第14話 10月9日(3)
17時。中央区域。ミックスマックス本店前。
レオに引きずられてミックスマックス本店へ。物好きによる最低な行列。レオはわくわくした目を輝かせて、あたしは不機嫌でイライラした目を見せる。
「ニコラ、17時になったぞ。これから何が起きるかドキドキするな!」
「勝手にドキドキしてろ……。ドキドキして心臓発作を起こして、勝手にくたばればいいのよ……」
「ああっ! ニコラ! 見ろ! 閉められていた扉が開くぞ!」
ミックスマックスのダサい服装でコーディネートされた店員が、わくわくした表情で扉を開ける。行列に向かって、声を張り上げた。
「ただいまより! 本日限り! 限定の帽子の販売を行います!」
その瞬間、行列がざわついた。
「ぼ、帽子だって!?」
「ミックスマックスの帽子だと!?」
「ふっ……! ようやくミックスマックスにも、帽子の時代がきたのか!」
「ニコラ! すげー! 帽子だって! ミックスマックスが帽子を販売するってさ!」
大興奮のレオと周りの物好きに、目が据わってくる。
(全然意味が分からない……)
「ニコラ! ニコラ! お揃いにしよう! 兄妹の証だ!」
「いらない」
「うおおおおお! すげー!! ミックスマックスの帽子だあああああ!!」
(さて、いつになったらこの行列から抜け出せるかしら……)
レオの隣から逃げ出すこと、この物好きが集まった行列から抜け出す方法を考えていると、行列の中から、すっと、手が上がった。
「なあ、その帽子は一つでいくらだ?」
店員に向かって、レオくらいの年齢の少年が質問した。店員が微笑み、堂々と回答した。
「お一つ、4000ワドルだ!」
「高い!」
「でもミックスマックスの帽子だ!」
「背に腹は代えられん!」
学生らしき少年達が拳を握る。その様子を見ていた少年が微笑み、叫んだ。
「よーし! その帽子、全部俺様が購入する!」
「え?」
レオがきょとんと振り返る。
あたしもきょとんとして、思わず振り返った。
周りの人々も、皆その少年に振り返る。
少年は、実にふくよかな赤毛の少年。隣には、またふくよかな顔の似ている少年が立っていた。
声を張り上げた少年が、どこか偉そうに胸を張った。
「俺様はピグ・チル・ド・ウルフブレス! ウルフブレス家の者だぞ!」
(誰……?)
考えるが、そんな名前の一族を聞いたことがない。しかし、名前を聞いた人々が、ぞっと顔色を青く染めた。
「ウルフブレスって、あの……?」
「金持ちの家だろ……?」
「長男が質の悪い暴れん坊って聞いたな……」
「その本人ってわけか……?」
皆が警戒心から眉をひそめる。あまり良い評判の家柄ではなさそうだ。悪どい笑みを浮かべてにやにやするピグに、店員の男性が眉をひそめた。
「あー……申し訳ないけれど、そういう買い占めサービスはうちではやってないんだ。ミックスマックスは皆のものだからね。ということで、帽子は皆平等に。一人一点限りで」
「なんだと!?」
ピグが怒りに眉を吊り上げた。
「この俺様が購入すると言ってるんだ! 言うことを聞け!」
「そうだそうだ!」
隣にいた少年が、加勢してきた。
「ピグ兄ちゃんはやばい奴なんだぞ! 兄ちゃんが切れたら、この店はおしまいなんだからな!」
「そ、そんなこと言われてもねえ……」
店員の男性が困ったように眉をへこませる。
「帽子が何百個もあったって、困るのはそっちだろう?」
「コレクションにするんだよ!」
「流石兄ちゃん! ちょーかっこいいぜ!」
「ダメダメ。使いたい人がこうやって順番に並んで待ってくれているんだから。彼らのためにも平等にしないと」
「俺様の言うことが聞けないって言うのか!?」
