第10話 完璧なるミッション
日が暮れた頃、皿に乗ったろうそくが一本、溶けていく。
ドーロシーちゃーん。はーなしーましょー。
歌うと、暗闇のベッドの下からぬるりと手が伸びた。くしゅん! とくしゃみと共に、ドロシーがのろのろと這いずり出てくる。
「はあ! くそ! 呪文を間違えた! なんでこんなにもaとeの発音って難しいんだい! 誰だ! こんな呪文考えた奴! くしゅん! ああ、駄目だ! くしゅん! こんな所、ハウスダストアレルギーには、たまったもんじゃない! くしゅん! ああ、まったく。くしゅん! 涙が止まらない。くしゅん! なんてこった。鼻のかみすぎで鼻が真っ赤っか! クリスマスは当分先だってのに、酷いものだ! くしゅん! 僕はトナカイかい? 違うね。僕は崇高なる魔法使いさ。くしゅん! ああ、皮が剥けたよ! 玉ねぎ鼻になっちゃうよ! くしゅん! ふう。テリー、ハンカチをおくれ。ああ、もう駄目。蕁麻疹が出てきた。全部ハウスダストが悪いんだ。はっくしゅん! はっくしゅん! ぶえっくしょい! 畜生! ぶびっ。ずずっ! …君、ベッドの下に何入れてるの! くしゅん!」
鼻をかみながらドロシーがあたしに靴下を差し出した。
「あ、それ、失くしたと思ってたのよ。ありがとう」
「君の部屋、毎日掃除してるんじゃないの? 言っておいて。ベッドの下こそくまなく掃除しておけって」
「あたし引きこもってたもの」
優雅に紅茶を飲んで、一息つく。
「あたしね、足を捻挫して動けないの。病弱なあたしが寝てるのに、部屋を掃除しにくる方がどうかしてるわ。使用人達はね、気を遣ってくれてるのよ。ああ、あたしは幸せ者だわ。足が動けたらもっと幸せなのに」
ドロシーが懐から星のついた杖を取り出した。
「鼠よ鼠よ、共に行こう、笛吹男とリズムに合わせて、るんるん、らんらん、奏でよ笛よ、主は我ぞと、男よ歌え」
とんとん、とあたしの足を叩く。痛みが引いていく。
「ありがとう」
シーツを覗けば、捻った足は何ともない。ドロシーに顔を向ける。
「紅茶でもいかが?」
「いいね。心を落ち着かせるには一番だ」
ドロシーがどこからかティーカップを取り出し、ポットから紅茶を注いだ。ドロシーがベッドに腰をかける。
「さて、テリー、気持ちの整理がついたようだね」
「実に有意義な時間だったわ」
「その上で情報を共有しよう」
「ええ」
「一度目の世界で起きたことと」
「二度目の世界で起きたことと」
「何が違って」
「合ってるか」
「思い違いもあるし」
「勘違いもあるかも」
「合わせるんだ」
「照らし合わせね」
「僕は一度目を知ってる」
「あたしは一度目を知ってる」
さあ、質問タイムだ。
あたしとドロシーが顔を上げ、向かい合わせになる。ドロシーが深く被ったとんがり帽子に触り、くい、と上に上げた。
「テリー、確認したい。まず最初に、『仮面舞踏会は行われた』」
「ええ。仮面舞踏会は確かに行われたわ」
「違うのは、メニーがいること」
「ええ。本来メニーはいなかった」
「怪盗パストリル」
「彼は現れなかった」
「王子様」
あたしは舌打ちした。
「現れなかった」
「当然だ。キッドは死んでいたから」
「キッドの存在は公表されてなかった。多分、いなかったことにされたのよ」
「本来の第一王子はキッド、第二王子はリオン。が、キッドが亡くなって、リオンはそのまま第一王子となった」
「おかしな話ね。小さい頃からリオン様はずっと第一王子だと言われてきたのに」
「キッドはなんで名乗らなかったんだろうね?」
「18歳になるまで自由に楽しくつまんない平民生活を送ってから、公表しようとしていたんじゃない? 来年辺り、素朴な会場で発表したかったって、あいつ口走ってたもの」
ちらっと、ドロシーを横目で見る。
「知ってた?」
「察しはついてた」
「そうよね。あんた、キッドに興味があったものね」
「君はリオンに興味があった」
「チッ」
また舌打ちして、親指の爪を咥える。
「過去の話よ」
「似てると思ってたんだ。面影があるから。だから前に訊いたじゃないか」
―――いいわよ、あいつのことは。あたし、別に興味ない。
―――…興味ない? それ、『本当』?
