第7話 10月2日(2)
13時。
午後から奥さんも出勤してきて、あたし達が休憩から戻ってきたタイミングでカリンが休憩に入る。売り場にいるのは一階にあたしとアリス。二階にはリトルルビィ。
(これで良しと……)
棚を作るあたしを見て、奥さんが微笑んだ。
「品出しもだいぶ慣れてきたみたいだし、ニコラにもレジを教えようかね」
「え」
びくっと体が硬直すると、奥さんが笑った。
「そうそう! 皆、そういう反応するんだよ! おいで。簡単だから」
(……レジをやらせるの? あたし、まだ14歳よ?)
や り た く な い !!
あたしは奥さんににっこりと微笑んだ。
「え、でも、お金ですよね? あたしなんかがやって、大丈夫なんですか? 良くないと思うんですよ。だって、ほら、あたし、まだ入って二日目ですよ? もしかしたらレジからお金盗んだりするかもしれないじゃないですか。もう少し信頼を築けるまで待った方が良いと思います! にこっ!」
「はっはっはっ! 大丈夫、大丈夫! 生憎、そんなに気長な性格じゃないんだよ。私も傍にいるから、こっちおいで」
(チッ!!!)
奥さんに手招きされ、大人しくレジカウンターに入る。棚からアリスがそっと覗き、二階からリトルルビィがそっと覗く。あたしは奥さんの隣に立つ。
「例えば、100ワドルのお菓子が来るとするでしょ」
「はい」
「先にこのボタンを押す」
「はい」
「もしも150ワドル出されたら、100を打ってから150を打つ」
「はい」
「で、横のレバーを回すと」
「はい」
「そしたら、レシートとお金が出てくるから先にお釣りを返す。その後レシート。最後に品物」
「はい」
「出来そう?」
「………」
あたしは目をキリッ、とさせて、奥さんを見上げた。
「つまりどうやるんですか?」
「アリス、出動」
「はーい!」
棚からアリスが出てきた。
「好きなお菓子持っておいで」
「社長のロールケーキ!」
「駄目」
「ちぇっ!!」
アリスが唇を尖らせて、棚から飴を三つ持ってきた。
「はい! ニコラ、これ下さい!」
にこにこ微笑んで、あたしの前に差しだす。隣で奥さんがまた一から手順を説明する。
「お客様が来たら、まず、いらっしゃいませ」
「い、イラッシャイマセ」
「お菓子の値段は一応ここに書かれてるから」
奥さんがカウンターの下を指差す。屈んでみると、値段が書かれた張り紙が貼ってあった。
「ニコラ、飴はいくらって書かれてる?」
「一つ10ワドルって書かれてます」
「うん。じゃあ、三つで?」
「30ワドルです」
「じゃあ、お客様のアリスに、それを伝えて」
あたしが目をキリッとさせて、アリスに向き直った。
「30ワドルデス」
我ながら変だと思うのだが、慣れない言葉はロボットのように棒読みになってしまう。アリスがおかしそうに、ぶふっと笑いだす。
「ほれ、アリス」
奥さんがレジから30ワドルを引き出し、アリスに渡した。アリスが受け取り、それをあたしに差し出した。
「はい、30ワドルです! ……んふふ!」
「で、お金が丁度の時は、30ワドル頂戴します。多い時は、お預かりします」
「はい」
「ということは?」
奥さんに訊かれて、あたしはアリスから30ワドルを受け取った。キリッ!