「ああ。聞けないね」
「分かった! よく分かった!」
ピグが怒鳴った。
「もう怒ったぞ! そういうことなら、この店の権利をパパに言って買い取ってやる!」
「えー」
店員の男性が困り果てた顔でピグを見る。ピグとポークは調子に乗り始めた。
「もう遅いんだからな! 俺様は怒っちまったぜ!」
「あーあ! 兄ちゃん怒らせちまったな!」
「えー」
「ポーク! パパを呼んで来い!」
「うん!」
「えー」
味を占めた兄弟の暴走は止まらない。子供のような行動に、呆れた目を向ける。
(こんなブランドの帽子持ってたってしょうがないでしょ……)
「ちょっと待った。そこの二人」
「「ん?」」
ピグとポークが声の方に顔を向けた。行列に並ぶ人々も、その声を見た。あたしの隣を見た。帽子を深く被り直したレオが、二人をじっと見ていた。ピグとポークとレオの間に並んでいた少年達が、外側に避けていく。――三人の視線がぶつかった。
「なんだぁ? お前は?」
「僕はレオ。ねえ、そういうの良くないんじゃない?」
「ああ?」
ピグがレオに近づいた。じろっと、自分より背の高いレオを見上げて睨む。
「なんだぁ? 俺様に説教しようってのか?」
「説教じゃない。聞いた限り、帽子は一人一点のみと店側が決めている。お金を払う立場とはいえ、ルールは守らないと」
「何言ってんだよ! お前! 俺様がルールなんだよ! 俺様は、ウルフブレス家の者なんだぞ!」
「そうだそうだ!」
ピグの後ろからポークが近づいてきた。
「お前、兄ちゃんの恐ろしさを知らないんだろ!」
「恐ろしさ?」
レオが首を傾げる。
「少なくとも、僕は君より怖い人を知ってるよ。それと比べ物にならないくらい、君達のことは何も怖くない。ただ駄々をこねる赤ん坊同然だ」
「なんだと!?」
ピグがレオの胸倉を掴んだ。しかし、レオは涼しい顔のまま。
「やめてくれる? 服が伸びるだろ」
「すかしやがって。こいつ……!」
「お前、その辺にしておけよ! 兄ちゃんが切れたらまじでこわ…」
ポークが、一瞬、あたしを見た――瞬間、目をハートにさせた。
「はっ!」
「あ?」
……なんか、すごく嫌な予感がする。背筋がぞくぞくして、腕を組んで、ぎっ! と睨む。
(見てるんじゃないわよ! この豚!)
「はぅ……!」
ポークが胸を押さえて固まり、異変に気付いたピグがポークに振り向く。
「ん? ポーク?」
ピグがポークの視線を辿る。その先にいるあたしと目が合う。ぎろっと睨むと、ピグの目がハートに変わった。
「はっ!」
(何? さっきから背中がぞくぞくするんだけど)
「ん?」
レオが固まったピグに気付く。きょとんとして、その視線を辿る。あたしに行き着く。もう一度ピグを見る。目をハートにさせたピグとポークを見て、レオがはっとする。
「こら!」
レオがピグの手を振り払い、あたしの前に出た。
「話の途中で妹を見るな!」
「い、妹!?」
「妹!?」
ピグとポークがびくっと肩を揺らし、お互いの顔を見合わせた。
「おい、ポーク! 今世紀最大にいい女に出会えたぜ! 俺はあいつをぼこぼこにして、あの子とランデブーするぜ!」
「兄ちゃん、ちょーかっこいいぜ!」
「レオ、帰っていい?」
イライラして言うと、レオが拳を握って、熱く二人を睨んだ。
「させるか!! 大事な妹を、お前らみたいな野蛮な狼に渡してたまるか!」
「無視かい」
ピグとレオが睨み合う。
「こうなったら勝負だ! レオ!」
「望むところだ! ピグ!」
(何? 喧嘩? 殴り合いとかやめてよね……)
揉め事に巻き込まれたくない。一歩下がると、レオとピグが、声を重なり合わせた。
「「ミックスマックス方式で勝負だ!!」」
何それ?
