第13話 10月8日(5)
13時30分。三月の兎喫茶。
豪雨の中、店へと戻ってくる。アリスが傘を差しながら前に伸びをした。
「あーー! やっと戻れたー! 疲れたわね! ニコラ!」
(……疲れた……)
ソフィアが離してくれなかったのだ。何度も言ったのににこにこして駄目だと言って。見上げれば微笑んで、目を逸らしたら顔を覗かれて、頬を叩いたらまた笑って、時間が13時になった途端に呆気ないほど簡単にソフィアがあたしから離れ、お肌がつやつやになったソフィアが爽快な笑顔であたしをアリスの元へ返して、手を振ってあたし達を見送った。
(……なんか、すごく疲れた…。アリスより働いてないはずなのに……)
三月の兎喫茶の扉を開ければ、メニーとリトルルビィが向かい合って、楽しそうにハロウィン祭の装飾を作っていた。
「あ」
メニーと目が合う。
「お姉ちゃん」
メニーが微笑んだ。リトルルビィもあたしに振り向いて笑顔になった。
「あ、二人ともやっと戻ってきた! お帰りなさい!」
「どう? リトルルビィ。私達がいない間に作業は進んだ?」
アリスがリトルルビィとメニーの席に近づいた。あたしは店の扉を閉めてから中に入る。アリスがメニーを見下ろして、きょとんと瞬きをする。
「ん。どなた? リトルルビィのお友達?」
「うん!」
リトルルビィが微笑んで頷き、あたしが後ろからぼそっと呟く。
「……あたしの妹」
「え?」
アリスがあたしに振り向く。あたしはため息交じりに紹介する。
「あたしの妹のメニー」
「妹? ニコラの?」
アリスがぱっと笑顔になってしゃがみ、メニーを見上げた。
「まあ! なんて可愛いの! 初めまして! 私、アリスよ! ニコラの先輩で、ニコラの友達なの! よろしくね!」
「……あ……、あの、……初めまして……」
人見知りのメニーが少しだけ静かになり、頭を下げる。アリスが微笑み、立ち上がってあたしを見た。
「ニコラって妹もいたのね!」
「ええ。まあ……」
どうやら、商店街で騒ぎになったメニーのことは覚えていないようだ。
(これ以上姉妹の話題について触れたら、昨日のレオのことまで言い出しかねない)
「お昼ご飯、持ってきてくれたみたいなのよ」
にこりと微笑んで話題を逸らすと、アリスが目を丸くした。
「え? 何々? ニコラってば、お家にお弁当忘れてきたの? ぷっ! ドジね!」
「違う。メニーが作ってきたの」
「えー!? そうなのー!? すごーい!!」
アリスが絶賛の拍手。
「お姉ちゃん思いの良い妹を持てて羨ましいわ! いいなあ! 私もこんな妹、欲しかったなあ!」
アリスが両手を合わせると、メニーが照れたように頬を赤く染めて俯く。その姿も可憐な花のようで、思わず舌打ちしてしまいそうになる。
「アリス、今日はどこで食べる?」
「ここでお昼食べようよ。雨も止まないし」
「お弁当は流石に駄目じゃない?」
「私がサガンさんのサンドウィッチをお願いするから、一人や二人お弁当でも構いやしないわよ」
アリスが言うと、サガンが呆れたようにカウンターの裏から出てきた。
「おい、ここは溜まり場じゃねえぞ」
「お客がいないよりいいじゃない!」
笑ったアリスがメニーの隣に座る。あたしもリトルルビィの隣に座る。わくわくした目をさせて、アリスがメニーに顔を向けた。
「メニー、お弁当何作ってきたの? 私にも見せて?」
「あ……、……はい」
メニーが頷き、バスケットをあたしに差し出した。
「今日は美味しいと思うの」
「期待してないから大丈夫」
あたしが言うと、メニーがむっとした。
「今日はサリアと作ったから、絶対美味しいと思う」
「サリアと作ったの?」
聞いた瞬間、ぴたっと固まる。
「あんた、砂糖と塩確認した? サリアに騙されて塩なんか使ってないでしょうね」
「確認したってば!」
「サリアって誰?」
アリスが瞬きしてメニーに訊くと、メニーの口が開いた。
「えっと、使用人の……」
「え?」
アリスがきょとんとする。あたしは光の速さでテーブルから身を乗り出し、メニーの口を塞ぎ、アリスに満面の笑みを浮かべた。
「使用人の仕事してる、隣の家のお姉さん!」
「ああー!」
アリスが納得して頷いた。
「ニコラの家、ご近所付き合いが良いのね! そういうの素敵だわ!」
「ええ! でも、人をからかうのが好きなお姉さんだから! ね!?」
メニーに訊くと、メニーがぱちぱちと瞬きする。
(てめえ、あたしが貴族を名乗っちゃいけないこと、忘れてるんじゃねえぞ!)
