第7話 10月21日(1)
暖かい日差しの中、意識がふわりと戻ってくる。
「……」
息を吸い、吐いて、そっと瞼を上げる。部屋は明るい。もう朝のようだ。
(温かい……)
毛布が心地いい。
(もう少し寝ていたい……)
一人でベッドを堪能したい……。
(……うん?)
一人じゃなかったはず。
(あれ?)
キッドは?
ちらりと部屋を見渡すが、誰もいない。
(うん?)
何か、違和感を感じる。
(今、何時……?)
むくりと起き上がり、キッドのベッドに置かれた時計を見る。
10時50分。
「……」
あたしは黙ったまま、時計に手を伸ばし、もう一度まじまじと見る。
10時50分。
「……」
あたしは頭を整理させる。
(えっと)
(今日の待ち合わせが、11時)
(今何時?)
そーね、だいたいねー。
(今何時?)
ちょっと待っててー。
(今何時?)
まだ、せいりちゅー。
(……)
(……)
(……。……。……。……。……。……? ……! ……。……。……。……。……。……)
……寝坊した。
……そして、何かがおかしい。
あたしは、冷静に分析していく。
(んん……?)
昨日の夜のことを思い出す。
(キッドが後ろにいた……)
ベッドの周りを見ても、キッドはいない。あたし一人。
(………)
目覚まし時計の裏を見る。電源がオフになっている。
(あたし、時計の針を設定して、オンにしたわ)
止められている。
何度見ても、電源はオフになっている。
周りを見る。
キッドはいない。
「……」
あたしはうなだれた。
「……やりやがったな……」
うんざりして、にこにこしながら目覚まし時計が鳴る前に止めたであろうキッドの姿を頭に思い浮かべる。
(あいつ……昨日散々言ったのに……!)
そこまで嫌か!
(お前のリオン嫌いは重症よ!)
速やかにキッドのベッドから抜け、部屋を出て、隣のあたしの部屋に入る。クローゼットを開けて、服を眺める。
(うーーーーーん)
服を選んでいる間にも、時間は進む。ステーキ屋、間に合うかしら?
(……いいや、いつも通りで)
スノウ様に買っていただいた服と、スカートみたいなパンツを穿いて、靴下、歩きやすい靴を履いて、鏡を見れば男の子のような格好だと思って、邪魔な髪の毛を二つのおさげにして、小指に指輪をはめて、少し女の子っぽくなって、ジャケットとミックスマックスのストラップが揺れるリュックを持って、部屋を出る。
階段を下りると、ソファーで本を読んでいたじいじが、ゆったりと顔を上げた。
「おはよう。ニコラや」
「おはよう。じいじ」
リュックとジャケットをじいじの隣に置いて、洗面所で顔を洗って、歯を磨いて、鏡を見て、一瞬、自分の顔をチェック。
(あら、こんな所に美人がいるわ)
ぺ、と吐いて、今日もあたしの口の中はぴかぴかになる。
(……よし)
リビングに戻ってくると、じいじが顔を上げた。
「ニコラや、今日はいつ頃出かけるんだい?」
「じいじ、キッドに目覚まし時計を止められたみたいなの」
「何?」
じいじがきょとんと、目を丸くした。
「時間は?」
「本来はもう出ていて、待ち合わせ場所についてる時間よ」
「ほう、そうかい……。あいつは帰ってきてから説教するとして、どうする? 馬車を出そうか?」
「いいわ。歩いて行ける」
どうせ相手はレオだもの。
「きっと遅刻しても許してくれるわ。行ってくる」
「大丈夫かい?」
「平気」
ジャケットを着て、リュックを背負う。
「じゃ、行ってきます」
「馬車に気を付けての」
「はい」
あたしは返事をして、優雅に歩き出す。
扉を開けると、秋風が前髪を揺らした。
(ああ、今日も涼しい……)
噴水前。紅葉が舞う。
(あー……)
中央区域から西区域。
(完全に遅刻だわー……)
時計台の針を見れば、約束の時間はとっくに過ぎている。
(あー……)
キッドの嬉しそうな悪魔の笑顔が簡単に想像出来た。
(レオ、そわそわしてるかも。ニコラが来ないって思ってるかもしれない。本来なら息が切れるまで走って)
「レオ! 遅れてごめんなさい! 罪なあたしを許してちょうだい!」
「ニコラ、一体何があったんだ!」
「キッドに目覚まし時計を止められてしまったのよ!!」
「何だって!? そういうことなら仕方ない! 君の罪を許そう!」
「きゃっ! やった! 貴方ってとっても親切ね!」
(……あー……、とっても残念だわー……)
あたしか弱いレディなの。もう年も食ってるの。そんな元気はつらつで若かった時なんて、もう終わってしまったの。たかがレオとの待ち合わせのために走るなんてはしたない真似出来ないわ。らんらん。鼻歌でも歌いながら優雅に、ゆっくり、のんびり歩こう。
西区域広場。
のびのびしながら公園に向かって歩いていると、馬車の引く音や、馬が走る音が聞こえる。
(……うん?)
