第3話 10月18日(5)
17時。東区域。アイスクリームショップ前。
「よし、ニコラ、行くぞ」
レオが意気込んで店内に入っていく。あたしもその後ろをついていく。
「いらっしゃいませぇ! いかがなさいますかぁ?」
可愛らしいお姉さんが顔を覗かせる。メニューを見て、レオとあたしが唸った。
「ニコラ、どうする?」
「プディング味って何……?」
「プディングの味なんじゃないか? ……思ったより、アイスの味っていっぱいあるんだな……」
「パンプキン味って何……?」
「パンプキンの味がするんじゃないか? ……思ったより、アイスの種類って豊富なんだな……」
「コーンとカップがある」
「僕はコーンがいい」
「あたしもコーンがいい」
「コーン二つだな」
「ねえ、ダブルっていうので二つ食べれるって」
「ニコラ、二ついけるか?」
「アイスなら食べれるわ」
「僕はトリプルでもいけそうだ……。ニコラ、トリプルいってみてもいい?」
「あたしは二つね」
「味が選べるなんて科学も進歩したものだ。ニコラ、抹茶とチョコなんてどうだ?」
「プディングがいい。プディングとチョコ」
「くどくないか? ほろ苦くて甘い抹茶でいこうよ」
「抹茶はあんたが食べればいいでしょ」
「抹茶は美味しいぞ。あとでちょうだいって言ってもあげないからな」
「苺は?」
「苺はやめろ」
「どうするの?」
「そうだな。じゃあ僕は抹茶と、モンブランと、パンプキンにしよう」
レオが帽子を深く被り直し、カウンターに近づく。
「トリプルのコーンで、抹茶と、モンブランと、パンプキン」
「はぁい!」
「ダブルのコーンで、プティングとチョコ」
「はぁい!」
「お会計は」
「700ワドルですぅ!」
レオが財布からお金を出す。
お姉さんがレジを打つ。
ちゃりんとレジが鳴る。
「ありがとうございますぅ! 少々お待ちくださぁい!」
「どうもありがとう」
しばらく待つと、カウンターの奥から二つの味が乗ったアイスと、三つの味が乗ったアイスが出てきた。
「ダブルのお客様ぁ!」
「はい」
あたしが受け取る。
「トリプルのお客様ぁ!」
「はい」
レオが受け取る。
「ありがとうございますぅ!」
「ありがとうございます」
「どうもありがとうございます」
あたしとレオがお礼を言って、レオが一歩歩いた。
「ニコラ、奥の席に行こう」
「ん」
二人でアイスを持って歩く。歩きながらレオがぱくりと一番上のアイスをかじった。
「おお! ニコラ、やっぱり抹茶は最高だぞ! この喜びは共有しないと駄目だ! 仕方ない! 前言撤回だ! 君にも一口あげるよ!」
「いらない」
奥の席の方へ歩いていく。
「あ、あそこの席がいいな」
レオがそう言って座ろうとして、ぴたりと立ち止まる。
「……ん?」
あたし達が座ろうとしていた席の一つ前の席に、サングラスをした男が座って、窓の景色を見ながらトリプルのアイスを食べていた。
「……」
レオが黙る。あたしはレオを見上げた。
「レオ?」
「ちょっと待ってて。ニコラ」
レオが男に近づき、横から声をかける。
「あの、すみません」
「うん?」
男がレオに振り向く。レオが屈みながら、声をひそめた。
「あの、もしかして、ハロルドさんでは……?」
「おや、ご存じで?」
男がサングラスから瞳をちらりと見せて、にかっと微笑む。その瞬間、レオが目を見開き、はっと息を呑んだ。
「ま、まさか! あのハロルドさん!?」
「ああ、どうも。初めまして」
ハロルドと呼ばれた男が手を差し出す。それを見たレオがまた息を呑み、手をパンツに擦らせ、ハロルドと握手をした。
「は、初めまして! リオ……えっと、レオと申します!」
「レオ君。どうも」
「はぁぁあああ! どうも、こんにちは!」
「こんにちは」
「に、ニコラ! おいで! すごいよ!」
手招きされて、眉をひそめる。
(……誰?)
