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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
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第16話 10月30日(2)


 14時。商店街通り。



 メニーも協力してリトルルビィと一緒に手作業を行う。花の飾りや、作り物のお菓子の飾りなどを組み立て、バスケットの中へ入れていく。メニーとリトルルビィより大きい子供達がそれを持ち、建物や地面に飾っていく。


(さて)


 あたしの手が空いた。


(リトルルビィ達の手伝いでもしようかしら)


「ニコラ」


 奥さんがテントから声をかけてくる。あたしは奥さんに近づいた。


「はい」

「忙しいかい?」

「今、手が空いたところです」

「そうかい。そいつはいい」


 奥さんが微笑み、後ろの棚に手を伸ばした。


「ちょっとお使いに行ってくれない?」


 リボンで包まれたバスケットを出される。バスケットには、カボチャのお菓子が詰め合わせて入っていた。


「これを、エターナル・ティー・パーティーっていう帽子屋に届けてほしいんだ」

「……」


 あたしと奥さんの目が合う。


「……そう。アリスの家だよ」


 バスケットのお菓子から、カボチャの良い匂いがする。


「私と旦那からって言ってくれる? いつも頑張って働いてくれてるんだ。こんな時くらい、こういう形でも返してあげないと」


 奥さんが優しく微笑む。


「ちょっくら励ましに行ってやって。私はこの足で動けないから」


 ニコラはアリスと仲が良かったでしょ?


「行っておやり」


 あたしはバスケットを受け取った。


「はい」

「いい? つまみ食いしたらいけないよ」

「はい」

「あまり遅くならないように」

「はい」

「うん。じゃ、行っておいで。気を付けてね」

「……行ってきます」


 あたしはバスケットを持って歩き出した。商店街の人々が働く中、あたしもバスケットを運ぶ。後ろから馬車が走ってきた。


「ニコラちゃん」


 横を見ると、司書のサイモンが馬を操り、それを引っ張る荷車にソフィアが乗っていた。くすす、と笑いながらあたしを見下ろしている。


「今から西区域に行くんだけど、どこまで行くの?」

「……西区域」

「ちょうどいい。乗って行きなよ」


 ソフィアがサイモンに声をかける。


「サイモン殿、止めて」

「はいよ!」


 馬が止まった。


「おいで」

「……ありがとう」


 差し出された手を掴み、一緒に荷車に乗る。馬が再び動き出す。ゆっくり動いていく。荷車が揺れる。カタンカタンと揺れていく。商店街通りから離れていく。秋風が当たる。ソフィアの髪の毛が揺れた。あたしのおさげが揺れた。馬が動く。どんどん景色が変わっていく。