後ろからすごい音が聞こえてくる。
馬が全速力で走っているような音。
ぱからぱからぱからっ!
(ずいぶんと急いでいるのね。嫌だわ。こんな優雅でのんびりした日曜日に)
ぱからぱからぱからっ!
(どんどん音が大きくなってる。ああ、野蛮だわ。最悪。最低な音)
道の端を歩くと、叫び声。
「ニコラーーーーーーーーーー!!」
「えっ」
後ろを振り向くと、あたしのすぐ後ろで黒馬が足を上げて、体を逸らせていた。
「ぎゃあああああああああ!!」
悲鳴をあげると、黒馬の前足が地面に着地する。その背中に乗っていた男があたしを見下ろした。
「ニコラ!」
「グレタ?」
グレタがアレキサンダーから下りて、あたしの目の前に降ってくる。あたしの前で、男らしい仁王立ち。見上げると、すごい勢いで肩を掴まれた。
「怪我はないか! はっ! ニコラ! 首に包帯が!」
「は?」
「痛いか!? 首は痛いか!?」
「は?」
「犯人はどこだ!?」
「は?」
「心配したんだぞおおおおおおおお!!」
グレタにぎゅううううううっと抱きしめられる。
広場を歩いていた人々がぽかんとあたし達を見ている。
「ママ、あれ何?」
「見ちゃいけません」
あたしはきょとーんとして、抱きしめてくるグレタを見上げる。
「え? 何が? どうしたの?」
「兄さん!」
グレタがあたしを無視して、片手であたしの肩を掴んだまま無線機を取り出し、口を動かす。
「ニコラを発見した!」
『でかした! グレタ! どこだ!』
「西区域の広場……ロバの看板の店の前だ!」
グレタが叫ぶと、馬車が通りを曲がってやってくる。御者席にいるヘンゼが馬に鞭を打つ。
「やあ! ニコラ! 今日も君は美しい!!」
ヘンゼが叫び、馬車の窓からレオが顔を覗かせ、すごい剣幕で叫んだ。
「ニコラああああああああああああ!!」
「え?」
あたしはぽかんとして、グレタを見上げる。
「何? どうかしたの?」
「首以外に怪我はないのか!? どうなんだ! 遠慮はするな!!」
「何よ。遅刻しただけでこんな大騒ぎしなくても……」
馬車が止まり、レオが扉を開けた。
グレタがあたしの腰を抱えた。
「えっ」
グレタがぽいとあたしを馬車に投げた。
「うごっ!」
体が椅子に投げ入れられ、レオが扉を閉めて、馬車がまた動き出す。
グレタもアレキサンダーに乗って、後ろからついてくる。
馬車は激しく揺れている。
レオが青ざめてあたしの顔を覗き込んだ。
「ニコラ、大丈夫か!? 何もされてないか!?」
そう言って、あたしの首を見て、レオが悲鳴をあげる。
「ひっ! 首に包帯が!」
「ねえ、何をそんなに騒いでるの? ちょっと遅刻しただけじゃない」
「何言ってるんだ! 君、誘拐されていたんだろ!?」
「は?」
「逃げ出して出してきたんだな! ああ! 可哀想に! 怖かっただろう! でも、もう大丈夫! お兄ちゃんが傍にいるからな!」
「……」
「どこだ!」
レオが怒りの目をめらめらと燃やす。
「君の首をそんな風にした犯人はどこだ! 僕が! 絶対に捕まえてやる!!」
「……何の話?」
怪訝な顔をして訊くと、レオがあたしの肩を掴んだ。
「ニコラ、大丈夫。もう僕がいるから、何を吐き出しても大丈夫。さあ、怖がらずに言うんだ。勇気を出して。君を誘拐した犯人はどこだ? 君の首だってそいつにやられたんだろ? ほら、お兄ちゃんに言ってごらん。なんて奴だ?」
「あたし誘拐なんかされてないけど」
「……え?」
レオが眉を寄せた。
「でも、え? だって、手紙……」
「手紙? 何それ?」
あたしが首を傾げると、レオが握り締めていた紙をあたしに渡した。あたしはそれを広げて、見下ろす。
拝啓、リオン殿
貴殿の大切な妹のニコラ・サルジュ・ネージュは、私が頂きました。
