第11話 10月6日(3)
――図書館から出て、あたしはうなだれる。
(思った以上に疲れた……)
ソフィアと喋ったら疲れるのよ。からかいを避けて、口説きを避けて、避けて避けて、避けられたと思ったら強引に迫ってくる。
(病んでる)
げっそりする。
(あいつ、男に捨てられたから、なんか違うスイッチが入ってしまっているんだわ。自暴自棄状態なんだわ。そうに違いない)
本日何度目かのため息。
「ジャックのせいよ……。全部ジャックのせいだわ……。切り裂きジャックが悪い空気を流して、悪夢を見せて、あたし達に悪戯してるんだわ……。ああ、きっとママが不機嫌だったのも、メニーが不機嫌だったのも、ジャックのせいだわ。ジャックめ……許さない……」
「君ね、嫌なことをおばけのせいにするんじゃないよ」
「いっ!?」
突然の声に驚いて体を硬直させると、くすくすと笑い声。
「ここだよ」
肩を叩かれて、ぎょっと肩が上がる。
「ひゃっ!」
「あはは! そんなに僕に会いたかったのかい? テリー」
にゅっと後ろから現れ、くるりんと体を回して、あたしに向き直るその姿。
「やあ! 一週間ぶりだね!」
「ドロシー!」
「いかにも! 僕は立派な緑の魔法使い。ドロシーちゃんだい!」
ドロシーが胸を張って、帽子のつばをつまんで、くいと上げた。
「あんた、こんな所で何やってるのよ」
「君と話をしにきたのさ」
「広場の中心で?」
「大丈夫だよ。君にしか僕の姿は見えてないから」
確かに、目の前でにやける魔法使いは、誰の目にも入っていない。あたしはむすっとして歩き出す。
「だったら返事はしないわよ。一人で喋ってる変な女と思われたら嫌だもの」
ドロシーがあたしの後ろをついてくる。
「よし、じゃあこうしよう。周りに人がいなくなるまで、返事は頷くか首を振る。『はい』は頷く。『いいえ』は首を振る。分かった? テリー」
あたしは頷いた。
「おっけー。つまりさ、僕が今こうやって君に会いに来たのは、一週間が過ぎようとしてるけど、何か惨劇の手掛かりは見つかったか訊きたかったんだ。一度情報を共有した方がいいと思ってね。情報のまとめにもなる。というわけで、どうだい? 何か変化はあった?」
(……変化ね)
それらしい変化はない。あたしは首を振った。
「ふむふむ。ま、一週間だしね。何か違和感を感じたら教えてね。やれるだけのフォローはしてあげるから」
あたしは頷いた。
「屋敷では少し変化があった。君が出て行ってからのことだ。アメリアヌが歌を習い始めて、メニーがピアノを始めた。ねえ、メニーって一度目の世界でもピアノを習ってたっけ?」
あたしは首を振った。
「うん。そうだよね。だと思った。王妃になってからピアノを触ったメニーが言ってたんだ。ずっと弾いてみたかったって。ということはやはり、これは初めて起きたことなんだね」
あたしは頷いた。
「そうか。……で? 君はヴァイオリンやるの?」
あたしは顔をしかめて、首を振る。
「夫人がやらせたがってたよ。アメリアヌは歌。メニーがピアノ。あ、あの子にはヴァイオリンだわって目を光らせてた。ふふっ。帰ってからまた大乱闘になりそうだね。こりゃ」
あたしはむすっとして黙った。
「一週間の変化と言えば、これくらいかな」
(……あ)
思い出したあたしは周りをちらっと見る。だんだん人がいなくなってきた。隙を見て、ぼそりと、ドロシーに囁く。
「キッドが帰ってきたわ」
「ん?」
ドロシーが目をぱちぱちと瞬きさせて、微笑んで、頷いた。
「ああ。そういえば、メニーと一緒にラジオで聴いたよ。無事に帰ってきたみたいだね」
あたしは頷いた。
