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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
228/590

第9話 10月23日(1)

( ˘ω˘ )






 雪道を歩く。


「クロシェ先生」


 先生の帰りが遅い。


「先生」


 あたしは歩く。


「先生」


 馬車で来ればよかった。


「先生」


 クロシェ先生がいる。


「あ」


 あたしは走った。


「先生」


 クロシェ先生があたしに振り向いた。


「えへへ」


 あたしは微笑んだ。


「先生」


 クロシェ先生の首が吹っ飛んだ。


「え」


 血が噴き出す。


「あ」


 あたしが足を止めると、クロシェ先生が震えだす。


「先生……?」


 クロシェ先生の噴き出る血に、誰かが口をあてがい飲み込んだ。じゅるるるるるるる、と下品な音を出して、飲んでいく。

 クロシェ先生がぺったんこになる。骨と皮膚と内臓だけ残って、その場に倒れる。ぺったんこだ。


「あ」


 あたしは顔を上げる。


「あ」


『誰か』はいない。


「え?」


 見回すと、後ろから突き飛ばされた。


「あ」


 誰かに体を押さえられた。


「あ」


 あたしは振り向く。


「トリック・オア・トリート!」


 ジャックが言った。


「オ菓子チョウダイ!」

「え……」


 あたしはドレスのポケットを探す。


「お菓子……ない……」

「ナンデモイイヨ」

「ないの……」

「クズデモイイヨ」

「ない。何もない……」

「……ハア」


 ジャックがため息をついた。

 次の瞬間、ジャックが背を反らせた。そしてすぐにあたしに戻ってきて、顔を覗いてくる。

 異常なほど赤い目が、あたしを覗き込む。


「いただきます!」


 獣のように垂れたよだれが気味悪い。


「いや!」


 あたしは抵抗する。しかし、獣はあたしの首に噛みつく。


 ――がぶっ!


「あっ」


 あたしの首が吸われる。


 じゅるるるるるるるるる。


「あ」


 あたしの血が吸われる。


 じゅるるるるるるるるる。


「あ」


 あたしが震える。


「あ」


 あたしの血が吸われる。


「やめて」


 あたしは手を伸ばす。


「助けて」


 あたしは求める。


「タスケテ」


 あたしは既にいない誰かを求める。


「助けて」


 誰もいない。


 じゅるるるるるるるるる。


 あたしはぺったんこになる。





 ジャックが扉を閉める。そして、鍵をかけた。








(*'ω'*)




 じりりりりりりと、目覚まし時計が鳴った。


(……うっ……)


 あたしの手が目覚まし時計を叩く。ぴたりと止まる。目覚まし時計が示す数字を覗き込む。


 8時。


「ふああ」


 欠伸をして、ベッドから抜ける。


「……ううっ……」


 ぐううっと伸びをして、くてんと脱力。


「……ふう……」


 クローゼットを開けて、スノウ様に買っていただいた服とパンツを出す。靴下をベッドに置いて、下着を取り出して、ようやく着替え始める。キッドのお下がりのパーカーを脱ぎ、キャミソールを脱ぎ、ブラジャーの紐を腕に通し、後ろのホックを閉める。


「……うん?」


 肩を見る。


(何この痣……)


 誰かに噛まれたような痣。


「……」


 あたしはちらっと、お腹を見下ろした。


「あれ?」


 昨日まであった痣が無くなってる。


(痣が無い)


 その瞬間、昨日のカリンとジョージの会話を思い出す。



 ――ジャックの呪いはそう長く続かないのさ。

 ――ええ? 痣が呪いなのぉ?

 ――痣はジャックが会ったよっていう意味で刻む痕のことさ。悪夢を見るたびに古い痕が消えて、新しい痕が浮かぶらしいよ。

 ――呪いみたい。

 ――だから呪いなのさ。



(……)


 あたしは思い出そうとしてみる。


(無理だ)


 思い出せない。


(でも痣の位置が変わっているということは)


 ジャックに会ってる可能性がある。


「……」


(キノコを食べれば……)


 あたしは顔をしかめた。


(いや、朝はやめておこう。出勤前に気絶したくない)


 あたしは黙って着替えを済ませ、髪を三つ編みに結び、指輪を小指にはめて、ジャケットとリュックを持って部屋を出る。


 リビングに下りると、かたんと音が聞こえた。


「んっ」


 じいじがいた。

 階段を下りるあたしを見上げ、じいじが微笑んだ。


「おや、ニコラ、おはよう」

「おはよう、じいじ」


 じいじがコートを着た。


「昨日はすまんの」

「また出るの?」

「荷物を取りに来たんだ。しばらく忙しくなりそうだ」

「朝早くから仕事なんて大変ね」

「朝食を作っておいたでな、食べるといい」

「本当? 忙しいのにありがとう」


 あたしはのんびりとソファーにジャケットとリュックを置いた。


「テリー」

「うん?」


 じいじがあたしをテリーと呼んだ。振り向くと、じいじがあたしを見つめ、訊いてきた。


「今朝は、どんな夢を見たかの?」

「夢?」


 あたしは笑顔で首を振った。


「覚えてない」

「……そうかい」


 じいじが頷き、玄関への扉を開けた。


「行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 あたしが手を振ると、じいじが出て行った。

 あたしは一人残される。

 あたしはじっと扉を見る。


(……嘘は言ってない)


