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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
248/590

第15話 10月29日(2)

(*'ω'*)



 地面が揺れた。



( ˘ω˘ )



 時計台に穴が空いた。



(*'ω'*)



 イルミネーションがキラキラ光る。



( ˘ω˘ )



 出店の組み立てを行っていた男達が地面に転んだ。



(*'ω'*)



 地面が揺れた。



( ˘ω˘ )



 バスケットが落ちた。



(*'ω'*)



 アリスの腕を掴んだ。



( ˘ω˘ )



 悪夢は見ない。これは現実だ。



(*'ω'*)





「……」


 アリスが黙った。あたしが黙った。商店街にいた人々が黙った。時計台から出る煙を見て固まった。硬直する。煙を見る。店から誰かが出てくる。客も、店で働く人も、子供達も、皆、時計台を見る。


「……」


 アリスが息を吸った。


「え?」


 次の瞬間、また爆発した。


「あ」


 お化けが爆発した。


「きゃあ」


 花が爆発した。


「きゃあ!」


 お菓子が爆発した。


「きゃあああああああああああああああああああ!!!」


 ろうそくが爆発した。


「な、なんだ!!」


 イルミネーションが爆発した。


「きゃあ!」

「うわあ!」


 ハロウィン祭の飾りが爆発した。


「ぎゃああああ!!」

「危ない!!」


 逃げ惑うが、その先も爆発した。


「わあああああああああああああああ!!」

「こっちだ!!」


 店が爆発した。


「ひい! いいいいいいいい!」

「いやあああああああああああああ!!!!」


 色んなものが吹き飛んだ。


「あぐっ!」


 一人が倒れた。


「きゃあああああ!!」


 一人が逃げた。


「ぎゃああああああああああ!!」

「きゃあああああああああああああああああ!!!!」

「うわああああああああああああああああああああああ!!!!」


 逃げた先で爆発した。


 ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!


 悲鳴が起きる。

 人々が逃げ惑う。

 傘が転がる。

 長靴が至る所で脱げ落ちる。

 爆発する。

 煙が立つ。

 人々が逃げる。

 人々が人を踏んだ。

 人々が逃げ惑う。

 爆発する。

 人々が倒れた。

 人々が逃げる。

 人々が走り回る。

 あたしはただただ呆然と地面に座り込み、青い顔で穴の開いた時計台を見つめていた。


 12時。


(どうしよう)


 12時。


(どうしよう)


 12時。


(日付を間違えた)


 12時。


(ハロウィンの二日前は今日だった)


 10月29日。


(今日だったんだわ……!)


 血の気がみるみる下がっていく。

 爆発が起きる。

 煙が立つ。

 爆発が起きる。

 風が吹く。

 人々が悲鳴をあげた。

 人々が逃げ惑う。

 瓦礫が降ってくる。

 雨が降ってくる。

 髪の毛が濡れる。

 人々が滑る。転ぶ。倒れる。

 逃げる。惑う。突き飛ばす。突き飛ばされる。倒れる。

 踏む。怪我をする。悲鳴をあげる。倒れる。

 人々がぶつかり合う。逃げ惑う。

 爆発する。

 風が吹く。

 人々が逃げ惑う。

 あたしの血の気が下がっていく。

 人々が逃げ惑う。

 あたしは呼吸するのを忘れる。

 人々が逃げ惑う。


 アリスがあたしの腕を掴んだ。


「ニコラ!」


 ――あたしは、はっとする。


 腕を見る。見上げる。アリスがあたしの腕を掴んでいる。周りをきょろきょろ見ているアリスがここにいる。


(え?)


 テロ事件。


(あれ?)


 無差別殺人犯。


(あれ?)


「ニコラ!!」


 アリスがあたしの背中を叩いた。


「何やってるの! 立って!」

「あ……」

「立って! 早く!」


 アリスがあたしの腕を引っ張る。無理矢理立ち上がる。


「え……」


 周りを見回すアリスを見る。


(……待って。……なんで、アリス……)


「しっかりしてよ! 私がパニックになれないじゃない!」


(だって、アリーチェは、……ここに……)


