第2話 波乱の舞踏会(4)
――人々が静まり返る。
ダンスホールの中心で、リオンとニクスが向かい合う。お互い、一礼。手を触れ合わせて、指を絡めて、リオンの手がニクスの腰に、ニクスの手がリオンの肩に、お互いを見つめ合い、心地のいいクラシック音楽が流れて、踊り始める。レディ達が悔しそうにニクスを睨む。しかし、ニクスの視野にはリオンしか映っていないし、リオンもニクスだけを見つめる。
二人は華麗にワルツを踊る。
(歴史が変わったわね)
一度目の世界では、リオンは誰にも興味を示さなかった。おそらく、ずっとぼうっとしていたのだと思う。薬の副作用で、眠そうにしていた。その顔が美しいと人々に言われ続け、違和感を持つ者は誰もいなかった。
しかし、その中で見つけた美しいメニーが目に留まり、リオンが動いたのだ。初めて、最後に、彼と踊ったのがメニーだった。
(それが、今ではニクスが踊ってる)
頬なんか赤らめて、うっとりとリオンを見つめているニクスがいる。
(……)
手すりをぎゅっと握り締める。握り締めすぎて、あたしの手が震え始める。
――どうしてリオンと踊ってるの?
(そんなの、メニーと踊らせたらいいのよ)
――どうしてそんなに笑ってるの?
(ニクス、笑わないで)
――どうしてそんなに楽しそうなの?
(あたしといる時の方が楽しいでしょう?)
――そんな笑顔、見たことない。
(ニクス)
足につけている金の帽子のアンクレットに願う。
(どうか、ニクスが転びますように)
ニクスがリオンの足を踏んで、ふらりとよろけた。
(あはっ! やった!)
扇子の裏側で口角を上げる。あたしが歓喜すれば、ニクスが顔を青くした。リオンがくすりと笑い、ニクスの腰を掴んで、抱き上げて、くるりと回った。
「っ」
回った瞬間、ニクスのドレスがなびかれ、まるで、雪のようにリオンの前に下り立つ。見ていた人々が黙った。踊りが続けられる。また、テンポを刻む。ニクスが恥ずかしそうに、小さな声でごめんなさいと言えば、リオンが気にしないでと言って笑った。
(……)
――あたしは、何やってるのよ。
(……レオの言う通りだわ)
親友を束縛して蹴落として、あたしは悪い奴。
(……)
でも嫌なものは嫌なのよ。胸がむかむかするのよ。もやもやして、そんな顔しないでって思うのよ。あたしだけに笑顔を向けていればいいのよ。向けてくれないなら、向けている相手の前で恥ずかしい目や、酷い目に遭えばいいと願ってしまうの。だって、貧乏でぼろぼろだったニクスと先に仲良くしたのはあたしなのよ? なのに、どうして、今さら、周りがニクスと仲良くしたいとかほざいてるの?
(ニクスはあたしの親友よ)
ねえ、親友でしょう?
