第16話 誘惑の花(3)
カタンと、音が鳴った。
「……?」
誰かが塔に入ってきたらしい。あたしは立ち上がり、ろうそくが灯る塔を歩く。こんな時間に誰かしら。バドルフ? クレア?
あたしはゆっくりと玄関に向かって歩いていくと、マントを被った誰かが扉の前に立っていた。
「……?」
立ったまま、動かない。
「……あの……」
声をかけると、誰かがふらりと揺れた。
(えっ)
そのまま、地面に倒れる。
「ちょっ」
慌てて駆け寄り、肩を叩く。
「あのー!?」
(なんか不審者が倒れたわ! ホームレス!? こういう時は、冷静に、人を呼ぶのよ!)
あたしは手を叩いた。
「ドロシー!!」
「もっと他にいるだろ」
ドロシーがあたしを見下ろしていた。
「ソファーまで運んで。この人、体が大きくて、か弱いあたしには持てないわ。お前が運んで。ほら、早く」
「……待って。なにか持ってる」
ドロシーが膝を付き、手を取った。ガラスの入れ物に、
美しい花。
それを見て――あたしとドロシーが真顔になり、慌てて見下ろし、マントを退けた。
現れたのは、ボロボロになったリオンだった。
「レオ!」
思わず声が出て、ドロシーを見上げる。
「ド、ドロシー!」
「テリー、花が優先だ!」
「あ、え、えっと、これね!」
ガラスの入れ物を掴むと、その手を掴まれた。はっと見下ろすと、リオンがジャックの瞳の色で、目を見開いていた。
「……ジャック?」
「ニコラ」
口が動く。
「気ヲツケロ」
目が動く。
「目ノ前ニイルゾ」
ジャックが震える。
「メノ、マエニ、前、前ニ、目ノ前ニ花が花ガ目ノ前ニタクサンノ花ガ」
「ジャック、何があったの。レオは?」
「ケケケケケケケケ!!」
「ねえ! レオは!?」
ジャックが笑う。
「ケケケケケゲゲゲゲゲゲ!!!」
ひとしきり笑って――満足すれば――また、くたりと脱力した。
「ちょっと、ジャック!」
「テリー、僕が見ておくから、花を!」
「……っ!」
ドロシーに言われ、ガラスの入れ物をしっかり持ち、急いで地下に駆け込む。扉を開けると、お風呂上がりのメニーにクラブとスペードが変な水槽を見せて自慢していた。
「これは精子細胞の実験体でしてな! 女の子の細胞から取って変化させたものです! これが上手くいけば女同士の同性愛者も子供が……」
「クラブさん! 博士!」
三人があたしを見た。ガラスの入れ物に入った花を見た。二人が一斉にあたしに寄った。
「「ラプンツェルだ!」」
声を揃えて、スペードとクラブがガラスの入れ物を受け取り、鍋に入れた。
「これでぐつぐつ煮込んですり潰して調味料をぱぱっとな!」
「準備は出来てますぜ! 博士! とかなんとかってね!」
あたしは小さな桶に氷と水を入れ、タオルを詰め込んだ。メニーに振り返る。
「メニー、手伝って!」
「うん!」
メニーが扉を開けて、あたしが階段をのぼる。一階に戻って見渡すと、ソファーに運ばれたリオンと、その周りをうろうろしているドロシーがいた。あたしが走り、メニーが走り、リオンを見てはっとした。
「……リオン様?」
「ええ。今、戻ってきたのよ」
リオンの顔の泥を拭う。少し綺麗になった。桶の水が泥だらけになっていく。頬は切れ、肌は荒れ、手は傷だらけ。つんとするような汗の匂い。
「メニー、水を変えてきて」
「わかった」
メニーが泥だらけになった桶を持って地下へ急ぐ。ドロシーがリオンの額に手をそえた。
瞼を閉じ、唱える。
「閉じ込められたお姫様。待つのは一人の王子様。二人は必ず結ばれる」
手から緑の光が放ち、リオンを包んでいく。そして、ぼんやりして、消えていった。
「……とりあえずは大丈夫かな」
「何があったの?」
「記憶をゆっくり遡りたいけど、メニーがいるからね」
メニーが走ってきた。桶ではなく、布の袋を持っている。
「お姉ちゃん!」
メニーが袋を見せた。
「薬!」
あたしは目を見開く。
「スノウ様の薬がこれだって! 届けに行かないと!」
あたしは立ち上がり、外に出た。誰もいない。いるのは、リオンが乗ってきたであろう馬だけ。
「……」
「お姉ちゃん、急ごう!」
「あんた、ここにいなさい」
「え」
あたしは手を差し出す。
「リオン様のこと見てて」
「お姉ちゃんは?」
「走ったら遅くなるでしょ」
もう、時間はない。
「久しぶりの乗馬だわ。楽しそう」
