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おとぎ話の悪役令嬢は罪滅ぼしに忙しい  作者: 石狩なべ
五章:おかしの国のハイ・ジャック(前編)
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第2話 ドリーム・キャンディ


 あたしは紹介所に向かって歩いていく。噴水通りに着く頃に、再びため息が出てきた。


 紹介所に行ったところで、何て言えばいいわけ? 事情を聞いた従業員や、Mr.ジェフはどんな顔をするかしら。考えてても始まらないのは分かっている。今は変なプライドを見せて意地を張るところじゃない。ちゃんと自分で体を動かして一ヶ月働かないと、家に戻れないのだから。

 この機会に、本当に紹介所の研修を受けてみるのもいいかもしれないけれど。


(不安しかない…)


 今まで何もしてこなかったあたしは、何も出来ないお嬢様だ。


(こんな状態のあたしを紹介所が必要と思う?)


 いいや、そもそも今までがおかしかったのだ。

 あたしはたまに書類にサインするだけ。仕事は全部Mr.ジェフに任せきりで、何もやっていないに等しい。それを社長だと言って、売上の分、給料だってあたしの口座に入っている。その額はドロシーに言った通り、将来起きるかもしれない破産の道を、回避できるのではと思うくらいの額。税金だってひそかに払っている。それでも、その額。その額を、何もしていないあたしが貰っているのだ。


(………)


 追い出されたから研修きちんと受けます。一ヶ月だけ体動かして働きますと言うの?


(何それ?)


 都合良すぎない?


(どうしよう…)


 あたしは、一度目の世界で学んだではないか。自分の思い通りになると思ったら大間違いだ。虫のいい話なんてない。従業員は皆キッドの部下であり、知り合いであり、その信頼と紹介の元で働いている。


 あたしのような、ただのキッドの名ばかりの婚約者が、急にぽーん! と入れる所ではないのだ。それも14歳の女の子が、仕事なんて出来るはずないのだ。


(うううう…!)


 どんどん血の気が下がっていく。言えない。行けない。相談出来ない。気まずい気まずい。すごく気まずい。思った以上に気まずい。意地を張ってる場合じゃない。分かっている。けれど、もう、とにかく気まずい。


(大丈夫よ。短期で働ける所を見つけてほしいと相談するだけ)


 きっと皆のことよ。見つけてくれるわ!


「社長、でしたらここで働きませんか?」

「社長でしたら歓迎ですよ!」


 それを言われたらどうする? いやいや。あたしのことを考えて、気を遣ってちゃんとした職場を紹介してくれるかもしれない。


「社長、でしたらこちらで働いてみますか? 人員不足でして」


 でも紹介された職場が自分に合ってなかったら? すごく辛い場所なら?


「や、やっぱり、あたし、はたらけな……」

「社長、せっかく紹介したのに……」

「やっぱり貴族のご令嬢だな」

「なんでキッド様はあんな小娘と婚約されたんだろうな」

「テリー様……」

「み、Mr.ジェフ!」


 Mr.ジェフが、あたしを軽蔑の目で見てくるのだ。


「こんなことでは、貴女にこの会社を任せられませんな」

「そ、そんな……!」

「この会社は今日からキッド様のものです」

「ひっ」

「貴女の取り分はゼロです!」

「ひっ」

「働くことも出来ない無能な小娘など、どこかへ行ってしまえ!」

「ま、待って! Mr.ジェフ!」

「テリー、どうしましょう。破産してしまったわ」

「ああ、ママ!」

「明日から路地生活よ……。あはは、リンゴだわ!」

「アメリ! リンゴは駄目よ!」

「テリー・ベックスを死刑に!」


 死刑決定! どんどん!


「いやぁあああああ!!!」


 あたしは青ざめて、頭を押さえる。周りの人々の白い目など気にするものか。それよりも、大事なことがあるのだ。


(あたしは、まだ……!)


「死にたくない死にたくない死にたくない!!」


 また死刑になってしまう!!


「牢屋送り!」

「監獄!」

「地獄の工場働き!」


 いいいいいいいいい!!


「どうしたらいいのよーーーー!」


 ムンクの叫びの如く、両頰を押さえて悲鳴をあげると、


「あれ? テリー?」


 その声にはっとして、振り向く。その先には赤いマントについた頭巾をかぶる少女。あたしを見る赤い瞳。右腕には黒い義手。蒸栗色の長い髪を二つに結び、大きな赤いリボンを巻きつけた、リトルルビィが、大きなバスケットを持って、あたしを見ていた。


「わあ! テリーだ! こんにちは! こんな所で会えるなんて奇遇ね!」


 ぱあっと表情を明るくさせて、太陽のような笑顔であたしに近づいてくる。


(やめろ! その笑顔は、今のあたしには眩しすぎる!!)


