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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
六章:高い塔のブルーローズ(前編)
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第14話 優雅な休日(1)


 雲一つない晴天の下で、お腹の中がねじれ、頭がくらくらして、重力がいつも以上にあたしにのしかかってくる。あたしは真っ青な顔で言った。


「あたし、死ぬ」

「ロザリーが体調不良で休みますって、伝えておくね」

「……」

「しょうがないよ。テリーは生理重たいんだから」

「……でも、ニクスも、生理中に、ちゃんと、働いてたわ。あたしだけ、休むわけには……」

「顔が怖い。大丈夫だから」

「痛い……。お腹痛い……」

「トロさんに食べやすいものを作ってもらうよう伝えておくよ」


 ニクスがあたしの頭を撫でた。


「休憩時間に戻ってくるから」

「……うん……」

「ちゃんと寝てるんだよ?」

「わかった……」

「休憩室に行ったら、トロさんとロップイさんがいるから。何かあったら頑張って行って」

「うん……」

「じゃあ、行ってくるね」

「……」

「……もー……」


 ニクスが屈んだ。


「痛いの痛いの飛んでいけ」


 あたしの額にキスをした。少し安心する。


「じゃあね」

「……うん」


 ニクスが微笑み、部屋から出て行く。部屋の中が静かになる。


(あー。お腹痛い。怠い。無理。あたし死んじゃう)


 丸くなる。


(あー。もう駄目。あたし、死ぬんだわ)


 あたしは瞼を閉じる。


(あー)


 爆睡。


「とんとん! 失礼します!」


 誰かが入ってきた気がした。


「ロップイ! 見てごらん! ロザリーが寝込んでるよ! 可哀想に! ニクスの言ってたとおり、美味しいスープを作ってあげたから、ロザリーを起こしてあげないと!」

「……」

「ロザリー! 起きて! スープだけでも飲んで、栄養つけないと!」

「……ん……」


 目を開けると、トロがトレイをあたしの机に置き、その後ろでロップイが黙ったまま石同士を叩いて音を鳴らしていた。


「野菜スープだよ! これを飲んで、元気になって! うふふ!」

「……すみません。助かります……」

「とんでもない! あ! トレイは余裕のある時に返してくれたらいいからね! 今日は安静にしてて!」

「ありがとうございます……」

「お大事に!」


 トロとロップイが出ていった。あたしはベッドから抜け出し、机の上でスープを飲む。ああ、美味しい。女神様、美味しいスープに感謝します。ここにはキッドも来ない。ゆっくり過ごせますわ。スープはあっという間に空になった。


(寝よう……)


 あたしはもう一眠りしようとベッドに入った途端、――外から弦楽器の音が聞こえた。


「……」


(下手くそなヴァイオリンの音ね……)


 あたしはゆっくりと瞼を上げた。


(ゆっくり寝られやしない……)


 体が自然と起き上がる。窓から顔を覗かせる。


(……)


 どこかの庭だわ。


(……下手くそ……)


 あたしはネグリジェを脱いだ。



(*'ω'*)



 木に囲まれた庭。まるで植物園のよう。綺麗な噴水と小池に囲まれて、セーラがヴァイオリンを弾いていた。



 ナターシャ。ナターシャ。私の思い出。

 君は走り回る可愛い子。

 私は君を追いかけてばかり。

 君は可愛いナターシャ。私の思い出。

 初恋の女の子。

 ナターシャ。ナターシャ。私の好きだった子。

 君を忘れてしまう私を許して。 



 メトロノームに合わせて、セーラの指が動いていくが、必ず一定のポイントでつまづいてしまう。そのたびにセーラの演奏が止まった。セーラがしばらく硬直して、たぶん、考えているのか、止まって、またやり直す。やり直したらうまくいく。でも、繋げたらうまくいかない。まるで言葉のよう。短い言葉は言えるのに、長い言葉になるとどこかで噛んでしまうような現象。セーラは指を動かす。弓で弾く。しかし、また同じところで間違える。


