしはリトルルビィの手を離した。
「ありがとう。じゃあ、また後で」
「ちょっと待った」
リトルルビィがあたしの手を掴んできたのと同時に、あたしはその手を払った。
「ついて来ないで」
「テリー」
「邪魔なのよ」
「急にグレんなよ」
「一人で行くから、じゃ」
「テリーってば」
「ついて来ないで」
「あのさー、大丈夫だって。クレア達、倉庫にいるだろうし、すぐそこだって。……この短距離で流石に襲って来たりしねえだろ」
「……わからないわよ」
いつどこで誰が襲われるかわからない。
「あたし一人なら、逃げればなんとかなるわ」
「テリー」
「リトルルビィ、……真面目に狙いはあたしみたい。さっきからずっと異空間を行き来してる」
「へえ。そんだけ行き来してるなら手掛かりも見つけた?」
「……ソフィアが……」
「あ?」
「……美術館に行ってみた? あそこの絵の一部、異空間の中で見た景色だった」
「……中毒者は画家?」
「って思うでしょ? ……もう一つあるわ。二月十六日にイザベラのアルバム収録があって、その現場にいた人達が殺されてるの。画家ならスタジオにいないでしょ?」
「……つまり、伝説の歌姫は?」
「……あたしが見てる限り、イザベラが飴を舐めてる様子はなかった。フェイクかもしれないけど」
「なるほど。っつーことは、……その、アルバム収録だっけ? その日にスタジオにいた奴を絞り出せば、中毒者が見つかる可能性が上がる。了解。テリー、急ごう」
「っ」
あたしは一歩下がった。リトルルビィがきょとんとした。
「テリー?」
「……一人で行く」
「まだそんなこと言ってんの?」
「二人でいたら襲われる」
「テリー」
「大丈夫よ。一人で行ける」
「テリー」
あたしはリトルルビィを横切ろうとすると、リトルルビィが面倒そうな顔で道を塞いだ。
「待てって」
「リトルルビィ、良い子だから言うこと聞いて」
「やだね」
「お願い。……今だけでも聞いて」
「あのさ、テリー」
リトルルビィが無線機を出した。
「わたしが呼ぶから」
リトルルビィが無線機のスイッチを押した。
「クレア」
『……』
「あーあー、聞こえる? こちらルビィ」
『……。ど……した……』
「あー、くそ、使えねー……。……クレア、メニーと一緒にこっちに来れないか? テリーが」
『……ビィ……な……言って……』
「クレア?」
『……な……』
「あー応答せよー、応答せよー。こちらルビィ。おーい」
無線機が切れた。
「……チッ、使えねえ……」
「……倉庫でしょ。退いて」
「テリー、一回座ろう」
「急がないと」
「座ろう?」
「時間がないのよ!」
「いいよ。わたしが瞬間移動すればいい話だから」
「ちょっ」
リトルルビィがあたしを引っ張った。大股で歩き、設置された休憩用のソファーにあたしを座らせる。
「……」
「ここなら絶対安全だろ」
下で人が歩いてる。クルーが歩いてる。廊下を人が歩く。階段の下にはホールがある。壁には大量の大きな絵が一枚ずつ綺麗に並べられていた。リトルルビィがあたしの隣に座る。
「一回休憩。色々調査してて疲れた」
「……」
「少ししたら行こう。テリーも休んで」
(……リトルルビィが……そう言うなら……)
あたしは深呼吸する。リトルルビィが欠伸をした。息を吸って、……質問する。
「……ルビィ、聞いてもいい?」
「ん」
「中毒者……怖くない?」
リトルルビィがあたしを見つめる。
「あたしは怖かったわ。誰も頼れなくて、あたししかいなくて……」
「……仕方ねーよ。わたしもソフィアも、それ相当の訓練受けてるし」
リトルルビィが鼻で笑った。
「中毒者よりも強い奴が上司にいるし」
「……」
「その笛、護身用?」
「……ソフィアが持って行けって。あたしは中毒者と戦えないから」
「そう」
「……」
「……怖気づいた?」
「……やっぱり……怖い。いざ目の前に現れると……」
「ああ、だろうな。……でも、もう大丈夫だろ?」
リトルルビィがあたしの頭に手をぽんと置いた。
(んっ)
驚いて――きょとんとして――思わず隣を見れば――大きく成長したリトルルビィが、笑みを浮かべてあたしを見ていた。
「わたしがいるから」
あたしの頭をぐしゃりと撫でた。
「すげー強いわたしがテリーの側にいるから、大丈夫。な?」
「……」
「まあ、見てろよ。テリーに見られてたら、わたし、負ける気がしないから」
「……」
「……どう?」
リトルルビィがにっと笑って、あたしの顔を覗き込んだ。
「少しは安心した?」
「……っ」
その行動に――あたしは盛大に吹き出す。そして、堪えきれず笑い出した。今度はリトルルビィがぽかんとする番。