「30ワドル、オ預カリシマス!」
「ニコラ、お預かりは多い時。これは丁度だから?」
「30ワドル、頂戴シマス!」
「正解」
次。
「で、さっき教えたボタン」
「ここですか?」
指を差すと、奥さんが頷く。
「そうそう。押してみな」
あたしの指が30のボタンを押し、レバーを回すと、チャリンと音が鳴ってレシートが出てきた。お金の入った引き出しも一緒に出てきて、驚いて肩が揺れる。
「で、返すお金がなかったら、引き出しを元に戻す」
「はい」
「アリスにレシート渡して」
「レシートデス」
微笑むアリスにレシートを渡すと、アリスが受け取る。
「で、品物。袋に詰めてね」
茶色の紙袋に飴を入れ、アリスに渡す。
「オ品物デス」
「最後に、買ってくれてありがとうございました。って意味を込めて、もう一回来てほしいっていう想いも込めて、ありがとうございますって一礼」
「アリガトウゴザイマス」
棒読みの一礼。
「完璧!」
アリスが顔を上げたあたしに、ぐっと親指を立て、一言添えた。
「ちなみに、ありがとうございましたは、過去形になっちゃって、お別れの意味にもなるんだって。他のお店ではどうか知らないけど、ここではありがとうございますで統一してるのよ」
奥さんが目を丸くしてアリスを見た。
「へえ。アリス、分かって使ってたんだね」
「カリンさんから教わった時にそう教えられましたよ。嫌だなあ、奥さんってば!」
「あんたのことだから、皆が使ってるから適当にやってるのかと思ったんだよ」
「奥さん酷い! 私のことをお馬鹿な子だと思ったら勘違いですよ! 馬鹿と天才は紙一重なんですからね! 私は天才なんですよ!」
「それ、自分が馬鹿だって認めてるよ。アリス」
「はっ……!」
アリスが目を見開き、息を呑んだ。そんなアリスに、上から見てたリトルルビィがくすりと笑い、アリスも自分の行動がおかしかったのか、急に吹いて、またケラケラ笑い出す。奥さんがアリスに呆れて肩をすくませた後、あたしに顔を向けた。
「その飴は若い三人で舐めていいよ。ニコラ、次、お客さんが来たら一緒にやってみようかね」
(まじで言ってんの?)
「やんないと覚えないから、失敗を恐れずにね」
「はい。頑張ります! にこっ!」
(チッ! 面倒くさい仕事ね……)
アリスが袋から飴を取り出し、あたしに差し出した。
「心配しなくても大丈夫よ。ニコラ。私も半年で相当鍛えられたから」
「アリスは算数くらい出来るようになりなさい」
呆れた顔をした奥さんに、アリスが反論した。
「だって混乱するんですもん! 30とか100とか、もうまじでがちで分かんなくなるんですよ! ニコラにも同じ苦しみを味わわせてやるから!」
ぐふふ、といやらしく笑うアリスから、飴を受け取り、あたしは眉を下げた。
「そんなこと言わないで。アリス。不安になるじゃない」
「これ、アリス、新人を虐めるんじゃないの」
「虐めてないです。これは教育です。教育!」
アリスがそう言って、二階から顔を覗かせるリトルルビィを見上げる。
「赤ずきんちゃん! 飴ちゃんいるー?」
「いるー!」
リトルルビィが階段から駆けてきて、アリスから飴を受け取る。
「えへへ。この飴好きなの!」
リトルルビィが微笑み、飴を口に入れて、でれんと飴の甘さに頬を緩ませ、二階に戻っていった。あたしも飴の袋を開けて、口に中に飴玉を放り投げる。舌の上に乗った瞬間、ふわっと、苺畑が口の中で広がる。
(甘い)
「美味しいでしょ! 苺味!」
「ええ」
笑うアリスに微笑む。
「とっても美味しいわ」
あたしは飴玉をガリッ、と噛んだ。
(*'ω'*)
16時。
慣れない作業に指を震わせながら奥さんの隣でレジ業務をこなし、ようやく鳩時計が鳴る。
(終わった……)
終わったと思った瞬間、一気に緊張が抜けて、体がだるくなる。
(疲れた……)
「はい、今日はここまで。お疲れ様。ニコラ」
奥さんがあたしの背中を撫でた。
「なかなか良かったよ。明日も一緒にやってみようか」
「頑張ります」
にこっと笑って、
(明日もこれやるの……? うわ、嫌だ……。品出しをたんたんとやっていたい……)
内心うんざりして、ため息をつく。
「じゃ、退勤ね。お疲れ様」
「お疲れ様です」
レジカウンターから抜け出す。ああ、ようやく解放された。レジ業務って面倒くさい。操作が難しくて本当に嫌。きっとあたしに向いてないんだわ。あたし、品出しの方が向いてるんだわ。一人で店の奥に行き、荷物置き場からリュックを背負って、まだ作業していたアリスとリトルルビィを待つ。荷物置き場の前で立っていると、チョコレートケーキを持った社長と鉢合わせた。
「あ」
声を出すと、強面の社長がじっとあたしを見下ろした。
「……お疲れ様です……」
ぼそっと小さい声で言うと、社長があたしに近づき右手を差し出す。
(ん?)
フォークが握られている。
(え?)
見上げると、社長が頷く。
(は?)