 覚えてないのは本当だもの。扉から視線を逸らす。


(……支度しよう)


 ふああ、と一回欠伸をして、ラジオをつけた。ラジオからは陽気な音楽が流れてくる。音楽のリズムに乗って、顔を洗いに行く。慣れた洗面所で冷たい水を手に溜めて、顔に押し付ける。


(アリスとリトルルビィ、今日は来るかしら? そろそろ、アリスの様子を見ないと)


 惨劇の日は近い。


(さっさとジャックを見つけて、アリスのことに集中しないと)


 昨日の夜に知り合いの名前を紙に書いてみた。今日、レオに見せないと。


 タオルで顔を拭き、棚に置いて、リビングに戻る。キッチンに行けば、鍋にスープが入っていた。フライパンには目玉焼きとベーコンが既に焼かれて置かれている。パンも補充されてる。テーブルに並べて、手を握る。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます」


 スプーンでスープをすくい、口に入れる。


(……あったかい)


 じいじの味に、どこか胸がほっとする。


(……昨夜のハンバーグより、朝食の方が美味しく感じる)


 明るいラジオの音楽を聴きながら食事を食べ進め、空になった皿を見下ろす。


「ご馳走様」


 その時、ぴろりろりろりんと、音が聞こえる。


(ん?)


 ポケットからGPSを取り出す。リトルルビィからメッセージが来ていた。メッセージを見る。


『おはよう! 私、しばらくお休みするかもしれない! テリー大好き!』

「……そう」


 あたしはぽちぽちとボタンを打つ。


『奥さんに伝えておく』


 返事は来ない。


(……どうして休むんだろう)


 昨日は家にいなかったようだし。じっとGPSの画面を見る。


(……)


 あたしはGPSの画面を切り替える。画面が地図に変わる。マークを探す。


(……うん?)


 ――どこにもいない。


(うん?)


 あたしは地図を広げる。


(いない)


 城下町のどこにもいない。リトルルビィだけじゃない。ソフィアも、キッドも、城下町にいない。ぽちぽちとボタンを押して地図を広げてみる。すると、簡単に見つけた。


「え」


 思わず声が漏れる。


「なんで」


 三人とも同じ場所にいる。城下からうんと離れた町に。


(……何やってるの?)


 あたしは画面をじっと見る。間違いない。城下町から離れている。理由は分からないが、じいじが荷物を抱えて急いでいたのも、これなら理解できる。

 今、キッドは城下にいない。


(……チャンスだわ)


 視線をちらっと動かす。


(あいつが街から出てる)

(手柄を取るなら今がチャンス)


 レオ。


「今日こそ来なさい」


 ジャックはお前が見つけるのよ。


 立ち上がる。皿をまとめて洗い場に持っていく。それから洗面所に行って、いつも通り歯を磨く。うがいをして、歯を綺麗にして、前髪を整えて、鏡を見つめる。


(14歳のあたしってこんなに美人だったのね。我ながら今日も美人で可愛いわ。最高よ。あたし)


 洗面所から出て時計を確認すれば、いつも通りの時間帯。


(ん、いつも通り。完璧)


 ラジオを切って、ジャケットを着て、リュックを背負う。


「行ってきます」


 誰もいない家に声を出し、リビングの扉を閉めて、廊下を歩き、玄関の扉を開けて、外に出る。薄暗い曇り空。昨日より強い雨が降っていた。


(……今日も雨か)


 あたしは傘を差す。


(二日続けて雨だなんて嫌だわ)


 家の鍵をかけ、キッドのストラップが揺れる鍵をポーチにしまい、リュックに入れる。


(行こう)


 いつもの通り歩き出す。足を動かして、慣れた道を進み、一本道を進み、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人気が無くて、道を進み、すれ違う人が少なくて、広場に入って、噴水前に行く。街から見える時計台の時計は、9時30分。

 もちろん、リトルルビィはいない。


(……遠くの町で、何やってるのかしら)


 雨の景色を視界に映しながら、一人で商店街に向かって歩き出す。一人でとことこ歩いていると、後ろから声を掛けられた。


「ニコラちゃん!」


 振り向くと、商店街のカフェで働くエリサがあたしに手を振って駆けてきた。


「おはよう!」

「おはよう。エリサ」

「あれ? ルビィは?」

「今日はお休みだって」

「そっか。こんな雨だもの。じめじめしてて空気も悪いし、体調も崩しちゃうわよね」

「エリサは大丈夫?」

「私は平気よ。途中まで一緒に行かない?」

「ええ。もちろん」

「やった」


 エリサが微笑み、傘を持ち直した。


「ところで、ニコラちゃん」

「ん?」

「ニコラちゃんも、……その、見た?」

「何を?」


 エリサが声をひそめた。


「悪夢」


 あたしはきょとんとした。


「……」

「見たのね?」

「……えっと……」

「見たんでしょう? ああ、やっぱりそうなんだ。今日もきっと皆見てるんだわ」


 エリサが不安げに表情を曇らせた。


「大丈夫よ。ニコラちゃん、私も見てるの。父さんも母さんも弟も見てるわ。近所の人も見たって言ってた。ああ、とうとうジャックが暴れ始めたのかしら。嫌だな。気分を害しちゃう。この後も忙しい接客業が待ってるっていうのに。あーあ。私も休めばよかった」


