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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
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第13話 10月27日(4)


 ??時。閉鎖病棟。



 メニーと一緒に頑丈に見張りのついた廊下に移動する。兵士達があたし達の顔を見ると敬礼する。その前を通る。一人の前を通る。もう一人の前を通る。人々の前を通っていく。一歩踏み出すと、一輪の赤いテリーの花を差し出された。


「ふっ」


 横を見ると、ヘンゼが銀髪をなびかせ、微笑んでいる。


「こんな所で君の顔が見れて嬉しいよ。小さな小林檎ちゃん」


 おっと。


「なんて美しい少女を連れているんだろう。貴女がメニー様。初めまして。お兄さんの名前はヘンゼル・サタラディア。リオン様の護衛兵さ」


 メニーがあたしの背中に隠れた。


「ふっ! 照れているんだね! この花をどうぞ。マドモワゼル」


 花を差し出されたメニーが、ちらりとあたしを見た。


「……お姉ちゃん、いる?」

「無視して」

「分かった」


 あたしとメニーが無視した。ヘンゼがふっ! とまた笑う。


「二人揃ってお兄さんに照れるなんて! このシャイガール達め! ああ! モテてしまうお兄さんは、なんて罪深い男なんだ!!」

「兄さん!!」


 グレタが大股で歩いてくる。


「ニコラが困っている! さっさと退くんだ!!」

「グレタ、見て分からないか。俺は今からこのマドモワゼル達をリオン様の元へ連れて行くところさ」

「兄さん! 俺が行く!」

「グレタ、お前は見張りをやっていろ! 俺の邪魔をするんじゃない!」

「兄さん! 俺は少しニコラと話したいんだ!!」

「うん?」


 ヘンゼが首を傾げた。あたしはきょとんとした。グレタがあたしを見下ろした。


「ニコラ!!」


 跪く。


「テリー・ベックス様」


 大声だった声を抑えて、グレタがあたしを見上げる。


「今までのご無礼、どうぞお許しください。この10月いっぱい、貴女様を見かけてもお名前をニコラと呼ぶよう、スノウ王妃にきつく言われておりました故、遠くから見守らせていただいておりました」


(……遠くから、ね)


 ドリーム・キャンディで、初めてあたしと会った時のグレタは、はっとしていた。

 あたしの顔を見て、一瞬目を逸らした。そして、しっかり目を見開いて、あたしをしっかり見て、こう言った。


 ――頑張るんだぞ!! 少女!!


 ものすごい近距離で、見守っていた。

 あたしは苦い笑みを浮かべる。


「知ってて、黙っていてくれたのね」

「深い事情までは知らされておりません。ただ、貴女様にはやるべきことがあり、それを達成されるまではニコラと呼ぶようにと……」


 グレタが瞼を閉じた。


「出来るだけ、貴女様がトラブルに巻き込まれないよう、私が個人判断で、お菓子も食べたいということもあり、店へ行っておりましたが」


 グレタが瞼を上げ、微笑んだ。


「一生懸命働くことを学ぶ貴女様を見て、私は思いました。テリー様なら、リオン様といられると」

「何かあれば、私が動く予定でしたが、その必要もありませんでした」


 ヘンゼが微笑む。グレタが微笑む。ヘンゼの口が開いた。


「リオン様は、テリー様を妹のように可愛がりました。ペットを愛でるように、守る対象だと決めたのです。ふっ。……もしもの暴力も視野に入れておりましたが、その心配はなかった」