「とにかく逃げましょう! 早く! 安全な場所に!」


 アリスが強くあたしの腕を引っ張った。直後、誰かが悲鳴をあげた。


「危ないぞーーーー!!」

「きゃーーー!!」


 近くから聞こえた悲鳴にアリスがはっとして、慌ててあたしの頭を押さえ、その場に座り込んだ。せっかく立ったのに一緒に地面に戻る。悲鳴が大きくなる。どーーーーん! とすさまじい音が商店街通りに響いた。また悲鳴があがった。泣き声が聞こえる。水溜まりが大きく弾いた。雨のように上から降ってくる。体が濡れる。泥だらけになる。あたしは頭を隠して、目を開いて、情けないくらい体を震わせた。


(……覚えがある。この感じ)


 以前は馬車に乗ってた。


(今は)


 現場にいる。




 惨劇が始まる。




「ニコラ!」


 顔を上げれば、必死なアリスの顔。


「怪我は!?」

「……あ……」


 怪我はどこにもない。唇が震える。声が出ない。返事が出来ない。


「……あ……」

「きゃーーーーーーーーー!!」


 誰かが悲鳴をあげた。先ほど音の鳴った方を見る。建物が倒れ、下敷きになった人々がいた。手だけ見える人。頭が見える人。血が溢れる。血が流れる。水たまりのような血が流れてくる。


「駄目!」


 アリスがあたしの顔を両手で押さえ、自分に向かせた。


「ニコラ! 見ちゃ駄目!」


 あたしの視界がアリスでいっぱいになる。アリスはあたしの頭を必死な顔で押さえる。世界が遮断される。耳には悲鳴が聞こえる。すすり泣く声が聞こえる。パニックになって呆然とする人の声が聞こえる。雨が降る。あたしとアリスが濡れ続ける。


「ここも危ないかも」


 アリスが地面に膝を立てた。


「ニコラ、ドリーム・キャンディに戻ってみましょう。あそこには社長も奥さんもサガンさんもいるし、何とかしてくれるわ」

「……でも……」

「大丈夫よ! ニコラ」


 アリスが微笑んだ。いつもの向日葵のような笑顔であたしに手を差し伸べた。


「さっきヘンゼさんとグレタさんもいたし、きっと今頃原因を調べてくれてるわ! 応援の兵士だってすぐに来るわよ!」


 町はボロボロだった。死人も怪我人も多く出た。

 犯人は、アリーチェ・ラビッツ・クロック。


「さあ、ニコラ」


 アリーチェ・ラビッツ・クロックが、あたしの手を掴んだ。


「立って!」


 普段見せない真剣な顔であたしを引っ張る。あたしはよろよろと立ち上がる。アリスが壁になり、崩れた建物も、死体も、あたしの視界から消された。


「さあ、ニコラ、慎重に行きま……」


 また爆発が起きた。あたしとアリスが身を寄せて縮こまった。人々が悲鳴をあげた。人々が体を縮こませた。建物に穴が開いた。巻き込まれた女の腕が吹っ飛んだ。巻き込まれた男の足が吹っ飛んだ。子供の泣き声。倒れた母親。血が流れる。兵士は来ない。警察も来ない。また爆発する。地面が揺れる。あたしとアリスが足に力を入れる。体を縮こませ、寄り添い合う。


「……」


 座り込んで泣いてる少女がいる。


「……」


 姉らしき人物が少女を引っ張り、走っていった。


「……」


 あたしは顔を上げた。


「……」


 穴の開いた時計台の針は12時を差している。


「……」


 あたしの頭が白くなった。





「メニー」






 アリスが息を呑んだ。


「え」


 アリスも時計を見た。


「……」


 アリスがあたしに微笑んだ。


「だ、……大丈夫よ!」

「……」



 10月26日。



 ――10月28日って、一番ジャックが暴れやすい時期なのよ。悪いことが起こりやすいの

 ――え? そうなの? 初めて聞いた。

 ――商店街の人が言ってたわ。ジャックの都市伝説で、言い伝えられてるんだって。

 ――へえ、そうなんだ……。

 ――悪夢の夜も収まらないし、どうせ商店街は閉鎖されてるし、屋敷でピアノの練習でもしてなさい。

 ――うん。分かった。



 10月28日、事件は起きなかった。起こるはずもなかった。



 ――……商店街が始まるのって、29日からだっけ?

 ――そうよ

 ――お弁当届けて大丈夫?

 ――大丈夫だけど、多分混んでると思うわよ。

 ――大丈夫。お姉ちゃんとお昼ご飯食べたいから、またお昼に行くよ。

 ――またナンパされるかもしれないわよ。屋敷に居たら?

