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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(後編)
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第1話 10月16日


 アリスがあたしに両手の甲を見せる。あたしはアリスを睨んだ。


「さあ、ニコラ」


 アリスが微笑んだ。


「どうする?」


 あたしはアリスを睨む。


「私はいいのよ。このままでも」


 あたしは手を動かした。


「ふふっ」


 アリスが笑う。


「ふふふふふ」


 アリスがいかれたように笑う。


「ふふふふふふふふふ」


 あたしは手を動かした。獲物を掴む。


「うっふ」


 アリスが笑いながら顔を引き攣らせた。


「ううう」


 アリスが顔を青くした。


「うわああああああ! だめええええええ!!」


 あたしはトランプを取った。ハートの5。


「あたしの勝ちよ」


 5のトランプを捨てれば、リトルルビィが拍手をし、アリスが絶望に打ちひしがった。


「ニコラ! すごーい!」

「ちっくしょおおおおおおおお!! いけると思ったのにーーーー!! あぁあぁあああ!」


 アリスがババをトランプの山にたたきつけ、地面に這いずり回る。


「ニコラの馬鹿ニコラの馬鹿ニコラの馬鹿!」

「ババ抜き如きで大袈裟なのよ」

「ニコラ!」


 アリスが勢いよく起き上がった。


「勝負というものはね、一つ一つが勝負なのよ!」

「はいはい」

「特にババ抜きの勝負は人生が変わるのよ。キッド様がそう言ってた!」

「……」


 ――選択を誤った苦い過去を思い出した、そのタイミングでアリスの部屋の時計が鳴る。あたし達が同時に振り返れば、時計の針は18時。


「あ、だいぶ長居しちゃったね」


 リトルルビィが思わず呟く。

 そういえば外も暗い。部屋には明かりがついていて、まだ大丈夫と三人で遊んでいた。リトルルビィがあたしを見る。


「そろそろ帰ろっか。ニコラ」

「ん」


 こくりと頷き、アリスに顔を向ける。


「アリス、お邪魔したわね」

「アリス! お紅茶ご馳走様でした!」


 あたしとリトルルビィが言うと、アリスがふふっと笑って、トランプを片付け始める。


「こちらこそ、お見舞いありがとう。素直に嬉しかったわ」


 ハートや、ダイヤや、クローバーや、スペード。トランプが重なっていく。


「楽しかった! また遊びましょうよ!」


 アリスがネグリジェのまま立ち上がる。


「外まで送るわ!」

「ネグリジェなんだから、部屋の前まででいいわ」


 あたしが断ると、アリスが残念そうに眉をへこませた。


「えー? でも、せっかく来てくれたんだし」

「いい」


 アリスの首に浮かび上がる痣を見て、首を振る。


「必要ないから」

「そう?」

「そうよ。アリス。ゆっくり休んで」


 リトルルビィにも言われ、アリスがこくりと頷く。


「……うん。そうね。じゃあ、そうする。これ以上心配かけるわけにもいかないし。でもね、二人とも大丈夫よ。明日にはちゃんとドリーム・キャンディにも行くから」

「首、大丈夫なの?」


 訊けば、アリスが笑顔で頷く。


「平気よ! こんなの! チョーカーでもして隠すわ!」


 アリスがクローゼットから取り出す。

 ハートとクローバーとダイヤとスペードの模様だけで作られた、シンプルな、少し変わったチョーカー。


「ほら」


 アリスが首に当ててみる。


「可愛いでしょう?」


 首の痣が見えなくなる。


「しばらくこうやって隠すかな。どう? リトルルビィ。お洒落でしょう!」

「うん! 可愛い!」

「そうでしょー! 可愛いでしょー! もっと褒めていいのよー!」


 アリスがクスクス笑い、チョーカーを汚い机の上に置いた。


「二人とも、今日はありがとう。気を付けて帰ってね」

「うん!」

「アリス」


 あたしはアリスに言う。


「ベッド、お菓子だけ置いておけば?」

「そうね。またジャックに来られたら、流石に怖いもの。二人が帰ったら、飴でも置いておく」


 アリスが微笑み、鏡を見た。


「あーあ、何度見てもそうなのね。私、ジャックに会ったのね」


 アリーチェ・ラビッツ・クロックが、首を見て、再び笑う。


