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第28話 縛界・百花壁

「妖術、縛界・百花壁!」


 晶は蒔絵を抱えながら、ふたりの姿を目で追った。


 ランはモカの手を引いて宙へ飛んだ。モカの穿った楔が青白く光ると、半球体の結界が晶たちの頭上を覆っていく。


「おお、これは……」


 晶は空を見上げる。半透明の膜が、空の色を濁らせていた。

 

 身体が重くなる。強烈な重力に押さえつけられるような感覚だった。術の展開速度も異常なほどに速い。豊富な妖力、そして緻密な術式を組まなければ、これほどの縛界を即座に展開することは不可能だ。


「銘入りの縛界? 爺ちゃん、これって……」


 見れば、三太は膝をつき、息も絶え絶え、見えない重圧に耐えている。


「100縛超えの高位縛界術……ですか」


 晶は目を細めて呟く。


「あの少年、なかなかの使い手のようですね」


「感心してる場合じゃねーだろ!」


「いやいや、大したものです。初めて見る珍しい縛界ですよ」


 かまいたちの結界術である『縛界』は、無風の檻に対象を閉じ込め無力化するものである。“風がなければ妖術を発動できない”という“かまいたちの性質”を逆手に取ったいわゆる“結界”である。


 縛界には1縛から99縛の強度があるが、100を超える高位縛界術には“銘”が与えられている。晶もいくつかの銘を記憶していたが、この『百花壁』は初めて耳にするものであった。


 「しかもこれは妖力吸収型。これはなかなか素晴らしい設計ですよ」


 百花壁はすでに完成していた。空を覆う膜の向こうに、ふわふわと浮かぶランとモカが見える。


「なんだよ、これ。力が入らねぇ……ってか、爺ちゃんはなんでニヤニヤしてんだよ」


 三太は呆れたような半目を晶に向けたが、ほとんどの妖力を吸い取られたのだろう、今にも押し潰されそうに見える。

 元々、三太の妖力は大きい方ではない。血雫で妖力を消費した上、縛界内の吸収率が思いのほか高い。三太が倒れるのも時間の問題だった。


 晶は目を閉じ、吸収されていく妖力の流れを探る。


 吸い取られた妖力は、地面の楔を伝って縛界の外皮に取り込まれていく。それは散り散りになって渦を巻き、密度を高める。そして──


「……蕾?」


 晶は目を開けると、ふたたび空を見上げた。半球体の外皮に花がひとつ、ふたつと咲いていくのが見える。それだけではない。足元にも次々と花が咲き始めている。


(縛界内の妖力をエサにする“妖花”ですか。まったく手の込んだことを──)


 風があれば妖術を発動できるのだが、今ではそれも叶わない。


「爺ちゃん、花が咲き出したぞ! なんだよこれ! うひゃあ〜、気持ち悪りぃぃ」


 三太が大袈裟な悲鳴をあげた。


 色とりどりの蕾が次々と開花する。百合、薔薇、桔梗、蓮、向日葵──種類は乱雑だが、縛界内はそれらの花々で埋め尽くされていった。


「いやあ壮観ですねぇ、三太。まるで花畑にいるみたいだ。絶景絶景!」


 晶は咲き乱れる花を眺めながら、愉快そうに手のひらを叩いた。


「私の妖力は百合と薔薇、そして向日葵。三太の妖力は桔梗と蓮を咲かせているようですね。いやはや、芸が細かい」


(どんだけ妖力あんだよ、クソジジイ)


 三太は恨めしそうな視線を晶に向ける。


「わははは! だらしないぞ、三太! この程度の吸収技で泣き言とは情けない。蒔絵にまた笑われますよ」


──蒔絵。


「そうだ、蒔絵は大丈夫なのか?」


 三太に訊かれ、晶は横抱きにした蒔絵に視線を落とす。


「そもそも妖力を使い果たして寝ていますからね。問題ないでしょう。それより、早く蒔絵の腕を戻さないといけません。取り返しがつかなくなります」 


「おお、さすがは爺ちゃん。この縛界の破り方を知っているんだな!」


 三太の期待に満ちた言葉は、しばらく宙を彷徨うとやがて沈黙の彼方へと消えていく。


「……爺ちゃん?」


「……」


「ほら、蒔絵の腕、奴らから取り返さないと」


「うむ」


「うむ……じゃねぇ。言ったじゃねぇか、時間がないんだろ! というより俺にも時間がねぇ」


 晶は花畑と化した周囲を眺め、そして深く頷く。


「これは……無理ですね」


「え……」


「破綻のない丁寧な式組みと、楔を使った隙のない仕掛け……もし脱出法があるなら、私が知りたいところです」


 晶はこともなげに断言すると、蒔絵を花の上にそっと寝かせた。そして自分も胡座をかいて座り込む。


「いいですか、三太。こういうときは落ち着いてゆっくりと考えるのです。一見完璧に見える妖術も、所詮は我らかまいたちが組み上げたもの。必ず綻びはあるものです。まあ、今のところは見当たりませんがね……三太、訊いていますか?」


 三太は花々に埋もれ、白目をむいて倒れていた。


         ◇◇◇


「百花壁からは逃れられないよ」

 

 ランは満足げな笑みを浮かべ、妖花に埋め尽くされた縛界を見下ろす。


「僕を侮辱した罪はしっかり償ってもらうよ、三太殿」

 

「ねぇ、ランちゃん……その腕……」


 モカは心配そうな表情で、ランの千切れた腕を指差した。


「大丈夫だよ、モカ。こんなのすぐに再生する。それより早く栄生ちゃんに会いに行こう。そのうち東の警備隊もやってくる」


「うん。早く栄生ちゃんに会いたいな」


「分かっているとは思うけど、絶対に殺しちゃダメだよ」


「分かってる。持って帰るだけ」


「アレを持って帰れば、きっと陛下も満足して下さる。僕たちへのお咎めもなし」


「モカ、怒られるのイヤだから頑張る」


 ふたりは鳥居の前に降り立つ。そしてモカはふたたび鎌を振り下ろした。相変わらず見えない壁に弾き返されるが、さっきよりも手応えがあった。空間に白いヒビが走る。少しずつだが亀裂が入っているのだ。


「それにしても“東”の煉界口は、なんで都会の真ん中にあるんだろうね」


 鎌を振り上げるモカを尻目にランは首を傾げる。例えば“北”の煉界口は人界の森の奥にある。出入りも安全だし、何より人目につかない。こんな街中に煉界口を置くのはデメリットしかない。

 

「ランちゃん、また難しいこと考えてる」


 モカは言いながら、力の限り鎌の刃を叩き続ける。


 ピンク色のツインテールが、動きに合わせて激しく揺れる。亀裂は次第に大きくなり、やがて中央に小さな穴が開いた。その向こうは眩い青紫の光に満たされている。


「星みたいだ。モカ、入口が見えてきたよ。キラキラ輝いて、綺麗だね。さあ、頑張って壊しちゃおう」


「うん、モカ、頑張る!」


 妖帝術の発動は予想外だった、とランは後悔した。

 

 桁外れの召喚妖術。王族外が呼び出した帝の御業──あの規模を考えると、おそらく四方の森すべてに感知されたはずだ。僕たちの行動も自ずと明るみになる。そうなれば、すでに北と東だけの話ではない。あの爺さんの言うとおり、大問題になるだろう──もはや遊びでは済まされない事態なのだ。


(ここまで来たら、ポンコツ王女を拉致するしか道はない。カタクリ様への土産がなければ、僕たちは確実に“処分”されるのだから)

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