 ぎろっと睨んで、叫んだ。


「近づくな!!」

「え!?」


 リトルルビィがぎょっと目を見開く。


「え……? え!? ど、どど、どうしたの? テリー。一体何がどうしたの!? 何がどうなって誰がどうなったの!? 一体一体何があったの!?」

「やめろ! ミニチュアレッドガール! 近づくなって言ってんでしょ!」


 一歩一歩近づくな! 近づくなら一歩一歩下がってやる! リトルルビィが一歩前出て、あたしが二歩下がる。


「ど、どうしたの!? テリーが! 私のテリーが、私を拒むなんて!!」


 あっ!


「分かった! テリーってば、昨日の夜にお風呂に入るの忘れて外に出てきて、それを今、思い出しちゃったんでしょ!」


 うふふっ! と赤い目のウインク。


「平気よ! 私! テリーの生の匂いなら喜んで嗅ぐもん!」

「お嬢様のあたしがそんなはしたない真似すると思う? お風呂には入ったし、人の匂いを好き好んで嗅ぐんじゃないの」

「じゃあ、テリーの顔はどうしてそんなに青いの?」

「それはねリトルルビィ、人は思いも寄らない出来事があると、顔が青くなるものなのよ」

「思いも寄らない出来事?」


 リトルルビィが眉をひそめ、首を傾げる。


「テリーに、思いも寄らない出来事があったの?」

「あんたには関係ないことよ。引っ込んでなさい」

「駄目!」


 真剣な表情のリトルルビィが、眉尻を下げて、あたしを見つめてくる。


「私の愛しいテリーが人生の終わりみたいな顔をして歩いているのに、それを放っておけっていうの!? 絶対、そんなことしないんだから!」


 バスケットを地面に置き、そっとあたしの手を掴んだ。赤い目をまたさらに、キラッキラと輝かせる。


「テリー? どうしたの? 私に出来ることある?」


 にぃぱーーーーあ!


「やめろ! 笑うな! 眩しい! 溶ける! 溶けてしまう! 畜生! 可愛い笑顔しやがって! 東の山から登ってくるサンシャインめ! 太陽の光によってあたしが溶けてしまう前に、森に迷い込んで狼にでも食べられてしまえ!」

「テリー、本来、太陽で溶けるのは私の方だよ?」

「お黙り! リトルルビィ、あんた仕事中なんじゃないの?」


 リトルルビィがこくりと頷き、バスケットをあたしに見せる。


「お使い中!」

「なら仕事して。あたしに構わず。行った行った。しっしっ」


 そして、その太陽のような笑顔を今のあたしに向けないで。眩しいのよ。あんたのその赤い目は。


 手を振って追い返そうとすると、リトルルビィは首を振り、真剣な眼差しであたしを見て、さらに距離を縮ませる。


「駄目よ。テリー」

「え」

「ちゃんと言って」


 赤い目があたしを見つめる。


「どうしたの? 何に困ってるの?」


 正義感溢れる希望に満ちた目が、あたしを見つめる。


「言ってみて? テリー。私が、絶対に、テリーの力になるから!」


 ぴぃいかーーーーー!!


(ぐああああああ! 眩しいーーーー!!)


 ダークサイドのあたしには、リトルルビィの太陽のような赤い瞳は、眩しくて仕方ない。


(このままだと! 浄化されてしまう!)


 その希望溢れる目に、心が揺さぶられる。


(ぐああああ! 相談したい! 相談してしまいたい……! メニーのことを愚痴ってしまいたい……! 色々話したい……! リトルルビィとお茶飲みたい……! リトルルビィ今日も可愛いあたしの癒しだわ! だけど、そのリトルルビィは仕事中だし……)


 仕事中……。


「……仕事か」

「え?」


 ぽつりと言った言葉に、リトルルビィがきょとんとする。あたしはリトルルビィに目を向けた。


「ねえ、リトルルビィ、ここら辺であたしでも働けそうな職場ってない?」

「……」


 え?