「うふふふふふふふふふふふふ!」


 アリーチェが、あたし達に手を振った。


「じゃあね。二人とも。また明日」

「ええ」

「明日ね。アリス!」

「それと、ニコラ」

「ん?」


 アリーチェが、


 ――アリスが、優しく微笑む。


「ピナフォア、似合ってるわよ」

「……ありがとう」

「じゃ、明日ね」

「ええ」


 あたしとリトルルビィがアリスの部屋から、アリーチェの部屋から出ていく。扉を閉めて、二人で廊下を歩き、階段を下りる。下には閉店準備をするカトレアの姿があった。


「あら、二人とも」


 カトレアがあたし達を見て、微笑む。


「だいぶ暗くなってるから、気をつけて帰ってね」

「はい!」

「お邪魔しました」

「これ、預かってたものよ」


 カトレアから預けていたロスのお菓子を受け取る。


「じゃあね」


 カトレアが手を振って見送る。リトルルビィとあたしが帽子屋、エターナル・ティー・パーティーから出ていった。外に出ると、日はとっくに暮れ、秋の風が吹いている。少し肌寒い。


「行こう、ニコラ」

「ええ」


 頷き、エターナル・ティー・パーティーに背を向け、二人で帰り道を歩く。西区域から噴水前まで行ける公園に入り、いつも見ている湖を見て、


「……ああ」


 あたしが声をあげる。


「リトルルビィ、先に帰っててくれない?」

「え?」

「用事を思い出したの」

「用事? もうだいぶ暗いよ?」

「大丈夫。人と会うだけよ」


 言うと、リトルルビィがきょとんとあたしを見上げる。


「……こんな時間に?」

「ん」

「キッド?」

「まさか。別の人」

「ソフィア?」

「違う」


 否定して、リトルルビィの頭に、そっと手を置いた。


「んっ」


 リトルルビィが驚いて、声を上げる。


「大丈夫だから、先に帰ってて」


 言えば、赤い目がじっとあたしを見つめる。街灯がその目を照らす。日は暮れている。もう夜だ。でも大丈夫。


「知り合いに会うだけよ。大丈夫」

「……ん。分かった」


 リトルルビィの腕が伸びる。あたしの背中を掴む。


(あら)


 リトルルビィが、あたしを抱きしめた。


「じゃあね。テリー」


 少しかかとを上げる。


「また明日ね」


 ちゅ、と頬にキスをされた。


(あらあら)


 その頬を押さえて、ほくそ笑むリトルルビィを見つめる。


「……あんた、ボーイフレンドいないの? 紳士にやってあげたら喜ぶわよ」

「テリー限定だもん!」


 キッドみたいなことを言って、頬を赤らめたリトルルビィがあたしから離れる。赤いマントが揺れて、赤い目が再びあたしに向けられる。


「じゃあね。テリー」

「ん」

「また明日」

「ええ。また明日」


 手を振ると、リトルルビィも手を振って、先に歩き出す。

 その背中が見えなくなるまで、見送る。

 でないと、見られてしまう。


(まだか)


 リトルルビィの背中は消えない。


(まだか)


 リトルルビィは歩いてる。


(まだか)


 リトルルビィの背中が見えなくなる。


(まだだ)


 その道をじっと見つめる。


(まだ歩いてる)


 多分、まだ公園内にいる。


(もう少し時間を置こう)


 もう少しで、会えるだろう。


(もう少し)


 時間を置いて、――ため息。


「はあ」


 ようやく歩き出し、ガゼボに向かった。もちろんレオはもういない。

 足を動かすと街頭に照らされた、人気のないガゼボがそこにあるだけ。

 あたしは中に入り、椅子に座り、隣にリュックを置いて、ぱんぱんと手を叩いた。


「ドロシー」

「お菓子食べてたのに……」


 瞬きをすると、正面にドロシーが座って、金平糖の袋を手に持っていた。一粒一粒、大事に指でつまんで、口に入れていく。あたしは腕を組んで、じっとドロシーを睨んだ。


「よくも昨日は助けに来なかったわね」

「……悪いとは思ったよ」

「……聞こえてたのね」

「仕方ないだろ。僕だって誰もいなきゃ過呼吸で苦しんでる君を空へ持ち上げて、魔法でちょちょいのちょーいってやったよ。でもさ」


 君のすぐ後ろにリオンが走ってきてたんだ。


「あんた、誰にも見られないんでしょ」

「君は見られるでしょ。突然君が姿を消して、リオンに不審がられたらどうするわけ? 僕はね、過呼吸の君を見捨てることで君を助けてあげたんじゃないか。感謝してもらいたいね」