「そういう時は、メトロノームを止める」


 セーラがはっとして、メトロノームを止めたあたしを見た。


「指が追いついてないのよ。そういう時はゆっくりから練習するの」

「あんた、なんでここにいるのよ! メトロノームに触らないで!」

「あなたのヴァイオリンがうるさくて部屋から出てきたのよ。もっと心地良い音色出せないの?」

「生意気なこと言わないでくれる!? わたしは、公爵家の娘の、セーラ……」

「貸して」

「あっ」


 あたしはヴァイオリンを奪い取る。セーラが手を伸ばした。


「何するのよ!」

「ここね。わかる。ここ難しいわよね」


 譜面を確認して、弓と指を動かす。セーラと違う音が出る。セーラが息を呑んだ。


「ん」


 ヴァイオリンを返すが、セーラは受け取らない。あたしはさらに押し付ける。


「……やってみなさい」

「どうせ下手くそだもん」

「練習すれば上手くなるから」

「ならないもん」

「ほら」

「もうやだ。そんなヴァイオリン、お前にあげる。いらない」

「拗ねないの」

「すねてないもん」

「……ちょっと座りなさい」

「なんで座らないといけないのよ!」

「座りなさい」

「……」


 セーラがあたしと噴水の縁に座る。俯くセーラにあたしは体を向ける。


「大抵の人は、ゆっくり練習してから、どんどんテンポに合わせていくの。あのね、すぐに完璧に弾けるようになる人なんか、そうそういないのよ」

「……わたしは、才能があるから、他とは違うって、……お母様が」

「そりゃあ言うわよ。あたしのママだって言ったわ。あなたは他の子とは違う。素晴らしい音色だわ。きっとプロにもなれる。新聞記者がこぞってあなたに夢中になるわ。ラジオの方々からオファーがくるかもねって」

「……」


 セーラが眉をひそめた。


「それ、わたしも言われた……」

「テレビがあなたに夢中になるかもね。テレビを見た方々があなたに夢中になるかもね」

「言われた!」

「でも実際どう? 上手い人なんてね、いっぱいいるのよ。何が才能よ。あたし達みたいな普通層はね、才能がある人間になんて勝てやしないのよ。だって奴らは才能があるのにさらに努力しやがるんだもの。むかつくじゃない」

「才能があるなら、そこで止まっていればいいのよ!」

「そうよ。才能があるなら、才能に頼って生きていけばいいんだわ。努力が才能に勝るなんて言葉は、所詮、まだプロの数の少なかった昔の人が考えた言葉なのよ。あのね、無理よ。どんなに努力したって、才能がある奴には勝てない。だって、もう吐き出すほど才能に恵まれて、努力した人の数がいるんだもの。それを、同じようにやったって、昔の人達よりも何倍も本気でやらないと無理よ。たかが趣味のためにそこまでしろっての? あたしは嫌よ。面倒くさいじゃない」

「……」

「そう思わない?」

「……」


 セーラが顔をそむけた。


「愚痴と言い訳をする人間は、行動に移さないだらけた人間だ、って、キッドお兄様が言ってた」

「うるせえ、ばーか。って言っておきなさい」

「まっ! お下品な言葉!」

「愚痴と言い訳はどうして出ると思う? 自分なりに頑張ってるのに結果にうまく結びつかないから口から言葉がつい出てしまうのよ。いいじゃない。愚痴くらい言ったって。あのね、愚痴なんか言わないほうが自分の将来のためだよ、言っちゃだめ、なんて綺麗事を言う奴がいたら、中指立ててくたばれって言っておきなさい。あたし達がどれだけ苦労しても、結果に結びつかないこのもどかしい思いを知らない奴らが、そんな綺麗事をのべるのよ」

「……キッドお兄様は、愚痴を吐く前に行動しろって言うわ」

「セーラ様、キッド殿下のことはお気になさらず。あの方は才能に溢れている努力家ですわ。あんな野郎くたばればいいんだわ」

「まっ! お下品な言葉!」

「愚痴も文句も言っていいのよ。ただし、誰もいないところで言いなさい。聞かれたらそれはただの悪口になるから。悪口しか言えない哀れな女と思われないためには、誰もいないところで、壁に向かって言うのよ。そして、表ではあたしはそんな汚い言葉を吐いたりしない女ですわよって顔で歩くの。そしたら誰も何も言わない。評価も下がらない。ね。それが今の時代の女としてのたしなみよ」