「知れば知るほど似てたから」
―――キッドってさ、兄弟いる?
―――ああ、弟がいるとかいないとか言ってたわね。
―――弟。……そっか。
「魔法使いのくせにあんたって鈍感よね。もっと早くに分からなかったの?」
「そう思うだろ? でもね、テリー、ここがキッドの凄いところだ。魔法使い相手にも、人間相手にも、キッドは自分の正体を隠したんだ。僕が水晶を見なかったと思うかい? キッドを観察する時に限って、あの子はそれが分かってるように行動する。いい。テリー。僕はね、本当に分からなかったんだ。あの子が王子だと名乗るまで、リオンの兄弟であることを、予想しか出来なかったわけだ」
「そう。じゃあ仮面舞踏会でのことを見てたのね」
「まあ、メニーの観察くらいはね」
「…………」
あたしは親指の爪を歯から離した。
「ドロシー」
「うん」
「素敵な舞踏会だったわ」
「君、とても具合悪そうだったね」
「嫌な記憶が沢山ある場所に行ったの。ねえ、ドロシーなら笑顔になれる? 自分が沢山嫌な目に遭って、沢山見せ物にされて、罰を与えられて、もう二度と足を踏みたくないと思っている所へ、何も無かった顔で、にっこり笑って、シャル、ウィ、ダンス? だなんて言える?」
「どうかな。僕は嫌な場所も好きな場所に変えてしまうから」
「あら、魔法使いさんは便利ね。そんなことも出来るの」
「まあね」
「羨ましいわ。あたしは具合悪くてふらふらだった。あそこを好きな場所に変えることが出来ないから」
でもね、
「遠くからでも、メニーを見ることは出来た」
あたしとドロシーが同じタイミングで紅茶を飲んだ。
「綺麗だった」
「ああ」
「美しかった」
「ああ」
「目を奪われた」
「ああ」
「視線を逸らせなかった。美しすぎて」
その美しさがむかつく。あたしはもっと苦しくなった。
「あたしのことは見てた?」
「いや、君のことは見てない。テリーなら吐いてでもどうにかすると思ってたし」
「そう」
「大丈夫だった?」
「あんたに酔い止めの薬でも作ってもらうんだったわ。終始ふらふらだった」
「次回までの反省点にしておこう。忘れてたら声をかけて。いいのを作ってあげるよ」
ドロシーが星のついた杖で宙に文字を綴る。
『テリーに酔い止めの薬』。
文字がゆっくりと溶けていく。
「さて、話を戻そう。えっと、どこからだっけ?」
「舞踏会が開催された。キッドが王子だと名乗った」
「間が抜けてるね」
「怪盗パストリル」
「現れないはずの怪盗が現れた」
「おかしな話よ。一度目の世界では現れなかったのに」
「巷で有名な怪盗だ。迷惑行為で世間を騒がせている」
「99件目よ。次回で100件」
「すごい。99個も宝を盗んでるのか」
「彼はすごく有名な怪盗よ。ドロシーだって知ってるでしょ?」
「話程度にはね」
「話程度って?」
「なんか宝石盗むんだろ? 泥棒なんだろ?」
「宝石だけじゃないわ。彼は」
乙女の心を盗むのよ。
「は?」
ドロシーが顔を引き攣らせた。
「君、何言ってるの?」
「ドロシー、知らないの? 怪盗パストリルは宝石と心を盗むの。彼の瞳を見てしまうと、乙女は皆、魅入られてしまうらしいわ」
「馬鹿な。そんなことあり得ない」
「でも、99人魅入られた。メニーも含めて」
「………そんなこと、出来るはずがない」
ドロシーが眉をひそめて、星を口に当てた。
「魔法使いでもない限り、99人の人に目を見せただけで魅了するだなんてあり得ない。何か裏があるはずだ」
「裏ね」
「テリー、その怪盗、何か持ってなかった? 小道具とか」
「そうね。持ってると言えば、…彼、いつも笛を持ち歩いてる」
「笛?」
「ええ。その笛を鳴らすと、不思議なことが起きるらしいわ」
「不思議なことって?」
「強い風が吹いたり、パストリルが瞬間移動していたり、ほら、よく小説とかにあるでしょ。怪盗は色んな仕掛けで色んなマジックをする。その合図のようなものよ」
「マジシャンでもないのに、強い風や瞬間移動ね…」
「怪盗パストリルの特徴の一つよ。盗みを働く時、彼は絶対に笛を吹くの」
「ふーん……」
ドロシーが考える。
「笛ね……」
ドロシーがふいに、星のステッキを横向きに持つ。
「それって、こういう笛?」
「ええ。それ」
「なるほど」
ドロシーが杖を下ろした。
「間違いないな。魔法の笛だ」