「お姉ちゃん、それで行くの?」
「メニー、いいこと。頼んだわよ」
薬をメニーから奪い、馬に走る。
「お、お姉ちゃん!」
馬を優しく撫でる。
「お疲れのところ悪いわね」
馬があたしを見た。
「はじめまして。あんたに乗ってた男の妹よ。ね。あとでたくさんニンジンをあげるから、もう少しだけ頑張ってくれる?」
あたしは馬に乗り、もう一度なで――足で蹴った。馬が鳴いて走り出す。縄をしっかり掴み、薬を握り、メニーを塔に残し、あたしは馬を蹴る。馬が走る。青い薔薇で包まれた道を通り、噴水のある庭まで走り、物静かな城が見えてきた。
あたしはさらに蹴った。馬が走る。物静かな城に兵士が並んでいる。あたしが乗る馬を見てぎょっとして。
「おどき!」
馬が兵士の間を通る。石の道を駆け、橋を渡る。また兵士がぎょっとした。メイドが馬に乗ってるんだから、スパイか何かだと思うわよね。怒られるのは後だ。
「おどきなさい!」
怒鳴って、馬を蹴る。馬が兵士を飛び越え、扉の中へ走る。広いエントランスホールを駆けていけば、階段が現れる。ここまでよ。
縄を引いて馬を止める。馬が止まったのを見て、そそくと下りて、馬を撫でる。
「どうもありがとう。後で報酬をあげるわ」
そして、走り出す。階段を一気にのぼり、とにかくスノウ様の部屋を目指す。廊下を走り、また階段。駆けて、走り、のぼって、ふらついて、靴を脱ぎ捨て、走る。
(あと何分?)
時間を見ている暇はない。兵士が廊下に立っている。あたしは走る。兵士達がぽかんとした。廊下に兵士が並んで立っている。てめえら立ってるだけなら走りなさいよと言いたくなったけれど、もうとにかく必死にあたしは走る。外に出た。夜風が当たる。兵士達が並ぶ。あたしはよそ見をして、スノウ様の部屋の窓を眺めていた兵士達の間をくぐった。
「あっ!」
「誰だ! 貴様!」
兵士達が追いかけてくる。しかしなぜかしら。ドロシーが何かしたのかしら。足の遅いあたしが、追いつかれることはない。足が軽い。振り向かないでそのまま走る。リボンが取れた。あたしのまとまった髪が乱れていく。階段をのぼり、ぐるぐる回って、走り、また中へと入る。兵士が廊下の隅に立って並んでいた。汗だくのメイドのあたしを見て、眉をひそめた。
大きな扉は開けられ、廊下には色んな貴族が立ち、ロゼッタ様がいて、グレゴリー様がいて、バドルフがいて、あれ、バドルフが二人いるわ。そんなこと気にせず走り、身長が高くて助かった。見覚えのある美しい背中に突っ込んだ。背中の人物がビクッと肩を揺らしてあたしに振り向く。
「ソフィア!!」
全力で手を出す。
「持っていって!!」
薬を差し出すと、リトルルビィとソフィアがきょとんとして――何を言う前に状況を把握し、すぐさまその袋を掴んで走り出した。膝から崩れ落ちると、リトルルビィに支えられた。
「テリー!」
「……っ」
あとは運に任せるのみだ。ソフィアが部屋に入ると、部屋の中が慌ただしくなった。あたしの視界がぼんやりしていく。息ができない。呼吸が苦しい。肺まで届かない。
「テリー! 薬を持ってきてくれたのね! ありがとう! もう大丈夫よ!」
あたしはリトルルビィにしがみつき、浅い呼吸を繰り返す。リトルルビィがあたしの背中をなでる。けれど、呼吸は浅くなって、早くなって、息を吸わないとって思って、方を揺らして、ひたすら呼吸を繰り返せば――大きな手が、あたしの背中をなでた。
「テリーや」
聞き覚えのある、しわがれた声。
「もう大丈夫だよ。お前のおかげだ」
あたしの背中を大きな手がなでる。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
服にしがみつく。
「治るよ。これで毒が消える。もう大丈夫」
部屋から歓声が聞こえる。王妃様万歳。
「まだ様子を見ないとな。急変するかもしれん」
あたしの背中をなでる。
「とりあえず、峠は超えたようだ。……もう大丈夫だよ」
――あたしの呼吸が、深くなった。肺まで行き渡り、脳まで届き、ようやく、落ち着いて、脱力する。
「……」
「うん。どうやら間に合ったようだ。リオン達が帰ってきたのか?」
「……」
あたしはゆっくりと顔を上げた。あたしの前には、バドルフではなくて、笑顔のビリーがしゃがんでいた。
「テリーや、リオンはどこだい?」