「……」

「はい」


 ヴァイオリンを差し出すと、今度はちゃんと受け取った。


「ヴァイオリンは嫌い?」

「わかんない。お母様にやれって言われてるから、やってるだけだもん」

「歌うほうが好き?」

「音楽なんて眠くなるだけよ。わたし、絵を描いてるほうが好きなのに」


 セーラがうつむいて、頬をふくらませた。


「どうして、マーガレットは好きなことができて、わたしはしちゃだめなの?」

「マーガレット様は何が好きなの?」

「あの子、歌うのが好きなの。だからお母様が音楽をやりなさいなんて言ったんだから。わたし、やだって言ったのに」

「そう」

「いつだってそう。お母様はマーガレットに優しいの。でもわたしには厳しいの。年上なんだから、年下には優しくしなさいって言うの。でも、お母様は厳しいの。ねえ、どうして? お母様はうんと年上じゃない。どうしてわたしに優しくしてくれないの?」

「それはね、セーラ様。年上って、人生を少しでも長く生きているでしょう? あなたはマーガレット様より長く生きているから、マーガレット様よりも、早く物を覚えたでしょう? 経験する早さが、あなたのほうが先だから、わかってるあなたは、わかってない年下に、人生の先輩として、優しくしてあげなさいっていうことなのよ」

「そんなの不公平よ!」

「そうね。不公平ね。でも、お姉ちゃんってそういうものよ。何でもかんでも最初だから、ずる賢くないと絶対に失敗してしまうの。下の子は、それを見て学ぶから、失敗が少なくなるの。だって、怒られてるところを見てるんだもの。そりゃ、失敗は少なくなって、良い子ちゃんになるわよね。逆に、上の失敗を見てないと、二番目が苦労することになる。だいたい姉妹ってそうでしょう?」

「……不公平よ……」

「おとぎ話でよくあるでしょう? 三番目の妹は大抵利口で、王子様と結ばれる。姉達は失敗に失敗を重ねてるからひねくれてしまったのよ。ね、あなたもそうなりたいの?」

「わたしは、ひねくれてないわ! とっても良い子よ!」

「マーガレット様には謝ったの?」

「……」


 セーラが再び俯き、ヴァイオリンを強く握りしめた。


「ほんの、いたずらだったんだもん。……背中押したら、マーガレットが転んで、屋根に引っかかったの……」

「すぐに人を呼んだんでしょう? 偉いわね」

「そうよ。わたし、すごく偉いのよ。いっぱい使用人達に声かけて、走ったのよ。でも、そしたら、なんか、すごく大騒ぎになっちゃって、兵士達の手も、全然マーガレットに届かなくて、誰も助けられなくて、そしたら、なんか、……また、怒られるから……」

