第2話 光り輝くあなたに会いたい(1)
タナトスの港の舞踏会に、美しい貴族令嬢が現れる。
黒いレースで顔を隠し、首のリボンが風になびかれる。黒のドレスを身にまとい、フクロウの仮面をつけた夜のレディ。お葬式みたい? いいじゃない。黒。かっこいいじゃない。今のあたしにはとってもお似合いだわ。腿につけるベルトに違和感を感じつつ、足を組むことも出来る。
(パーフェクト)
「まるでフランス人形のようですね」
サリアがぽつりと呟く。
「美しいです。テリー」
微笑み、馬車に乗るあたしの手を引く。
「さあ、会場へ」
あたしのヒールが、地面に下りた。
直後、夜空に花火が打ち上げられた。舞踏会会場の鐘が鳴る。人々の歓声。花火が舞うように飛んで、弾いていく。幻想的な景色の中馬車を後にして、サリアと共に会場の中に歩き出す。廊下を歩きながら、サリアに目配せする。
「サリア」
「流れは把握してますか。お嬢様」
「あの子がいればすぐに分かるわ。隠せない美しさだもの」
「私は一時的に迷子になります。捜さないでください」
「健闘を祈るわ」
「失礼します」
サリアの手が離れる。あたしは人の波に乗る。サリアは奥の廊下へと消えていく。
(さて、ミッション開始よ)
罪滅ぼし活動ミッション、メニーを見つけ出す。
(トイレに隠れてる可能性があるかも。パストリルに動かないでって言われて)
廊下を曲がり、人が談笑する横を歩き、また廊下を進み、曲がり、見つける。
(ここね)
トイレの扉を開ける。中には無数の扉が広がる。扉を開ける。また無数の扉を開ける。一通り全部開ける。
(………誰もいないわね)
鍵がかかってる扉が一つも無い。
(そもそもメニーが会場にいるかも分からない)
だが、怪盗パストリルは現れる。
(キッドと決闘するということは、メニーを餌にする可能性がある。あの子は人質だもの)
そして、昨日あたしは、メニーの後ろ姿を確かに見ている。
(メニーがタナトスにいることは間違いない。ここに現れる可能性もある)
さーて、誰に発信機をつけようかしらねえ? 黒い扇子をぱたぱた。
(キッドの兵士なんて、どうせスーツとドレスの格好で紛れ込んでいるのでしょう? いいわ。決闘が始まってからにでも誰でもいいからつけてやる)
誰もいないトイレから出る。
(ダンスホールに行こう)
変に扉を開ければ怪しまれる。それはサリアに任せよう。
(あたしは会場に行かないと)
左右を見る。
(……どっちから来たっけ)
あたしは左に進む。
(…………あれ、こっちの廊下、人がいない)
あ、ボーイが歩いてる。
(あの人について行こうかしら)
ボーイの背中を追ってみる。道をくねくね曲がる。
(……迷路みたいな会場ね)
扇子をぱたぱた。
(あら素敵な絵)
絵の前を通る。
(あのボーイ、会場に向かってるのよね? トレイ持ってるし)
あたしは何でもない顔をしてついていく。
(あれ? ホールまで結構近くだと思ったのだけど……)
赤い廊下が続くわね。
(あたし、もしかして使用人の休憩室に向かってるとか?)
足を止める。
(………来た道戻ろうかな)
トイレまでの道、どうだっけ?
(えーっと……)
人気のない廊下をまた戻る。誰もいない。
(道を間違えたのかも)
振り向けばボーイもいない。
(ああ、サリアじゃなくて、あたしが迷子だわ)
サリアに無線機で連絡しようかしら。
(にしても特徴がない廊下ね。赤い絨毯だけあって)
あ。この絵さっき見た。その先を進む。
(あら、素敵な三日月)
窓から三日月が見える。
(えっと、どこだっけ…?)
人気のない廊下を進む。耳を澄ませると、談笑する声が聞こえてきた。
(あ、こっちかも)
声を頼りに進んでいく。
(あ、向かいから人)
背の高いレディだわ。
(ということはこの道で合ってるのかしら)
高いヒールを鳴らして歩き、背の高いレディとすれ違う。
(ああ、人が賑わう声が聞こえてきた。こっちだったのね)
道を曲がろうとした左手を揺らした瞬間、――――突然、左手を掴まれた。
(ん?)