「……」

「もう。そうやってむくれる」


 ドロシーがあたしに手を差し出した。


「しょうがないな。金平糖あげるよ。これで許してよ」

「……」


 あたしは手を差し出す。ドロシーが星の形の金平糖を何粒かあたしの掌に落としていく。それを口の中に放り投げる。ドロシーも口の中に放り投げる。二人で口を動かす。


「で? 今日は一体何の用? もうお帰りの時間じゃないの?」

「アリーチェを見つけた」


 ドロシーがきょとんと、瞬きした。


「え?」

「そうよね。まさか見つけられるなんて、あたしも思ってなかった」


 しかも、こんな近くにいるなんて、あんな人物だったなんて、思わなかった。


「アリーチェ・ラビッツ・クロック。名前は一致してる。年齢も性別も一致してる。ただ、一つだけ」


 彼女は、


「……人を殺すなんて物騒なこと、出来ないと思う」

「それは、どうかな。テリー」


 ドロシーがまた金平糖をつまんだ。


「人間っていうのは、何を考えているかわからない生き物だよ。ニクスを思い出してごらん。あんな大人しそうに見えて、雪の巨人になった父親を冷静に面倒見ていただろう? 君に何でもない顔して、自分の父親が起こしていた地震のことも、今日も地震が起きて怖いね、なんて他人事のように言ってた」


 人間って、簡単にそういうことが出来るんだよ。


「分かってる」


 あたしは頷く。


「囚人達にもそういうのはいたわ。本当に罪なんて犯しそうにない大人しい人が、実はとんでもない悪で、あたしもアメリも散々虐められたことだってある」


 それでも、


「アリーチェは、そんな子じゃない気がする」


 違和感を感じる。


「どちらかというと、殺人を受ける方」


 パニックになって逃げられなくて、巻き込まれて死んでしまう、怪我を負う。


「被害者側に見えるわ」

「それは君の見解でしょ?」

「ドロシー、あたしの職場の、ピナフォアドレスを着ている女の子よ。時間がある時に見張っててくれない?」

「ピナフォアドレスね。うーん。面倒だけど、明日にでも君のことを辿ってみるよ」

「……面倒とか言うな」

「ふふっ! 愛想笑い浮かべて無理矢理働いてる君を見て、指差して笑ってやる!」


 ドロシーがケタケタ笑い、金平糖を口に放り投げた。


「ああ、そうだ」


 ドロシーが金平糖の袋を閉じた。


「せっかくだ。情報共有といこう」

「うん?」

「君の屋敷、もう完全に呪われた」


 ドロシーがとんでもないことを言った気がする。あたしは眉間に皺を寄せる。


「……一体、何があったの……?」

「安心して。メニーだけは守ってるよ。僕にはそれが限界」

「どうしたの?」

「ジャックだよ。ジャック」


 悪夢を見せるハロウィンのお化け。


「ジャックは、どうやら一夜で色んな人に悪夢を見せるらしいね。毎晩ベックス家では誰かがうなされている。そして、翌日になれば何かを忘れている」


 ドロシーが金平糖の袋を眺めた。


「皆が忘れてる」


 それがどこか、


「違和感を感じる」


 ドロシーは感じている。


「魔法じゃない。でも魔力を感じる。夜に、何かを感じるんだ。皆が寝静まった頃に、何かが屋敷の中に侵入して、それを追うと消える。朝になれば、誰かが悪夢を見たと話をしている」


 ドロシーがあたしをちらりと見た。


「去年と同じだ。パストリルから感じた不安定な魔力」


 これは呪いだ。


「ジャックの正体は、中毒者の可能性、大だ」


 緑の目があたしに向けられる。


「キッドは?」

「動いてるみたいよ」

「キッドの鋭さにはほとほとうなされるね」


 ならば話が早い。


「今回の件が中毒者であるならば、飴の魔法使いが関係しているのであれば、28日の惨劇も、もしかしたらアリーチェが中毒者の影響で行った可能性も考えられる。前回のメニーのようにね」