 グレタが立ち上がる。


「それを見て、我々は安心しました。リオン様の状態が良くなっていることにも、安心しました」

「心から」

「胸中から」

「リオン様の気分には波がある」

「暴れたら我々が止めるしかありません」

「テリー様は大切なキッド殿下の婚約者」

「そして大切な、リオン様のご友人」

「テリー様」

「我らの主が、話をしたいそうです」


 ヘンゼが言う。


「テリー様」


 グレタが言う。


「この先にいます」


 ヘンゼルとグレーテルが扉を開いた。


「「どうぞ、ごゆっくり」」


 グレタが右に避けた。ヘンゼが左に避けた。あたしは歩いた。メニーを引っ張った。猫が鳴いた。


「にゃー」

「あ」


 メニーが振り向いた。


「ドロシー、ここにいたの?」

「にゃー」


 ドロシーがメニーに足元にきた。ドロシーがメニーの足に顔を摺り寄せた。そして、あたしを見た。あたしはその目を見て、メニーの手を離した。


「メニー、あんた、ここにいなさい」

「え」

「猫をリオン様の部屋に連れて行くわけにはいかないでしょう?」


 ドロシーはメニーの気を引く。メニーから離れない。


「ここにいて」

「でも」

「メニー?」


 白い部屋から、ひょこりとリトルルビィが出てきた。


「あ」


 あたしから声が出ると、リトルルビィがあたしを見た。目を輝かせた。


「テリー!!」


 駆け寄り、あたしに抱き着く。


「テリー!!」

「はいはい」

「もう大丈夫なの?」

「目が覚めた」


 リトルルビィの背中を叩く。


「メニーの相手してあげてくれない?」

「キッドにも同じこと言われたの」


 リトルルビィがむっとして、すぐにふわんと微笑んで、メニーに歩いた。


「メニー、邪魔者の子供は向こうで遊んでよ!」

「ん……」


 メニーがあたしを見る。あたしは肩をすくめる。


「大丈夫よ」

「分かった。……待ってる」


 メニーが頷き、リトルルビィに微笑む。


「リトルルビィ、ドロシーと遊ぼう」

「ドロシーだ! 久しぶり!」

「にゃー」


 メニーがドロシーを抱え、リトルルビィがドロシーの頭を撫でた。すると、ヘンゼが二人に向かって歩き出す。


「ふっ! 仕方ない。小さなフラワーちゃん達。お兄さんと鬼ごっこして遊ぼう! 大丈夫! 優しくしてあげるから……!」

「メニー、行こう」

「うん」

「ああ、照れてるんだね! ふっ! なんて可愛いんだ。照れ屋なマドモワゼルはとても可愛い! お兄さんの胸がずくずくしてしまうよ!!」

「メニー、向こうに行こう」

「うん」


 二人が早足で歩き出す。ヘンゼが笑いながら追いかける。今度はグレタが歩き出す。


「兄さん!! やめろ! 可憐な少女達が怖がっている!」

「グレタ、分かってないな。彼女達は怖がってるんじゃない。照れてるんだ!」

「兄さん!! なんで分からないんだ! そんなんだから兄さんは天然の馬鹿野郎と言われるんじゃないか!」

「グレタ、天然の馬鹿野郎はお前じゃないか!」

「兄さん! 俺は天然の馬鹿野郎なのか!?」

「グレタ、そうだ! お前は天然の馬鹿野郎さ!」

「兄さん! 俺は天然の馬鹿野郎なのか!」

「グレタ、そうだ! お前は天然の馬鹿野郎だ!」

「兄さん! それはつまり、俺達は一心同体と言うことか!」

「グレタ、ゴツい顔で何言ってるんだ! 気持ち悪い!!」

「兄さん! 俺達は一心同体の双子だ!!」

「グレタ! 大声でやめろ! 気持ち悪い! 背中がぞわぞわする! 何も嬉しくない! そういうところが鈍感なんだよ!」

「兄さん! 俺は鈍感なのか!?」

「グレタ! お前は鈍感だ!!」

「兄さん! さっき俺は天然だと言ったじゃないか!」

「グレタ! 人の揚げ足を取るな!」

「兄さん!」

「グレタ!」

「「ホワイ!!??」」


 周りの兵士達が呆れて双子を見る中、あたしも無視して部屋に入った。


 白い部屋の扉を閉める。


 じいじがソファーに座っていて、ソフィアが壁に背中を置いて立っていて、キッドがベッドの前の椅子に座っていて、ベッドにいるリオンがあたしを見て、微笑んだ。