「説明しよう!」
ポークが出しゃばる。
「ミックスマックスファンの間では、喧嘩をする時、ミックスマックスのカードゲームで勝負をつけるというルールが設けられている! つまり、お互いのデッキで、勝負を行う!」
「そういうことであれば仕方がない!」
店員が店の中へ手を差した。
「さあ! 二人とも、フィールドへ!」
「なんてことだ……! 勝負が始まるぞ!」
「これは、最近で一番の大勝負になりそうだぜ……!」
周りがざわめく中、レオとピグが睨み合う。
「いいか。僕が勝ったら、帽子は皆のものだからな」
「俺様が勝ったら帽子は全部俺様のものだ! ついでにお前の妹ともデートするぜ!」
「いいだろう」
「勝手に決めるな!」
頷いたレオの頭を叩いた。
「痛い!」
「ふざけ倒せ! くたばれ! 何がいかれてあんな豚兄弟とデートしなきゃいけないのよ!」
ピグとポークに指を差して怒鳴ると、レオが頭をさすりながら微笑んだ。
「大丈夫。ニコラのことは僕が何としてでも守るから」
「あたし帰る」
「大丈夫。絶対勝つ。勝負を見守っててよ。ニコラ」
レオが言った。
「君に見られていたら、負ける気がしない」
あたしは黙って、レオを睨んだ。レオは微笑む。
「大丈夫。勝つよ。見てて」
頭をぽんぽんと撫でられて、レオが先に店の中へ入っていく。その背中をじっと睨んでいると、傍でごほんと咳払いが聞こえた。
ちらっと見ると、ピグが、あたしを見つめていた。
「き、君、名前は?」
「……はあ」
あたし、低能とは口を利かないのよ。無視して店の中に入ると、後ろで、ピグとポークの声が聞こえた。
「い、いかす女だぜ……」
「兄ちゃん! こんなときめき、初めてだぜ…!」
二人の声は、気持ち悪いくらいうっとりしていた。
(*'ω'*)
ミックスマックス本店にて。
店員が『フィールド』と呼んだ場所には、ただの長方形のテーブルが置かれていた。二人が椅子に座り、自分達の鞄からカードを取り出す。
(……なんで持ち歩いてるのよ……)
店員がルール説明を行う。
「体力はお互い100から。制限時間は一人20分。過ぎたらその時点で負けです。準備はいいですか」
ピグがカードを構えた。
「俺に喧嘩を吹っ掛けたこと、後悔させてやるぜ!」
レオがカードを構えた。
「望むところだ。来い」
店員が手を構える。
「それでは…」
叫ぶ。
「バトル、開始!」
周りに緊張が走る。皆、黙り込む。
(何? 何が始まるの?)
あたしも黙ってレオの後ろに立って眺める。ピグとレオが手を差しだした。
「「最初はぐー!」」
じゃんけん、ぽん。
「先攻、ピグ選手!」
店員がピグを手で差す。あたしは眉間にしわを寄せる。
(選手って何……?)
