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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
265/590

第18話 11月1日


 12時。



 あたしはトランクケースの中身を確認する。


(……忘れ物はない)


 ちらっとクローゼットを見る。


(服は……)


 ――置いていきなさい。また必要になるかもしれないからな。


(……もう必要にならないことを祈るわ)


 トランクケースに蓋をする前に、中に入っているケビンとセーラを見つめる。


(……少しの間、窮屈になるだろうけど、我慢してね。引越し先はとっても広いお屋敷よ。これからもずっと一緒よ。ケビン。セーラ)


 そして、チラッと、もう一つ、持って帰るドレスを見つめる。


(……これは普段着用ね)


 キッドから貰った、誰かのお下がりのワンピースドレス。


(普通に可愛い。これは屋敷でも着よう)


 蓋をする。トランクケースを持ち、リュックとジャケットを持つ。


「よし」


 ドアノブをひねる。開ける前にもう一度部屋を眺める。


(……一ヶ月、世話になったわ)


 牢屋よりも狭い部屋。でも比べ物にならないほど明るい部屋。


(ありがとう。お陰で過ごしやすかった)


 あたしは扉を開けた。廊下に出る。


「テリー」


 下からキッドが階段を上ってきた。


「ご飯食べていくだろ?」

「食べる」

「貸して」

「持てる」

「いいから貸せ」


 キッドにトランクケースを奪われる。


「……軽いな」


 キッドがきょとんと呟いて、下に下りる。あたしも階段を下りてリビングに行くと、じいじがテーブルにパンとチーズとスープを並べていた。


「食べなさい」

「整理しててお腹空いた」


 あたしはソファーに荷物を置いてから椅子に座る。キッドが隣に座る。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」

「ます」


 握った手を離し、パンに手を伸ばす。キッドがチーズをナイフで切り取った。


「ほら、テリー」

「ん」


 パンの上にチーズを乗せて、あたしの口に入っていく。


(……美味)