「ニコラ」


 キッドがあたしに振り向く。ソフィアがちらっとあたしを見て微笑む。じいじはそのまま動かない。


「……ニコラじゃなかったか」


 リオンが言い直した。


「テリー、おいで。話そうよ」


 キッドが立ち上がる。あたしはキッドの座っていた椅子に座る。リオンとあたしが向き合う。青白い顔のリオンがあたしに微笑んだ。


「こんにちは」

「こんにちは」


 返事を返す。


「久しぶりだね」

「そうね」


 返事を返す。


「悪夢は怖かった?」

「怖かった」


 リオンが顔を引き攣らせた。


「ごめん」

「何があったの」

「そうだね」


 リオンが目を逸らす。


「どこから話そうか」




 リオンは、昔から王家の息子として見られていた。

 リオンは、生まれた時から国の王子様だった。

 リオンは、プレッシャーに押しつぶされた。

 リオンは、ストレスを抱えるようになった。

 リオンは、大人しい少年だった。

 リオンは、好きなものを好きと言えない子供だった。

 リオンは、何でも抱えた。

 リオンは、イエスマンになった。

 リオンは、何でも応えた。期待に応えた。

 リオンは、何でも答えた。正解を答えた。

 リオンは、爆発した。

 リオンは、人を殴った。友達を殴った。

 リオンは、破裂した。崩壊した。

 リオンは、病気と診断された。

 リオンは、落ち込んだ。酷く落ち込んだ。

 リオンは、落ち込んだ。キッドが王子と名乗り出て、より落ち込んだ。

 リオンは、時間だけを渡された。

 リオンは、キッドにそれ以外の全てを奪われた。

 リオンは、分かっていた。キッドは別に奪ってないこと。

 リオンは、追い詰められた。ふがいなさに悩んだ。

 リオンは、飴を舐めた。

 リオンは、正気を保つようになった。

 リオンは、飴を舐めた。

 リオンは、元気に走り回れるようになった。

 リオンは、飴を舐めた。

 リオンは、笑えるようになった。

 リオンは、二つに分離した。

 リオンは、温かい自分と、冷たい自分に分かれた。

 リオンは、分離した。


「ミックスマックスのイベントの後かな。飴を舐めた時に」


 リオンが思い出す。


「なんていうか、ふわって、体が離れた気がしたんだ」


 リオンが自分の手を見る。


「僕はここに眠っていて、ずっと眠っていて、でも僕は起きている」


 幽体離脱?


「魂だけになっていた」


 ふわふわした僕を、誰も見ない。

 気持ちよくなってしまった僕は、存在しない。


「王子様の僕を、認める人も、崇める人も、存在しない」


 悪夢。


「僕も悪夢に彷徨いこんだ」


 皆が数時間見る悪夢を、リオンは五日間見続けた。歩いた。ひたすら歩いた。座った。ひたすら座った。誰も見ない。透明人間。お化け。悪夢だ。リオンにとっての、最強の、最恐の悪夢。


 誰も自分を、見てくれない。





「君を除いて」






 リオンがあたしを見た。あたしはきょとんとした。


「不思議なことに、君だけには僕の声が聞こえていたんだ」


 まるで悪夢の呪いにかかっていないように。


「君が眠れば、僕は君の夢に入れた」


 全員が鍵付きの扉で閉められていたのに、君の扉にだけは鍵がついてなかった。


「僕は入った」

「夢の中に」

「君はいた」

「君はガゼボにいた」

「今まで待ち合わせていたように」

「ニコラがいてくれた」

「僕は説明するのが下手だから、とりあえず、君に出来そうなことをお願いした」

「名前のリストに僕の名前もあった。でも自分から告白するのは、ジャックが拒んだ。口を塞がれた」

「だから、図書館で本が返却された時にジャックのことを調べてもらって、違和感に気付いてもらえたらと思った」

「でも違和感に気付いたところで、その時の僕に近付くのは、本当に、とても、すごく危険なことだった。何をされるか分からない。僕は正気では無かったから。だから帽子を探しに行ってもらった。嫌でも本店に行くと思ったから」