「テリー……?」


 リトルルビィの顔が、みるみる青ざめていく。


「ど、どうしたの……? テリー、働きたいの……?」

「……それは……あの……」

「ほ、本当にどうしたの……? テリーが、テリーらしくないテリーの発言を……」

「あんた、その可愛い顔叩くわよ」

「あ、やっぱりテリーだ」


 ぽっと頬を赤らめて、リトルルビィが微笑む。


「ねえねえ、どうしたの? なんでテリーが働く所を探してるの?」


 首を傾げるリトルルビィに、あたしの顔が険しくなっていく。


「んんん……」

「何かあるなら相談して? テリー」


 それとも、


「私じゃ……頼りにならない?」

「何言ってるのよ!」


 泣きそうな顔のリトルルビィの手を、ぎゅっと握る。


「馬鹿ね。リトルルビィが頼りにならないですって? あんたはいつもあたしのために頑張ってくれるじゃない。頼りにしてるに決まってるでしょ?」

「だったら教えて? どうしたの? 私、テリーの力になりたいの」

「しょうがない子ね。もう。あんたはいつもいい子なんだから。キャンディあげる」

「やった!」

「そのバスケットも一緒に持ってあげる。で、歩きながら話しましょう」

「うん!」


 リトルルビィがあたしの手を離し、地面に置いてたバスケットを拾う。よいしょと手に持ち、あたしも一緒に持ち、二人で並んで歩き出す。


「で、テリー、どうしたの?」

「……ここだけの話よ」


 昔々、とあるところにお金持ちの屋敷があったそうな。

 うんうん!

 そこに住む三人の美しい姉妹がおりました。一人はアメリアヌ。一人はテリー。一人はメニー。

 わあ、素敵なお名前の三人姉妹!

 アメリアヌはすくすくと育ち、今は貴族令嬢としても恥ずかしくないほどの娘に。テリーはすくすくと育ち、美しい娘に。メニーはすくすくと育ち、意味の分からない娘に。

 意味の分からない……?

 そんなある日のことです。テリーはメニーに教科書を貸しました。しかし何日経っても戻ってきません。とうとう必要になり、テリーはメニーの部屋を訪ねました。

 うんうん!

 しかしメニーは留守だったのです。困ったテリーは、無断で部屋に入り、教科書だけ頂戴しようとしたのです。

 まあ、姉妹だから、お部屋の出入りもあるよね。

 教科書を手に入れたテリー。さあ帰ろうというところにメニーが現れました。

 あらまあ。

 テリーが自分の部屋に無断で入った事に、メニーは怒ったのです。

 あらまあ!?

 それはそれは、酷く怒りました。もう手のつけようがないほどに、怒り狂ったのです。あいついかれてやがるわ。

 そ、それで?

 すぐに謝ったテリー。しかし、メニーは許しません。部屋から追い出し、引きこもってしまいました。テリーは謝りましたが、メニーからの返事は、お姉ちゃん最低の一言。

 お、おお……。

 今度はテリーが怒る番です。キッチンから包丁を頂戴して、メニーの部屋の扉にぶっ刺します。

 刺したの!?

 姉妹の喧嘩はエスカレート。そこへ家庭教師の先生と執事がやってきて、ママの部屋にテリーを連れていき、ママと家庭教師の先生と執事に囲まれて、テリーが説教を受けたのです。


 そして、テリーはママに言われたのです。


 あなたは貴族としての有難みを分かっていない。なので、来月の10月から、貴族であるということを忘れてただの一般庶民として働いてきなさい。そして、貴族の有難みを分かった上で、戻ってきなさいと。



「……」


 リトルルビィが黙る。

 あたしも黙る。

 リトルルビィが瞬きした。

 あたしはうなだれた。


「……つまり、そういうこと」

「……また、大暴れしちゃったんだね。テリー。……メニーも」


 リトルルビィが微笑んで、納得して、


「なるほど」


 頷いた。


「そっか。だからテリーは働ける所を探してたのね?」

「あたし、今まで働いたことないのよ? どこで働けるか皆目見当もつかない。初めてでも働けそうな場所って、どこか心当たりない?」

「うふふ! テリー! 今はどこもかしこも人手不足で、皆、人員を募集してるところなのよ!」


 リトルルビィが嬉しそうに笑う。


「ほら、今年はハロウィン祭があるでしょう? 街中あれの準備で大忙しだから、一人でも人が欲しいの! テリー、すごくタイミングが良い!」

「そうなの?」

「私も今年いっぱいまで働くことになってるお店があって、そこで一緒に働けるか相談してみようよ」

「……リトルルビィが働いてる所?」


 訊くと、リトルルビィが頷く。


「知らない人達に囲まれるより、私がいた方が気持ちも楽でしょう?」

「それはそうだけど、大丈夫なの?」

「私は平気よ?」


 むしろ、


「これでテリーと一緒に働けるなら、毎日テリーに会えるってことでしょ!?」


 目をきらきらさせて、


「テリーと毎日出勤!」

「テリーと毎日お仕事!」

「テリーと毎日一緒に帰宅!」


 テリーと毎日ライフ!!