 ――大丈夫。行く。


 メニーが微笑んだ。


「リトルルビィにもアリスちゃんにも会いたいもん」

「……そう」


 あたしはサイコロを投げた。


「なら、好きにおし」

「はーい」



 サイコロはころころ転がっていった。




( ˘ω˘ )



 これは現実だ。



(*'ω'*)



「……い」


 あたしとアリスの体が離れる。


「行かなきゃ」

「え?」

「行かなきゃ」


 死刑になる。


「ニコラ」

「あたしのせいじゃない」


 死刑になる。


「ニコラ」

「あいつが来るって言ったのよ」


 メニーがここで死ねばあたしは死なない。

 メニーがここで生きていればあたしには殺される未来が待っている。


 もしも、生きてしまったら、


「どうして迎えに来てくれなかったの」


 信頼が崩れるのは一瞬だ。


「あたしのせいじゃない」

「ニコラ」

「今なら間に合う」


 頭がパニックになる。


「だから、行かないと」

「ニコラ」

「あたしは良いお姉ちゃんだから」


 足が恐怖でふらつく。


「あたし、行かないと」

「ニコラ、落ち着いて」

「あたし、悪いことしないもの」

「ニコラ」

「あたし」


 地面が揺れる。爆発が起きる。


「ああ」


 爆発が起きる。


「ああ……」


 人が死ぬ。


「……っ」


 人から血が流れる。


「……」


 地面が揺れる。


「……」


 歩いた先の建物の二階が、


「っ」


 爆発した。


 きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 アリスに頭を押さえられた。


「ニコラ! 危ない!」


 二人で座り込む。爆発が起きる。地面が揺れる。悲鳴があがる。


「いやあああああああああああああああああああ!!」

「ニコラ!!」

「死にたくない!!」


 叫ぶ。


「死にたくない!!」


 生に執着する。


「あたし死にたくない!!」


 行かないと死が待っている。


「もういやああああああああああああああ!!!!!」


 うずくまる。どこかで爆発が起きる。


「やああああああああああああああああああ!!!!」


 アリスに抱きしめられる。


「あああああああああああああああああああ!!!!」


 アリスがあたしを見た。


 いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!