「ふん! 俺からいくぜ!」
ピグがカードを出しては置いていく。
「カエル大王とガチョウ番の女将を召喚! 一枚カードを伏せて、ターンエンドだ!」
「なるほど」
レオが頷く。いや、全然分からない。
「僕のターンだ」
レオがカードを出しては置いていく。
「最初の手札だ。花咲き老人とここ掘れワンワンを並べて待機。僕も一枚置いて、ターンエンドだ」
「おいおい、ずいぶんと消極的だな。もっとがんがん行こうぜ」
「最初の手札から勝負は決まっている。さあ、君の番だ」
レオが微笑んでターンを譲る。ピグがまた手札を出す。
「俺のターン! 融合カード!」
「融合?」
呟くと、ポークがあたしの隣に来て説明しだす。
「融合カードは、カード同士を合体させるんだぜ!」
「……何それ。合体したらどうなるの?」
「最強のモンスターが現れるんだぜ!」
ピグの手元に、最強の動物の音楽隊が召喚された。
「攻撃!」
レオのカードが二枚とも無くなる。
「レオ選手、残り80ゲージ!」
店員が声を張り上げる。レオが微笑む。
「回復カード、竹の姫の囁き」
レオが伏せていたカードを表にめくった。周りがほう、と息を吐く。
「え、何それ? 強いの?」
「君の兄ちゃんが、全回復したんだぜ!」
「ああ、そう」
レオがカードを構えた。
「では、僕のターンだ」
カードを置く。
「子ぎつねからのプレゼント。カードを二枚いただく」
「ほう」
ピグが頷く。レオがカードを二枚引いた。
「二枚カードを伏せておく。さらに護衛、一寸の剣士を待機させ、ターンエンドだ」
「おいおい、守ってばかりなら、こっちから行くぜ!」
ピグがカードを出す。
「オオカミ男を置き、伏せていたカードをめくるぜ!」
ピグがカードをめくると、周りが声をあげた。ポークがでしゃばる。
「あれは、攻撃力が上がるレアカード! いばらの姫! さすが兄ちゃんだぜ!」
「攻撃力を上げた動物の音楽隊で攻撃! トランペットの音で朽ち果てるがいいぜ!」
「レオ選手、残り70ゲージ!」
店員が言った瞬間、
「トラップカード」
レオが伏せていた二枚のカードを表にめくった。
「魔法の鏡」
「何……!?」
「うおおおおお!」
ピグの顔色が変わり、周りがざわついた。あたしはきょとん。
「え? 何? すごいの?」
「君の兄ちゃんが、俺の兄ちゃんの攻撃を四倍で跳ね飛ばしたんだぜ!」
「ああ、そう」
ピグの手札がゼロになる。レオの手札もゼロになる。店員が興奮した目で叫ぶ。
「ピグ選手、残り40ゲージ!」
「逆転だ!」
「すげー戦いだぜ!」
周りの少年達も興奮し、拳を握る。
「さあ、僕のターンだ」
「ぐっ……!」
「大丈夫。そう簡単には終わらせない」
レオが微笑みながら、カードを出す。
「カードを三枚出して伏せておく。ターンエンドだ」
「何? それだけか?」
「ああ、それだけだ」
レオがにんまりと微笑む。
「さあ、君の番だ。ピグ」
「くっ……」
「どうした? さあ、出すんだ」
レオが涼しく微笑んでいる。あたしは顔をしかめた。
「男らしくないわね。カードくらいちゃちゃっと出せばいいじゃない」
「そういうわけにもいかないんだぜ……!」
ポークが苦々しく歯を食いしばる。
「あの三枚のどれかに、質の悪いトラップカードが仕掛けられてるかもしれない。これは心理作戦だぜ!」
「じゃあどうするの?」