「テリーと一緒にいられる!! こんなに嬉しいこと他にある!?」


 あたしの肩にすりすり。


「きっと、ジャックからのプレゼントね!」

「大袈裟ね」


 人差し指でリトルルビィの額を押すと、リトルルビィがくすくす笑った。


「だって嬉しいんだもん! テリーと一緒にいられるなら、すごく嬉しい!」

「でも訊いてみないと分からないわよ。もう人手は間に合ってるかもしれないし」

「だったら、隣の喫茶店で働くといいよ。猫の手も借りたいってマスターが言ってたから」

「隣に喫茶店があるの? あんた、どこで働いてるわけ?」

「お菓子屋さんだよ」


 リトルルビィが足を止めた。


「ほら、あそこ」


 リトルルビィが指を差す先に二階建ての菓子屋があった。ドリーム・キャンディという看板が立っている。その隣には、レトロな喫茶店が建っていた。


「行こうよ。テリー。店の人に相談してみるから!」

「……じゃあ、お願い」

「任せて!」


 目を輝かせるリトルルビィについて行く。店の扉を開けて、リトルルビィが先に中に入った。


「戻りましたー!」

「お帰りなさい。リトルルビィ」


 店内には客は一人もおらず、ぼうっと店番をしていた女性がいるだけだった。あたしを見て、きょとんとした後に首を傾げる。


「あら、リトルルビィのお友達?」

「奥さん! 私の将来のたいっっっせつな人です! 10月いっぱい働ける職場を探してるんですって! 雇ってくれませんか?」


(軽いわね……)


 もっとこう、長々と説得するものだと思っていた。


(これは、採用されないかも……)


 女性がリトルルビィに訊く。


「その子、働いたことは?」

「まだどこも」

「初めて?」

「そうなんです」

「なら、ちょうどいいかもね。色々勉強出来るだろうし。採用」

「え!?」


 思わずあたしは目を丸くした。


「さ、採用ですか!?」

「あははは! 何驚いてるの。働きたいんでしょう?」

「そ、それは、そうですけど、あの、あたし、本当に働いたことなくて……」

「ああ、いいよいいよ」

「あの、書類とか、面接とか、あの……」

「いいよいいよ。そういうの。紹介所がなかった時は、こんな感じで雇用を結んでたしね」


 くすくす笑う女性があたしを見て微笑んだ。


「一応訊いておこうかな。履歴書は?」

「……今持ってません……」

「そう。じゃあ、当日に念のため持ってきてくれる? 無ければ何かのチラシの裏とかに、名前と年齢と誕生日書いてるだけでもいいから。まあ、リトルルビィのお友達みたいだし、心配ないと思うけど、念のためね?」

「あの、それなら大丈夫です。履歴書も用意出来るかと……」

「なら良かった。それと、ペンとメモ帳。仕事は書いてやって覚えるものだから。初めてなら尚更ね」

「はい」

「それと……」


 女性の言葉に耳を傾けていると、お菓子の並ぶ棚の裏から、くすくすと笑い声が聞こえた。


「奥さん、詰め込み過ぎですよ!」


 ひょこりと、笑顔の少女が顔を出した。

 水色のピナフォアドレス。フリルのついた白いエプロン。頭にはリボンのカチューシャをした活発そうな少女。耳には白兎のイヤリング。腰まである長い髪の毛が、女の子らしさを際立たせていた。

 少女があたしの顔を見て、頬を緩ませた。


「初めて働くの? 大丈夫よ! 私も仕事出来ない子だけど、出来る限り助けてあげる!」

「あんたは、張り切りすぎて怪我しないようにね」

「怪我なんてしませんよ! 嫌だなあ! 奥さんってば!」


 少女がケラケラ笑い、あたし達に近づいた。


「先輩としていいとこ見せてやる! うふふふ! これで私の株も上がるってもんよ!」


 にやにやと微笑み、あたしに手を差し出してきた。


「初めまして!」


 その目が、あたしを映す。


「私はアリス! 貴女は?」

「……あ……」


 向日葵のような笑顔を浮かべる少女に、自分の名前を名乗ろうと口を開いた瞬間、裏からすさまじい音が聞こえてきた。がしゃああああああん! と何かが、落ちたような音。そして、悲鳴。