「ドロシー、何でもかんでも魔法のせいはよくなくってよ。忘れてない? 隠れてるお前達と違って、この世界は人間のものなのよ」
「魔法の鏡と同じようなものさ。吹いたら自分の思ったことが実現する。鳥よ歌えと吹けば鳥が歌い出す。人よ楽しめと吹けば人が楽しむ」
「そんな笛が存在するの?」
「存在するから使ってるんだろうね」
「怪盗パストリルが、そんなものをどうやって手に入れたって言うの?」
「…………もしかしたら」
ドロシーがぽつりと言った。
「呪いの飴の魔法使いが、関わってるのかもしれない」
「それはつまり」
ぽつりと、水滴が窓についた。
「中毒者って、こと?」
「まだ分からない。だけど…」
ドロシーが紅茶を飲み干した。
「可能性としては、あり得ない話じゃない」
「それを前提で話をするわ。だったら一度目の世界で仮面舞踏会に現れなかったのはなぜ?」
「そこは歴史が変わったとしか言いようがないね。ターゲットが変わったんだ。ちなみに訊こう。一度の世界では、99件目の事件はどこで起こってた?」
「ふん。パストリル様の盗み撮り写真集を買ったあたしからしたら、簡単な問題ね。南区域の博物館よ。世界で一番価値のある模型を盗みやがったのよ」
「パストリル様の盗みど……」
言いかけたドロシーが眉をひそめた。
「……何それ」
「怪盗パストリルはね、100件の事件を起こして、そこから一切現れなくなるの。その後、唯一怪盗パストリルの美しい姿を追った売れないカメラマンが作った本が販売されるのよ」
その名も、怪盗パストリルよ永遠に。盗み撮りした写真集。~この本で君はパストリルの全てが分かる~。
「買ったわよ」
100冊も。
「もう、あたし、ぼろぼろになるまで読んだのよ」
怪盗パストリルがあまりにも美しすぎて。
「ああ、駄目。こんなの駄目。あたしの心が浮ついてるって思った。でもね」
苦しい時にその本を開けばあら不思議。とても美しいミステリアスな大人の怪盗パストリルの笑顔が見られる。
「分かるわー。魅入られるの分かるわー」
枕をいじいじ。
「かっこいいもん。分かるわー」
枕を抱いて、見つめる。
「はあ…。なんでメニーなのかしら…。あたしだったら喜んでついて行ったのに…」
結局メニーが美しいから選んだのよね。結局そこよね。男は皆、女を見た目で判断するのよ。
「ああ、胸糞悪い気分。ドロシー、紅茶のおかわりを」
「怪盗の写真集なんて読んでたの? 犯罪者だぞ。気持ち悪い」
「ねえ、これがはげたおっさんの写真だったら、あたしだって気持ち悪いと思うわよ。でもね、パストリル様は違うの」
「見た目は良ければいいわけ?」
「馬鹿ね。見た目じゃないの。パストリル様はね、違うのよ。美しいのよ」
「分かった。もう結構だ。君とこの話をするのは事件が終わってからの方がよさそうだ。だが今回は運がいいことに、君はパストリル様に結構お熱が高いようだ。情報が集めやすいこの環境下でさらに追加で訊こう。怪盗パストリルが起こした最後の事件はどこで行われた?」
「城下町だと思ってた警察を欺いたのよ。彼ったら素敵。うんと遠くの町の美術館で、これまたすごい宝を盗んだの。警察もひやひや」
「で」
「これきり、パストリル様は現れなかった」
「なるほど。そこで怪盗の人生は終わったわけだ」
「ええ。お金持ちになって引退でもしたんでしょうね。整形して、名前も変えて、大富豪として楽しく暮らすようになったんじゃないかって言われてるの。手掛かりもない。警察もしぶしぶ諦めたわ」
「残ったのはその写真集だけってことか」
「ええ。でも、この世界ではどうかしらね」
窓にはどんどん水滴がついていく。空は雲で覆われる。
「キッドが対応してるわ。あいつ、怪盗パストリルを捕まえて、あたしから、よく頑張ったでちゅねって言ってほしいんですって」
「君は随分とキッドに懐かれてるみたいだね」
「俺の希望って言われてるもの」
「ボディーガードだっけ? いい関係じゃないか。あんな強い子から守ってもらえるなんて最高の立ち位置だ」
「そう思う?」
あたしはおかわりした紅茶を飲む。
「キッドがいればメニーも大丈夫そうだな」
「そう思う?」
「メニーの気配が消えた時、僕、追いかけたんだ」
「追いかけた?」
「そうだよ。一体何があったんだと思ってね」