「……なんだよ」
「ふふっ、あんた、……くくっ、……キッドに似てきたわね」
「はっ!?」
その一言で、リトルルビィがサッと血の気を引かせ、青い顔になった。
「キッド?」
「出会った頃も似たようなこと言ってた。ふふっ、なんだっけ? ……まあ、見ててよ。俺すげー強いから。愛しいテリーに見られてたら、負ける気がしない……だったかしら?」
「……」
黙るリトルルビィに、あたしはにやっとした。
「似てきたわね」
「嫌だ」
「やっぱり人って育てられた人に似るのね。あんたは特に純粋だもの」
「嫌だ……。絶対嫌だ……。わたし、キッドにだけはなりたくない……」
「クレアは?」
「絶対嫌だ……」
(……仲良いのか悪いのか……)
「……な、テリー、もう少し……休憩してもいい?」
「……少しくらいなら良いわ。あたしも疲れた」
「……ん」
リトルルビィがそっとあたしの肩に頭を乗せてきた。海の景色が視界に映って、……思わず溜め息が出る。
「……本当はもっと優雅な旅だったはずなのに……」
「中毒者はいつだって神出鬼没だよな」
「その通り」
「テリー、ここに刺青入れようと思うんだけど、どうかな」
「絶対駄目」
「こういう模様にしたくて」
「駄目」
「かわ」
「入れるな」
「……わーったよ。今は入れないよ。……今はな」
「……」
「バイト、どうしようかな」
「……アルバイトはもういいんじゃない?」
「そう思う?」
「冷静に考えてみたら、あんた働きすぎだったのよ。少し勉強とか趣味に時間を費やしたらどう?」
「……趣味が働くことだったから……」
「……だったら役に立つものから始めてみたらいいわ。刺繍とか」
「あの針でちくちくするやつ? あはは! 無理! わたし、ああいう作業向いてないんだよ」
「何言ってるのよ。前にハンカチに入れて、プレゼントしてくれたじゃない。キッドに教わったって言って」
「……。……。……いつの話してんの?」
「可愛かったわ。一生懸命、愛を込めてテリーの為に作ったのって言って、あんたがくれたのよ」
――テリー、あのね、下手かもしれないんだけどね、でもね、あのね、テリーのことを想って、わたし一生懸命作ったの! わたしの愛が、いっぱい詰まってるの! こ、これ、……あげる!! ……テリー、好き。……きゃっ!!!!
「いつの話だよ……」
リトルルビィが誤魔化すように伸びをした。
「んなの、覚えてない」
「これなーんだ?」
あたしはポーチバッグを開けて、中に入っていたハンカチを取り出した。リトルルビィがそれを直接目で見て、顔を引き攣らせた。
「……なんであんの?」
「家から出る時に持ってきたの」
「……」
「色々心配だったから、……お守り代わりに」
あたしは綺麗に入った刺繍を撫でた。
「持ってきてよかった。ほら」
綺麗なテリーの花の刺繍。何度見ても綺麗。それよりも、リトルルビィの気持ちが嬉しかった。
「……今でも大事なプレゼントだわ」
あたしはリトルルビィに顔を向けた。
「あんたが作ったのよ。ほら、綺麗でしょ?」
その瞬間、リトルルビィが息を止めた。あたしの顔から目を離さない。じっと、見つめられ、きょとんとする。
「ルビィ?」
「すごく」
リトルルビィがあたしを見ながら言った。
「すごく、……綺麗」
リトルルビィが目を逸らした。
「だと、思わなくも、ない、気が、する」
「すごく綺麗に出来てるじゃない。大切に愛用させてもらってるわ」
「……捨てろよ。そんなの」
「捨てられるわけないでしょ。あんたが作ったものなのに」
「……」
「もうしばらく愛用させてもらうわね」
「……チッ」
リトルルビィが急に立ち上がった。
「そろそろ行こうぜ」
「……そうね」
廊下の時計は17時30分を差している。喋ってたらもうこんな時間だわ。あたしはハンカチをポーチバッグに入れる。
「ありがとう。……落ち着いた」
「ん」
「行きましょう」
早くクレアに会わないと。
「でも、リトルルビィ、本当に気を付けて。今回の中毒者、なんだか様子がおかしい気がする」
「心配ないって」
リトルルビィがあたしに余裕の笑みを見せた。
「瞬間移動中に、襲われるわけないし、廊下でだって……」
――直後、あたしの座っていたソファーが、後ろに倒れた。
(え?)
「っ」
目を見開いたリトルルビィがあたしに手を伸ばす。
「テリ……!」
なぜか地面に穴が開いており、あたしはその穴に転がり落ちた。
「テリー!」
後ろから風が当たる。光がどんどん小さくなっていく。あたしは――落ちていく。