「いたぁーーーーーい!」

「わっ。これ、カリンさんやらかした感じじゃない?」


 アリスがぎょっとして、差し出した手を引っ込ませ、急いで店の裏に走り出す。


「カリンさん! どうしまし……っ、わあああああ! こりゃ酷い!!」

「ひえええ……!」

「全く、どうしたってんだい。カリン!」


 奥さん、と呼ばれた女性がため息を吐きながら店の奥にはけていく。

 店内に残ったリトルルビィとあたしが、きょとんとして顔を見合わせ、リトルルビィが、にこりと微笑んだ。


「ちょっと変わった所でしょ」

「不安しかない」

「ふふふ! 大丈夫。皆優しいから!」

「採用になったのは嬉しいけど、本当に大丈夫かしら……。一ヶ月とは言え、迷惑になりそうな予感しかしない……」

「テリー、皆、最初はそんなものよ」


 リトルルビィがあたしの背中を撫でた。


「何かあったら私もいるから大丈夫!」

「そうね。それは、すごく心強い」


 きょろ、と店内に見回して、お菓子だらけの棚を見回す。


「ここが、職場ね」


 働く所。


「10月からのアルバイト先」


 商店街の、お菓子屋さん。ドリーム・キャンディ。


(お菓子屋さんの店員なんて、ちょっと可愛い)


「履歴書用意しないと。他に何か用意するものある?」

「言われたもの。メモ帳とか、えんぴつとか」

「それ以外は?」

「動きやすい靴とか?」

「動きやすい靴。他は?」


 難しい顔をしているあたしに、リトルルビィが笑った。


「うふふ! テリー、難しく考える必要ないよ。私もいるし、アリスもいる。アリスはね、ああ見えてすごく頼りになるよ! テリーとも年が近かったと思う!」

「へえ、そうなの」


(そんなことはどうだっていい)


 とりあえず、どうにか職場は決まった。これでママに報告しに、ひとまず、屋敷に戻れる。危険な街から離れられる。安心して胸を撫でおろした。


「今日は帰るわ。ママに報告して、それからのことを話し合わないと」

「メニーと仲直りできるといいね」

「……あいつ」


 あたしは舌打ちをした。


「本当に意味分かんない……」


 メニーの怒った原因。部屋に無断で入ったことが、そんなに悪いこと?


(ふざけやがって……)


 あたしがメニーを恨む中、店内には、お菓子の甘い匂いが充満していた。




(*'ω'*)




 採用が決まってから、あたしはすぐに屋敷に戻り、職場が決まったことを説明した。店の住所を言って、本当に決まったことを、嘘ではないことを説明して、ようやく疑ってくるママから解放された。

 そして、反抗ばかりのあたしに働かせるように指示をしたのは、クロシェ先生の提案からだったことを知らされた。


「働くというのは、とても手っ取り早い教育方法でもあります。人と関わることで、自分がどう振舞えば生きやすいか知れる。反抗ばかりなら、それを抑えるには、働かせるのが一番です。奥様」


 ママは最初、14歳の娘を街で働かせるなんてと反対していたらしいが、メニーの部屋で暴れるあたしがいたと使用人から聞いて、話し合おうとしたところ、自分がでべそだとあたしが叫んでいたことをギルエドから聞いて、迷うことなく決断したようだった。


 ――お母様は! でべそじゃありません!

 ――言葉の綾よ! ママ!! 誤解よ!!


 あたしはママとのやりとりを思い出して、受話器を持ちながら、ため息をついた。


「どう思う? あたしまだ14歳なのよ?」


 受話器からは、笑い声が聞こえてくる。


「しかもお嬢様」


 受話器からは、相槌の声が聞こえてくる。


「別にこの環境に甘えてたわけじゃないわ。家がお金持ちであることも、身分が貴族であることも、あたしは感謝してる。だからこそ、この家を継ぎたいって思ってるのに。酷い話だわ。非常に理不尽だわ」


 受話器からは、相槌の声が聞こえてくる。


「まあ、そんなわけだから」


 あたしは息を吸って、ため息交じりに言った。


「一ヶ月間、あたし働いてくるわ」

『え?』

「城下町でアルバイトしてくるの。一般市民の平民として」


 そう言えば、受話器越しにいるあたしの親友が、大きな悲鳴をあげた。


『ええええええええええええええええええ!?』


 びっくりして、この世の終わりだとでも言うように、叫ぶ。


『テテテテ、テリーがアルバイト!?』


 驚きすぎて、言葉を躓かせる。


『テリー、大丈夫なの!? 君、お客さんの態度にむかついて、椅子とか投げちゃダメだよ!?』

「あんたはあたしを何だと思ってるのよ!! ニクス!」


 受話器を睨めば、それが分かったようなニクスの苦い笑い声が聞こえた。


『お菓子屋さんだっけ?』

「そう。品出しとか、レジ打ちとかするんだって。パン屋時代のニクスと一緒。接客業」

『一ヶ月も? 大丈夫?』

「何とかするわ」

『確かにテリーの先生の言う通り、いい経験にはなると思うよ。すごく勉強になるし、接客業は特にね。話し方とか、人との接し方。三秒考えて分からなかったら、すぐに先輩に訊くとか』