「……」

「……ああなると、思わなかったんだもん……」

「……もう屋根にのぼっちゃだめよ。マーガレット様にも言っておいて。年上のお姉ちゃんとしてね」

「……」

「……時間があれば、ヴァイオリンの練習くらいなら付き合うわ。あたしも少しやってるのよ」

「……」

「ゆっくりからでいいから、弾いてみなさい」


 背中を優しく押すと、セーラが立ち上がる。譜面の前まで歩き、ヴァイオリンを構えて、最初から弾いていく。


「セーラ様、テンポが早い」

「……これくらいだもん」

「ゆっくりでいい。一つ一つ、ゆっくり弾いていくの。べーの音は?」

「……」


 セーラが弾く。


「ツェーは?」


 セーラが弾く。


「デー。エー。エフ。ゲー。アー。ベー」


 セーラが弾く。


「ほら、いけるじゃない。素敵な音色」

「……こんなの、誰だってできるもん……」

「最初から弾いてみなさい。素敵な音色弾けるのに、もったいぶらないの」

「……その言葉遣いは、何よ……」


 セーラがぽつりと言った。


「わたしは、公爵家の娘のセーラよ。どうしてお前はわたしの名前を知ってて、わたしはお前の名前を知らないの?」


 セーラがヴァイオリンを下げて、あたしを見上げた。


「生意気よ」


 セーラがむっとした顔で見つめてくる。


「名前、教えなさいよ」

「ロザリー」

「……」


 セーラが目を逸らした。


「そうだった。ロザリーって名前だって、クレアお姉様が言ってた。そうだわ。お前はロザリー」

「呪いの人形のロザリーが来るかもしれないわね」

「……」

「怖い?」

「あのね、わたしを誰だと思ってるの? わたしは、セーラ様よ。怖いものなんてないんだから!」


 セーラが黙った。風が吹いて、びくっと肩を揺らして、あたしを再び睨んだ。


「本当よ!?」

「わかったから、続きを弾いてごらんなさい。……ゆっくりね」

「……生意気なメイドが……。いいわ。……弾いてやるわよ。弾けばいいんでしょう? ……ふん」


 セーラがゆっくり、ヴァイオリンを弾き始めた。



(*'ω'*)



 意識が戻ると、良い匂いが鼻をかすんだ。重たい瞼を上げると、ニクスがトレイを持ってあたしに気付いた。


「テリー、おはよう」

「……ん」

「服が置いてあるけど、一回起きたの?」

「……今、何時?」

「14時」

「……ちょっとだけ散歩してたの……」


 起き上がる。


「ランチは?」

「あたしは食べた。これはテリーの分」

「……朝も食べたから、食欲無い」

「テリー、ちゃんと食べて」

「……」

「トロさんが玉子スープ作ってくれたんだよ。はい」

「……」

「もう、しょうがないな」


 ニクスがあたしのベッドに座り、膝にトレイを置いた。そして、スープをスプーンですくって、ふう、と息を吹いて、あたしに差し出した。


「はい、あーんして」

「……あーん」

「……美味しい?」

「……うん」

「うふふ。テリーの将来の旦那さんは苦労するね。月に一回はテリーの看病してあげないと」

「そうよ。だからキッドは無理なのよ」

「あ、でも、お姫様になったらメイドがいるのか」

「たかがあたしの世話如きに、メイドの手を煩わせるような真似はしないわ」

「今、あたしの手を煩わせてるのは誰かな?」

「ニクスは友達だもの」

「そう来る?」

「ニクス、ちょうだい」

「はいはい。あーんは?」

「あー……」


 その瞬間、サイレンが鳴った。あたしがぎょっと部屋を見回して、ニクスが扉に振り向いた。


「大変だ。クレア姫様がまた抜け出したっぽいね」

「メイドの休憩時間を潰す気? あのお姫様、どういうつもりよ」

「あたし、行かなきゃ」

「え」


 ニクスがトレイを机に置いた。


「テリー、ちゃんとスープ飲むんだよ」

「行っちゃうの?」

「だって、みんな探しに行ってるから」

「あたしの看病はどうするのよ?」

「テリー」

「あー、お腹痛くなってきたー」


 あたしはベッドにごろんと転がった。


「もーだめー」

「我儘言わないで」

「あたし死んじゃうかもしれないわよ。どうするのよ」

「……」

「死んじゃったらニクスのせいよ。あー、体だるーい」


 影が濃くなった。


(ん)



 ――上からニクスに抱き締められた。



「……そんなこと言わないで?」


 耳元に、ニクスの声が響く。


「テリーが死んじゃったら、あたし、悲しくて、寂しくて、いっぱい泣いちゃうよ」


 ニクスの手があたしを捕まえる。


「だから、死なないで?」


 頭を撫でられる。


「わかった?」

「……はい……」

「うん。良い子だね」


 ニクスがあたしの頬に唇を押し付けた。柔らかなキスをされる。


「テリーはここで休んでてね」

「……うん……」

「すぐ戻るから」

「……うん。わかった……」

「待ってくれる?」

「……待ってあげなくも……ないわよ……」

「行ってくるね」

「……待ってる……」


 ニクスの手がゆっくりと離れて、もう一度あたしの頭を撫でて、勢いよく部屋から出た。廊下からコネッドが叫ぶ声が聞こえた。


「ニクスー! 虫取り網だべさ!!」

「どこに行くの!?」

「とりあえず、東!!」


 ばたばた走るメイド達の足音を聞きながら、あたしはそっとシーツを掴んだ。


(に、ニクスに、ぎゅってしてもらっちゃった……!)