 もぐもぐ食べていく。


「……あ、そうだ」


 ポケットに手を突っ込ませ、テーブルに置く。


「じいじ」

「ん?」


 手を離す。この家の鍵が置かれる。


「これ返すわ」

「持っていればいい」

「……あたしが?」

「ここはお前の家でもあるんだ」


 じいじが微笑む。


「何かあったらいつでもおいで」

「……」

「ニクスだって、またいつか来るのだろう?」

「……ん」

「私達が留守だったら、お前が案内してやらないといけない」


 じいじが頷いた。


「持っていなさい」

「……あの、じゃあ……」


 鍵をポケットにしまう。


「持っておく」

「そうしなさい」

「……じいじ」

「ん?」

「また来てもいい?」

「いいよ。いつでもおいで」

「お泊りも?」

「ああ。美味しい夕食を用意しておこう」

「……ん。じゃあ……」


 あたしも頷く。


「また、時間がある時に」

「ああ。おいで」


 じいじが微笑む。あたしはほんのり頬を赤らめてパンを食べる。

 キッドがじーーーーーーーーっと見てくる。


「……俺が誘っても、二度と来ないって言うくせに……」


 拗ねた顔でパンを頬張った。


「じいや、この子悪い子」

「……悪い子じゃないもん」

「じいや、この子、嘘つき」

「それはあんたでしょ」

「俺、嘘つきじゃないもん」

「キッド、ジャム取って」

「ん」

「ありがとう」


 パンにジャムを塗る。美味しそう。食べてみる。ああ、やっぱり美味だわ。じいじの手作りジャムはたまらない。


「テリー、チーズは?」

「食べる」


 キッドにパンの上に乗せてもらう。パンを頬張る。もぐもぐ頬が動く。キッドがあたしに訊いた。


「今日、どうやって帰るの?」

「乗合馬車」

「迎えは?」

「別に呼んでない」

「呼べばいいのに」

「面倒じゃない。いちいち」


 帰れるなら乗合馬車でも何でも使って帰るわ。

 キッドがパンを飲み込んだ。


「じゃあ、停留所まで送るよ」

「いい」

「じいや、いいだろ?」

「私も行こう」

「いいわよ。別に」

「最後だしのう」


 じいじが微笑む。


「テリー、行ってもいいかい?」

「……いいけど」

「ほら」


 キッドが苦い顔であたしを見た。


「じいやには素直になるくせに、俺には手厳しい。あーあ。俺、ショックだなあ」

「ご馳走様」


 立ち上がり、皿をお湯の溜まった洗面台に入れ、洗面所に行って歯を磨く。口の中が泡だらけになる。水でゆすいで、ぺっ、と吐きだす。


(うん。綺麗だわ)


 完璧。


 あたしは前髪を確認して、リビングに戻った。




 13時。停留所。




 帽子を深く被るキッドとじいじに送ってもらう。乗合馬車が来る。


「それではな。テリー」

「じいじ、ありがとう」


 じいじを抱きしめる。


「……また遊びに行くから」

「ああ、おいで」

「絶対行くから」

「ああ、待ってるよ」

「じいじのご飯が好き」

「ああ。ありがとう」

「楽しかった」

「そうじゃのう」

「あのね、じいじ」

「テリーや」


 じいじがあたしの肩を掴んで、優しく引き離す。


「ほら、もう行かないと」

「……ん」


 そのまま乗合馬車に乗ろうとすると、キッドに肩を掴まれた。


「おい」

「ちょっと離してよ。行っちゃうでしょ」

「お前、俺に挨拶は?」

「……」


 あたしは眉をひそめ、別れを言う。


「さようなら」

「馬鹿」


 キッドがあたしの腕を引っ張った。


(ん?)


 ちゅ、と唇が重なった。


(ふひっ!!)


 慌てて離れる。


「おま!」

「お別れのキスだよ」


 キッドがにんまりとして、あたしの背中を押した。


「ほらほら、行った」

「お前!」

「はい、さようならー」

「ど畜生が!」


 あたしは乗合馬車に乗る。窓から見下ろす。キッドが帽子を深く被って微笑む。じいじが手を振る。


「……」


 あたしは手を振る。


(じいじ)


 あたしはじいじを見つめる。


(ありがとう)


 乗合馬車が動く。窓を眺める。じいじが手を振る。あたしは窓を眺める。じいじとキッドが見えなくなる。車輪が回る。馬が引いていく。あたしの体が揺れる。他の乗客達も揺れる。


(……帰れる……)


 あたしは無事に生きて帰れる。


(……やっとだわ)


 長かった。


(短かった)


 たったの一ヶ月。されど一ヶ月。とても濃厚な一ヶ月だった。


(帰れるのよ)


 乗合馬車が進んでいく。








「あいつさ」


 キッドがビリーを横目で見た。


「親友のアリスとキスをしてたんだよ」

「ほう」

「ねえ、じいや、これは浮気に入ると思うんだ」

「友達ならいいじゃないか」

「俺がやだ」

「心の狭い奴は嫌われるぞ」

「俺、当たり前のこと言ってると思うんだ」

「ああ、そうでしたのう」

「見た? あいつ。俺のこと無視して乗ろうとしてた」

「そうですのう」

「あー、もう、イライラする」

「近いのでは?」

「……それもある」

「家に帰ったら、紅茶でも淹れましょう」

「じいや、あれが婚約者だよ。どう思う?」

「嫌なら解消すればいい」

「するわけないだろ」


 キッドが歩き出す。


「あいつ以外いないよ」


 ぼそりと呟いて、キッドが歩く。ビリーが微笑み、少しむくれ顔のキッドの後ろを歩き始めた。




(*'ω'*)