フォークを受け取ると、チョコレートケーキが前に出された。
(うん?)
そっとフォークでつまみ、口に入れる。
(……あ)
「……美味……」
ぽつりと呟くと、社長が一言。
「だろ?」
あたしからフォークを奪い、厨房に戻っていく。残されたあたしは、呆然と厨房を見つめた。
「……」
「ん? ニコラ、どうしたの?」
歩いて来たアリスが呆然とするあたしの顔を覗く。ちらっとアリスを見て、あたしは眉間にしわを寄せた。
「……ここのお店の人は、なんだか、少し変わった人が多いのね……」
「個性的よね! あはははは!」
自分も含まれていることを自覚していないアリスは爆笑しながら、荷物置き場の棚から鞄を持った。
「じゃあ、私先に出るね。学校だから」
「ああ、そっか」
アリスに手を振る。
「また明日」
「じゃあね! ……明日もレジ頑張るのよ! ぐふふ!」
最後に余計な一言を言って、にやりとしたアリスが荷物置き場から出ていく。それと入れ違うようにリトルルビィが店の裏に入ってきて、立って待ってるあたしを見て、微笑んだ。
「お疲れ様。ニコラ」
「お疲れ様」
「レジどうだった?」
「……もうやりたくない」
「えー? どうして? 楽しいのに」
鞄を持ったリトルルビィと一緒に裏から出て、売り場に戻った。カウンターにいる奥さんに二人で体を向ける。
「お疲れ様でした!」
「……お疲れ様でした」
リトルルビィの後に挨拶すると、品出ししていたカリンと奥さんに手を振られた。それから店を出て、リトルルビィと一緒に帰り道を歩き出す。夕方の空は、16時の時点で既に暮れようとしている。リトルルビィが深い息を吐いた。
「ふう。やっぱり、今日は暇だったね」
「でも、14時くらいにちょっと混んだわ。レジがばたついた」
隣で奥さんになだめられながら、混雑する列に気をとられつつ、慎重にレジ打ちした記憶が蘇る。
「ああ……、疲れた……」
「お疲れ様。ニコラ」
「レジって面倒ね。いちいち客の顔色うかがっていらっしゃいませだの、何ワドルだの言わなきゃいけないなんて。奥さんにもっと笑顔でって注意されたわ。お陰で、あたしの美しいほっぺがぴくぴくよ」
愚痴ると、リトルルビィがあたしの頬に手を添えて、慰めるようになでなでと撫でた。
「でも、慣れたら楽しくなるよ。私も最初は分からなくて、おどおどしながらやってたから」
「レジ打ってる人ってすごいわね。尊敬する。あんな面倒な作業を、にこにこしてやってるなんて信じられない」
「自分が経験してようやく周りが見えてくるのよね。私もそうだったもん」
「リトルルビィはすごいわね。10歳くらいからレジ打ちやってたんだっけ?」
「うん!」
「あーあ。やりたくない……。面倒くさい……。ミスしたら怒られることをなんで入って二日目のあたしにさせようとするわけ? いかれてるわ」
「慣れちゃえば大丈夫よ! それとにこにこしてれば大丈夫!」
「にこにこね……」
「大丈夫よ! ニコラなら絶対大丈夫!」
うんざりするあたしを、リトルルビィが全力で励ましてくれる。
(この子の励ましはありがたいけど、レジが面倒なことに変わりはない)
噴水前にたどり着き、リトルルビィが一歩足を進ませた。
「じゃあね、ニコラ。また明日!」
「ええ。また明日」
手を振り、リトルルビィの背中を見送る。やがて見えなくなる。見えなくなった。リトルルビィは見えなくなるまで遠くに歩き、これから帰るのだろう。もう、あたしの姿は見えない。リトルルビィの姿も見えない。
――さて、と一息ついて、辺りを見渡した。
(仕事は終わった。ちょっと街の様子を見よう)
今日は噴水通りに連続旗が吊るされた。風に揺られて、カボチャのイラストが揺れている。
(どこまでついてるのかしら)
連続旗がある方に足を動かす。噴水通りと、あと北区域への出入り口にもついている。北区域に関しては昼には無かった気がする。どうやら午後につけられたらしい。
(昨日歩いた道には……)
こっちも連続旗がつけられている。
(連続旗が飾られたところで、別に怪しいことは無さそう)
きょろりと辺りを見回す。
(アリーチェ・ラビッツ・クロックがどこに潜んでいるかも、分からない)
そうだ。
(そういえば、アリスが学校に行ってるって言ってた。アリスは15歳。アリーチェも15歳。そんな偶然無いと思うけど、アリーチェって女の子が学校にいないかどうか訊いてみてもいいかも)
いたら、
