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第25話 血雫

 時間は少しだけ巻き戻る。


 蒔絵が片腕を失ったころ、三太とランは向き合ったまま、互いに動けないでいた。


 距離にして30メートル。三太は背後から聞こえた蒔絵の悲鳴を聞き逃さなかった。それでも三太は目の前のランに集中する──大丈夫だ。蒔絵は俺とは違う。あいつは()()()()()


「三太殿、悪いけど、君では僕に勝てないよ」


 ポケットに手を入れたまま、ランは宣言した。


「見たところ君は『薬役』……ああ、東では『塗り役』だっけ? 戦いには向かない支援役だ」


「すげーな、お前。見ただけで分かるのか」


 三太は目を丸くして驚きの声をあげた。


「妖力分析は得意なんだ」


「だったら自分の置かれた状況も分かるよな?」


 ランは自分のまわりに浮かぶ無数の『血の雫』に目をやる。


「まだ分析中だし、上手い言葉が見つからないけど……これは超回復の血の雫、その集合体……で合ってるかな?」


「ご名答。うわ〜、俺もその力、欲っしいなぁ。よぉし、俺も当ててやるぜ」


 三太は眉間にしわを寄せてランを凝視する。


「分かった! お前の役まわりは転役(てんやく)だろう」


「ぜんぜん違う」


「あれ?……違うの?」


 三太は言って、ガクリと肩を落とした。


「北の森はね、とうの昔に役まわりを捨てたんだ。君たちは古くからの習わしに囚われ過ぎている。妖術の系統は多種多様だ。三役に無理矢理カテゴライズするのは愚かだよ」


「かてごらいず……お前、面倒くさいヤツだろ?」


 ランは鼻で笑う。


「それよりさ、『血雫(ちしずく)(あけ)()』だっけ? この血のカーテン、仕舞ってくれないかな。触ったら身体が吹き飛びそうだけど、僕は絶対に触らない。向き合ってるだけで時間の無駄。無意味だ」


「お前……賢いのか馬鹿なのか、よく分かんねーヤツだな。足止めなんだから意味あんだろ」


「馬鹿って……ひどいな。付き合ってあげてるのに」


         ◇


 芝崎三太は、王室の近侍を担う芝崎家の長男として生を受けた。


 妖術『血雫、朱の輪』は、三太が使える数少ない攻撃系妖術である。


 幼少の頃から、近侍のエキスパートとして徹底的に鍛えられたが、生まれついての優しい性格がゆえに攻撃的な妖力に恵まれなかった。


 しかし、三太にはひとつの類稀なる力があった。それは血だ。正確に言えば“再生を促す”血の質だ。


 かまいたちは“壁役”の適性を見分けるため、【転ばし、斬りつけ、薬を塗る】という三位一体の連携で人を襲う妖だ。羽虫が光に集まるように、それはほとんど本能的に繰り返される行動である。


 薬を塗り傷を治す──これは人間に対する彼らの慈悲でも好意でもない。

 

 壁役の適性を持つ人間は稀だ。繰り返し斬り続ければ、やがて狩られることになる。


 塗り役は、いわば種の保存のために生まれた役まわりだ。三位一体の行動は、人間にとっては『ほとんど害のない“いたずら”』でなくてはならなかった。


 この塗り薬は、すり潰した12種の薬草にかまいたちの血液を混ぜて作られる。


 三太の血は、薬草を必要とせずに傷を治癒することができた。それは、芝崎家300年の歴史の中で、初めて発現した能力だった。


        ◇


 三太はランを改めて観察する。血雫に囲まれながらも余裕の姿勢を崩さない。やはり得体が知れない。


 蒔絵の回し蹴りは確かに直撃した。にも関わらず効いた素振りすら見せない。蒔絵の妖体術、その威力は誰よりも三太が知っている。幼い頃からずっと練習台にされてきたのだから。アレを食らって立ち上がれるはずがないのだ。