「護衛を出しても伏せたカードにモンスターがいれば攻撃されるし、モンスターを出して攻撃しても跳ね飛ばされるかもしれない。これは兄ちゃんピンチだぜ!」
「ああ、そう」
また勝負を眺める。ピグの額から汗が出てきて、ゆっくりとカードを引く。
「俺のターン……」
ピグが微笑んだ。
「桃から生まれた少年の喜び! 三枚カードを引くぜ!」
「おお……!」
周りが唸る。ピグがカードを引く。
「まさかりを担ぐ少年とマリーおばさんを召喚させ、待機。ターンエンドだぜ!」
「なるほど」
レオが頷く。
「マリーおばさんって最強だよな」
「ああ。心強いぜ」
「僕も追い詰められたらマリーおばさんを出すんだよ」
「いいよな。マリーおばさん」
「デザインがいいよな」
「この絵の感じが何とも」
「分かる。すごく分かる」
「回復も守備もしてくれるしな」
「そうなんだよ。オールでいいんだよ」
「おい、早く出せよ」
「ああ、そうだった」
レオがカードを選ぶ。
「悩むな」
「この状況だもんな」
「僕このままだと勝つよ」
「ふん。バカ言ってんじゃねえよ。まだ勝負は分からねえ」
「いや、手札がそろった」
ちらっと、レオがピグを見る。
「いいかい? 僕が勝っても」
「はったりだな!」
ピグが笑う。
「そうやってカマをかけたって、俺様は動揺しないぜ!」
「約束を守ってくれるかい? 帽子は一人一点のみ。君も、僕も、周りの人達も」
「ああ、もしてめえが本当に勝つなら、俺様は約束を守るぜ! ……まあ」
ピグがにやりと笑う。
「勝てたらの、話だがな!!」
「二枚カードを出す」
レオが二枚カードを出した。
「置いていた手札を全てを公開」
表にめくると、皆が悲鳴をあげた。ピグの目が見開かれ、ポークが顔を青ざめた。
「五枚カードを融合、女神アメリアヌを召喚」
「うおおおおおおおおおお!」
周りが叫んだ。レオが手を振る。
「女神アメリアヌの最強攻撃」
「うおおおおおおおおおおお!」
ピグが悲鳴を上げる。
「こ、こんなはずじゃ……!」
「終わりだ。ピグ。安らかに眠るといい」
「ぐはっ!」
ピグが白目を剥いて、背中から地面に倒れた。
「勝者、レオ選手!」
店員が腕を上げた。ポークが顔を青ざめてピグに駆け寄る。
「兄ちゃん! しっかりするんだ! 兄ちゃん!」
「え、なんで倒れたの? 何がどうなったの?」
あたしが首を傾げると、レオがあたしに振り向き微笑んだ。
「ほらね。勝ったでしょ」
「え、あんた勝ったの?」
「勝ってるよ。ほら、女神アメリアヌを召喚したんだ」
「え、全然分かんない……」
「すげー!」
ポークが、周りの人達が、テーブルを見た。
「アメリアヌ初めて見たぜ!」
「すげー! すげー!」
「こんな大勝負、感動的だ!」
「はっはっはっはっはっ!」
レオが笑いながら立ち上がり、ピグに歩み寄る。ピグが弱々しく起き上がり、鼻で笑った。
「認めるぜ……。俺様の負けだ……。帽子は皆のものだぜ……」
「いい勝負だったよ」
レオが手を差しだす。
「またバトルしよう。ピグ」
「……しょうがねーな。お前となら、またやってもいいぜ。レオ」
ピグがレオの手を握り、立ち上がる。強く手を握り合い、周りから拍手が起きる。ポークもピグの傍で熱く拍手を送る。友情に感動して微笑み合う者達。肘で小突き合い涙ぐむ者達。肩を抱く者達。ひと時の騒動は友情と感動に包まれて、幕を閉じた。
――あたし一人だけ、固まったまま。
(……え、何これ……。本当に意味分かんない…。……あたし帰っていい…?)