お国の第二王子が興奮している。隣に歩くと、レオがあたしの肩を掴む。
「あの、妹の、ニコラです!」
「やあ! ニコラちゃん!」
「……誰、この人」
「馬鹿!」
レオに怒られた。
「ニコラ、ラジオくらい聞くだろ!」
「ラジオは聞くわ」
「じゃあ知ってるはずだ! いいか、ニコラ、この人はな、オールナイト国家のパーソナリティのハロルドさんだ! すげえ! 本物に会えるなんて!」
(……誰それ……)
「ハロルドさん! お席、ご一緒にいいですか!」
「ああ、どうぞ」
「ニコラ、おいで、ほら、すげえ! まじですげえよ!」
あたしが奥に座り、レオが手前に座る。ハロルドはきりっと微笑み、そんな笑みにレオが興奮して顔を上げる。
「あの、毎週楽しみにしてます! あんたのフリートークは、本当にいかしてる! 独特な特徴があるというか! 聞いてて、勉強も進むんです!」
「ははは! そう言ってもらえると嬉しいよ。どうもありがとう!」
「アイスも同じトリプルですね!」
「やっぱり男は、何でもトリプルで行かないと駄目だな! ははは!」
「かーーー! しびれる! な? ニコラ、ハロルドさんのトーク力は最高だろ?」
(プディング味、美味しいわね……)
ぺろぺろアイスを舐める。
「僕、さっきまでちょっと悪い夢を見てて、気分が優れなかったんです。でもハロルドさんにお会いできて、もう気分が爆上がりです!」
「嬉しいことを言ってくれるね。そうだ。これも何かの縁だ。若い君達に訊きたいのだけど……」
ハロルドが鞄から一枚の絵を出し、テーブルに置いた。アイスを舐めるあたしと、アイスを舐めるレオが、その絵を覗いた。長靴を履いた猫の絵だ。
(なんで猫が長靴なんか履いてるの? 変な絵)
「これは?」
レオが訊くと、ハロルドが微笑む。
「この絵が描かれた看板の店が、ここら辺にあると聞いているんだ。知らないかい?」
「見たことあるか? ニコラ」
あたしは首を振る。
それを見たハロルドが残念そうに眉をへこませた。
「そうか。……。……いや、素晴らしい店だと聞いていてね。ラジオのネタで使おうと思っていたんだよ」
「どんなお店なんですか?」
「それが、情報が全くなくてね。あるのはこの絵だけだ。そしてこの絵の看板の店が東区域のどこかにあるという噂だけ。ぜひ行ってみたいと思うんだ。猫が長靴を履いてる店。気になるじゃないか」
「なるほど……」
レオが頷き、ハロルドに顔を上げた。
「ハロルドさん、良かったらこの店、僕達も探しますよ」
(は?)
レオを睨むと、ハロルドが笑った。
「はっはっはっ! 無理はしないでくれ。ちょっと聞きたかっただけなんだ」
「丁度暇だったんです。兄妹二人でどこかに遊びに行こうかと思っていたので、小さな冒険だと思って、探しては駄目ですか?」
「探すのは結構だが、そうだな。私はあと一時間はこの店で仕事をするつもりだったんだ。それまでに見つけられたら、ぜひ教えてくれないか?」
「一時間。なるほど。18時までか。丁度いいですね。僕らもその時間帯に帰ろうと思っていたので」
レオがあたしの肩を叩いた。
「ほら、ニコラ、行くぞ」
「まだアイス食べてる」
「歩きながらでも食べれるだろ」
「意地汚い。座って食べようって言ったのあんたでしょ」
「ハロルドさん、18時までここにいるんですよね」
「ああ」
「よし」
レオがにやっと笑った。
「見つけてきます。見つけたら、あの、……サインくれますか!」
「はっはっはっ! いいとも! いくらでも書いてあげるよ!」
「忘れないでくださいよ! よし、行くぞ。ニコラ!」
ぱくりと三個目のアイスを食べ終え、コーンを丸呑みして、レオがあたしを引っ張る。あたしはちまちま食べて、まだ一個目のアイスの終わりかけ。引きずられるように店内から出ていき、しばらく引きずられて歩き、その間もちまちまアイスを食べ、目を輝かせるレオと路地裏に入った。薄暗い路地で、レオが指をくわえ、ぴゅうと吹いた。
「出でよ! ぴぃちゃん!!」
レオが叫び、呼ぶと――しばらくして、ぱたぱたと空から青い鳥が飛んでくる。小さなインコのような鳥だ。健気に小さな羽で飛んできて、レオの肩に乗る。