 ソフィアの催眠が暴走して、メニーがキッドを殺しかけた。


「同じかもしれない。ならば、テリー、次の段階に行こう」


 ドロシーが自分の顎をつまんだ。


「君は『大量殺人が起きないように城下町を見張る』ことによって、アリーチェを見つけた。そして、中毒者が現れた可能性も出てきた。さて、新しく見つけた目的を達成するための、さらなるミッションは?」

「……あの子が、本当に大量殺人犯のアリーチェであるならば、何かがあったとしか思えない」


 追加ミッションは、二つ。


「『アリーチェが殺人犯になった原因を突き止める』」


 そして、最もな元凶。


「『ジャックを見つける』」

「素晴らしい」


 ドロシーがあたしに拍手をし、あたしは顔を曇らせる。


「でも、どうやって見つければいいの? 相手はお化けよ?」

「テリー、今の君には、強い味方がいるじゃないか。最強の協力者が」

「リトルルビィのこと?」

「違うよ。もっと強い味方」


 ドロシーがにやりとする。


「君のお兄ちゃんがいるじゃないか」

「リオン?」


 顔をしかめてドロシーに訊くと、ドロシーが頷いた。


「キッドに一泡吹かせたいんだろ? リオンがいい協力者じゃないか」

「中毒者の件に彼を巻き込めと言うの?」

「手前まででいい。ジャックが誰かを『特定』出来ればいいのさ。そのお手伝いをしてもらえばいいじゃないか」

「……」


 確かに、彼なら特定出来るかも。


(ならば、キッドはもう動いてる。迷ってる暇はない)

(……明日、やっぱりリオンに会いに行こう)

(特定が出来た後のことは、それから考えればいい)


「考えはまとまったようだね?」


 全てを悟っているような顔のドロシーが、片手から星のついた杖を取り出し、くるんと回した。


「テリー、復唱を!」

「愛し愛する。さすれば君は救われる」

「アリーチェを愛し、街を愛するんだ! テリー!」


 杖から星の光がぽんぽんと噴き出た。


「アリーチェも見つかって新たなミッションも決まった。僕達に出来ることは中毒者の特定だ。飴の魔法使いと、屋敷のことは、まあ、僕が引き続き調べておこう」

「ええ」

「また何かあったら呼んでよ。今度こそ助けてあげるから」

「だったらドロシー、家まで送ってちょうだい。あたし、か弱いから暗い中帰りたくないの」


 ドロシーが固まった。腕を下ろし、静かに呼吸して、じっとあたしを睨む。


「……君みたいな人間がいるから、魔法使いは魔法使いって名乗れないんだよ……」

「何よ。ちょっとくらい良いじゃない。あたし、貧弱令嬢なのよ。このケチ魔法使い」

「ケチじゃない! ああ、全く! ちょっと気を遣ってあげたらこれだ! すぐに調子に乗る! 本当に君って何も可愛くない!! メニーを見習ってほしいね!!」

「うるっさいわね! 黙ってキッドの家まで運んでよ! 場所分かるんでしょう!?」

「うるさいなあ! ……分かるよ。あの引っ越した所でしょ」

「そうよ。広場の外れの、木が異常に多い所」

「全く……人使いが荒いんだから……」


 むくれるドロシーに、あたしは質問する。


「ドロシー、ジャックに関してなんだけど、ベッドにお菓子を置いておくのは賢明?」

「……どうかな。中毒者にお菓子なんて効くのかな。でも、何もしないよりはいいかも。実際にそれで回避した君の屋敷の使用人がいたよ。……置いておけば?」

「分かった。じゃあ、そうする」

「テリー、他に話しておきたいことはある?」


 あたしは考えて、首を振る。


「特に」

「そう」


 ドロシーが杖を構える。


「28日までまだ時間がある。健闘を祈るよ」

「ええ」

「また何かあったら僕を呼んで」

「分かった」

「それじゃあ」


 ドロシーが口を動かした。


「おやすみ。テリー」


 瞬きをする。

 瞼を下ろして、

 一瞬真っ暗になって、

 瞼を上げる。


 あたしは、果樹園の側のベンチに、荷物と並んで座っていた。


「おやすみ。ドロシー」


 呟いて、リュックを背負って、紙袋を持ち、立ち上がる。


(……疲れた)


 一日が終わる。


(長い一日だった)


 アリーチェを見つけた。


(本当にアリーチェ?)


