第11話 因縁の同士
( ˘ω˘ )
――洗面台の水を顔にかけられた。
「ああ、悪いね。手が滑っちゃったよ」
その女を睨む。女はイラついたようにあたしに体を向けた。
「何さ? その目」
「別に」
「文句があるなら言ってごらん。ん? この殺人鬼」
「あたしがいつ殺人を犯したって?」
「ベックス家は豪華客船に多くの人々を乗せて、海に沈めた。それを聞いて、腹を抱えて笑っていたんだってね」
「そんなのただのデマよ」
「ああ、そう」
「あれは事故だった。あたし達は何も悪くないわ」
また顔に水をかけられた。
「……っ!」
イラっとしたあたしがその女に水をかけた。女があたしの髪の毛を引っ張ってきて、耳元で怒鳴ってきた。
「何すんだよ!」
だからあたしもその女の髪の毛を引っ張った。ちゃんと女の耳元で、同じように怒鳴りつけてね。
「あんたからやってきたんでしょ!」
「お前、アタシに反抗する気かい!? いいかい! アタシがここのボスだよ!」
「お黙り! 麻薬密売で捕まっただけのくせに、偉そうにしやがって!」
「なんだって!?」
「むかつくのよ! ずっと周りの奴ら使って嫌がらせしてきやがって! そんなに構ってほしいなら、構ってやるわよ!!」
あたしはその黒い頬を叩いてやった。
「っ! てめえ!」
黒い手があたしの頬を叩いてきたから、女の胸倉を掴んだ。
「このクソ女!」
「没落貴族が!」
「没落!? おほほほほ! それは過去の栄光にいつまでもしがみついてるご自分の事を言ってるのかしら!? 伝説の歌姫、イザベラ様ぁー!?」
からかった口調で言ってやれば、女――イザベラがあたしを壁に突き飛ばした。あたしは壁にぶつかった際に靴を脱ぎ、大股で近付いてきたイザベラの頭をぶっ叩いてやった。イザベラが悲鳴を上げて頭を押さえて倒れた。あたしは愉快になって笑うと、今度はイザベラがあたしの足を掴み、引っ張ってきやがった。あたしは地面に倒れ、その上にデブが乗っかってくるものだから、両手を必死に動かして暴れる。
「ぶっ殺してやる!」
殺意に燃えるイザベラと目が合った瞬間――看守が入ってきた。
「おい、止まれ!」
あたしとイザベラは止まらない。イザベラがあたしを殴った。鼻血が垂れた。あたしは手に拳を作って、思いきり伸ばしてみた。すると、それは見事にイザベラの鼻に当たり、豚のように悲鳴を上げて地面に転がった。鼻を押さえて、痛みに悶える。
「ざまあみろ! 豚女!!」
イザベラのお耳に聞こえるように大声を張り上げて笑ったら、後ろから看守に殴られた。
「っ」
あたしもその場に倒れた。部屋に走ってくる音が聞こえる。
「何事ですか」
「王妃様、入ってはいけません!」
「この二人が暴れていたのです」
頭がくらくらする中、あたしは目玉を上に上げた。その先に、美しいドレスを身に纏った王妃が立っていた。青い瞳が見下ろせば、あたしと目が合う。
(……何見てるのよ)
不幸になったあたしを見て楽しいってか?
(見てんじゃねえよ……)
憎しみをこめて、王妃を睨みつける。
(全部、お前のせいよ)
「……麻酔を」
王妃の声と共に、あたしの首に麻酔が打たれた。
「っ」
憎たらしい王妃の顔を睨みながら、あたしは瞼を閉じた。
(*'ω'*)
「……っ」
息を呑み、上半身を慌てて起こす。どこよ、ここ。真っ暗だわ!
(違う。……目隠しされてるんだわ!)
何よ。また拷問にかけようっての!?