町から町へ、メニーの気配が移動するじゃないか。
「異常なことが起きてると思ってね」
その気配を追った。気配は消えて、現れ、消えて、現れ、
「そうか。あれが怪盗パストリルだったか」
メニーを担いだ影がいたんだ。月に向かって華麗に移動していて、
「脳なしかと思って、顔を覗き込んでやったんだ」
箒を飛ばして、上から覗き込んで、空飛ぶ異常な人物に目を合わせたら、
「くすす」
目が合った。
「失礼。お会い出来たのは嬉しいことですが、急いでいるもので」
にこりと笑って、外に飛び出してしまった。
「悪いけど、僕が追えるのはそこまでだった」
テリー、
「魔法使いにはルールがある。僕はね、城下町から出られないんだ」
「出られない?」
「うん」
ドロシーが目を瞑る。
「出られないんだ」
ドロシーが少し黙った。
「だから、城下町の外に逃げられたら、僕の出来ることは何もない」
ドロシーが目を開けた。
「ここは大人しくキッドに任せるべきだと思うよ。僕と目が合ったってことは、パストリルには魔力があるのかもしれない」
「パストリルは魔法使い?」
「否。パストリルは魔法使いではない。あれは人間だ」
「パストリルは中毒者?」
「否定はしない。人間で魔力があるということは、その可能性が高い」
「キッドはまた中毒者を相手にしてるわけね」
「メニーは中毒者に連れて行かれた。その前提で話を進めるならば、彼女は非常に危険な位置にいる」
「生きてるの?」
「ああ。無事だよ」
ただし、
「君の言うとおり、メニーは魅入られてる。目がおかしい」
「魔法使いに連絡して、助けてもらえば?」
「誰も助けないさ」
「どうして?」
ドロシーが一瞬黙りこくり、ゆっくりと口を開いた。
「これは人間の事件だから」
「魔法使いって、時に非情よね」
「その言葉、人間の君にそっくり返そう」
「しょうがないから行ってきてあげる」
「行くってどこに?」
「タナトス」
ドロシーが一瞬きょとんとして、あたしを拍手した。
「ご名答。どうして分かったの?」
「サリアが教えてくれた」
「あのメイドさん、そんなことまで分かっちゃうの? 何? 彼女は占い師? 脳がきちんと備わってる。素晴らしい」
「あたし、メニーを迎えに行かなきゃ」
あたしは空になったティーカップをソーサーに乗せ、棚の上に置いた。
「二週間後に発つわ。タナトスでカーニバルが開催されるの。最終日には仮面舞踏会が行われる」
「なるほど。そこに怪盗が現れる?」
「サリアが言うには、そうだと思うけど」
「ねえ、テリー」
ドロシーがあたしを見つめる。
「君が死刑回避のために動いているのはよく分かるよ。でもね、今回はちょっと、イレギュラーだ」
何と言えばいいかな。
「別に、今回メニーは君のせいでさらわれたわけでもない」
今回の件は、犯罪者が絡んでる。君は何も悪くない。
「そういうわけだ。ねえ、テリー。無理は良くない。今回は素直にキッドに任せたらどうだい? ハートの大きなあの吸血鬼もいるんだろ? だったら平気だと思うんだ。もしかしたら、無能な君がいた方が迷惑になる可能性だってある」
僕らに出来ることは、人質から解放されたメニーを笑顔で迎えることだ。
「その後のフォローをミッションにしたらどうかな?」
「分かってないわね。ドロシー」
あたしはふっと笑った。
「このあたしが、メニーのために動くと思った?」
「………ん?」
ドロシーが顔をしかめた。
「どういうこと?」
あたしは、くすっと、笑った。
「ふふ」
あたしは笑う。
くすくす笑う。
くすくすくすくすくすくすくす笑う。
くすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすくすと笑った。
「……………テリー?」
そっと、ドロシーがあたしに体を向ける。
「……どうしたの?」
「ドロシー、動くのなら、効率的に動かないと」
ねえ、ドロシー。
「キッドがあたしにしたことを教えてあげてもよくってよ」
「え?」
「あいつはあたしを口説いた」
「え?」
「口説きまくった」
「え?」
「弱ってる時に口説かれたら、女はどうなると思う?」
「え?」
「そうよ。弱いところを付け込まれたら、女ってころっといくのよ」
「え?」