 親友に!!


(い、良い匂いがした!!)


 あたしはシーツに潜る。


(あたし、ここで待ってる!! ずっと待ってる!)


 あっ。


(スープ飲んでおいたら、ニクスが喜ぶかもしれない)


 ――ちゃんと飲めて偉いね。テリー。


「……けっ!」


 あたしの体が起き上がった。


「別に、ニクスのためじゃないけど」


 あら、不思議。なんか急にお腹が減った気がするー。

 あたしはスープを飲む。皿が空になる。


「ふん!」


 また横になる。


「別に、ニクスのためじゃないけど!?」


 トレイの乗った皿は綺麗に置かれている。


「違うけど、お腹が空いたのよ! それだけよ!」


 誰もいない部屋で独り言を言いながら、体を丸める。


(ああ、体が重い……。薬飲まなきゃ……)


 がちゃりと扉が開いた。


(あれ?)


「ニクス? もう戻ってきて……」


 振り向くと、メイドの格好をしたクレアが立っていて、あたしはその場でずっこけた。


「あんた、何してるのよ!」

「おー。元気そうだな」

「また抜け出して! 早く仕事に戻りなさい!」

「お前の体調が悪いと聞いてな、迎えに来てやった。感謝しろ」

「な、何よ。あたしに何するつもりよ!」

「何をするつもり?」


 クレアが太もものベルトから銃を取り出した。


「こうするつもり」


 銃がくるんと回った。持ち手があたしに向けられた。


(えっ)


 乱暴に振り下ろされた。


「っ」


 体がベッドに倒れ、そこから、あたしの意識は無い。



( ˘ω˘ )











 ――ざわつく家の中。


 ――人の談笑する声が響く。


 ――あたしは歩く。


 ――見つけて、階段の前に立つ。




「婚約、いつ解消するのよ」




 階段に座るキッドが、苺ケーキを食べながらあたしを見た。


「明日で18歳でしょ」


 青い目があたしを見る。


「そろそろ、本気で結婚相手見つけた方がいいわよ」

「結婚ねえ?」


 キッドがケーキを飲み込んだ。


「テリーは結婚したくないの?」

「将来する」

「じゃあ、今しようよ」

「お前とは嫌」

「つれないな」


 キッドが隣を叩いた。


「おいで」

「……」

「お前のケーキが溶けるぞ」

「……ケーキは溶けないわよ」


 キッドの隣に座った。フォークを刺して、苺のケーキを大きな口で頬張る。口の中が一気に甘くなる。……美味。なんだか視線を感じて横を見ると、キッドが微笑ましそうにあたしを見て口角を上げていた。


「……何よ」

「別に?」

「……ふん」

「……好きな人は出来た?」

「出来ない」

「じゃあ、俺を好きになって」

「嫌よ」

「で、結婚しよう」

「残念。あたし、まだやりたいことがたくさんあるの」

「やっていいよ」

「お前と結婚したら、全部失うわ」

「失わせない。お前がやりたいなら、満足するまでやるといいさ。いたければベックス邸にずっと居座っても良い。この家に居座ったっていい。大切な時に城にいてくれたらいいんだから」