「さあ、帽子の販売を開始します。皆さん、並んでください」
店員が言うと、店の中にぎゅうぎゅうだった人達が笑いながら外に出て、またさっきと同じ位置に戻った。レオに肩を叩かれる。
「僕らも行こうよ。ニコラ」
「ねえ、なんかいい感じに終わらせようとしてない?」
「いい感じに終わったんだから、いいじゃないか」
「終わったの……? これ……」
歩き出すと、
「ちょっと待ってくれ!」
ピグが声を張り上げる。レオとあたしが振り向くと、レオがあたしを見て、また顔を真っ赤にさせ、目をハートにさせた。
「き、君の名前、なんて言うんだ! 俺様に教えろ!」
「帰る」
「まあまあ、ニコラ」
レオになだめられるが、あたしはこの豚を視界にも入れたくないのだ。視線を逸らすと、ピグがはっと息を呑む。
「ニコラ! ニコラっていうのか! なんて良い名前なんだ!」
「レオ、帰るわ」
「まあまあ、ニコラ……」
「ニコラ、俺様とデートする権利を与えてやるぜ! 君だけの特権だぜ!」
「いらない」
「兄ちゃん! そいつはちょっと待ってくれ!」
ポークが声を張り上げた。
「ニコラとデートするのは俺の方なんだぜ! 兄ちゃんとレオが勝負している間、愛を誓い合ったんだぜ!」
「合ってない」
「まあまあ、ニコラ……」
「なんだ!? ポーク、やろうってのか!?」
「兄ちゃん! 男ってのは、譲れないものがあるんだぜ!」
兄弟がばちばち睨み合う。それを見た店員が止めに入りこんだ。
「ちょっと、お二人とも、もう勝負はおわ……」
「うるせえ!」
ピグが店員を殴った。
「ぬわーーーーーーん!」
「おっと」
店員が店の外に飛ばされた。レオがあたしの前に腕を出し、一歩引いた。
「どうやら、野蛮な兄弟喧嘩の勃発みたいだ」
レオが呟くと、兄弟同士が乱暴な声をあげた。
「ポーク! ニコラは俺様のものだぜ!」
「兄ちゃん! ニコラは俺のものだぜ!」
(あああああ……)
ぞぞぞぞぞぞぞぞぞ。
(寒気しかしない……)
「ポーク!」
「兄ちゃん!」
二人が店内で叫ぶと、
「兄さん達!!」
突然、店に小柄なイケメンが入ってきた。
「ん?」
「え!?」
レオとあたしが振り向く。皆が振り向く。そのイケメンの眩しさに皆が目を細める。あたしの目がハートに変わる。イケメンが焦ったように兄弟達に近づいた。
「またこんな所で大暴れして! 噂を聞きつけてやってくれば、何の騒ぎだよ!」
「げっ! ピグレット!」
「兄ちゃん、小うるさい三男のピグレットだぜ!」
「ポーク、今日もあいつ、ぶひぶひうるさいぜ!」
「そうだね! 兄ちゃん!」
「てめえら……」
ピグレットと呼ばれた少年の目がカッと見開かれ、二人に鉄拳を食らわせる。
「うらあ!」
「ぐはっ!」
「いたっ!」
急所に当たったようだ。白目を剥いた二人が気絶する。それを小柄な肩で抱えた。
「よいしょ」
ピグレットが周りに振り向き、頭を下げた。
「兄達がご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。心からお詫び申し上げます」
眉を下げて申し訳なさそうにするピグレットに、あたしの胸に矢が撃たれる。
「それでは」
ピグレットが二人の豚を抱えて去っていく。爽やかな背中に、くらりと目眩。
「ああ!」
「ニコラ!」
レオに支えられる。
「どうした! 大丈夫か!?」
「なんていい男なの!」
「え」
レオが顔をしかめた。あたしは目をキラキラ輝かせる。
「きっと運命だわ! 運命を感じたの! あたしの小指がびんびん反応してるの! あたし、行ってくる!」
走り出そうとすると、レオに肩を掴まれて止められる。
「ちょっと待った!」
「何よ! 邪魔しないで!」
「ニコラ、今のがいいのか!?」
「めちゃくちゃいい男だったわよ!」
両手を握り締める。
「ああ、こんな所で運命の人に巡り合えるなんて。きっとまた会えるわ。あたし、そんな気がするの」