「難しそう」

『とてもね』


 ニクスがぐっと伸びた。


『へえ……。テリーがバイトかぁ。テリーが働くのかあ……。うーん……。はあ。寒気がしてきた。その職場には行きたくない』

「ちょっと!」

『あはは! はははは!』

「ニクス!」

『ふふっ! 怒らないで。冗談だよ。”あたし”が城下に住んでたら、毎日でも通ったよ。テリーが笑顔で接客してくれるなんて、嬉しいもの』

「……あたし、作り笑い苦手なのよ。ほっぺがぴくぴくってなるの」

『確かに作り笑いって大変だよね。あの時はあたしも12歳だったし、子供だったから、色々大目に見てもらえるところもあったけど、今の年齢だったらもっと大変だったと思う』

「ニクス、一緒に働く?」

『学校に集中したいからごめんね』

「裏切者!」

『うふふ! 残念でした!』

「ねえ、学校はどうなの? 去年くらいから急に勉強も難しくなったじゃない」

『テリー、数学わかる?』

「全然わからない」

『あたしも。計算苦手なの』

「歴史は?」

『王族の範囲好き』

「分かる」

『キッドさんがいるから、何となく想像出来ちゃうんだよね』

「あいつのご先祖様は沢山素晴らしいことをやってるわ」

『初代国王』

「キング様でしょ」

『テストに出たらばっちりだね。あの長い名前も覚えたよ』

「王族ってどうして名前が長いのかしらね」

『貴族って皆名前が長いものだって、聞いたことある』

「一部だけよ」

『変わった人も多いって』

「キッドがいい例だわ」

『ふふふ。まだ隣国にいるみたいだね』

「あいつ婚約でもしたんじゃない?」

『テリーがいるのに?』

「説明したでしょう。そんな関係じゃないって」

『でも婚約者なんでしょう?』

「名前だけよ」

『キッドさんが婚約届を持ってるんだっけ? ふふっ。案外、嫌な風に見せてるテリーもまんざらじゃなかったりして』

「ニクス」

『ああ、ごめん、ごめん』

「……中毒者は?」

『……うん。こっちの町にはいないみたい』

「そう」

『城下は?』

「こっちもいない」

『そう』

「……元気にやれてるみたいね。学校も、勉強も」

『うん。色々大変だけど、楽しくやってるよ。友達もいるし。ただ、話したかな? この話』

「うん? 何?」

『位の話。ちょっと面倒くさいことに、同級生同士の上下関係みたいなものがあるんだ』

「何それ?」

『お金持ちで顔の良い人がクラスの指導者。ふふ。面倒くさいの何の。言うこと聞かないと虐められるから、皆、黙ってるの』

「生意気なお金持ちが偉そうにしてるんでしょ。言ってやんなさい。親友のベックス家の娘があんた達を全員ぶつって潰してやるって」

『あはは!』

「それに、あんたはお国の王子様とも知り合いなのよ。そっちの引っ越しが決まるまで、キッドの家に住んでたわけだし。いざって時はキッドの名前を出したっていいのよ。知り合いに貴族や王族がいるんじゃ、話が違う」