「ニコラ、紹介するよ。昨日も話してた、青い鳥のぴぃちゃんだ」
「ピィ」
「雄だ」
「ピィ」
「雌だと思ってちゃん付けで名前をつけたところ、ぴぃちゃんと呼ばないと反応してくれなくなった」
「ピィ」
「……それはあんたが馬鹿なのよ……」
「見た目では雄だと気づかなかったのさ……」
ふっとレオが笑い、肩に乗るぴぃちゃんを横目で見た。
「ぴぃちゃん、長靴を履いた猫の看板を探してほしいんだ。いけるかい?」
「ピィ」
ぴぃちゃんが飛んでいく。
「頼んだよ。ぴぃちゃん!」
「ピィ」
ぴぃちゃんがUターンして戻ってきた。
「あ、違うんだ。ぴぃちゃん。用があって呼んだわけじゃなくて、頼んだよって言ったんだよ」
「ピィ」
ぴぃちゃんが飛んでいく。
「よし、頑張るんだぞ! ぴぃちゃん!」
「ピィ」
ぴぃちゃんがUターンして戻ってきた。
「あ、違うんだ。ぴぃちゃん。用があって呼んだわけじゃなくて、頑張ってねって言ったんだよ」
「ピィ」
ぴぃちゃんが飛んでいく。
「よし、ニコラ、ぴぃちゃんが行ってる間に!」
「ピィ」
ぴぃちゃんがUターンして戻ってきた。
「あ、違うんだ。ぴぃちゃん。君が行ってる間に僕らが何をしようか説明をするところだったんだ」
「ピィ」
ぴぃちゃんが飛んでいく。
「よし、ニコラ! ぴぃちゃ……」
「ピィ」
ぴぃちゃんがUターンして戻ってきたのを見たあたしが、その青い体を掴んだ。
「さっさと行けーーーーー!!」
「ピィィイイイイイイイイイ!!!」
「あああああああああああああああああああ!!」
思いきり投げるとぴぃちゃんが空高く飛んでいき、レオが絶叫した。
「ニコラ! 君! 幸せの青い鳥で皆から高評価をぽちっとしていただいているぴぃちゃんに、よくも!」
「うるせえ!!」
アイスをぺろりと舐めて、レオに体を向けた。
「で? あたし達は何をすればいいわけ?」
「とりあえず、上で見てもらってる間、僕達は下で調査だ。人に聞きまくって、聞きまくろう」
「あのハロルドって人が聞いて回ったんじゃない?」
「だとしても聞くべきだ。もしかしたら見つかるかもしれない」
「どうだか……」
「ニコラ、諦めたらそこまでだ。頑張って見つけよう。な!」
次の瞬間、突然レオがあたしのシャツの襟を掴んで引っ張った。
「おっと、これはこれは」
慌てて建物裏に隠れる。向こうから警察隊が辺りを見回して歩いていた。
「僕も見つかるわけにはいかない」
「ねえ、あえて見つかって、部下の人達に探してくれるよう頼んだ方が早くない?」
「それだと僕の手柄にならないだろ。部下達に頼むのは後片付けだけさ」
レオがあたしの手を掴み、引っ張った。
「おいで。ほとぼりが冷めるまで人気のない方に行こう。歩き回って、とりあえず、人に聞きまくるんだ」
あたしはコーンを食べ、レオと一緒に歩き出す。警察の気配が無くなる頃に人気のない道から抜けて、また人が大勢歩く道に戻ってくる。
レオが訊く。
「すみません。長靴の履いた猫の看板の店を知りませんか」
「知らないねぇ」
レオが訊く。
「すみません。長靴の履いた猫の看板の店を知りませんか」
「新しいお店?」
「……さあ……?」
レオが訊く。
「すみません。長靴の履いた猫の看板の店を知りませんか」
「そんなことより壺買いませんか。願いが叶う壺ですよ。きっとそのお店も見つかります!」
「え、本当ですか! この世にそんな壺があるなんてすごいな! いくらですか!」
「レオ! 行くわよ!!」
レオが訊く。
「すみません、長靴の履いた猫の看板の店を知りませんか」
「知らないな」
「……そうですか」
レオが顎を触りながら苦い顔を浮かべる。
「これは難ありだな……。残りあと15分……」
「……」
「ああ、すみません。長靴の履いた猫の……」
レオがまた訊きだす。
あたしは不思議に思う。
(確かに、こんなに情報が無いものかしら……)
都会とはいえ、店が並び、多くは利用している。
ここら辺にあるというなら、ここら辺を歩いている人が知っているのが普通だ。
(……ん?)