 リオンに確認しよう。あいつなら、見つけられたはずだ。


(明日、必ず会いに行こう)


 家の扉を開けた。中に入り、扉を閉めて、廊下を進み、リビングへの扉を開ける。


「ただいま」

「お帰り」


 ソファーで本を読んでたキッドが、顔を上げた。


「あ」


 あたしの姿を見て、微笑む。


「ピナフォアだ」

「……アリスから貰ったの。あんたのお下がりばかりだから、着なさいって」

「へえ、この間と別のやつ持ってたんだ」

「……この間?」

「日曜日も着てただろ?」

「……ああ」


 アリスから貰った日のことね。


(……酔っぱらった状態で、あたしどうやって着替えたんだろ……)


「いいね。やっぱりお前のドレス姿すごく可愛い。もっとよく見せて」


 キッドに見られ始めた途端、あたしはリュックを抱え直して、前に出す。リュックの盾で体を隠す。


「お前には嫌だ」

「照れ屋さんめ」


 キッドがふふっと笑い、また視線を本に移した。


「遅かったね。またどこか行ってたの?」


 それを言ってから、一瞬にして、鋭い眼差しであたしを睨んできた。


「リオン?」

「……アリスのお見舞いに行ってたのよ」


 その瞬間、キッドの目元が明らかに緩んだ。


「……ふーん。あの子、体調崩しちゃったの?」

「……ええ」


 そう言って、アリスの首を思い出して、


「……ねえ、キッド」


 あたしはキッドを見下ろした。


「あんた、ジャックに会ったんだっけ?」

「んー? うん。会ったよ」

「お菓子、渡さなかったんでしょ?」

「うん。逃げられたからね」

「記憶は?」


 キッドがくすっと笑った。


「訊いちゃう? それ」

「……減るもんじゃないわ」

「減るよ」

「何が?」

「俺のプライド」


 キッドが足を組み直す。余裕の笑みのキッドに、あたしは眉をひそめて腕を組んだ。


「あんたのちっちゃいプライドなんて、どうでもいいわよ」

「教えてあげるから、隣に来てよ」

「手洗う」

「すぐ終わるよ。少し話をしよう」


 キッドが隣をぽんぽんと叩いた。


「おいで」


 誘われ、促され、黙り、大人しく、背負ってたリュックを下ろして、紙袋をテーブルに置き、ジャケットを脱いでからキッドの隣に座る。キッドがあたしに顔を向けず、本を見下ろしたまま、あたしの腰だけ掴んで、ぐいと引き寄せる。


「っ」


 思わず目を見開いて、硬直する。キッドの手があたしの腰を撫でる。


(……だから手つきがいやらしいとか言われるのよ。このエロガキ)


 睨むと、本を見下ろしたままキッドの口が開いた。


「さて、君の質問に答えよう。記憶は無くなった」

「……忘れたの?」

「マフラーの件。正月だっけ? お前との会話を覚えてない。全く覚えてない。思い出そうとしても、思い出せない」

「あんたが勝手に忘れただけじゃない?」

「半年前くらいの思い出だったら、言われて、ああ、そうだったって、ワンシーンだけでも思い出せるだろ? 俺、それも思い出せない。多分、それじゃないかな?」


 キッドがわざとらしくうなだれた。


「あーあ。してやられたよ。お前との会話を思い出せないなんて、これこそ悪夢だ」

「もう一つ訊きたいんだけど」

「うん? 何だい? レディ」

「痣はある?」

「おっと」


 おどけた顔であたしを見下ろす。


「これはこれは、どうしたことか。名探偵の復活か?」


 その顔を見て、あたしはため息を出した。


「あるのね」

「俺の美しい肌に、うっすらと醜い痣がね」

「……刺された夢だっけ?」

「そう。刺された箇所に、痣」


 キッドが腹部を、優しく撫でた。


「ああ、許さないよ。ジャック。俺の肌に、痕をつけるなんて」


 俺の肌に痕をつけていいのは、


「お前だけだよ。テリー」

「ほざけ。悪夢を見て痣が出来るなんて、そんなことある?」

「どうしたの? お前ジャックに会ってないのに、なんでそのこと知ってるの?」

「……アリスがやられた」

「なるほど」


 キッドが頷く。頷いて、


「どう思う?」


 口角を上げて、あたしを見た。口角を下げて、あたしもキッドを見た。


「……リトルルビィから聞いた。中毒者なの?」

「昔から聞いてたお化けが中毒者だなんて、ああ、嫌だ嫌だ」


 キッドがため息混じりに呟いた。


「だけど、その可能性で考えたら、夜な夜なジャックが大暴れしているのも、忘れ物が多くなっている人達が多くなっているのも、城での異変も、説明がつく」

「どうする気?」

「そうだな。まずは夢の中で、ジャックが会いに来ないと」


(……ん?)