(……ジャックはあたしだけじゃない。二日続けて人々に悪夢を見せてる……?)


「じゃあ、エリサにも痣があるの?」

「あるわよ。でもね、見るのが嫌だったから、包帯を巻いたの」


 エリサがコートの袖をずらした。手首に包帯が巻かれている。


「ニコラちゃんもあるでしょう?」

「……ん」

「ああ、怖いわね。今夜は何も見ないといいんだけど、念のため、枕元にお菓子を置いた方がいいかも。私、今日、アルバイトが終わったらドリーム・キャンディに行くわ。おすすめのお菓子教えてくれる?」

「パンプキンのクッキー、美味しいわよ。ジャックも喜ぶかも」

「あら、いいわね。それ。私も食べるように買おうかな!」


 エリサが立ち止まる。


「じゃ、お店こっちだから。今度アリス達と食べに来てよ」

「ええ、頑張って」

「そちらもね!」


 エリサがあたしに手を振って、店に向かって歩いていく。あたしも店がある通りを歩き出した。

 前から来た人に声をかけられる。


「あら、おはよう。ニコラちゃん」

「おはようございます。マリアさん」


 マリアの腕に痣が見えた。すれ違う。


「おはよう、ニコラちゃん」

「おはようございます。ナーダさん」


 ナーダの顔に痣が見えた。すれ違う。


「おはよう。ニコラ!」

「おはようございます。パメラさん」


 パメラの足に包帯が巻かれている。すれ違う。


「おはよう。ニコラ」

「おはようございます。ジミーさん」

「もう倒れるなよ」

「はい」


 ジミーが自分の肩をさすった。痣が見えた。すれ違う。ドリーム・キャンデイに辿り着く。

 傘を閉じてから、半分シャッターが閉められた店の中に入ると、カリンがカウンターにいた。入ってきたあたしを見て、にこりと微笑む。


「あら、おはよぉ。ニコラちゃん」

「おはようございます」

「今日は大変よぉ。私達二人だけなのぉ」

「えっ」


 思わず声を漏らすと、困ったようにカリンが眉をへこませた。


「アリスちゃんも体調が治らないみたいでねぇ? ルビィちゃんもお休みなのよぉ。でね、頼りになるジョージ君も倒れちゃったみたいぃ」

「……。そうですか……」

「でも大丈夫よぉ。11時くらいに社長が来てくれるからぁ。今日は厨房じゃなくて、レジをしてくださるそうよぉ」

「……社長がですか?」

「えぇ!」


 満面の笑みでカリンが頷く。あたしは頭の中で思う。


(あの人、レジ業務出来るんだ……)


 あの強面で言うのだ。


「いらっしゃいませー……」


(……客、逃げないかしら)


「奥さんもなんだか体調が悪いみたいでぇ、どうしても来れないんだってぇ。だから、社長が来るまで頑張りましょうねぇ」

「はい」


 頷くと、カリンがにこ、と微笑み、レジの準備を始める。


「そういえばぁ、ニコラちゃんも見たぁ?」

「……何がですか?」

「悪夢ぅ」

「……カリンさんも見たんですか?」

「ふふっ。やっぱり見たのねぇ」

「さっき、エリサとも話してたんです」

「皆見てるのねぇ」

「はい」

「嫌だわぁ。本当に昨日と同じねぇ」


 一斉に皆が悪夢を見ている。


「怖いわぁ。私も悪夢の内容が忘れられないのぉ。足がねぇ、こう、くいってぇ、曲がるはずのないところに曲がるのよぉ。もぉ、痛くて怖くてぇ」

「あの、……カリンさん」

「ん?」

「もしかして、痣の位置、昨日と変わってたりします?」

「ふふふ! そぉなのよぉ。すごいわよねぇ」


 カリンが笑った。


「嘘みたいだけど、本当に変わってるのよねぇ。ジャックの呪いって本当に不気味ねぇ」


 カリンが少し屈み、自分の足を撫でた。


「それにしてもぉ、どうせなら悪夢じゃなくてぇ、もっといい夢にしてほしいわぁ。毎朝嫌な気分で目が覚めるなんて嫌よぉ」

「お菓子、渡さなかったんですか?」

「それがねぇ、ニコラちゃん、聞いてくれるぅ? 私、ちゃんと夢の中で渡したのよぉ。でもぉ、ジャックが見せてきたのよぉ」


 まるで恐怖する私をあざ笑うかのように、恐怖を与えてきたのよぉ。


「ああ、怖い怖い。ニコラちゃん、恐怖を吹き飛ばすつもりで、今日も張り切って頑張りましょうねぇ!」

「……こんな雨ですし、お客さん、少ないといいですね」

「本当ねぇ! 混んだら困っちゃうわぁ! ふふっ!」

「荷物、置いてきます」


 あたしはカリンに微笑み、売り場から裏側へ歩く。荷物置き場に向かって歩き出す。


(お菓子を渡したのに、悪夢を覚えてる……?)