あたしは地面に気配を感じ、見下ろす。
「ちゅー」
「はっ」
息を呑む。そこに、鼻をすんすんさせて辺りをきょろきょろさせる細身の鼠がいた。
(……鼠……)
つぶらな瞳が、街を見ている。
(……)
ちらっとレオに振り向く。レオは人と会話している。
「長靴の履いた猫の看板? 猫は長靴なんか履かないよ」
「いやあ、そうなんですけどね」
「見るかい? これ僕のマイキャットなんだけど……」
「なんで写真を持ち歩いて……わお……これは素晴らしい毛並みの猫だ……」
「だろ……?」
あたしは鼠にそっと近づき、しゃがみこみ、ぼそりと声をかけた。
「ちゅーちゅーちゅー。ちゅーちゅー」
(ねえ、長靴の履いた猫の看板の建物を知らない? 人間のいる所よ)
鼠がちらっとあたしを見た。
あたしと鼠の視線が合う。
あたしは音を出した。
「ちゅーちゅー! ちゅー!」
(あたしテリーって言うの! よろしくね!)
鼠が走り出す。あたしの足が鼠を追う。近くの建物に隠れずに走り出したといことは、あの鼠は場所を知っているらしい。遠くからレオの声が聞こえた。
「あれ! ニコラ!? あ、ちょっと、どこに行くんだ!」
慌てて追いかけてくる足音を聞き流し、あたしは鼠についていく。人の波をくぐり、通りすぎ、階段を上って、静かな路地の裏に入る。薄暗く、夕暮れがほんの少し漏れるその通りの道をくぐり、走り、鼠を追いかける。路地を走る。あたしが追いかける。レオが後ろから走ってくる。
「ニコラ! どこまで行くんだ!」
あたしは黙って鼠についていく。
鼠が階段を上る。
あたしも階段を上る。
レオも階段を上る。
上り切ると、寂れた路地に並ぶ静かな店達が佇んでいた。鼠が走っていく。その建物の裏に隠れた。
あたしは顔を上げた。建物の看板を見た。
「レオ」
指を差すと、階段を上り切ったレオが顔を上げて、あたしの指差す方向を見て、頰を緩ませた。
「でかした! ニコラ!」
長靴の履いた猫の看板が、小さく飾られていた。
レオが辺りを見回し、あたしを見る。
「……こんな所、どうやって見つけたんだ?」
「鼠ちゃんが教えてくれたの」
「鼠? ふふっ。ニコラ、人から聞いたならそう言えばいいだろ。変な演出はいらないよ。それとも今、若者の間では鼠のジョークが流行ってるのか? くくっ。君も案外可愛いところがあるじゃないか」
レオが笑いながら店に近づき、じいっと建物を見上げる。
「んん……? ……これ、店やってる?」
「他にも看板が立ってる。……20時までやってるって」
「……入っていいのか……? これ……」
二人で窓から中を覗くと、全く人の気配がない。レオが深呼吸して、背筋を伸ばす。
「よし、行くぞ。ニコラ、侵入だ!」
「ん」
頷き、レオの後ろをついていく。
レオが店の扉を静かに開ける。
店内を二人で覗く。非常に静かだ。
「……時計が並んでる」
棚にレトロな時計が多く置かれている。
レオが先に店に入り、あたしが続いて入る。
全ての時計の針が止まっている。動かない時計が棚に置かれているだけのおかしな店。
のっぽの時計。小さい時計。美しいデザインの時計。シンプルな時計。
壁に剣と羽のついた帽子が飾られており、至る所に猫の置物が時計の周りに置かれていた。
「猫の置物が多い時計屋さんだな。うん、とりあえず見つけたし、ハロルドさんに報告しよう」
「ええ」
「ん? ……わあ、見てごらん。ニコラ。あれすごいよ」
レオが声を上げて、指を差した。
振り返ると、歯車の形の古びた時計が置かれていた。その時計もやはり時間が止まっている。珍しい形だ。
「こんな時計見たことない。外国の物かな」
「あたしも見たことない」
「すごいな。どうやってデザインしたんだろ」
二人でまじまじと見ていると、くすりと、笑い声が聞こえた。驚いて二人で息を呑み、慌てて振り向くと、奥にカウンターがあり、そこにいた女があたし達を笑いながら見ていた。レオが焦って女に話しかける。
「ああ、これはすみません。勝手に入ってしまって」