「三太殿、分析が終わったよ」


 ランは肩をすくめると、「やっぱり君では僕に勝てない」と続けた。


「お前、ずいぶんと勝ち負けにこだわるんだな」


「負けたら僕に価値はないからね」


 ランはこともなげに言った。


「よければ、その分析、聞いてやるぞ。時間はたっぷりあるんだ」


 三太は言って、白い歯をみせて笑った。


「この血の雫ひとつひとつに、超回復の妖力が込められている。傷のない者が触れると、過剰な治癒力……いや、活性力が注ぎ込まれる。狙いはたぶん……心臓かな。過剰な活性力にさらされた健康な心臓は一瞬にして吹き飛ぶ──そんな術式」


「天才じゃん。大正解」


 感心したように、三太は手を叩いた。


「僕には『術』が『式』に見えるんだ。これはホント、素晴らしい設計だよ。ご丁寧に『雫』ひとつひとつに耐風性能まで付与されている。うん、なるほど、風で吹き飛ばそうとしても無駄ってわけだね。ただ──」


 ランはそこで言葉を切り、優しい笑みを浮かべる。


「それでも、僕には勝てないよ」


 三太は頭を掻いて空を見上げた。


「こんな短時間で術式を読み解くなんて信じらんねーや。3年がかりでようやっと組んだ式なんだけどな」


「分かっただろ。術を仕舞え。僕には君の血雫を無効化できる手段がある」


「へぇ〜、面白いな」


 三太は得意げに鼻を上げた。


「氷結だろ?」


 ランの表情が初めて歪む。


「なぜ、分かる?」


「テキトーだよ、テキトー。いやあ、言ってみるもんだなぁ」


 その時、ふたりはただならぬ妖力を同時に感じた。空が青白く明滅し、灰色の雲間から青空が覗く。


(なんだ、この妖圧は……何かが空にいる──)


 ふたりは気配で感じ取る。凄まじい妖力が空に充満している。抗いようのない圧倒的な力を持った何かが、いま空を支配している。


 雑居ビルの影になり、空は一部分しか見えない。しかし姿は見えなくても異質な存在がそこにいる。ふたりにはそれが分かった。


「モカの妖術じゃない……これは、東の召喚妖術か!」


 ランは三太に問いかけた。が、三太にも分からない。ランの言葉を信じるなら、これは蒔絵の妖術ということになる。だが──


 とつぜん羽音のような重い低音が、大気を激しく揺さぶった。それは鼓膜を揺らし、脳を揺らし、身体の芯に直に響く。三太は目眩に襲われながら思わず耳を塞いだ。


「本当に蒔絵……か?」


 三太は鈍色の光に包まれた空を訝しげに見上げた。


 そしてふたりは悲鳴を聞く。

 


「助けて、ランちゃん!」



「モカ!」


 三太の集中力が逸れた隙をランは見逃さなかった。


「妖術・氷結壊(ひょうけっかい)


 ランの身体が冷気を纏うと、それはすぐに四方へ放出された。宙に浮かんだ無数の血雫は一瞬で凍りつき、パラパラと音を立てて足元に降り積もった。しかし、すぐに新しい血雫が出現し、ランの周囲を取り囲む。


「なるほど。“術“そのものに再生式が付与されているわけか」


「そこまでは見抜けなかったみたいだな」


「なら仕方ない──妖術・氷結壊」


 ランは再び、冷気を放出し、血雫を凍らせる。


「何度やっても同じ……」


 ランの行動に三太は目を疑った。血雫が再生する瞬間、ランは三太に向かって飛び込んできたのだ。

 

 被弾覚悟の突撃。

 強行突破。


「片腕くらいくれてやる」


 血飛沫が舞う。

 再生された血雫がランの身体に触れる度、肉が爆ぜる。


「やめろ。お前、死ぬぞ!」


 静かな振る舞いからは想像のできない脱出策に、三太は許をつかれる。


「どけ!」


 鬼人の如き表情で迫るランは、別人のように見えた。


 顔も腹も背中も足も、血雫は容赦なく触れた肉を(えぐ)る。血雫は傷口から体内に入り込み、血管を拡張させる。心臓は壊れたポンプのように過剰な血流を身体中に巡らせ、ランの身体を内側から破壊する。

 

 ひときわ大きな血飛沫が飛び散った。


 ランの右腕が肘の辺りから弾け飛ぶ。大量の血を流しながら、それでもランは止まらない。


(血流の出口をつくれば身体は動く!)


 ランはそのままの勢いを殺さず、三太の脇をすり抜ける。


「モカ、いま行くよ!」

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