 本店には、僕の事情を知ってる店長がいる。


「ウリンダのことだって」


 リオンが視線を落とした。あたしは息を吸った。


「……聞いたわ。友達だって」

「うん」

「誰」

「知らない」

「知らない?」

「知らない子」


 リオンがベッドのシーツを見つめる。


「店内で会った。試合の遊び方を教えてあげたんだ。どんどん仲良くなって、病気のことを伝えた。そしたら、彼女から言われた」


 ――次の試合で私に勝てたら、レオの病気を治す術を教えてあげる。私、薬を知ってるの。


「飴を渡された」


 リオンが瞼を閉じた。


「……紫のドレスを着ていた子だった」

「紫」


 くすす、とソフィアが笑った。


「奇遇ですね。私の時も、紫の服を着た救世主でした」

「リトルルビィも言ってたな」


 キッドが呟いた。


「紫の魔法使いさんが現れたって」

「姿形は、皆、違うかもしれない」


 リオンが呟く。


「でも、何となく、一人の仕業な気がする。たった一人の魔法使いが、僕らに、飴を渡してる。……そんな気がする」

「……ウリンダのこと、他に覚えてる?」


 あたしが訊くと、リオンが掠れた声で笑った。


「覚えてたらいいんだけどね、ごめんね。ぼんやりしてるんだ」


 記憶が抜けたように、ぼんやりしてる。


「覚えてるのは、紫色と、彼女の声」


 ――レオ。


「優しい、歌声のような、あの声」


 リオンの目があたしに向けられた。


「ごめん」


 リオンが謝る。


「ごめん。テリー」


 リオンが謝る。


「ふがいないお兄ちゃんでごめん」


 リオンが眉をひそめた。


「ごめん」


 リオンが俯いた。


「怖い思いをさせてごめん」


 あたしの手を握った。


「ごめん」

「リオン」


 あたしはその手を、上から重ねて握った。


「でも、悪夢を見てない人が一人だけいるのよ」

「メニーだろ」

「そうよ」

「君が言ったから、彼女だけは避けたんだ」

「……あたしが?」

「そうだよ。君が言ったんだ。妹のメニーを怖がらせるのはやめてって」


 ジャックは頷いた。

 妹のニコラがそう言うなら、妹の妹の、メニーには近づかないようにしようと。


「ジャックは君にも悪夢を見せた。けれど、……悪気はなかった。ジャックなりの悪戯だったんだ。彼も君が怖がるのだけは避けたかったらしい」


 ジャックは動いてくれたよ。

 お化け屋敷で怖がっていた君を怖がらせないように、数分だけ役者達に悪夢を見せていた。


 ジャックは動いてくれたよ。

 ミックスマックスイベントで襲われた君を助けようと、犯人達に悪夢を見せていた。


「でも」


 ジャックは、暴走してしまった。


「僕の気持ちが破裂して」


 キッドに負けたくない。

 キッドに負けたくない。

 キッドに負けたくない。


「国の全員を怖がらせた」

「国を恐怖で支配しようとした」


 僕が王様だ!!


「ジャックは僕の欲望だ。僕そのものだ。僕が思ったことを、ジャックがやってくれただけ」


 ジャックがいなかったら、どっちみち、僕自身がやっていただろう。


「テリー」


 リオンは微笑んだ。


「ジャックも僕も、君を本当の妹のように思ってるんだ。大切で、かけがえのない友人だと」


 君は思ったことをはっきり言ってくれた。


「だから、僕も言うよ」


 テリー・ベックス。


「僕がジャックだ」

「人々に悪夢を見せていた犯人だ」

「自分の栄光が欲しいがために君を利用した男だ」


 リオンがはっきり言った。


「……本当に、すまない」


 リオンが言った。


「どうか、僕の罪を許してほしい」


 リオンがあたしを見つめる。手は重なる。リオンの手のぬくもりを感じる。リオンの手があたしの手を握る。あたしは上から、リオンの手を握る。


 あたしは息を吸う。リオンが瞬きした。あたしは、



 唄った。



 愛しの我が君

 私は想い続ける

 君が私を見てくれなくても

 君が私を知らなくても

 君が私を選んでくれなくても

 私は想い続ける

 私の想いは全て君へ

 リオン様

 私の想いは、全て貴方に



「……」


 リオンが瞬きした。眉をひそめた。


「ん?」


 キッドが瞬きした。顔をしかめた。


「うん?」


 ソフィアが瞬きした。はっとした。


「っ」


 じいじは瞬きした。にやりと微笑んで黙った。


「リオン」


 あたしはその手を掴む。


「これは、あたしが12歳の時に作った唄」


 唄遊びが流行り出した、その時期に。


「真っ先に、思いついた唄」


 まだぬくもりが残っていた小さな胸から出た、温かい唄。


「リオン」


 あたしは見つめる。


「リオン様」


 あたしは見つめる。


「物心ついた頃、初めて貴方様をお見かけ致しました」


 小さな王子様が大きなパーティーに出席していた。あたしはパパの後ろに隠れて見つめていた。かっこいい男の子だった。あたしの目が輝いた。パパがひそりと言った。


「テリー、リオン様がいるぞ。この国の王子様だよ」


 王子様と聞いて、もっと輝いた。


(リオン様)


 輝いた。


(リオン様)