「会った?」
あたしは首を振った。
「会ってないの?」
あたしはドロシーを睨んだ。
「睨まないでよ……」
あたしは鼻を鳴らした。
「事件が起きる前に帰ってきてくれて良かったよ。何かあったらキッドに頼るといい」
(……頼りたくない)
あの胡散臭い王子様にだけは、二度と頼りたくない……。
「こら、そんな顔しないの」
しかめっ面のあたしにドロシーが呆れた声を出す。
「キッドの家にいるんだろ? なのに会ってないってどういうこと?」
あたしは周りを見た。人の多い広場から出たようだ。前から来る人がいない。辺りを見ながら、口を開く。
「あいつ、今、城で仕事のまとめ作業してるんだって。だから、こっちに帰ってきてないのよ」
「へえ。でもいずれは帰ってくるんでしょ?」
「色々仕掛けて帰ってこないようにしてる」
「うん?」
ドロシーは目をぱちぱちさせる。
「仕掛け?」
「付き人のビリーには、あたしの存在は黙っててもらってる」
「それだけ?」
「リトルルビィに伝言をお願いしたわ」
「伝言?」
「仕事をゆっくり慎重にやりなさい。11月になったらゆっくり遊べるんだから。間違いのないように10月は城にいてゆっくりしろって。リトルルビィの言葉でそう言えって促した」
「君、そこまでして会いたくないの?」
「嫌に決まってるでしょ! あんな奴!」
「好きだったくせに」
「一瞬の気の迷いよ!」
「僕は思うんだよ。君は誰かに恋をした方がいい。その方が人を愛する大切さを身につけられると思うんだ。この際だ。誰か見つけてみたら?」
「恋はしばらく結構! あたしは仕事で忙しいの!」
「そうそう。仕事はどう?」
「……」
眉をひそめて、頷く。
「まあまあやれてると思う。まだ一週間だから、分からないけど」
「なじめそう?」
「何とかね」
「なら良かったじゃないか」
「何も良くないわよ。重いもの持ってお掃除して運が悪ければ客に怒られるし」
「お金を貰うんだ。それ相当の苦労があるんだよ」
「何よ。涼しい顔しちゃって」
じろっと、ドロシーを睨む。
「メニーのこと何とかしてよ。心休まる休憩時間にあいつの顔なんか見たくない」
「あははは! この間メニーが言ってたよ。仲直りしたんだって?」
「何が仲直りよ。見てた?」
「その時、僕は心休まる休憩時間でお昼寝をしていたのさ。だから見逃した」
「この役立たず」
「いいじゃないか。メニー、料理頑張ってるよ」
「あんた、メニーが怒ってた理由知ってたでしょ」
「だから言ったじゃないか。メニーが怒ったのは君が部屋に入ったことがきっかけだって」
「料理の教科書なんざ知るか!!」
石を蹴ればアリ達が逃げた。再びあたしは歩き出す。
「なんであたしがあいつの実験台にならないといけないのよ。ビリーの弁当の方が何倍も美味しいわ」
ビリーの弁当。美味しそうなパン。ぶつかって、転がったパン。顔を上げた先には――。
「……嫌なこと思い出した」
「君はいつも嫌なことを思い出すね」
「リオンに会ったわ」
……。
ドロシーがきょとんとした。
「……リオンに会ったの?」
「ええ」
「どこで?」
「噴水前」
「……なんで」
「今、城下の学校に通ってるんだって」
「彼が?」
「ええ」
「リオンが?」
「ええ」
「……そんなこと、……一度目の世界であったっけ?」
あたしは眉をひそめて、首を振る。
「分からない」
そんなことは初めて聞いた。
「あたし、彼に会ったのは舞踏会が初めてよ」
城下町で会ったことなんてなかった。
「ま、もう二度と会わないだろうけど」
「偶然会ったの?」
「ええ。偶然よ」
偶然なら、きっと、もう会わないでしょう?