「キッドはハンサムだわ。顔だけじゃないわ。体も心も行動もイケメン。正に現れた憧れの王子様そのまんまだわ。本当、素敵。女の子が簡単に彼に心を奪われてしまうのは納得のいくことよ」
「……つまり?」
「つまり」
あたしはキッドと一緒にいて、
「キッドに心を奪われた」
つまり、
「あたし、キッドに恋をしたのよ」
「っ」
ドロシーが目を丸くする。ベッドから腰を持ち上げ、その場で立ち、クラッカーを鳴らした。
「おめでとう! テリー!!」
ドロシーが今年最高の笑顔を浮かべた。
「過去のトラウマを、断ち切ったんだね!?」
君は王子様のリオンにお熱だった。だが、リオンとメニーが結ばれた。君は恋愛というものにトラウマを持ってしまった。またそこで苦しんだ。メニーをより憎んだ。
「だけど、その過去を断ち切り、一歩前に進んだ!」
キッドに恋をした!
「素晴らしい!」
ドロシーがくるくる回った。
「恋は人間を変える! キッド! キッドに恋! ああ、なんて素晴らしいことだ! いいじゃないか! リオンの兄なんだろ? 似てる人に恋をするなんてのはよくあることだ。でもね、テリー、悪いことじゃない! それに、キッドは君を口説くほどの仲だ。年もそんなに離れてない。そして、第一王子である。ああ、素晴らしい相手じゃないか! 君が求めていた、まさにパーフェクトな相手! 王子様だ!」
「一瞬で終わったけどね」
あたしの一言に、ドロシーの動きがぴたりと止まった。
「…………テリー?」
「キッド」
ドロシーの表情が険しくなる。
「テリー?」
「キッド」
ドロシーの表情が曇っていく。
「テリーちゃーん?」
「キッド」
ドロシーの顔がみるみる青ざめていく。
「テリーちゅわーん?」
「キ」
あたしは満面の笑みで笑っている。
キッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッドキッド。
素敵な笑顔の、第一王子、キッド。
あたしは頭を抱えて、叫んだ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
ドロシーがびくっと一歩下がった。
「許さない」
あたしはシーツから藁人形を取り出した。
「許さない」
キッドと名前を書いた。
「許さない」
メニーと名前を書いた。
「許さない」
ベッドから抜けて、工具箱から釘を取り出した。
「許さない」
メニーの部屋の方向に立ち、壁に藁人形を当てた。
「許さない」
釘を藁人形を当てた。
「許さない」
槌を手に持った。
「許さない」
狂ったように、釘を打ち付けた。
「許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!! 許さない!!」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
大きな雷が外で鳴り響く。
「許してなるものかああああああああああああああああああ!!!!!!!」
「テリーーーーーーーー!!!」
雷で窓が光ると、ドロシーが悲鳴をあげ、恨みに体を震わせるあたしの肩を押さえた。
「やめるんだ! テリー! 今すぐにキッドとメニーを呪うのをやめるんだ!!」
「ドロシー止めないで! あいつら呪えない!」
「人を呪わば穴二つーーーー!!」
「あたしはね!!」
ぎろっと、ドロシーを睨んだ。
「あたしはね、好きになったのよ」
「本気で、好きになったのよ。キッドを」
「キッドに本気で恋をしたのよ!!」
「キッドの目を見て、胸がときめいた!!」
「キッドと目が合えば、心臓が止まるかと思った!!」
「ドキドキして、わくわくして、一瞬でキッドとの将来を考えた!!」
「ずっとキッドと一緒にいれたら幸せだろうなって心の底から思った!!」
「一気にビジョンが浮かんだの!!」
「あたしは会社の社長でキッドは主夫。子供は二人。男の子と女の子。名前は坊やとベイビー! 家に帰ればキッドがお夕飯を作って家族団らんの幸せ生活! キッドと一緒に年を取ってキッドと一緒にしわしわのおじいちゃんとおばあちゃんになってキッドをからかいながらからかわれながら笑いながら生きていけたらこれ以上幸せなことは無いだろうなと思った!! このあたしが、そんな生活を送れたら幸せだろうなって思ったのよ!!!」
あ い つ が 王 子 と 名 乗 ら な け れ ば ね !!