(あの女が悪いんじゃない! どうしてあたしばかり……)
はっとした。両手が動く。あたしは急いで目隠ししてくる布を取った。見えたのは――広大な海。リラックスできる椅子。多くの人々と談笑する声。
「……」
体全身が脱力した。――思い出せ。ここは工場ではない。マーメイド号だ。あたしは――16歳の貴族のお嬢様。
(……熱に犯されてるから、変な夢を見るんだわ)
あたしは再び椅子にもたれた。
(ああ、最悪。吐き気がする。汗もかいてる)
冷めたアイマスクを再び装着する。瞼の裏はもう温まらない。
(怠い……。もう一眠りしよう。今度は工場じゃなくて、あたしが幸せになれる未来の夢が見たいわ)
深呼吸すると、人の話し声が聞こえる。騒がしい。でも悪い気はしない。あたしね、どうしてか熱を出すと急に寂しくなって、とてもお喋りになるの。ああ、クレアと話したい。しんどい。だるい。部屋に戻らないと……と思ったけど……このまま部屋に戻って大丈夫かしら? 初日とは言え、いつどこでトラブルが起きるかわかりやしない。
(リオンが手配した騎士や兵士はどこにいるやら……)
耳にヒールの音が入ってきた。足音は景色を楽しんでいるようにゆっくりと歩いている。どんどんあたしの近くへと寄ってくる。ヒールの音って心地良い。あたしだけ? 催眠音楽のように聴きながらぼうっとしていると、その足音の持ち主だろうか。ヒールの音が止み、とても近くから明るい声が発せられた。
「ハイ。こんにちは」
「……ハイ」
「ねえ、あなた、それ、どこのアイマスク?」
「……クルーからもらったの。あなたももらえば? すびびっ」
「そうしようかしら。すみません! ちょっとそこのあなた!」
「はい」
「アタシも彼女と同じものを」
「こちらをどうぞ」
「有料?」
「サービスなので」
「そう。気前がいいのね。どうもありがとう」
女があたしに訊いた。
「隣、いい?」
「ええ。どうぞ」
「ありがとう」
隣の椅子に誰かが座る音が聞こえる。ごそごそと布が擦り切れる音がしたと思えば、感動の声。
「わお。何これ、すごい。目が温まるわ」
「ええ。きもちよかったわ」
「丁度良かった。海が綺麗でずっと遠くを眺めていたから疲れてたの。これ最高」
「げほげほっ」
「あら、あなた風邪?」
「ええ。ずびびっ」
「ん? ちょっと待って。……あなたさっき、トイレで会わなかった?」
「……ふなよいしてた人?」
「やだ、ちょっと!」
女が笑いながらあたしの手を叩いてきた。
「びっくりした! 奇遇ね!」
「よくあいますね。ずびっ、ふなよいはなおりました?」
「まだちょっとフラフラするけど、だいぶ慣れたわ」
「そう。それならよかった」
「名前は?」
「……」
「……あら、もしかして訊いちゃいけなかった?」
「……いいえ。問題ありません」
一般人には念のため、
「ニコラです。あなたは?」
「アマンダ」
「そう。アマンダ。このふねはいかが?」
「今まで乗った船の中で一番豪華で贅沢。とてもビッグだわ。ね、展望台には行ってみた?」
「いいえ。ずびびっ。あなたは?」
「行ってみたんだけどね、ここの景色とそんなに変わらなかった」
「でしょうね」
「海には船がいるか鳥がいるかだもの。それと溶け切ってない氷山」
「……ひょうざん、ありました?」
「ええ。うんと遠くにね」
「……そう」
「年は?」
「16」
「アタシの方がお姉さんだわ。アタシは22」
「おしごとは?」
「人を喜ばせる仕事」
「それはさいこう」
「でもね、人を喜ばせるって思った以上に大変よ。期待に応えないと裏切られる」
「にんげんってそんなものですよ」
「うふふ!」
「じゅんちょうでは?」
「あまりね」
「なら、このふねでリラックスすることをすすめします。げほげほっ」
「あなたはどこまで?」
「カドリング島」
「そう。じゃあ途中でお別れね。アタシはその先で到着する国まで」
「げほげほっ」
「結婚式を挙げるの」
「はっくしゅん! ……え、けっこんしき?」