「どこに行くの?」


 ソフィアに訊かれて、バスケットを見せる。


「お使い」

「そう」


 ソフィアが外の景色を見る。


「あんたは?」

「ボランティア活動。廃棄扱いの本を、商店街中に無料で渡して回るんだ」

「……ふーん」

「今回の騒動で多くの本が燃えてしまったからね。ハロウィン祭で本関係の企画をしていた所は大変でしょ?」

「そこに配りに行くの?」

「うん。キッド殿下からそういった命令が出たから」


 ソフィアがサイモンをちらっと見る。


「知ってる? あの人、本当は兵士なの」

「……」

「週に二回図書館で働いてくれるんだ。町を見張るのは、兵士の仕事でもあるから」

「……」


 振り向いてみれば、荷車を引く馬はとても立派な馬だった。サイモンが振り向いた。あたしを見て、へへっと笑った。


「秘密ですよ。テリー様」

「……分かってます」


 あたしは目を逸らして再び景色を眺める。ソフィアが掌に顎を乗せた。


「すごい事件だったね」


 眺める景色は、被害にあった所と、無事だった所が大きく分かれていた。


「私もびっくりしたよ。いきなり時計台が爆発するものだから」


 時計台には穴が開いている。


「テリーも運が良かったね」

「そうね」


 小さく頷く。


「本当、運が良かったわ」


 あたしは生きている。


「……あんたは外にいたの?」

「うん」

「そう」

「中央区域の広場の被害がすごくてね。キッド殿下に私かリトルルビィが行った方がいいか連絡を取ってみたんだけど」


 そこで、


「キッド殿下が命令してきた」


 テリーの場所に行け。


「中毒者は君に近づく」

「これが中毒者の仕業なら」

「テリーが既に会ってるはずだって」


 だから、


「テリーの元へ急げって」


 キッドは被害が多い広場に向かった。

 キッドの代わりにソフィアは商店街を歩いた。

 皆、商店街の広場に避難していた。そこにはリトルルビィがいた。メニーがいた。


「確かにそうなんだよね」


 中毒者が現れる時、


「キッド殿下がいて」

「リトルルビィがいて」

「メニーがいて」

「テリーがいる」


 煙の中をテリーが走ってきた。


「嫌な予感がした」


 アリーチェ・ラビッツ・クロックがテリーに投げ出された。


「君は捕まった」


 私がいて正解だった。

 君が囚われた瞬間、あの男に催眠を見せた。

 その次に、リオン殿下が悪夢を見せた。


「その話、聞いたわ」


 あたしが呟く。


「その後に、あんたが皆の記憶を消したことも」

「うん」


 ソフィアが頷く。


「中毒者のことを知られるわけにはいかないからね」


 皆が混乱してパニックにならないように、


「無かったことにしておいたよ」


 一瞬で皆は忘れた。記憶の扉に鍵がかけられた。


「大変だね。王子様って」


 ソフィアが微笑む。


「どんなに助けに行きたくても、国の皆を助けることが先決だ」


 ソフィアがあたしを見た。


「テリー」


 あたしはソフィアを見た。金の目と目が合う。


「キッド殿下は君を助けてくれないって。君よりも国が大事なんだって」


 ソフィアが微笑む。


「いつまで婚約者なんて続けてるの?」


 ソフィアが首を傾げる。


「私なら、絶対に守ってあげられる」


 ね? テリー。


「いつになったら、キッド殿下と婚約を解消するの?」


 あたしはむすっとして、ソフィアを睨んだ。


「……解消したいわよ」


 知ってる。


「あいつがそういう奴だってことは知ってる」


 キッドはそういう奴だ。


「会った時からそうよ。キッドは自分優先よ」


 あたしのことを婚約者と言いつつ、後回し。


「だけど」


 多分、


「あいつ、どうせ大丈夫だと思ったんでしょ。あんたもリトルルビィもいて」


 なにより、


「リオンがいたのよ」


 助けに来なかったわけじゃない。


「助けに来る方法を変えたのよ」


 夢の中に入り込んできやがった。


「あんただって、そうでしょ」


 勝手に人の夢の中に入ってきやがって。


「覚えてる?」

「その件については覚えてるよ」


 ジャックのことは何も覚えてないけど。


「君の悪夢なら、覚えてる」


 血だらけの君が倒れている横で、私達はサッカーボールで遊ぶんだ。


「テリー、今度二人でサッカーして遊ぶ?」

「貴族令嬢がサッカーなんかで遊ぶわけないでしょ。他とやって」

「ああ、またフラれた」


 くすす。


「婚約は解消してくれないし」


 くすす。


「いつまで経っても私を見てくれない」


 でも、


「だからこそ、その心を盗みたくなる」


 怪盗パストリルはまだ存在している。ソフィアの中にその欲望が残っている。

 ぽすんと、あたしの肩にソフィアの頭が置かれる。重い。


「……退いて」

「ちょっとだけ」


 荷車が揺れる。


「ソフィア、重い」

「くっつきたい」


 荷車が揺れる。


「ソフィア」

「テリー」


 ソフィアが呟いた。


「テリーが欲しい」


 手を握られる。


「君を盗み出したい」

「……そうやって口説こうたって無駄よ。あたしはあんたみたいなお姉さんより、お兄さんの方がいいの」

「リオン殿下ならいいの?」


 あたしは黙る。ソフィアが微笑む。


「告白してた」


 私の目の前で。


「愛の告白を」


 私達の目の前で。


「テリー」


 君は、


「人を煽るのが上手だね」


 ソフィアが息を吸って、――唄った。



 恋を歌う恋の君

 恋に踊らされる私達

 恋の形は誠なり

 恋の声は美しい

 恋の歌は素晴らしい

 恋の君が奏でる音符

 恋の嫉妬に舞い踊る

 恋の妬みに舞い踊る

 恋しい君が仕掛けた罠

 恋しい君のためならば

 恋のダンスを踊りましょう

 恋しい君へ

 恋の祈りを

 恋しい君に届けばいい

 恋の想いよ届けばいい

 恋しい君よ

 恋の心をどうか私に



 あたしはちらりと横目で見る。ソフィアがくすすと笑う。


「テリーの心は、誰の物にもならない」


 ソフィアがあたしの手にキスをした。


「だからこそ、欲しくなる。君だけを」


 ソフィアがあたしを見つめる。


「盗みたい」


 見えない所に隠された何よりも美しい宝箱。


「くすす。腕が鳴るな」


 来年でテリーは15歳だもんね?