(なんとか関わって、大量殺人を回避させる方法を考える)
そもそも、アリーチェはなぜそんなことをしたんだろう。まだ15歳だというのに。
(原因が分からないから、歴史に残るくらい、大事件扱いされたんだろう)
本人は牢屋の中で死んでしまうし。
「そうだ」
足を動かし、歩いている人を見る。
(庶民の学生にアリーチェの名前を訊いて回れば、いずれ辿り着くんじゃ……)
そもそもアリーチェは学校に行っているのだろうか? もしかしたら孤児、という可能性もある。お金持ち、という可能性もある。平民、という可能性もある。
(……駄目だ。何も情報が無い以上、やっぱり何も出来ない。下手に動いて情報が行き渡って、もしも本当にテロリスト集団の一人とかなら、あたしの命が危なくなる)
舌打ちして、結局昨日と同じ道をうろうろと歩く。
(血だらけになった広場。倒れる庶民。倒れる怪我人。倒れる死体。励ますリオン様)
昨日と同じ道。飾られた連続旗。それ以外は何もない。
(……異常なし)
じっと連続旗を見つめ、ふう、とため息をつくと、向かいから見たことのある男が歩いていた。
「んっ」
「あ?」
三月の兎喫茶のサガンがスーツ姿で歩いていた。肩にサックスの楽器ケースを背負っている。彼はバンドを組んでいるとアリスが言っていた。ということは、見たところ、バンドで集まった帰りだろう。
「こんばんは」
愛想よく微笑んで挨拶すると、サガンが眉間にしわを寄せた。
「おう。……どこかで見たな」
「昨日、お昼にお邪魔させていただいた者です。アリス達と」
「ああ、菓子屋の新人の嬢ちゃんだったか」
サガンが思い出して、頷いた。
「すまねえな。年のせいか近頃忘れっぽくてな」
「いいえ。お気になさらず」
「暗くなる前に帰れよ。嬢ちゃんみたいな女の子は不審者に狙われやすいからな」
無愛想な声で言うと、すたすたと歩いて行ってしまう。その背中を眺めながら、ふと考える。
(不審者ね?)
吸血鬼事件の時のように、不審者情報があれば返って歩きやすいのだが、今の段階ではそんな情報はない。
(交番に行ってみても、特に変わったところはない)
どこを見ても、安心安全の城下町。26日後に事件が起きるとはとても思えない。
(でも、起きる)
事は突然やってくる。
スノウ様の言うとおりだ。事は突然やってくるのだ。やってくるのであれば、やってこないようにすればいい。単純なことだ。どこかで必ず変化があるはずだ。
(思い出せ)
凶器は何だった?
(ナイフだっけ?)
景色はどうだった?
(皆ぼろぼろだった。人も、建物も、街も)
ということは、建物が壊れる衝撃があったのだ。
(爆弾でも仕掛けられた?)
爆弾を作れる人物がアリーチェ?
(15歳で、何しちゃってくれてるのよ)
アリスみたいに、おかしなことを探して笑ってなさいよ。
(いや)
アリーチェがおかしくて笑ってしまうことが、この街で大量殺人をすることだったのかもしれない。
ああ、本当にやめてほしい。うんざりするわ。
(あたしまで巻き添えになるじゃないのよ)
そんなの嫌だ。死にたくない。
「ああ、帰ろう帰ろう。異常なし。お腹すいたわ」
あたしは面倒くさくなって、帰り道に足を進めた。
(*'ω'*)
21時。
家に帰り、夜ご飯を食べて、お風呂に入ってから、キッドのパーカーに着替えたあたしは、じいじと向かい合っていた。
じいじがテーブルにリンゴを出す。
「イラッシャイマセ」
あたしが頭を下げて、上げた。
「リンゴ、一個デ、200ワドルデス」
隣にある紙袋に、リンゴを入れる。じいじが1000ワドルを出した。
「1000ワドル、オ預カリシマス。800ワドルノオ返シデス」
お金を渡し、レシートを渡す、ふりをする。じいじが受け取る、ふりをする。
「アリガトウ、ゴザイマス」
頭を下げて、上げる。
じいじと目が合い、にこりと、じいじが笑った。
「うん、問題ないじゃろう」
「どうだった? 大丈夫そう?」
「基本的なことは出来ておる。問題ないぞ」
「そう。なら明日も何とかやれそうね」
じいじに頼んだのだ。レジの練習相手になってと。じいじが意外そうな顔をして、でも承知してくれて、今のこれだ。
(これで怖いものは無いわ。……よし、そろそろ練習もやめて、キッドの部屋のボードゲームで遊ぼうかしら)
そんなことを考え始めると、じいじがしわだらけの口角を上げた。
「ではニコラや、少しレベルを上げよう」
「え?」
レベルを上げる?