 世界が輝いた。


「ずっとお慕いしておりましたわ。リオン様」


 リオンが瞬きする。


「好きだったのよ。リオン」


 リオンが目を見開く。


「貴方だけを見ていたのよ。出会った時から、……ずっと」


 微笑んだあたしを見て、リオンが、体を震わせ、顔を真っ赤にさせ、唇を震わせ、息を吸って――叫んだ。


「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!?????」

「だめえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」


 同時に、キッドが叫んだ。

 あたしは口角を下げた。

 リオンが顔を赤と青に染めた。


「だ、な、だだ、だ、だ、な、なっ、なななななな、なぁーーーーんだってーーーーーー!?」

「……驚きすぎじゃない? 告白され慣れてるでしょ?」

「慣れてないよ!!」


 リオンが即座に否定した。


「言っただろ! 僕は人見知りで! 精神疾患を患ってるの! 女の子に、ここここここ、告白なんて、される前にする前にそんな関係になる前に自分から距離を置くの!!」


 顔の赤いリオンがあたしの手を握る。


「い、いきなり、あ、あいの、愛の告白、だなんて、な、何考えるんだ!? お、お、お、お、お、お兄ちゃんは! そんな子に君を育てた覚えはない!!」

「育てられてない」

「ぼ、僕が、好き?」

「ええ」

「君が?」

「ええ」

「……」


 リオンが少し背筋を伸ばして、キリッとした。


「ちなみに、……どこが?」

「顔」


 リオンが黙った。


「見た目」


 リオンが眉をひそめた。


「国の王子様」


 リオンが呼吸を止めた。


「それ以外に、あんたに良いところなんてある?」


 リオンが眉をひそめて黙った。


「そうね」


 あたしは手の力を緩めた。


「初めて会ったのは6歳くらいだったかしら。だから、あんたは8歳くらい。大きな舞踏会で、王子様として挨拶に回ってたのよ」

「……会ってたの?」

「話したわ」


 挨拶だけ。

 パパがお辞儀した。ママがお辞儀した。アメリがお辞儀した。あたしはぽかんとしてた。リオンと目が合った。リオンがふにゃりと微笑んだ。


「ご機嫌よう。レディ」


 その一声で、胸が高鳴った。


「それから、ずっと思ってた」


 あたしはリオン様と結婚する。


「貴方と結婚して、夫婦になって、幸せになる」


 あたしは貴族の血が流れてる。王家に仕える条件は満たしている。これは運命なんだわ。


「絶対にそうなると思ってた。だけど」


 リオンを見つめる。リオンがあたしを見つめる。


「あたしはこの一ヶ月で、よく分かった」


 あたしはリオンに微笑んだ。


「お前、よくも夢の中で、あたしを好き勝手に殺してくれたわね」


 あたしの目が鋭く、リオンを睨む。


「お前、よくも現実で、あたしを好き勝手に利用してくれたわね」


 リオンが顔を引き攣らせた。


「何が妹よ」


 リオンが自分の手を引っ張った。


「何がかけがえのない大切な友人よ」


 あたしはリオンの手を両手で挟んだ。


「何がどうか許してほしいよ」


 リオンの手があたしの手に挟まれて抜けない。


「お前のどうでもいい謝罪なんてね、何も伝わらないのよ。味がないのよ。味のないシチューと同じよ」


 ジャックなんてどうでもいい。許す許さないの問題はそこじゃない。


「あたしが許せないのは一つだけ」


 あたしは好きだった。

 リオンが好きだった。

 どうしようもなく好きだった。

 淡い恋心を、

 恋心を抱くあたしの純粋な心を、


「お前、よくも崩してくれたわね!!」


 あたしはリオンに凄む。リオンが目を見開き、冷や汗を流す。


「お前と関わったらどんどん理想のイメージが崩れていくのよ! 王子のくせに女々しいし、精神疾患持ちだし、センスはおかしいし、感受性豊かすぎるし、子供にはなめられてるし、犬にもなめられてるし、心は弱いし、蛇にはびびるし、悪夢は見せてくるし、切り裂き魔だし、結果ただのサイコパス! 魅力もへったくれも何も感じない。絶望よ。絶望。こんな男に恋をしていたあたしの純粋な心を返して!」