 14時。ベックス邸。夫人の部屋。




「テリー」


 ギルエドとクロシェ先生が見守る中、あたしは部屋の中心の椅子に座って、腕を組むママを見る。


「一ヶ月、よく頑張りました」


 ママが頷く。


「これからは、もう反抗なんてしてはいけません。もっと貴族として弁えて行動するように」

「……はい」

「それと、例の爆発事件に巻き込まれたそうね。病院には行ったの?」

「……腕のいいお医者様が見てくれたわ」

「そう」

「はい」

「他に、何か言うことは」

「……暴れてごめんなさい」

「よろしい」


 ママがあたしに背中を向けた。


「お下がり。部屋で休みなさい」

「はい」


 あたしは部屋から出る。扉を閉めてから5秒後、部屋からクロシェ先生の安堵の息と、ギルエドによる拍手が聞こえてきた。


「奥様! テリーお嬢様のあの立派なお姿、見られましたか!」

「お黙り、ギルエド。私は、テリーならやり遂げると信じていたわ。そうでしょ? クロシェ」

「そうですね! 奥様! ふふっ! これで悪夢に悩まされずに済みそうですわ!」


 三人の会話を聞いて、うんざりしながら息を吐く。扉から離れ、とことこ階段を上る。掃除していたメイドがあたしの顔を見てはっとした。


「まあ、見て! テリーお嬢様だわ!」

「まあ! テリーお嬢様ですわ!」

「ご無事でしたか!」

「お帰りでしたか!」

「ええ。ただいま」

「お帰りなさいませ!」

「お帰りなさいませ!」


 あたしは廊下を歩く。


「テリー、お帰りぃー」


 横からアメリが小突いてきた。


「一ヶ月、反省の旅はどうだった?」

「疲れた。もう休ませて」

「テリー、ちょっと聞いてよ」

「何よ」

「私、昨日デートした彼と付き合うことになったの」

「ああ?」


(アメリの彼氏?)


「あんた、彼氏出来るの何人目だっけ?」

「馬鹿! 今回の人は今までと違うのよ!」

「はいはい。騙されないようにだけ気を付けて」

「ふふ! 羨ましいのね! ま、しょーがないわよねー! あんな素敵なダーリンに会えた私を羨ましがらない方がどーかしてるんだからー!」


(くたばれ)


 三階。あたしの部屋の前に立っていたサリアがお辞儀した。


「お帰りなさいませ。テリーお嬢様」

「ん」

「ご機嫌よう。アメリアヌお嬢様」

「ご機嫌よう。サリア」


 サリアがあたしに微笑んだ。


「お荷物は部屋に置いておきました」

「ありがとう」

「ああ、そうだ。テリー」


 アメリが何かを思い出して声をあげた。


「今朝ね、手紙が届いてたんだけど」

「ん?」

「二週間後にね、城でパーティーがあるんですって」

「ああ」

「行くでしょう?」

「そうね。行かないとまたママにどやされるもの。……行く」

「じゃ、ママに伝えておくわ」

「ん」

「明日からまた忙しいわよ。パーティーのドレスを買いに行かなきゃ。ちょっと寒くなってきたから、新しいストールも欲しいし、髪飾りも欲しいわ」


 髪飾り。


「……」


 あたしはぽつりと言った。


「……ヘッドドレスでもつけてみようかしら」

「ヘッドドレス。あら、いいわね」

「真似しないでよ」

「あんたとお揃いなんてこちらから願い下げよ」


 アメリがふらりと振り返った。


「ま、そういうことで、……ゆっくり休んで」

「ん」


 アメリが廊下を歩いていく。あたしはサリアに振り返った。


「サリア」

「はい」

「この後、暇?」

「仕事です」

「後に回せない?」

「と、申しますと?」

「聞いてなかったの? 髪飾りを買いに行かないと」


 サリアがあたしの部屋を開けた。あたしは部屋の中に入る。


「支度して。あたしが着替えたら出発よ」

「かしこまりました」

「馬車も用意して」

「かしこまりました」

「早急よ」

「お任せを」


 サリアが頭を下げ、扉を閉めた。


(……ああ……)