「結婚出来るレディだもんね?」


 くすすと、不気味な笑い声が耳に響く。


「必ず盗んでみせよう。最高の宝。君の恋心を」

「……。……そろそろ下りるわ」


 あたしはソフィアから離れた。


「動いたら危ないよ」


 ソフィアがあたしの腰を引き寄せた。


「いや、いい。下りる」


 あたしはソフィアから離れた。


「くすす。そう言わず」


 ソフィアがあたしの腰を引き寄せた。


「もう大丈夫」

「もう少しだけ」

「もう大丈夫」

「テリー、キスしていい?」

「すみませーん! 下ろしてくださーい!」

「テリー、おっぱい触る?」

「触るか!!」

「またマッサージする?」

「……」

「そこは否定して」


 なぜかソフィアに怒られた。


「全く、目が離せない。駄目だよ。テリー。本当に駄目だよ」

「……なんで、あんたが怒るのよ」

「……こんな傷なんかつけて」


 ソフィアの顔が近づいた。


(あ)


 額の傷に、ソフィアの唇がくっついた。


 ――ちゅ。


「……んっ」


 ぴくりと、肩を揺らす。ソフィアの唇が離れる。


「駄目な子」


 その顔を見上げる。


「私の心を奪ったまま返してくれないなんて、いけない子」


 黄金の瞳が、切なげにあたしを見つめる。


「その目が、私だけのものになればいいのに」


 酷く、寂しそうな目で呟いた瞬間、荷車が大きく揺れた。


「わっ」

「おっと」

「むぎゅ!」


 あたしの体がソフィアに倒れた。ソフィアが抱き止める。あたしの顔がソフィアの胸に埋まる。そのままソフィアに抱きしめられて、頭にキスをされる。


「……大丈夫? テリー」

「……離せ……。……息が出来ない……」

「くすす」


 ソフィアが手の力を緩めた。胸から顔が抜け出す。


「……もう、本当に下りる」

「そう」


 ソフィアがサイモンに振り向く。


「サイモン殿、止めてください」

「はいよ!」


 馬が止まる。

 あたしがバスケットを持って荷車から下りる。地面に足をつけて、ソフィアに振り向く。


「……ご苦労」

「テリー」


 ソフィアが首を傾げた。


「明日、あの服着るの?」

「……衣装のこと?」

「うん」

「着る」

「そう。……楽しみにしてるよ」


 ソフィアが笑顔になる。さっきの切ない目はどこにも見当たらない。ソフィアは笑顔でまた隠す。何かを隠す。自分の気持ちを隠す。怪盗は仮面で自分の正体を隠す。自分の気持ちを隠す。


「ソフィア」

「ん?」


 あたしはソフィアに呟く。


「今度、唄遊びで遊んであげる」

「唄遊び? ふふっ。また君の唄を聞かせてくれるの?」


 その笑みが自然な笑みに見えた。ソフィアがこくりと頷く。


「ぜひ、遊ぼう」

「いいわ。でも変なことしないでね」

「変なことって?」

「……」


 あたしは視線を逸らす。


「もういい。行って」

「くすす! 冗談だよ」


 笑いながらソフィアが手を振った。


「じゃあね。有意義な時間を」


 馬が動き出す。ソフィアが微笑んだまま、あたしに手を振る。あたしはその姿を見つめる。馬が曲がった。道を曲がり、荷車も曲がる。ソフィアが見えなくなる。


(……)


 ――必ず盗んでみせよう。最高の宝。君の恋心を。


「……あんたはその前に、彼氏作りなさい……」


 すごく綺麗なんだから。


(あんな切ない目なんかしなくたって、いくらでも良い人が現れるわよ)


 ……。


(……なんか、あたしが悪いみたいじゃない……)