「君、それは言い過ぎだよ!」


 リオンがすぐに反論した。


「勝手に僕のことを絵本のようなかっこいい王子様って妄想してるのはいつだってそっちじゃないか! 僕だって人間なんだよ! 物や飾りじゃないんだよ!」

「お黙り! 王子様なら王子様らしく、素敵な王子様でいればいいのよ! 白馬に乗ってカボチャパンツと白タイツを穿けばそれっぽく見えるでしょ!」

「偏見だ! 酷い偏見だ! それと、一言言わせてもらおうか! 白タイツは動きにくいんだよ!」

「ミックスマックスよりマシよ!!」

「ミックスマックスを馬鹿にする気か!!」

「がならないでよ!! 唾が飛んだ! 汚いでしょ!!」

「飛ばしてるのは君のせいだ!」

「てめえがそもそも怒鳴るからでしょ!!」

「君だって怒鳴ってるじゃないか!!」

「あんたのせいでしょ!!」

「言い出したのは君だろ!」

「あたしが悪いって言いたいの!?」

「誰もそんなこと言ってないだろ!!」

「結局全部あんたのせいじゃない!!」

「僕も悪いけど君だって悪いところはあると思うけどね!!」

「どういう意味よ!」

「そういう意味だよ!」


 リオンとあたしが大声を出す。

 リオンとあたしが互いを睨み合う。


「最低よ。お前は本当に最悪最低な人間よ。よくも、……よくもあたしの理想の王子様像を、いとも簡単に切り裂いてくれたわね……!」

「……知らないよ。そんなの」

「は?」


 ブチッ。


「何よ。その目」

「え」


 あたしは手に力をこめる。


「お前なんて」

「え」


 あたしは腕に力を入れる。


「リオンなんて」

「え」


 あたしはリオンの腕を抱える。


「王子様なんて」

「え」


 あたしは全ての力を腕に託す。


「全員くたばってしまええええええええええええええええええええ!!!!!」

「理不尽だぁぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!!!」


 リオンの腕を引っ張って、肩で抱えて、背負って、リオンの体を投げ飛ばした。悲鳴をあげたリオンは、そのまま地面に投げ飛ばされる。

 キッドが避けた。リオンが地面に倒れる。ソフィアがぽかんとした。じいじが見守る。あたしは怒鳴った。


「帰る!!」


 あたしは歩く。リオンの背中を踏んだ。


「いだい!」


 リオンが悲鳴をあげた。あたしはリオンから下りた。リオンがくたりと脱力して、その場で伸びた。


「……ニコラ……お兄ちゃんからの……豆知識……。……今のは……君が悪い……これはね……理不尽って言うんだよ……」

「絶交よ。二度とそのハンサムな顔見せるな」

「……ニコラ……だから……それは……りふ……じん……」


 ぱたりとリオンが力尽きた。あたしは扉に向かって歩き出す。キッドが歩き出す。ソフィアがぶふっと吹き出し、顔を逸らして静かに笑い出す。じいじは動かない。あたしは扉を開けた。一歩前に出た。その瞬間、


「アリーチェ」


 ジャックの声が響いた。


「アリーチェニ会イタイ」


 あたしは振り向いた。

 リオンは力尽きている。

 鬼の子はいない。

 キッドがあたしに近づいた。

 あたしは無視して歩き出し、扉を閉めた。


「ちょっと」


 キッドが扉を開けた。あたしは腕を組んで廊下を歩く。兵士たちが敬礼する。キッドがあたしの隣を歩く。


「テリー、待って」

「メニーが待ってる」

「その前に話そう」

「やだ」

「話がある」

「やだ」

「止まれ」

「やだ」

「テリー!」


 腕を掴まれた。足が止まる。キッドを睨む。キッドがあたしを睨む。


「テリー」


 キッドの眉間に皺が寄る。


「待って」


 キッドの目が潤んでいく。


「待って」


 キッドの声が震えてくる。


「待ってよ……」


 あたしは顔をしかめた。


「……。……待ってるけど」

「こっちきて」


 キッドがあたしの腕を引っ張った。廊下を歩く。兵士だらけ。


「ああ、やだ」


 キッドが歩く。


「ああ、やだ。もうやだ」


 キッドが俯く。


「やだやだやだやだやだやだやだやだ」


 キッドが歩く。早足で歩く。トイレに行く。女子トイレに向かう。


「は?」


 あたしを引っ張る。女子トイレの中に引っ張っていく。


「おま」


 病院にしては綺麗な個室に入れられる。


「ちょ」


 キッドが扉を閉めて、鍵を閉めた。


「キッ」

「やだ」


 キッドがあたしを抱きしめる。強く強く、抱きしめる。


「絶対やだ」


 キッドの胸の中が苦しい。


「離さない」


 キッドの胸の中が痛い。


「あいつは俺の欲しいもの、全部持っていく」


 キッドの言葉が痛い。


「テリーの心も持っていく」


 やだ。


「そんなの駄目」


 キッドがあたしを離さない。


「テリー。駄目。駄目だよ。許されないよ」


 うわごとのように、呟く。


「俺のもの。テリーは駄目。テリーだけは駄目」


 うわごとのように、呟く。


「やだ」

「駄目」

「テリー」

「やだよ」

「やだ」

「やだ」

「やだ」


 キッドの声が震える。


「やだ」


 キッドがあたしを抱きしめる。


「……この」


 あたしの耳に囁く。


「罪人め」


 キッドがあたしを締め付ける。


「国の王子の心をかき乱して、なんて悪い女だ」


 あたしの肩に顔を埋めた。


「罰として、俺から離れない刑を処す。死んでも離れちゃいけないよ」

「……無茶言うな」


 キッドの背中を叩く。


「なんであんたが怒るのよ。もう終わった話なんだから」

「……やなんだよ」

「あんたも色んな女の子と遊んでたんでしょ?」

「遊んでたよ」

「あたしにも恋くらいさせてよ」

「テリーは駄目」


(はぁああ!?)