「……間に合ったの?」
訊くと、じいじがゆっくりとうなずいた。そう。間に合ったのね。ああ、よかった。これで、あたしもリオンも助かるんだわ。
ほっと息を出せば――鼻の奥がつんと熱くなって、ぽたりと垂れた。リトルルビィの目がギラリと光って、反応した。
「きゃっ!」
「おっと、いけない。鼻血が出ている」
「テリー、頑張ったのね。もう大丈夫よ」
「おい、先生、医者をこっちにも寄こしてくれ」
「おや、どうしたんだい。……テリー?」
「薬を持ってきてくれたんだ。慣れない運動をして、鼻血が出たんだろう」
「なんてことだ。大丈夫かい?」
バドルフが顔を覗き込んできた瞬間、頭に鋭い痛み。
「んっ」
「テリー?」
「あたま、が」
あたしはリトルルビィにしがみつく。
「じいじ、あたま」
「テリー?」
「なに、これ」
「おじいちゃん、なんか、テリーの様子が変!」
リトルルビィがあたしの顔を覗き込む。
「テリー? テリー!」
「あたま、が……」
その時、何かに殴られたような痛みが起こった。
「っ」
あたしはリトルルビィの胸に倒れる。
「テリー!?」
「先生、医者を!」
「おい、ロザリーが薬を持ってきたと……」
「クレア、どきなさい!」
「いてっ」
「……テリー?」
ソフィアが駆け寄ってくるのがぼんやりと見えた。クレアは、立ち尽くしたまま。
「おい、どうしたんだ? ロザリー?」
「テリー!」
ソフィアが呼びかけてくるけれど、もう、返事をできる体力が、ない。
闇に、包まれていく。
未来が、消えていく。
スノウ様が死ぬ未来が消えていく。
城下町が荒れていく未来が消えていく。
人々が絶望する未来が消えていく。
泥にまみれる人の未来が消えていく。
『あたし』一人が残される。
「これで未来は変わるのね」
「よかったわね」
「ご満足?」
「でも」
「あたしはずっと残ってる」
「あたしはあたしのままで」
「このまま生き続ける」
「みんなから記憶を失くしたって」
「あたしはずっと残ってる」
「いいこと?」
「これは二度目なのよ」
「だから選択できるんだわ」
「一度目のあたしは、選択なんてできなかった」
「ただ目の前のことを」
「リオン様を」
「見つめ続けた結果」
「あたしは死んだのよ」
「いいわね」
「二度目のあたしは」
「羨ましいわ」
「二度目の世界に生まれ変わって」
「正解の道ばかり辿って」
「あたしの記憶が残ったまま」
「いいわね」
「あんたは幸せ者ね」
「ニクスが生きてて」
「メニーからも好かれて」
「家族は仲良しで」
「それは、あたしの記憶があったから出来たことでしょう?」
「ねえ」
「あたしの人生は踏み台だったの?」
「ねえ」
「返してよ」
「あたしの未来、返してよ」
「メニーを返してよ」
「あの子を返して!」
「返して!!」
「どうせ嫌いなんでしょう!?」
「だったらあたしに返して!」
「あたしの妹、返してよ!」
「メニーまで奪わないで!」
「返してよ!」
「あたしの未来を返して!」
「あたしの死は、あたしの生きた結果なのよ!」
「あたしの人生だったのに」
「二度目のお前は幸せで」
「どうして一度目のあたしは不幸なのよ!」
「そんなのおかしいじゃない!」
「あたしの人生があったのに、それをふまえて、死んで生まれ変わって違う世界でやり直さないと上手くいかないなんて」
「そんなの、命がいくつあったって足りないじゃない!」
「返してよ!」
「あたしの人生返してよ!」
「返して!」
壁を叩く。
「返して!!」
あたしが崩れ落ちる。
「あたしの人生、なんだったの?」
あたしは見下ろす。
「あたしが見たものも、憧れたものも、想いも、過ごした時間も、全部、二度目の世界のための踏み台だったの?」
あたしは笑った。
「あはは」
笑う。
「あはははははは!」
人生とは上手くいかないものだ。
「あははははははははははは!!」
涙が、伝った。
「なんて理不尽な世界なのかしら」
「でも信じてるわ」
「あたしの王子様が現れるの」
「そして、あたしを幸せにしてくれるの」
「あたし、信じてるわ」
ギロチンが、あたしの首を切った。ころころ転がったあたしの首をあたしが見下ろす。一度目のあたしは信じて微笑んでいる。二度目のあたしは信じることを諦めて無表情。
幸せなのはどちらだろう。
(*'ω'*)