「お店は自由に入っていいのよ。ふふっ。こんばんは」
「こんばんは」
レオが挨拶をして、女に近づく。
「あの、レオと申します。こっちは妹のニコラ」
「……こんばんは」
挨拶すれば、女性がにこりと微笑んだ。
「ゆっくりしてちょうだいな。今日はお客様が少なかったから寂しかったの」
「ここは時計屋ですか?」
「ええ。私が営む店よ」
「……こんな静かな所で?」
レオが不思議そうな顔をすると、女が微笑んだまま頷いた。
「色々事情があってね」
「事情?」
「子供には難しい事情よ」
女がにやりとした。
「駆け落ちをしたの」
「えっ」
レオが間抜けな声を上げて、それを聞いた女が笑った。
「ふふっ。正しくは、しようとしていた……になるのかしら。交際相手のことで親と揉めちゃって、駆け落ちしようとしたのはいいけど、相手のご家族のことだとか、色んなことを考えたら出来なくてね。一人で家のお金を持って逃げてきちゃった」
「それで、ここにお店を?」
「ええ」
「あの、すごく失礼なんですけど、ここって、あまり人が来るような所ではないと思うんです。……経営は大丈夫なんですか?」
「ふふっ。意外と何とかなるものよ。時計の修理に来られるお客様が多いから、そうね。裏スポットみたいな場所になるのかしら」
「はー。なるほど……」
「ここの広場で経営する店は皆そうよ。寂れているように見えるけど、リピーターのお客様が非常に多いの。だから、まあ、なんとかやれてるのよ」
「はあ……。……すごいですね……」
レオが店内の時計を見て、周りの時計を見て、時計を見て、自分の腕時計を見て、ぎょっと目を見開いた。
「げっ!! もう3分しかない!!」
あたしの両肩を掴んで、レオが女にあたしを差し出した。
「あの、この子置いていきます! すぐに戻ります!」
「えっ」
「ニコラ、ここにいるんだぞ! 悪戯しちゃ駄目だぞ!」
慌ててレオが店から飛び出して、とんでもない運動力で走り出した。
女がぽかんとして、あたしもぽかんとして、顔を見合わせる。
レオがいなくなったので、あたしが女に事情を話す。
「……なんか、この店を探している人がいて、それで探してたんです」
「あら、静かな所だというのに店の噂が立つなんて、あの看板効果かしらね」
長靴を履いた猫の看板を見て、女が笑った。
「ニコラちゃんだっけ? 良かったらうちの時計を見て行って。どんなものがお好み?」
「……可愛いのがいいです」
「あれなんてどう?」
女に指を差される。振り返ると、箱の中に小さな部屋が作られ、その中に時計が貼りつけられていた。
「それも時計よ。置時計」
「人形の家みたい」
「そうね。中にお人形さんを入れてあげても可愛いかも」
(……メニーが好きそう)
「他には?」
「あれは?」
女性に指を差される。振り返ると、馬車の置物。車輪の部分に時計が貼りつけられている。まるで人形の家に置く家具のよう。
「こんなものもあるんですね」
「そういうのを作るのが好きなのよ」
「貴女が作ってるんですか」
「そうよ」
「……でも、止まってる」
時計の針は全て止まっている。
女が静かに頷いた。
「この店が建って、もう10年以上になるんだけど、私自身の時計の針が止まっている感覚なのよ。いつまでも時計の針が動いてない気がして、店の時計の針を全部止めてしまったわ」
(……分かる気がする)
あたしは時計の針が動くのが怖くて仕方ない。
(牢屋に入るまでのカウントダウンよ。時計の針なんて平和な時間で止まってればいい……)
「店の前の猫の看板ね」
女が長靴の履いた猫の看板を見た。
「あれ、駆け落ちをしようとした交際相手が作ってくれたのよ」
「あの絵を描いたんですか?」
「そう。自分の飼い猫が長靴から出てきて、突然そんな絵を思いついたって言って、将来店を開いたら使ってくれって言われたの」
その猫の絵さえ、時間が止まっているように見える。