「駄目」


 キッドが便座の蓋に座る。


「俺しか見ちゃ駄目」


 あたしのお腹に顔を埋め、離さない。


「テリー、駄目。見ないで。駄目。俺以外、見ちゃ駄目。見ないで」

「……あんた、歳重ねるごとに駄々っ子になっていくわね」


 キッドの頭をぽんぽん撫でる。


「ね、言いたいことは終わった? 離してくれない? メニーが待ってるのよ」

「まだ」

「誰か入ってくるかも」

「まだ」

「ここ女子トイレよ」

「まだ」

「ねえ」

「まだ」


 キッドがあたしの腰を引き寄せた。あたしの足が自然と動く。キッドがあたしを見上げる。視線は冷たい。


「座って」

「……」

「座れ」


(……なんでこいつに命令されなきゃいけないのよ。……むかつく)


 そう思いつつ、キッドの膝に跨って腰を下ろす。キッドと向かい合う。キッドの顔がよく見える。赤く充血した青い瞳が、潤んだ状態であたしを睨む。あたしの腰を抱く。キッドが鼻をすすった。


「……浮気は駄目って言ったのに」

「浮気じゃない」

「浮気だ」

「恋人じゃない」

「婚約者だ」

「契約してるだけ」

「結婚を約束してる。夫婦になるのはリオンじゃない。俺とお前だ」

「あのね、想いってものは、抱くものなのよ。個人の勝手じゃない。お前も女々しい奴ね」

「お前は酷い奴だ。薄情者だ。血も涙もない最低女だ」


 キッドがあたしを抱きしめる。


「駄目だよ。もう後戻りなんて出来ないんだから」

「まだ全然出来るじゃない。あたしとあんたにそこまで深いものはないもの」

「思い出してごらん」


 キッドがあたしの肩に顎を乗せる。


「思い出して」

「何?」

「思い出しなよ」

「何が?」

「消えた記憶は全部戻ってきた。これで皆、一安心だ」


 キッドがあたしに囁く。


「テリーも思い出して」

「何を?」

「あの夜を」

「いつの夜?」

「俺と……」


 言いかけて、キッドが黙った。声だけをあたしに向ける。


「お前、まさか覚えてないの?」

「何のこと?」

「……時間差か?」

「いつのこと?」

「ねえ、思い出して。テリー」

「あんたの夢じゃないの?」

「夢じゃない」

「悪夢よ」

「これが悪夢だ」

「いつの話?」

「お前が初めて悪夢を見た日」

「……」


 ドロシーは鍵を閉めた。そして言った。

 余計なことを思い出さない方がいい。

 あたしは鍵を開けた。

 ジャックがあたしにアイスを差し出して、あたしはそれを払った。そのシーンだけを思い出す。

 それ以外は、何も思い出せなかった。知って得をしないことは、取り入れないほうがいいし、また劣等感や嫉妬や不安や負の感情に侵されるくらいなら、あたしは詮索しない。扉には鍵がかかって、緑の錠がついて、もう動かない。