 違和感が生まれる。眉をひそめたあたしに、キッドが優しく微笑む。


「ね? テリー。ジャックが俺に会いに来ないと、始まらないだろ?」


 キッドがそう言った。笑顔で言った。その言葉が違和感の答えで、答えが分かったあたしはうんざりした。


「……あんた、またあたしを利用しようとしてるでしょう」

「うん?」


 キッドの口角は、いやらしく上がっている。


「何のこと?」

「この家に帰ってきた日に、ジャックにあんたが会いたがってたことを伝えろって、あたしに言ったわ」

「言ったよ」

「ジャックに会おうとした」

「そうだよ」

「記憶が無くなってること、知らなかったはずなのに」

「そうだよ」

「なんで言ったの」

「中毒者だろ。どう考えても」


 キッドの口角が下がった。


「ジャックに会った時に違和感を感じた。朝起きて、悪夢から目が覚めた時に、よくよく考えて、ぴんときた。テリー、ジャックの本見たことある? ジャックのことが詳細に細かく載ってるんだ。それを忠実に再現したようなジャックが、俺の前に現れたんだ」


 国に戻ってきた王子様を脅かしてやろうっていう悪戯心に、俺は見えた。だから違和感を感じたんだ。


「もう一度会えば何か分かるかもしれない。会わないと、何も追えない。今回は手掛かりが何もないんだ。夢以外はね」

「……」

「テリー、使えるものは全部使わないと」


 部下も、友達も、婚約者も。


「皆で協力して、ジャックを倒そう」


 えいえいおー。


 ――最初から、利用するつもりだったのね。


(頭が切れるというか)

(鋭いというか)

(なんというか)

(だからあたしは)


「……あんたの、そういうところが信用ならないのよ……」

「結構」


 キッドがくくっと笑い、あたしの肩に頭を乗せてきた。


「皆を守るためさ。ちょっとくらいの協力は必要だ」

「知り合い全員、囮にする気?」

「枕元にお菓子を置いておけば平気だよ」

「最低」

「結構」

「最悪」

「結構」

「あんたみたいな奴の隣にいたくない」


 あたしは立ち上がる。キッドは乗せてた頭を退けた。


「手洗う」

「そう」

「じいじは?」

「そろそろ戻ってくると思うよ」

「お腹空いた」

「もう少し待ってて。じいやが帰ってきたら、美味しいものを作ってくれるよ」

「……」

「……テリー」


 キッドがあたしを見上げた。


「だから、散々言っただろ?」


 ベッドに、お菓子を、置いておけ。


「お菓子さえ渡せば、記憶は取られない」

「……」

「いつまで経っても枕に置かないから、お菓子、買ってあげたでしょ?」

「……」

「ね?」


 全てのキッドの行動に、嫌気が差す。


「ああ、でも、チョコレート、食べちゃったね。お前。お酒飲みながら」


 くくくっと、おかしそうに、また笑う。


「俺のクッキーが残ってるよ。あげるから、ベッドに置いておきな」

「……」

「大丈夫。今回もちゃんと見つけるさ」


 会ったら、俺に言ってね。

 会ったら、ジャックに言ってね。


「俺に会いに来いって、伝えてね」


 くくくと、王子様らしくない、嫌な笑みを浮かべる。


(やっぱり最低)


 いつになっても、

 何年経っても、


(守るためとはいえ)


 なんでそんな言い方しか出来ないのか。

 なんでそんな考え方しか出来ないのか。


(最低)