 話が違うじゃない。


(一体何が起きてるの?)


 あたしの悪夢を思い出せば、何か分かるかもしれない。


(……帰りにキノコでも買って行こう)


 あたしは棚にリュックとジャケットを置いた。






(*'ω'*)




 11時30分。


 二階の棚を見て歩く。


「ふう」


 息を吐いて、お菓子の賞味期限を一つ一つ確認していく。


(……暇)


 客が全然来ない。


(……あ)


 二階から見えた。今日も炭だらけのホレおばさんがお菓子を選んでレジに向かって歩き出す。


「いらっしゃいませ……」


 社長が人を殺しそうな顔でにこりと笑う。

 ホレおばさんが一瞬立ち止まった。そして、また歩き出す。お菓子を差し出す。社長がレジを打つ。


「600ワドルです」


 ホレおばさんが600ワドル出す。


「はい。600ワドル、頂戴します」


 社長がにんまりと微笑み、レジの数字を打ち、レバーを回す。ちゃりんと音が鳴り、レシートを出す。

 ホレおばさんに渡す。ホレおばさんが受け取る。


「ありがとうございます」


 社長が90度で頭を下げる。ホレおばさんがそれを見て、息を吐く。


「リタちゃんは?」


 ホレおばさんが社長に声を出した。社長が頭を上げる。


「寝込んでおります」

「そう」


 ホレおばさんが鞄から社長に何かを渡した。


「ティーパックよ。体を温めて、お大事にと」

「っっっっ」


 社長がレジカウンターから出てきた。


「姐さん!!」


 社長が頭を下げた。


「ありがとうございます!!」

「やめとくれ。もう引退したんだよ」


 ホレおばさんがそう言って店から出ていく。社長は頭を下げ続ける。入ってきた客がびくっと肩を揺らしていた。

 あたしはそれを黙って見つめる。


「……」


(……何者……?)


 眉をひそめて、また棚を見る。


(ああ……。……暇だわ)


 ここの窓でぼうっとしていたアリスを思い出す。


(空を見てた)


 ぼうっとしたアリスの横顔は綺麗だった。


(何かを見つめていた)


 鳥だろうか。雲だろうか。ぼうっと、空を眺めていた。


(この窓から)


 あたしはそっと、窓に手を伸ばした。曇っている空。窓は雨で濡れている。とても窓を開けられそうにない。


(換気だとしても、開けたら少し寒くなりそう)


 何より、床が濡れてしまう。


(仕事は増やしたくない)


 窓からそっと離れると、一階から、がちゃんと派手な音が聞こえた。


(ん?)


「ふざけやがって!!」

「きゃっ……!」


 男の声とカリンの悲鳴が聞こえた。足早に二階から一階を見下ろす。社長がレジから走り出し、男の腕を掴んだ。鋭く男を睨むと、男が社長を睨んだ。


「んだこら! テメエ! お客様に向かってその目はなんだよ!」

「……」


 社長は黙って男を睨み、カリンに一言言った。


「レジを頼む」

「は、はいっ……」


 カリンがレジ担当を代わる。社長が男の首根っこを掴み、引きずるように歩き出した。男が怒鳴る。


「てめ、こら離せよ! 何様だよ! こちとらお客様だぞ!!」

「……」

「くそ! 離せよ! 畜生! この野郎! 馬鹿野郎! 喧嘩売ってるのか!?」


 社長が男を引きずり、店から出て行った。店の外で怒鳴り声が聞こえる。カリンが青い顔でレジからその様子を見ている。声がどんどん遠ざかる。カリンが窓を覗く。声が止む。社長は帰ってこない。二階を見上げた。あたしと目が合う。カリンが微笑んだ。


「……なんだかイライラしてる人だと思ったらぁ、突然、怒られちゃったぁ」


 カリンがため息を吐いた。


「嫌になるわねぇ。なんだかぁ、雨まで悪夢に見えてくるわぁ」


 カリンが再び窓を見る。


「この雨、いつになったら止むのかしらぁ……」


 カリンが呟く。


「……ちょっとぉ、……不気味……」


 雨が止む様子はない。





(*'ω'*)