「ニコラ、一つ言っておこう」
肩を叩かれる。
「お兄ちゃんよりいけてない男とは付き合うな」
レオをぎろりと睨む。
「だったら条件は合ってるわ。あんたなんかよりも数十倍いけてた」
「あいつ、背が小さかった。僕よりも全然小柄だった。そんな男に君を任せられない」
「身長くらい何よ。小さくたっていいのよ。イケメンなら何だっていいのよ」
「君は顔しか見てないのか!」
「顔しか見てないのは男の方でしょ!」
「そんなことないよ!」
「嘘つき! どうせ美人が目の前を通ったら見るくせに! いやらしい!」
「僕はそんなことしない!」
「するくせに!」
「しないよ!」
「嘘つき!」
「嘘じゃないよ!」
「肌色に反応するのが男でしょ!」
「それはレディもだろ!」
「ふう」
外に飛ばされた店員が店の中に戻ってきた。
「とんだ酷い目に遭った。ああ、販売が遅れてしまった。さあ、喧嘩は後だ。お願いだよ。仕事をさせてくれよ」
店員がレオとあたしの肩を掴んだ。
「さあ、並んでくれ」
「ああ、どうもすみません……」
レオがあたしを見た。
「ほら、行こう。お揃いの帽子を買うんだ」
「いらない」
「大丈夫。女の子用も売ってる。僕が買ってあげるから」
「いらない」
「帽子を買って仲直りだ。兄妹って喧嘩したら仲直りするものだ。……くくっ」
レオが笑った。
「僕達、本当の兄妹みたいだな。ニコラ」
「……はあ」
あたしはため息をついて、レオと一緒に外に出た。
(*'ω'*)
18時50分。
キッチンを覗くと、じいじが夕飯の支度をしていた。あたしの気配に気づき、振り向いて微笑む。
「お帰り。ニコラや」
そして、きょとんとする。
「おや、その帽子は?」
「……知り合いに買ってもらった」
「そうかい」
じいじがじっと見て、
「今はそういうものが、若いのに人気なのかい?」
「じいじ、言い訳をさせて。何もあたしが望んでこれを買ったわけじゃないわ。知り合いがどうして買いたいからって言われて仕方なく買ってもらっただけよ。被れば愛着が湧いてくるからと言われて被って帰ってきたけど、愛着どころか憎しみしか沸かない。二度と被らないわ。こんなくそダサい帽子」
「まあまあ、そう言わず」
「リュックに飾ればお洒落に見られるかも。……ああ、無理。ダサい。何度見てもこの派手なデザインがセンスないのよ……。あたしの美しいリュックが、あいつのせいで、どんどんダサいリュックに変貌していくわ……」
帽子をぎりぎりと睨んでいると、じいじが微笑み、まな板に顔を向けた。
「そろそろ出来上がる。ニコラ、先にお風呂に入っておいで」
「……ニコラ呼びってことは、キッドはいないのね」
「ああ」
「良いことだわ。お風呂入ってくる」
一歩踏み込んで、
「あ」
思い出す。
(……アリーチェ)
レオに言うの、また忘れてた。
(あ)
そうだ。あたし生理で下着が汚れてたんだった。アリスから教えてもらった洗剤を買おうと思ってたのに、色々あって忘れてた。
「ああ……」
色んなことを一斉に思い出して、うなだれ、じいじに振り向く。
「ねえ、じいじ」
「ん?」
「すごく言いづらいんだけど」
「なんだ? どこで悪さをしてきた?」
「してないわよ」
むっと頬を膨らませてから、また表情を戻す。
「……生理になったの。下着、少し汚れちゃって」
「ああ。そうかい」
「捨てた方がいいわよね」
「もったいないことをするな。洗面所にバケツがある。あれに緑の容器の洗剤をつけて洗えば落ちるだろう」
「緑の容器?」
「ああ、専用のものじゃ。王妃も時々やっているぞ」
「へえ……」
買わなくても、ここにあったのね。
「使っていいの?」
「手洗いだがいいか?」
「やってみる」
「良い機会だ。勉強になるぞ。分からなかったらすぐに訊きなさい」
「分かった」
あたしは着替えを取りに行くために、二階の階段を上り始めた。