 あたしは思い出せない。


「……思い出せない」


 キッドが黙った。


「ごめんなさい」


 あたしはキッドの背中を撫でた。


「思い出せないの」


 キッドが黙る。


「ごめんってば」


 キッドは笑わず、掠れた声を出す。


「なんで」


 キッドはあたしを抱きしめて訊くだけ。


「なんで」

「ごめん」

「なんで覚えてないの」

「初めて呪いにかかったから、効果が長引いてるのかも」

「とぼけてないの?」

「とぼけてるように見える?」

「テリー、落ち着いて思い出して」

「思い出せないわ」

「思い出して」

「覚えてないのよ」

「思い出してよ」

「ごめんなさい」

「テリー、思い出してよ」

「ごめんなさい」

「謝罪はいいから、思い出して」

「ごめんなさい」

「いいから、思い出して」

「ごめんなさい」

「覚えてないの?」

「ごめんなさい」

「無理だよ」

「ごめんなさい」

「戻れないよ」

「ごめんなさい」

「俺の気持ちはどうなるの」

「……ごめんなさい」

「もう戻れないってば」

「ごめ……」


 キッドが顔を上げた。あたしの肩から離れた。あたしはキッドの顔を見た。キッドの顔が近づいた。そっと近付いた。あたしの手が動く前に、


 キッドの唇が、あたしの唇に重なった。


 ついばむように唇を押し付ける。


「ん」


 角度を変える。キスをする。


「キッド」


 手で口を隠そうとすると、その手を掴まれる。


「あ」


 キッドが口を塞いでくる。


「ん」


 あたしは離れる。


「キッド、ま」


 キッドがキスをする。


「キッド」


 口を塞がれる。


「ねえ、キ」


 キッドの舌があたしの舌を舐めた。


「っ」


 キッドの舌があたしの舌に絡んだ。


「ん」


 キッドの胸を押す。その手も掴まれる。


「ん」


 キッドがあたしの手を握る。離さない。


「キッド」


 あたしの腰を引き寄せる。離さない。


「キッド」


 キッドは離れない。


「キッド」


 キッドが口を塞ぐ。


「あの」


 キッドがあたしを見つめる。


「キッド」

「愛してる」


 キッドが言った。あたしだけを見て、言った。


「愛してる」


 王子様が言った。あたしだけを見て、言った。


「愛してる、テリー」


 真剣な青い目を見つめる。魅入られる。


「俺には、お前だけ」


 青い目が近付く。あたしは動けない。


「お前が覚えてなくても、俺は覚えてる」


 キッドが顔を寄せる。あたしは動けない。


「あの夜を」


 切なそうな瞳に、魅入られる。

 その顔から目が離せない。

 キッドの儚げな瞼が下された。

 はっとした時には、再び唇が重なった。

 崩れそうな、柔らかな唇が当たる。

 あたしはその瞼を見つめる。

 瞳は閉じられたまま。

 美しい容姿の青年は、切なげに、眉をひそめる。


 しばらくして、ゆっくりと瞼が上げられる。

 それと同時に、唇も離れた。


 キッドの青い瞳があたしを見る。

 あたしの濁った目がキッドをぽかんと見る。

 キッドが息を吐いた。

 あたしが息を吐いた。

 キッドの口角が少しだけ上がった。


「悪い女め」


 キッドが微かに笑う。


「次はこうはいかないからな。何があっても忘れないように、脳裏に焼き付けてやる」


 キッドがあたしを抱きしめる。


「馬鹿テリー。浮気常習犯の忘れん坊女」


 優しく、強く、愛しく、抱きしめる。


「愛してるよ。テリー」

「……キッド」

「好きになれ」


 キッドがあたしの耳に囁く。


「俺だけを好きになれ」


 囁く。


「王子様が好きなんだろ? 俺、王子様だよ?」


 キッドが囁いた。


「好きになれ」


 キッドが抱きしめる。


「好きになれ」


 あたしを抱きしめて、囁く。


「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」

「俺だけを好きになれ」


 10回だけ、唱えて、また囁く。


「テリー」

「俺を愛して」

「俺だけを愛して」

「テリーの愛は俺だけのもの」

「お前の心は俺だけのもの」

「お前は俺のものだよ」

「だから誰にも渡さないよ」

「テリーだけは駄目」

「絶対駄目だよ」

「見ないで」

「俺だけを見て」

「お前の王子様になるから」

「テリー」

「……テリー……」

「……」


 キッドは黙る。


「……」


 どこか寂しい静寂が訪れる。

 キッドがあたしの肩に頭を乗せる。ぎゅっと、膝の上に乗るあたしを抱きしめる。離さない。放さない。思い出すまで離さないと言わんばかりに、抱き着いてくる。


 それでも、あたしは思い出せない。


 忘れた記憶は、どうでもいい時に思い出すものだ。


 あたしは思い出せない。

 何も思い出せない。

 扉は開かない。


「……」


 静かなトイレの個室でキッドが黙る。あたしはキッドの背中を、とんとんと、叩いた。


「……キッド、……そろそろ出ない?」

「……」

「誰か来るかも」

「……」

「キッド」

「……」

「ねえ」

「……」

「……分かった」


 あたしはその背中を撫でた。


「罰を受けるわ。あんたが満足するまでこうしててあげる」


 大人しくキッドに体を預ける。キッドは変わらず黙り、あたしを抱きしめる。


(……なんか)


 すごく、悪いことした気分。


(何もしてないのに)


 忘れただけなのに。


(変な気分)



 ―――……でも、思い出せなくても害はないんでしょ?


 あの時、そう訊いたあたしに、ドロシーが苦く微笑み、目を泳がせた。


 ―――もちろん、害はない。

 ―――ないけど……大切じゃない思い出と言えば……そうじゃない。


 ドロシーは言った。


 ―――君が忘れた一瞬のひと時、これは、ある人から見れば大切なことだし、君から見ればそうでもないことかもしれない。

 ―――軽くて、重くて、何というか、本来であれば、忘れるはずがない記憶なんだ。

 ―――こじ開けることは出来ないし、思い出したところで、君は混乱するだけだ。


 だから、


「余計なことは思い出さない方がいい。とだけ言っておこう」




 もやもや、する。

 思い出さない方がいいのに、もやもやする。

 ひたすら、もやもやする。

 キッドの背中を、とんとん、と優しく叩いた。

 キッドは拗ねたように黙る。

 キッドは悲しむように黙る。

 キッドは切ないように黙る。


 あたしはキッドにとっての何かを、忘れている。


(でも)


 もう、何も思い出せない。






 静かな、重たい沈黙だけが流れた。




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― 新着の感想 ―
[一言] そういえば、いまだにアリスの衝動については解決していないのでした。コワイ!
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