足が止まる。
(何?)
振り向けば、
その美しさに、目を奪われた。
「お嬢さん」
美しいピンク色の唇が動く。
「髪飾りがずれておりましてよ?」
それは、それは言葉に出来ないほど美しい人。
銀に近い青い髪が上品な髪飾りで綺麗にまとめられ、
肌はまるで消えてしまいそうなほど透明で、
贅沢で美しいドレスを見にまとっていて、
あたしが闇なら、彼女は光。
言葉で言うなら、たった一つのクリスタル。
クリスタルに似ている彼女が、あたしの左手を握り、微笑んでいた。
(声が出ない)
美しすぎて、息を呑む。
(このあたしが動けない)
目が離せない。
「こちらへ」
「あ、」
美しい人に、優しく手を引かれる。
「あの」
「じっとして」
歌声のような、耳がうっとりしてしまうような声に緊張して黙り込んでしまう。美しい人が手を伸ばし、あたしの髪飾りに触れた。
「っ」
咄嗟に俯いて、ぴくりと肩を揺らすが、美しい人は優しくあたしの髪飾りの位置を直す。
「…………」
俯いたまま、こくりと固唾を呑む。
(な)
心臓がどきどきしている。
(何、これ)
初めての感覚。
(何、これ)
嫉妬じゃない。憧れに近い。
(何、これ)
嫉妬じゃない。尊敬に近い。
(頭がごちゃごちゃする)
あたしは同時に感じる。
困惑当惑動揺混乱狼狽精神乱雑混沌警戒敬愛尊敬《こんわくとうわくどうようこんらんろうばいせいしんらんざつこんとんけいかいけいあいそんけい》の気持ちを。
(整理できない)
一斉に気持ちがこみあげ、体が追いつかない。
(なんか)
心臓がうるさすぎて、
(気持ち悪くなってきた…)
「はい」
位置を直した美しい人の手が髪飾りを撫でた。
「素敵なアネモネの花ですね」
「……ありがとうございます」
消え入る声で返事をすると、美しい人の手があたしの髪に触れた。
「まあ。これは地毛ですか?」
「っ」
驚いて肩をすくませると、美しい人が微笑んだ。
「素敵な髪の色ですね」
「………………」
(そうだった。美人はお世辞を言うのよ)
こんな髪の色じゃなきゃよかったのにと、改めて思う。
「ありがとうございます」
今度は少し、声が低くなる。美しい人の手が動き、あたしの髪の毛を撫でる。そして、くすっと笑った。
「まあ、素敵。こんなところに葉っぱがついていらっしゃる」
「へ」
「取ってもよろしくて?」
「あ、」
こくりと頷く。
「お願いします」
「動かないで」
美しい人がかなり近づいた。
(わっ)
腕に包まれて、抱き締められているみたい。
(……わー……)
なんか、あったかい。
(……………)
良い匂いがする。
(……………)
瞼を閉じると、本当に抱きしめられているように感じる。
(いつ葉っぱなんてついたんだろう。教えてくれるなんて親切な人だわ)
レースの中に手を入れられ、優しく頭を撫でられる。
(……………)
優しい手つきに、溶けてしまいそう。
(なんか)
なんというか、
(……すごく気持ちいい……)
優しい手に力が抜けてくる。良い匂いに酔わされてしまいそう。その手に撫でられると、まるで催眠術にでもかけられたように、意識がふわりとしてくる。
(きもちいいい…)
指が髪の毛をなぞり、背中をなぞる。
「…………ぁ」
足の力が抜けそう。
(まだ取れないの?)
もしかして、まだほんの一秒も経ってないとか?