 12時15分。ドリーム・キャンディ。



 社長はなだ戻ってこない。あたしとカリンがぼうっとして待つが、戻ってこないし客も来ない。カリンがあたしを見た。


「ニコラちゃん、先に休憩行ってきてくれるぅ?」

「でも、社長が戻ってきてませんよ」

「お客さんもいないしぃ、一人で大丈夫よぉ。行ってきてぇ」


 カリンが微笑み、あたしも遠慮がちに頷いた。


「あの、じゃあ、……行ってきます」

「ええ」


 カリンの言葉に甘えて休憩時間を貰う。荷物を持ってきて、カリンに声をかける。


「では、休憩行ってきます」

「はぁい、行ってらっしゃい。もう倒れちゃ駄目よぉ」

「……気を付けます」


 外に出れば雨が降り続いている。あたしは傘を差して一歩前に出る。


「あ、お姉ちゃん」


 横から聞き覚えのある声がして振り向くと、メニーが店の前まで歩いてきていた。美しい笑みを浮かべてあたしに歩いてくる。


「噴水前にいなかったから、こっち来ちゃった」

「声かけられなかった?」

「今日は大丈夫だった」

「そう」

「今日も喫茶店でしょう? ギルエドからお昼代貰ってきたの」

「でかしたわ。メニー」


 メニーがきょろりと見回す。


「……リトルルビィは?」

「今日も二人ともお休み」

「……そう」

「残念だったわね」

「うん」


 メニーが残念そうに頷き、空を見上げる。


「空気が悪くなってるから、体調も崩しやすいんだろうね。屋敷でも使用人の人達が、皆、体調崩してるの」

「サリアは?」

「サリアは大丈夫そう。お掃除してた」

「……そう」


 あたしとメニーが三月の兎喫茶に向かって歩き出す。店の扉を開ければ、今日は少し人気がない。カウンター席に商店街の人が数人座ってるだけ。サガンが振り向き、あたし達だと分かると顎で促した。