 複雑な心境のまま振り向く。お陰で楽が出来た。目の前にはエターナル・ティー・パーティー。

 あたしはバスケットを持って歩き出す。

 扉を見る。店はやっているようだった。


 あたしは店の扉を開けた。


 開ければ、賑やかな笑い声。


「んふふふふふふ!!」

「もーーーーお!!」


 声の方向を見る。紫のしましま柄のスーツを着たガットがにやつき、彼の目の前にいるアリスがぽこぽこ怒っていた。


「いい加減にしてください! ガットさん! 私は何が悲しくてガットさんの接客をしなきゃいけないんですか!」

「悲しい? アリスは悲しいのか? だったらハンカチをあげよう。これで涙を拭くといい」

「いりません!」

「でも悲しいんだろう?」

「別に悲しくないわ!」

「でも今、悲しいと言っただろ?」

「またそうやって揚げ足取ろうとする! 私、分かってるんですからね!」

「悲しいと言ったのはアリスじゃないか」

「言葉の綾です!」

「言葉の綾? アリス、言葉の綾ってどんな意味か知ってるか?」

「物の例えよ! 言葉の例えって意味よ!」

「素晴らしい。ちゃんと勉強してるじゃないか。そんなあんたにはこいつをあげよう」


 ガットがポケットから何かを取り出し、アリスに拳を差し出す。アリスがきょとんとする。


「ん? 何ですか? これ」

「プレゼント」


 ガットがアリスの掌に置く。芋虫。


「きゃあああああああああああああああ!!!」


 アリスが慌てて芋虫を振り落とす。床に叩きつけられた芋虫は、めんどくせえな。騒ぐなよ。レディ。と言いたげにのそのそと動き出す。


「アリス、そういうのは良くないな。命は大切にしないと」

「ぐうううううう……! ガットさん!!」


 ことん、とあたしの足音が鳴った。ガットが振り向く。アリスが顔を覗かせる。あたしを見て、アリスが微笑んだ。


「あ! ニコラ!!」


 あたしに走ってくる。


「良かった! ニコラ、助けに来てくれたのね!」


 あたしの背中に隠れ、あたしの体をガットに向けた。


「ニコラ! 必殺技! 石になる!!」

「ならない。なれない」

「大丈夫よ! ニコラ! ニコラならいけるわ!」

「無理。出来ない」

「ニコラ! ガットさんに勝って!」

「無茶言わないで」

「くくくっ!」


 ガットが笑い、売り場にあった帽子をひょいと持ち上げた。


「今日の戯れはここまでとしよう。最初に選んでもらった、この帽子にするよ」


 ガットがレジに向かう。


「ほら、アリス。会計をしてくれよ」

「うぐぐぐ……!」


 アリスが歯をくいしばり、どすんどすんと足音を鳴らし、レジを打つ。帽子を丁寧に箱に入れ、袋に入れ、ガットに渡す。


「はい」

「どうもありがとう」

「ありがとうございました」

「アリス、あれはなんだ?」

「え?」


 アリスがガットが指を差した方向を見ると、ガットが歌った。


「間抜けが見る」


 アリスが顔を怒りに歪ませた。


「ガットさん!!!」

「また会おう。アリス」


 くくくっとおかしそうに笑いながら、ガットが店から出ていった。アリスがぷう、と頬を膨らませる。


「何よ! あの人! ちょっと年上だからって人をからかって!」

「アリス」


 バスケットをカウンターに置く。アリスがきょとんと瞬きした。


「わあ、すごい。何これ。パンプキンのお菓子だわ!」

「奥さんと社長から」

「え? 奥さんと社長から?」

「心配してた」


 伝えると、アリスが眉をへこませた。


「……あー。……そうよね」


 アリスが店の奥に振り向く。とても静かだ。


「……父さん、今、警察署に行ってるのよ。ダイアン兄さんの関係者だし、兄さんのご両親と一緒にね」


 上を見る。


「……姉さん、部屋でぼうっとしてるの」


 アリスがあたしを見た。


「……大丈夫よ。姉さんは私みたいに『いきたい』って考えない人だから」


 ただ、


「元気がなくて」


 本当に元気がなくて、


「どう、声をかけていいかも分からないの」


 あんな姉さん初めて。


「……これ、届けてあげようかな」


 アリスがバスケットを持った。歩き出す。


「ニコラも来て」

「店は?」

「大丈夫よ。どうせ誰も来ないわ。ガットさんが、今日一日で最初のお客さんだったのよ。本当、変な人」


 アリスが廊下を歩いていく。あたしも後ろをついていく。アリスが階段を上がる。あたしも上がる。二階に行く。アリスの隣の部屋の扉を、アリスがノックした。


「姉さん、入っていい?」


 しばらく間があり、返事が返ってくる。


「どうぞ」


 アリスが扉を開けた。中にはネグリジェ姿のカトレアがいた。ベッドで本を読んでいた。あたしの顔を見て、微笑み、本を膝に置いた。


「あら、ニコラちゃん」

「こんにちは」

「姉さん、見て!」


 アリスがバスケットを見せた。


「奥さんと社長からだって!」

「まあ、……すごいわね」

「姉さん、食べる? 朝ご飯もお昼ご飯も食べてないでしょ。甘いものならいけるんじゃない?」


 アリスがクッキーを取り、カトレアに渡した。


「はい!」


 カトレアが首を振った。


「……いらない」

「クッキー一枚でもいけない?」

「……ごめんね。食欲無いの」

「……そう」


 アリスがクッキーをバスケットに戻した。


「……なんか飲む?」

「大丈夫」


 カトレアが首を振る。アリスが頷く。


「……うん。分かった」

「ごめんね。アリス」

「なんで謝るの? 私は平気よ!」


 アリスが明るく笑う。


「……」


 しかし、言葉が出てこない。黙るアリスを見て、カトレアも微笑んで黙る。


(……)


