表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)
148/590

第11話 10月6日(1)


 土曜日の朝。


「ニコラや」


 とんとん、と扉を叩く音が聞こえて、目が覚める。


(……ん……?)


「ニコラや、ちょっと起きてくれんか」


(んんん……)


 扉の向こうからじいじの声が聞こえて、もぞもぞと体を動かす。ふう、と息を吐き、むくりと起き上がり、扉に向かって返事をする。


「……なに? じいじ……」

「入って良いかな?」

「じいじならいいわ。どうぞ」


 寝起きの間抜けな声を出すと、じいじがそっとあたしの部屋の扉を開けた。


「気持ちよく寝ていたところ悪いな」

「んん……。……どうかしたの……?」


 目を擦りながらじいじを見ると、じいじが髭を撫でながら口を動かした。


「実は、少し手伝ってほしいことがあってのう」

「手伝ってほしいこと?」


(今、何時かしら……?)


 ちらっと目覚まし時計を見ると、昼の10時。


(だいぶ寝たわね……)


 ふああ、と欠伸をして、頭を掻いた。


「あたしが出来ること?」

「お使いに行ってほしいんじゃ」

「お使い? どこまで?」

「この二人の健康診断書を回収して来てくれないか?」


 じいじがあたしにメモを渡す。受け取って、焦点を合わせて、ああ、と頷いた。


「『健康診断』……。……なるほど」

「急に城から呼び出されてな。困っとった。行ってくれると有難い」

「いいわ。貴方のお願いなら聞いてあげる。行ってくる」

「助かるよ。ありがとう。ニコラ」


 じいじがあたしの頭を優しく撫でてくる。じっとじいじを見上げた。


「他にお使いは?」

「今のところそれだけじゃ」

「分かった。じゃあさっさと終わらせて、あたしは部屋でぐーたら過ごすことにする」

「ふふっ。お礼に今夜は好きなものでも作ってやろう。食べたいものはあるかい?」

「……ウインナー食べたい」

「ウインナーだな? 分かったよ」

「焦げ目がついたやつね」

「ああ、分かったよ」


 じいじが微笑みながら頷いて、あたしの頭から手を離す。


「では、任せるぞ」

「はい」

「朝食は下に準備してある。昼はあるものを好きに食べていい」

「分かった」

「ではな」


 じいじがそう言って、あたしの部屋から出ていった。あたしはもう一度メモを見下ろす。


(健康診断書ねぇ?)


 この二人か。


(一人はいいけど、もう一人は『難あり』だわ)


 ふう、と息を吐く。


(善は急げ。着替えよう)


 あたしはだるい体を動かし、ベッドから抜け出した。



 罪滅ぼし活動サブミッション、二人から健康診断書を回収する。




(*'ω'*)




 こんこん、と扉をノックすると、しばらくして扉が開いた。扉を開けた本人があたしを見て、赤い瞳を丸くさせて、驚きの表情を浮かべた。


「あれ、テリー?」


 いつもの赤いマントを羽織ってない、シャツと赤いスカート姿のリトルルビィがきょとんとしている。掃除をしていたのか、義手がはたきを握り締め、白い三角巾を頭にかぶっていた。


「何々? どうしたの? テリーが一人で私の家に来るなんて珍しい」


 キッドが用意したリトルルビィの家。まるで小人が住みそうな丸くて小さな一軒家。家具は何もかもミニマムサイズ。それでも、小さなリトルルビィが住むだけなら十分な部屋。


(倒れたニクスを連れてきてからも、何も変わってない)


 きょとんとあたしを見つめてくるリトルルビィを見下ろす。


「……とりあえず、名前をテリーって呼ぶことに関して、休みの間だけは許してあげる」

「……やっちゃった」


 リトルルビィがぺろっと舌を出して、笑った。


「で、どうしたの?」

「ええ。じい……ビリーに頼まれたんだけど、健康診断の紙ってある?」

「あ、うん!」


 リトルルビィが扉を開けて、一歩下がった。


「良かったらお茶淹れるよ。入って」

「いいの?」

「うん! ちょっとお喋りしようよ!」


 元気に微笑むリトルルビィを見て、あたしも口角を上げる。


「……そうね。昨日の埋め合わせもしたいし、美味しいの淹れてくれる?」

「もちろんです!」

「良い返事。邪魔するわ」


 そう言って小さな部屋の中に入る。リトルルビィが扉を閉め、三角巾とはたきを置いて、キッチン台に歩いた。


「座ってて!」

「お菓子でも持ってくれば良かったわね」

「あるよ! 食べる?」

「いらない。あんたが食べなさい」

「こういう時のために買っておいたの! ドリーム・キャンディの社長特性クッキー! 一緒に食べよう?」

「社長のクッキー? それなら話は別よ。貴族令嬢は自分で働くお店のことも研究しなくてはいけないの。リトルルビィ、お皿は出してあげるからそのクッキーを二人で山分けするわよ。準備なさい」