「空いてるところ」

「テーブル席いいですか?」

「好きにしろ」


 メニーとテーブル席に座る。メニーがメニュー表を見て、あたしを見た。


「ランチセット。お姉ちゃんは?」

「同じ。飲み物は?」

「ホットミルク」

「サガンさん」


 あたしが呼ぶと、サガンが振り向く。


「ランチセット二つと、ホットミルクと珈琲で」


 サガンが頷き、フライパンを手にもつ。カウンター席に座ってたスタンリーがグラスに水を入れ、あたしに差し出した。


「ほらよ。ニコラ」

「ありがとうございます」


 スタンリーからグラスを受け取りに行く。スタンリーがあたしに微笑んだ。


「体調は?」

「もう大丈夫です」

「そうか。無理はするなよ」

「すみません。ありがとうございます」

「困った時は助け合いだ。覚えておきな」


 ニッと笑うスタンリーの笑顔を見てからテーブル席に戻る。メニーにグラスを渡す。


「はい」

「ありがとう」


 あたしは再び座る。メニーと同じタイミングで水を飲む。窓ガラスは昨日よりも強い雨で濡れている。二人で窓を見る。雨が降っている。雨は止みそうもない。

 静かに調理する音が聞こえる。ジャズのBGMが聞こえる。一人、客が入ってくる。サガンが振り向く。精肉屋の従業員のブライアンだ。


「おう」

「どうも」


 ブライアンがカウンター席に座った。スタンリーがブライアンに声をかける。


「よう。ブライアン、今日貰った肉、どうした? あれ。味がしねえぞ」

「そうっすか。いや、やっぱりそうっすよね。なんか味が変なんすよ」

「雨もこうして続いてるしな。肉も調子が悪いんだろうな。この様子じゃ作物も心配だぜ」

「二日程度じゃまだ大丈夫っすよ」

「ブライアン、この時期の雨はなめちゃいけねえよ。恵みの雨っていうけどな。下手したら一週間以上続くかもしれねえぞ?」

「大丈夫っすよ。国の農家の人達はそれほどヤワじゃねえって、親方が言ってたっす」

「どうだかなあ」

「お待ち」


 サガンがスタンリーに料理を出す。ちらっとブライアンを見る。


「お前はどうする」

「ランチセットで」

「ん」


 サガンが頷き、料理に戻る。ブライアンがため息をついた。


「今日、店でちょっとトラブルがあったんすよ」

「ん? トラブル?」


 スタンリーが眉をひそめた。


「うちでもあったぞ」

「え。魚屋でもですか?」

「ああ。客が大暴れしやがった。この間の魚不味かったぞって怒鳴ってきてよ。こっちも頭来て大乱闘」

「朝っすか?」

「開店してすぐだな」

「うわ。やべえっすね」

「お前のとこは?」

「ほんの少し前っすよ。肉の大きさで揉めちゃって。小さいの売りやがってって、客が」

「なんか、今日は客がイライラしてる日だな」

「家にいたらいいんすよ。俺だったらこんな雨降ってる日は、家でお袋の手伝いしてるっす」

「暇なんだろ」

「なんでイライラするんすかね? 俺、嫌っすよ。そんなの相手するの」

「ま、10月だしな」

「それに聞いてくださいよ。俺、変な夢見て、今日は気分がブルーハワイなんすよ」

「お、ブライアン、お前もジャックに会ったのか?」


 あたしは耳をカウンターに傾ける。


「痣、見せてみろよ」

「腕っす。腕」

「お! 俺と同じ位置じゃねえか!」

「わっ! まじっすね!」

「でも俺の方が大きいぜ! 勝ったな!」

「でも見てくださいよ。俺の方が痣が濃いっすよ」

「お前、色のことまで言ってたら切りがねえだろ」

「サガンさん、痣あるっすか?」

「腕」

「「オーマイゴッド……」」


 サガンが言うと、二人が声を重ねた。


「お姉ちゃん」


 あたしの視線がメニーに戻った。メニーが声を潜める。


「……なんか、……なんだかね、……すごく嫌な予感がするの。……何というか、この悪夢を見る夜が……まだ続く気がして……」

「……あんたは見たの?」

「私、見てないの。でも、昨日と同じ。私以外の人達が皆、見たって言ってるの。ねえ、なんで私は見ないんだろう? すごく不気味」

「……ジャックがメニーを好きだったりして」


 メニーがむっとして、あたしを睨んだ。


「お姉ちゃん、ふざけないで」

「大丈夫。そのうち無くなるわよ」


 これは10月だけの呪い。


「そこまで気にする必要ないんじゃない? あんたは見てないんでしょ? だったらいいじゃない」

「お姉ちゃんは見てないの?」

「……」


 あたしは首を傾げる。


「……どうかしらね?」

「……え?」


 メニーが眉をひそめたところで、サガンがカウンターから料理を運んでくる。昨日と同じように、腕に料理の皿を乗せて、トレイに飲み物を乗せてきた。


「お待ち」


 ランチセットのメニューがテーブルに並べられる。


「ごゆっくり」


 サガンがカウンターに戻り、次の料理を始める。カウンターではスタンリーとブライアン以外もジャックについて話している。


「俺はこんな痣」

「俺はこれだ」

「スティーブにも痣がついてたっす」

「へえ」

「ジャックの襲来か?」

「ジャックの悪戯さ」

「いいなあ。今年になって、ハロウィンがハロウィンっぽくなってきやがった」

「当日が楽しみだぜ」

「その前にジャックに悪夢の中に引きずり込まれちまうかもしれないぜ!」

「ははははははは!」


 メニーの顔が青くなっていく。


「……お姉ちゃん」

「いただきます」


 あたしは涼しい顔をしてランチのパスタを食べる。メニーはフォークを持ったまま、俯き、また話し始める。


「……お姉ちゃん、アメリお姉様がね、あの、また記憶がなくなってて……」

「だったら教えればいいのよ」

「使用人の皆だって……」

「すぐに解決するわ」

「いつまで続くんだろ……」

「メニー」


 あたしはスプーンを置き、片手を伸ばした。


「大丈夫よ。すぐ収まるから」

「……ん」


 メニーがそっとテーブルに手を置く。


「お姉ちゃん」


 メニーの瞳があたしを見る。


「手、握って」

「……しょうがない子ね」


 あたしはにこりと微笑んで、わざわざスプーンを置いて、わざわざその手でメニーの置いた手の上に手を重ねた。メニーの指が絡んでくる。あたしの指がメニーの指に絡む。二人で手を握り合う。

 あたしは無感情で微笑む。


「これでいい?」

「……」

「大丈夫よ。こんな日々すぐに終わるわ。あんた、ジャックの本読んだから余計に怖いんでしょ。大丈夫だって。あんなのただの都市伝説なんだから」


 あたしは片方の手でパスタを食べた。


「言ったでしょ。怖かったら歌えばいいのよ」


 ジャックなんて怖くない、怖くないったら怖くない!

 あたしはパスタを食べる。


「ほら、食べないと冷めるわよ」

「ん……」


 メニーの表情は曇る一方。


(いいじゃない。お前はドロシーに守られてるんだから)


 だが、優しいお姉ちゃんは怖がる妹を励ますものだ。

 メニーのパスタにフォークを突き刺す。メニーがきょとんとする。くるくる回し、巻き付けたパスタをメニーの口に運ぶ。


「ほら、あーんして」


 メニーがきょとんとする。


「早く」


 あたしが優しく微笑んであげると、メニーが口を開く。その中にフォークを突っ込ませる。メニーが咥える。フォークを抜くと、メニーの口にはパスタだけ残る。もぐもぐと噛む。


「どう? ジャックの味はする?」

「……ジャックの味って何……?」

「美味しい?」

「……ん」

「そうよ。あんたの手料理より、サガンさんの手料理の方が美味しいのよ」


 あたしは自分のパスタにフォークを突き刺した。


「食べなさいな。くだらないこと言ってないで」


 くるくると回す。


「せっかくのランチを無駄にするんじゃないの。分かった?」


 あたしは野菜とパスタを口に入れた。――途端に、頭の中で違和感を感じた。


(うん?)


 あたしは口角を下げた。


(あれ?)