(すごく長く抱きしめられているように感じる)
完全に意識がふわふわしている。
(気持ちよくて)
手が撫でる。
(きもちいい)
手がなぞる。
あたしの左手を伝う。
小指の指輪を、なぞられる。
「っ」
その瞬間、はっとして一歩下がる。美しい人の手と体から離れた。
「取れましたよ」
美しい人が葉っぱをひらひらとさせて、笑みを浮かべていた。
「……………」
あたしはまた一歩下がった。
「あの」
お辞儀をする。
「ありがとうございました」
「お一人ですか?」
「いいえ」
メイドがいます。
「彼女が迷子になったみたいで」
「あら、大変ですね」
美しい人が一歩近づいた。
「一緒に捜しましょうか?」
「結構です」
あたしは一歩下がる。
「しばらくしたら見つかると思いますので、ダンスホールに向かいます」
「そうですか」
「色々とありがとうございました。良い夜を」
「ええ」
美しい人が一礼した。
「貴女も、楽しいひと時を」
「…………失礼します」
一歩下がり、また一歩下がり、後ろに振り返って廊下を曲がる。トイレの札があった。
(………戻ってきた)
あたしはその先に歩き出す。談笑している人達を見かけ、横を通る。
「…………」
胸を押さえる。
(まだ鳴ってる)
頬を押さえる。
(暑い)
扇子を扇ぐ。
(頭から、あの人が離れない)
どこのご令嬢かしら。
(誰よりも美しかった)
メニーなんて話じゃないほど。
(足が震えてる)
あまりにも綺麗すぎて、いつも感じる嫉妬が追いつかない。感動すら覚えたほどだ。
「……………」
まるでクリスタルのようだった。それしか、表現方法が見つからない。
(舞踏会だもの。色んな人がいるわ)
足に力が入らない。ふらつく。
(あたし、しっかりするのよ。女に見惚れるなんて、どうかしてるわ)
あたしは扇子を扇ぐ。
(綺麗な人だった)
……一緒にダンスホールに向かえばよかった。
(……いや、駄目だわ。あたし、あの人の前だと口が渇いて、上手く喋れなかったもの)
でも、なんか、もっと話したかった。
(惜しいことしたかも…。運がよければいいお知り合いになれたかもしれないのに…)
はーあ、とため息をつく。
(ま、いいわ。どうせもう二度と会わないし)
切り替えていきましょう。あたしの友達はニクスだけ。
(メニー、いるなら出てきなさい)
そう思って、ダンスホールへと入っていった。
(*'ω'*)
美しい人は微笑む。
美しい人は微笑んだ。
美しい人が笑った。
美しい人がいやらしく、にやりと笑った。
「皆、悪いな」
美しい人のピンク色の唇が動く。
「事情が変わった」
美しい人の目つきが鋭くなった。
「作戦変更だ」
美しい人は、くくっと、笑った。
(*'ω'*)
タナトスの仮面舞踏会が始まる。
発案者の侯爵がマイクの前で参加者全員に挨拶の言葉を述べた後、会場内が拍手で包まれた。クラシック音楽が演奏され、仮面をつける参加者が手を取り合い、踊りだす。
ここまでの流れは、今まで参加したパーティーと同じだ。
(よし、捜すわよ)
あたしは扇子をぱたぱたさせながら、その裏に無線機を持ち、サリアに声をかける。
「サリア、意外と人が多いわ。そっちはどう? どうぞ」
『異常はございません。どうぞ』
「了解。捜索を続けるわよ」
無線機を切り、腿のベルトにひそかにしまう。また扇子をぱたぱたさせて、何もない顔をして歩き出す。
(キッドにばったり会ったりしないでしょうね)
もし会ってしまったらどうしようかしら。
(人違いですって言って似てる人のふりをしよう。ああ、それがいいわ。そうしよう)
仮面で顔は隠れてる。ばれない。ばれない。
(さて、どこにいるの? メニー。お姉ちゃんが迎えに来たわよ)
足を動かす。
(メニーちゃーん。出ておいでー)
鋭い目を動かして、美しいその娘を捜す。
(メニー)
どうせいるんでしょ。
(メニー)
紳士が群がっている場所はないか? ダンスホールの隅を見てみる。特に群がってる様子はない。
(…………)
(二階に行こう)
そう思って、手すりに手を伸ばして階段を上り始める。上りながら、一階の全体を眺め、足を動かす。
(怪盗が現れるかもしれないってのに、随分と人が多いわね)
逆かしら。
(怪盗見たさに集まったとか? お金持ちは変わった趣味の人が多いものね)
階段を上る。
(いれば分かるはずだわ。城下町の時だって分かったもの)
とても綺麗なメニーはよく目立つ。
(でも、残念ね)
世の中にはね、お前よりも綺麗な人がいるのよ。
(あのクリスタルのような人は、美しかったわ)
あたしが認めるほど美しかった。
(理想だわ)
あんなレディになりたかった。昔も、今も。その理想像が、目の前に現れたのだ。だからこんなにも胸が興奮したのだ。
(これが尊敬という気持ちなのね)
あのレディはすごいわね。あたしにここまで思わせるなんて。
(でも残念)
あたしはあのレディのような人にはなれない。
(あたしは不器用なまま)
あたしは醜いまま。
(どんなに理想を願ったって)
あたしの願いは叶わない。理想通りにはいかない。
(いつだってそうよ)
理想通りにはいかなかった。
あたしが馬鹿だったのよ。
「メニー」
「あんたも舞踏会に来ていいんだからね」
メニーは、振り向いた。
「え?」
あたしが立っているのを見たメニーが、辺りを見回した。
「えっと」
だが、誰もいない。皆準備で忙しいもの。メニーの目があたしを定めた。
「あの」
「国全体の女が行かなきゃいけない舞踏会なのよ」
「………」
「あんたも含まれてる」
「………」
「ああ、そうだったわね」
ごめんなさい。
「あんた、そんな暇なかったわね。うふふ!」
今晩は、あたしの部屋とアメリの部屋を掃除しないといけないんだっけ?