「ちゅ」







 ふに、とくっついた。





 唇に、唇が重なった。





 息が止まった。


 声が止まった。


 両頬を押さえられる。


 体が硬直した。


 目の前にはアリス。


 瞼を下ろしたアリス。


 あたしの唇に、唇を押し付けているアリス。


「……」


 黙ると、固まると、そっとアリスから離れた。いつもの深い緑の瞳で、じっと、あたしを見つめる。


「……落ち着いた?」

「……」

「落ち着きましたか?」

「……」

「もー!」


 アリスがあたしの手を握り、背中を撫でた。


「しっかりして」


 優しい声。


「私よりちゃんとした脳を持ってるんだから」


 アリスが頬を緩ませた。


「落ち着いて。ね? 大丈夫だから」


 アリスが笑顔を浮かべた。


 その瞬間、周りに向日葵が咲いたように温かくなった。


 雨が降っているのに、なぜか心は温かい。


 落ち着きが帰ってきた。


 心が冷静になってくる。



 アリーチェの笑顔は、とても殺人鬼には見えない。



「メニーが噴水前に来てるなら、誰かと避難してるかも。これだけの騒ぎだもの。どんな大人だって子供が歩いてたら手を繋いで、一緒に逃げるわよ」

「……」

「ニコラ、落ち着いて。ね? 大丈夫よ。メニーは強い子だもの」


 アリスがあたしの背中を撫でた。


「ほら、爆発も終わった。周りがちょっと火事になってるだけよ」

「……」

「お店に戻る前に、先に噴水前に行ってみましょう? ね? で、そこでメニーがいれば、一緒に避難すればいいわ。でしょ?」

「……ん」


 あたしの視界がゆらりと揺れる。アリスの眉がへこんだ。


「もう、ニコラったら心配性ね」


 アリスがあたしを抱き寄せた。


「大丈夫よ。大丈夫、大丈夫。絶対大丈夫よ。だって、もうどこも爆発してないもん」

「……っ」


 大粒の涙があたしの目から落ちていく。アリスのドレスにまた染みがついた。


「泣きたいのはこっちよ!」


 あたしは大泣きすれば、アリスが笑う。


「もう! 感謝してよね! 私、ファースト・キスだったんだから!」


 アリスがあたしをあやすように撫でる。


「大丈夫♪ 大丈夫よ、ニコラ♪ アリスちゃんも一緒だもん♪ らららん♪ 雨もニコラの味方よ♪ 涙を一緒に流してくれるんだもん♪ らんらんらーん♪」


 アリスが馬鹿な歌を歌って、私の背中を叩いた。


「さ、いつまでも泣いてないで、メニーを迎えに行きましょう。大丈夫? 立てる?」

「……ん」

「手、繋ごう?」


 アリスがあたしと手を繋いだ。


「これでいいわ」


 一緒に立つ。


「行きましょう」


 壊れた傘を無視して、ゆっくり歩き出す。


「リトルルビィも大丈夫よ。社長達と逃げてるだろうし」


(……そうだ。リトルルビィがいる)


 あの子がいれば大丈夫だ。


(ソフィアだっていた)


 キッドの部下達が大勢いる。


(歴史が変わってる)


 大丈夫。きっと大丈夫。そう思わないと、不安が募っていく。

 人々が逃げ走る。アリスとあたしは手を繋いでゆっくり歩く。


「……何が起きてるのかしら」


 アリスが周りを見る。


「ニコラ、広場の方、すごいわ」


 煙が止まらない。


「エメラルド通りも」


 煙が止まらない。


「噴水前も、煙が出てるみたい。急ぎましょう。慎重にね」


 アリスが言った直後、近くで爆発音がした。地面が揺れる。アリスがはっと小さく息を呑み、足を止めた。上から物が降ってくる。あたしは硬直した。人々が悲鳴をあげる。誰かが下敷きになる。悲鳴をあげる。人々が倒れる。アリスがあたしの頬にキスをした。あたしの視界がアリスだけになる。


「……見ちゃ駄目よ。ニコラ」

「……」

「……行こう」


 アリスが速やかに歩く。大股で歩く。あたしを引っ張る。爆発する。地面が揺れる。腕を押さえる人がいる。足を押さえる人がいる。アリスが歩く。大股で歩く。見ないように前だけ見て歩く。見覚えのある店の前を通る。煙が止まらない。飾りが燃える。花が燃える。草が燃える。バルーンのお化けは笑っている。


 商店街から抜けた。


 アリスがあたしを引っ張って進む。噴水前へ向かう。煙が立つ。店が燃えている。雨が降る。バケツの水で火を消している。怪我人が座り込んでいる。


 噴水前に辿り着く。噴水にひびが割れ、水が四方八方から飛び出していた。


「……」


 アリスが黙る。あたしが黙る。また爆発が起きる。揺れる。煙が立ち込める。止む気配はない。


「……メニー、どこかしらね」


 アリスが辺りを見る。人々が逃げる。縮こまる。じっとする。メニーはいない。


「ニコラ、一緒に探しましょう」


 アリスが見回す。あたしも美しい少女を探す。


 ――ドロシー。


 頭の中で、呼ぶ。


 ――ドロシー。


 聞こえないだろうけど、呼んでみる。


 ――ドロシー。


 必死に呼んでみる。


 ――ドロシー!









「にゃあ」








 猫の声が聞こえて、はっとする。振り向く。緑の猫が駆けてくる。あたしは目を見開く。向こうからメニーが駆けてくる。


「お姉ちゃん! アリスちゃん!」


 膝から血を出したメニーが走ってくる。


「っ」


 イルミネーションが爆発する。メニーが構わず走った。


「メニー!」


 アリスが手を伸ばす。遠くで瓦礫が落ちる。メニーは気にせず走る。あたし達に駆けてくる。アリスがメニーの腕を掴んだ。また爆発する。地面が揺れる。


「っ」


 メニーが悲鳴をあげる前に、アリスがメニーを引っ張った。あたしとアリスの胸にメニーが飛び込んでくる。三人で縮こまる。周りの人々も縮こまった。どこかで悲鳴が聞こえた。