「これからメニーと結ばれる王子様を、温かい目で見守るわ。はあ。うんざりする」
「これが初めての出来事なら、パストリルの時と同様、歴史の変化だろうね」
「リオンが城下町でふらふらしてるだけでしょ? 何の影響もないわよ」
「いつから学校なんか通ってるの?」
「知らない」
「城下町の学校に通ってる。それもこの時期に」
秋風が吹いた。あたしとドロシーの髪が揺れる。
「惨劇にリオンが巻き込まれたら、それこそ歴史が変わってしまう。そこで彼が死んだらどうする? 惨劇があった街を回復させたのは彼なんだろう?」
「……」
「まずいな」
ドロシーはあたしを横目で見る。
「非常にまずい」
あたしはドロシーを横目で見る。
「何? まさか、このあたしに、リオンのことまで見張れって言うんじゃないでしょうね?」
「広場にいる今の君なら出来るだろ?」
「あのね」
あたしはドロシーを睨んだ。
「たったの一回よ。会ったのはたったの一回。どこにいて、何をやってるかまでは分からない。もう一度会える可能性だってないわ」
「じゃあ」
ドロシーが提案する。
「会えた場合のことを考えよう。テリー、リオンに近づく方法を考えるんだ」
「あたしが近づくの?」
「ああ」
「冗談じゃないわよ! あんな奴!」
大股で足が先に出る。
「あたしを死刑にした男よ? 仲良しこよしな顔をして近寄れって言うの? ドロシー、あんたまで頭がいかれた?」
「少しでも歴史の変化を食い止めるためだ。君、もしもリオンに何かがあって、そのせいでまた死刑になるようなことがあればどうするの?」
「それは無いわよ」
むしろ、
「死ねばいい」
言い放つ。
「あいつが死ねば、メニーは王妃にならない。これも死刑絶対回避の手段よ」
「テリー、本気で言ってる?」
ドロシーの鋭い目に、顔をしかめて、ため息をつく。
「……本気で言えたら決行してる」
「ああ、だろうね。でも今の言葉はどうかと思うよ」
「ドロシー、あたしはね、メニーと同じくらいリオンだって憎いわ」
あたしを死刑にしたのよ?
「それだけじゃない。あいつはあたしへの拷問の提案を何度もしてた。メニーを苦しめた罰だって言って。そんな奴の傍にいろって言うの?」
「会えたらの話だよ」
「……ああ、そうだった」
会えたら、の話ね。
「じゃあ安心だわ」
絶対会わないもの。
「あたし、彼とは縁が無いのよ」
縁が無かったから、見ることしか出来なかったのよ。
「はあ。安心安泰。変化と言えばこれくらいかしら」
「了解。引き続き、アルバイトと街の見張りをしっかりね」
「分かってる」
「何かあったら僕の名前を呼んで。魔法使いの集会がなければ駆けつけてあげるよ」
あ。
「でも、明日は勘弁してくれるかな」
「明日? なんで?」
「ふふっ! 実はね、明日は魔法使い同士でお菓子パーティーをするんだ。お菓子をかき集めてパクパク食べながら世界の不満を愚痴りあうのさ」
ドロシーがあたしを笑い飛ばした。
「ふふーん! いいだろぉー! 君とは違って僕は友達が多いから、仲間も多いから、そういうことが出来るのさ! 友達の少ない君とは違ってね!!」
「うるさい! あたしにだって友達くらいいるわよ!」
「はっはぁーん? どうだーい? 羨ましいだろー! どうだぁー? 羨ましいだろー!」
「くそ! 消えろ! 今すぐ消えてしまえ!」
「いやあー! 友達が多いと! こういう付き合いにも参加しないといけないから本当に忙しいねえ! ああ、忙しいなあ! 大変だー! こんな所で一人で歩いてる時間なんてないよー!」
「ドロシー!!」
ドロシーがべっと舌を出して、あたしに笑った。
「じゃあね。一週間後、また来るよ」
そう言ってあたしの肩を掴み、くるんと後ろに回る。手が離れて、あたしが振り向くと誰もいない。
「……あいつ……」
あたしは唸る。
何が友達が多いよ。何が仲間が多いよ。
「あたしだって、友達くらいいるわよ」
向日葵のような笑顔を浮かべるアリスがいるもの。
「友達だもんね!」
ふん!!
「何よ! お菓子食べながら愚痴くらい言ってやる!」
アリスに愚痴ってやる! 緑の猫がうざいって愚痴ってやる!
「畜生! 畜生畜生!」
「何がお菓子パーティーよ! あたしだってリトルルビィと優雅なティータイムを過ごしたわ!」
「ばーか! ドロシーのばーか!! ばーか! ばーか!!」
「役立たずの魔法使いめ!」
言葉を吐き捨て、あたしは再び帰り道を歩く。