 あたしが息を吸った。


「あの」


 二人の目があたしに向けられる。


「ん? 何? ニコラちゃん」

「カトレアさんに、……お話が」

「お話?」

「アリスは店に戻っててくれない?」

「え」


 アリスがあたしを見る。


「何? 私には秘密?」

「カトレアさんと話したいの」

「そうやって仲間外れにするのね。いいわよ」


 アリスがバスケットを持った。


「その代わり、このバスケットのお菓子は全部私のものよ! 返してほしかったら、下に下りてくることね! おっほっほっほっほっ!」


 アリスが笑いながらバスケットを持ってカトレアの部屋から出ていった。あたしとカトレアの二人が残される。あたしはカトレアに振り向いた。


「すみません。突然」

「いいえ」

「少しいいですか?」

「ええ。その椅子に座って」


 近くにあった椅子を借りて、ベッドの前に運んで座る。カトレアに向き合う。


「それで、どうしたの? ニコラちゃん」

「ご相談が」

「相談?」


 あたしは口を開く。


「失恋したんです」


 カトレアが黙った。


「あたし、まだ14歳です」


 それでも、


「ずっと、昔から、本当に昔から好きだった男の子に、昨日フラれました」


 カトレアがあたしを見つめる。


「どうやったら忘れられますか?」


 カトレアが微笑んだ。


「……それは……」


 カトレアが膝元を見た。


「……私も聞きたいの」


 カトレアが瞼を閉じた。


「……ニコラちゃん……」


 カトレアの手が、ぎゅっと、シーツを握った。


「……ダイアンが、貴女に酷いことをしたみたいね」


 話を聞いた時、驚いた。城下町の爆発事件の主犯者で、その罪をアリスになすりつけようとしていたなんて。


「……許せない」


 それと同時に、


「まだ彼を愛している私もいる」


 彼を許せない。

 でも愛してる。

 矛盾している。

 信じられない。

 結婚すると思っていた。

 ずっと傍にいてくれると思っていた。

 信じられる人だった。

 何が起きたか分からない。

 なんでそんなことを。

 なんで彼が。

 なんでダイアンが。


「胸が苦しいの」


 何も考えられない。


「頭が真っ白なの」


 失恋。


「私は、……そうね……」


 失恋。


「失恋、ではないのかもしれないわね」


 失恋ではない。


「でも、私も何かを失ったわ」


 消失。


「恋に、近いもの」


 恋ではない。


「愛に、近いもの」


 愛ではない。


「でも、近いもの」


 失ってしまった。ダイアンが壊した。


「彼、捕まったんでしょう?」

「はい」

「そうよね」


 当然だわ。


「……彼だけだったのに」


 カトレアが窓を見る。


「将来を考えられたの、彼だけだったわ」


 カトレアとダイアンは恋人同士だった。婚約もしていた。


「結婚して、家族になれば、アリスに、少しでも家族っていうものを分けられると思ったのよ」


 アリスには母親がいた思い出がなかったから。


「でも、そんなことも言ってられないわね」


 頭が真っ白だ。


「どうしていいか、分からないの」


 ごめんなさいね。


「こんな話、ニコラちゃんにしてもしょうがないし、貴女は被害者なんだから、ダイアンが憎いと思うわ」


 それでも、


「私にとっては、結婚を決めていた相手だったのよ」


 全部ダイアンが崩してしまった。


「なんで、こんなことになったのか、分からないの」


 カトレアが考える。


「私に出来ることは無かったのかしら」


 カトレアが考える。


「彼がそんなことをしないように、私がもっと支えていればと思ったら」


 後悔。


「……思っても、過去には戻れないのだけど……」


 分かってる。


「時間が解決するのは分かってるの。でもね」


 それでも、


「忘れられないわ。簡単に、忘れられるはずがないの」


 あたしは見つめる。

 この事件の、一番の被害者を見つめる。


 アリスが牢屋に入ったら、アリスは死んでいた。

 カトレアは考えただろう。なぜアリスが惨劇を起こしてしまったのか、そして、なぜ死んでしまったのか、自分には何か出来なかったのか、考えて、後悔するだろう。

 ダイアンが犯人だと分かって、彼の行方が不明となって、カトレアは考えているのだろう。なぜダイアンがそんなことをしてしまったのか、自分には何か出来なかったのか、考えて、後悔している。