 なんか、思い出せそう。


(あれ?)


 あたしは少し、深呼吸をした。


(うん?)


 頭の中にあったどこかの扉の鍵が開いた気がして、あたしはドアノブをひねってみた。その瞬間、一瞬にして、全ての記憶が脳裏を駆け巡った。



 雪道を歩く。クロシェ先生。先生の帰りが遅い。先生。あたしは歩く。先生。馬車で来ればよかった。先生。クロシェ先生がいる。あ。あたしは走った。先生。クロシェ先生があたしに振り向いた。えへへ。あたしは微笑んだ。先生。クロシェ先生の首が吹っ飛んだ。え。血が噴き出す。あ。あたしが足を止めると、クロシェ先生が震えだす。先生……? クロシェ先生の噴き出る血に、誰かが口をあてがい、飲み込んだ。じゅるるるるるるる、と下品な音を出して、飲んでいく。クロシェ先生がぺったんこになる。骨と皮膚と内臓だけ残って、その場に倒れる。ぺったんこだ。あ。あたしは顔を上げる。あ。『誰か』はいない。え? 見回すと、後ろから突き飛ばされた。あ。誰かに体を押さえられた。あ。あたしは振り向く。次の瞬間、ジャックが背を反らせた。そしてすぐにあたしに戻ってきて、顔を覗いてくる。異常なほど赤い目が、あたしを覗き込む。いただきます! 獣のように垂れたよだれが気味悪い。いや! あたしは抵抗する。しかし、獣はあたしの首に噛みつく。がぶっ! あっ。あたしの首が吸われる。じゅるるるるるるるるる。あ。あたしの血が吸われる。じゅるるるるるるるるる。あ。あたしが震える。あ。あたしの血が吸われる。やめて。あたしは手を伸ばす。助けて。あたしは求める。タスケテ。あたしは既にいない誰かを求める。助けて。誰もいない。じゅるるるるるるるるる。あたしは ぺ っ た ん こ に な る 。


 ひらひらと、平べったくなる。



 ほねと にくだけ のこされる 。




































「お姉ちゃん!!」













 トイレの扉が叩かれる。

 あたしはトイレから動けなくなった。


(美味しいパスタの中にキノコが紛れ込んでいるなんて!)


 悪夢を思い出して、また吐き気。


(うっ)


 あたしは口を開いた。


 おろろろろおろろろろおろろろろ!


(……ああ……)


 胃の中は既に空っぽだ。吐くものがないのに吐き気がする。


(うう……)


 もう一度、扉がノックされた。


「おい、ニコラ」


 サガンの声が聞こえた。


「よくもランチを無駄にしてくれたな」


 どんどん! とノックされる。


「お前が閉じこもって40分が経つ。どうだ。まだ駄目か」


(無理です!!)


 あたしは足で扉を蹴った。サガンのため息が聞こえる。


「ああ……。食中毒の噂が広がったら潰れる。お前のせいで今日もうちは赤字だ」

「大丈夫かぁー? ニコラー?」


 スタンリーの間抜けな声までも聞こえる。皆が心配して声をかけてくる。


(40分も閉じこもってたら、そりゃそうなるわよね……)

(そろそろ出ようかしら……)


 自分の肩をそっと撫でる。


(クソ……。リトルルビィの夢よ。……ただの夢よ……。……全部解決した話じゃない。……なんで今さらあの時の恐怖を思い出すのよ……)


 うっ!


(思い出したらまた吐き気が……!)


 ぶるぶると体を震わせていると、店の扉が開いた音が聞こえた。


(ん?)


「サガンさん!」


 血相を変えたカリンの声が聞こえた。


(……カリンさんの声……?)


「ああ? どうした? 誰か知らせに行ったのか?」

「サガンさん、大変なんですぅ!」


 カリンが慌てたように早口になる。


「しゃ、社長が、戻ってきたと思ったら、頭を押さえて倒れちゃってぇ!」

「あ?」


(えっ)


 あたしは扉に振り向く。サガンとカリンの会話は続く。


「なんだと? 倒れた?」

「あの、ど、どうしたらぁ!」

「落ちつけ。ブライアン、馬車借りてこい」

「うっす!」

「俺、店の方見てくるわ」

「スタンリーさん、お願いしますぅ!」


 ブライアンとスタンリーが店から出ていく音が聞こえた。


「カリン」

「はい?」


 サガンがカリンに言った。


「こっちも問題有りだ。ニコラが40分トイレに籠ってる」

「ええええええええええええ!!」


 カリンが扉を乱暴に叩いた。


「ニコラちゃん! 大丈夫ぅ!? ニコラちゃん!」

「……」


 あたしはいい加減に水を流した。手を洗って、少し口をゆすいで、ゆっくりと扉を開ける。メニーが涙目で、サガンが呆れた顔で、カリンが真っ青な顔で、トイレの前を囲んでいた。カリンが体を屈ませてあたしの顔を覗き込む。