ぎりっと睨めば、メニーがはっとして、アリスを横目で見て頷く。それを見て、ようやくメニーの口から手を離して、あたしはアリスに微笑んだ。
「悪戯が大好きなお姉さんなのよ! 変なもの入れてないかなって思っちゃって! おほほほほほ!」
「いるわよねえ。人をからかって遊んでくる人って。家の常連さんでもいるのよ。しましまのスーツ着て、にやにやしながら私を見てくるお兄さん。帽子を選んでって言われて、どの帽子がいいですか? って訊いたら」
それは、アリスが、どの帽子がいいと思うかだな。
「だからこれはどうですかって選ぶでしょ? そしたら」
あんたは頭で立てるかい?
「何の話ですか? って訊いたら」
何の、話?
「訊き返されるから、えっ、て言ったら」
とにかく、私が選ぶならこれかな。
「結局自分で選ぶのよ」
ただ単に、私をからかいたいだけ。
「話が逸れたわね」
アリスが微笑んで、メニーのお弁当を覗く。
「メニー、お弁当見せてくれる?」
「えっと……」
メニーが微笑んでバスケットの蓋を開けてみせる。サンドウィッチ。
「あら、サンドウィッチ!」
アリスが声をあげ、ちらっとサガンを見る。
「サガンさんのとどっちが美味しいかしら?」
「作らねえぞ」
「酷い! 作ってよ!」
「サガンさん、私にもお願いします!」
リトルルビィが手を上げて言うと、サガンが頷き、カウンターで調理を始める。
あたしはメニーのサンドウィッチをじっと見下ろし、じっとメニーを見た。
「食べれるの?」
「味見はした」
「結構」
あたしの手がサンドウィッチに伸びる。両手で掴んで、じっと見る。
(……サリア、サンドウィッチ作れるのね)
はむ、と咥える。もぐもぐと食べて、飲み込む。
「……どう?」
メニーの質問に答える。
「普通」
美味しくもなく、不味くもない。
「普通のサンドウィッチ」
「……」
「サガンさん、珈琲とオレンジジュース下さい」
「……おう」
メニーがぷうっとむくれた。
「……いいもん。また作るから」
「明日もサンドウィッチ?」
「違うもの作ってくるもん」
「本気で毎日来る気?」
「もちろん」
(頑固な奴め。誰に似たんだか)
「いいじゃない。愛されてる証拠よ」
アリスがにこにこしながら言って、またメニーに振り向く。
「メニーはいくつなの?」
「二月で12歳になります」
「私と同い年なの」
リトルルビィがメニーと微笑み合うのを見て、アリスが頷く。
「リトルルビィとニコラの妹が仲良しなのね。知り合ったのもその関係?」
「そんなところ」
サンドウィッチを食べながら頷くと、リトルルビィが首を振った。
「ううん。最初に会ったのはニコラよ。紹介所で会ったの」
「……そうだっけ?」
訊くと、リトルルビィがはっと口を開けて、あたしに顔を向け、顔を青ざめる。
「そうよ!? ニコラ覚えてないの!?」
「……」
「私が紹介所でお仕事の案内受けた帰りに、酷いクレーマーの男の人が乗り込んできたの。二人で見たじゃない!」
「……」
「その後、私にトマトジュースを買ってくれたじゃない!」
「……」
(……そうだっけ?)
あたしが黙って眉をひそめると、リトルルビィが両頬を押さえた。
「私との初めての出会いを忘れちゃったの!? はっ! そっか! ニコラ、ジャックに会ったのね! 記憶を消されちゃったんでしょ! そうなんでしょう!?」
「そうじゃないし、会ってない」
「切り裂きジャック?」
アリスが訊いて、リトルルビィが頷く。
「アリスも気をつけて! お菓子渡さないと、記憶を消されちゃうのよ!」
「大丈夫よ。リトルルビィ。そんなの都市伝説なんだから」
アリスがくすくすと笑う。
「私がジャックに会ったら、お菓子じゃなくて帽子をプレゼントするわ。あ、メニー、私、帽子屋の娘なのよ」
「帽子屋ですか?」
「そうよ。西区域にあるの。ニコラと遊びに来るといいわ。オーダーメイドで可愛いの作ってあげる!」
「わあ、すごい」
メニーが小さく拍手した。
「お姉ちゃん、今度行こう?」
「そうね。忙しいから時間のある時にでも」
「いつ暇?」
「分からない」
「土日は?」
「忙しい」
「忙しいの?」
「忙しいの」
(どっかの誰かさんがあたしを屋敷から追い出したせいで、惨劇回避のためにとっても忙しいのよ!!)