返してほしくば、広場の中心で裸踊りをすることです。
もしも踊らなかった場合、ニコラは愛の生き埋めにされることでしょう。
「見ろ。差出人名義は無し」
レオが頭を抱えた。
「僕は、僕のせいで何か恨みを持った誰かに、ニコラのことを知られて、酷い目に合わせようとしているんじゃないかと思って。それはそれは、心配で、ドキドキで、朝からずっと探し回っていたんだよ!?」
「これ、キッドじゃないの?」
……。
レオが瞬きした。
「え?」
「この字、キッドでしょ。ほら、この文字の書き方とか」
レオが手紙を見る。よく見る。眉をひそめる。
「……。……え、分かんない……」
「あんた、自分のお兄さんの字がわかんないの?」
「あの人の字なんていちいち見てると思う? 12歳の時にどっちが字を綺麗に書けるか勝負で敗北してから見てないよ」
「……キッドよ。これ」
「え、……その首は? 誘拐犯じゃ……」
「違う」
「……」
「で? 裸踊りしたの?」
レオが首を振る。
「そんなことしたら、末代までの恥……」
「ヘンゼとグレタは何も言ってなかった?」
途端に、レオが馬を操るヘンゼがいる方向を睨みつけ、壁をどんどんどんと叩いた。外からヘンゼの笑い声が聞こえる。
「はっはっはっはっ! 楽しい冒険でしたね! 我が主!」
「黙れ!!」
レオが真っ赤な顔で腕と足を組み、歯をくいしばった。
「くそ……! やられた……! ヘンゼルの奴……!」
「ヘンゼに見せたの? これ?」
「これは一大事です。早くニコラを探しましょうって言われて……」
「おかしいと思わなかったの?」
「頭が回ってなかった……。ヘンゼルとグレーテルしか探してなかった時点でおかしいと気付くべきだった……」
窓からレオが顔を出し、後ろからついてくるグレタに叫んだ。
「お前も知ってたのか!」
「何のことでしょうか!! ニコラは無事ですか!!」
「ああ、知らされてないみたいだ」
レオが窓から身を引き、その扉を閉める。ふうと一息つく。あたしは呆れた目をレオに向けた。
「あんたの悪いところよ。目の前のことに囚われすぎて周りが見えなくなるの。もっと冷静に分析するべきよ」
「他人事なら冷静になれるよ。君の妹がさらわれた時だって、僕は真っ先に唄の分析に取り掛かった。場所が分かり次第すぐに兄さんに伝えに言ったし……まあ、そんな反論はいい。君が無事だったんだから、それでいいさ」
レオがあたしに向き合う。
「さて、色々あったが、何とか合流できた。こんにちは。ニコラ」
「……こんにちは」
「ランチに行こう。予定通り、あのステーキ屋だ」
「その前に、レオ」
「うん?」
「丁度いいわ。二人きりで話がしたかったの」
あたしは包帯が巻かれた首をそっと撫でた。
「これのこと」
「ん? 首?」
「ジャックよ」
レオがきょとんと瞬きした。
あたしはそんなレオを見つめる。
「ジャックに悪夢を見せられた。その痕がついてるの」
「……」
レオが黙り、椅子に座り直す。姿勢を正して、あたしに体を向けた。
「……会ったのか?」
「会ったみたい」
「みたい、っていい加減な言い方だな」
「あまり覚えてないのよ」
「どういうこと?」
「悪夢は確かに見たはずよ。でも、悪夢の内容は覚えてない」
「お菓子をジャックに渡したのか?」
「お婆様から助言があったわ。あたし、ジャックと親しげだったらしいの」
「え?」
「それで、お菓子を渡そうとしたけど、ジャックが拒んだって。あたしを怖がらせないように、あたしが夢から覚めるまで大人しくしてるから、お菓子を貰う必要がないとかで……」
「そのことは……」
「あたしは覚えてない」
「お婆様からの助言か」
「そうよ」
「……ん……」
レオが腕を組んで唸った。