悲鳴が聞こえた。今日はメイドのようだ。手を伸ばして落ちていく。
(*'ω'*)
――目を覚ます。視界はぼんやりしている。明るい。朝だろうか。今何時だろう。ここはどこだろう。かたん、と音が聞こえた。
目を向けると、メニーが花瓶を取り替えていた。
(あ)
メニーが花瓶を置いた。まあ、素敵な花。
「どこの花?」
メニーが驚いたように振り向いた。
「綺麗ね」
呟いて、いつものように。
「新しいのを飾って。その花は花瓶ごと、『リサイクル』に出してちょうだい」
「お姉ちゃん!」
メニーが駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
あたしは眉をひそめた。お姉ちゃん? 何言ってるのかしら。メニーったら。『お姉様』の間違いでしょう?
「……」
――いや、間違いではない。
あたしはこの女に殺されたも同然だ。恨みが蘇ってくる。
「……寝ぼけてたみたい」
「お姉ちゃん?」
「大丈夫よ」
お前があたしにやったことを思い出したから、もう大丈夫。触らないで。
「……メニー、ここは?」
「……エメラルド城」
「エメラルド城……?」
聞いて、はっとして、慌ててシーツを退けた。ネグリジェを着せられている。あたしは青い顔でメニーを見上げた。
「どうして、エメラルド城になんかいるのよ!」
「それは……!」
「キッドが連れてきたのね!? あたし、ここにいることがばれたのね! いやああああああああああああああああああああああああ!!!!」
「お姉ちゃん、おちつ……」
「もういやあああああああああああああああ!!!」
「……」
「いやあああああ! やああああ! ああああああ! ……あっ、なんか喉が痛い! メニー、あたし、喉が痛くなったわ! キッドの行動に対する悪寒から出た悲鳴で、あたしの喉が傷められたわ! 酷い! キッドのせいだわ! キッドがあたしの美しい喉を傷つけたんだわ! こんなのひどすぎる! 絶望よ! ああ、あたしなんて可哀想なの!!」
「……水飲む?」
「あんたは良い子ね。メニー。愛してるわ。持ってきて」
「うん」
メニーが水をグラスに入れ、あたしに渡した。
「はい」
「ありがとう」
ごくりと飲んでいる間に、メニーがベッドに座った。
「昨日の夜のこと覚えてる?」
「メニー、おかわり」
「はい」
「あんたは良い子ね。メニー。愛してるわ。ありがとう。……昨日の夜?」
「そう。お姉ちゃんが薬を持って走った、昨日の夜のこと」
「……」
あたしはグラスを口から離した。
「間に合ったの?」
「スノウ様、考えられないくらい容態が良くなったんだって。奇跡の回復らしいよ。今朝、もう大丈夫ってお医者様が仰ってたって、リトルルビィが」
「……そう」
未来が変わった。
「リオン様は?」
「まだ塔だと思う。……お姉ちゃんが馬に乗った後、物知り博士とクラブさんがリオン様を診たんだけど、……とても、動ける状態じゃないって。意識も戻らなくて、あの状態で、どうして塔までこれたかも不思議だって」
「……栄養失調?」
「わからない。ただ、物知り博士が言ってたの」
――これは呪いだ。
「……」
「何があったんだろう? ただ、ラプンツェルって花を摘みに行っただけなのに」
「……リオン様のお付きの騎士達は?」
「戻ってないんだって」
塔に来たのは、リオンしかいなかった。
「メニー」
ということは、
「キッドはどこ?」
メニーが静かに首を振った。
「戻ってない」
夏の風が窓から吹いた。
「戻ってきてないの。キッドさん」
「……」
「ビリーさんと、あと、バドルフさんっていう人が塔に来てね、それから私もこっちに来たんだけど、馬とか、帰ってきた痕跡とか、色々探してるんだけど、いつリオン様が戻ってきたかもわからないんだって」
「……どういうこと?」
「帰ってきたら、門番が気付くはずでしょう? でも、リオン様は門の前に現れなかった。どこからともなく現れて、戻ってきたの」
「そんなわけない」
ジャックは悪夢の力を持つ。人は殺せても、移動させることなんて出来ない。
「でも、事情を聞こうにも、リオン様はもう動けない状態だし、お姉ちゃんは倒れちゃったみたいだし……」
「……」
「ビリーさんがひとまず、ここで休めって。着替えも用意してくれたの」
あたしはネグリジェを見る。