「っ」


 アリスが息を呑んだ。メニーが肩を揺らして荒い呼吸を繰り返す。ドロシーがメニーの足元をうろうろする。あたしはメニーを強く抱きしめる。地面の揺れが収まる。


「……はあ……」


 メニーが胸を押さえて、顔を上げた。


「……会えて良かった……」


 アリスがメニーを見下ろした。


「メニー、怪我は?」

「ちょっと転んだだけ」

「あら大変」


 アリスがポケットからキッドのイラストが描かれたハンカチを取り出し、メニーの膝に押し当てた。


「消毒液無いけど、我慢してね」

「大丈夫」

「あら、やっぱりメニーは強い子ね。偉いわ」


 アリスが微笑み、メニーの頭を撫でた。


「……」


 あたしはメニーの肩を掴み続ける。


(……しぶとい女ね……)


 迎えに来て正解だった。信頼は築けたまま。


(……)


 メニーの肩を握り締める。


「……」


 足元で、ドロシーがあたしを見上げている。


「……ごめんなさい……」


 あたしの目には涙が溜まっている。


「……日付……間違えた……」


 ドロシーがあたしの足元に顔を摺り寄せた。


「にゃあ」


 ――君は悪くないよ。


 緑の目が、そう言った気がした。


「……お姉ちゃんは何も悪くないよ?」


 振り返ったメニーがあたしの手を撫でた。


「泣かないで」

「……泣いてない」

「泣いてる」

「……お黙り」

「安心したのよ」


 アリスがあたしとメニ―を抱きしめた。


「よしよし。お姉さんのアリスちゃんが二人を抱きしめてあげるわ!」

「ひゃ」

「むぎゅっ」

「にゃあ」

「あら、緑の猫ちゃんがいるわ。可愛いわね」


 アリスがしゃがんでドロシーの頭を撫でた。


「メニーの猫ちゃん?」

「うん。ドロシーっていうの」

「ドロシー」


 アリスが微笑んだ。


「私はアリス。よろしくね!」

「みゃあ」


 ドロシーがアリスに頭を押し付けた。アリスがメニーに顔を上げた。


「メニーとドロシーはどこかに避難してたの?」

「うん。外にいたら危ないからって、知らないお姉さんと避難してたの」


 そしたらね、急にドロシーが走り出して。


「追いかけたら、アリスちゃんとお姉ちゃんが」

「あら、お利口ね。でもドロシー、危ないことはしちゃ駄目よ」

「にゃあ」


 アリスが立ち上がった。


「騒ぎが収まるまでここにいてもいいけど、こういう時は大人と避難しなさいって姉さんに言われたことがある。とりあえず、ドリーム・キャンディに行きま……」


 アリスが言い終わる前に、噴水通りの教会が爆発した。


「っ」


 アリスが息を吸った。教会から煙が出てくる。子供を引っ張ったシスター達が血を流して出てきた。


「……」


 アリスが黙った。本当にドリーム・キャンディに戻った方がいいのか、考え始める。


「……逆に、危ないかしら……」

「…お姉ちゃん、なんか、痛い」


 メニーが少し離れる。あたしのポケットを見下ろしている。


(……ん?)


 あたしは鼻をすすりながら、膨らんだポケットを見下ろす。


(……)


 GPS。


「っ」


 あたしは急いでポケットから取り出す。


「ん、何それ?」


 アリスがきょとんとする。メニーも見ている。あたしは気にせずボタンをぽちぽち押す。地図画面が表示される。リトルルビィの場所を確認する。店の前にいる。


(……)


 ソフィアの場所を確認する。商店街通りを歩いている。


(……)


 キッドの場所を確認する。


(……)


 大きな被害を受けた広場にいる。


(……)


 あたしは顔を上げる。


「大丈夫」


 二人に言う。


「……大丈夫」


 ドロシーを見る。


「キッドがいる」


 ドロシーの瞳があたしを見つめる。あたしはGPSを握り締める。


「そうね」


 アリスが微笑んで、あたしの背中を撫でた。


「キッドがいるんだもの。大丈夫よ」


 アリスがあたしの隣で微笑み、メニーの肩を掴んだ。


「ね? メニーもそう思うでしょ?」

「……えっと」

「メニー、キッドはすごいのよ!」


 目を輝かせたアリスが口を動かす。


「キッドはすっごくかっこよくて、すっごく色っぽくて、すっごく紳士ですっごくさわやかですっごく王子様ですっごく理想的ですっごくすっごくすっごくすっごくすっごいのよ!!」