「他に手掛かりは?」
「アイスが好きみたい」
「アイス?」
「あたしにアイスを勧めてたって」
「何味?」
「……アイスとしか……聞いてないわ……」
「んー……」
レオが顔を険しくさせて、唸った。
「ジャックは大人? 子供?」
「それも、分からない」
「君の知り合いの可能性は?」
「心当たりがないわ。でも、親しげだったっていうのが、気になってる」
「ああ、そこが突っかかるね。ニコラ、一度君の知り合いで、そうだな、特に最近関わってる人の名前を紙に書いてみてはどうかな? そこからアイスが好きな人を探すんだ。手掛かりはそこにあるかもしれない」
「分かった」
「で、もしそれが出来たら、僕に見せてくれないか? 一緒に探してみよう」
「分かった。帰ったらやってみる」
「ああ。そうだね。善は急げだ。明日いつもの場所で、ちょっと二人で考えてみよう。もしかしたら悪夢を見せるお化けの正体は厄介な催眠術師かもしれない」
「……催眠術師ね」
まさかソフィアじゃないでしょうね。
「必ず見つけよう。僕達二人がいれば、必ずジャックは見つかるさ」
レオがニッ、と笑って、横にあった箱を膝の上に置いた。
「さて、ジャックのことは明日また考えるとして、今日はせっかくのミックスマックスのイベントだ。ニコラ、痣をつけられて辛いだろうけど、元気を出して」
レオがぐっと拳を固める。
「辛いことなんか忘れてしまおう。元気に歌って吹き飛ばすんだ! よし、心の痛みを利用して、ミックスマックスイベントの予行練習をしよう!」
「……予行練習?」
あたしが首を傾げると、レオが箱を開けた。中には折り畳み式の蓄音機。
「ニコラ、これを聴いて、コンサートでの合いの手練習だ! まず、僕が手本を見せるよ」
レコードをセットし、レオがレバーを回すと、馬車内で陽気な音楽が流れる。
ミックスマックス 最高だぜ!
チッス チッス チーーッス
ミックスミックス混ざるよミックス
「マックス!」
マックスマックス気分はマックス
「ミックス!」
ミックスマックスミックスマックス 気分は
「上々!」
ハイテンションでレペティションだよ
「ミックスマックス!」
愉快な仲間は
「ミックスマックス!」
僕らは一つ ラララ 歌おう 踊ろう
「僕らは仲間!」
ハイテンションでレペティションだよ
「ミックスマックス!」
音楽が流れる。
楽しそうなレオ。
顔を手で覆うあたし。
静かに訊く。
「……あたしが、それを、やるの?」
「楽しいだろ! ふふっ! 大丈夫。今からやればイベントに間に合うから!」
「嫌よ!」
「大丈夫!楽しく覚えられるから!」
「嫌よ!」
「大丈夫! 心配ないさ! 一緒に叫ぼう!」
「嫌よ!」
「心の痛みを利用するんだ!」
「嫌よ!」
「ジャックが見せてきた悪夢なんて、これで吹き飛ばすんだ!」
「嫌よ!」
「さ、二番が始まる。まずは一番からだ!」
「嫌よ!」
「さ、拳を握って!」
「嫌よ!」
「ハイテンションでレペティションだよ!」
「嫌よおおおおお!!」
馬車の中で陽気な音楽と、あたしの絶望した悲鳴が響いた。
(*'ω'*)
11時50分。ステーキ屋前。
馬車から下りると、ヘンゼが手を上げる。
「では、頃合いがいい時にまたお迎えにあがります」
「頼んだよ」
レオが頷き、ヘンゼが操る馬車と、その後ろをグレタがついていく。グレタがあたし達に振り向き、敬礼した。
「お二人とも楽しんむだぞおおおお!!」
「はいはい」
レオが呆れたように手を振り、ステーキ屋に振り返った。
「行くぞ。ニコラ」
「ん」
頷き、お店の端をチラッと見る。
(……っ! 鼠ちゃんのお墓がなくなってる……!)
誰かに掃除でもされたか。
(畜生が! お墓は大切に!)