 懐かしい、あたしの大きな部屋。


(休みたいところだけど)


 時間がない。


 あたしは大股で歩き、クローゼットを開けた。ドレスが並ぶ。あたしは深い赤色のドレスを手に取る。着ているワンピースを脱いで、豪華なドレスを身に着け、おさげを取り、ブラシで髪を整えて、簡単に髪をハーフアップに結ぶ。


「いいわ」


 これで癖のついた髪は気にならない。

 アクセサリー入れの箱を開けて、ルビーのネックレスを取る。

 兎の形の指輪を嵌めて、コートを着て、帽子を被る。靴を履き替える。鏡を見る。


「パーフェクト」


 指をぱちんと鳴らし、あたしはニクスのピアスを輝かせ、扉を開ける。


「サリア!」

「ただいま」


 サリアが廊下の奥からコートを着て走ってくる。あたしの前まで来ると、頭を下げた。


「お待たせ致しました。申し訳ございません」

「手配をありがとう」

「どちらに行かれますか」

「西区域へ」


 あたしは歩き出す。サリアがついてくる。


「エターナル・ティー・パーティーという帽子屋があってね、とても素敵なお店なの。今からオーダーメイドを注文しておかないと間に合わないわ」


 ドレスを翻す。


「行くわよ」


 あたしとサリアが馬車に向かって歩き出した。




 15時。エターナル・ティー・パーティー。




 ハロウィン祭の翌日ということもあり、町は後片付けに追われていた。そのせいか、お店の周りはとても静かだった。サリアが扉を開けた。


「いらっしゃいませー」


 店内から元気な声が聞こえてくる。


「どうもー。こんにち……」


 店番をしていたアリスが、きょとんとあたしを見た。


「……」


 アリスが首を傾げる。


「……」


 アリスがはっとした。


「あら!」


 アリスが駆けてきた。


「ニコラ!」


 アリスが微笑んだ。


「やだ、ニコラ! ニコラじゃない!」


 アリスがあたしの手を掴んで、跳ねとんだ。


「昨日の今日でどうしたの? それにしても素敵なドレス! 猫ちゃんからお姫様のようよ! すっごく綺麗で、私、一瞬気付かなかった! どこかのご貴族様みたい!」


 あたしは微笑む。アリスが瞬きした。


「ん?」


 アリスが首を傾げた。


「ニコラ?」


 あたしは黙る。


「どうしたの?」

「失礼」


 サリアがアリスの手をそっと、あたしから離した。アリスがサリアを見上げる。


「……ん?」

「お嬢さん、このお店のご主人様はいらっしゃいますか?」

「父さんのことですか? 父さんならいますよ」


 アリスが奥に声をかける。


「父さーん!」


 アリスが呼ぶと、ミシンの音が止まる。マッドが奥の部屋から出てくる。


「どうした?」


 あたしとサリアを見て、両手を握る。


「おや、これはこれは」


 笑顔だったマッドが立ち止まった。


「……?」


 高級な布のコートを着たあたしと、サリアを見て、マッドが黙る。


「……」


 静かに、椅子に手を差し出す。


「どうぞ。おかけください」

「このままで結構です」


 あたしが微笑む。


「帽子の注文をしたくて、お伺いしました」

「オーダーメイドですかな」

「帽子の注文するの?」


 アリスが目を輝かせて、あたしに近づく。


「ニコラ、カタログ持ってきてあげるわ! おすすめなの教えてあげる」

「アリス、ちょっと下がっていなさい」

「え?」

「恐れ入りますが」


 サリアがマッドに微笑む。


「私達の愛すべきお嬢様のお名前を、間違えないでいただきたいです」

「お嬢様?」

「ええ」


 眉をひそめたマッドにサリアが頷き、あたしの肩を掴む。


「このお方は、貴族の血を引き継ぐベックス家のご令嬢の一人。テリー・ベックス様でございます。ニコラ様、だなんて、人違いもいいところです」

「……」


 アリスがきょとんとする。何のことか分からないという顔でマッドを見る。マッドが深く息を吸い、長く溜め込んだ息を吐く。