 どの道を辿っても、一番の被害者は彼女だ。

 心をずたずたに切り裂かれ、身内に罪を背負うことになる彼女だ。


「ごめんね。ニコラちゃん、何も言えなくて……」


 カトレアが眉をへこませる。


「私も忘れなきゃ」


 あたしの手を握る。


「一緒に忘れましょう」


 カトレアが微笑んだ。


「今までの幸せは、悪夢だったのよ」


 幸せから絶望に突き落とされる悪夢。


「私達は、きっと悪夢から目が覚めたんだわ」


 そう思うことにしましょう。


「だから、一緒に忘れましょう」


 悪夢を、幸せだった夢を、


「一緒に……」


 カトレアの目から、涙が溢れた。


「……ああ、いけない……」


 カトレアがあたしから手を離した。


「涙が……」


 カトレアが顔を隠した。


「ああ、なんてこと……」


 あたしはカトレアの背中を撫でる。


「ああ、なんで、こんなことに……」


 カトレアが涙を流す。


「ダイアン、どうして、……どうして……、……あんなこと……」


 カトレアがすすり泣いた。顔を隠して、涙を指の間から漏れて、ぽたりと、またぽたりと、落ちていく。


 ダイアンはカトレアを愛していた。

 確かに、愛していた。

 ただ、欲望がそれ以上を超えてしまったのだ。


 そこを、魔法使いに突かれてしまったのだ。


 彼は呪われた。


「……どうして……」


 カトレアは呪われた。


 ダイアンの欲望によって、カトレアも不幸になった。


「……どうして……」


 カトレアの嘆きが響く。

 外は晴れているのに、この部屋だけは薄暗い。

 カトレアは嘆く。

 カトレアは涙を落とす。

 ダイアンの一つの行動で、カトレアが不幸になった。

 愛し合っていたはずなのに。

 家族になるはずだったのに。


(これこそ、悪夢だ)


 これは現実だ。


(これは悪夢じゃない)


 これが現実だ。



 これらを受け止めるのが、現実だ。




「……ダイアン……。……どうして……」




 カトレアの嘆きは、悲しく消えた。






(*'ω'*)




 カトレアの部屋から出る。一階に下りる。アリスがカウンターに肘を立て、頬杖をついて待っていた。お菓子は食べていなかった。あたしが売り場に入ると、暇そうなアリスがちらっとあたしを見て、首を傾げた。


「……姉さんは?」

「寝ちゃった」


 少し休みたいと言って、寝てしまった。


「そう」


 アリスが頷き、バスケットを見た。


「こんなにいっぱい、私だけじゃ食べれないわ」


 アリスがビスケットを持ち上げた。


「ダイアン兄さんと、姉さんと、私が食べないと、なくならないもの」


 アリスがじっと、ビスケットを見る。


「父さんは食べないの。お菓子より、帽子の方がいいって」


 アリスがビスケットをバスケットに戻した。


「……私、罪をなすりつけられるところだったのよね」


 アリスがカウンターに顎を乗せた。


「信じられないの。未だに。兄さんがそんなことするなんて、私、まだ信じてないの」


 アリスが瞼を閉じた。


「でも、私が見たことは本当なのよね。ニコラを押さえて、酷いことしようとしてた」


 アリスが瞼を上げて、顔を上げて、あたしに微笑んだ。


「ニコラ、奥さんに謝っておいて。アルバイト、行けなくてごめんなさいって」

「……心配してた」

「そうよね。……心配……されるわよね。……こんな状況だもん」


 アリスがうなだれた。あたしはアリスを見つめる。


「アリス」

「何?」

「まだ、ダイアンさんのことが好き?」

「ふふっ」


 アリスが笑った。


「不思議よね」


 アリスがクッキーをつまんだ。


「あんなに好きだったのに」


 アリスがクッキーを口の中に入れた。


「あのね、兄さん、ニコラを押さえつけたじゃない? で、酷いことしようとして、リオン様に捕まって、大人達に押さえられて、情けなく悲鳴あげて、おまけに変なこと叫んでたでしょう?」


 サッカーボールは嫌だぁぁぁあああああああ!!!