「忙しい時こそ、心に余裕をもって優雅に過ごすべきだわ。ニコラ」
アリスが立ち上がった。
「私がこの空気を優雅にしてあげる!」
アリスが店の壁にかけられた手作りヴァイオリンの元へ歩く。あたしとリトルルビィが耳を塞いだ。メニーがきょとんとした。
「メニーを歓迎して!」
アリスが弾いた。
ぎーーーーこーーーーー。
「ひっ」
メニーがびくっと肩を揺らした。
「素晴らしいわ。私の音色」
アリスがヴァイオリンを構えたまま髪をなびかせた。
「私はきっと将来、天才ヴァイオリニストの帽子屋として、城下町に存在をとどろかせるに違いないわ!」
「うるせえぞ。アリス。お前がそのヴァイオリンを弾くんじゃねえ。耳障りでしかない」
「何よ! サガンさん! 私のヴァイオリンの音色に聴き惚れてしまったからって、つんつんしても駄目なんだからね! 分かってるんだから!」
「分かってねえだろ。今日もお前のせいでこの店は赤字だ」
「まーーー! 悪いことは全部人のせいにする! 良くないことだって、姉さんが言ってたわよ!」
「うるせえ」
メニーの頭にひよこがぴよぴよ回っている。リトルルビィがメニーのひよこを一匹取った。
「……聞いたことのない音が聞こえた……」
「メニー。お耳大丈夫?」
ぴよぴよ。
「……大丈夫じゃない……」
メニーがそっと耳を押さえた。
(*'ω'*)
16時。
午後も喫茶店で作業を続け、時間が来て終了。
ドリーム・キャンディに戻り、レジ番をする奥さんに報告をして解散となる。アリスとリトルルビィと三人で店の前に出れば、思い出した。
「あ、傘」
見上げると、雨はまだ大量に降っている。
「ニコラ、持っていきな」
奥さんがあたしに店の傘を差し出した。
「いいんですか?」
「お客さんが忘れていったやつなんだよ。いっぱいあるから持っていっていいよ」
「……すみません。お言葉に甘えます。ありがとうございます」
「ん! 風邪ひかないようにね!」
微笑む奥さんから傘を受け取って、傘を差す。アリスとリトルルビィも傘を差して外に出た。
「じゃあ、私、学校行ってくる!」
アリスが微笑んで、あたし達に手を振る。
「じゃあね。ニコラ、リトルルビィ」
「明日ね」
「ばいばーい」
あたしとリトルルビィも手を振り、アリスが駆けていく。その背中を見送り、あたし達も歩き出す。
「今日は作業日だったね」
「時間がいつもより早く感じたわ」
行ったり来たりで疲れた。
「図書館どうだった?」
「いつも通りよ」
「ソフィアいた?」
「いた」
「……いつでもいるのね」
むうううっとむくれだす。
「ちょっと、なんであんたがむくれてるのよ」
「ニコラ、なんで図書館行くって言ったの? 私と作業したくなかったの?」
「何言ってるのよ。どちらにしろ二人は行かなきゃいけなかったのよ? アリスにだけ行かせるわけにはいかないでしょう?」
「むううう!!」
「何をそんなにむくれてるのよ」
(あんたが行きたくないって顔してたんじゃない)
リトルルビィがちらっと、あたしを見上げる。
「あのね、ニコラ」
「ん?」
「私、吸血鬼だから、人より少しだけ鼻がいいの」
「ああ、らしいわね」
「ニコラ」
リトルルビィが訊いた。
「ソフィアと何かあった?」
「ん? 別に?」
「そうなんだ。じゃあ、テリー」
リトルルビィが水溜まりを踏んだ。
「どうしてテリーから、ソフィアの匂いがするの?」
――足が止まった。ちらっとリトルルビィを見る。リトルルビィがメラメラと嫉妬の炎をたぎらせて、あたしを睨んでいた。
「テリー、嘘ついてるでしょ」
「……別に」
「なんで隠すの?」
「……あの」
「なんで嘘ついたの?」
「……ルビィ」
「私、分かるのよ」
「……あのね」
「ソフィアが好きなの?」
「ルビィ」
「ソフィアのことが好きなの?」
「なんでそうなるの?」
「だから隠すの……?」
赤い瞳がうるりと光った。
(うっ!)