「きええええええええええええい!!!!」
また強く槌で釘を打った。
「あたしは王族を許さない」
「あたしたちを捕まえて、死ぬまで牢屋に入れて、見せ物にした挙句、死刑にして、笑いものにした、あいつらを許さない」
「キッドはその仲間よ」
「あら、ドロシー、もしかしたらキッドだけは違うかもしれないなんて、そんなこと思ってないでしょうね」
「あいつがあたしにしたこと、あたしは忘れないわ」
あいつはあたしを閉じ込めようとしたのよ。
「な、何?」
ドロシーが必死にあたしを押さえる。
「閉じ込める? 何言ってるの?」
「キッドはあたしに懐いてる。でもね、それはあたしがあいつの玩具だからよ」
あいつは帰りたいと泣きわめくあたしの手を強く掴んで、誘拐犯の如く、城に閉じ込めようとしたの。
「あたし何度も帰りたいと言ったわ。混乱して動揺してもう城にいたくなかったの」
「でもあいつは、帰らせてくれなかった」
「おまけにキッドが大好きなんて胡散臭い台詞を吐けば家に帰してあげると言ったから、あたしは言ってあげたのよ。今すぐにでも家に帰りたかったから我慢してキッドのことを大好きって言ったら」
「あいつ何したと思う?」
「帰すのは明日ねって」
「帰すと言ったけど、今すぐ帰すなんて言ってないって」
「はーーーーーあ?」
「何ですか? あいつは頭おかしいの? 頭悪いんですか? それともあたしが馬鹿なんですか?」
「そうよ。あたしが馬鹿だったのよ。ムードに釣られて一瞬でもキッドを良いお人だわだなんて思ったあたしが馬鹿だったのでした。馬鹿くそ臭い考えに至ってしまったのよ」
「あたしは大馬鹿よ。この上ない脳なしの大馬鹿よ」
「そしてキッドはずるくて最低なデマカセ百発の狐野郎よ」
「ドロシー、ドロシー、ドロシー、あたしは女よ。狐野郎に最低なことをされて狸寝入りすると思う?」
「馬鹿が!」
「するわけないでしょう!?」
「あたしはキッドに復讐するのよ!!」
「メニーをあえて助けることによって、キッドに華麗な復讐をしてやるのよ!!」
ドロシーが唖然とする。あたしは高らかに笑う。
「ねえ、ドロシー、聞いてちょうだいな。作戦としてはこうよ」
「キッドがパストリルを捕まえる。その隙にあたしはメニーを助ける」
「メニーの前に現れたのが、王族諸君ではなく、あたしだったら、メニーはどう思うかしら?」
「頼れるお姉ちゃん、かっこいい、憧れる、大好き。こんな人を死刑にするなんておかしいわ」
「どう?」
「これがうまくいけば、死刑の絶対回避も可能になる」
「メニーを、このあたしが助けることで、キッドの死んでも手に入れたい手柄は人質解放ではなく、城下町で暴れた怪盗一人を捕まえただけの手柄となる」
「そう。つまり、人質は、何の関係もない、一般貴族のあたしが、このテリー・ベックスが、人質の姉君が、大切な妹を助けるために、命を顧みず助け出してみせるのよ」
「そしたらどうなるー?」
「あたしは世界の人気者ー」
「手柄は、全て、あたしのものー」
「王子ではなくて、あたしのものー」
ドロシーは黙っている。あたしの目は、復讐に燃えている。
「ようやくこの時が来たわ。今まで散々からかわれた日々。絶対目にもの見せてやろうと思った日々。ようやくこの恨みを晴らせるタイミング。王子として手柄を取りたいキッドの手柄を、あたしが取る。そうすればあたしは妹を助けた英雄よ。そうすればあたしはメニーの恩人よ。そうすればあたしは絶対に死刑にならない。そうすれば、ボディーガードなんていらない。キッドなんかいなくたって、あたしはもう絶対に死刑にならない。だって、信頼は1000%だもの」
短い髪を払った。
「そもそもキッドに関わっているから、こんなことに巻き込まれるのよ」
「呪い?」
「中毒者?」
「魔法のほにゃらら?」
「はーーーーーーーーーーあ?」
「何それ!」
「ちゃんちゃらおかしいわ!」
「あたしは平和に尊い時間を幸せに暮らしたいだけなのよ!」
「これで第一王子のキッド様と関わりを絶つ!」
「これでメニーからは死刑絶対回避!」
パーフェクト!!