「それで、目が覚めたら、クレア姫様のお部屋に来てほしいって」
「お姫様の部屋?」
「話があるって」
「……」
「お姉ちゃん、私もついて行くよ。心配だし」
「……あんたはここにいて」
あたしはベッドから下りた。
「お姉ちゃん」
「呼ばれたのはあたしでしょう?」
「……そうだけど」
「メニー、ここにいて。ほら、本もある。ここで読んでるといいわ」
「メイドがサボってると思われちゃうよ」
「どうせ誰も来ないわよ」
あたしは新しい制服に着替える。
「いい? あたしが戻ってくるまで、ここにいて」
「……わかった」
「すぐ戻るわ」
扉を開ければ、静かな廊下。
(……クレアの部屋はどこかしら)
あたしは廊下を歩き、辺りをきょろりと見回す。
(人の気配を感じない。みんなどこにいるの?)
「テリー」
振り向くと、気品あふれるドレスを着たリトルルビィが立っていた。あたしに手を振る。
「ルビィ」
「おはよう」
「おはよう。……クレアに呼ばれてるって聞いたんだけど」
「うん。……気配がしたから、迎えに来たの」
「ありがとう。連れて行ってくれる?」
近付くと、リトルルビィがあたしを胸に抱き寄せた。
「……」
大きくなった背中を叩く。
「ルビィ」
「テリー」
可愛い声で、呟く。
「何もなくて良かった」
「大袈裟ね。……ちょっと疲れただけよ」
「……」
「大丈夫よ」
大きくなった背中を撫でる。
「大きくなったわね。トールルビィ」
「……リトルだもん……」
一瞬だけ力をこめて、あたしを抱きしめ、すぐに離れる。
「……ゆっくり歩いていこう? ちょっとでも具合が悪かったら言って」
「ありがとう。大丈夫よ」
身長は伸びたけど、それ以外は何も変わらないわね。あんたはあたしの可愛いリトルルビィだわ。
(あと、そうね。……少し胸が大きくなったわね)
リトルルビィが大きくなるんだもの。あたしだって大きくなるわ。あたし、信じてる。
リトルルビィに、とても奥の人気のない廊下の、もっと奥の扉に導かれる。リトルルビィがノックをした。
「ルビィです」
扉が開いた。ビリーがドアノブを掴んでいる。リトルルビィを見て――あたしを見て、にこりと微笑んだ。
「おはよう。テリー」
「……おはよう」
「入りなさい」
綺麗な部屋の中で、ソフィアが壁に立ち、リトルルビィが椅子に座り、クレアが机に肘をつき、部屋の中心に立つあたしに目を向けた。
「ご機嫌よう。ロザリーちゃん」
否。
「ミス・テリー・ベックス」
不気味に輝く青い目に、あたしは軽くお辞儀をした。
「ご機嫌よう。お姫様」
「お前に頼んでいた塔の掃除の件だが、いや、実に綺麗になっていた。感動するほどだ。お前に頼んで正解だった。バドルフも感動していたぞ。ほんの一部とは言え、一日でよくあそこまで綺麗に出来たほどだ。お前の偉大な功績をたたえようじゃないか」
「そんな話をしたくて、あたしを待ってたの?」
「嫌か? それでは話題を変えよう。今日のランチのメニューは何かな?」
「知らない」
「そうか。それでは話題を変えよう。結婚式はいつかな」
「くたばれ」
「くくっ、そんなに睨まないで? テリーちゃん。あたくし達、とても仲良しのお友達じゃない」
「……スノウ様、間に合ったのね」
「ああ」
クレアが背もたれにもたれた。
「メイドを乗せた暴走馬がいたと聞いた。乗馬がお上手ですこと。お陰で間に合った。それについては、お礼を言おう。どうもありがとう」
「問題はそこからよ。キッドが戻ってないと聞いたわ。どこにいるの?」
「キッド」
クレアが不審な笑みを浮かべた。
「……キッドか……。キッド。キッド。キッド。そうね。きっと、彼は、……何かに巻き込まれたのかもな」
「巻き込まれた?」
「ロザリー人形とかくれんぼしてるとか」
「は?」
「だって、ロザリー人形はすでに動いてるんだもん。使用人、貴族、研究者、医者、議員、誰でも構わずかくれんぼして遊んでる。だから、あの宮殿には人がいない」
あたしは眉をひそめた。
「……何の話?」
「急にぱったりといなくなるんだ。昨日まではいたのに、翌日になったら、人だけが、もぬけの殻になっている。夜のうちにさなぎになって、綺麗なチョウチョになって、空に飛んで行ったのかもしれない。ロザリーはそれを回収して、またさなぎを探して一緒に遊ぶの。ああ、怖い怖い」
(……?)