『でも、それは関係ないじゃない』


 あくまで『あたし達』の問題だから。


『テリーもキッドさんも、元気でいてくれたら、あたしはとても嬉しいよ。それでいいの』

「ニクスは相変わらず欲が無いのね」

『何言ってるの。テリー。あたしは貪欲だよ』

「どこが」

『だって』


 ニクスが、少し、間を置いて、ひそりと言った。


『あのね、テリー』

「うん?」

『あたし……好きな人がいるの』

「えっ」


 あたしが声をひそめ、受話器に身を寄せる。


「学校の人?」

『うん。すごくかっこよくて、優しい男の子。図書室で会ってから、もうメロメロなの』

「やだ、なんで早く言わないのよ。かっこいいの? イケメン?」

『眼鏡男子』

「わお」


 メロメロなニクスの声に、あたしの口角も自然と上がっていく。


「仲は良いの?」

『良い方だけど……。あたしが声をかけれなくて』

「ニクス、貴族も平民も関係なく、女は押しよ。押し。ニクスの場合は、少し押すくらいがちょうどいいわ」

『そうだね。引いて駄目なら押してみる。ふふっ。応援してくれる? テリー』

「当然よ。こんな面白そうなこと、早々ないわ」

『あははは! もう! 相変わらずなんだから』

「ニクス、提案」

『どうぞ。お嬢様』

「来月の10月、あたしは仕事を頑張る。あんたは恋を頑張る」

『わお、いいね。じゃあ、そうだな。……テリーは、お客さんに一日一回ありがとうを言ってもらえる接客を出来るように頑張る。あたしは……』

「ニクスは、10月中に、一回その紳士をデートに誘う」

『え!?』


 ニクスが上擦った声をあげた。


『な、何言ってるの! テリーってば。面白がってるでしょ。そんなの無理だよ』

「ハロウィンってイベントがあるでしょう? それともそっちでは、田舎すぎてパーティーの一つもしないの?」

『……ここだけの話。学校でね、ダンスパーティーがある』


 あたしはふっと笑って、ニクスを促す。


「誘ってみれば?」

『んん……。……出来るかな……?』

「ニクスなら大丈夫」

『じゃあ、テリーも仕事頑張ってよ?』

「……。……それとこれとは……別じゃない……?」


 ニクスがくすくすと小鳥のように笑い、あたしもふふっと笑い、ニクスの笑う声を聞いて、頷いた。


「分かった。ニクスがそう言うなら、出来るだけやってみる。でもあたし一人じゃ不公平よ。ニクスもちゃんとやってね」

『うん。分かった。ふふっ! テリーがそう言うなら!』

「約束よ」

『うん。テリーも約束だよ』


 ――約束。

 あたしは瞼を下ろす。


「……ええ」

『何かあったら連絡して? 愚痴くらいなら、いくらでも聞いてあげる』

「その時は思いきり愚痴を吐きまくるから、長電話の覚悟をしてちょうだい」

『ふふふ!』


 ニクスが笑う。……ニクスが笑ってる。その声を聞けば、あたしの口角も上がる。しかし、こんなことになってしまった以上、しばらくその声は聞けなくなる。また、口角が下がる。


「……しばらく、連絡出来なくなるかも」

『仕方ないよ。頑張っておいで。あたしも頑張る』

「……大好きよ。ニクス」

『……うん。あたしも大好きだよ。テリー』

「……。……そろそろ時間かも。ニクス、あの、また、……連絡するから」

『うん! 待ってる!』

「……それじゃあ、おやすみ」

『おやすみ。テリー。いい夢を』


 元気でやっている一番の親友の声を聞いて、受話器を置く。それからあたしは脳内で、ニクスの想い人を思い描いてみる。


(ニクスの好きな人……)


 ニクスが好きになるなら、きっと良い人に違いない。

 眼鏡をかけていると言っていた。

 図書室で会ったと言っていた。

 きっと生真面目なタイプなのだろう。

 きっと本を読むのが好きな人なのだろう。

 背が高くて、背中がまたたくましいのだろう。

 ニクスが好きになるんだもの。ニクスが見惚れてしまうのだもの。


(ニクスが恋をしてる)

(男の子みたいだったニクスが)

(ちゃんと女の子らしく、恋が出来るようになった)

(ニクスが14歳の女の子として生きている)


 それが、どこか尊いように思えて、なぜか、どうして、嬉しくなって、いつまでも置いた受話器を見つめ続けてしまう。また、電話がかかってくるかも。ニクスの声が聞けるかもしれない。

 そんなことを思って立っていると、後ろから、カチ、と音が聞こえた。


(ん?)


「はい、残り20秒でした」

「はぎゃっ!?」


 悲鳴を上げて、くすくす笑いながら時計を持つメイドのサリアを見る。


「びっくりした……。サリア、何やってるの?」

「奥様から、テリーの長電話は30分までにするようにと、言われてますので。……ちょっと、背後で見張りを」


 涼しい顔で言うサリアに、唖然とする。


(後ろにいること気づかなかったわ。流石ね。サリア。サリアは将来、『忍者』っていうのになればいいと思うの。外国の暗殺者よ。なんか絵がかっこいいのよ。知ってる?)