「ソフィアが好きだから……私は関係無いの……?」
リトルルビィが鼻をすすった。
「どうしてソフィアの匂いがするの……?」
「リトルルビィ、落ち着いて人の話を……」
「だって、テリーの体からソフィアの匂いがするんだもん……!」
震える声を出し、ほろりと、大粒の涙が溢れ出す。
「んん……!」
(あ、まずいやつだわ)
カウントダウン。さん、に、いち。
「いやああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
リトルルビィが大声で泣き叫んだ。人の目がこっちに向けられる。
「びえええええええええええええん!!」
まるであたしが泣かせてしまったような構図。
「びゃああああああああああああああ!!」
「リトルルビィ」
「ぴゃああああああああああああああ!!」
「ルビィ」
「ぷぎゃあああああああああああああ!!」
「……来なさい」
手を握ると、リトルルビィがぎゅっ! と握り返した。
「ひいいいいいいいいいいいいいいん!!」
「はいはい」
建物の裏に移動し、路地裏に入る。
「びえええええええええええええええ!!」
「はいはい」
一緒に歩く。
「むぎゃあああああああああああああ!!」
「うるさい」
「っ」
リトルルビィがもっと泣き出す。
「びゃああああああああああああ!!!!」
泣きわめくリトルルビィの顎を掴んで無理矢理上げる。
「びゃっ」
額にキスをする。
「ふぁっ」
リトルルビィがぴたりと止まった。
「ん」
もう一度額にキスをした。リトルルビィが鼻をすすった。
「ん」
もう一度額にキスをした。リトルルビィが大人しくなった。
「ん」
もう一度額にキスをした。リトルルビィの涙が止まった。
「……」
見下ろすと、リトルルビィが顔を赤らめて、目をきらきらさせてあたしを見つめていた。
「……話、聞いてくれる?」
「はいっ」
リトルルビィが良い返事をした。
「ソフィアってスキンシップが激しいところがあるでしょう?」
「ん」
「それで匂いがついたのよ。多分」
それを言うなら、ソフィアだけじゃない。
「アリスの匂いはしないの?」
「……する」
「昼間のメニーは?」
「……だいぶ薄くなってる」
「なら、ソフィアの匂いだって、薄いでしょう?」
「でも、ソフィアの匂いがする」
「あのね、関わったら匂いくらいつくわよ」
リトルルビィの頭を撫でる。
「もういい? 落ち着いた?」
「テリー」
リトルルビィがあたしのジャケットをつまんだ。
「私とソフィア、どっちが好き?」
「リトルルビィ」
「っ」
即答すると、リトルルビィが目をきらっきらと輝かせた。
「本当?」
「前から言ってるでしょ。あんたはあたしのお気に入りなのよ」
「私とキッド、どっちが好き?」
「リトルルビィ」
「っっ!」
即答すると、リトルルビィが口を押さえて、二つの髪の毛がふわふわ浮かび始めた。
「私とアリス、どっちが好き!?」
「……」
黙ると、リトルルビィが鼻をひくひくさせて、涙を飛ばした。
「びゃああああああああああああああ!!」
「好きで争わないの」
「いやああああああああああああああ!!」
「どっちも好き」
「私がいいのおおおおおおおおおおお!!」
「はいはい」
リトルルビィの頭を撫でる。
「ぴゃああああああああああああああ!!」
「はいはい。好き好き。リトルルビィが好きよ」
「ぐすん! ぐすん! ……だっこして……。ぐすん!!」
「はいはい」
傘を一度地面に置いてから、リトルルビィの傘に入り、抱っこする。
「よいしょ」
「ぐすん!」
あたしの胸に顔を埋める。
「ぐすん! ぐすん!」
あたしの胸に鼻水と涙を押し付けてくる。
「んんんんんんんんん!!」
「……はあ」
背中をとんとんしてあやす。
「赤ちゃんって呼ぶわよ。リトルベイビー」
「……ベイビーじゃないもん……」
リトルルビィがあたしの胸に顔を押し付けた。
「ルビィだもん……!」
「はいはい」
「ぐすん! ぐすん!」
「はいはい」
ぽんぽん。
「大好き大好き。リトルルビィ大好きよ」
「心がこもってない……! ぐすん! もう一回!」
「好き好き。大好きー。好きよー。ルビィー」
「……」
リトルルビィがちらっとあたしを見た。
「……キスして?」
「ん」
頬にキスをする。
「もっとして?」
「ん」
頬にキスする。
「うふふ」
リトルルビィがでれんとした。
「私もテリー、大好き」
「リトルルビィ、噴水前まで抱っこしてあげるから、傘を持ってくれない?」
「うん! 持つ!」
あたしは置いた傘を畳み、リトルルビィに渡した。
「よいしょ」
抱え直す。
(アリスはルビィを大人びてるって言ってたけど……)
抱えた体を揺らす。
(まだまだ子供よ)
「人間だったら重くて抱っこ出来なかったわね」
「人間に戻ったら、私がテリーを抱っこするんだもん!」
「ああ、そう」
ご機嫌になったリトルルビィを抱えて、裏路地の道を歩き始めた。