「ええ」
「それは……おめでとうございます」
「この船は結婚前に遊べる最後のチャンスってわけ」
「いろいろありましてよ。ずびっ。さっきスケート会場をみてきました」
「あなた、鼻声ね。さてはスケートを滑って風邪が悪化したんでしょ。そうでないなら、ねえ、部屋で休まないで、ここで何やってるの?」
「おさんぽがてら、きゅうけいを」
「ママが心配するんじゃない?」
「へいき。ママはパーティーにいってるから」
「娘を放って?」
「ええ。そういうしごとだから」
「だったら尚更部屋にいた方が良いんじゃない?」
(あたしだって部屋にいたいわよ……。……リオンがいたらゆっくり休めたのよ……くそ……)
「おさんぽしてたほうが、気分もはれますわ」
「……それもそうね」
「げほげほっ」
「気持ちはわかるわ。アタシも部屋に居たくなくて」
「ええ。せっかくいろんなばしょがあるのに、ずびび、みないのはもったいないですもの。げほげほっ」
「大丈夫?」
「なんとか」
「水でも頼む?」
「ええ。ずびっ。気がむいたら」
「どこから来たの?」
「じょうかまち」
「旅行?」
「ええ、まあ」
「家族と旅行だなんて素敵ね」
「かていきょうしのせんせいが、ずびっ、カドリング島でけっこんしきをあげるんです。あなたとおなじく」
「あら、それはおめでとう」
女が溜め息をついた。
「好きな相手なら幸せでしょうね」
「……あなたは?」
「ビジネスのための結婚よ」
「……せいりゃくけっこん?」
「大きく言えば」
「たいへんそう」
「お気遣いありがとう。あなたは好きな人と結婚するのよ」
「りこんは?」
「さあね。そもそも最初からアタシは反対だったのよ。好きでもない男と結婚なんてありえない。でも、仕事が上手くいってないんじゃ、これしか道はないってね」
「人をよろこばせるしごとなのに、あなたはよろこびのないけっこんをしないといけないの? げほげほっ。なんだかふこうへいな話」
「ニコラは良い子ね。どうもありがとう。そう言ってくれて嬉しいわ」
「げほげほっ」
「だったらついでに仕事を手伝ってくれない?」
「ん」
「お姉さんと唄遊びをしましょう。テーマは恋愛」
「……わらいません?」
「うふふ。笑わないわよ。どうしてそんな事言うの?」
「そういわれて唄ったら、しりあいにわらわれたことがあって」
「失礼な人ね」
「まったくです」
「わかった。じゃあアタシが先に唄うわ。……そうね……」
女が少し考えてからすっと息を吸って――唄った。
嵐の夜に出会ったあなた
かっこよくて一目惚れ
あなたに近付きたくて
私 頑張ったわ
でもあなたが選んだのは
私よりも可愛いあの子
ねえ どうして?
想いは私の方が強いのに
あの子よりも私がいいわ
お願い 愛しい人
私を選んで
「さ、次はあなたの番」
手を叩かれる。
「唄って」
(ん-……)
あたしはクレアを思い浮かべて、すっと息を吸って――唄った。
青い目が綺麗
髪の長い方が好き
あたし達 赤い糸で結ばれてるの
でも しつこすぎるのは 良くないわ
声を失うまで 愛してるって言われても
それはただの馬鹿
あたしは純粋に あなたを愛してるわ
だから純粋に あなたも愛して
「……やだ。思った以上に素敵な唄じゃない。やるわね」
手を握られる。
「ボーイフレンドは?」
「いいえ」
(彼女ならいるけど)
「あら、そうだったの」
「ええ」
「恋はした事ある?」
「ん」
「お相手は?」
「げほげほっ」
「あら、ごめんなさい。訊き過ぎちゃった?」
「……いいえ、だいじょうぶ」
えっと、
「クリスタルみたいな人」
「クリスタル?」
「キラキラかがやいてるの」
「まあ、素敵な表現。それ、貰って良い?」
「しごとでつかうんですか?」
「ええ。クリスタルって表現、素敵。ダイヤモンドは使った事あるけど、クリスタルはないかも。透明で、確かに素敵な宝石よね」
「青みがかってるのが好きでして」
「青って素敵よね」