「すみません。予約をしていたサタラディアですが」
レオが店員に声をかけると、店員が声をあげた。
「おお! 君達はあの時の!」
「どうも」
「シェエエエエエフ!」
店員が叫ぶと、奥の厨房からシェフが出てきた。
あたしとレオの顔を見て、目を見開く。
「おお! これはどうも!」
「こんにちは」
レオが愛想よく微笑み、帽子をかぶったまま頭を下げる。シェフが微笑み、レオの肩を優しく掴んだ。
「さあ、座ってくれ。そうか。予約をしてくれたのは君達だったのか」
「ええ。妹と一緒に食べようと話をしていて」
「そうか。待っていなさい。当店おすすめのステーキを運んであげよう」
シェフに促され、あたしとレオが予約席に座る。ナプキンを首にかけ、大人しく待っていると、まずはサラダが出てくる。店員が微笑み、あたし達に促す。
「さあ、どうぞ!」
「いただきます!」
レオがむしゃむしゃ食べる。
あたしもむちゃむちゃ食べる。
ドレッシングが沢山乗ったサラダの後は、メインのステーキが肉汁たっぷりで出てくる。シェフがわざわざ持ってきた。
「さあ、どうぞ!」
「いただきます!」
レオががつがつ食べる。
あたしはもぐもぐ食べる。
シェフが満足そうに笑った。
「これからもぜひ利用してくれ! 君達兄妹なら大歓迎だ!」
「ふぁい!!」
レオが頬張りながら頷き、シェフが奥の厨房から呼ばれる。
「注文です! シェエエエエフ!」
「では、ごゆっくり」
「シェエエエエフ!」
「こら。何度も呼ぶんじゃない」
「シェエエエエフ!」
「うるさい」
シェフがいなくなり、店内も他の客でにぎわい、店員もどんどん料理を運ぶ。あたしとレオがひたすらステーキを食べる。レオが肉を噛む。どんどん食べていく。獣のように食べていく。口の周りにソースがついている。けれど気にせず食べていく。
(汚い……)
あたしは優雅に食べる。ナイフとフォークを使って、きちんと一口ずつ食べる。レオがそれを見て、笑った。
「あはは! ニコラ、まるでお嬢さんだな!」
「……何よ。あたしお嬢様よ」
「ねえ、今は身分を隠してるんだろ? じゃあ、汚い食べ方を覚えるいい機会だ」
レオが身を乗り出し、あたしの手からナイフを奪った。
「あっ」
レオが自分のフォークとあたしのナイフで大雑把にステーキを切り、そのままナイフを自分の手元に置いた。あたしの手にはフォークだけが残される。
「ちょっと」
「それだけで食べてごらん」
「無理よ」
「美味しいよ。ぱくってかぶり付くんだ。さあ、挑戦してみて」
笑うレオを、あたしは睨む。
「ナイフ無しで食べれないわ」
「大丈夫。フォークだけで全然いける」
「下品よ」
「下品でいいんだよ」
レオがにんまりと微笑む。
「僕たちは兄妹で、子供なんだから、これくらい粗末な方がいいのさ!」
そして促す。
「ほら、大きく口開けて、食べてみなよ。下品に」
「……」
ステーキを見下ろす。レオを見ると、顎で促される。またステーキを見下ろし、レオに大雑把に切り分けられた肉の塊をフォークで刺し、持ち上げて、口を大きく開けて、それに噛みつく。
(うっ)
肉汁が垂れてくる。
「ふううう!」
「あははは!」
無理矢理肉を噛みちぎり、皿に戻す。ぎっ! と睨むとレオが笑い、フォークで肉を刺した。
「見本を見せてあげよう。いいか。ニコラ、こうやるんだよ」
レオが大きく口を開けて肉に噛みつく。そのまま口の中に入れて、むちゃむちゃと噛む。
「ほは、はっへひへ」
あたしはむっとしながら、レオの真似をする。
大きく口を開けて、肉に噛みつく。そのまま口に入れて、むちゃむちゃと下品に噛む。
「あはは! そうそう! それでいいんだ!」
レオが満足そうに頷く。
「その方が食べてる気がする! 肉汁も出て、最高だ! ほら、もう一口!」
レオが食べる。あたしも食べる。
二人で下品にはしたなく食べる。
微笑ましそうに見てくる店員の目がたまに見える。
見てた客からはくすくす笑われた。
それでも、レオは笑いながら、あたしの目の前で肉を食べる。
「ふまいあお! ひほは!」
(畜生……)
口にソースもつく。
猫背になって、はしたない。
汚い食べ方。
(畜生)
下品な食べ方をすればするほど、ステーキが美味しいと感じるなんて。
(……畜生)
あたしはむちゃむちゃ食べながら、こくりと、レオに頷いた。