「なんか、……冷めちゃった」


 アリスがクッキーを食べながら、くすりと笑った。


「商店街に爆弾を仕掛けて、皆を傷つけて、ニコラを傷つけて、姉さんを傷つけた」

「不思議よねえ」

「本当に、なんていうか、……うん。胸が寂しくなった」

「でも、兄さんのことを考えると、愛情よりも違うものが沸き起こるの」

「怒り?」

「悲しみ?」

「憎しみ?」

「好きだったからこそ、恨めしいというか」

「そんな男を好きになってた自分が腹立たしいというか」

「イラつくのよ」

「よくも、皆を、って思うのよ」

「よくも姉さんを、って思うのよ」

「そして、ほっとしてる自分もいるの」

「ああ、私、兄さんと恋人でなくて良かったって」

「ずっと、兄さんを好きだったこと、黙っててよかったって」

「姉さん、ざまあみろって」

「今までずっと幸せだった分、私を見下してた分が、返ってきたのよって」

「……えへへへ」


 アリスが枯れた笑い声を出した。


「私、最低」


 アリスが俯いた。


「ざまあみろだなんて」


 アリスが拳を握った。


「……最低……」


 アリスが目を閉じた。


「……最低」


 あたしはアリスの傍に寄り、そっと、アリスの背中を撫でた。アリスの体がぴくりと揺れた。あたしは構わず背中を撫でる。アリスが俯いたまま、声を出した。


「ニコラ」

「ん?」

「少し、甘えていい?」

「何?」

「抱きついてもいい?」


 あたしはアリスの背中から手を離して、腕を広げた。


「アリス」


 アリスが顔を上げた。


「どうぞ」


 言うと、アリスがゆっくりと、あたしの胸に頭を置いた。あたしの背中に腕を巻き付ける。ぎゅっと締められる。アリスが微笑む。


「ニコラ、胸小さいわね」

「お黙り」

「ふふっ」


 アリスが笑う。あたしはアリスの頭を撫でた。アリスが瞼を上げた。あたしを抱きしめる。


「ニコラ、お母さんみたい」


 アリスが呟く。


「なんか、落ち着く」


 ……年齢的なことを言えば、確かに母親でもおかしくないかもしれない。


(でも今は14歳)


 あたしはアリスの頭を撫でる。アリスがあたしに頭をすりつける。


「ニコラ」

「何?」

「私のこと、最低だと思う?」

「アリスが最低なら、あたしはもっと最低な人間よ」

「ニコラは最低じゃない。最低なら、キッドが婚約しないもの」

「最低だから、キッドが婚約したのよ」

「そんなことないわ。キッドも、私も、ニコラを最低だと思ったことなんてない」

「あたしだって、アリスを最低だと思ったことはないわ」

「私、恨んでたのよ」


 カトレアを、


「姉さんを恨んでたのよ」


 羨ましい。


「姉さんを妬んでたのよ」


 羨ましい。


「器用な姉さんが、綺麗で、美人な姉さんが、すごく羨ましくて」


 妬ましい。


「ざまあみろって、笑ってる私がいるのよ」


 あたしの胸が濡れた。アリスの声が震えた。あたしはアリスの頭を撫でる。


「ニコラ、私、最低よ」


 アリスがあたしを抱きしめる。


「……最低だわ……」


 あたしは黙って、アリスを受け止める。アリスの頭を撫でる。


「ニコラ、私、姉さんが好きよ」


 ニコラ、私、姉さんが嫌いよ。


「ニコラ、私、幸せになりたいのよ」


 ニコラ、私、いきたいのよ。


「ニコラ」


 私は、


「幸せになりたいだけなのよ」

「それを望めば望むほど、私、どんどん不幸になっていくのよ」

「私、願いが叶わないのよ」

「叶ったことがないのよ」

「願えば願うほど、どんどん悪い方向に向かっていくの」


 あたしはアリスを見つめる。


「どうしたらいいのかしら」


 アリスの頬が濡れる。


「どうしたら幸せになれるのかしら」


 あたしは黙る。


「ごめんね。変な話して、ごめん」


 アリスが目を擦った。


「でもね、妬みが消えないの。幸せそうな人を見るとね、胸が苦しくなるの。いいなあ。羨ましいなあって思うの」


 ニコラ、


「どうしたらいいのかな。どうしたら消えるのかな」


 妬み。嫉み。僻み。


「私、どうしたら解放されるのかしら」


 辛い。痛い。苦しい。


「こんな感情、持ちたくないのに」


 ああ。


「ニコラ」


 アリスが呟いた。




「いきたい」





 あたしは上からアリスを抱きしめた。アリスを受け止める。ぎゅっと、抱きしめて、受け止める。アリスがあたしを抱きしめる。あたしは離さない。アリスがあたしの服をぎゅっと掴む。絶対に離さない。アリスを受け止める。