(笑わないで)
楽しそう。
(笑わないで)
リオンと踊るニクス。
(ああ、もう見たくない)
人々をかき分け、バルコニーの方へと逃げる。みんな、王子様のダンスへと目をやり、バルコニーの奥は人気が無かった。そこへ立てば、目の前には綺麗な夜景が広がった。風が吹けば前髪が揺れる。後ろから美しいクラシック音楽が聞こえる。
「……」
深く、深く呼吸をする。
(わかってる。こんなの友達失格よ)
ニクスは、きっとすごく楽しんでる。今夜は、彼女にとって忘れられない思い出となるだろう。
(……それを嫌に思うなんて)
あたしは扇子を閉じて、手すりに腕を下ろした。ため息を吐いて、吸って、またため息を吐いて、頬杖をついた。
「最悪。お気に入りのヒールでアリでも踏みつぶした気分」
「そう? 俺は最高だよ。美しい模様のクモを見つけた気分」
(……)
あたしは顔をしかめる。目が、ゆっくりと隣を見て、上に上がっていく。
――月の光に照らされたキッドが、見惚れてしまうほど美しく微笑んでいた。
「こんばんは。テリー・ベックス」
あたしはすぐさま手すりから離れ、扇子を広げて口元を隠して、一歩下がった。
「これはこれは、キッド殿下。ご機嫌うるわしゅう」
「なに、その固い挨拶。お前に似合わないよ」
「いいえ。殿下に無礼を働くわけにはいきませんので。挨拶くらいは固くさせていただきますわ」
「緊張で体も固くなっているようだ。どうでしょう。ここは私が一つ、面白いジョークを吐いて、あなたの緊張をほぐすというのは」
「ジョークは間に合ってます。殿下の存在自体がジョークですもの」
「それ褒めてるの?」
「けなしてるのよ」
キッドに背を向ける。
「失礼致しますわ」
「待って」
手を掴まれて、キッドの前まで引っ張られる。まるで自分の女扱いにイラっとして、掴まれた手を振る。
「離して」
「いいよ。話そうよ」
「違う。そっちの『はなして』じゃない。あたしはこの手を離せと言ってるのよ」
「こうしないとお前はどこかに逃げるから」
「当然よ。お前なんかと話してる時間がもったいないわ」
「もったいないなら、戻れば?」
明かりのついた会場の中では、リオンとニクスが踊っている。キッドが笑顔で手を離して、肩をすくめさせた。
「……」
美しいクラシック音楽がバックBGMのように流れている。キッドがあたしから視線を逸らさない。何でもお見通しと言いたげに見つめてきて、それが気に入らなくて、せめてもの抵抗として、あたしは睨む。
「……あたし、あんたのそのすかした青い目が嫌いなのよ」
「ああ、そう。……で? 戻らないの?」
キッドがにやりと口角を上げた。
「俺の手は、もうお前を掴んでないよ」
クラシック音楽が響く。
「今宵のニクスは綺麗だな。リオンが踊りたくなる気持ちも分かる」
キッドがあたしに近付いた。
「テリー」
耳元で、囁かれる。
「二人で、ちょっと風に当たろうよ」
くくっ。
「俺も少し疲れちゃってさ。付き合ってよ」
「……」
「おいで」
不気味なほど優しく肩を抱かれ、バルコニーの奥に連れて行かれる。少し、音楽が遠くなる。
「……」
何も喋らない。夜景だけが広がる。風が吹けばキッドとあたしの髪が揺れた。人気は無い。外は、非常に静寂で、静かな夜。キッドが息を吸った。
「テリー、誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
「何歳だっけ?」
「15歳」
「そうだ。15歳だ」
「……何よ」
「別に?」
キッドが手すりにもたれた。
「似合うね。そのドレス」
「……ん」
ドレスをつまむ。
「本当は黒いドレスで来る予定だったのよ。ニクスの髪の色に合わせようと思って。でも、……ママのサプライズプレゼントなのか、あたしが間違えたのか、これが届いちゃって」
深い深い、どこまでも底を知らない深い、紅色。まるで紅の海のような色。
「ねえ、こっち向いて」
キッドにそっと手を握られ、優しく引っ張られる。体をキッドに向かされる。頭からつま先まで見られる。キッドの視線が動く。腰、胸元、鎖骨、肩、首、顎、――唇。