「ふふっ! うん!」


 リトルルビィが笑いながら頷き、やかんを温める。そして手際よくティーポットとカップを用意して、あたしに振り向く。


「ハーブティー飲める?」

「嫌いじゃない」


 あたしは小さな食器棚を開いた。


「このお皿でいい?」

「ばっちり!」


 リトルルビィが親指を立てて、キッチン台の傍にある棚の中に腕を突っ込ませ、クッキーの袋を取り出す。あたしは手を差し出した。


「ちょうだい。お皿に乗せておく」

「お願いします!」

「はいはい」


 呆れた笑みを浮かべれば、リトルルビィも笑って、あたしはクッキーの準備を。リトルルビィはハーブの用意をする。温めたお湯とハーブで紅茶を淹れ、テーブルにカップを並べて、ティーポットに入った紅茶を入れ、あたしに差し出す。


「はい、どうぞ!」

「いただきます」


 口にティーカップを傾けて飲んでみる。……直後、ぴくりと指が動き、静かにティーカップを置く。見ていたリトルルビィが心配そうに眉をへこませた。


「テリー? 口に合わなかった?」

「……ちょっと冷ます」


(リトルルビィ、不味いわけじゃないのよ。違うのよ。あたしは猫舌なのよ)


 舌はぴりぴりするが顔には出さずにティーカップの湯気を見ていると、リトルルビィがふふっと笑い、今度はベッドの近くの棚に向かう。一番下の扉を開けて、ごそごそと書類を探しながら、リトルルビィが呟いた。


「どこだっけー?」

「ねえ、健康診断なんて、いつしたわけ?」


 訊けば、リトルルビィが顔を上げて、


「9月の下旬くらい?」


 首を傾げて、また探し出す。あたしは湯気を眺める。


「あんたを健康診断出来る病院なんてあるの?」

「病院じゃないの」


 リトルルビィが二段目の棚を弄りだした。


「研究室で博士にやってもらった」

「博士?」

「そう。物知り博士」

「……物知り博士?」

「あ!」


 リトルルビィが棚に腕を突っ込ませ、掴んだ紙を掲げた。


「あったー!」


 ぱんぱかぱーん!

 あたしに歩いてきて、笑顔で差し出す。


「はい、これ」

「ん。確かに」


 氏名の欄に『Ruby People』と書かれた文字が目に入る。


「……これあんたが書いたの?」

「ん? うん!」

「……字、上手くなったわね」


 前に見た時は、よれよれな字だったのに。


「もう、テリー。いつの話してるの?」


 リトルルビィが恥ずかしそうに頬を赤く染めた。


「私、ちゃんと字も練習したのよ。先生も丁寧に教えてくれたし」

「へえ。先生がいるの?」

「うん。先生ね、優しいの!」


 リトルルビィがあたしの正面に座った。


「読み書き出来るようになってから、本も沢山読めるようになったのよ。時々、メニーと図書館で読みたい本を選んだりするの」

「そう。読書は楽しい?」

「うん! 楽しい!」

「楽しいのは良いことね。クロシェ先生も、本は楽しんで読むものだって言ってたわ」


 頷き、少し冷めたハーブティーを飲む。


「何の本が好き?」

「一番はね、リトル・レッド!」

「リトル・レッド?」


 ああ。あの狼に食べられる話ね。


「確かにあんたに似てるわね」

「ふふっ。でも、違うよ。私は狼が現れたら、狼のこと食べちゃうもん」

「ん?」

「ん?」


 あたしが訊き返すと、リトルルビィがきょとんとした。いやいや、きょとんとしたいのはあたしの方よ。あたしはさらに訊き返す。


「狼を食べるの?」

「テリー、狼の血って美味しいのよ」

「あんた、狼の血を飲んでるの!?」

「人の血よりはマシだって、キッドが言ってた!」

「あんたキッドに何を吹き込まれたの!」


 テーブルをばーん!


(あいつ! よくもあたしの可愛いルビィに変なことを教えやがってからに! 絶対に許さない!)


 拳をぎゅっと握り、背筋を伸ばす。


「ルビィ、いいこと。狼の血は飲んじゃ駄目よ。お腹が空いて、どうしても飲みたくなったら飲みなさい。狼はね、怖がるものなの。飲み物じゃないの。分かった?」

「……美味しいのに」


(……なんでしゅんとしてるのよ)