「……。……えっと」

「あ、そうだ、これあげる!」


 アリスがメニーの手にそっと乗せる。キッドのぬいぐるみストラップ。メニーがぬいぐるみストラップを見下ろし、眉をひそめた。


「これ、人にあげる専用なの! ニコラにあげようと思ったんだけど、メニーにあげる! ニコラごめんね。今回は我慢してね」


 あたしは全力で頷いた。


「……」


 メニーがアリスに顔を上げ、首を振る。


「アリスちゃん、……これ、いらない」


 メニーが言うと、アリスが笑った。


「ふふ! メニーってば! 遠慮しなくていいのよ!」

「……いらない」

「大丈夫! 私は自分用にもう一つ、鑑賞用にもう一つ持ってるから!」

「……いらない」

「大丈夫よ! ほら、可愛いでしょう! 見てるだけで、元気が出てくるでしょう!」

「……」

「いいのよ! ニコラにはまた別のをあげるから! 受け取って!」


 アリスがメニーの手を包み、優しくストラップを握らせる。ストラップは、中につまった綿のお陰でやわらかそうだ。メニーはにこにこ嬉しそうに微笑むアリスを無言で見つめる。あたしはメニーを同情の目で見つめる。


「これで元気いっぱいね! うふふ!」


 アリスが温かい手をメニーから離す。メニーの手の中に、キッドのぬいぐるみストラップだけが残される。


「どう? どう? 元気になった?」


 期待の目でアリスがメニーを見てくる。メニーがにこりと微笑む。


「……ありがとう。アリスちゃん」

「うふふ! どういたしまして!」


 メニーがちらっと手の中のキッドをぬいぐるみストラップを見る。あたしを見上げる。


「お姉ちゃん」

「いらない」


 メニーは黙って、少し寂しそうに鞄の中にストラップをしまった。アリスが周りを見回す。


「……移動するなら今かも。爆発の音がしなくなったわ」


 アリスがあたしに顔を向けた。


「戻ってみましょうか」

「ん」


 あたしが頷くのを見て、アリスがメニーに顔を向けた。


「ねえ、メニー。今から商店街に戻ろうと思うんだけど、約束してくれない?」

「約束?」

「絶対周りを見ないこと」


 アリスが優しく微笑む。


「嫌なもの見ちゃうだろうから」


 アリスがメニーに微笑む。


「泣き声とか、悲鳴が聞こえても、絶対にお姉ちゃんから目を逸らしちゃ駄目よ」


 アリスがメニーの肩を握った。


「いい?」

「……はい」

「約束ね」


 アリスがメニーににこっと笑ってから、あたしに視線を動かした。


「ニコラ、メニーの手、絶対離しちゃ駄目よ」

「分かってる」

「行きましょう」


 アリスが歩き出す。あたしはメニーの手を握る。商店街へ向かって、三人で足を進めた。


 歩けば、遠くの方でまた爆発が起きた。地面が揺れる。人々が悲鳴をあげる。子供が泣き叫ぶ。アリスが先頭に立って歩く。周りを見る。アリスが歩く。メニーがあたしの手を握る。あたしは歩く。メニーを引っ張る。ドロシーがメニーの足元を歩く。雨が降り続く。ドリーム・キャンディの方へ戻っていく。通りに並ぶ店の前に、人々が座り込み、立ち尽くし、その場で待機していた。泥がつくのも気にしない。もう服は既に汚れている。瓦礫だらけ。馬が走る。警察達が商店街に入ったようだった。人々が背中を撫で合う。大丈夫と励まし合う。死体の前ですすり泣く。人々はそれを慰める。