「そんなの最初だけよ。謁見とかするんでしょ?」

「ま、……お姫様になるからね」

「嫌よ。あたし、人見知りなの」

「人見知りでも大丈夫。俺が側にいるから」

「あたしは嫌」

「テリー」


 キッドが苺をフォークに刺した。


「もし結婚してくれるなら、この苺をあげる」

「キッド」


 あたしが苺をフォークに刺した。


「もし婚約解消してくれるなら、この苺をあげる」

「嫌だね」

「あたしだって嫌よ」

「ちぇっ」


 キッドがあたしのフォークの苺を咥えた。もぐもぐ噛んで、味わって、飲み込む。


「婚約解消はしないよ。お前に好きな人が出来たら別だけど」

「……」

「食べる?」

「……」

「しょうがないな」


 クリームを追加する。


「これならどうだ? ほれ」


 あたしは無視して自分のケーキを食べる。


「つれないな」


 キッドが自分で食べた。


「うん。甘くて美味い」


 キッドが微笑んだ。


「テリーとずっとこうやって過ごせたらいいのに」

「じいや、トランプってどこ?」

「キッドの部屋にあるよ」

「ありがとう!」


 階段にリオンが走ってきた。


「ちょいと失礼!」

「うわっ」


 リオンがあたしの横を跨った。


「レオ!」

「ごめんって。トランプを取りに行くんだよ」

「ケーキに泥がつくでしょ!」

「そんなとこで食べてる方が悪いんだろ。それともなんだ? つけてほしいのか? ほれほれ」

「ちょっとやめてよ!」

「リオン」


 キッドがにこりと笑った。


「斬るぞ」

「……お前が言うと冗談に聞こえないんだよな……」

「冗談じゃない。斬るぞ」

「……ニコラにそんなにべったりするなよ。嫌がってるだろ」

「トランプ取りに行くんだろ? 早く行け」

「ニコラ、あとで遊ぼうよ」


 リオンがキッドの部屋に駆けていく。あたしはリオンの背中を睨んだ。


「はー……」

「こっちおいで」


 キッドがあたしの腰を掴み、自分の方へ引き寄せた。


「ちょ、狭い」

「こうしないと、またリオンが上から下りて来るだろ」

「あいつ、反動で明日、具合悪くなるわよ」

「大丈夫だよ。病室はベッド以外何もないから」


 キッドがあたしに皿を差し出した。


「ねえ、テリー。俺、片手が使えなくなっちゃった」

「あたしの腰から手を離したら使えるわよ」

「そしたら、お前は離れるんだろ?」

「生クリームだらけの口で吐息をかけてこないで」

「テリー、食べさせて」

「自分でやりなさい。もう子供じゃないんだから」

「子供だよ」


 キッドが微笑む。


「じいやからしたら、俺達はみんな子供だ」

「そういう屁理屈はいいから」

「テリー、生クリームが食べたい」

「あんたね、さっきから大口で食べすぎよ。だから口の周りにクリームがつくのよ」


 ポケットからハンカチを取り出す。


「クソガキが」


 悪態をつくと、キッドが顔を寄せてくる。口元を拭けば、キッドの頬が緩んだ。


「テリー」

「ん」


 片手でハンカチを畳む。


「好き」

「あたしは嫌い」


 ポケットにしまう。


「テリー」

「うるさい」

「テリー」

「もうお前のことは好きにならない」

「ねえ、キスしよ?」

「離れなさいって」

「テリー」

「離れてください」


 階段の下で、微笑んだメニーがキッドを見上げていた。


「お姉ちゃんが嫌がってますので」

「……」


 キッドがにこりと笑った。


「メニーがそう見えるだけじゃないかな?」

「へぶしゅっ!」


 二階でリオンがくしゃみをした。


「ああ、窓が開いてる。ジャックか?」

「お姉ちゃん、こっちでチェスやろう?」

「テリー!」


 リトルルビィが顔を覗かせた。


「抱っこしてぇー!」

「はいはい」


 あたしは立ち上がる。


「リトルルビィ、あんた春で13歳になるのよ」

「まだ12歳だもん!」

「もう」

「テリー、プディング食べる?」

「ちょっと、ソフィア、あんた、わかってるじゃない……」


 階段を下りようとすると、手を掴まれた。


(ん?)


 振り返ると、キッドがあたしを掴んで離さない。


「……」


 あたしを捕まえる。


「どこ行くの?」


 キッドの青い目があたしを見上げる。


「行かせないよ」

「離して」

「お前は俺のものだ」


 あたしは赤いドレスを着ている。


「テリー、愛してる」


 キッドがあたしの手を引っ張った。あたしを抱きしめ、胸の中に閉じ込める。


「愛してる」


 きつく、抱き締められる。


「もう離さない」


 キッドが微笑んだ。


「永遠に」



 キッドの大きな手が、あたしの頭を優しく撫でた。



「愛してるよ」


「テリー」


「俺だけ」


「俺だけを見て」


「他は何も見なくていい」


「俺はお前の王子様」


「お前は俺のお姫様」


「それでいいじゃないか」


「幸せになろうよ」


「……」


「何も見るな」


「俺だけを見ていろ」





「そうすれば、幸せになれるから」






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