キッドがにこりと微笑んだ。
「うん。本当だ。すごくよく似合ってる。これまで見てきたものよりも、一番お前に似合ってる」
「……このドレス、着心地もいいの。鏡を見た時、自分でも思ったわ。サイズもぴったり。髪の色も気にすることなく着られる」
「まさに運命のドレスだな」
「それは大袈裟」
「くくっ。相変わらず手厳しい」
――クラシック音楽が止まった。遠くから沸き起こる拍手の音が聞こえる。
(……終わったのね)
胸から息を吐く。
「……」
足がまだ動かない。
「……」
拍手の音が聞こえる。
(……)
あたしは扇子をぎゅっと握りしめる。
「キッド」
「ん?」
キッドが瞬きする。
「人を妬む人間なんて、ろくな人間じゃないわ」
「……どういう意味?」
「結婚するなら、妬み深いレディはやめた方がいいってこと」
「どうしてそう思うの? ヤキモチって可愛いじゃん。俺のことが好きすぎて機嫌悪くなるんだろ? くくっ」
キッドがあたしの顎をつまんだ。
「テリーはいつになったら、俺を想って嫉妬してくれるの?」
「お前なんかにはしない」
「それは残念」
「……人生の後輩として、お前に訊くわ」
「なんなりと」
キッドの手を顎から離して、顔を逸らした。
「……嫉妬って、したら、むしゃくしゃするでしょ?」
「ああ」
「どうやったら治る?」
「……解消じゃなくて、治し方?」
「解消したって、結局残るじゃない」
「まあな」
「胸のもやもやを残したくないの」
「一体、お前は誰を想って嫉妬してるんだ?」
「ニクス」
「ああ、バルコニーに逃げてきた辺り、そんなことだろうと思ったよ。お前、友達ばかだもんな」
「……気付いてて声かけてきたの?」
「テリー、女の落とし方を知ってるか? 心が傷ついて、ナイーブになっている時にそっと優しい言葉をかけてやるんだ。そうすれば、いちころ」
「さようなら」
「待った」
「触らないで」
「質問に答えてない。その回答をしてからでも遅くはない」
「何が遅くないよ。お前に関わってしまった時点でもう手遅れよ。あたしはね、その遅れを取り戻そうとしてるの。邪魔しないで!」
「姫君は親友が取られてお熱高めのようだ。もし私があなたの立場ならば……」
キッドがあたしの手を両手で包み、頬に寄せて、天使のように微笑んだ。
「こうする」
「……何よ。頬を撫でてくださいっておねだりでもしろって言うの?」
「手を握るふりをして、捕まえて、離さない」
「お前に訊いたあたしがばかだった」
「でも、そうだろ? そうしないと安心しない。ずっと苦しいままだ」
「……キッドの場合はなんか違うのよね」
手を引けば、簡単にキッドの手から抜け出せた。あたしの言葉にキッドが首を傾げる。
「ん? 違うって何が?」
「あんたのは束縛して制限するっていうより、逆に自由にさせるのよ。そうね。近いところで言えば、部屋に置いて、ここで自由にのびのびと暮らしていいよって言うタイプ。……人はね、それを『監禁』と呼ぶのよ」
「何言ってるんだか。俺、いつお前を監禁した?」
「常に」
「勘違いするな。俺は平和主義。監禁なんて悪趣味は持ち合わせていない。考えてもみろ。お前の行動を見ているのは、見張りを付けてる時だけだろ?」
「なんでつけるのよ」
「お前がふらふらして、夜中出歩いたり、精神重症患者のレオ君と二人きりで遊びに行ったりするからだ」
「……いつの話してるのよ」
「テリー、麗しのキッド殿下に嫉妬してもらえるなんて、とってもありがたいことなんだぞ? 光栄に思うがいい」
「何が光栄よ。ばかばかしい」
風が吹いて、木々が揺れる。
「ママが言ってたわ。王子様に気に入られなさいって」
「ちゃんと言った? あたし、みんなのキッド殿下の婚約者なのよって」
「言うわけない」
「言えば良かったのに」
「ニクスとアリスにも訊かれた。結婚はいつだって」
「そう」
「キッド」
「ん?」
「わかってるでしょう?」
「んー」
「そろそろ、頃合いよ」
夏虫の鳴く声が耳に響く。
「貴族として、結婚ってすごく大事なものだって、あんたも理解してるでしょ」