「げほげほっ、なんのしごとを?」
「それ訊いちゃう?」
「駄目なら結構です」
「いいえ。……普段は言わないけど、一緒に唄遊びで遊んでくれたから教えてあげる。歌手よ」
「歌手?」
「ええ」
「すごい。グループですか?」
「いいえ。ソロよ」
「レコードは? よかったら買って聴きますわ。げほげほっ。部屋がしんとしてるのがおちつかなくて」
「あはは。……アタシのレコードはなかなか高価よ? でも、最近不調でね」
「ふちょう?」
「言葉が思いつかない。……歌詞が書けなくなったの」
「スランプ?」
「……そうよ。……前までは歌う事が楽しかった。アタシの想いを吐き出せるから、……心に秘めた喜怒哀楽を吐き出すの。気分転換に色々遊び回ってみたわ。コンサートも開いてツアー巡りに夢中になってみた。……だけど……歌詞が書けない」
「……たいへんですね」
「この結婚はね、このままアタシが落ちていかないように、姉さんが計画した事なの。姉さんはアタシのマネージャーをやっててね」
「だから受け入れたんですか?」
「受け入れたふり。……本当は愛のない結婚なんてごめんよ。でも、結婚すれば安泰。権力で物事が動くわ。歌詞は別の誰かが作って――作曲して――編曲してもらって――アタシは歌ったふりをする。それでアタシはまた一躍スターになるってからくり。……国に着いたら結婚式が行われる。この船は、アタシにとって奴隷船同然よ」
人々の笑い声が耳に入ってくる。
「……それ、ずびびっ、人に言ってだいじょうぶなおはなし?」
「他人のあなただったから言えたのかも。アタシ、友達は作らないようにしてるから」
「はあ」
「この世界、人を信用しちゃいけないのよ。それに、……別れる時、辛くなるから」
「はっくしゅん!」
「……話を聞いてくれてありがとう」
「……こちらこそ、かいわできてよかった」
「レコード、あなただったら無料で渡すわよ」
「お金には困ってません。げほげほっ。きちんとお支払いします」
「うふふ。……ね、この後、部屋に戻る前にアタシの部屋に来ない? スイートクラスだから、あなたの部屋より温かいと思うわよ」
「……」
あたしのこと、三等室クラスとでも思ってるのかしらね。
(ま……、気分も良くなってきたし……)
歌手ね。レコードを買っておけば、いざという時、レコードを買ってくれた素敵なお嬢様っていう印象がつくでしょう。印象を残しておくのは大事な事だわ。
「ええ。ぜひ行ってもいいかしら」
「ええ。喜んで招待するわ」
「ただ、その、……あたし、かぜひいてるけど」
「構わないわ。おいで」
「ええ。それならぜひ」
あたしはアイマスクを取った。女もアイマスクを取った。あたしは振り向いて女を見た。そこに、
――因縁の女が座っていた。
「……」
女があたしに笑みを見せた。
「あら、あなた、変わった目の色してるのね」
「……」
「くすんだ赤色って見たことない。青より素敵だわ。気に入った」
「……」
「一回水を飲んだ方がいいわね。顔色悪いわよ」
女が手を上げた。
「すみません。そこのクルーさん」
「はい」
「この子にお水を。アタシは……ワインを」
「かしこまりました」
あたしに水が渡された。
「ゆっくり飲んで。立ち上がるのはいつでもいいから」
女が足を組み、優雅にワインを飲んだ。
「……」
あたしは水をごくりと飲んで、……声をかけた。
「あの」
「ん?」
「あなた、アマンダってなのってたけど」
「ええ」
「ほんみょう?」
「いいえ」
「はっくしゅん! ずびび!」
……。
「イザベラ?」
「あら、知ってたの?」
その姿は決して肉だるまではなく、細くてすらりとした理想ボディ体形。女が羨むような体を持つイザベラが、にんまりと笑った。
「そうよ。スランプ中の歌姫、イザベラ・ウォーター・フィッシュとは、アタシのことよ」
イザベラがワインを飲んだ。
「よろしくね。ニコラ」
そう言って、あたしのグラスとワイングラスを軽く、カチンと当てた。