「あら、大変! ニコラちゃん、お顔がげっそりしてて真っ青よぉ!?」

「お姉ちゃん、大丈夫……?」

「……」


 あたしはカリンとメニーに首を振った。


「……ちょっと……休みたいです……」

「ニコラちゃん、ここにいてちょぉだい!」

「お姉ちゃん、座って」


 メニーに手を引っ張られ、テーブル席の椅子に座らされる。頭がふらふらする。


「……」


 テーブルに残り、冷えてしまったパスタを見る。


(ああ……あった)


 キノコ、あった。

 カリンが顔を青くさせて、あたふたとあたしに言った。


「ニコラちゃん、ここにいてねぇ!」

「……はい……」

「サガンさん! 私も店に戻りますぅ!」

「待て。俺も行く」


 サガンとカリンが一緒に店から出る。あたしは窓から外の様子を見る。メニーも窓から見る。カウンターに座ってた客達も、様子を見に数人だけ外へ出た。

 しばらく、雨が降るだけの景色しか映らない。もうしばらくすれば、どんどんドリーム・キャンディの前が騒ぎになっていく。

 あたしがじっと見つめる。

 ブライアンが馬車に乗って戻ってくる。店の中から社長が運びこまれる。服が雨で濡れるが、誰も気にせずぐったりした社長を馬車に乗せる。ブライアンが付き添いで馬車が動きだす。病院へ向かって、雨の中走っていく。

 カリンが喫茶店の中に戻ってくる。


「ニコラちゃん」


 あたしに歩いてくる。


「奥さんに連絡したわぁ。そしたら、人も少ないしぃ、今日はもう店じまいでいいってぇ」

「……そうですか」

「だからぁ、ニコラちゃんも少しだけここで休んでぇ、動けるようになってから帰ってねぇ。荷物も全部あるわよねぇ?」

「はい」

「私はお店閉めてぇ、病院に行って社長の様子見に行かないと行けないからぁ、戻るわねぇ」

「すみません」

「気にしないでぇ。雨も降って危ないからぁ、気を付けて帰るのよぉ!」

「はい」


 カリンがあたしに微笑み、喫茶店から出ていくと、入れ違うようにサガンとスタンリーが喫茶店に戻ってきた。


「……ああ、ったく世話やけるぜ……」

「社長が倒れるなんてなぁ」


 スタンリーが首の骨を鳴らし、カウンターへ戻っていく。


「すぐ良くなる」


 そう言って、サガンがあたしの顔を見にくる。


「お前はどうだ?」

「……すみません、もう少し休ませてください……」

「ん」


 サガンが頷き、カウンターの中へと戻っていった。スタンリーがあたしに振り向く。


「ニコラ、水いるか?」

「大丈夫です……」


(頭がふらふらする……)


「お姉ちゃん、少し横になって」

「……いや……」


 あたしは首を振った。


「座ったままがいい」


 横になったら、リトルルビィに噛まれた感覚を思い出して、体中が恐怖で震えあがりそうになる。


「このままでいいわ」

「でも」

「大丈夫よ。あんた、午後からレッスンは?」

「15時から」

「そろそろ帰った方がいいんじゃない?」

「まだ大丈夫」

「……あたしも、もう少し休んだら帰るわ」

「うん。その方がいいよ」


 メニーが窓を見る。


「お姉ちゃん、何だったら、私、送っていくよ? 帰りの馬車に一緒に乗って帰ろうよ」

「……いや」


 まっすぐ家には帰れない。この状況を分かった以上、もうそんな猶予はない。


「あたし、歩きたい気分なの。歩いて帰るわ」


 ――アリスの様子を見に行かないと。


(今日こそ会えると思ったら、二日続けての休み)


 三連休、と二日続けてのこの連続の休暇。


(あの子は、何をしているのだろう)


 今日は23日。惨劇は5日後に起きる。起こる前に見に行かなくては。


「メニー、あと10分ぐらいで帰りなさい。あたしはもう少しここにいるから」

「……」

「大丈夫よ」

「……分かった」


 メニーが頷く。


「10分経つまでここにいる」

「ええ。いいわ」

「お姉ちゃん」

「何?」

「無理だけはしないで」

「してないわよ。変な子ね」


 あたしは笑った。メニーに微笑む。


 ――誰のせいでこんな目に遭ってると思ってるのよ。


「ちょっと気持ち悪くなっただけよ」


 ――お前があたしを死刑にしなければ。


「10月だし、体調だって崩しやすくなるの」


 ――お前がリオン様と結婚しなければ。


「心配ないわ。メニー。大丈夫だから」


 ――お前さえいなければ。


「ありがとう。嬉しいわ。あんたみたいな優しい妹がいて」


 ――お前さえ、あたしの目の前に現れなければ。



 こんなに、胸がざわつくこともなかったのに。





「お姉ちゃん、ちゃんと帰って休んでね?」

「ん。ありがとう」


 本性を隠して、笑顔の仮面を被る。良き姉を演じ切る。

 死刑にならないように、愚かに、あたしはメニーに微笑んだ。




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