「ああ、忙しい子って大変ね。でも、仕方ないわよね。それがあんたの仕事なんだから」
でも安心して。あたし達、夜は遅くにならないと帰ってこないから。
「今夜は早めに眠れるわね。ひと時の夢を楽しむといいわ」
おっほっほっほっほっ!
「ねえ、メニー。今夜は、あたしの部屋に入らないでちょうだいな。こんな素敵な夜に、あんたにあたしの部屋のものを触ってほしくないのよ」
舞踏会に行きたいって思われて、ネックレスとか盗まれたら嫌だもの。
「わかった?」
あんたが入っていいのはアメリアヌの部屋だけよ。
「あー、そうそう」
あんたに頼みたいことがあるんだった。
「二階の一番奥の客室に、リサイクルを置いておいたから出しておいて」
あたし、これから舞踏会に行かなきゃいけないから。
「ああ、忙しい忙しい」
にんまりと笑って。
「うふふ! あたし、ようやくリオン様にお会い出来るんだわ!」
あたし達は恋に落ちる。
「あたしはプリンセスになるのよ」
せいぜいあんたは指を咥えて見てなさい。
「まあ」
結婚して、この屋敷から出て行くことになったら、
「あんたをあたし専用の使用人として、連れて行ってあげないこともなくってよ?」
いいこと?
「今晩あたしの部屋に入ったら、許さないからね」
メニー。
「覚えておいて」
今夜は、舞踏会よ。
「二階の、一番奥の、客室よ」
メニーは動かない。
「アメリアヌとあたしの部屋を掃除しなければいけないみたいだけど、絶対に、あたしの部屋に、入らないで」
つまり、アメリアヌの部屋だけ、掃除すればいいのよ。
「分かった?」
あたしはもう一度言う。
「二階の一番奥の客室よ」
「テリー!」
ママの声が聞こえて、あたしは振り返った。
「はーい! ママ!」
ドレスをつまんで、目を輝かせて、階段を下り始めた。その背中を、
メニーはずっと見ていた。
――――とん、と肩がぶつかった。
「っ」
(おっと)
ありもしない記憶を思い出した。
(チッ)
振り向き、口を動かす。
「すみません。失礼しました」
相手を見上げ、頭を下げ、視線を下ろし、また足を一歩進ませると、
「おっと、お待ちを。レディ」
呼び止められた。
(………………ん?)