「……私の娘が失礼致しました。お嬢様」

「構いません」


 あたしはにこりと微笑む。


「ヘッドドレスが欲しくて」

「ヘッドドレス、ですか」

「ええ。この店にも置いてるでしょう?」

「ええ。お作りしております」

「オーダーメイドで頼みたいの。必要なのが二週間後なんです。それまでに作れますか?」

「ええ。まあ、大丈夫かと。……どういったものをご要望で?」

「あの子のが欲しいわ」


 あたしはアリスを指差す。アリスがきょとんとする。


「あの子がデザインしたヘッドドレスを」


 あたしは微笑む。


「宮殿のパーティーに持っていきたいの」

「宮殿!?」


 マッドが目を丸くし、眉をへこませた。


「はあ、…それは、…そうですね…」


 マッドがハンカチを出して、噴き出る汗を拭いた。


「しかし、それは、あまりにも、難しい注文でございます」

「難しい注文。なぜ?」

「この店の帽子は全て私が作っております。……しかし……」


 マッドが詰まらせながら言葉を押し出す。


「娘のアリーチェの、デザインは、その、全て、複雑で、年老いた私では、難しいところがあるのです」


 アリスのデザインは、全て奇抜で、今の技術では製作が難しい。


「誠に申し訳ないのですが……」

「お金なら払うわ」

「いえ、不恰好なものをお渡しするより、お断りさせていただいた方が、お互いのためにもなると思います」

「貴方、プロなんでしょう? あたしはあの子がデザインした帽子が欲しいのよ」

「だからこそ、お断りをさせていただきたい」

「何が足りないわけ?」


 迷惑な客だ。招かれざる客だ。だけど、今は引くわけにはいかない。


「いくらだって支払いますわ」


 ――私のデザインした帽子の方が、すごいと思うの。


「あの子の考えたデザインはそれほどの価値がある」


 ――でも誰も認めてくれない。


「どれくらいの価格で、何が足りなくて、何が必要なのか、機械だって道具だって、足りないものはあたしが全部用意します」


 ――その子は良くて、どうして私は駄目なの?


「あたしは客よ」


 ――私、願いが叶わないのよ。叶ったことがないのよ。


「必要としてるのよ」


 ――将来の夢は、実家の帽子屋を継ぐことである!



「私ね、今、帽子を作ってくれる会社を探してるの。私のデザインした帽子を作ってくれて、それをうちの店で売るのよ」

「それがアリスの夢?」

「うん!」


 アリスが元気に頷いた。


「それで死ぬまで、私は帽子の絵を描き続けるの!」





 アリスの願いは、あたしが叶える。

 叶わないなんて言わせない。




「あの子の帽子をあたしに下さい」

「……お嬢様……」


 マッドが困ったように眉をへこませる。


「……困りましたな……」


 マッドが腕を組む。


「必要なものといえば、時間と技術です。アリーチェのデザインは奇抜で、どのように作って良いものか、期間が二週間ではとても足りません。時間は、お金を払えども増えません」


 マッドが息を吐いた。


「お嬢様、どうか、ご理解ください。あの子のデザインは、確かに見たことのないものばかりです。それは私も認めております。ですが、私にはあの子の帽子を作る技術が充分に備わっておりません。その技術を持った方がいらっしゃれば、製作は可能だと思います」


 マッドは提案して、あたしに訊く。


「たとえどんな形でも、宮殿に持っていけるような立派な帽子を作れる技術を持ったお方を、貴方はご存知ですか?」


 あたしはサリアを見る。サリアは考えている。だが、首を振る。時間。技術者。探している時間と製作時間。二週間後。アリスの奇抜なセンス。デザイン。


「……」


 あたしは黙り、口を開け、何を話していいか分からず、また黙り、どうしようか考える。またキッドの力を借りる? それは違う。これはなんとしてでも、あたしの力でどうにかしたい。考える。必死に考えるが、答えは出てこない。