「歯車が噛み合わないように、私達も意見が噛み合わなかったのよ。駆け落ちなんてするものじゃないわ」
「意見が噛み合わなければ、噛み合うまで話をすればよかったのに、若気の至りね。そんな時間は無いように思えたのよ」
「こんなにも時間はあったのに、焦ってしまった」
「私の時間は止まってる」
「ニコラちゃん、こんな大人になっちゃ駄目よ。時間は進む。時間を無視するなんて、そんなことは出来ない」
外から音がした。
「何でもかんでも時間が解決するのよ。焦っては駄目。ゆっくり、時間をかけていいの」
外で、走ってくる音がした。
「時間をかけて、話し合えば、きっと」
扉が開いた。
「あの人とも……」
女とあたしが扉の方を見た。
レオとハロルドがいた。
ハロルドが目を見開いた。
女が目を見開いた。
レオがきょとんとした。
ハロルドが思わず、叫んだ。
「エスメラルダ!」
女が驚いたように、口元を押さえた。
「……ハロルド……?」
レオが間抜けな顔をした。
「ん? どういうこと?」
ハロルドが視線を外すことなく、女に近づいた。
「探したよ。ずっと探していたんだ。君を見つけようとやけになって、ラジオ番組のパーソナリティになるまで」
「……久しぶりね。ハロルド。貴方のラジオはずっと聴いてたわ」
「聴いてくれていたの?」
「貴方の声は特徴的だもの。名前もそのまま。分かるわ」
「聴いてて、俺の存在を知っていたのに、会いに来なかったのかい?」
「当然よ。私達はもう終わった仲じゃない」
「何を言うんだ。エスメラルダ。俺はずっと君を探していたんだよ」
ハロルドがエスメラルダの手を握った。
「長靴を履いた猫の看板と聞いて、まさかと思ったんだ。……ようやく見つけた」
「ハロルド……」
「もう離さない」
ハロルドがエスメラルダを抱きしめた。
「会いたかったよ。愛しい人」
「ハロルド……」
エスメラルダがハロルドを抱きしめた。
「……私も会いたかった……」
エスメラルダが微笑んだ瞬間、レオの腕時計の針がかちりと動いた。
二人の時計が動き出したように、レオの腕時計の針だけが動いていた。
抱きしめ合う二人を見て、腕時計を見て、――レオが静かにあたしの肩を叩いた。
「……ニコラ、行こう」
「……サインはいいの?」
「いいよ。行こう」
レオがあたしの背中を押した。
「二人きりにさせてあげよう」
その空間だけ、時計の針が止まったような二人にレオが一度だけ振り向き、前を見て、あたし達は店から出た。
二人を引き会わせた長靴を履いた猫の看板は、秋風で揺れていた。
(*'ω'*)
星が少しずつ見えてくる夕暮れ空を眺めながら、二人で足を揃えて中央区域の噴水前に向かう。
「駆け落ち計画に反対して行方不明になっていた恋人を、ラジオを通して探していた。いやあ、やっぱりかっこいいな。ハロルドさん……」
レオがうっとりと頬を緩ませた。
「僕にもそんな相手が欲しいよ。ニコラは兄さんと駆け落ち予定はないの?」
「やめて。あいつと駆け落ちなんて、考えただけで寒気がする」
ぞっとしてレオを睨むと、レオが笑い、あたしの腕を小突いてきた。
「ところで、……交渉はどうなった?」
「分かんない。あいつ結構お怒りよ」
「やっぱり結構お怒りか……。ふーん。よっぽど君が気に入ってるんだね。何したの? キッドが誰かを気に入るなんて滅多にないのに」
「あんたみたいにピーンと来たんじゃないの?」
「……キッドが?」
レオが納得のいかない顔をして、不快そうに首を振った。
「ああ、嫌だ嫌だ。あいつのことなんて考えたくない。この話をして悪かった。やめようやめよう。あ、そうだ。ニコラ、三連休の話をしよう。いいか、忘れちゃ駄目だぞ」
「21日の11時?」
「そう」
「分かった。カレンダーにも書いておく」
(帰ったらキッドにばれないような印をつけておこう)
「……ん?」
レオが顔を上げた。足が止まる。あたしも足を止めて、ちらっとレオに振り返った。
「何?」
あたしが訊くと、空から鳴き声。
「ピィイイイイ!」