どこかで、覚えのあるやりとりに、そっと振り向く。
振り向いた先には、高身長の、金の髪の毛が目立つ紳士が立っていた。高級そうな仮面。赤のスーツジャケットに白のパンツを着こなし、高身長が、また見惚れるほどにスーツとマッチしている。
―――キッドじゃない。
(安心した)
「何か?」
微笑んで訊けば、紳士もにこりと微笑む。
「失礼。ずいぶん可憐な方だと思って、ついお声を」
「おほほ。口がお上手ですこと。ありがとうございます」
黒い扇子を広げて口元を隠し、純情な乙女を演じる。
「思わず目を奪われてしまいました。夜空のような影のような、それでいて光のような闇に、美しい赤い髪のレディがいる。まるで闇の女神。最初、失礼なことに、この世の者とは思えぬ美しさから人形でも動いているのではと我が目を疑ってしまったほどです」
「お褒め頂き誠にありがとうございます。貴方のような素敵な方にそのように言っていただき、嬉しゅうございます」
お辞儀をすると、紳士が手を差し出してくる。
「闇のレディ、よろしければ、この私と一曲踊っていただけませんか?」
「……あたくしと、ですか?」
「いけませんか?」
思わぬお誘いに、素敵な殿方に、思わず胸を押さえる。
「嬉しいです」
誘われるのがここでなければ良かったのに。メニーを捜すのが優先だ。あたしは一歩下がった。
「しかし、残念です。あたくしには既に結婚を約束している方がおります故、貴方のような素晴らしく素敵な紳士とは踊れません」
「ならば」
金髪の紳士が微笑んだまま言った。
「私が、唄で貴女のお心を盗んでご覧になりましょう」
(まあ、素敵な口説き文句)
「なるほど。唄遊びですか」
あたしが言うと、紳士は頷いた。
「お気に召しましたら、どうか、私と一曲お手合わせを」
「いいでしょう。お願いします」
その唄を。
「あたくしの心を盗める唄を、お願いします」
微笑んで言えば、紳士が背筋を伸ばし、息を吸って――――唄った。
恋と疑うその心
恋と疑うその瞳
私の心は君のもの
君が奪う我が心
全てを君に捧げましょう
愛しい君がよそ見をし
私を見ないというのであれば
君の瞳を奪い
君の心を奪い
君の恋を奪いましょう
恋しい人よ
恋しい君よ
君の愛を
盗みましょう
君は私のものだ
しん、と沈黙が訪れる。その中で、誰かが呟いた。
「美しい…」
瞬間、わっと拍手が湧き起こる。
「なんて尊い唄なんだ!」
「恋の切なさが溢れ出ている!」
「素晴らしい!」
「ああ、胸がどきどきしてしまったわ!」
「エクセレント!」
「こんな唄を捧げてもらえるなんて!」
「美しい!」
「ブラボー!」
ぱちぱちと拍手が響く。紳士が胸を当てて、周りの人々にお辞儀をする。そして、あたしに向き合う。
「さあ、いかがでしたか? レディ」
「美しい唄でした」
扇子を閉じて、背の高い紳士に近づいた。
「小娘のあたくしでよろしければ、一曲踊っていただけませんか?」
「もちろんです。レディ」
金髪の紳士が微笑む。あたしもにこりと笑い――――頭の中で拳を握った。
(っしゃあああああああああ!! 超いい男!!)
あたしみたいな小娘に声をかけてくるなんて、趣味のおかしさも感じるけれど、
(見たところ二十歳そこそこね。悪くないわ! 高身長。イケメンだわ! 美しいわ! 最高だわ! 結構好みのタイプだわ!)
高い鼻。整った顎。男とは思えない柔らかそうな肌。
(これはあたし、運がいい!)
サリア、あたし、ちょっとだけ踊っても構わないわよね! 舞踏会に来ているお嬢様なんだもの! これはね、遊びじゃないの。あたし、演技をしているだけなの。普通に仮面舞踏会に来たお嬢様ってふりをしなきゃいけないの。
(げへへへへ! イケメンだわ! イケメンだわ!! 目の保養だわ!! おっと、涎がじゅるり!)
使用人のトレイに扇子を置く。
「失礼。持ってて」
「かしこまりました」
「行きましょう」
金髪の紳士が優しくあたしの手を引く。まあ、力加減まで紳士的だわ。好みだわ! 好みだわ! 好みだわ!!
(キッドなんかよりも、全然いい男!)
あたしの目は完全にハートになっている。だって、階段の前まで行けば、
「足元、お気を付けください」
「どうもありがとう」
(超紳士!!)
あたしの手を引き、ゆっくりと一段一段、階段を下りていく。
(キッドなんかよりも、全然いい男!)
完全に好みだわ! 好みだわ! 好みだわ!!