「……。……残念ですが」


 マッドが声を出した時、


「これは、面白い話を聞いてしまった」


 いやらしい声が聞こえた。マッドが、あたしが、サリアが、アリスが扉を見る。紫のしましまスーツを着ているガットが、杖をつき、シルクハットを外した。


「非常に絶好のタイミングだ。アリスが学校を卒業するまでと思っていたのだけど、遅かれ早かれ同じこと」


 ガットがあたしに微笑み、お辞儀をした。


「麗しいお嬢様、私の会社で作りましょう」

「……というと?」

「私、帽子の製作会社を営んでおります。ガット・チェシャ・ヒューバーソンと申します」


 ガットはいつも通りのにやけ顔で杖をつく。


「私の会社は、帽子の業界では結構な技術の先端を走っておりましてね、ずっとアリーチェに目をつけていたのです」


 テリー・ベックスご令嬢。


「彼女のノートを見たことがありますか? アリーチェは時折ノートに落書きのように見せかけた、美しい帽子を描いているのです」

「あれを見た時に、この手が震えた」

「彼女は革命を起こす」

「アリーチェの才能を無駄にしてはいけない」

「ふふ!」

「アリーチェ・ラビッツ・クロック」


 ガットがアリスに微笑む。アリスがきょとんとする。


「これからは、俺の会社で働くといい」

「は?」


 アリスが嫌そうな声を出した。


「まずはそうだな。デザインを提出してほしい。明日までに」

「は?」

「彼女に似合うヘッドドレスを」


 ガットがあたしに手を向ける。アリスが眉をひそめる。困ったように、マッドに顔を向ける。


「……父さん、なんだかよく分からないけど、話が複雑になってきたみたいだから、姉さん呼んできた方がいい?」

「アリス、とりあえず、あとから落ち着いて話そう」

「あとから? じゃあナウで私はどうしたらいいの?」

「黙ってなさい」


 言われた通り、アリスが口を結んで黙る。あたしはガットを見て、マッドを見て、頷く。


「どうやら注文は大丈夫そうね」


 あたしはアリスを見る。


「ドレスの色なんだけど」


 アリスがあたしを見た。


「濁った白色を着ていく予定なの。それに合わせてくれる?」


 アリスが貧乏揺すりをしている。わざとではない。あたしの話を真剣に聞こうとしているのだ。


「それと」


 付け足す。


「花のピンをつけても、似合いそうなのがいいな」

「分からない」


 アリスが言った。


「濁った白ってどんな色?」


 あたしは探す。指を差す。


「その色」


 濁った白の帽子を指差す。


「その色のドレスを着るわ」

「……少し黄色に近い感じの?」

「そう」

「どんなドレス?」

「花の刺繍がいっぱい入れられたようなものがいいから、そういうのを着るかな」

「ウエディングドレスみたいな?」

「そうね。そのイメージが近いかも」

「分かった」


 アリスが納得したのを見て、あたしは歩き出す。


「というわけです」


 止まって、マッドに体を向ける。


「それでは、頼みましたわ」


 お辞儀をする。


「ご機嫌よう」


 サリアが扉を開ける。あたしは店から出ていく。店には黙るアリスと、汗だらけのマッドと、にやつくガットが残される。サリアも店から出て、目の前に止まる馬車の扉を開けた。


「どうぞ。テリー」

「ありがとう」


 あたしが先に馬車に乗る。サリアが御者席に座るロイに向かって声を出す。


「出して」

「はい」


 ロイが紐を引いた。馬が走り出す。馬車が揺れる。


「へえ」


 サリアが窓を眺める。


「あの子のお家だったんですね」


 サリアがあたしに微笑む。


「けれど、顔を覚えられてませんでした。ああ、悲しい」

「……アリス、ちょっと忘れっぽいから」


 放置して忘れていた仕事を思い出したら、アリスはすぐに取り組まないと気が済まない子だった。優先順位がつけられずにわたわたしている姿も見ていた。しょっちゅうお菓子を地面に落としてた。