「あたしこそ、最高最強絶対的英雄の貴族令嬢! テリー・ベックス!!」
にやけが止まらない。
「これで、あたしは解放される!!」
この罪滅ぼし活動から!
「ぬぁーにが愛し愛するよ!!」
「ぬぁーにがさすれば君は救われるよ!!」
「救われるのは! このあたし!!」
「媚を売りまくって救われるのよ!!」
「これで平和よ!! 安泰よ!!」
「これがうまく成功すれば!!」
「キッドから解放されて」
「メニーからの信頼も厚くなって」
「あたしは自由よーーーーーー!!!!!」
くっくっくっくっくっく!
「おーーーーーーーーほっほっほっほっほっほっほっ!!!!!!」
ドロシーが青い顔で、冷や汗を流して、そっとあたしから手を離し、口元を押さえ、体を震わせた。
「あのね、テリー…。…僕ね…、つくづく思うんだ。君さ…」
ドロシーが叫んだ。
「本当に性格ひねくれてるよね!!!」
「結構!!!」
あたしはくるりと回って、黒い笑みを浮かべたまま、ドロシーに振り向いた。
「いいじゃない! 親友のメニーが戻ってくるんだから!」
「メニーがタナトスの舞踏会に現れる可能性だってないんだよ!?」
「だったらアジトを探せばいいわ!」
「分かった! テリー! 冷静になろう! いいよ! 僕が付き合おうじゃないか。分かった分かった! 何が欲しい? お酒かい? つまみかい? よし、一晩だけだよ! ベッドのお供に一台ドロシーちゃんさ。いいよ。抱き枕にならなってあげよう。ほらおいで! テリーちゃん! 良い子だからおいで! よしよしよしよしよしよし! ほらほらほらほら! あんよが上手! あんよが上手!」
「うるっさいわね!! 触らないで! 緑の魔法使いが!」
「テリー! 一旦落ち着こう! 何も怖くないから!」
「今のあたしは復讐に燃える女よ! 怖いものなんざなくってよ! ギロチンなんて蹴っ飛ばしてやるわ! あたしは死刑さえ何とかなれば、メニーが乱暴されようが何だろうがなんだっていいのよ!!」
「このっ…! テリー!! 僕の親友になんてことを!!」
「分かったらさっさとアジトをお調べ! あたしが迎えに行ってあげるわ!」
「残念だったね! メニーの姿は見えるけど、アジトまでは分からない! 魔力で覆われている! つまり! 怪盗パストリルが自分達の居場所を、人間からも魔法使いからも隠してるってわけさ!!」
「役立たずの魔法使いが!」
ふん! とそっぽを向くと、ドロシーが長いため息を吐いた。そして、哀れだと言いたげな目で、あたしを見つめてきた。
「ねえ、テリー。裏切られて傷つく気持ちはよく分かるよ。君は本当に傷ついた。だから怒ってる」
「そうよ。復讐が楽しみすぎて仕方ないわ」
「抱きしめてあげるからこっちおいで」
「……………」
ドロシーが腕を広げる。
「さあ」
「……ふん」
あたしはドロシーに抱き着く。ドロシーがあたしを優しく抱きしめた。体が暖かくなる。ドロシーがあたしの背中を撫で、囁く。
「キッドに酷いことをされたんだね」
「ええ。王族なんてろくなものじゃないわ」
「とても傷ついた」
「ええ。傷ついた。あたしは繊細なのよ」
「君は恨みを生きる糧にする」
「女は皆そうよ。あんたも分かるでしょ」
「僕は希望を生きる糧にする。恨みや憎しみなんて、悲しいだけだ」
「偽善ね」
「偽善だったら何か悪い? たとえ偽善だろうが、恨みや憎しみを抱くよりも、希望の方がずっと気が楽だ」
「お前は悲しい奴ね。実に哀れだわ」