ぽうっと見惚れていると、紳士が気が付き、あたしに顔を向けた。
「いかがいたしました? レディ」
「な、何でもございません…」
純情な少女のふりをして、俯く。
「ただ、貴女のような素敵な方と踊れるなんて、あたくし、幸せだと思いまして…」
「見たところ、緊張しているようでしたので、緊張解しに私のような者とどうかと思いまして」
「ええ、そうなんです。あたくし、すごく緊張しちゃってたんです!」
紳士の手を握り締める。
「あの、ご年齢は…?」
「23です」
「まあ、あたくしの十も上。でも、踊りに年齢は関係ございませんわ」
「そう言っていただけて良かった。安心しました」
「あの、ご身長は…?」
「180」
「まあ、あたくしの三十も上。でも、踊りに身長は関係ございませんわ」
「くすす。何かあったら、私が貴女に合わせましょう」
「まあ、お優しい方なのね! あたくし、紳士的な方は大好きなの!」
最後の一段を下りると、足の着地に失敗する。
「ひゃっ」
「おっと」
金髪の紳士があたしを抱き止める。
「大丈夫ですか?」
紳士がきらきらと光って見える。
(なんてイケメンなの! キッドとは大違い!!)
サリア、悪いわね。メニーは後回しよ!
(あたしはこのいい男と踊るわ! なんて素敵な人なの!!)
二十も年が離れた人を好きになったサリアなら分かってくれるわよね!?
(愛に年齢は関係ない!)
あたしは金髪の紳士にお熱になってしまう。
「だ、大丈夫です…」
ちょっと高めの声を出して、可愛らしさを演じる。猫の帽子を被り、猫と猫を身に着ける。紳士にすり寄る。
「人が多いので、こうしててもいいですか?」
「ええ。構いませんよ」
肩に紳士の手が置かれた。
(ひゃああああ! おててあったかいぃぃいいい!!)
あたしは頭の中ではしゃいで飛び跳ねる。
(まさに、理想の相手! あたしの王子様だわ!)
それに、なんて美しい金髪なの! なんて綺麗な金の瞳なの!
目をキラキラさせて紳士を見上げながらダンスをする位置へ歩いていく。
「ところでレディ」
紳士が身を屈ませ、あたしの耳元で囁く。
「ひゃいっ!」
変な声が出るが、気にしない。あたしの世界は、この素敵な紳士で全てになる。
「お名前をお伺いしても?」
「ああ、いけませんわ。仮面舞踏会では名前を伝えるのは禁止されております。なのに、あたくしの名前を知りたいだなんて! でも、そうですね。どうしてもと仰るのなら、踊り終わった後にでも、その、お耳をお貸しいただければ…!」
「ええ。ぜひ教えてください」
紳士の大きくて細い手が、あたしの髪の毛を撫でた。
「可憐な貴女の名前が気になるのです。きっと、素晴らしく美しいお名前なんでしょうね」
「まあ、口がお上手ですこと…」
あたしはぽっと頬を赤らめる。
「では、踊り終わった後にでも……」
(連絡先交換しましょう! 電話番号教えてくださいな! いつでも会いに行くわ! この人となら、あたし、結婚出来る気がする! デートしましょう! 仲良くなりましょう! 結婚して子供を産むの! お仕事は何をされている方なの? あたしは社長になるの! 婿養子に来てもらうけれど、貴族の婿養子ならどんな人だって断らないわよね! 子供の名前はもう決まってるの! 男の子と女の子! 坊やとベイビー! 素敵でしょう!? 素敵でしょう!? 貴方もとっても素敵よ!!)
こんなイケメンな大人な紳士、見たことない!!
(あら、いけない。涎が。じゅるり)
涎を拭きつつ人の波に乗って歩いていけば、タイミングよく曲の演奏が終わる。紳士に手を引かれる。
「さあ、行きましょう」
「はいっ!」
語尾にハートをつけて、目をハートに変えて、素敵な紳士の手を握って、向かい合う。紳士が手を伸ばし、あたしの腰を掴み、あたしは紳士の腕に掴まる。
「……身長、なくてごめんなさい……」
「いいえ。小さくて可愛いです」
「そ、そんな…もう…」
(こんなイケメンに会えて、あたし超運がいい女!! タナトスでこんな、運命の出会いをするなんて!!)
紳士と手を合わせ、指を絡めさせる。腕を楽に曲げると、紳士の胸に頭が置かれる。
(あら、結構筋肉質な人なのかしら。胸がちょっと大きいのね。柔らかい)
まるで抱きしめあうように体をくっつけて、演奏が始まったと共に、ゆったりと、足がリズムを刻んだ。