 すごく不器用な子だった。


「でもね」


 それでも、


「アリスのデザインする帽子、本当にすごいの」


 どこを探しても見つからないデザイン。


「あたしが今一番欲しいものよ」


 アリスのデザインしたヘッドドレス。


「……楽しみだわ」

「ドレスも見に行きます?」

「そうね。せっかくだし。サリア、付き合ってくれる?」

「もちろんです。……ロイ!」


 サリアがロイに声をかけ、馬がドレスショップに向かって走り出した。




(*'ω'*)




 19時。




 ごそごそ。


「駄目だよ。ドロシー、私が起こすんだから……」


 もぞもぞ。


「ドロシー、こら、駄目。お姉ちゃんが起きちゃう」


 ひそひそ。


「ドロシー、いい子だから、こっちにおいで」


 ごそごそ。


「ドロシー」


 猫パンチ。


「ふぎゃ!!」


 あたしはびくっと肩を揺らす。突然顔に肉球パンチをされ、何事だと起き上がると、緑の猫がにゃあと鳴き、ベッドの下に縮こまる金髪の影が見えた。

 目を細め、じろりと影を睨む。


「……メニー、人の部屋に勝手に入っちゃいけないんじゃないの……」

「お、おはよう……。テリーお姉ちゃん……」


 メニーが苦く笑いながら立ち上がり、ベッドの下から出てきた。両腕を後ろに回している。あたしは欠伸をして、目を擦った。


「……今、何時?」

「19時。ご飯の用意が出来たから、起こしに来たの」

「……ああ、そう……」


(行かないと、またママにどやされる……)


 あたしは髪を掻いて、再び欠伸をする。


「ふわあ……」


(あらやだ、あたしったら。ドレスのままで寝てたわ)


 帰ってきて、ベッドにばたんしてしまったらしい。


(思ったよりも疲れてたみたい……)