 サリアが微笑みながら、時計をエプロンのポケットにしまった。


「初めてのお仕事をされるようですね。ご気分はどうですか?」

「もうね、本当最高。すごく楽しみ。あたし、きっといい仕事をするに決まってるわ。周りからも期待の新人が入ったって言われるに決まってる。やったやった。いえいいえい。……ほら、これで満足?」

「ふふっ。素敵な棒読みでした」


 あたしはため息をつきながら肩を落とした。


「本当最低。最悪な気分よ。緊張と不安で未来が見えない」

「あら、でも、ニクスと何かお約束をされたのでは?」

「ちょっと、人の会話聞いてたの?」

「仕事ですから」

「ニクスにはああ言ったけど、不安はつきものよ。ねえ、サリアは初めてここで働いた時、どうだった?」

「そりゃあ……」


 サリアが微笑んで、


「不安と緊張しかありませんでした」


 涼しい顔で、口が動く。


「だって、ミスをすれば、捨てられると思いましたから」


 でも、いつだって隣には、


「アンナ様がいらっしゃったので」


 サリアがあたしに笑みを浮かべる。


「今は、貴女がいる」


 そっとあたしの手を握り締める。


「私、テリーのお世話をするのが大好きなので、ついついこの仕事を続けてしまいました」


 でも、自分に合った仕事を見つけるのって、とても大変ですから。


「テリーは初めてですもの。少しくらい失敗して痛い目を見るくらいが、ちょうどいいかと」

「……吐き気がしてきた」

「テリー、将来的には、貴女も働かなければいけないんですよ。そのための勉強だと思えばいいのです。一ヶ月だけなんですから」


(……確かに)


 永遠とずっと働くより、一ヶ月と制限されてるだけまだマシだ。9歳からずっと働いてるリトルルビィより、あたしは遥かに恵まれている。


「それはそうと」


 サリアが小首を傾げた。


「場所は商店街だとか。どこから通われるのですか?」

「そうなの。それなのよね……」


 あたしはどんどん気分が沈んでいく。


「ママったら、10月になったらあたしを完全に追い出すんだって」

「つまり?」

「住む場所が必要」

「でしたら、職場の近くに住まわれた方がいいでしょう。奥様に相談されてはいかがですか?」

「ねえ、サリア、あたしどこに行ったらいい? どうやって生活したらいいのかしら。あたし、部屋の掃除なんてしたことないし、料理もそんなに出来ない。寮に入るにも集団生活なんて嫌よ。一人暮らしなんてもっと怖い……」


 あ、そうだわ。


「サリア、あの、一ヶ月だけ……」

「私、屋敷での仕事が残ってますので」


 うううううううううう!

 あたしは地団太を踏んだ。


「何よ! 皆してあたしを虐めて! サリアまで!」

「申し訳ございません。奥様に、今回はテリーを甘やかさないよう、きつく言われているんです」

「ママってば酷い! あたしそんなに悪いことした!?」

「だって、テリー、振り返ってみてください」


 外出禁止の中、屋敷から抜け出したでしょう?

 窓から屋敷を抜け出したでしょう?

 夜中に屋敷を抜け出したでしょう?

 急に外泊されたでしょう?

 クロシェ先生の授業を何度もさぼったでしょう?

 髪を切って暴れて反抗したでしょう?

 奥様と何度も怒鳴り合ったでしょう?


「今までの経歴を見つめ直してみたら、誰だって思うはずです。目を離したら、テリーは何をするか分からない。奥様は親として、貴女を躾けているのです。いい母親ではないですか」


 あたしはむくれて、サリアを睨む。


「14歳の娘を屋敷から追い出すことがいい親のすること?」

「意外といい経験になるかもしれませんよ。お金はあるのですから、お部屋はいくらでも探せますし。そうだ。寮が嫌なら、ご友人のお家の近くを探してみてはいかがですか?」

「くそ……。ママってば、本格的にあたしを躾けるみたいね……」

「決意されたあの方は、誰の言葉にも耳を貸しませんから」


 それと、


「何かあれば、テリー、例のものがあるでしょう?」

「…無線機?」


 微笑むサリアが頷く。


「連絡はいつでも取れます」

「近くにいないと届かないわ」

「いつだってお呼びください。電話でも無線機でも。私はいつだって、テリーのためなら助けにいきますよ。……ただし、お屋敷の仕事中はご勘弁を」

「分かってる」

「さようでしたか」

「……でも、何かあったら、知恵を借りてもいい?」

「ええ。いつでもどうぞ」


 私の脳でよければ、いつだってお力になりましょう。


「とりあえず、明日はお部屋探しということで」

「……また広場に行かないといけないのね……」

「あら、お出かけはお好きでは?」

「前まではね」


(今の時期は近づきたくないのよ……)


 不満だらけの声をあげると、サリアがあたしの肩に手を置いた。


「テリー、一ヶ月だけですから」


 ――その一ヶ月で、惨劇が起きるのだ。


(なんとか回避する方法を考えないと)

(……仕事にも慣れないと)


 やることが山積みだ。あたしは甘えた目をサリアに向ける。


「サリア、本当に駄目?」

「駄目です」

「チッ!!」

「舌打ちしない」


 サリアがあたしの肩を優しく撫でた。



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