「まあね」
「だったら、お互い、相手は本気で考えた方がいいわ。いつまでもこんなごっこ、続けられない」
あたしはキッドを見上げる。
「この舞踏会、あんた達の花嫁探しだなんて噂もたってるくらいよ。ね、キッド、これは元々、名前だけって契約だった」
キッドに必要なものは婚約者だった。あの頃と比べたら、キッドは、それはそれは素敵な王子様に成長した。今、彼に必要なものは、彼にとって、ふさわしい結婚相手。
「キッド、国を持つ男はね、結婚してようやく王になれるとも言われてるのよ」
つまり、
「キッドは王様になりたいのでしょう? 正直、それだけは賛成よ。リオンよりもキッドの方がふさわしいと、あたしも思ってる。だったら、なるべきだわ。ふさわしい相手も、ちゃんと考えて見つけるの。それこそ、19歳の誕生日が来る前に」
「くくっ。だから貴族っていいんだ。話が早くて」
キッドが手すりに体重を乗せた。
「俺も、その話がしたかったんだ」
キッドがあたしの顔を覗き込んだ。
「俺も同意見。そうだよね。いつまでもこんなの続けられない」
「……ええ」
「流石、テリー。俺の考えをよく汲み取ってくれた」
野望。夢。ふさわしい相手。
「そう。俺はもう大人の仲間入りだから、ふさわしい相手が欲しいんだ。それは婚約者じゃない。結婚相手だ」
キッドがあたしの背中をぽんと叩いた。
「だからさ、今夜で最後にしようと思って」
「……最後?」
「そう。最後」
「……それは、つまり……」
ゆっくりと言葉を吐き出して、確認する。
「婚約解消……?」
「そうと決まれば、準備をしないと!」
キッドがにやりとして、あたしの手を掴んだ。
「おいで! テリー!」
キッドが走り出す。
「今宵は、めでたい婚約解消の記念日だ!」
引っ張られて、バルコニーを駆け走り、二階の踊り場へと戻ってくる。一階のホールの中心部にはまだリオンとニクスが残っていて、スノウ様が熱いコメントをしていた。
「若々しい素晴らしいダンスでしたわ!」
「テリー」
無邪気な笑みを浮かべたキッドがあたしに向かい合い、両手を握ってきた。
「お前が婚約者になってくれて、俺はとても救われた。王位継承権を与えられ、国王就任まであと一歩だ。今まで、本当に色んなことがあったな。我儘で傲慢なお前との日々、なかなか楽しかったよ。忘れられないほど」
でも、それもおしまいだ。
「お前も15歳。大人の一歩階段をのぼってしまった」
もう、お遊びは出来ない。
「テリー」
キッドが息を吸い――唄った。
出会ったあなたは幼い子
出会い続けた幼い子
出会って変わった幼い子
いつの間にやら愛しい子
目が離せない愛しい子
魅力に魅入られ恋しい子
私はあなたに恋をした
私はあなたに愛を唄った
恋から愛を
愛から恋を
テリー・ベックス
私のテリー
愛しいあなただからこそ
この想いを告げましょう
キッドが胸ポケットから婚約届を取り出し、勢いよくろうそくのある方へ飛ばした。婚約届が燃えていく。あたし達の鎖がなくなった。
「残念ながら、婚約はここまでだ」
あたしはキッドを見つめ続ける。キッドの目は本気だ。だからあたしも、本気で、彼との最後の時であることを感じた。
(色々あった)
あたし達は成長して、子供から大人に切り替わる。
「キッド……」
「テリー」
キッドが微笑む。
「今までありがとう」
キッドの口が動く。
「これからは」
キッドが跪いた。
「私の『妻』として、側にいてください」
――その言葉だけが、会場内に響き渡った。
リオンが見上げる。ニクスが見上げる。メニーが見上げる。アメリが見上げる。スノウ様が見上げる。ゴーテル様が見上げる。クロシェ先生が見上げる。
会場内にいる全員が、とてもよく見える二階の踊り場を見上げた上で、キッドが幸せそうに微笑んだ。
「愛してます。テリー・ベックス」
あたしの顔が真っ青に染まる。
「永遠の愛を、ここに誓いましょう」
キッドは両手を離さない。
「私の心は全てあなたのもの」
キッドが視線を外さない。
「だから」
青い目が光る。
「あなたの全てを、私にください」