「ぴぃちゃん! すっかり忘れてた!」
レオが両手を空に向かってあげると、掌にぴぃちゃんが乗った。
「ピィ!」
「ぴぃちゃん、どこにいたんだ? 事件は解決したよ」
「ピィ!」
「あはは! こいつ、目的を忘れてお空をお散歩してたな? くくっ! 可愛い奴め!」
(……役立たず……)
これで鳥よりも鼠ちゃんの方が役に立つことが実証出来たわ。鼠ちゃんは有力なのよ。あたしは今後も鼠ちゃんだけを信じて生きていくわ。
じいっと青い鳥を睨んでいると、レオがきょとんとして、あたしを見て、ぴぃちゃんを見て、そっと、あたしにぴぃちゃんを差し出してきた。
「ニコラ、触りたいのか? いいよ。頭撫でてあげて」
「いい」
「遠慮はいらない。な? ぴぃちゃん」
「ピィ」
「その鳥が役に立たなかったと思っただけよ。いらない。触らない。手が汚れるわ」
「なんて酷いことを言うんだ。ぴぃちゃん、ニコラはきっと、僕がぴぃちゃんに構ってるからヤキモチを妬いてるんだ。気にすることないよ。頑張った君には、あとでご褒美をあげるからね。ぴぃちゃん」
「ピィ」
「誰がヤキモチよ……。ふざけんな……」
眉間に皺を寄せてレオを睨んだ瞬間、
「ご褒美は」
「我々が欲しいものですな」
あたしとレオが振り向いた。ぼろぼろのヘンゼとグレタが体を震わせて、あたし達の後ろで立派に仁王立ちしていた。
「げっ」
レオが顔を引き攣らせると、二人がぎろりとレオを睨んだ。
「みーーつーーけーーたーーー!」
「リーーオーーンーーさーーばーー!」
「ひぃ!」
「ピィ!」
レオとぴぃちゃんの声が重なり、レオが慌ててあたしに手を上げた。
「じゃあね! ニコラ!! 今日はここまでだ! 僕は先に帰るよ!」
ダッ! とレオが走り出し、グレタが追いかけた。
「リオン様! お待ちを! リオン様!! もう逃がしませんよ! リオン様!!」
「うるせえ! 馬鹿! その名前を呼ぶな!」
「スケジュールを騙すなんて! リオン様! 酷いです! リオン様! あんまりです! リオン様!!」
「うるさい!!」
(あーあ……)
噴水を回って逃げるレオと噴水を回って追いかけるグレタに呆れた目を向けると、あたしの手が掴まれた。
(ん?)
顔をしかめて振り向くと、ヘンゼの手があたしの手をすりすり撫でていた。さっきまでぼろぼろだったのに、あたしを見つめた瞬間、ヘンゼの肌に艶がかかった。
「ふっ! こんな夕暮れ時に会えて嬉しいよ。ニコラ。なんてロマンチックな夕方なんだ。帰り道? お兄さんが家まで送ってあげようか?」
「離せ」
「照れちゃって可愛いな。迷子の子猫ちゃん。わんわんのお兄さんが優しく家まで送ってあげよう。さあ、行こう」
「ぴぃちゃん! いけ! ニコラを守れ!」
レオの叫び声と共に、ぴぃちゃんが突然すごい勢いで飛んできて、ヘンゼの頭を突きだした。ヘンゼが悲鳴を上げた。
「いていていてて! やめろ! お兄さんを突くんじゃない! ぴぃちゃん! やめろ!」
「ピィ!」
「リオンさばあああああ!」
「撤退! ぴぃちゃん! 撤退!!」
レオが走り、あたしの肩を一瞬叩く。
「じゃあね、ニコラ。交渉は頼んだよ!」
レオが思いきり走り出す。
「お待ちをリオン様!! スケジュールを騙したら、我々が貴方様を守れないじゃないですか!! リオン様!!」
グレタがレオを追いかけた。
「痛い痛い痛い! やめろ! お兄さんの美しい顔を突くんじゃない! リオン様! 何とかしてください! リオン様!!」
ヘンゼがレオを追いかけた。
「ピィ!」
ぴぃちゃんがレオを追いかけた。
あたしはそれを見送り、顔をしかめる。
「……騒がしい奴らね……」
(帰ろう)
今日も夕日が沈む。
今日もあたしの時間は進む。
時計の針が一刻一刻と進んでいく。
あの店の時計は止まっていたけど、それは店の中だけだ。
時計は確実に動いている。
惨劇までのカウントダウンは、確実に近づいている。
あたしは夕暮れの光に当たりながら、帰り道を歩き始めた。