「……あんたなんか、これがお似合いよ」


 紙袋に詰まれたお菓子をキッドに投げつける。


「ん?」


 ミイラのクッキー。


「何これ。どうしたの?」

「店の人が廃棄するから持っていけって」

「へえ!」


 きらきらと、キッドの目が光りだす。


「他は? 他は?」

「ん」


 紙袋を渡すと、キッドがそれを覗いた。


「すげー! いっぱい入ってる! よくこんなに入ったな!」

「詰め込んだ」

「待て!!」


 キッドが声を張り上げた。


「苺のロールケーキが入ってる!!」


 キッドが手に取った。


「これは俺のものだ!」

「はいはい」

「テリー! ペン!」

「はい」


 ペンを渡すと、キッドが容器に名前を書いた。


『Kid』


「これは俺のものだぞ。テリー。食べるなよ」

「はいはい」

「絶対食べるなよ!」

「はいはい」

「テリー、お前はどれにする?」

「……チョコ」

「名前書いておくよ」

「ん」


 キッドがあたしの名前を書く。


「冷蔵庫にしまっておくね」

「ん」

「テリー、先に風呂入ってくれば?」

「……そうね。そうする」

「くくっ、一緒に入る?」

「馬鹿」


 キッドを睨んでから、まずは手を洗いに、洗面所に歩き出した。



(*'ω'*)



 20時過ぎ。


 あたしは問題集の上に置かれたブローチに向き合った。


「……」


 メニーから預かった素材の入ったポーチを開けて、中を覗く。

 中には、パンパンに布の生地やリボンが詰められていた。


「……」


 裁縫セット一式も入っている。糸も、針も。


「……」


 あたしはポーチに入ってる素材を探した。


「……あ、あった」


 入ってるものね。


「……なるほど」


 材料を並べて置いて、じいじから貸してもらった工具を手に掴む。


「ふんっ」


 ぽきっと、ブローチの一部分が取れる。


「……ん、これならいける」


 我ながら上手い具合に取れた。


「これで」


 長さのある、太いリボンに金具をつけていく。


「これで」


 太いリボンの真ん中に、金具を付けていく。


「これで」


 小さなブローチの一部分をつける。


「これで」


 固定して、


「これを」


 固定して、


「……」


 じっと、見る。


「ん」


 頷く。


「なかなか悪くない」


 欠けたブローチの残りはどうしよう。


「……まあ、でも、一応リサイクルは出来たわ」


 小さいクローバーを取ってつけただけだけど。


「なかなか可愛いんじゃない?」


 手に持ったそれを、じっと見つめた。





( ˘ω˘ )







 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「あらあら、坊やってば」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「待って。そちらは駄目よ」


 ジャックはお菓子がだぁいすき!


「ああ。待って。ふふっ。待って」


 ハロウィンの夜に現れる。


「ここは狭いのよ。駄目よ。遊んでは」


 ジャックは恐怖がだぁいすき!


「うふふ。なんてお転婆なんでしょう。まるでテリーみたい」


 子供に悪夢を植え付ける!


「近いうちにテリーに会いに行きましょうね。私が昔働いていたお屋敷のお嬢様なのよ。私の妹みたいな人よ。うふふ。貴方の良いお姉ちゃんになってくれるわ」


 回避は出来るよ! よく聞いて。


「ちょっと口が悪いけど、それもあの方の愛嬌なのよ」


 ジャックを探せ。見つけ出せ。


「あら、そちらは駄目よ」


 ジャックは皆にこう言うよ。


「全く、なんてお転婆なの」


 お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!


「坊や、待って」


 ジャックは皆にこう言うよ。


「トリック・オア・トリート!」

「あら、ごめんなさい。坊や。お菓子を用意し忘れたわ」

「……チェッ……」


 皆でジャックを怖がろう。


『ちゃきん』

「あっ」


 お菓子があれば、助かるよ。


「っっっっっっっっっっっっっっ!」


 皆でジャックを怖がろう。


「っっっっっっっっっっっっっっ!」


 お菓子が無ければ、死ぬだけさ。


「~~~~~~~~~!!! ~~~~~~~~~!!!!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「腕、腕が、~~~~~~っ! 腕がっ」


 切り裂きジャックを知ってるかい?


「あっ。~~~~っ。あ、あぁぁぁああ! ~~~~~っっっ!」


 ジャック ジャック 切り裂きジャック


「~~~~~っっっっっっ! ~~~~~っっっっっっっっっっっっ!!!」





 切リ裂キジャックヲ知ッテルカイ――?







(*'ω'*)





「サリア、お願いがあるの」

「あら、メニーお嬢様、いかがなさいました?」





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