 しばらくして、奥さん達を見つける。


「あ、いた」


 アリスが声をあげた。

 社長と奥さんが店の前に座り、何かを囲んで、サガンと見下ろしている。傍にいたリトルルビィがあたし達を見つけ、はっと目を見開いて、走ってきた。


「アリス!」


 駆けてくる。


「テリー! メニー!」


 叫んだ。


「カリンさんが!!」


 アリスがはっとして、走りだす。リトルルビィがあたし達に駆け寄る。アリスが社長と奥さんとサガンが見下ろすものへ走った。見下ろして、口を押さえる。


「そんなっ、……カリンさん!」


 座り込む。アリスの瞳から涙が溢れてくる。奥さんがアリスの肩を撫でた。


「大丈夫。私もカリンも足をやっただけさ」

「でも、これ、でも……!」

「大丈夫だよ。カリンは痛みで気絶してるだけ」

「うう……! うううううっ……!!」


 奥さんも自分の足をさする。アリスが手で顔を覆う。建物から煙が出る。社長もアリスの肩を撫でた。サガンが社長に顔を向ける。


「とりあえず、警察から指示が来るまで、下手に動かない方がいい」


 社長が頷く。


「テリー」


 リトルルビィに視線を移す。


「……怪我は無かった?」

「……ええ」


 リトルルビィがメニーを見る。


「メニーは?」

「ちょっと転んだ」


 メニーが膝を見せる。リトルルビィが頬を緩ませる。


「……無事で良かった……」


 あたし達を義手の腕と生身の腕で抱きしめた。


「本当に良かった……」

「……何が起きたの?」


 メニーがリトルルビィに訊くと、リトルルビィが腕を離し、首を振った。


「分からないの。いきなり爆発が起きたのよ。町中に爆弾が仕掛けられてたみたい」


 イルミネーションはきらきら光る。


「私、全然気づかなかった。本当に、急に、いきなりで……」


 リトルルビィが無理矢理口角を上げた。


「でも、大丈夫! キッドも駆け付けたし、今、警察が入ったから。もう少しで兵士達も……」


 近くで爆発が起きる。地面が揺れる。人々が体を力ませた。揺れる。商店街が揺れる。店の屋根から物が落ちてきた。看板が落ちてきた。洗濯物が落ちてきた。丸太が落ちてきた。落ちる。揺れる。落ちる。落ちる。


「あ」


 メニーが声を漏らす。建物に火がつく。


「わっ」


 燃える。


「離れろ!!」


 黒馬が走る。グレタが叫ぶ。


「危険だ! 離れろ!!」


 グレタが誘導する。人々が逃げ出す。兵士が走ってくる。


「火を消せ! 火を!」

「バケツを!」


 商店街の人々が店からバケツを持ってくる。手渡しでバケツを兵士に渡し、水をかける。雨も降っている。降り続ける。社長があり得ない方向に足の曲がったカリンを抱えて、立ち上がった。


「リタ、離れるぞ。ここは危険だ」

「先に行って」


 奥さんが首を振る。


「立てないよ。足が痛いんだ」

「俺がおぶろう」


 サガンが奥さんを背中に抱え、持ち上げた。


「いてて……。悪いね。サガンさん」


 奥さんがあたし達に振り向いた。


「ニコラ、怪我はないかい?」

「ありません」

「アリスもないね?」

「……はいっ……」


 鼻をすすりながらアリスが頷いた。


「一緒に逃げよう。固まった方がいい」


 あたしはメニーの手を引っ張る。リトルルビィが歩き出す。社長とサガンが話す。


「行くぞ」

「……通りから出るか。商店街は物が多い」

「ああ」


 サガンの提案に社長が頷く。歩き出す。アリスも社長の横を歩き出す。商店街通りの出口に向かう。


 ――その瞬間、商店街の中心が爆発した。


「っ」


 大勢の人が呼吸を止めた。息を呑んだ。突風が吹いた。吹き飛ばされた。


「あ」


 アリスが悲鳴をあげる前に、吹き飛ばされる。


「あっ」


 風が起きる。あたしが吹き飛ばされる。


「っ」


 メニーがあたしの手を握る。


「おねえちゃ……!」


 また近くで爆発が起きる。風がびゅんと吹く。


「あ」


 目の前に、木の板。


「っ」


 こつんと、あたしの頭に当たる。


「あ」


 あたしは声を出すと同時に、その衝撃で、意識が遠くなる。


「お姉ちゃん!」


 メニーの声が響く。


「社長!! 奥さん!!」


 アリスの声が響く。


「テリー!!」


 リトルルビィの声が響く。


「わあああああああ!!」

「きゃああああああ!!」


 人々の悲鳴が聞こえる。あたしは手を伸ばす。


「アリス」


 爆発が起きる。


「アリス」


 地面が揺れる。





 アリス。






 アリスは涙を流す。

 アリスは微笑む。

 アリスは笑う。


 アリスは、泣きながら笑っていた。





 あたしの意識が遠のく。






( ˘ω˘ )




 もう悪夢は見ない。

 ただ、残酷な現実が待っているだけ。




(*'ω'*)







 ――頭が痛くて、あたしは目を開けた。




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― 新着の感想 ―
[一言] 無差別通り魔テロが無差別爆弾テロに置き換わっちゃった。
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