「お帰りなさい」


 腕を下ろすと、にこにこしたメニーがいる。ドロシーがあたしの膝を足で踏み、にゃあと鳴いた。


「……ただいま」

「あのね」


 メニーがあたしに微笑む。


「これ」

「ん?」


 メニーが両腕を前に出した。小さな箱にリボンがかけられている。


「……何それ」

「一ヶ月間の、お詫びの品です」


 メニーがあたしのベッドに座り、あたしに手渡す。


「はい」

「……ん」

「開けてみて、お姉ちゃん」

「……ん」


 リボンを解いて、箱を開ける。


「……あ」


 深い赤色のクリスタルがつけられたチョーカー。


「……何これ」

「チョーカー」

「それは分かるけど」

「この間お店で見つけたの。ほら、クリスタルがすごく綺麗でしょう?」


 メニーがチョーカーを持ち上げ、あたしの首にあてる。


「あ、やっぱり似合ってる」

「メニー」

「ん?」

「リュック、ちょうだい」

「リュック?」


 メニーが振り向く。トランクケースとリュックがまとめて置かれている。メニーが立ち上がり、リュックに手を伸ばす。


「その中にある包み」

「包み?」


 メニーがリュックを開ける。腕を突っ込ませ、包みを探し当てる。包装されたものを持ち上げて、あたしに振り向く。


「これ?」

「開けてみなさい」

「ええ? 何?」


 メニーが胸を躍らせて包みを丁寧に開ける。クローバーのぶら下がるチョーカーを見る。


「わあ、チョーカー!」

「あたしのより、そっちの方が出来がいいでしょ。……安物で申し訳ないけど」

「可愛い!」


 メニーが胸に抱き、あたしのベッドに再び戻ってくる。靴を脱ぎ、嬉しそうな笑顔でベッドに座り、再びチョーカーを見て、あたしに顔を上げて微笑んだ。


「お姉ちゃん、ありがとう!」

「ん」

「あ、お姉ちゃん、つけ合いっこしよ!」

「……また今度でいいでしょ」

「いいから!」


 メニーがあたしにチョーカーを渡す。あたしの手から赤いクリスタルがぶら下がるチョーカーを奪う。


「お姉ちゃん、じっとしててね」


 メニーが微笑み、あたしの首にチョーカーをつける。メニーの手が離れる。あたしの首には、赤いクリスタルがぶら下がるチョーカーが残される。


「可愛い!」


 メニーが拍手した。


「似合ってるよ、お姉ちゃん!」


(……なんか違和感を感じる)


 一ヶ月何も首元につけていなかったせいかしら。


(変な感じ)


「ドレスに似合ってる。ふふ! 良かった!」


 メニーが腕を膝の上に置く。


「私もつけて!」

「はいはい」


(面倒な奴ね)


 あたしが腕を伸ばす。メニーの首にチョーカーが巻かれる。


(綺麗なお肌だこと)

(綺麗なお首だこと)


 この首をこのまま絞めたら、あたしはどうなるだろうか。救いはあるだろうか。

 嫉妬という苦しみから解放されるだろうか。


(……)


 かちりと、金具を繋げて、手を離す。

 メニーの首に、安っぽいが、可愛らしいチョーカーがつけられる。


「どう?」


 メニーが微笑む。


「似合う?」

「ええ」


 殺したくなるくらい、ムカつくくらい、


「よく似合ってる」


 あたしは優しく微笑む。


「アメリお姉様に自慢しちゃおうっと!」


 メニーがあたしの手を掴んだ。


「お姉ちゃん、ご飯食べに行こう。ドリーさんが美味しいご飯を用意して待ってるから!」


 メニーがあたしの手を引っ張った。


「早く」

「分かったってば」


 メニーとあたしがベッドから下りて歩き出す。ドロシーもベッドから下りて、あたし達の足元を歩いた。


「お姉ちゃん、今夜は久しぶりの家族全員での食事だよ」

「そうね」


 メニーは微笑む。


「ふふ! 嬉しい! さっきからにやけが止まらないの」


 あたしはメニーの笑顔を見る。


「アメリお姉様もお母様も待ってるよ」


 あたしはメニーの笑顔を目に焼き付ける。


「今夜のご飯は、きっとすごく美味しいよ」

「ええ、そうね」


 あたしは頷く。


「とても美味しいのでしょうね」


 あたしの心に、憎しみが蘇る。


「あたしも楽しみだわ」

「ふふ!」


 メニーが笑えば笑うほど、

 メニーが嬉しそうになればなるほど、

 メニーのこれからの幸せな展開を考えれば考えるほど、

 この胸が、憎しみと恨みで支配される。


 お前さえいなければ。

 お前さえいなければ。

 お前さえいなければ。


 ここにじいじはいない。鳥かごのような、冷たい貴族での生活に戻ってきたのだから。


「お姉ちゃん」

「分かったってば」


 あたしは微笑む。

 無理矢理口角を上げる。


(あたし、ここから出たくなかったのに)


 今は、


(ここにいたくない)


 というか、


(メニーといたくない)


 メニーの美しさを見るだけで、怒りがこみあげてくる。


「お姉ちゃん」

「あんた、引っ張りすぎよ」


 あたしはテリーに戻った。もうニコラに戻ることはない。

 あたしは貴族だ。あたしはお嬢様だ。

 あたしは、テリー・ベックス。


 リオンとメニーに死刑にされる罪人。



 その憎しみは、忘れることはない。



「お腹空いちゃった!」

「奇遇ね。あたしもよ」



 あたしはメニーに引っ張られながら、赤い絨毯の広がる廊下を歩いていた。




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