「君は悲しい奴だね。実に哀れだ」
あたしとドロシーが抱きしめ合う。
「君は、もうキッドを信用できない。だから、キッドと関わるのをやめたい」
「ええ」
「でもね、一つ言っておこう。キッドは君の希望である可能性が高いことを忘れてはいけない」
「あたしの希望はニクスだけよ」
ニクスだけが、あたしの救い。
「キッドなんていらない」
あたしにはニクスだけがいてくれたらいい。
「ドロシー、もしもパストリル様が中毒者なら、あたしは太刀打ち出来ないわ」
たとえ、あたしが世界が一巡した時の膨大な魔法に影響されて、魔法がかかりにくい体になってしまったとは言え、
「包丁にでも刺されたら、一瞬で死んじゃう。ね。言いたいこと分かる?」
「今回の君にはあまり手助けしたくないが…」
ドロシーがそっと、あたしから手を離す。
「いいだろう。メニーを助けるためだと自分に言い聞かせよう」
銀色のパンプスを履いた右足で、銀色のパンプスを履いた左足をとんとんと叩いた。そして、星のついた杖をあたしに振る。
「とある日鼠が現れた、わんさかわんさか現れた、笛を鳴らそう、鼠よ踊れ、笛吹き男よ、現れろ、鼠をどこかへ連れて行け」
粉のような光があたしを囲み、消えていく。あたしは周りを見回す。
「……何?」
「手を見てごらん」
あたしの左手の甲に、うっすらと、小さいハート模様のほくろが浮かんでいる。
「これは?」
「最強の魔法が使える印さ」
ドロシーが微笑む。
「これが浮かんでいる間は、君は最強の魔法が使える。何でもできるよ。訳の分からない魅了を解くことも、呪いを避けることも出来る。そして、…人の命を助けることも出来る」
ただしね、ちゃんと使う所を考えるんだ。
「この魔法は一回きり」
一回しか使えない。
「そして、この魔法を発動させる条件は君が見つけ出すんだ」
発動させる方法を教えることは出来ない。
「僕が教えたら、効果がなくなってしまうからね」
あたしは顔をしかめた。
「え? じゃあ、このままじゃ使えないの?」
「魔法を発動させる条件さえ分かれば、それを行うことによって、初めてこの魔法は発揮される」
「呪文を言うみたいに?」
「そうそう」
「じゃあ、使えないじゃない」
「見つけ出すんだ」
「無理よ」
「僕だって教えてあげたいよ」
でも、
「これは、『最強の魔法』だ、というヒントだけは出しておくよ」
最強の魔法の発動の仕方は、一つだけだ。
「答えを導き出して、この魔法を発動させることが出来る君がいることを、心から願っているよ」
『愛』があれば、必ず分かる方法さ。
「そうと決まれば」
さあ、君の未来のために、
「今回のミッションは決まっているね?」
あたしはにやりと笑った。
「『誘拐されたメニーを、あたしが助け出す』」
完璧に。パーフェクトに。エレガントに。
続けて、ドロシーが声を出す。
「さあ、テリー、復唱を!」
あたしは復唱する。
「愛し、愛する! さすれば君は救われる!!」
「ブラボー!!」
ドロシーがあたしに拍手をする。
「さあ、愛を取り戻す罪滅ぼし活動のスタートだ!」
健闘を祈るよ!! テリー!!
「あたしにかかれば、この程度のミッション、お茶の子さいさいよ!」
「死刑絶対回避…」
「死刑回避……」
「くっくっくっくっくっ……」
「おーーーほっほっほっほっほっほっ!!!」
復讐に燃えるあたしは、雷と共に、高らかに笑い出した。
「…………まるでライオンだな」
あたしが高笑いをする後ろで、ドロシーが小さく呟いた。