 リトルルビィがハーブティーを飲み、一息ついてから、再びあたしに口を開いた。


「テリーは、どんな本が好き?」

「……そうね。最近読んだのが……」


 あたしは思い出しながら、タイトルを言う。


「これを読んだら人間の心を操ることが出来る本」


 リトルルビィの眉間に皺が寄った。あたしはさらに思い出す。


「ムカつく奴を手懐けることが出来る本」

「心に催眠術をかける本」

「読心術を鍛えよ」

「人の心理を読みとれ」

「愛とは無常なり」

「愛に生きない女の生き方」

「一人で生活する私の日常」

「女一人散歩暮らし」

「ジクシィ」

「空気を読み取る生き方」

「一生痩せていられるエクササイズ」

「不安にならない人生」

「不幸にならない生き方」

「怒りの静め方」

「人を恨まない100のヒント」

「人生設計図を作れば幸せになれる」

「絶対幸福論」

「幸せへの……」


 ここでリトルルビィがストップをかけた。


「テリー、ごめんなさい」

「ん?」

「私には、きっとまだレベルが足りないんだと思う……」

「そうよね。まあ、そうよね。でも、気にする必要ないわ。リトルルビィ、あんたも大人になったら読みたくなるから」

「……テリー、疲れてるのね。きっとそうなのね。……可哀想に。……テリー、クッキーどうぞ。いっぱい食べて。ね?」

「大丈夫よ。食べてるから。あんたが食べて」


 あたしはハーブティーを飲む。


「私ね、物語の方が好きなの。よくメニーと読んでるのよ」

「物語ね」


 リトルルビィがクッキーをつまむ。


「……ルビィ」

「うん?」

「こんな物語知ってる?」


 あたしはその物語を、声に出した。


「昔々ある所に、醜いお姫様がおりました」

「醜いお姫様は、運命の王子様に憧れる少女でした」

「しかし、彼女は真実の愛を知りません」

「ある日、彼女は街を散歩していると、いい匂いにつられました」

「パンのお店へ入っていきました」

「そこで知り合ったパン職人と一目で恋に落ちてしまいました」

「しかし周囲の反対の元、彼女は一歩を踏み出すことが出来ません」

「そして彼女は醜いので、様々な劣等感から一歩を踏み出すことが出来ません」

「それでも彼女はその人を運命の相手と思うのです」

「彼は彼女を求めている」

「彼女を彼を求めている」

「やがて、一歩を踏み出す」

「その一歩で運命が変わります」

「二人は結ばれる」

「顔じゃない」

「姿だけじゃない」

「その存在と、その魂と、その人間性に惹かれて、二人は身分も関係なく、結ばれる」


 そんな綺麗事が並べられただけの、物語。


「めでたしめでたし」


 あたしはハーブティーを飲み込む。


「子供じみた話でしょ?」


 でもね、


「これが一番、あたしの好きな話」


 牢屋で読んで、読んで、何度も読んで。


「唯一、何度も読んでしまう物語」


 二度目の世界で記憶が戻った時、どうしても、その本が、たとえ古本屋にあったとしても、手を伸ばしてしまった。ルビィからの視線を感じる。あたしはおどけて肩をすくめた。


「……笑っていいわよ」

「……どうして?」


 ルビィが明るい声で訊いてくる。その声に視線を上げると、微笑ましそうに、頬を緩ますルビィの顔が見える。


「すごく素敵な物語」


 ルビィがハーブティーを飲んだ。


「最後はちゃんと結ばれるのね。そのお姫様、幸せになれるのね」

「ええ」

「テリーの好きな物語?」

「ええ」

「素敵!」

「そう思う?」

「うん!」

「そう」


 あたしの頬が少し緩む。


「……図書館にあるかもね」

「なんて名前のタイトル?」

「なんだったかしら。本は持ってるけど、表紙が色褪せちゃってタイトルが消えてるのよ。今度屋敷に来た時に読ませてあげるわ」

「やった!」


 リトルルビィが笑って、ふと、口角を下げた。


「あ、テリー、……もしかして、『あっち』もいくの?」

「……あいつの分も頼まれてるからね」


 頷いて、クッキーを食べる。


(社長って案外腕がいいのね。……悪くない……)


 美味だわ。


「今日、あいつ図書館にいるかしら?」

「いると思う!」

「土曜日よ?」

「今日出勤だって聞いたもん」

「そうなの?」

「うん。平日お休みなんだって」

「そう。じゃあ、この後は図書館ね」

「テリー! 私も行く!」

「リトルルビィも?」

「うん!」


 リトルルビィが棚を見て、


「昨日借りた本、夜のうちに読んじゃって」


 あたしを見て、


「どうせ返しに行くからちょうどいいし」


 微笑んだ。


「ね? 一緒に行こうよ」

「それはいいけど、書類貰ったらさっさと帰るわよ」


 深いため息を吐く。


「あいつのいる場所に、長居したくないもの」

「だからこそ、私が行くんじゃない!」


 リトルルビィが胸を張った。


「テリーが一人よりも、私と居た方が安全でしょ?」

「……言えてる」

「ふふっ! ねえ、これ飲んだら行こう?」

「ええ。いいわ」


 でも、ひとまず、


「せっかくのお茶会だもの。優雅に楽しく過ごしましょう」

「賛成!」


 あたしの言葉にリトルルビィが手を上げて、お互いの顔を見合い、くすっと笑って、ハーブティーの入ったティーカップを、同じタイミングで、口元に傾けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