「クレア、何の話?」
「挙げ句の果てに、リオンの誕生日に母上が毒を盛られた。犯人は未だに見つかっていない。父上は今朝、門を閉鎖し、完全に犯人をこの王宮の中に閉じ込めることを決めた。例えどんな大事な用があったとしても、犯人が出てくるまでは城下へ出入りすることは許されない。さて、いつまで続くかな? 半年後かもしれないし、一年後かもしれない。もしかしたら、永遠に犯人は出ず、閉鎖されたままかもしれない」
「……」
「お前とメニーは塔の掃除をして、功績を遺した。実に素晴らしい。あたくしは、褒美に、お前達が望むなら、外に出してやろうと思っている」
クレアの口角が下がった。
「今、決めろ」
クレアがあたしを見つめる。
「残るか、出て行くか」
――王宮が閉鎖される。
(リオンが戻ってきたのに)
どうして?
(また繰り返されてる?)
どういうこと?
(スノウ様は助かった。リオンも戻ってきた)
気をつけろ。目の前に花が。
(ジャックはあたしに何を言いたかったの?)
まだ何か終わってない。
(メニーと帰る?)
終わってない所に、ニクスを残すわけにはいかない。
「あなたの言いたいことは、つまり、こういうことでしょう?」
例えどんな大事な用があったとしても、犯人が出てくるまでは城の外へ出入りすることは許されない。
「王宮の閉鎖を解除するには、スノウ様に毒を持った犯人を見つければいい」
「さーあ? あたくし、そんな無理難題をメイドになんか言わないさ」
「犯人はまだいるのね?」
「さあ? あたくしにはわからない。か弱いお姫様だから」
クレアがにこりと笑った。
「ただ、あたくしの勘だと、こう言っている。まだ終わってない」
「ええ。まだ終わってないわよ。結婚破棄の話は、キッドが戻ってきてない以上、何の進展もない。一緒に働いてる友達の夏休みだって、まだ終わってない」
あたしは凛と背筋を伸ばす。
「閉鎖なんて、すぐ終わるわ」
「そうだろうか?」
「ゴーテル陛下は気まぐれなのよ。心配性なの。リオンが回復して、正義のヒーローもどきのキッドが帰ってきたら、すぐに解除するわ」
「それで? お前はどうするの?」
「何言ってるのよ。呆れるわ」
あたしは一歩下がった。
「あたし、今日は出勤日なの。メニーを連れて帰るわ。マールス宮殿には、人手が足りないんだから」
「そうか」
クレアが微笑むのを見て、あたしは頭を下げる。
「失礼いたします」
「ロザリーちゃん」
あたしは扉を開ける。クレアがにやりとした。
「とっても足が速くなったわね」
――あたしは無言で扉を閉めた。
部屋が静まり返る。ソフィアが、リトルルビィが、ビリーが、クレアを見た。
「ああ、ようやくつまらないあたくしの人生に、花が咲いてきた」
クレアが足を組んだ。
「なんて面白いのだろう。愛おしい弟が帰ってこないだなんて。ああ、キッド、恋しいわ」
ソフィアが冷たい目をクレアに向けた。
「リオンは意識不明。ああ、心配だわ。リオン、キッド。恋しい弟達」
リトルルビィが冷たい目をクレアに向けた。
「くくっ」
ビリーが窓を見た。秋に近付く夏の空。
「あっはははははははは!!」
クレアがとてもおかしそうに、上げた顔を押さえて笑った。