「ニコラ、まだ友達でいてくれる?」

「当然よ」


 あたしはアリスを抱きしめる。


「あたし達は親友でしょう」

「ニコラ」


 アリスが微笑む。


「ありがとう」

「アリス」

「大好きよ。ニコラ」

「あたしもアリスが好き」

「ニコラ、私、ニコラにもそのうち嫉妬すると思うの」

「あたしは、会った時からアリスに嫉妬してる」

「ええ?」


 アリスが鼻をすすりながら、おどけた声を出す。


「私に? なんで?」

「アリスは笑顔が素敵だから」

「ニコラだって可愛いじゃない」

「アリスはいつだって笑ってる。幸せそうな笑顔が、あたしは羨ましかった」

「形だけよ。そんなの。私はニコラが羨ましい」

「どこが?」

「ニコラは、色んな人に好かれてるから」


 あたしは微笑む。


「アリス」


 あたしはアリスの頭を撫でる。


「あたしは、嫌われてたのよ」

「誰に?」

「皆に」

「嘘だ」

「本当」

「嘘よ」

「本当よ」

「そんなことない。だって、私はニコラのことが好きだもん」

「あたしだって、アリスが好き」

「ニコラ、大好き」

「アリス、大好き」

「ニコラ」


 アリスが微笑む。


「また、こうやって抱きついてもいい?」

「ええ。いつだって」

「甘えていい?」

「いつだって」

「キッドに怒られない?」

「いいのよ。あいつなんか」

「婚約者なの?」

「形だけね」

「仲良しなの?」

「まさか。あたし、解消したいのよ」

「ええ? なんで?」

「色々あって」

「ふふ。また今度、二人から詳しいこと聞こうかな」


 アリスが顔を上げた。向日葵の笑みを浮かべている。あたしは微笑む。アリスも微笑む。お互いを見て、微笑み合う。ふと、アリスが呟く。


「明日は、ハロウィンね」

「そうね」


 二人で瞬きする。


「……アリス、明日、来れそう?」

「……迷ってる」


 アリスが呟く。


「休んじゃ駄目かな」

「どうして?」

「だって、こんな状況なのよ」


 アリスの表情が再び曇る。


「姉さんは寝込んでて、父さんは何も言わないけど、姉さんのこと心配してる。他の人だって、被害に遭って、今日だってお葬式してるのよ。私だけ、浮かれてられないじゃない」


 アリスが瞼を閉じる。


「だったらいっそのこと、休んで、引きこもってた方がいいわ」

「行きたくないの?」

「行けないわ」

「ジャックが現れるのに?」


 アリスが黙る。


「ジャックが、アリスに会いたがってる」


 ハロウィンの夜に現れる。


「怖い夢を見せたがってる」


 ジャックは恐怖がだぁいすき!


「アリス、ハロウィン祭は、死者の祭よ。商店街で亡くなった人達は、ハロウィン祭を楽しみにしていた人も沢山いたのよ」


 アリスだけが引きこもってるなんて。


「ジャックが、拗ねてしまうじゃない」


 そう言うと、アリスが黙った。

 沈黙が訪れ、アリスがくすりと、笑った。

 アリスが、くすくすと笑い出した。


「拗ねないわよ」


 アリスが笑った。


「ジャックは、もういないんだから」


 アリスが呟く。


「来年まで、ね」


 アリスが微笑む。


「ニコラ」

「ん?」

「父さんと相談してみる」

「そう」

「姉さんにも、相談してみる」

「そう」

「それで、私が、行けそうなら行く」

「アリスがいないと、人手が足りないわ。休憩も回せないかも」

「ふふ。それも、相談しておく」

「アリスの仮装も見たい」

「すごいわよ」


 アリスがにやりと微笑んだ。


「ニコラの仮装も見たいな」

「すごいわよ」

「そうなんだ」

「来てよ」

「体調、また悪くなるかも」

「それでも、待ってる」


 アリスが、腕を傷つけようが、輸血しようが、気持ちよくなろうが、


「待ってる」


 あたしは、アリスを受け止める準備をしておくだけだ。アリスが微笑んだ。


「相談、してみる」


 アリスがもう一度あたしに抱き着いた。


「ありがとう。ニコラ」


 すぐに離れる。あたしは首を傾げる。


「……もういいの?」

「うん」

「そう」

「ニコラ、そろそろ戻らなくていいの? 抜けてきたんでしょう?」

「アリスは落ち着いた?」

「ええ。もう大丈夫」


 アリスがにこりと笑った。


「ありがとう」

「なら、いいの」


 あたしも微笑む。


「じゃあ、戻る」

「お菓子、届けてくれてありがとう」

「うん」

「奥さんにも、よろしく言っておいて」

「うん。分かった」

「本当にありがとう」


 アリスがあたしに手を振った。


「今日は、送れないけど、ここで」

「ええ」


 あたしはアリスに手を振る。


「明日ね。アリス」

「ええ」


 アリスが頷く。


「また明日ね。ニコラ」


 アリスの笑顔を見てから、あたしは扉を開けて、ゆっくりと閉めた。




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