きょとんと瞬きをすると、じいじが頷いた。
「次は、怒りん坊のお客さんじゃ」
「怒りん坊?」
訊き返した直後、一気にじいじの目が変わる。優しかった目は鋭くなり、リンゴを二つ、叩きつけるようにテーブルに置いた。
「おらっ!」
その豹変ぶりに、思わず驚く。
「えっ……?」
「早くしろ!」
ぽかんとするあたしに、じいじが本気の目で睨んでくる。
「え、あ、えっと、」
本気で戸惑い始めると、じいじがテーブルを叩いた。
「何モタモタしてるんじゃ! 時間が無いんじゃよ!!」
「え、あ、えっと、あの、リンゴ、二つで、えーっと、400ワドル、です」
「チッ!」
じいじが嫌味っぽく舌打ちをして、500ワドルを投げつけた。
「あ、お、500ワドル、頂戴、あ、お預かり、シマス。こちら、えっと、100ワドルのお返し、です」
「お前さんいくつだ!?」
「え?」
「何歳じゃ!!」
「さ、……14です」
「子供のくせに働いてるのか! 仕事合ってないぞ!! やめちまえ!」
「……はあ?」
眉をひそめてじいじを見る。
(この人、急にどうしたの? 頭いかれた?)
あたしが不審の目をじいじに向けて黙る。じいじも黙る。リビングに沈黙が訪れ、――ふう、とじいじが息を吐いた。
「戸惑ったら負けじゃ。ニコラ。こういう時はな、冷静な顔で分かったふりをして、何事もないようにレジを打ちなさい」
そう言って叩きつけたリンゴを拾い、大切そうに手にもって、そっとリンゴを撫でる。
「ねえ、今の何?」
「今のご時世どんな客が来るか分からんでな。念のためやっておいた方がいいと思ってのう」
「おほほほ!」
思わず笑った。
「そんな乱暴な言葉使う人、いるわけないじゃない! 貴族でもあるまいし!」
「それもそうじゃな。いやいや、すまなかったな」
「おほほほ。なかなか面白かったわ」
くすくす笑って、あたしも叩きつけられたもう一つのリンゴを拾って撫でる。
「貴方の怒ったところ、久しぶりに見たわね」
「私も年寄りじゃ。そんな頻繁には怒らんよ」
「でも、去年は怒ってた」
わがままキッドに、ぶち切れてた。
「ねえ、じいじ、どうやったらキッドが泣くまで追い詰めることが出来る?」
「私はあの方が小さい頃から躾けているものでな」
あの方にトラウマが残るくらい、それはそれは躾けたものだ。
「そんな話はいい。とにかく、これが出来れば明日のレジ打ちも大丈夫じゃろう」
「あ、誤魔化した」
「誤魔化しとらんよ」
そう言うじいじの顔は、道化師のようにおどけている。ふふっと笑うと、じいじも微笑んだ。
「頑張りなさい。ニコラ。練習くらいなら、いつでも付き合おう」
「ええ。ありがとう。じいじ。助かったわ」
あ、それと、
「……お弁当、ありがとう」
「ああ」
「……悪くなかったわ」
「ああ、そうかい」
ちらっとあたしを見て、
「明日も作るかい?」
「……いいの?」
「もちろん」
じいじが頷き、時計を見た。
「さ、夜も遅い。そろそろ勉強に時間を当てなさい」
「ええ。15分だけね」
「そうじゃ。15分だけ」
「分かった。そうする」
(それから、遊ぼうっと)
立ち上がり、バイト先で書いたメモ帳を持って、あたしは二階に上がった。




